最後に思い出す話
ザアザアと降りしきる雨の中、身を守る術を持たない私は全身びしょ濡れになってもただそこで倒れているしかなくて。
冷え切ってぬかるんだそこに頭を寄せたまま、細く、骨張った脚で走り去ってゆく後ろ姿をずっと見ていた。
強い光の刺激に目を覚ますとそこは裏通りにある古びた娼館だった。
小部屋に閉じ込められ、すり切れる程身体を擦られ、ようやく見れるようになると身ぐるみ剥がされ客を取らされた。
「とんだいい拾いもんだよ。わたしの目に狂いはなかった。さ、しっかり稼いでおくれ。あんたの治療費だって馬鹿にならないんだ。」
やり手婆は帳簿を睨みながらふと顔を上げる。
「愛だの恋だの馬鹿なこと考えるんじゃあないよ。あたしらはみんな道具だ。道具を愛するやつなんてどこにいるってんだい。いいね?あんたに残った選択肢は2つしかないんだ。」
「愛って幸せな事なのよ。どんなに辛い事があっても愛した人のことを考えていれば耐えられるの。いつかあの人と一緒にここを抜け出す為に頑張らないとって。あなたにもそういう人が見つかるといいわね」
幸せそうに微笑む親切な娼婦は次の日喉を掻き切って死んだ。
「君を幸せにしたい」
私に愛を求めた男はその足で違う娼婦と逃げ出した。
愛ってなんだろう。
幸せってなに?
わたしの腹にナイフを刺した馴染みの客を眺めながら考える。
「お前が悪いんだ!幸せにするつもりだったんだ!けどいつまで経っても俺のものにならないから!許してくれ。愛してるんだ!ずっと!ずっとお前を愛してる!」
狂ったように愛を叫ぶその男はわたしの唇にキスを落とし、自分の首を切って死んだ。
口から血液がこぼれ落ちるのを感じながら目を閉じると、微かな雨の音が聞こえる。
雨の弾む音。濡れた土のにおい。動かない身体。
ふと、まるであの日のようだと思った。
誰だったか思い出せないあの痩せっぽっちの後ろ姿。
そうだ、あの人は言っていた。
ひどい剣幕で、唾を飛ばしながら。
「早く死んでくれ!もううんざりなんだ!俺は死にたくない!」
ああ、そうだ。あの日わたしは捨てられたのだ。
この地獄の様な世界を飛び出して、幸せな人生を送る為にわたしは邪魔なのだと。
あの時、走り去ってゆく後ろ姿にわたしは何て言った?
声は出なかった。
けれど確かにわたしは叫んだのだ。今はもう顔も思い出せないその人に向かって、大声で訴えたのだ。
ぞくりと、腹が冷える。
なんで忘れていたのだろう。
本当は連れて行って欲しかった。
手を繋いで一緒に行きたかった。
寂しかった。痛かった。大好きなの。置いていかないで。死にたくない。わたしだって死にたくないの。お兄ちゃん。行かないで。お兄ちゃん。お兄ちゃん。
幸せになってね、お兄ちゃん。
わたしの上で死んだ馴染みの男の頭を撫でながら、わたしは穏やかに眠った。




