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カンッ、鈍い音が響いた。人を斬った音ではない。
これまで僅かに余裕を見せていたディオンはその瞬間、全身が凍りついた。
ツバの広い帽子が空高く飛ぶのが見えた。燃える様な赤毛の長い髪が舞広がる。
「リディアちゃんっ⁉︎」
男の剣を鞘ごと受け止めたのは、リディアだった。両手を使い、男の力に押し負けそうになりながら耐えている。
「リディア‼︎」
ディオンは前方のリュシアンを押し退け急ぎ走る。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
このままではシルヴィが殺される。頭では理解出来ても、身体が凍り付いた様に微動だにしない。
誰か、助けてっ。
声すら出ない。心の中で叫ぶしか出来ない。視界に入るフレッドは意識はある様だが、未だ立ち上がる事は出来ない様子だ。
リュシアンのシルヴィを呼ぶ声が近くなるが、まだ距離を感じる。多分……間に合わない。
シルヴィが壁際に追い詰められ、しゃがみ込んだ。男の剣は高く持ち上げられる。それ等全ての動きが、ゆっくりと流れて見えた。やはり現実だと思えない。
私は悪い夢でも見ているの……?
違う、これは夢なんかじゃ無い。これは現実なんだ。今シルヴィは殺されそうになっている。目の前の出来事が全てだ。
あれは……。
フレッドの予備の剣だろうか……不意に少し離れた場所に落ちているのに気が付いた。
瞬間、身体が軽くなる。身体が勝手に動き……気付けば剣を拾い上げていた。そして……
カンッ‼︎
鈍い音が響いた。振りかざされた男の剣を、鞘ごと横にして受け止めた。驚く程強い力で、ギリギリと押される。
「リディアちゃんっ⁉︎」
背後からシルヴィの声が聞こえた。間に合った。彼女は無事だ。震える腕で必死に耐える。
「リディア‼︎」
ディオンの声が聞こえる。久しぶりに聞いた兄が自分を呼ぶ声を噛み締めた。瞬間、リディアは全身の力で男の剣を振り払う。
片膝を立て中腰だった体勢から立ち上がり、そして鞘から剣を抜き敵へと突き付ける。鞘が地面に落ちた音がいやに耳についた。
正直、怖い。怖くて仕方がない。立っているのが精一杯だった。だが、ここで怯めば二人共に斬り殺されるだけだ。
「シルヴィちゃん……私が時間を稼ぐから、逃げてっ」
顔だけで彼女を振り返りそう告げた。
二人で死ぬより、シルヴィだけでも生きるべきだ。
剣を敵へと向けた瞬間、妙な覚悟がリディアの中に生まれる。不思議な感覚がする。リディアが剣を握るのなど、お遊び程度でしかなかった。まして真剣を握った事すら無いに等しい。それなのに……今、自分は迷いなく目の前の男へ立ち向かおうとしている。
身体の震えは止まった。もうそこに、怖さはなかった。