知らない音
その後、抜けた腰をなんとか引きずりながら俺は部屋に戻った。
この世のものとは思えない体験をしたのだから当然だ。まぁここは俺がいた世界とは別物のようだし、もしあれが日常茶飯なそれだったのなら俺も慣れていかなければならないないやあれが日常茶飯事なわけないだろ慣れるわけがない下手な怪談話よりも怖いぞあれは。
まぁそんなわけでベッドに横になったとしても寝れるわけがなく、千歳ちゃんが朝食のために俺を呼びに来るまではずっと変わらない天井を眺めていることしかできなかった。
「おじさん、なんか眠そうだね」
先を行く千歳ちゃんが背中越しにこちらを見て言う。
「いやちょっと怖い夢を見ちゃってね」
正直に言うのは憚られる気がして俺は嘘をついた。
「そんなこといって、なにか悪いことでもしようとしたんじゃないの?」
くふふ、と手を口に当てて笑うその姿はいたずら少女のそれだったが、しかし、目は笑っていなかった。
「大丈夫だよ、慣れてるし」
それから目を逸らしながら俺は答えた。
「そう」
温度が一切、感じられないその返答に俺はびくりとする。早朝の声に似ている気がしたからだ。
「あんまりおいたなことことしちゃだめだよ」
俺の視界に強引に入ってきて千歳ちゃんはそう言った。俺はその顔を黙って見つめることしかできなかった。
「さー、ごはんごはん」
いつもの調子に戻りながら千歳は足を進めた。
リビングに行くと、三人はすでに席についていた。
おはよう、おじさん、そう若葉が俺に声をかける。それに、おはようと返事を返しながら席に着く。それと同時にいただきます、と四人の合唱が響いた。俺も箸をとり、おかずに手を伸ばそうとしたが、その箸は空中で止まることとなった。
「おじさん、いただきますは?」
千歳だった。俺の箸を自分の箸で止めていたのだ。
「い、いただきます」
「よろしい」
千歳に恐怖心を抱いていることに気付いた。うかつに刺激しない方がよさそうだ。だからもちろん、合わせ箸になるからそんなことはしちゃいけない、と注意することなどできやしなかった。そういえばこの世界では死者は土葬なのだろうか、火葬なのだろうか。いやどうでもいいか。
「おじさん、今日はなにする予定?」
若葉が俺に聞いてきた。
予定、予定か。物置探しはしばらくやめた方がよさそうだし、そういえばこの家からまだ一度も外に出ていない。この世界の情勢を知るためにも、散歩がてら出かけてみるのもよさそうだ。
「出かけてみようかと思う。大丈夫、逃げやしないよ」
誰に向けての保険だったのか、自然とそんな言葉が口から飛び出た。誰に向けて、というかそんな相手は一人しかいないんだが。横目で千歳の様子を確認すると、黙々と食事を口に運んでいただけだった。拍子抜けである。ほっとしたのもつかの間、
「外は、だめ」
ぴしゃりとその言葉が耳に届いた。声のした方へ首を動かすと、その声の主は茜ちゃんだった。
「外は、危ない」
初めてその声を聞いた、というよりも内容の方が気になった。
「危ない、とは?」
「それ以上、聞くな」
茜ちゃんはそれ以上、口を開くことは無かった。若葉に目線をやると、肩を竦めるばかりで特に付け足すことはしてくれなかった。なぜ、外が危険なんだ。なにか、得体のしれない生き物でもいるのだろうか。そういえば、この家の連中が外に出ているのを見たことがない。常に、この家のどこかにいる。なぜだ。
「危険ってなんなんだ」
俺は若葉にそう聞く。しかし、
「うるさい!!!!!」
茜ちゃんがそう叫ぶものだから俺はもうそれ以上、外について聞くことは許されなかった。