表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

魔女先輩とぼく

作者: 枯野 常


 魔女先輩こと時任真海は、大変な健啖家である。


 ***


 こんぺいとうが流れ星のように可愛らしくきらきらと軌跡を描いて、珈琲の中へぽちゃぽちゃ落ちていく。洗い物をしながら僕はため息を吐いた。


「ほら、そうやってすーぐ魔法を使う。少しは体を使って動いたらどうですか」

「えー、このくらいなら席を立って、瓶をとって、蓋を開けて、中身を摘まんでーってするのに消費するカロリーと全然変わらないよう。だったらバエる方が良くない?」


 可愛らしいゴールドの飾りで彩られたパステルピンクの指先でお行儀よくコーヒーカップを持ち上げながら、ね? と先輩は可愛らしく小首を傾げる。ツインテールに括られたふわふわの栗毛が揺れた。見る人が見れば大変可愛らしい仕草なのだろうが、既に彼女の外身にも中身にも慣れてしまった僕には何の感慨も湧かない。


 泡だらけのスポンジで調理器具を清める手をいったん止めて、カウンターキッチンの対面で僕の方を見つめる彼女に向き直った。


「良くないです。魔法に頼りきりなのは良くないって先生も言ってたじゃないですか」

「まったくもう、後輩君は真面目だなぁ。もう少し肩の力抜いたら?」


 いや、肩の力抜かせてくれないのは貴方なんですが。反論しようと喉元まで出かかった言葉は、先輩の「ねぇところで今日のケーキまだ? めっちゃお腹すいた!」という叫びに遮られて音になることなく消えていった。続いて彼女は子供のようにバンバンとカウンターを叩く。流石にそれはお行儀が悪いから止めなさい、と注意すると彼女はあっさりその手を止めた。


「ほら、結局そうなるじゃないですか。だから魔法は控えたほうが……」

「そんなことないもん、金平糖取る前からお腹ペコペコだったもん。これはお八つ係としての怠慢ではないかしら、八城翔太くん」


 子供のように頬を膨らませる彼女に僕は溜息を吐く。だったら余計に金平糖を取るくらい自分の力でやれば良いという話なのだが、それは彼女の「魔女」としての美学が反するらしい。


 ――――曰く、魔女たるもの常に魔法と共存し、その魅力を最大限に発揮して生きていくべきである、と。


 結果として、魔力の使用と同時に多大なカロリーを消費してしまうあまりにも非効率的な体質を持つ彼女は、万年欠食児童としてお腹をくうくう鳴らしている。


 そして僕は、そんな彼女のために日々高カロリーなケーキを焼く彼女専門のお八つ係なのであった。


 ***


 「魔女」や「魔法使い」といった御伽噺の住人は実在する。


 それをただの一般人である僕――――八城翔太が知っているのは、育て親である祖母がまさしく「魔女」だったからだ。二年前に亡くなった彼女は、箒ではなくチャリンコ(と、彼女は呼んでいた)で空を飛び、黒猫ではなくふわふわもこもこちまちまのティーカッププードルを使い魔にする随分現代的な魔女だった。というよりむしろ、僕たちが想像するような旧時代的テンプレ魔女なんていうのはほぼいないらしい。彼らの価値観では、黒づくめに箒と黒猫のセットなんていうのはモンペにほっかむりをしているようなものなのだそうだ。


 そんな愉快痛快元気百倍な祖母と死に別れ天涯孤独になった僕は、彼女の知人だという久里浜先生に引き取られた。そして彼の勧めるままに彼の勤める全寮制の高校に入学し、現在に至る。


「ったく、久里浜先生のお願いじゃなきゃこんな面倒くさいひととの付き合いなんてさっさとやめてやるのに」


 冷蔵庫の中から取り出したのは、昨日の夕方に焼いて冷やしておいたクリームチーズケーキとフルーツタルト、そしてダメ押しのカスタードプリンである。そしてそれらと入れ替えに今日仕込んだババロアとレモンタルトを仕舞う。明日はこの二品に加えて、現在オーブンで焼いている最中のスポンジ生地に生クリームと季節の果物を山ほど乗せたショートケーキを作る予定だ。我ながら今のところ大変良い出来である。


 久里浜先生には、祖母の遺産目当てで突然現れた“自称”親戚たちを蹴散らしてもらった大恩がある。そんな彼に、小さな喫茶店を経営していた祖母仕込みのケーキを毎日焼いてあげてほしい、と紹介されたのが彼女――――時任真海だった。必要な費用はすべて負担するから、とまで言われてしまっては恩人の手前断れるはずもなく。高校に入学してから毎日、僕はこの大変厄介な魔女のためにケーキを焼き続けている。


「律儀だよねぇ翔太君は。別に断ったってよかったのに」


 しかもちゃんと、私が味に飽きずに満足できるように、味も食感も違うのを三品以上作ってくれるし。半分ほど減ったコーヒーにこれまた魔法で冷蔵庫から取り出してきた牛乳を流し込みながら先輩はにんまり笑う。魔女というよりはその飼い猫のような印象を覚える笑みに、僕は「そりゃあ作るなら全力ですよ」と答えた。


 一瞬熱湯に浸した包丁を付近で拭い、まん丸のケーキから自分の分だけを切り分ける。彼女の分は敢えてカットしない。大きいケーキを小さいデザート用のフォークで少しずつ少しずつ削っていくのが快感なのだそうだ。


「大学卒業して資格取ったら、祖母の店再開させるのが目標ですし、適当に作るのは祖母にも材料にも、食べる人にも失礼ですし」

「ふっふっふ、そういうところが律儀で良いって言ってるんじゃん。お店始まったら私絶対常連さんになるね」

「いや、アンタは出禁です」


 店のケーキ類を朝一ですべて駆逐しそうな客はお断りだ。そう告げると先輩は「ひっどぉい」ときゃらきゃら笑った。ちょうどそのタイミングでお湯を沸かしていた薬缶が甲高い音を立てて沸騰を告げるので火を止める。茶葉を準備しておいたティーポットにお湯を注ぎ始めると、コーヒー牛乳を飲み干した先輩がぱっと立ち上がり「お口濯いで来る」と席を立った。


 どうにもこの一つ年上の年若い魔女は、天真爛漫で横暴な面が目立つというのにこういうところがあるから憎みきれない。日々恐ろしいくらいの量を食べているというのに、食べ物や作り手に対しての敬意を絶対に欠かさないのだ。現に今も僕の作ったケーキを全力で味わうために、直前まで飲んでいたコーヒー牛乳の味をリセットしに行っている。律儀なのはどっちなんだか。


 洗面所から戻ってくる足音が聞こえだすのと同時に、茶葉の蒸らし時間終了を告げるタイマーが鳴る。一度お湯で温めていたティーカップに紅茶を注いだところで先輩が戻ってきた。紅茶、ほとんど丸ごとケーキが乗った皿を二つ、生クリームを乗せたプリン、と順番にカウンター越しに手渡すと、先輩の口から嬉しそうな悲鳴が上がった。


「きゃあ、かわいい、美味しそう、好き、たまらん」

「かわいいの概念がよくわからん」


 はぁはぁと息を荒くして震える先輩を放置した僕は、自分の分のケーキと紅茶を用意しティーポットに足し湯をしてからカウンター側に回る。先輩が言う「映え」を意識したかわいらしい装飾など全く施していないので(見栄えで気を付けたものがあるとしたらタルトの果物の配置くらいである)、どのあたりが彼女の「かわいい」センサーに反応したのか全く理解できないのだ。

椅子に座りテーブルを眺めると、自然と口角が吊り上がってしまう。美味しいケーキと美味しい紅茶が並んだ空間は至福だ。支度の間に洗い物も済ませてあるので、食べ終わった後の憂いも無い。我ながら素晴らしい、完璧な「お八つの時間」の完成である。


 僕が席に着くのを見届けた先輩がもう待てないとばかりにデザートフォークを持ち上げる。僕はすかさず彼女に「待った」をかけた。


「良いんですか、写真撮らなくて。いつも食べ始めてから泣きそうな顔するくせに」

「んんんんんんぐぐぐぐぐぐぐぐ……!」


 先輩の表情が、驚きからサッと渋いものに変わる。どうやら脳内で食欲と写真欲が仁義なき戦いを繰り広げているらしい。先日食べ物を目の前にしていない正気の状態で本人から聞いた話だと、一刻も早く味わうのが目の前の食べ物と自分の食欲に対しての礼儀だと思っているが、ふとSNSに何か写真を上げようと思ったときに美味しかった食べ物の写真がないと、それはそれで悲しい気持ちになるのだとか。オトメゴコロというやつは面倒くさいらしい。


「じゃあもう今後は食べ終わった皿上げたらどうですか。タグで食べたものの名前書いておけば伝わるし検索も楽でしょ」


 先輩の顔が「お前天才か?」という表情になった。投げやりに言い放っただけだったんだけど、良いのかそれで。


 ***


「クリームチーズのねっとり濃厚な甘さ大好き~! サワークリームの酸味で飽きずに食べられる。この下の生地ってなーに? チョコクッキー?」


 手始めにチーズケーキに手を付けた先輩が、ぎゅーっと目を瞑って身悶える。自分の作ったもので誰かが幸せそうな表情を浮かべるというのは何とも言えない喜びがある。彼女の質問に「それにクリームサンドしてあるやつです」と答えると、「なるほど」と先輩が頷く。その間にもひょいぱくひょいぱくと口の中にケーキが消えていく光景には、いつものことだが不思議な爽快感を覚えた。


「クッキーに溶かしバター入れて作ったやつも好きだけど、これもおいしい。チョコの苦みがケーキに合う、好き! これあつあつの苦い珈琲も合いそう」

「レシピサイト見ると結構ありますよ。お手軽だし崩れにくくて楽だし」


 今度作るときは珈琲と一緒に出そう、と心の中にメモする。なんだかんだ先輩は食べたものの感想を語彙が豊富とは言えないけれど率直かつ丁寧に伝えてくれるのでありがたい。祖母から習ったお菓子をそのまま出すことも多いが自分でアレンジしたものや思いついたものも偶に紛れ込ませているので、よい修行になっていた。


「タルトも果物新鮮で美味しい~! 旬の果物ってどうしてこう食べるだけで元気出るんだろう? あっでもね、でもね、果物だけが美味しいんじゃなくて、この絶妙な量入ってる甘さ控えめカスタードクリームが堪んないの! 果物の味を引き立てつつ、仄かな甘みのおかげでフルーツもどんどん食べ進められてしまう……悪魔のクリームだわこれ」

「先輩食べ物の前だとホントにキャラ変わりますよね」


 普段はもう少し緩くて気だるげな話し方なのに、何かを食べ始めると若干幼くなるというか、大人に話しかける幼女っぽくなるというか。本人は自覚が内容で「解せぬ」という顔をしているが、先ほど僕にニヤニヤ笑って「怠慢だ」と言い放った強そうな魔女はどこにもいない。くつくつ笑いを漏らしながら、自分もケーキを口に運んだ。……確かに、今日のフルーツタルトは大変良い出来だ。今まで作ってきた中で、祖母のつくるカスタードクリームに一番近い味がする。


「良くコンビニにあるなめらかプリンも好きだけど、こういう卵の味がしっかりするハードなプリンも良いよね……。なめらかプリンは気づくと空になってて食べた実感湧かなくてつい何個も食べちゃう」


 先輩はプリンを手前に引き寄せると、透明なグラスから見える濃い卵の色に目を輝かせた。これまで三品目は焼き菓子系の持ち運びができるものをメインにしていたけれど、夏の気配が近づいてきて暑くなってきたしな、と思い立って冷たくのど越しが良いものを作ってみたのは正解だったらしい。ついでに硬めプリンは単純に僕の好みだったので、それがうまく刺さったのも嬉しかった。


「これでプリンアラモード食べたいなぁ。果物とアイスが添えてあるやつ」

「まだプリン残ってるんで、明日出しましょうか? 果物はケーキの残りだけになりますけど」

「えっ、えっ、いいの? いいの?」

「ただし今日のお持ち帰りがなくなりますが」


 普段は、明日の「お八つの時間」までの場もたせとして取っておいたお菓子を渡しているのだが、明日一品増やすとなるとそれが無くなる。そう告げると、先輩はこの世の終わりのような顔をした。そのまま、まるで選択肢を間違えたら世界が滅ぶ、とでも言いたげな顔で悩みだしてしまったのでつい噴き出す。鋭い視線がこちらに向いた。


「なぁにが可笑しいのかね翔太君」

「いや、プリン一個でそんな深刻な顔するから、つい。冗談ですよ、お持ち帰りが三個から二個に減るだけです」

「先輩を揶揄うなんて…! そんな悪い子に育てた覚えありませんよ!」

「いや育てられてませんし、そもそも何キャラですかそれ」


 冗談だったことを暴露すると、軽くグーで殴られた。食事で上がったテンションのせいか普段よりも勢いのある振る舞いに、つい反射で突っ込みを入れてしまう。先輩はあまり気を悪くしていないようで、やや上機嫌に「私はいつでも慈愛の精神で八城後輩のことを見守っているのよ」と笑った。


「食欲に重きを置いた“自愛”の間違いでは」

「ああ言えばこう言う、可愛くない!」

「可愛いのは甘いものだけで十分です」


 ***


「ごちそうさまでした~! これで明日までもちそう、ありがとう」


 空になった皿の前で手を合わせ、先輩が満足そうに微笑む。それに僕は「お粗末様でした」と答えて席を立った。皿を下げようとすると、先輩が「待って待って」と止めてくる。


「写真撮ってあっぷするから」

「え、あれ本気だったんですか」

「あったり前じゃーん」


 言い出したの君でしょ? と首を傾げ、先輩はスマートフォンを取り出した。そうして、ピースサインを入れつつ食べかすやソースの残り一つない皿を撮影し始める。とりあえず邪魔をしないように、僕は自分の使っていた食器だけを流し台に運んだ。


「プリン持ち帰る分なんですけど、保冷材つけます? 寄り道とかするんだったらあったほうがいいかなって思うんですけど」

「まっすぐ帰るから大丈夫~!」


 その返事に頷いて冷蔵庫を開けると、先輩が「あ、そーだ」と僕の名前を呼んだ。


「はい?」

「プリンのお持ち帰り、さっき二個って言ってたけど、一個じゃない? 翔太君自分の分数えてなかったでしょ」

「え、あれ僕も食べる前提なんですか」

「そりゃそうでしょ」


 何を言っているんだ、というふうに先輩は心外そうな表情で顔をあげた。プリンアラモードが可愛くてテンションが上がるというのはわからなくもないが、自分はそれに浪漫を感じるわけではないので先輩の分だけ作ればよいかな、と思っていたのだ。


「翔太君のつくるものはなんだって美味しいけど、美味しいものはやっぱり人と一緒に食べてこそなのよ」


 ふふふ、これぞ世界の真理。そう言って胸を張る先輩に、十数分ぶりに改めて吹き出してしまう。ああもう、こういうところがあるから本当に、憎めないし毎日毎日いろんなものを食べてもらおうと頭と体が動いてしまうのだ。


 もともと彼女のカロリー不足を補うための「お八つ係」だというのに、自分の取り分が減るとわかっていて同じものを(量は違えど)食べることを優先してしまう。そして、食べるときにはいつだって真摯で、一口一口を味わって食べてくれる。


 なんだかんだと僕は、彼女のために何かを作るこの生活が気に入っているのだった。

 そう思うと確かに僕は、彼女という魔女の使う魔法に魅了されているのかもしれない。

 ――――さて、明日は何を仕込もうか。


読んでくださりありがとうございます。

評価や感想などいただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ほのぼのかわいいお話で好きです。 スイーツ食べたくなりました。プリンアラモード…… チャリに乗って空を飛び、ティーカッププードルを使い魔にする魔女のおばあちゃんも気になりますw 文章もとて…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ