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覇王の椅子  作者: 稲生新
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黒髪

 瑠国人は、人種として淡色の髪の色の者が多い。対して、見事なまでに漆黒の髪となると極稀である。そして、何故そうであるのかはわからぬにせよ確かな事実として、その例外の黒髪の血統を抱えるのが迂の王族であった。

 よほどその特性は色濃いと見え、殊更に近親血統を維持したことなどないにも関わらず、その宗家直系を中心に見事なまでの黒髪の者が相次いだ。それゆえに、黒髪の者を見かけたら迂の王族と当て推量されることは普通であったし、彼らのご落胤騒ぎの醜聞などの決め手は、大抵の場合その髪の色にかかっていて、認知を渋る父親も子の髪で往生するのを諦めた話もいくつも伝わっている。

 かつて伽の王は迂の黒髪を嫌悪し嘲笑ったが、その皮肉が面罵ではなかったにせよ、人づてに伝わり、また列国の迂への悪評や嘲弄と相まって、この国の人々の心をひどく傷つけた。

「列国人は、われらを蛮人と見る。そうやって、われらが王家の髪を笑う」

 王とは単に地上の世俗的な支配者であるにとどまらず、この頃の人々にとっては、己が氏族の氏神に連なる家系であり、神の宿し身でさえあった。それが例え愚劣であろうと、浅ましかろうと、色に貪婪であろうと、人々はそれら神の宿し身に万全や模範を峻厳に追求するなどはなかった。また王の側でも大権を誤認して人として舞い上がり思い上がるほどの暴走をなさず、後の聖俗があからさまに隔たった時代からすれば素焼きのように質朴であったことも大きかった。

 ともあれ、列国の世評に迂の者は嘆きまた憤った。しかし、そこがこの迂という一王国のこの頃の人々の哀れなほどの慎ましさであったが、

「それはやむを得ない」

 という、うなだれた悲しみもまたそこには同居していた。

 やむを得ない。仕方がない。われらは文明に浴さぬのだから。

 渡来の文物を文明と呼び崇め奉る性質は、絶えずこの人々を圧し傷つけてきた。それが常に、彼らの黒髪の王族でさえ、列国に対し遠慮させ、引け目を覚えさせ、負け犬のように伏し目がちに己の弱さを噛み締めさせる所以となっていた。

 迂は、東の外れである。

 それもただ単に列国の東端に国が位置しているだけではない。彼らの国境、彼らの世界の区切りには、聖山ブルカンヴァスをはじめとする高峻、重厚にして天を衝く山並みが、ぐるりと、円環のように巡らされていた。

 いくつかの谷道が、北に、西に、東に南に胎動のように抜け、その細道によって彼らにとっての外の世界との通交は保たれていた。そこから外の世界をうかがい知ることはできた。しかし、あくまでそれはか細い糸筋に過ぎず、山塊の分厚さは圧倒的であるのだった。

 瑠国というこの国のすべてが四海で取り囲まれている、その中で、迂国というのは山脈山地によって、更に遮蔽されていた。いわば彼らは世界に対して二重に封じられていたようなものだった。

 ユグの会盟の頃、実のところ迂は、この山々に遮蔽されていた封じられた空間のすべてを掌握し支配していたわけではなかった。列国は山々の奥の景色にそれほど興味もなく、漠然と、その中の領域は全て迂のものだと考えていた。ろくに地理などはわからず、蛮地と嘲笑い興味も抱きはしなかった。むしろ迂のほうが、そのことを会盟以降過剰に意識し、彼らにとっての遮蔽されたその少世界を、いいかげんな誤解などでなく確実に支配し、支配しきらねばならぬと腹をくくった。

 かくて、彼らにとっての「約束の地」の、慌ただしい平定が始まった。無論その慌ただしさは、迂にとっての、無理を重ねる背伸びではあった。国としての民としての力のほとんどを、彼らは軍事に注いだ。鋼を懸命に鍛え、剣の出来栄えを競い、重々しい鎧に屈することのない肉体を練磨し、寝る間を惜しんで武芸に勤しみ、また寸土を余す無く耕作した。地から上がる実りの多くは国が税として奪った。しかし国はそれを兵馬の質量を増すために注ぎ込み、軍に何らかの形で携わる民は、結局収奪された税を巡り巡って様々なかたちで受け取ることになった。だから王宮などいつまで経ってもみすぼらしいままであったが、王軍だけは膨れ上がり、始終せわしなく戦と併呑に明け暮れていた。

 例外的に王の離宮だけは、こじんまりとしながらも豪奢にこしらえられ、何度も何度も手直しを繰り返したが、これは王家の奢侈などではなく、列国の使節や隊商をもてなす迎賓館としてのものだった。迂人は、そこには可憐に見栄をはった。

 会盟後、およそ一世代で、迂は彼らの少世界を平定した。その境界こそ重厚な山々が君臨してはいたが、そこに至るまでは存外に広々とした、まさしく世界の果てに遮蔽の壁が君臨するまでの広闊な沃野で、腰を据えてじっくりと経略し、特に幾筋かの河川を気長に御して水利を充溢させれば、確かにそこは彼らにとっての約束の地になること疑いがなかった。

 迂人はその地を関内(ルエル)と呼び示した。




「それから百年! 百年だぞ。どのように天寿に恵まれようと、その頃のことを記憶に留める生きた人間などおりはしない。百年! 一体何をやっていたのだ!」

 若々しい叫びが、純粋な苛立ちを乗せて轟いた。学塾の者らは気にも留めない。いつものことだ。

 あの黒髪の君は気むずかしい。いつもはむっつりと黙っていて、時折何が気に触ったか、癇癪を起こす。粗暴というのではないが、怒鳴り始めるとどうにも始末に悪い。

 学塾に黒髪の者は、少数ではあるが稀有というほどではない。無論それは迂の王族と同義なのだが、王族といっても、宗家直系の、文字通り国王の親族として別の雛壇に据えられ、相続の危機に代替として温存されている者たちばかりではない。傍系として分岐する際に臣下となり、けじめをつけて他の貴族らと同様に王家に侍らう者も珍しくはない。そういう家の子は、初手から臣下筋の名家の若者らと肩を並べてこのような私塾で学ぶ。が、彼らのささやく黒髪の君は、とりわけ漆黒の髪の黒々しい光沢豊かな若者で、しかも臣下筋などでなく、当代の国王エル・スェラルの第三子であった。

 名をガイナ・ルシュアという。

 本来ならば、豪奢に遠いとはいえ広く格式張っている王宮の一隅に、処世の押し出しで品よく顎髭、鼻髭などを整えた渡世学者でも専属の教師として呼びつけて、勉学に励むような身分である。

 冷遇であった。が、やむを得なくもある。妾腹で、正室腹の兄が二人いる。成人を待ち、折を見て臣下に下るのは既定路線であったし、それも悪いことに生母は身分ない侍女上がりで後ろ盾なく、しかも数年前に身罷っていた。

 迂は概して王族に薄礼である。それは立国以来の風であり、国の上も下も、とにかく国に力も財も寄せて国力を躍進させ列国の侮りを防ぐという国是、というよりもはるかに情念的な切迫感あればこそであったのだが、その結果として、ガイナの待遇も、食うや食わずの庶民からすれば果報に違いないにしても、存外に慎ましく、日常から贅の欠片を見つけることも難しかったし、処遇としても何の珍重もされてはいなかった。

 そのことが少年に過ぎないガイナの内面にいかなる影響を及ぼしたのか、史書は雄弁に語り残さない。ガイナという人間は個人的な述懐などぺらぺらと喋るような男ではなく、またあらゆる脆弱さを憎む人物であった。

 計算高く、冷徹で、また冷酷である。その一色に、見事な黒髪同様染め上げられたとされる彼の心の内は、だから血も涙も情もない、ということではなかろう。それは少年期の、迂の鈍重さに対する憤懣の爆発でも伺い知れる。

「百年、この関内(ルエル)に閉じこもり、安住してしまった。何という鈍重、消極か」

 それが、我が身の不遇に重なるのだろう。

 長じて自らを犀利さで固めはしたが、十代も半ばの少年のころは、その身体の華奢な有様同様、彼もまた脆く線が細かった。

 もっとも少年の憤懣も的外れというわけではない。約束の地を平定して、確かに迂は、その内地に心血を注ぎつつ、その外の世界に割って入っていくことには慎重となった。無論百年冬眠していたわけではなく、関内の外、その西側には、ハセラという城塞都市を建設して西方進出の拠点化を推し進めていたし、北では聖山ブルカンヴァスを越え、カイラール城を一大集結点として整備しつつある。いずれも遮蔽山脈の谷間を行く細き山道を抜けた先の、迂の強固な出城であった。

 その先へ、そのための足場はできあがっていた。

 しかしそれ以降は足踏みが続く。先王、つまりガイナの祖父たるレン・ハルンは大軍を擁して西に北にと行き来しながら、小競り合いと恫喝に甘んじ、さしたる成果を上げることなくその生涯を終えてしまった。列国の巧みな外交の駆け引き、特に平素は反目あらわであるに、迂に攻められ苦境となると途端に和して合して迂の進出を牽制し、時間を稼ぎ、兵站が限界に達して迂が関内に引き上げるや、また平素の対立に回帰するという堂々巡りが幾度となく繰り返された。

 それが少年たるガイナには歯がゆくてならなかった。まるで見えざる枷が、自分を絡め取っているのと同じようにして、迂の進出を妨げているように感じてしまう。

 戦いたい。自分が。この手で生煮えの状況を打開したい。少年は悶々としながら、他日に備え懸命に学び、また体躯を鍛えた。

 やがて、その望みが叶う日がやってきた。

 ガイナ・ルシュア十七の年である。

 この年迂はとうとう重い腰を上げた。長駆北方、瑛王国を突く。軍を率いるは王弟にしてガイナの叔父カルゼル。副将格で長兄の王太子ナザル・クリューグもその一翼を担い、総勢は六万の多数である。

 ガイナはその中で三百の小部隊の長を命じられた。

 過小の扱いで不満はあった。叔父は六万、兄は直属が一万以上、自分はただの三百である。しかし、少年から青年になろうと足掻くガイナは大いに気負いもした。武功、武勲である。それさえ立ててしまえば、次は千。その次は五千六千の独立部隊、その先は万余の堂々たる将軍として。勝つ。必ず勝つ。勝ってより大きな力を手にする。

(そうやって進むのだ。前に。前に。より前に)

 ガイナは若かった。負けるということを微塵も考えもしなかった。その黒髪が、鋭利な黒曜石を思わせる深々とした輝きを放ち、闇の悪夢を連想させた。

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