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覇王の椅子  作者: 稲生新
5/9

若気

 ガイナ・ルシュアは歴然たる(ウルヴァール)の王族でありながら、後ろ盾のない妾腹のため、宮中でのろくな社交にも加われず、王族間の親戚づきあいも乏しい。カルゼルという叔父にして父王の弟とも、同じ王都で暮らしていながら、これまでの十七年の生涯の中で、まともに口をきいたことなど二度や三度、あったかどうかであった。

 北伐にあたって、兄王太子ナザル・クリューグの取り計らいで従軍を許されたガイナは、侵略の拠点カイラールにおいて叔父総司令に対し、今般のお礼言上のために面会を求めた。関内にいる間は、出征のために相互に忙しなく、またそれ以上に様々な方面への配慮や差し障りがそれを妨げたゆえの、出征途上でのようやくの実現だった。

 北方遠征の拠点カイラールに入城したガイナは、この城塞都市の城壁の分厚さに驚きながら、麾下(きか)三百の兵と共に指示された城内の兵舎へと向かった。遠征軍にしてみれば、仮の宿りに過ぎぬ場所ではあったが、城郭広場の一隅に肩身狭く野営天幕などではなく、簡素ながらも木造のしっかりとした棟で、十分に清潔であり兵らは喜んだ。それを見届けてから、ガイナは軍装も解かずに城郭の本営へと向かった。旅塵を払って身ぎれいにして出向こうかと一瞬思ったが、遊山(ゆさん)気分かと叔父総司令に叱責されるかと予期したためであった。

 接触の機会に乏しかったが、叔父の評判は耳に入れている。生真面目な物堅い武人であるという。

 案の定であった。

 城郭中枢の本営で、叔父は兄王太子ナザル・クリューグや、カイラール城主にして一円地方守護の総督を兼ねるワーゼルンをはじめとする指折りの将星らに対し、実に不機嫌な相貌を向けていた。

「あの寝室の、天蓋(てんがい)つきの寝床は一体何だ」

「はっ。普段我ら守護の者らは使わないのですが、本国から王族が逗留された折に使っていただく貴賓(きひん)室です。無論閣下にもご使用いただきたく」

「阿呆! どこの王族が、遊興逗留で最前線の城塞に泊まるというのか」

「はっ」

「ここに王族が来ようと、それは北伐のため、戦のためである。戦をしに来て、あんな目もくらむような緋の幕の垂れた部屋で、柔らかき床で、ぐっすりと安眠か? 夜の無聊(ぶりょう)を慰めるために、見事な寝室に似つかわしい美酒か? 女か? この愚か者どもめが」

「ははっ」

「ここは戦をしに行くための城である。兵らが戦から帰ってきて、疲労困憊(こんぱい)した心身を安んじるに、慎ましやかなりとも酒なり女なりがあって、戦で目の当たりにしてきた地獄絵図から心気を保養するというのは、それはわかるし、それを妨げるような野暮は言わん。が、戦もせぬうちから、王族ばかりが特別待遇などとは言語道断である。物事の順逆、理非(りひ)をよくよく考えよ!」

「ははっ」

 (よわい)四十三、初老とは言い難い心力体力とも充足の年頃の人であり、現にその鍛え上げられた体躯(たいく)はやや小柄ながらも見事な厚みを有していたが、迂の王族に特有の黒髪の中には白髪が目立った。万事強直にして理に合わざるを厳しく叱責する生硬さが、他方ではこの人物の心気を侵食するように損耗させ、その格闘の跡が年頃に似つかわしくもない頭髪の様子となっているのかもしれない。

 傍らにはガイナの兄、ナザル・クリューグがいた。痩身長躯(そうしんちょうく)のこの王太子は、ガイナより十年長の二十七歳の青年であったが、隣の叔父と比すると線の細さは否めない。今も実は内心で、寝心地のよさそうな貴賓の寝室を叔父の直言で返上せざるを得なくなり、肩をすくめていたところであった。

 その本営の広間に足を踏み入れたガイナは、叔父の視線が自分の方に向くまで片隅で佇立し続け、やがてその目くばせを得ると共に叔父の前に歩み出した。そして、固い挙措ながらも不始末のない身動きで、三百人長格の拝跪(はいき)の礼を叔父に対して取り、恭しくひざまずいた。全軍の総司令に対しては妥当な礼儀であったが、王族間としてならば奴隷と主のような儀礼などまるで要しない。だがガイナは何も言われもせぬまま、叔父に対して、王族として()れることなく慇懃(いんぎん)に身を沈めた。

 叔父カルゼルは面倒そうな勢いで喉を鳴らした。

「もうそのあたりで良い。ご苦労である。立って顔を上げよ」

 王族同士の典雅な挙措に戻れという。ガイナは一礼すると、言われたとおりに立ち上がった。既にいくらか小柄な叔父の背丈を超えていたが、それに遠慮しようと一瞬伸ばしかけの背を止めようとして、叔父に苦笑された。

「よせ。つまらんことはな。あるものはあるがままだ。これは戦の要諦(ようてい)でもある」

 ガイナは背筋を伸ばした。

「久しいな、ガイナ。いくつになった」

「十七に」

「背丈は伸びたようだが、まだまだ腕も細い。身も薄い」

「不甲斐ないことです」

「今しばらく、天から授けられた少年の時間の中で、心身を鍛え、よく学び、その上で戦に出てもよかっただろうが、無理に従軍を願い出たな」

 生硬な表情のまま、またガイナは一礼した。

「叔父上と兄上には、わがままをお聞き届けくださり、感謝の言葉もありません」

 その殊勝さにナザルは満足げな表情を浮かべたが、叔父の視線は鋭かった。

「何故このようなわがままを言いだした? お前の本音は奈辺(なへん)にあるのだ?」

 わずかに、ガイナは沈黙した。

 叔父カルゼルは厳格な人物である。鋭利な人物でもある。戦の難儀や危険を顧みず飛び込もうとしてきたガイナの動機を、尋常ならざると見て、それを見定めようとしているようだった。

(或いは叔父は、俺がこれを自分たちへの媚態(びたい)としてやっていると感じたのか)

 嘘をついてごまかそうとしたが、そんな小細工の通じる相手でないことはすぐにわかった。

 自分の心中に、本音を探した。

 惨めだからだ。

 侮られたくない。誰からも。渋々生かしてもらい、渋々餌を与えられ、肩身狭く生きていたくない。もうこれ以上。

 だから戦うのだ。戦って、侮りを払いのけるのだ。そうやって力を得るのだ。より大きな。もっと大きな。

 ガイナは呼吸を整えた。

「厄介をかける身ですから、自分の力で生きたいと思ったのです」

 自分の内心をすべて露骨に吐き出したわけではない。だが、まるっきりの嘘というわけでもない。そこには自分にとって当たり前の熱がこもり、その温度に、叔父は得心が行ったようだった。

「自分の力で生きたいか」

「周囲に迷惑をかけることなく」

 間髪入れずそう答えるガイナに、カルゼルは軽くうなずいた。

「所以はわかった。お前の気持ちも理解できぬではない。王族にとって、長子には長子の苦労があり、傍系には傍系なりの悩みもある。そういうものだ」

 ちらと横目で、傍らのナザルを見た。ナザルも軽くではあったが溜息を吐く。後ろ盾があればあったで、母親の実家、長じて後の妻の実家、そういった後ろ盾の有力者らに気をまわし、細かなところまで配慮を怠らぬようにして身を処していかねばならない。後ろ盾自身の政争やら、つまらない対立に巻き込まれ冷や汗をかくことも日常茶飯事だ。もちろん、それがなければ、諸事惨めであらゆる色彩が色あせる。

 カルゼルも、語りはしなかったが、胸中にはそのような労苦の軋みはいくらでもあった。分をわきまえ、事あるごとに兄王を立てて、自分は数歩も退いて諍いの種とならぬよう努める。日常の一瞬たりとも気は抜けない。なまじ、軍の方で手腕があり声望を伴うだけに、カルゼルの日々の神経の使い方は並々ならぬものがあった。

(ガイナも、軍の方で功績を立てて、この方面で王族として生きていくのが幸福であるか)

 一族の年配者としてそんなことを思わずにはいられない。自分のたどった経験を拾い起こせば、決して安楽でもなく気楽でもないことしか浮かんでこない。が、

(これには、これしかないのも現実ではあろう)

 魯鈍で、厄介として飼われても誇りが傷つかず、ささやかな庇護のもとにのうのうと生きていけるようであれば、いっそ幸福と言えたかもしれないが、ガイナの眼光を見ればそんな生に甘んじることができないのは一目瞭然であった。

「訓戒する」

 カルゼルは低くつぶやいた。

「いや、征北の総大将としての訓戒ではないな。王族であった者の苦言、というところだ」

 ガイナは背筋を伸ばした。

「気負うな」

「は?」

 やや虚を突かれたガイナは、抑揚に乏しい硬質の表情をいくらか意外さで乱した。

 カルゼルは淡々とその意を説明した。

「お前がただの戦士、三百程度の部隊の長ならば、麾下の先頭に立って力戦し、部隊のあらゆる苦難をまず第一に受け止めるというのは、美徳である」

「はい」

「が、悪いことにお前は王族だ」

 ガイナは更に虚を突かれ、多少の狼狽さえ浮かべてしまった。

「……王族、といっても、私は厄介をかける身です。それを何とかご恩返しで払拭したく」

 何度かカルゼルはうなずいた。

「お前のその態度は見事である。が、特に戦というものはただ単に事実をあるがまま尊ぶところからしか生まれはしない。概念、先入観、かくあるべきでありまたかくあらざるはけしからんという原理性、倫理観、そういったあらゆるものは、あるがままの事実と乖離すればするほど戦にとって仇となる」

「はい――」

「お前のあるがまま、というのは、王族だ。それも、お前の心の中にとってそれがどうあり、お前が自分の王族としての姿をどう評価するかというのは、何のかかわりもない。あるがままの事実、そう例えば、敵にとってのそれだ」

「敵に?」

 カルゼルは鼻で笑った。

「敵にとっての、迂の王族のあるがまま。それはだな、戦で勝って首を取れば、余計に恩賞がもらえる。英雄待遇をされる。ただそれに尽きる」

 横のナザルの方が苦笑し出した。「それは確かに間違いないところですな」

 そんなナザルをちらと横目で見て、またカルゼルは語った。

「お前にとってさほどに価値があろうとなかろうと、敵にとってはそういう価値がある。味方の兵士将領にとってもだ。王族が首を取られれば、敵は勢いづき、味方は落胆して力が抜ける。恥もかく。であればと思い、味方は王族を必死に守ろうとする。そして、命がけで王族を守れば、命がけで味方を守るよりも恩賞が多くなる。お前相手でもな。それもまた事実だ」

 沈黙したまま、ガイナは軽くうなずいた。

「お前が気負えば、気負う分だけ危うさも伴う。お前に危うさが滲めば、敵は恩賞首とさざめき立ち、味方はそのさざめきからお前を守るために余計な血を流すことになる。お前がただの戦士ならばそんなことはないが、現実は違う。お前がつまらない色気を出し、功績に逸って規律を乱せば、無駄な人死につながることも十分ある。それをわきまえ、己自身の手綱をよくよく取るように」

「はっ」

「まあ、不用意に気負わず、しっかりと頑張れ。そうせねばならんお前の気持ちは、わしなりにようわかった。決して自らと周囲を犬死させぬようにな」

 ガイナは叔父総司令に深々と頭を下げた。









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