迎撃
迂の本国から、北伐の部隊が陸続と拠点カイラールに入城していく。
迂はそれを、殊更に欺瞞隠蔽することもなかった。行路が長駆のため、隠しようがなかったということも大きいが、
「防諜だの、こまっしゃくれた配慮は渡来風というものである。そのような小賢しさは大陸かぶれの陸著どもが騒ぐこと。我らは迂のやり方、真正面からの正攻法に徹するわ」
建国以来の渡来文化への嫌悪感と六朝への劣等感とが、そのように居直らせ、殊更にそう言い放つ癖のせいでもあった。
とはいえ、これで勝利を得られれば、指弾される事柄でもない。誰に監視されようとじっくりと時間をかけ、迂は北上の準備を整えていた。
無論そのことを、攻められる側の瑛はとうに察知している。そのために、瑛王モルテウムがたっぷりと懊悩する時間が生まれもしたが、迂軍北伐を迎撃する準備にかける時間を確保することもできた。
とはいえ、この世の片隅に隠棲する魔法使いのところに出かけて行って、魔力を帯びた剣を貰うとか、死なない魔法をかけてもらうとか、朝目覚めたら味方の軍勢が三倍になるとか、そんな都合のいい話はこの世のどこにも存在しない。
そこは困り屋のモルテウム王とて、いかに困り果てようとも統治者としての現実主義を蕩けさせる醜態にまでは至らなかった。
「借金取りと迂の軍勢は、いずれ必ずやって来るものだ」
存在しないものをあてにするわけにはいかない。
モルテウムは、別に愚人ではないし、破滅の美学に耽溺する被虐心の持ち主でもない。列国と締結して久しいヤドゥル盟約に基づく援軍を、迂の侵攻の臭いを嗅いだ途端に列国に求めた。
ヤドゥル盟約というのは、六朝各々がどのように争い干戈を交えようと、総覧神ディエトレンフの祝祭礼の日と、迂の侵犯の時には即刻停戦し、総覧神の方は祭礼が終わるまで、迂の方はあの連中が引き上げるまで、戦を再開しないという内容で、そこに補足として、六朝のどこかが迂に攻められた際は、他国はできる範囲で援軍を差し向ける義務がある旨記されていた。
「列国全てと行かないまでも、最低でも半分以上の三か国くらいは増援を出してくれるだろう」
瑛とて、他国の同様の危難の折には、寡兵だろうとも援軍を出してきたし、ヤドゥル盟約に関わらない六朝同士の戦争でも、頼られれば可能な範囲で俠気と友誼を示してきた。
が、蓋を開けてみれば、やってきたのは杷と宰の二国のみ。それも、軽装歩兵主体の、
「どう見ても二線級の軍勢が、二国併せてたったの八千か」
借金の取り立てにしくじったかのようにして、モルテウムは歯噛みした。欠席の国々はモルテウムの使者に弁明書を渡して子供の使いのように引き取らせた。
そのうち、伽については致し方ないとモルテウムも納得できる。迂から狙われる北の国が瑛ならば、西の矛先は伽に向けられて、容易に身動きが取れない。そしてそれ以上に、地理的な制約が伽の場合は厳しく、増援の行軍には他国通行による大迂回が必須であった。一応弁明の書簡を読むとそのようなことが記されている。もっとも、礼節を保った文面ではあるが言外には、
「我が国が援軍を出すなど現実的に無理なことは承知であろう。あてにはしておらんと思うが、あてにするなかれ」
という含みが見え隠れしないでもない。
腹立たしいのは北東の謄と西の渡来文明国怜である。
「……貴国の国難を知り、全軍をしてご助力いたしきところ、折悪しく王族の一人にして我が姉の長男ノレムが急な病にかかり、国を挙げて病魔退散の調伏をいたしておれば、誠に心苦しきことながら今般の増援は相見合わせたく、だと。あやつら、病気理由の増援拒否は、これで何度目だ」
かつてユグ会盟の際、謄は侠気厚いセデロニ王であったが、その裔は、
「先祖の麗しき美名に似気もない吝嗇な恥知らずどもめが」
損得勘定に敏感過ぎて、自分たちの得にならないことはしないというのが今の謄の国是となっていた。
それでもまだ謄はいいわけの文を寄こした。怜は最悪である。
「万一ご勇戦虚しく、万骨枯る戦場の露と相成った暁には、不詳我ら怜が大兄の仇討ち仕る所存だと!」
鼻っ柱が高く、驕慢で、自国以外を見下す癖のある渡来文明国家怜は、六朝第一の国力を誇りながらも、このような狭量さ、心根の冷たさがあるばかりに、一向に盟主として推戴されることもない。それでも怜は自分たちの立場が悪くなるなどとは夢にも思わず、この悪癖を改めることがなかった。無論、使者差遣前からモルテウムも怜の底意地の悪さは知っていたが、危難を前についつい淡い期待を抱いてしまった。結果は案の定の冷淡さ。元々わかりきっていたことで、腹を立てても仕方がないと自分に言い聞かせつつも、それでも腹が立つ。
援軍を送ってくれた把や宰にしても、心からの同情で増援を差し向けたのではない。
「わかるか? 我が国の軒を傾けるほど、瑛に入れあげるわけにはいかんが、さりとて、何もせず見捨てるのもよろしくない。見捨てればどうなる? 或いは瑛王は血迷って、戦いもせず迂に降伏し、次はこちらに攻めてくるかもしれん。ゆえにだ、お主らを増援として送るが、援軍であると同時に、瑛が寝返らぬように監視する役割もあると思って言動せよ」
こんな風にそれぞれの王に言い含められ、増援軍はやってきたわけだった。
「やれやれだ」
ユグ会盟以来、列国は、
「我らいずれも神々の裔にして、共々この地平を治める王と王」
などと語りはするが、口ほどの友誼が国と国の間にあろうはずもなく、ほとんど全ては綺麗ごとに過ぎない。それも、時代が下れば下るほど神代から遠ざかる故なのか、あさましい目先の利害勘定にばかり囚われて、
「信義もへったくれもないわ」
モルテウムが玉座の上で、不機嫌に吐き捨てた悪罵が、その実相というものだった。
といって、モルテウムはさすがに、援軍だけでこの国難を排除できるとは思っていない。何と言っても頼りになるのは自国の軍である。が、瑛は小国。自慢の騎兵軍は一万ほどもあるが、そこに重装軽装の歩兵軍を合してもようやく三万を超える程度。どうにかやってきた列国の援軍を同盟軍と称し、歓待して何とか機嫌を取り結んでいるが、それが二国で八千。
「迂の方は、カイラールの万年留守番部隊だけで二万はあるという話だ。そこにあの続々と関内というところからやってくる遠征軍。我々の、倍は固いな」
悪いことに、頭痛の種は他にもある。
長年瑛で騎兵軍を率いてきた老将軍のグエアスが、半年前に引退宣言をして隠棲してしまっている。国難ということで王宮に呼び出して現役復帰を依頼したが、
「いやいや、ご勘弁を」
断られる始末だった。
「グエアスよ、わしとは長いつきあいではないか。冷たいことを言うな」
泣き落としにかかったモルテウムであったが、禿頭丸顔の血色のいいこの老人は、悪気もなく後腐れもなさそうな笑みを浮かべ、
「そうはいっても、こちらは七十の爺ですぞ。昔から陛下は無茶ばかりおっしゃられたが、今度ばかりはこのくたばり損ないをお目こぼしくださらねばなあ」
長年の交遊の成果か、一国の王を相手に言いたいことを好きに語った。
「おまけに長年の騎兵指揮で、腰は腰痛、尻は坐骨神経痛、おまけに痔まで暴れておりましての。爺になるのは嫌なものじゃ」
モルテウムは舌打ちをした。
「何を言うか。お主、引退と同時に若い妾をはべらして、年甲斐もなく戯れていると専らの評判ではないか。この好色爺めが」
「いやあ、陛下。やがて遠からずあの世へ旅立つ爺ゆえに、今のうちから極楽を味わって、お迎えが来た時に狼狽せぬようにせねば」
「お主、昔は死に場所は戦場と盛んに吹聴しておったぞ」
「若気の至りでしたなあ。人は成長するもので」
「若気だと。あの頃から十年ほどしか経っていないではないか」
とにかく、腑抜けてしまった老将軍は迎撃の軍勢を率いる気など毛頭ないらしい。狡いやつだ、モルテウムはグエアスが帰った後、散々愚痴をこぼした。
「あいつは逃げられる。わしは逃げられん。国王というのは何と不便なものなのだ」
ともあれ、致し方ない。
実はグエアス引退の折に、その際もモルテウムは散々ごねて愚痴をまき散らしたのだが、後任はどうするか詰め寄ると、老将軍ははっきりと断言した。
「イシュアーグ殿下がおられるではないですか」
「あれかね」
国王モルテウムは、統治者であると共に一人の父親でもあって、戦に弱い愚痴屋という欠点を抱えつつも、まず国王としても父親としても穏当な人物ではある。民に愛情と責任感を持ち、息子に対しても平凡な範囲での愛着を感じているのは間違いがないのだが、
「しかしあれは、何だ、どうも腰が据わっておらんというか、つかみどころのない男だからなあ」
モルテウムとしては、勇猛果敢にして将兵によく畏怖される鋼のような武人というものを理想の将帥像として描いてしまう。そこからすると、倅はその姿にはおよそ当てはまらない。
「あれで大丈夫か?」
気弱になって重ねて問うたが、グエアスの答えは同じだった。
「イシュアーグ殿下しかおりません」
玉座の上で、モルテウムは深々と溜息を吐いた。
「つくづく我が王国は、家族経営の小さな所帯だのう」
何となく煮え切らず、官制上は総司令の職を空けておいて、当面の間は見習い修行中ということでイシュアーグに、
「総司令代理」
といったような曖昧な官職に任命し、王太子という地位共々ぶら下げておいたのだが、一時しのぎのそのような暫定措置を改めることなく、大事が起こらぬままに歳月が何年も何十年も過ぎればいいなと、こののんき者の国王陛下は心底願っていた。
(それを、わしの慎ましいその願いを、迂の奴ばらめが)
迂がモルテウムの願いを聞き届けるはずもない。仕方ない。仕方ない。モルテウムは渋々イシュアーグを呼んだ。
「イシュアーグよ、お主が迂軍迎撃の指揮を執るのだ」
一向に武人らしくない飄々とした風韻の倅は、驚愕や恐怖の色など微塵も浮かべはしなかったが、やる気や気負い、使命感といった類の反応も、まるで見せはしなかった。愚痴屋の父親としては、嫌みのひとつも言いたくなってしまう。
「わしの耳にも入っておるぞ。市井の賭場で国難を懸けものにしたそうではないか」
イシュアーグは笑い出した。
「ご安心を。迂に賭けたいところでしたが、瑛の方に張りました」
「あのなあ」
「父上が御自ら指揮を執られるようでしたら、今すぐ賭場に駆けこんでその賭けを取り下げますがね」
「大馬鹿者め」
とはいえ、自分が指揮を執るということになれば、
(わしだってわしには賭けんわ)
モルテウムは内心で、情けないことを思い浮かべた。