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覇王の椅子  作者: 稲生新
1/9

会盟

 瑠国(リューカス)という、四境四隅を海に取り囲まれた国がある。



 我は神の子、そう称する瑠国人は、その頃はさして珍しくもなかった。

 誰も彼もそうであった、といっても、それほど的外れでもない。それほどに己の父祖は神とごく質朴に、当然の顔つきをして信じる者ばかりであった。

 といってそれは厳格な教義、難解な経典による宗教というに遠かった。神とは神々の数えきれないものであり、また氏神といっていいものだった。ゆえに人の子が不遜に、みだりに、神の子を騙るというわけではなかった。ひとりの人間がいて、家族があって、その血縁集団としての氏族がある中で、彼らが共々祀るというのが彼らの言う神であり彼らの父祖であった。

 やがて、そのような牧歌的な、神々の時代とも人の時代ともつかない曙光のころを、瑠国人は歩み、随分と歩んで、気がつけば彼らはそのような神々の世界と隣接するところから随分と隔たりを覚えるところにまで歩んでしまっていた。彼らが父祖神を共にするという氏族という存在さえ、代を重ね、また重ね、見知らぬ顔ばかりになっていった。ただ、抽象的なその氏神ばかりが自分たちと見知らぬ同族とを強固につなぎ、また強固に結びつかねばならぬという声となって迫った。そうやって無数の国が、この国の至るところで生まれていった。

 生まれた国と国とは、長い時間の中で、時に争い、時に睦み、血を流し、また双方の血を性によって交え、同化し、また離反し、複雑にうごめき続け、やがて見果てぬまでの地平を収めるほどに膨れ上がっていった。そのような国がいくつも出でた。

 歴史は、事実の後に踏み固められる。国というものが瑠国の中で確かとなり、揺るがすことができないようになった頃合いからを、後に歴史は列国時代と呼び示すようになった。その頃にはもう、質朴に彼らが崇めたてた神々は、列国という強大な武力を保持した巨大な国々が国家として政治として巨大な神殿を介して祀り上げるものになっていた。

 ユグの会盟というものが生じたのは、逆算すると列国時代の終焉からおよそ百五十年の昔となる。


 

 奇妙なものがそれであった。

 ユグという地に列国の王が集う。そうやって神々に捧げた供物である生贄の肉を分け喰らい、酒を飲み、相互の王権を承認し共々に天の神々に向かい地は我ら七王にて統べると宣した。

 当時、瑠国の全てをこの七王が掌握したわけではなかった。東端にはなお未開の地が広がり、他所を見ても群小の諸勢力がなお列国に服さず自立独歩を堅持していた。むしろそうであるためにそれらと優越する大国という意識で、ユグの会盟は生じた。

 即ち、

 (レーエヌ)

 (トゥーラ)

 (サイユ)

 (カリア)

 (ハーム)

 (エイラーン)

 そして(ウルヴァール)の各王国である。

 このうち、

「あれは我ら列国列王の中に加えてよいものか」

 幾人かの王から憫笑され、鼻で笑われ、それでようやくその列に連なったのが、(ウルヴァール)王国であった。その所以は、迂が彼ら列国の最も東に位置し、文明の光輝に浴するところ最も薄い、つまりは野蛮であるということであったのだが、それには地勢的な事情もあった。

 瑠国は島国であり、四方四境は全て波濤が覆う。それゆえに地続きで他国の人間や文物が流入するということがない。当然ながらそれらは海を経て、時に波間をかき分ける強い意思で、時に波間にもてあそばれた挙句の偶然の漂着で、この国にやって来るのだった。そしてそれは、専らといっていい頻度で、西において生じた。西には大海と難解な海流のうねりがあるとはいえ、その向こうには大陸があった。東の海はその果てが皆目見定められない。西は、上手くすれはその向こうの世界との航路さえ確保することができた。瑠国人はその海路からもたらされる文物を大陸渡来として大いに珍重した。やがて彼らは自国文化の醸成に努め、外来文化との均衡を図るようになっていくが、この列国時代において文明とは要はいかにして大陸文化に浴し浸るか、その度合いの濃淡にあったわけだった。

 それが西からもたらされる以上、その恩恵を受けるのは西に位置する列国、怜であり把であり、伽であった。残る国はそれら列国との関係性や通商、人の自ずからの行き来によってじわじわと浸透を受けるに任せる。その中で最も東という奥の果てにある迂は、彼らの言う「文明」の洗練からすれば光もささぬ薄暗い沼沢のようなものであった。

 未開であり、蛮族である。その意識は口に出さずとも列国の誰もが感じていた。何より、当の蔑視される迂王からして、自分たちの後進性に怯みを抱き、ユグの会盟においても終始肩身狭そうにしていた。何せこの晴れの席に出でるに及んでも、列王と見劣りせぬ絹の装束から靴やら束帯といった身に着けるものまで自前で揃えるのに難儀するほどであった。無論それは決して貧窮などでなく、自国の民にそこまでの水準の高い工芸を為す腕前の者がいないせいだった。

 それとなく、そのことを察していたのは謄王であった。北辺の強国である謄は、決してきらびやかな文明国などではなかったが、迂ほど侮りを受けることもなく、また謄王セデロニは侠気で名だたる誇り高い王者であり、迂王に恥をかかせるのを潔しとせず、面目を失せぬよう理由をつけ会盟に先んじて美服ひと揃えを迂に送り届けた。迂王はこのことを心から感謝し、答礼するに見事に鍛え抜かれた鋼の剛刀数百を贈答した。美術工芸という点においては甚だ後れを取る迂ではあったが、鉄や銅をよく産し、またそれを操る冶金の腕前については、実利一点張りの面白みのなさながら、実は列国に抜きんでていた。

 宰は、決して強国ではなく、怜の強勢に押されていたが、宰人は利発で知られていた。その宰の者からすれば、迂は確かに文明の日当たりのよからぬ僻地ではあるが、

「眠れる大熊」

 そのように評さざるを得ない存在であった。冶金の技術もそうであり、また迂の民は質朴で艱難をよくこらえ、王権に服すること孝子が親に対するがごとくという。確かに今はきらびやかさにおよそ欠いておどおどとし、鈍重のように見えはするが、

「腕っぷしは相当のものだ。そしてそのことを当人らも半ば気づいておらん。そういう連中とは先んじてよくよく睦んでおく必要がある」

 列国の盟主を自負する怜王などはそれを嘲笑い、

「鈍重というより、魯鈍であろう」

 そうやって最後まで会盟の相手に迂を加えることを渋りはしたが、しかしその怜にしても、長駆して広大な迂の領域を力ずくで下し、統治するだけの力は持ち備えていなかった。

「我ら文明の民は、あのような僻陬に興味などない。蛮人らが好きにすればいいだけのことだ」

 最も冷笑的に最も侮蔑的に、大国怜は迂を受け入れた。かくて会盟は成立した。七人の王はユグに集い、霊丘エラディムの祭壇で酒を交わし、贄を捧げ、肉を分け合って天に宣した。我らこそ神々の裔、地上の主、地と人との総意の現身、天意を聴き地意を語る天地の繋ぎ手……。


 

 会盟は、ただ単に王国の国王が一堂に会して、酒を飲み、大法螺を吹いた、というだけだったかもしれない。だが日々着実に堆積していく歳月と、彼ら列国のその後の確かな進展とが、ユグの会盟を瑠国の歴史において揺るがし難い事象として刻印せしめた。

 会盟の時点で、列国の瑠国統治は、未だ不確かな領域も多かった。が、会盟を経て吐き出すものを吐き出してしまうと、列国は自らがその気になって、当然の顔つきで支配の翼を広げていった。また併呑され、従属していく者らも、会盟をひとつのきっかけにも、いいわけにも用い、この地は列国の王によってのみ支配されるべきという不思議な幻想を、次第に共通事項として共にしていくことになった。

 ただ、その進展の速度は、決して一様ではなかった。

 ユグの会盟によって最も侮りを受けた魯鈍な大熊である迂王国が、ユグの会盟をきっかけとして、異様なほどの駆け足で膨張していったのである。

「それは何故か? 別に難しい話ではない。考えてみれば当然のことなのかもしれぬ。迂は侮られた。人ではなくのろまな熊だと嘲笑われた。が、本当に人のいい熊であったわけではない。迂人もまた人である。侮られれば屈辱に歯噛みし、嘲弄されれば目を血走らせて打開の明日をつかみ取ろうとする。懸命に学び、先行く者をどうにかして追い抜こうとする。そのためには困難に立ち向かい、苦痛を忍従し、それでも前に行こうとする。彼らはそうした。元来彼らは、そう気づかなかっただけで、実は富裕の地味肥えた地の民であった。その彼らが発奮した。受けた侮りを必ず払拭すると誓った。誓ったのは王や王族、廷臣貴族らばかりではない。民草もまた発奮した。そうやって困難に挑み、ひとつ、またひとつと成果をあげた。それが自負となり、血肉となり、彼らを日に日に雄渾にさせていった。そう、それは別に難しい話でも、奇妙な話でもない。人の世にとって、それはごく当然の、熾烈な生であった。ただそれだけに過ぎなかったわけだ」

 伽王は皮肉で知られた。会盟以降の迂の進展を、彼のその晩年、吐き捨てるように詰った。

「あの忌々しき、まがまがしき黒髪よ。冥府の光なき様よ。彼奴らはひた走る。光なきあの黒髪を頂いてな」



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