知らないひとたち
このまま見つめ合っていても仕方ない。こういう時は誤解が一番恐ろしいのだ。俺はできるだけ警戒心を刺激しないように優しい声で語り掛ける。
「大丈夫。怪しいものじゃない」
「全裸でなにをいってるんだ!とりあえず前を隠せ!」
ごもっともだ。俺は首にかけていたバスタオルを下半身に巻いた。男の後ろに隠れている女が視線をどこへやればいいのか困っていた様子だった。名も知らぬうら若き乙女よ、申し訳ない。
「すまんすまん、これでいいかな」
俺は両手をあげて、害がないことを伝える。敵意はないんだ。ほんとに。
「そこに座れ」
男は棒で床を指さした。大人しく言うとおりにする。その時、なぜか妙に自分が落ち着いていることに気付いて、すこしだけ笑えた。
「なにを笑っているんだ」
男は俺に棒を突き付けた。
「いやなに、俺からすると不法侵入しているのはそっちの方なんだからこんなものを突き付けられる筋合いはないんだが、どうにもそちらにも事情があるだろうから大人として毅然たる振る舞いをしなくては、と思ってね」
「不法侵入!?どっちがだ!ここは俺たちの家だ!」
「なにを言っているんだ。ここは俺たちの家だ。妻も、あぁそうか、今はいないが妻もいる。俺たち夫婦の家だ」
「さっきから何を言ってるんだ!ここは5年前からずっと俺たちが暮らしている!おっさんとうとうボケちゃったのか!?」
ガツン、と頭に強い衝撃が走る。おっさんって、まだ俺はおっさんじゃない。
「おっさん?」
黙り込んだ俺に対してその男は訝し気に首を傾げている。その一瞬を俺は見逃さなかった。突き付けられていた棒を素早く引き、男の態勢が崩れた所で足を払い、前傾で倒れさせ、すぐさま俺は男の上に膝を立て腕を拘束した。
「おい!おっさん!痛いよ!なにすんだ!」
別におっさんと言われたから怒ったわけではない。この男の気が動転しているようだったから少し大人しくさせただけだ。そう。それだけ。別に怒ってはいない。
「俺はおっさんじゃねぇ!」
自分の半分も生きていないような男に声を荒げる。みんなはこんな大人になってはいけないよ。
部屋の隅では変わらず女がその小動物のような体をさらに縮こまして震えている。
「あぁ、ごめんごめん怖がらせたいわけじゃないんだ。少しゆっくり話をしたくてね」
その小動物にも優しく声をかける。しかし、ちらとこちらを見ただけですぐに目をそらしてしまう。困ったな。どうすればいいんだ。
「おい!早くそこをどけ!」
「口が悪いなぁ、そう言われるとどきたい気持ちがどこかにいっちゃうなぁ」
意地悪である。悪い大人は自分が優位に立っていることを知ると意地悪したくなっちゃうものなのだ。
「つべこべいってないで早くどけ!」
「そればっかりだね君は」
「うるせぇ!俺は守らなくちゃいけないんだ。妹を、妹たちを!」
妹?あぁそこで震えているのは妹だったのか。彼女かと思った。ん?妹たち?
「いけ、千歳!」
視界の端、引き戸が勢いよく開かれたと思ったら、物理的に頭に強い衝撃が走り、俺はそのまま気を失った。