知ってるのに知らない場所
午後8時。家へと続くその道を今日も歩く。
疲れた。まだ一週間が始まったばかりだというのに月曜日から残業なんてついてない。早いとこ風呂に入って、ソファでごろ寝しながらSNSをアホほど見たい。
ふと見上げると、月がこちらに微笑んでいた。やめろこんな底辺社会人を照らすな。それは将来有望な若者にあげてくれ。こんな毎日同じことの繰り返しで辟易してしまい、思考停止をしながら生きているような男にライトアップなんていらない。本当にやめてくれ。
そうこうしているうちに愛する我が家が見えてきた。そうだ、こんな俺にも誇れるものが一つだけある。玄関のロックを解除し、その誇らしいものに向かって声をかける。
「ただいまー」
すると、部屋の奥からパタパタとこちらに歩み寄ってくる音が聞こえた。
「おかえりー」
あぁ、今日も可愛い。
この人が俺の唯一の自慢である妻だ。年収も高くないし、甲斐性もないだろうこの俺に唯一ついてきてくれた彼女。結婚を申し込んだときは涙を流して喜んでくれたっけ。
「先にご飯にする?それとお風呂?」
「先に風呂に入りたいな」
「分かった。準備して待ってるね」
俺は、自室に入りパンツ一枚の状態で風呂場へ向かう。
「そんな格好でふらふらしないんだよー」
鍋をかき混ぜながら視線をよこさずに妻が言う。
「はいはーい」
いつも繰り返されるそのやり取りに適当に返事をして、浴室へ。シャワーで体を流し、そのまま湯船へ。「はー」と長い溜息なものが出て、疲れがお湯に溶け出していくのを感じる。これが、あるから風呂はいい。このために頑張れるというものだ。そういえば、最近妻とコミュニケーションをあまりとっていないような気がする。夫婦円満の秘訣は会話だと聞いたことがある。ちゃんと話をしよう。くだらない話でも、なんでもだ。
湯船から上がり、椅子に腰かける。いつものようにシャンプーを頭に塗りたくり、泡立てていく。その時、ふと眩暈が襲ってきた。なぜだ、疲れか、いや残業だったとしても月曜日と言うこともあり、それほど疲れていない。なぜだ、病気か?
妻に助けを呼ぼうと声を出そうとするも、眩暈のせいで声が上手く出せない。そのまま俺は椅子からずり落ちるように浴室へ泡まみれのまま倒れたのであった。
どれぐらいの時間が経ったのか、俺はようやく体を起こした。右肩から痛みを感じて目をやると、少し赤くなっていた。どうやら右肩から倒れたらしい。妻が来ていないことを察するにそれほど時間は経っていないのだろう。風呂から上がったら笑い話として話してやろう。
頭に手をやると、泡が手についた。そういえばシャンプーの途中だったと気付いて、シャワーで流す。続いてトリートメントに手を伸ばすが、そのトリートメントはいつもと違っていた。残量が少なかったから妻が買い換えたのだろう。そういえばボディソープも銘柄が変わっている。ついでにすべて変えたのか。いいことだ。
体をすべて洗い流し、また湯船に浸かる。「ふー」と今度は短い溜息が漏れた。しかし、湯船で倒れるなんて、歳のせいなのか。今年で36になるからそんなこともあるのかもしれない。というか、もしかしたら湯あたりだったのかも。あまり感じなかったが思ったよりも長く浸かっていたのかもしれない。そうと分かれば、すぐに湯船を出よう。体を拭いて笑い話をしよう。
浴室から出て定位置からバスタオルを手に取る。お、バスタオルも新調したのか、確かにずっとゴワゴワだったもんな。ごめん気付かなくて。
バスタオルで頭を拭きながら脱衣所を出る。
「聞いてよ、いまさ、俺倒れたらしくてさー」
キッチンにいる妻に声をかける。「え、大丈夫だったの!?」そんな返事が返ってくるかと思いきや、結果は無視であった。聞こえてなかったのか、と思いながら目を向けるとそこには妻の姿はなかった。リビングかと思い、視線をうつすと部屋の隅に見知らぬ男女の姿があった。何か棒のようなものをこちらに向けながら、恐ろしいものを見るような目で俺を見ている。
「え・・・?」
状況が呑み込めなかった。妻の代わりに知らないやつらがいたのだから当たり前だ。
「だれだおまえは!」
男の方が強い口調で俺に声をかけた。
「いやこっちのセリフなんだけど」
全裸の男と棒を持った男はそうして見つめ合った。