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ディオンは手綱を力強く打つ。馬はそれを受け、益々加速して行く。背後から迫り来る追手から、瞬く間に引き離して行った。
こんな生活を続ける事、もう二ヶ月は経つだろうか。ディオンは自分の前に座っているリディアを見遣る。幼い頃からずっと一緒に育った。ディオンが屋敷を出た数年や少し距離があった時期もあったが、それでも妹の事は何でも知っていると自負していた。が、どうやら違ったらしいと最近気付いた。
『ねぇ、ディオン!川が見えるわ!私喉乾いちゃった。休みましょう』
『あ、あぁ』
お転婆ではあったが、一応侯爵令嬢として育った筈。それなのなも関わらず、今のこの状況下においてかなり順応している。正直驚いた。
確かに初めの数日間は、馬に乗り続けて尻が痛いだの身体が痛いだの疲れただのと、常に言っていた。少し体調を崩しているのも見受けられ、かなり案じていたのだが……。
今はこの有様だ。寧ろ自分より体力が有り余っているのでは?とすら思えてくる。
川辺に着くと、リディアは一人で先に馬から飛び降りる。そして軽く駆けて行くとしゃがみ込み水へと手を伸ばすが、ディオンが寸前で止めた。
『何時も言っているだろう。お兄様が毒見するまでは口にするな』
不満そうに頬を膨らませるが、素直に「はい」と返事をした。
『お腹空いた~』
先日立ち寄った街で、日持ちする食料を買い込んだ。と言っても、そんなに持てない故鞄に入るだけだが。お金は金貨をかなり持ち出して来た故、暫くは困る事はないだろう。だが何れは底が尽きる。
何処か二人で暮らせる場所を見つけ、そこで仕事を探さなければとは考えている。貴族の生活をしていた頃の様に豪華で煌びやかとまでは難しいが、リディアに不自由な生活は絶対にさせられない。どんな仕事でも、なんだってする。自分の我儘の為に、こんな目に合わせているのだから。
『ディオン?』
干し肉を齧ってこちらを見ているリディアに、ディオンは思わず笑みが溢れる。
『美味しい?』
『うん!はい、これディオンの分』
今日までリディアは、一度も帰りたいとは口にしなかった。かなり順応しているとは言え、貴族の姫だったのだ、本当は辛いのではないかと思う。
ここまで連れて来た自分がこんな風に思ってはいけないのだが、酷な事を強いている自覚はある。
『美味しい?』
ディオンの真似をして聞いてくるリディアの頭を撫でた。本当に愛おしくて仕方がない。
『あぁ、美味しいよ』
今宵もディオンは、リディアを腕に抱いて眠りに就く。このひと時が至極幸せで安らぐ。ずっとこのままでいたいと願い……瞳を伏せた。
更に一ヶ月が過ぎた頃。とある場所へ辿り着いた。人の気配はまるでなく、古びた城だった。
追手を撒きながら移動していた故、正確な現在位置は不明だが、おおよそ北側の国境付近と思われる。
こんな場所に古城が……しかも、今は廃墟とされている様だった。
『ちょっとっ……も、もしかして、入るんじゃないわよね⁉︎』
『入るけど?』
ディオンが当たり前の如く言うと……少し青い顔をしたリディアは息を呑んだのが分かった。そして、まるで幼児の様に首をイヤイヤと横に振る。
『何、まさか子供じゃあるまいし、怖いとか言わないよね?』
『べ、別に~……そんな訳、ないじゃない……』
段々と語尾が頼りなく小さくなる。
『なら問題ないだろう。早く行くよ。雲行きも怪しいし』
『ま、待って⁉︎ちょっとっ、私まだ心の準備が~』
涙目のリディアを抱えて、ディオンは古城へと入って行った。




