直前
瑛王モルテウムは、愚痴屋で始終じたばたしている惑える中年男だが、奇矯で突飛な人格というわけではない。むしろ一国の王であるにも関わらず、情緒に関しては市井の名も無い民とさして変わりはせず、浮気を試みようとしては口うるさい王后の雷鳴に怯え、その機嫌を取り結ぶのに四苦八苦する有様だった。また王自身が自分のそういった凡庸さ、通俗さをよく知り抜いているのと同時に、教条的に道徳を押し付けては家臣や民をその強情な鉄鎖に繋ぐということもなかった。
「わしは一応はこのちっぽけな国の統治者だ。法に反したり、度を過ぎたならばともかく、多少の道徳の迷走やら不品行程度で、罰だの刑だのと、統治者として恥ずかしくてやっていられんわ」
君主は自分のモラルや常識で臣下を掣肘しない。困ったところも少なからずながら、この点に関してはモルテウムは潔癖でさえある原則論者だった。
とはいえ、
(口には出さん。と、思ってはいるが、倅のやつは本当に大丈夫か)
忍耐力を総動員して我慢しているのは、彼の息子である営業王太子イシュアーグの振る舞いだった。
大規模な侵略行動が予期される迂の大軍を何とかせねばなるまいのに、その迎撃の大将となった困った倅は、
(酒浸りとは)
昼も夜も酒、という生活らしい。内心の不安や恐怖を紛らわすために酒瓶から手を離すことができない、という陰性なものではなさそうで、
「ほとんど、というより全て、同盟軍の杷と宰の将軍らと親しく和やかに」
「飲み通しなのか」
「いえ、ご歓談であります」
「同じではないか。妙な言葉で取り繕うな」
家臣から報告を受けて以来、モルテウムは心配でならなかった。まあ、普段から心配と愚痴ばかりは尽きせぬ泉水のように湧き上がるのがこの王なのだが、今回ばかりは子供にもわかる国難、大危機という白刃を突きつけられている状況であるから、心理的な悶絶は常の比ではない。
が、その心配の種の倅たるイシュアーグは、同盟軍と呼んでいる把や宰の援軍将兵と飲んだくれているという。
神経が持たず、モルテウムはイシュアーグを王宮に呼びつけた。なるほど、酒臭い。そのくせ頭髪は丁寧に梳られていたし、無様な無精髭もない。肌つやも悪くなく何より眼光がはっきりしていた。その姿を見るだけで、モルテウムはある程度安堵した。
が、口では、
「大難の折にそんなことでいいのかね?」
嫌味と叱責を混ぜ合わせた詰問を玉座から浴びせた。
イシュアーグは悪びれもしない。
「大難だからこそ、同盟軍の機嫌を取るわけです。宴もまた戦。やれやれですな」
「同盟軍をあてにしすぎなのではないか? 連中の機嫌をいくら取ったところで、連中だけで迂軍を追っ払ってくれるわけではなかろう」
イシュアーグは哄笑した。
「そのとおりですな。そうならば飲んで終って頭痛の種は二日酔いだけでしょうが、まあ、世の中よろず、甘くはできておらんものです」
世の中甘くないと語る当人が連日連夜の酒宴男なのだから、モルテウムとしては頭を抱えてしまいたくなった。何か痛烈に罵声のひとつも浴びせてやろうと思っても、なかなか太平楽そうに見える倅相手に気のきいた台詞も浮かんでこない。やむなく番犬のように唸っては、ガリガリと音を立てて歯噛みをした。もちろんそんなことでは気も晴れないし不安も去らない。そして、疑念ばかりが膨れ上がる。
玉座の上のその父親の様子を見て、助け船を出すようにしてイシュアーグが語りかけてきた。
「同盟軍はさほどにあてにはなりませんが、さりとて、怖気づかれて逃げ出されても戦になりません。おだてて、なだめて、煽って、鼓舞して、とにもかくにも戦場まであの連中八千を引き連れ、押し出さねばならない。それをやらねば勝つ算段が立たぬわけで、それでやむなく飲んでおります」
渋い顔をしてモルテウムはそれを聞き、ある程度の理解も容認もしたものの、腹の虫が失せた爽快感が湧き上がってきたわけでもなかった。舌打ちを何度かして、
「やむなく、というが、酒宴は大盛りあがりと聞いておるぞ」
苛立ちを皮肉に変えてぶつけてみた。イシュアーグは気にもしない。
「どうせ飲むなら陽気に飲むのが、人にも酒にも喜ばしいというもの」
へらず口を顔色も変えずに返してくる。そしてやはり笑いながら、
「同盟軍にとっては、末期の酒になるかもしれませんからなあ。楽しませてやらねば気の毒というもので」
薄手の唇をいっそう細め、瞳に冷やかさを宿し、ごくさり気なくそんなことを口にした。
モルテウムは、息子のそんな表情に幾分か怯んだ。それでそれ以上の追及を躊躇した。それを頃合いと見て、イシュアーグは一礼するとさっさと退出した。
(倅めが)
腹立たしくも、モルテウムはその冷たさこそ自分が持ちえないものであり、戦のために必要な資質なのかもしれないとぼんやりと思った。
(誰に似たのかね)