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覇王の椅子  作者: 稲生新
3/9

父子

 列国とは、この頃の瑠国に割拠した王国群のことである。

 ユグ会盟で神々の裔なるを広言した七つの王国をそう呼ぶわけだが、底意地の悪い文明国、渡来文化によく馴染んだ国の者などは、列国をふたつに区分した。一方は迂、これは野蛮国の悪意の意趣が込められている。そして他方は六朝と呼んだ。

 この陣営の色分けは差別的な意識によるものでもあったが、裏を返せば、迂が単独で独歩できるほどに、その国力が強靭で警戒されているという実相がにじみ出た、ということでもあった。

 しかしながら、六朝などと言っても、そこに含まれる王国が横並びに強固な紐帯を結んだわけではない。むしろ錯綜とする争覇と間欠的に結ばれる和親融和の複雑な関係性の中で、それでも迂に独創を許すわけにはいかぬという危機感が、必要時における必要の最小限度で、列国に連帯を及ぼすものであった。

 (エイラーン)は、その六朝、列国の中で最も弱々しい小国と規定されていた。

 その国土は狭く、民の頭数もそれに比例して少ない。十年ほど前の杷との戦で唯一の海港都市リュシテルを奪い取られ、元々劣勢だった海上通商の道を完全に絶たれてしまっていたから、どうにもぱっとしない。もっとも、元来瑛の民は陸路商網を得手として、海上の方はよその民に任せがちであったから、リュシテル失陥は舌打ちとやけ酒と、国王モルテウムへの愛情ある悪罵失笑で終わらせてしまっていた。

「何と言っても我が王は出るとは負けの出敗王(トゥネレッテ)として、列国にその名を鳴り響かせたお方だから」

「気のいいお方ではあるんだが、他のことはさて置き、戦ばかりはまるでいいところなしのからっきしだからなあ」

 瑛王モルテウム、手堅い国政手腕に、十分な民への親和愛着を持って臨む善良な壮年の人物で、豺狼のような君主像からはおよそ隔たった、人のいい国の親父である。水害、旱魃、実りを妨げる寒波ともなれば涙をにじませて民を扶助し、租税など二の次三の次にして自分も腹をすかせているような姿に、瑛の民はよく懐いていたのだが、いかんせん、

「戦ばかりはどうにもならん」

 のであった。

 殊更臆病だとか、血を見るとおじけづくというのでなく、

「どうにも敵には裏をかかれてばかりいる」

「いえそれは、陛下の予測がおかしいのです」

 こんな困惑をひたすらに繰り返してしまうせいだった。

 戦に関して、民からの信頼も心服も皆無と言っていい状況ながら、民以上に深刻にその手腕を疑義し危惧していたのが、

「わしはつくづく戦は駄目なのだ」

 当のモルテウム王本人だった。

 ただでさえ小国の瑛に、国王がこの体たらく。それでよくもまあここまで虎狼の群れのような列国の過酷さに生き残れて来れたと呆れ果てるところだが、

「これまでは運が良かった。そうだった。そうに違いない。しかし今度という今度はわしの幸運も尽きた。どうにもならん。よりによって、とうとう、あの連中が本腰を入れて北に出てきた。我が瑛が、迂のやつばらめにはっきりと狙われておる」

 かつて魯鈍な大熊と呼ばれた強国迂が征北を決した報せを受け、モルテウムは中年男が取り繕いする余裕もないほどに惑乱していた。

 朝の挨拶も就寝のひとことも、

「どうしよう。もうおしまいだ」

 である。

 そんな人間くさく威厳や威圧のないところが親しみを受け、人心を収攬している善王なのであったが、

「わしは嫌われてもいいから生き延びたいわ」

 という切なる訴えは、露骨といえば確かに露骨に

過ぎるのだった。




 親の心子知らず。

 王が国の親ならば民はその子ということになる。

 瑛が迂の鋭い牙の向かう先になった、というのは、つまりは亡国の危機、深刻な国難ということであったが、

どうにもこの子たる民は楽天的というか飄々としているのか、

「王様も、要領よく逃げ延びやがればいいんだがなあ」

 酒場で麦酒片手に歓声を上げつつも、大笑いしながらそんなふうに語られ、酒の肴にされる始末だった。

 酒席ならば悪気のないくさしに哄笑で済んでいたが、悪いことにこれが賭場ともなると、

「さあて、今度の戦、よりにもよって、うちの王様のお相手は、あのおっかない迂の大軍ときた。どうだどうだ、勝つのはどっちだ。さあ、どっちに張る?」

 威勢のいい口上と共に、国の趨勢を分ける大戦が、賭事の溯上に乗せられる始末だった。

「冗談じゃねえ。おらぁこれでも四代前からの瑛の民草よ。今度の戦、いよいよ瑛が危ういと聞くが、ここで引いたら男がすたる」

「来たね。それならどうだ。ほれっ、瑛と迂、率は五対一だ」

「馬鹿いうんじゃねえ。瑛の王様は、あの出敗王だぞ。そんな率でなんか張れるもんか」

「ひでえ言い草だ。それならおめえ、いくつなら張るっていうんだね」

「あの王様だ、十回迂と戦って二回も勝てるはずがねえ。となれば五対一なんざ論外よ」

「すると、どうだ」

「まず九対一。が、おらぁ愛国者だからよ、八対一ならご祝儀で張ってやる」

 そんな丁々発止のやり取りに、別の男がのそっと口を挟む。

「それでもおれっちは、張るなら迂だな」

「あっ、ひでえ男だね」

「王様は気のいいおっさんだがよ、それでもおれは、自分の銭のほうが可愛いからなあ」

 その声にどっと笑い声が続き、迂の方へと金が次々に賭け投げられる。「さあ五から六、六から七と、瑛に分が悪く、迂の大人気。七対一となったところで、さあにいさん、そろそろ勝負はいかんとする?」

「七かよ。もう一声、もう一声なんだがなあ」

 猥雑な叫び声に怒号、響き渡る哄笑の中で、酒と炙った肉と、鋭い香料に熱気の満ちた薄暗い賭場の内に、さして目立たぬ淡色ながら、柔らかに身を翻す薄絹をまとった、しなやかな体つきの青年が微笑を浮かべて歩み入って来た。やや小柄、農夫にしては体つきが細すぎる。商人にしては柔和な相貌がそれに似つかわしくなく、油断のならなさなどけぶりも感じさせなかった。

「私も一口賭けたいものだ」

 端正な表情に似つかわしい、落ち着いた、穏やかに響く美声である。稀有の美男と形容するほどではないにせよ、育ちの良さそうな品性が表情ににじみ出ていた。

「どこのぼんぼん、御曹司だね?」

 はやし声がたちどころに何本も立つ。青年は微苦笑し、

「確かに道楽者には違いない」

 軽く肩をすくめると、胴元のふてぶてしそうな親父に懐から金子袋を取り出して手渡した。ずしり、とした重みを掌で受け、中をざっと確認してから胴元はニヤリと笑った。

「お若いの、金の袋の口金に、ちゃんと名前の札をぶら下げてあるかね。もちろん指輪の刻印を添えてだ。そいつが賭けの証。一度男が決断すれば、後には引けぬ決意の証よ。見ればこの賭金、しがねえ身ならば間違いなく一財産というところだが、後で泣き言を言っても負けたら全ておじゃんだぜ」

「無論だ。賭博は初めてだが、そういうことに抜かりはない」

「殊勝なこった。さあて、それでは聴こう。おめえさんが賭けるのはどっちだ」

 青年は涼やかに微笑み、別に気負うことなく静かに語った。

「迂に賭ける悪い趣味はない。瑛に張る」

 たちまち、どっと歓声が沸いた。

「おい親父、その若いのが瑛に張ると、率の方は当然動くだろう。それだけの金だ。尋常じゃねえ」

 胴元は傍らの計算達者の書記崩れの襟首をつかむようにして、さっさと計算しろと怒鳴った。

「ご、五対一です」

「さあとんでもないことになってきやがった。熱烈なる瑛の愛国者が大金ぶっ込んで、率は大幅に動きやがったぞ」

「これは上がり目の福の神ウトゥルスの加護だ。俺は迂になお賭ける」

「俺もだ。こんな旨い賭けは滅多にないぜ。迂だ迂」

「おい、こっちも迂に張る。面白くなってきやがったぞ」

 喧騒の渦が幾倍ともなり、景気づけに大盃が忙しなく行き来し、意気を見せつけようと一気にそれを干しては叫ぶことで、ますます騒がしさが高まる。その中を、青年は涼やかに退いて店の外に出た。

 辻を曲がる。

 そこに一人の男が待ち受けていた。青年よりも頭ひとつ背が高い。その隙なくしっかりと伸びた背筋と、周囲に気取られず配られる抜かりない視線とが、男の腕前の程を物語っていた。

「待たせたな、ロムル」

 男は、苦虫を噛み潰した表情で軽く会釈した。

「イシュアーグ様、ご酔狂にも程がある。御身のことをよくお考えください。こんな市井の、よりにもよって猥雑な賭場などに」

 青年は静かに笑った。

「にしては、よく静かにして待ってくれていた」

 ロムルと呼ばれた男は、青年と同年輩の外貌をますます苦々しく歪め、

「私が騒げば、もっと人目につきます。黙って待つが大過なき最善手と判断しました」

 渋々そう語った。

「それにあなた様は、ご身分柄にも関わらず、人の懐に飛び込むのが上手い。反感を持たれ害されることはあるまいと思いましたが、しかしまたお調子に乗られましたな」

 苦言で切り返すも、青年は悪びれもしなかった。

「ひとの懐に飛び込む芸は、そこは我が親父殿に似たのかもな。全くもって親子共々、王族などというご立派な身の上に似つかわしいことでなく、臣下諸君には迷惑のかけどおし。誠に相すまぬことと、遺憾に思っておる」

「あのですなあ」

 この青年、名をイシュアーグという。正式の名のりは、イシュアーグ・ディル・ドゥ・エーラーン。即ち瑛国王モルテウム・スィザ・ドゥ・エーラーンの嫡長子、王太子イシュアーグその人であった。

(まったく)

 近侍の警護武官ロムルは、憎めない同年輩のこの王太子に、やり場のない脱力を抱えて嘆息しきりであった。

「どこの世界に、国難の一戦を前にして、その賭けものに加わる王族がいるのです」

 若年の頃からのつき合いで、遠慮も忖度もない文句を王太子にぶつけると、笑顔ばかりは朗らかにイシュアーグは微笑していた。

「安心しろ。さすがに迂には賭けなかった」

「当たり前です!」

 怒鳴ってから、慌てて路傍の左右を見る。何人かの者は、仲のいい青年二人が口論しつつじゃれ合いつつ歩いているようにしか見えぬようで、それ以上の気配はなにもなかった。

 やれやれ。

 気息を整え居住まいを正し、肩を並べて歩みつつもロムルはイシュアーグに尋ねた。

「それで、勝てるわけですな?」

 イシュアーグは苦笑を混ぜた。

「親父殿が直接戦をすれば、それは駄目さ。何せ名だたる出敗王だもの」

「イシュアーグ様!」

「が、まあ私が軍を率いれば、そうさな」

 しばらく黙って歩んだあと、イシュアーグは静かに語った。

「賭けに勝って、元手は何倍かになるだろうさ」

 ロムルは安堵の表情を浮かべた。

「勝算はあるのですな」

「勝ち目がなければ迂に賭けていたよ」

「その前に講和なり外交政策なりでしょうが」

 当たり前の苦言を前にイシュアーグはまた静かに笑った。

「まあ、安心せよ。勝ったらお前にも奢ってやる。分け前は渡さんがな」




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