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あの夜、リディアとマリウスが余りにも親しげにしていた事で、広間から立ち去りディオンは苛々しながら廊下を歩いていた。そして気付けば中庭にいた。


暫し何をするでもなく暗闇の中頭を冷やしていると、背中越しに声を掛けられた。振り返れば見知らぬ女がいた。


『あ、あの。ディオン様、ですよね』


上目遣いで此方を見遣る女に、ディオンは心底嫌そうな顔をした。何時もなら致し方なしに愛想笑いの一つでも浮かべるが、何せ今は腹の居所が悪い。この場には自分と目の前の女しかいない故、構わないと判断した。

 

『この様な場所でお会い出来まして、嬉しいです』



しかし面倒だ。これまでの経験上、次にこの女がどんな言葉を発するか手に取る様に分かる。


『実は私、以前からディオン様の事お慕いしておりました』


手を口元に持っていき、目を伏せ照れる素振りをする。この女は自分自身に絶対の自信があるのだと感じた。自分が可愛いと自覚しているのが、ひしひしと伝わってくる。

これで自分を落とせると踏んでいるのだろう。頭の悪い女だ。


『あの……ディオン様は、まだ婚約者はいらっしゃらないと聞いております』


何の返答もしないディオンに、痺れを切らした女はそう続ける。

ワザと胸元を寄せたのが分かった。胸元が大きく開いた下品なドレスを着ている。女の容姿は客観的に見て、正直悪くはないだろう。美人の分類に振り分けられる。

その辺の陳腐な男共ならば、きっとこれだけで容易にに落ちると想像が出来、笑えた。


『私では、ダメ……ですか』


黙り込むディオンに、女は次の手とばかりに今度は瞳を潤ませ眉根を寄せる。呆れる程手慣れている。


そもそもいきなり現れ、名も名乗らず不躾に婚姻関係を迫ってくるなど、頭が悪いにも程がある。


『あのさ、ダメも何も……』


口を開いた瞬間、先程のリディアとマリウスの二人が談笑する姿が頭を過った。何故今……と苛々が抑えられない。視線を改めて女に向ける。


『幾つ?』


無意識だった。そんな下らない言葉が、口を突いて出た。


『十六です』


十六、リディアと同じ歳か……。


良く見遣れば、大人びてはいるがまだあどけなさが垣間見える。


『ディオン様、私本気で……きゃっ』


一歩此方に踏み出した瞬間女は躓き、蹌踉めくと抱きついてきた。いつもなら躊躇う事なく避けただろう。だがリディアを思い出し、気付けば抱きとめていた。


その瞬間、リディア達に遭遇してしまった。面倒な事になったと感じる一方で、どこか期待をした。リディアがどう反応するのか……興味が出た。

故に、女が好き勝手な言動をしてもワザと否定も肯定もしなかった。


リディアはディオン達を見て何を思ったかは分からないが、かなり動揺しているのが見てとれた。そしてかなり苛立った様子だった。


普段リディアが自分の事を『お兄様』と呼ぶ事は滅多にない。理由は知らないが……。

だがそのリディアがワザして『お兄様』と言っていた。何か思う事があったのは確かだろう。



兄が女と逢瀬する事に、そんなに腹を立てる妹など世間一般的に考えればそういないだろう。


なら何故、お前はそんな顔をしてるの……。


もしかして、妬いたのか……なんて自分の都合の良い様に考えてしまう。


俺も大概だな……。


リディアには、『大好きなお兄様に』『俺の事、好きだろう』なんて軽口を叩くが、本当は自信など何処にもない。


普段リディアの事柄以外の事ならば、絶対の自信を持っている。なのにも関わらず、どうしても彼女の事になると、まるで幼い子供の様に無力で頼りなく、どうしようもなく不安に包まれる。


欲しくて、欲しくて、仕方がないのに……いつになっても手に入らない。


何よりも、自分自身よりも大事で守りたいのに……幸せにしてやりたい。


だが、心の奥底では分かっている。自分では彼女を幸せには出来ないと言う事を……。


兄という立場からは逃れる事は出来ない。


何処まで行っても、自分はリディアの兄で、リディアは自分の妹だ。例え血の繋がりがなくとも。


何度こんなつまらない自問自答を繰り返したか、もう分からない。



もう、ひと月顔を見ていない……。


以前の様に、リディアが寝静まってから見に行けばいいのだが……それも今は出来そうになかった……。


酷く、渇く……。




ディオンは、手にしていた書簡を机に置いた。ここ最近、酷く疲れている。日中は部下達に稽古と言う名の扱きを与えて、拭えない憂さを晴らして身体が重怠い。帰れば妹の事が頭から常に離れず、精神的に不安定になる。


今夜は、捗りそうにない。


ディオンは、仕事を明日に回す事にして、自室に戻りベッドに横になる事にした。


だが、中々寝付く事は出来なかった……。




そう言えば、レフの奴……忠告したにも関わらず、リディアに手を出そうとしていた。

あの時、腸が煮えくり返り冗談ではなく斬り捨ててやろうかと思った。レフが驚き身動がなければ髪でなく、首を落としていたかも知れない。それだけ、赦せなかった。


それなのにも関わらずあれからも、全く反省もしている素振りは見えない。


レフ(あれ)の事だ。まだ諦めていないのだろう。


ディオンは手を握り締める。マリウスの事は無論腹立たしいが、レフの方は……あれは分かっていてやっている。理由は明白では無いが、目的は分かる。


嫌がらせだ。



昔からレフがディオンの事を、快く思ってはいないのは知っている。それ故か、何時も些末な嫌がらせをしてくる。これまでは取るに足らない様な事ばかりだった故、流していたが……考えなくてはならない。



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