足場
カイラールは、迂の北方経略の要地である。
関内を抜けて北に出るというのは、関内をぐるりと縁取る外辺山脈の合間を細々と伝う、長い山道を抜けるということである。それを、一万、二万、或いはより多数の軍勢を引き連れ、彼らの飲食や武具、乗馬の馬匹に至るまで携行運輸するとなると、気の遠くなるほどの長い隊列を連ねることになり、必然的に先頭と最後尾の時間差も多大になる。征く者の疲弊も無視はできず、山道を抜けるだけで疲労困憊し、敵を攻め征服するどころではなくなっても何の不思議もない。
まして、関内の外に出ることに消極的な迂人の気質がそこに横たわる。
迂が外辺山脈の内側に逼塞する隔絶の「蛮地」に甘んじるのではなく、「文明」を求めて外界に進出するというのであれば、どうしても境界を越えた先に拠点が必要であった。行軍してきた大軍を収容し、物資を集積し、一息つかせ、部隊の再編成を可能とし、覇気を入れなおして敵に挑みかかる、そのための拠点が。カイラールはそのためにあった。
ただし、この要地は当初から重厚で巨大、威圧的に築城されたわけではなかった。そんなことをしようとすれば、たちどころに六朝、迂を除く列国が警戒しそれを妨げてくる。迂は、そこは慎重だった。六朝に対する文明の引け目がそう手伝ったということもあったろうが、当初は街道沿いの既存の小さな宿場町さえ避けるようにして、ひっそりと砦のようなものを築いた。
「迂に向かう隊商を庇護し、安全を確保するためである。また、不埒者が山道に入り込んでくるのを監視する物見櫓でもある」
六朝は、迂のその言に笑った。妙に小さなことにこだわり、妙に勢い込んでいる。
「まるで矮人の背伸びだな」
迂は常に貪婪に六朝からの通商を待ちわび、文物の高値の取引を約したが、隊商の方がなかなか迂には行きたがらなかった。六朝の国策も、なるべく迂への文化文物の流入を阻害してやってもったいぶるところに力点が置かれていたから、国としてもさっぱりそれを活性化しようとしない。外辺山脈の山道は難儀であったし、それにその中間地点である通商路も中途でにぎにぎしく商売を太らせながら進むというような景気のいい都市がろくになく、長駆は迂の奥まで行かねば旨味がなかった。
「ろくに寄り付いても来ない隊商を守るだって。そのためにあんな草っ原に砦一つか。ご苦労なことだな。蛮人は無駄に金と暇があるのか」
カイラール一帯は、めぼしいものが何もないところだった。草原、森、荒れた丘陵、人影は耕作者のそれでなく、ほとんど全てが獲物を狙う狩猟民や羊を引き連れる放牧者。人の頭数が少ないから、街道はあっても街が栄えない。その点、世界の果てのように揶揄されながらも、迂の関内などは奥地に入ってさえしまえばよほど豊穣であることが一目瞭然だった。そこからすれば、カイラールは閑散にも程があった。
が、それは、六朝も容易に触手を伸ばしてこないということでもあった。
迂は隊商保護の大義名分を掲げつつ、六朝の物見に失笑される慎ましやかさで、石壁の城壁などに程遠い木柵の安普請の砦を作った。ただし、砦周辺の道の舗装は実に念入りに行い、井戸も深く、何筋も密かに掘って、他日に備えた。
次に、本国から遠くて困ると愚痴をこぼしながら、離れた土地での孤独の生活のためとの食糧庫をこしらえた。これが何ともちぐはぐの、巨大で頑丈なものを作った。それが目立って仕方がなく、かえって不埒者に狙われるとぼやきながら、木柵の木杭をせっせと引き抜いては、食糧庫を守るためという体の堅牢な城壁を着実にこしらえていった。そしてそれは単に食糧庫だけでなく、他日の実現を期した城塞設計に基づくものであった。
その作業を進めながら、巨大な食糧庫を守るためと称し、砦に少しずつ常駐させる兵員の数を増やした。兵隊は家族連れでやってきた。或いは家族だということにした者らを連れてきた。彼らは砦の周りに手際よく、場所の差配が意外に整然となされた街割りに沿って家を建てつつ、実りの乏しい周辺の土地を見る見る開拓していった。そうやって単に城塞ばかりでなく、後背地も計画的に整えられていった。
迂王子ガイナ・ルシュアは百年の遅滞といきり立ち、激昂して憂さを晴らしていたが、確かに目立った、痛快な軍事的勝利や外征による領土の獲得という華々しさからすれば、関内平定以降の迂は随分と足踏みを続けた。しかしながら水面下では、じっくりと、着実に、将来の躍進に備えた準備を整えていた。その象徴が着実に建造され増築を繰り返したカイラールであった。
何やかやと理屈をこねながら、長い歳月をかけて、カイラールは築城された。出来上がってみれば、数万の兵馬をゆうに収納できる規模、遠征のための糧秣や各物資を長期間にわたって収蔵できる倉庫群、重厚で周到な防御施設、更には後背地の相応の生産性が備わり、それだけの人間が常駐する以上は周囲の者らも喧騒を聞きつけて飲食や小商売、歓楽妓楼の類までもが立ち並ぶ巨大な都市にまで膨れ上がってしまっていた。無論その完成を待つまでもなく、六朝は迂の野心に気づかされた。が、その頃は、城塞の防御力の完成までの時間を稼ぐ目的で、既に相当の軍勢がここに常駐しており、六朝といえど容易に手をさせぬまでになって手遅れであった。列国が単独では対処しえず、本格的な攻略ともなれば兵站を準備し周到な作戦によって六朝の足並みを揃え、連合しなければならなかったが、見解や利害の調整だけでまるで容易ならず、もたもたと時間を浪費するうちにカイラールは太り続けていった。そういった機微も、迂は見越していた。
ただし、六朝もカイラールの完成によって、巨大な危惧を迂に対して抱くようになった。あの蛮人はカイラールを拠点に、いずれ必ず攻め込んでくる。迂の脅威論は六朝の中で公論となり、六朝間の盛んな交流と、迂に対抗するための国内改革が相次いだ。瑠国の列国時代はユグ会盟によって本格化し、この迂によるカイラール建造によって過酷な争覇時代に突入したと一般的に区分される。迂にすれば文明に手を伸ばす悲願の膨張であったし、六朝は強力な迂に対抗するために、連衡するか、或いはよその土地よその財を奪って自らを強大化させ迂と対抗するか、いずれかの選択を迫られるようになったのである。
過酷な争覇時代は、血と肉体によって国境線を押し引きする時代でもあったが、その陰惨さと被害によって失われるものの大きさから、その暗澹とする損失を招かぬための知恵と策謀と虚実の駆け引きの時代ともなった。迂の先王レン・ハルンの御代の迂の大きな遅滞は、知恵と策謀と虚実の駆け引きの多くが六朝から迂に注がれた結果であったともいえる。
外辺山脈の北の冠たる聖山ブルカンヴァスは、その白き蒼き鋭鋒を天へと貫きながら、人のその営みを寡黙に見つめ続けた。
人もまた、その霊峰を見つめ返す。
迂王子ガイナ・ルシュアも、征北の途上にあってその軍勢の直中から、若い肉体を身に着けた鎧によって軋ませられながら、馬の鞍の上で背筋を伸ばし、周囲の兵士らと同様にブルカンヴァスをじっと眺めた。
ガイナは、妾腹の三男として、国王エル・スェラルの紛れもない実子でありながら、さしたる扱いも受けずに冷遇されていた。
言うなれば、無駄飯喰らいである。
母親の実家に身分と財産、つまり母方の実家が貴族として社会的基盤をしっかり持ち、富貴に満ちて、政治的にも十分な影響力を持って他人から侮られないようであると、母方の財産を相続する機会にも恵まれるし、社交では事欠かず、王国での官職も文官武官のいずれでも十分な機会に恵まれる。が、不幸にしてガイナの母親は王宮の侍女あがり、それも位階と無縁の実家から出た奉公人ほどの扱いの人であったらしい。それが王の手がつき、ガイナを宿し無事産み落としたのだが、それによって王の側室待遇を受けるようになって周囲の嫉視、冷淡な扱いに心気を衰えさせ、ガイナが物心ついたころには身まかってしまっていた。
以来ガイナは、王子として王宮に住まいはしたが、当人に役職から上がる俸禄があるわけではなく、後ろ盾の母方の実家から援助などもなく、極論すれば王宮の片隅で余り飯を食うようなありさまだった。父王エル・スェラルも、気まぐれで手をつけた侍女の産んだ子に格別な愛情を抱きようもなく、広々とした王宮の中で顔を合わせることは年に数度もなかった。見かねて長兄たる王太子ナザル・クリューグが多少の世話を側近に命じたほどだったが、これは彼の人の良さのせいもないではなかったものの、人情味があるところを宮中なり政治の向きに誇示しておく下心のせいでもあった。
ナザル・クリューグは王太子として、次の国王たる約束を得ている身ではあったものの、父王エル・スェラルの気まぐれでその地位が剝奪される可能性を零にはできておらず、父王の気まぐれ以上に次男クロル・パゼを推す側近が暗躍して結束し、父王を篭絡して後継者をすげかえる未来の実現性の方に危惧を抱いてもいた。であるから、三男のガイナへの寛容を見せつけることは自分の人物評の向上のためであるし、
(将来的な局面が複雑怪奇に進行すれば、ガイナを味方につけておいた方が得策、という場合も、ありえるかもしれん)
そんな万一の備えとしての計算もある。
寛容さと利害思惑が錯綜とする中、今般の北伐において、ナザル・クリューグは弟ガイナの意を容れて、従軍を許すと共に、然るべき待遇についてある程度は取り計らった。数千を率いる将僚にしてしまうことも考えはしたが、周囲との不均衡を如何ともし難く、またガイナにそれだけの能力があるか何とも言えない。下手をすれば数千の戦力を戦前に無力化してしまって、戦後そのことを糾弾され、自分の失点として数え上げられるかもしれぬ。そもそも後ろ盾のないガイナに、後押しからの援助で数百の私兵が付随するような現象はなく、それどころか自前の馬も鎧も用意できぬほどである。とはいえ、まさか一兵卒というわけにも行かない。
ガイナ個人への武具の類は、自分の甲斐性で贈り届けてやるのは造作もなかったが、待遇については軍とも密かに協議、調整を強いられた。
北伐総司令にして、ナザルやガイナの叔父カルゼルは、王太子ナザルのそのような水面下でのやり取りを知ってはいたが、いちいち口を挟むことはなかった。先帝の王子ながら兄を立て、早くから軍将に徹して後継者競争から遠ざかり、さっさと王族から臣下に降りてしまったこの篤実な武人は、大綱を握る総司令の役割に徹すると共に、ナザルの王太子としての、やがて国王となる身のいい修練として、そのような地味な調整を黙って見守っているようだった。
そのようなやり取りを経て、ガイナは三百の長となった。
「誠実に努めよ」
ナザル・クリューグは、ガイナに任命を伝えると共に、そう訓戒した。真面目にやってもらわねば、自分があちこちの利害調整で大汗をかいた意味がない、とまでは口にしなかったが、多少の恩着せがましさは訓戒の中に混ざり込んでしまっていた。