六十二・母と娘の夜
六十二・母と娘の夜
こんこん こんこんっ
「・・・・・・なぁにー?」
「優璃・・・・・・。ちょっと、アタシの部屋に来て」
優璃の部屋をノックし、扉の隙間から手招きする紅葉。学習机に向かっていた優璃は、首を傾げて紅葉の部屋へ行く。
「お姉ちゃん。なぁに?」
「・・・・・・まぁ、いいから。そこらへ適当に座りなよ」
「どうしたのー? ゆりをこんな時間に部屋へ呼ぶなんて、最近じゃ珍しいね?」
紅葉の部屋は、寒色のマットが敷かれ、真ん中にガラス製のミニテーブルが置かれている。
部屋の隅には、乱雑に放り投げられたバッグや、ファッション雑誌が積まれたまま。ベッドには、黄色と桃色の水玉模様をした夏掛けが一枚。本棚には少女漫画のコミック本や、アクション漫画、ベストセラー小説の文庫本、護身術や格闘技の実用書などが立てかけられている。
優璃は適当に、ベッドにぼふっと腰掛けた。
「優璃、そこはだめ。降りな! そっちにしなよ」
「何よー。お姉ちゃんが適当に座れって言ったのにぃ」
頬をぷくっと膨らませ、優璃はテーブルの横にちょこんと座った。
ばさり ばささっ ばさりっ どさどさり
紅葉は、優璃の目の前に、大量のノートとプリントを置いた。
「え? お姉ちゃん、なにこれ? ・・・・・・わぁ! びっしり書いてある! ええぇ?」
そのノートの一つを手に取り、ぱらぱらとめくる優璃。
「・・・・・・やるよ。アタシもう、こんなの取っといてもしょーがないしな」
それはかつて、紅葉が高校受験時に溜めた、学習ノートや参考プリントだった。
「・・・・・・い、いいの? お姉ちゃん、こんなに勉強してたんだぁ・・・・・・」
「アタシの字、きれいじゃないし、もし読めなかったら捨てていーから」
「ううん! 嬉しい! しかも、すっごくわかりやすいよ! ・・・・・・ありがとう!」
優璃はにこにこ笑って、紅葉の手を握り、るんるんとはしゃいでいる。
その奥では、紅葉の学習机の上にステンドグラス製のライトが光っていた。それが照らしているのは、数冊の参考書と問題集。その中にある書物の背表紙には、「商業簿記検定合格へ」と書かれている。
「優璃。お前、意地でも柏沼入りたいんだろ? あのな、受験の時は絶対・・・・・・一人で悩んだりすんなよな・・・・・・」
メッシュ生地の椅子に座る紅葉。優璃へ背を向け、ペンを握って再び机に向かう。
「・・・・・・うん! ゆり、がんばる! ありがとうね、お姉ちゃん!」
「明日、どこへ行くか知んねーけど・・・・・・。たまには息抜きしろよ? じゃ、おやすみ」
優璃は笑って「おやすみ」と言い、紅葉にもらったノート類を抱え、部屋から出て行った。
「(・・・・・・明日、どんなことやりゃーいいんだか。まぁ、何とかなるよな)」
参考書や問題集とにらめっこする紅葉。
・・・・・・ピロンッ♪
「ん? ・・・・・・あ!」
紅葉のスマートフォンに、メッセージが入った。それは、十六夜からだった。
「十六夜岳じゃんか・・・・・・。なんだよ、こんな時間に・・・・・・」
素速く親指を動かし、メッセージのやりとりをする紅葉。
――― キザ夜 《 明日、よろしくね? 気分はいかがかな? 》
――― くれは 《 最悪だよ。で? 何すれば良いんだっけ? 》
――― キザ夜 《 トチベリー25のセンターリーダーと、まずは顔合わせだね 》
――― くれは 《 なんだそいつ。誰? 》
――― キザ夜 《 あれ、知らないの? じゃ、紹介する。ゲストも来るしね 》
――― くれは 《 ゲスト? 誰? そんなの、この前、聞いてないんだけど 》
――― キザ夜 《 まぁ、明日紹介するよ。その人たちもイベントに出るからね 》
――― くれは 《 それも警備対象? アイドルグループだけじゃないんかよ 》
――― キザ夜 《 対象ではないけど、まぁ、何かあったらすぐ動いてね 》
――― くれは 《 ホントに、変なヤツが現れたりすんのかよ? 》
――― キザ夜 《 どうだろうかね? まぁ、何事も無くても、金は払うよ 》
――― くれは 《 当たり前だろ。タダ働きなんかさせたら、ぶっとばすから! 》
――― キザ夜 《 怖いな。やめてくれよ? そうそう、あと、もう一つ・・・・・・ 》
――― くれは 《 は? まだあんのかよ? 》
――― キザ夜 《 明日、「三田」という男と、取引契約を代わりにやってほしい 》
――― くれは 《 はぁ? 契約? 何だか、いろいろやらされんだなぁ 》
――― キザ夜 《 この業界は、いろいろあるんだ。じゃ、よろしく頼むよ 》
――― くれは 《 玄桐のスクーターで行くからな。よろしくお願いします 》
・・・・・・タタッ! ピッ!
やり取りを終えた紅葉は、ベッドに寝転がり、頭の後ろに手を組んで天井を見つめる。
「あーぁ。・・・・・・何やってんだかな、アタシ。優璃の年齢んとき、ちゃんと先を考えて、進路を決めればよかったよな。・・・・・・どーなるんだろう、アタシの人生・・・・・・」
しばらく目を瞑り、がばっと起き上がる紅葉。
「ちっ! これじゃだめだ! 気晴らしに、一本キューッと飲んで、寝ちまおうっと!」
紅葉は部屋を出て階段をゆっくりと降り、キッチンへ向かった。
足音を消すように廊下を歩き、キッチンとリビングへ続く扉を開けようとすると、小紅が寝室に向かおうとドアノブを握ったところだった。
「・・・・・・なに、紅葉? ・・・・・・まだ起きてたの?」
「い! ママ・・・・・・。まぁ・・・・・・。寝れないからさ・・・・・・」
テーブルを挟んでキッチンチェアに座る、母と娘。目の前には、冷たいレモンティーが。
「・・・・・・パパは?」
「もう寝たよ。いろいろあって、疲れたみたいね」
「・・・・・・ふぅん。・・・・・・ママ、あのさぁ・・・・・・。いや、うーん・・・・・・」
「なに?」
紅葉は、もじもじして、小紅から視線を外して呟く。
「・・・・・・なんかさ・・・・・・。いろいろ、ごめん・・・・・・」
「なにが?」
「ダメ娘ってのは、わかってんだよ・・・・・・。でも・・・・・・何つーかさ・・・・・・。自分でも、よくわかんなくて、気持ちがあっちにこっちに振れ動くんだ・・・・・・。あー、うまく話せねー」
テーブルにおでこをつけ、突っ伏す紅葉。
「・・・・・・わかってるわよ。・・・・・・理由がどうこうじゃなく、モヤモヤしてんでしょ?」
「・・・・・・そう・・・・・・」
「ガブーンバイパー社のバイト・・・・・・これっきりにしてね? ほんと、危なそうだもの!」
「・・・・・・。・・・・・・。・・・・・・うん・・・・・・」
「パパも、心配してたからね?」
「・・・・・・。・・・・・・。・・・・・・うん・・・・・・」
「紅葉・・・・・・。ちょっと、これ見て? さっき、パパと二人で見てたんだけどね?」
小紅は立ち上がり、隣の和室から古ぼけた絵本を二冊持ってきた。
「あ・・・・・・」
「覚えてる? あんたや優璃が昔、大事に読んでた絵本だよ」
「『いろいろとりちゃん』に『ぽこぽこきいろ』・・・・・・。何で? 捨ててなかったの?」
「捨てるわけないでしょ。これは、あたしやパパにとっても、二人の娘との想い出が詰まった本だもの。・・・・・・懐かしいでしょ?」
「・・・・・・マジか・・・・・・。十年以上も昔じゃん。・・・・・・そんな本なのに、まだとっといたなんて・・・・・・」
紅葉は、二冊の絵本を小紅から受け取る。そして、じっと眺めている。
「こっちは、確か昔、パパに買ってもらったやつ。こっちは、ママが誕生日にくれたやつ」
「あんたがよく、優璃に読んであげてたよねー?」
「・・・・・・そうだった。・・・・・・ママ、アタシさぁ・・・・・・。中学んときのノート、全部優璃にあげたからな? ・・・・・・優璃、喜んでたっぽいわ・・・・・・」
「そう! あんた、頭良いものね。ありがと! 優璃も自信つくよ。さすが、お姉さんね」
「やめろよ。ちびっ子じゃあるまいし・・・・・・。・・・・・・でも、この絵本見て、思い直したよ。アタシ、何でママたちに突っ張ってんだろう? ・・・・・・放っとかれてねーじゃん・・・・・・」
「当たり前でしょ、紅葉。・・・・・・あんたら二人は、大事な大事な娘なんだってば・・・・・・」
絵本を見つめて、目からぽたりと雫を落とす紅葉。同じように目を潤ませ、その娘をぎゅっと抱き寄せる小紅。
二人はその後、リビングで一時間ほど、絵本を見ながら語り合っていた。




