確立
人並みの親としての感情も感覚もあるモルテウムである。息子のイシュアーグに国難を背負わせ、それで不幸にも戦場で散らせてしまったらば、
(それは不憫だ)
という当たり前の感慨くらいは当たり前に浮かび上がる。
イシュアーグが使い物にならないどら息子で、戦いを泣いて嫌がるようならば、モルテウムはまた例によって例のごとく、こいつは泣けるし駄々をこねられるが、わしにはそれは許されん、実に不公平な話だ、などと、散々に不毛な愚痴をまき散らすところであるのだが、
「そのように呆気なく、ああいいですよ、だからなあ。かえって不安だわ。イシュアーグ、お主死ぬ気かね」
国王として公私混同もいいところながら、玉座の上から世迷いごとのように訊ねた。
倅はやはりのんびりしていた。
「ああ、負ければそれは死んでしまいますな」
「当たり前ではないか。無理ならばどうだ、いっそ戦う前から降伏するか? 民から唾を吐かれ、石でもぶつけられるような情けない仕儀ではあるが」
「いやあ、例え降伏しても、その後すぐか、多少時間を置くかの違いはあるにせよ、どのみち迂の都合で殺されますなあ。それが、膝を屈して虜となった王族の末路というものではありませんか」
腹立たしいが同感である。しかし同感であろうと、
(腹立たしい。他人事のように言いおって)
モルテウムは苛立った。
「イシュアーグ、お主は勝てるか? 勝つ自信があるのか? そこをはっきりさせよ!」
怒鳴ってやると、倅はニヤリと笑った。
やれやれ、困った倅だとモルテウムはまた大きな溜息を吐いた。
「あの同盟軍、あれを当てにしているのではあるまいな。わしの見立てでは、あれは、使い物にならんとまでは言わんが」
精々が補助戦力である。モルテウムは苦々しくそうつぶやいた。
イシュアーグは笑みを崩さない。
「父上も、実戦の方はてんで不得手な方ですが、軍政となるとお見事ですな。同感です。あれは頼りにはできませんね」
褒めてもらってもまるで嬉しさが込み上げてこない。どうするのだ、またモルテウムの声が苛立ちをはらんだ。
「彼らにはやれることを果たしてもらうだけです。
いなければいないで困りますからな」
イシュアーグはいよいよ同盟軍への歓待を厚くすることを願い出た。モルテウムとしても否やはない。「酒や食い物くらい、何と言うこともない。あの三倍も将兵がやってくると思っておったから、連中が飲み食いしても食い尽せんわ」
こういった手配や準備といった後方の支援となると、モルテウムの手腕はそつがなく、配慮に事欠くことがなかった。イシュアーグは何度かうなずいたのち、持参の紙切れを懐から取り出した。彼お手製の絵図面のようであった。
簡単に記されたもので、イシュアーグの大雑把さと絵筆の扱いの拙さがよくわかる。が、瑛の国都から迂の拠点カイラールまでのざっとした様相が描かれていた。
イシュアーグは玉座まで近寄ると、王の膝の上にそれを広げ、指さして説明を始めた。
「我が方は少数。敵は多勢。こういった場合の定石として、地の利を占めて大軍に抗するというものですが、格好の地相はあるにはあります」
瑛の王都から南下を続けると、次第に水利に見放された土地に至る。緑が景色から乏しくなり、人影も同様にまばらになっていくが、抑揚に乏しい平たさの中で、奇岩のさざめきと針葉樹の密生した岡の隣接する、奇妙な丘陵があった。街道はこの中を縫って進むが、その左右に軍を展開できるような広さの余裕に乏しい。
既に瑛は、この丘陵に物見程度の砦を築いていた。
「なるほど、その砦を急いで手直しすると共に我が軍が立て籠もり、迂の大軍を彼の地にて要撃するか。名案である」
先走りしてモルテウムは大いにうなずき、早速準備に取りかかろうと玉座から立ち上がりかけたが、イシュアーグはそれを苦笑しながら制止した。
「この手で戦いたいですが、条件がひとつ出てきます」
「何だ? 恩賞の前渡しか? どうせいずれは我が国すべてがお前のもの。おお、何ならいっそ、わしは退位してお前に全部やろう」
「父上、それは恩賞などではなく、責任放棄というやつではないですか。それに私の条件とは恩賞などではありません」
「何だ、違うのか」
「どさくさまぎれに、面倒を押しつけんでください。そうでなく、条件というのは、戦い方です」
戦となると途端にモルテウムの頭は動かなくなる。その父を前に、イシュアーグは懇切丁寧に絵図面で指差し説明を続けた。
「ここに立て籠もると、敵の足も止められますが、こっちも足止めとなります。敵が軍勢を二分して、一方はこの丘陵で我らと対峙、そうなるとお互いに動けなくなる。しかし分散した別の敵は、身動き自由です。そこで、こうなる」
イシュアーグは指で絵図面をなぞり、丘陵から迂回して鋭利に王都を突く道筋を示唆した。
「あ、いかん」
「こうなったときには、父上に王都で敵軍を迎撃していだくことになりますが、この策でよろしいですか?」
「よろしくない!」
モルテウムの判断は電光石火、自分が戦う羽目になることを回避する点に関しては、この世の誰より判断が迅速だった。
「却下だ却下。王都のかわいい我が民を戦火に巻き込むことは断じてならん」
かわいい我が民の中には父王自身もちゃっかり含まれている。長年の親子づきあいで、そんなことは百も承知のイシュアーグは、最初からこの作戦をやれないのを承知の上で、敢えて口にしてみた。
揶揄が第一ではあるのだが、
(後で、立て籠もり案がいいなどと言い出されると困るからな)
イシュアーグは父親相手でもそんなことを内心で考えてもいた。
劣勢側は、戦う前に内側から崩れる。そういった戦理をイシュアーグは学んで習得するのではなく、感覚で理解してしまう天稟を持っていた。
(気息を揃え、わき目もふらずに戦わねばならぬのに、不利だと思うと心は乱れ、従事する作戦に疑念を抱いて、実現するはずのない妄想や夢まぼろしに懸命に手を伸ばし出す。そうなれば……)
戦う前に負ける。
そうしないためには、指揮系統を一本化して、あらゆる差配は自分のところから発し、一軍のなかの各々が勝手了見で動き出さないように厳しく統制するしかない。
イシュアーグは苛烈でも武断的でもない、飄々とした、適度にいいかげんな人物であったが、戦に勝つことに関してはどんなことでもやれる男だった。
父王に戯れかかって、別の戦い方の芽を先んじて潰しておく程度など朝飯前に行う。
(戦うにあたっては、絶望の中に、光明は一筋あればそれでいい)
案の定、モルテウムは混乱していた。
「それでは結局、真正面からぶつかるしかないではないか」
(そのとおり。そこで何とかするしかない)
強く内心で同調しつつ、口に出すのは裏腹なイシュアーグである。
「まあ、父上が剛毅な鬼将軍でしたら、穴熊作戦もよかったのですがな」
「馬鹿を言え。わしのような瀟洒な美中年が鬼将軍になどなれるわけがなかろう」
「へらず口が出ているうちは、まだまだ大丈夫。とはいえ、まあ真正面からやるしかないとなれば、仕方ないというものです」
「やってくれるか?」
「やれる範囲でね」
父王は玉座の上でひどく情けない顔をしていた。
「イシュアーグよ、此度の戦に勝利したら、わしは戦勝とお前のほまれを記念して、城の前にお前の巨大な像を立てようぞ」
「……阿呆なことを思い浮かべておらず、もっとましな銭の使い方を考えてください。勝った後には、やらねばならぬこと、使わねばならぬ金の使いどころ、そういうものが山のように降りかかってくるはずですから」
モルテウムはすがるように息子の顔を見た。
「勝った後、勝てるということだな」
「まあ、勝つ気はありますよ」
「真正面からでも?」
「勝てるように算段します。真正面からぶつかります」
「頼む。お前に全て委ねる」
イシュアーグは一礼すると、王の前を下がった。
玉座の間を退出して、王城の中の自室に引き取ると、扉の前で相変わらず生真面目に佇立しているロムルに目配せをして共に部屋に入った。
「親父をあやして疲れたよ」
忌憚のないぼやきを警護役兼副官のような側近に漏らすと、謹厳実直なロムルは顔をしかめた。
「国王がご不安なのは当然ではありませんか。私だって未曽有の危難、内心は千々に乱れております」
「いつもどおりの、面白くもなさそうな表情をぶら下げておいてか」
ニヤニヤと笑いつつ、イシュアーグは部屋の中にある椅子にだらしなく腰かけ、背もたれに思いきり身を任してふんぞり返った。
「まあ、親父からちゃんと全部委ねると言質を取ったよ。これで俺が全部好きにやる」
「……おめでとうございます」
「古今東西、一国の軍隊の指揮権というやつは、仄聞するに誰に渡すかで堂々巡り、時にどん底の血みどろになるということだそうだが、まあ我が王国のようなちっぽけな世帯だと、そういうことはケチ臭くて結構なことだ」
これが迂の連中だったら、こんなに簡単な話じゃなかっただろうさと、イシュアーグは余計な一言を側近の前ではつけ加えた。
「まあ、よそはよそ、我らは我ら。いずれにせよ、これで博打も打てるというものだよ」
ロムルは博打という言葉に顔を軋ませた。
「博打ですか。まあ確かにこれだけ力の差があると博打ですなあ」
イシュアーグは側近のその述懐を軽やかに否定した。
「戦というのはどんなものでも博打なのさ。例え勝ちが固い戦であろうと、博打の怖さは無くなりはしない。戦う人間は、勝とうとしてその場に出てきているのだからな」
目を閉じて、イシュアーグは椅子の背にだらしなくもたれた怠惰な格好のまま、沈思し始めた。傍目には脱力すぎる居眠りにしか見えなかったが、まとわりついてくる淡い睡魔に意識の境界をぼやけさせながらも、脳裏の暗幕の中に冴え冴えとした光景を浮かべ、イシュアーグはそれを瞑目しながらはっきりと凝視した。
超常的な予知の類ではない。ただ、想像したことをより細密により厳密に思い浮かべる。戦の想像、その推移の想像である。
迂軍、その推定される北伐兵力、その軍団の構成、事前に入手した情報は、個々にぽつんと孤立したものとしてやってきて、イシュアーグの脳裏で間違いのない実感と共に複雑にからみ合い、確かな実現性と結着しながら投影される。それも、俯瞰し図示したような戦場全体の様相から、兵士の肉体、騎馬のいななき、鉄と鉄との激しいぶつかり合い、うめきや悲鳴、歯噛み、そこにまとわりつく様々な各々の意思や欲望、願い、絶望、そして死。
「もっと正面を厚くしないと勝てないな」
目を閉ざしたまま、イシュアーグはぼそっとつぶやいた。