咎
『妃』に沢山の評価ありがとうございます。予想以上にポイントがついて驚きました。
『妃』で書けなかった裏設定的な話になります。
庭園の片隅に設えてあるガゼボに儚げに1人で微笑む人を見つけ足を止める。
この世界でただ1人の大切で慈しみたい人。
彼女を探して歩いてきたのに、これ以上自分が近付くべきでないと感じてしまうのは自分にやましさがあるからだ。
初めて彼女に会ったのは彼女が5歳の時。自分は9歳だった。
庭園に花の妖精がいるのかと思うほど彼女は可愛らしく、そして儚げで守ってあげなくてはならないと強く感じた。
今でも声を掛ければ嬉しそうに微笑みかけてくれるだろう。無邪気に花が咲くように、欲にまみれた世界を照らすように。
自分は彼女をしがらみだらけの世界から解放してやることはできない。…いや、彼女は解放された途端に生きていく事すらままならなくなる。そうなるようにしてきたのだから。彼女の父と共謀して。
どこで間違えたのだろう。いや、最初から…生まれる前から間違いだらけだった。自分も彼女も生まれた時にはもう手遅れだった。既に始まってしまっていたのだから。
自分の母は、夫の長期不在中に自分を身籠った。誰の目からもはっきりと分かる不義の子。
相手の名を明かさない母に激昂した婚家から、離縁を叩き付けられたのは当然だった。本来なら実家にも帰れなかっただろう。
だが、母の実家である公爵家は既に母の兄が公爵となっていて、母が帰ってくるのを許した。母の為に立派な別邸まで用意して。
自分が生まれたのもその邸であったし、何なら幼い頃は伯父である公爵を自分の父だと思っていた。それほどまでに伯父は母を溺愛していたし、母も伯父に依存していた。幼い自分にそんな2人が夫婦に見えてもおかしくないほどに。…いや、恐らくはあの2人は真実そういう関係だったのだろう、と今では予想できる。実の兄妹であったのに、だ。
ならば、自分は公爵の子なのか、と言えばそうではなかった。冷たい眼差しの中に憎しみを宿しながら『お前など俺の子であるはずがない』と低い声で言われた時の心臓を潰されたのかと錯覚したほどの恐怖は嘘であるはずがない。
自分は母が王に逆らえずに孕んだ子であった。
公爵は母をぼろ雑巾のようにした王を赦してなどいなかった。恭順な姿勢は崩さず、腹の底で虎視眈々と時を待っていた。
公爵には当然妻がいた。日に日に妹へと肩入れし、別邸から帰ってこない夫に痺れを切らしていた。公爵は政略で結ばれた夫人をよく思ってはいなかったのだろうが、それでも夫人は身籠り、彼女を五体満足で生んだ。
しかし、夫人は…表立っては産後の肥立ちが悪いということになっていたが、公爵によって何か成された可能性は高いと思う。彼女を生んで間も無く儚くなられた。
そして、おぞましき計画が始まった。
五体満足で生まれた彼女の足を布で強くぐるぐる巻きにする事を公爵は命じたのだ。
決して歩かせるな。
これに異を唱えた者は邸から去る事になる。
最初は何の意味があるのか、誰にも分からなかった。しかし、周囲がその意味に気付いたのは彼女が王太子の1妃候補に選ばれた時だった。
王は不完全な者が何よりも好みであったのだ。特に異性に対して。王の1妃は完璧な美しさを誇っていたが無口であった。皆は話さないのだと思っていたのだが、話せないのを隠していた。そして、2妃は聡明であったが手に痺れがあったらしい。隠してはいたがそれは些細なミスに繋がる。それらを見つける事が王にとって自尊心を満たす瞬間でそれらを支配する事に悦びを感じるというどうしようもない質であったのだ。…母には肩口にヤケドの痕があった。普段は完璧に隠していたのだが、王に気付かれてしまった。普段は見えない肌の不完全さというものに王の食指が動いてしまったのだ。
そして、自分が生まれてしまう。
公爵はどうやったのか、その王の歪んだ心の内を知っていた。だからこそ娘である彼女の足を犠牲にしたのだ。王に気に入られる為だけに。
王太子にも王に似た性質があった。どちらかといえば頭の弱そうな令嬢を好んでいたようだが、王が決めた事を子である王太子が覆せる訳もなく、足の不自由な彼女は王に大変気に入られ妃の候補に選ばれた。候補と言ってもほぼ決定と言っても間違いではなかった。
そんなおぞましい計画は最初は知らなかった。知らないままでいた方が良かったとすら思っている。
彼女は5歳まで本当に歩いた事が無かった。生まれつき足が悪いという事を疑いもせず信じきっていた。自分も最初は本当にそう思っていた。彼女は足にいつも包帯を巻いていたから。
公爵に彼女の遊び相手として側に仕える事を命じられたので、いつも彼女の側にいた。彼女と共に本を読んだり、勉強もした。そして、彼女を抱えて庭を散策する事もした。
この頃には彼女が歩けないのではなく、ただ歩いた事が無いだけだと気付いていたが、彼女を抱えて歩くという特権を手放したくないが為に自分もその事を口にする事はなかった。
そんな仄暗い感情を持つ自分に彼女はいつでも楽しそうに笑いかけ、そして甘えてくれた。何よりも愛しく大切だと思うのは当然だったし、彼女も慕ってくれていたと思う。
だから彼女が1妃候補になった時は本当にショックだった。
公爵が何を考えているのかさっぱり分からなかった。けれど、言われたのだ。『娘が欲しければ言われた通りにしろ』と。
1妃候補の彼女をどうやって貰えるのかは分からなかったが、彼女の側にいたいが為に公爵に言われた通りに過ごすことを承諾した。
公爵の復讐は何も娘を王家に入れる事ではなかった。それは初めの1歩でしかない。
娘をきっかけに王に取り入り使用人達を買収し、じわじわと王家の深くまで公爵の息のかかった者達が入り込んでいった。
そうやって公爵がしたのは、王の暗殺。成し遂げた上に誰にも疑われたりはしなかった。同時に王太子にも仕掛けていた。微量の毒を長期に渡って飲ませていた。それは子種が作れなくなっていくものであった。健康促進に繋がると献上し続けたお茶に混ぜて。
王がいなくなれば王太子が王となる。ここで予想外の事態が起きた。
新たな王が1妃に子爵の庶子を指名したのだ。
長年に渡り1妃は彼女がなる事が決まっていたのに、後ろ楯の強い者は要らぬと切り捨てた。
しかし公爵は慌てず3年後に向けて準備を始めた。どうせ王に子はできないと知っていたのだから。もしかしたら、この1妃を王に宛がったのも公爵の思惑だったのかもしれない。
だが、彼女は消沈した。父である公爵の思惑など知らず、王に嫁ぐ身だという事が彼女の矜持にもなっていた。だから何よりも1妃に成る事だけを目指していたし、そう教育されてきてもいた。
自分はそんな彼女を側で励まし支えた。その甲斐があったのか、彼女を抱えて散歩をしていた時、耳に口を寄せられ『私は1妃を目指していたけれど、お慕いしてるのは貴方だけよ』と囁かれた。あの衝撃は忘れられるものではない。反射的に強く抱きしめ唇を塞いでしまうだけの喜びがあった。
1妃候補から外れたのだから婚約を許して貰えるのではないかという期待は公爵によって砕かれた。『娘は2妃になる。傷はつけるな』そう告げられた。そして、間も無く本当に彼女は2妃として王宮に召される事になった。しかし、公爵に頼み込んで彼女の側仕えとして一緒に王宮に入る事を許された。
公爵にしてみればこうなる事は予想できていたのだろう。出立の日に公爵は自分に囁いたのだ。『必ず娘にお前の子を生ませろ』と。
あれを言われた時の感情をどう表現すればいいのだろう。怒り、屈辱、反発、悔しさ、なのに仄暗い喜びが湧き起こる。そんな自分に嫌悪さえ感じた。
公爵の言われた通りにするのは嫌ではあった。けれど、実際に王に手酷く扱われ、彼女に泣きながら忘れさせてと縋られれば拒む事などできるはずもなく、王の渡りは3年で3度だけだというのに、彼女は見事に3児に恵まれた。誰の子なのか、彼女の身の回りを世話する者達に言わせれば一目瞭然ではあったが、彼女の回りは全てが公爵の息のかかった者の上、彼女の信奉者でもあった。手酷い王と、彼女に信頼され親身に世話をする自分、どちらの味方につくかなんて決まっていた。
それに皆気付いていたのかもしれない。自分の髪と目の色は王と同じである、と。
そして、彼女が3人目を生んで落ち着いた頃、王が突然崩御した。
ここまできて察しない訳がない。
ただ証拠は何1つない。
宰相も務める公爵の動きは早かった。
気が付けば自分は即位することが決まっていた。自分が落胤である証拠は公爵が沢山用意していて、王となる教養も持っていることを沢山の貴族の前で示した。
文句をつけたそうな貴族はいたが、大きな混乱もなく受け入れられた。そして、彼女を1妃に迎える事もどこからも文句が出なかった。彼女は既に王の子を3人生んでいるのだ。今さら王家から出せばそちらの方が混乱する。
ここまでする事が公爵の復讐だったのだろう。娘である彼女も、最愛の妹の子である自分も公爵にはただの駒でしかなかった。
彼女の母は公爵の最愛の妹をあちこちで悪く言っていた。それは当然であったと思うが、公爵にとっては許せなかったのだ。自分の娘でもあるのに非情になれたのは、彼女が美しいと評判だった母に生き写しだったからかもしれない。
自分は恐らく公爵に恨まれていた。最愛の妹が貶められた原因なのだから仕方がなかったのかもしれない。それでも手厚く保護されたのは、母の『きっとこの子は私とお兄様の息子よ!』という狂ったとしか思えない言葉があったからだろうと思っている。最愛の妹と夫婦ごっこをするのに自分は不可欠だったに違いない。
最愛の妹が信じる公爵との子が王になり、公爵の本当の娘を妃にする。
公爵は誰に咎められもせず王家を簒奪したようなものだ。
貴族の中にはその事に気付いた者もいたかもしれない。けれどきっとそんな貴族はとっくに取り込んだか、排除したに違いない。
ぞっとする。
しかし、それを全て分かってしまった上で公爵の言う通りに踊ってきたのは自分だ。
自分は何を犠牲にしても彼女の側にいる権利が欲しかった。時には彼女の心すら犠牲にする事を知っていたのに、それを分かっていて自分もやめはしなかった。
結局は自分も公爵と何一つ変わらないおぞましい欲の塊でしかない。
立ち止まってガゼボの彼女に見惚れていた自分に彼女が気が付き花開くように微笑んだ。
止まっていた足を動かし、彼女を抱えあげる。ふわりと優しく甘い匂いにくらりとする。
何に変えても手に入れてみせると誓った彼女に口付けを落とす。
甘やかに笑む彼女と3人の子ども達を何を犠牲にしても守りたいと感じた自分は、復讐をやりきった公爵と同じものなのだろうと思う。
幸せよ。と微笑むどこにも行けない彼女を閉じ込めるように強く抱きしめ口付けをした。