03 聖女の魔法(1)~芽吹きの儀
ラエルティオス領の領主の館は広大だ。私の部屋から見える庭園も広大だと思っていたが、その向こうにもまだまだ敷地は広がっていたらしい。シンメトリーの庭園の向こうに広い道が横切っており、そこを道なりに進むと、屋敷と同じく石造りの白く美しい塔があった。窓には色鮮やかなステンドグラスが幾何学模様を形作っている。
厳かな雰囲気の聖堂の中、中央に敷かれたカーペットを進む。私の後ろをお父様とお母様が並んでついてきている。
今日は、待ちに待った芽吹きの儀だ。と言っても、領都の聖堂で行われる方の、だけれど。王都の大聖堂で行われる芽吹きの儀は、来週行われる。
ただ領都で行われるものとはいえ儀式は儀式であり、寧ろ私自身にとってはこちらが本番と言っても過言ではない。王都の芽吹きの儀はその他大勢の一人だが、領都の芽吹きの儀では私が主役なのだ。いつもとは違う固めの布で誂えられた儀式服が、きゅっと意識も引き締める。右足を一歩出しては左足を右足に揃え、右足を一歩出しては左足を右足に揃える。ただでさえ時の歩みを遅く感じる中、本当に一歩ずつしか進めないことに緊張の糸がはち切れそうだ。
カーペットの両脇には木でできた長椅子が何脚も並べられており、そこには多くの参列者が座っている。封主様や同じ封内の領主様たち、領内の地方長たち、そのご家族。そして一番前の長椅子には、十歳になったお兄様が座っている。
祭壇の前には、白い厚みのある生地に紫で刺繍や縁取りをされた裾の長い服をきた司教様が立っている。この世界ではティオテリマと呼ばれており、差し色が紫ということは最高位の役職についているはずだ。きっちりと絞められた詰襟は、やや年嵩のティオテリマにはきつそうでもある。しかしながら、聖職についているだけあって清廉さは損なわれていない。
そのすぐ手前の広い段で跪く。お父様たちもその更に一つ下の段で跪いたのが、空気の揺れでわかった。ここまで来てしまえば、少しは気が楽になる。ティオテリマの言葉を少し言い換えて返していくだけだ。
「命の神ゾーイアンプシィの輝きが其方を今日まで導いた」
「命の神ゾーイアンプシィの輝きが、わたくしを今日まで導きました」
自然な太陽の光が差し込むだけの薄暗かった聖堂の中、突然白い光に包まれた。跪いた姿勢はそのままに、閉じていても明るくなった瞼を思わず開く。
「火の神カフトカルケリーの輝きが其方を目覚めさせ」
「火の神カフトカルケリーの輝きがわたくしを目覚めさせ」
赤い光が身体の周りをぐるぐるとめぐる。
「土の神カーリフィノポロの輝きが其方の成長を支え」
「土の神カーリフィノポロの輝きがわたくしの成長を支え」
黄色い光が現れた。
「風の神ヒレモシモーナの輝きが其方の知性を育み」
「風の神ヒレモシモーナの輝きがわたくしの知性を育み」
つづいて緑の光が、
「水の神アニクセルキズモスの輝きが其方に健康を齎した」
「水の神アニクセルキズモスの輝きがわたくしに健康を齎してくださいました」
そして青い光がめぐる。
「全ての神に祈りと感謝を捧げよ」
「全ての神に祈りと感謝を捧げます」
私の周りをめぐっていた光たちが一つに収束し、ティオテリマの方へと飛んでいく。
「面をあげよ」
ティオテリマの指示に従って顔をあげると、多色の輝きを放つ水晶のようなものでできた立方体が目に入る。ティオテリマの前、舞台に敷かれた絨毯の中心で宙に浮いている。これも魔法だろうか。促されるまま舞台に上り、教えられていた通り再度跪いて立方体の下へと右手の甲を差し出す。
「ラエルティオス領 アリアナ・ラエルティオスに、神の祝福を」
浮いていた立方体が差し出した手の甲に吸い込まれ、一瞬の強い輝きを放った。手の甲を確認するとうっすらと文様が浮かび、それを起点として光の筋が全身を走った。痛みはなく、熱い何かが駆け巡っていく。
「アリアナは神々に歓迎された。私からも祝福を」
「過分なる祝福をいただき、心より感謝いたします」
手の甲の文様が消え、ティオテリマが指で空中に何かを記すと、その指先から光が漏れて私に降りかかった。光が降り注ぎ切ったのを確認し、静かに足を踏みかえて参列者へと顔を向け、また跪く。
「アリアナに、私からも祝福を」
お父様とお母様からもそれぞれ同じように祝福をいただき、続いて参列者からは一斉に祝福をいただく。全ての祝福が終わると今度はお父様とお母様が先に歩き、その後ろをついて聖堂から退出する。聖堂の扉が閉められたところで、ほっと一息つく。
「アリアナ、芽吹きの儀おめでとう」
「ありがとうございます、お父様、お母様」
とても美しかった、自慢の娘だとぎゅっと軽く抱きしめられ、頭を撫でられる。照れくさいけれど、やはり嬉しく思う。
「今日は忙しいと思うけど、頑張るんだよ」
「はい」
早々にお父様たちと別れ、リリーに連れられて馬車に乗る。屋敷の自室まで急ぎ戻れば、先に準備していたデイジーによってお召替えだ。
白地に誕生季の差し色なのは儀式服と変わらないが、スカートの揺れを抑えていた厚みのある裾の長い上掛けはウェストまでのボディスに、中に着ていた艶やかな素材の膨らみを抑えたロングワンピースはドレープを重ねたプリンセスラインのドレスに、真っ白な皮革を赤い紐で編み上げていたショートブーツは華奢な白い低めのヒールに変えられた。ドレスの素材が変わったからか、袖丈はそう変わらないはずなのに、腕を動かすと袖がよく揺れるようになり気になってしまう。料理を引っ掛けないように気を付けなくては。
ぴっちりと結上げられていた髪が下ろされ、緩く巻き直されて上半分だけ結上げられた。そして儀式の時は素顔だったが、今度は薄く化粧を施される。前世でも化粧の経験などほとんどなかったけれど、なんだか少し大人びた気分になる。
「お嬢様、大変お似合いです」
「……ありがとう。行ってくるわ」
リリーとデイジーから太鼓判を押され、初めて入るフィリコーの間へと向かう。ダンスホールのようになっている大広間らしい。使用人についてフィリコーの間の前まで行くと、お兄様が待っていてくれた。
「おめでとう、アリアナ。よく似合っているよ」
「ありがとうございます、お兄様」
相変わらず王子様スマイルがすばらしいお兄様にエスコートされ、控えていた使用人に扉を開けてもらう。華やかで明るい空気に気圧され初めての社交界に緊張を覚えるが、今日までにできることは全てやってきた。令嬢スマイルを張り付けて、自信をもって優雅に足を踏み出す。
あれ?そういえば、魔法ってもう使えるんだろうか。ふと疑問が頭を過った。
翌週、王都へと向かう馬車へと乗り込む。これから約一週間かけて大聖堂まで向かい、そこで芽吹きの儀を受けることでようやく魔法が使えるようになるという。先日の儀式で魔法を使えるようになったんじゃないかって、わくわくして寝れなかった一夜を返してほしい。あんな幻想的な儀式を体験してしまったら、勘違いしてしまってもしょうがないと思う。ほんと実感としては、少し体内の魔力のめぐりが良くなったような気がする、ぐらいだった。
ちなみに私が受けたような儀式は当然貴族階級の子どもだけで、平民の子どもは今朝から聖堂にて簡略化された儀式を順に受けているらしい。前々から両親がやけに忙しい時があると思っていたが、封内で行われる儀式に参加するために飛び回っている期間があるようだ。誕生週より早いのに儀式?と疑問に思っていたが、同じ年回りで同じ誕生季の貴族の子どもの儀式を行うために日程を調整して順に執り行うそうだ。必然的に三か月に一度、社交月間になってしまうということね、と一人納得する。
今回ラエルティオス領から出発する芽吹き年齢の子どもは、貴族階級だけだと数人しかいない。他領では血縁者が地方自治をしていることも珍しくないようだが、ラエルティオス領では立領時に有力者を貴族階級に引き立てて地方長職を与えたため、またその後も領主一族は他領との姻戚関係を重要視してきたため、領内の貴族との間に血縁関係は存在しない。領内に領主一族を残すことで軋轢を生んでしまわないように、というのもあると思う。私もそのうちどこかへお嫁に行く事になるんだろう。
……お嫁さんか。…………結婚かあ……!!
前世では大人になれば勝手にできると思っていたけど、今世では間違いなくできるね!だって公爵令嬢だし!美人(予定)だし!
とはいえ、やっぱり結婚するならある程度理想は高く……、そうだなあ……容姿……は、まあ良い方が良いけど、お兄様ぐらいカッコいいと生涯の伴侶としては気が引けるかも。身長はできれば高い方がいいかな!財力は……、まあないよりある方がいいよね。あ、でも自分磨きを続けていく事を考えたら、本当にある程度ないと無理かも……、とりあえず生活レベルが下がるのはあり得ない!つまり、公爵以上?封内だと、封主家かお隣の公爵家か~……年上でいい感じの子がいるといいな。あ、年齢は年上よね、やっぱ。包容力ありそうだし!お兄様でさえ可愛く感じてしまうんだもの、ある程度年上じゃないと!あとはあとは……筋肉も程よくついていてほしいし、折角の異世界なんだし魔法も使える方がいいわよね。それから性格は優しくて誠実で、もちろん頭も良くて……あ、子どもとか動物が好きな人だといいなあ~……。
まあそんな理想的な方がいるわけがない、とは思っている。ただ万が一のために、そんな方に見劣りしない令嬢となれるよう、努力は惜しまないけれど。
あーでもやっぱり私も頑張るんだし理想は追求したい……。封内に限らなければ可能性はあがるかな?そういえば本物の王子様はまだ見たことないわ。おいくつだったかしら?
「……ま!……お嬢様!」
「!?」
いろいろ贅沢な妄想をしてたら、デイジーに話しかけられているのに全然気づかなかった。先ほどまではリリーしかいなかったのだが、いつの間に乗っていたのだろう。馬車の扉はぴっしりと閉められ、デイジーが腰に手を当てて目の前に立っている。そんなデイジーを視界に収めてはいるものの、話を全く聞いていなかったので何を待たれているのかさっぱりわからない。板についた令嬢スマイルを張り付け、首を傾げる。と、はあ、と呆れたようにため息を吐かれた。
……昔に比べるとデイジーもだいぶ砕けてきたよね!良いけど!
「準備が整ったようです。馬車を出してもよろしいですか?」
「ええ、よろしくね」
デイジーが窓から声を掛け、馬車が出発する。既に家族との挨拶は済ませており、他の貴族の馬車や平民の乗合馬車が揃うのを待っていたのだ。一応爵位が一番上であろう私が多少待つことになるけれど、衆人の中を歩かせるよりも先に乗って待っていてくれた方が警備が楽なんだろうと私は思っている。
「お嬢様、また何か考え事ですか?お顔がニコニコされてましたよ」
「……ひみつです」
妄想は自由だしね。理想は高くもたないと!と内心思いつつ、にっこり微笑む。あら~お嬢様もそんな年齢になりましたか、寂しいです、と言いつつによによするリリーと、やや眉を顰めるデイジーを横目に、流れる景色を何とはなしに追う。
「そういえばデイジー、最近どう?」
「順調です。芽吹きの儀を迎えられることで、お嬢様も今までより動きやすくなるかと思います」
「王都から帰るまで二週間ほどかかるけれど、問題はなさそうなのよね?」
「ええ、炊き出しの方もきちんと任せられる人間を置いてきています」
「そう、ありがとう」
三歳の時から立てていた計画に、遂に追い付いてきた。これからが踏ん張りどころだ。
王都に辿り着いたとき、生を実感した。五歳児にこの旅路はきついんじゃなかろうか。王都じゃないと儀式上げられないとか断固抗議したい切実に。それか誰か飛行機とか開発して。転移魔法でもいいよ。
馬車での一日目はまだ良かった。港町で一泊してからの、慣れない船での二泊が響いた……。そこからは食欲の湧かない身体で辛うじて水だけは摂取し、常にはないぐらい静かに過ごした。道中の暇つぶしのために、とで本を持ってきていたけれど、無意味だったことが悔やまれる。重かったのに申し訳ない……。
馬車の外から聞こえる喧噪を横目に、王都にある別宅へと直行した。折角のお祭りだが、参加できる気がしない。
「お嬢様、水をお持ちしました」
「ありがとう……」
あーポカリが飲みたい……。塩と砂糖入れればそれっぽくなるかな?
デイジーに頼んだら、静かに寝ていてくださいませ、と冷気を出しながら言われたので、リリーに頼む。疑問符を浮かべながらも聞いてくれるリリー、まじ癒し。
持ってきてもらった塩と砂糖を適当に水に溶かし、ひとくち飲む。まずかった。
「お嬢様、ご夕食のお時間ですが……」
「……悪いのだけれど、食べられそうにないの。今日はこのまま寝るわ」
料理は明日の朝食に回してくれて良いから、と声を掛け、いつもより軽く汗を流しただけで再度ベッドに入る。王都が初めてなので当然別宅も初めてだが、リネンは領と同じものを使ってくれているようだ。久しぶりの慣れ親しんだ寝心地に、意識はすっと落ちていった。
すみません、初魔法までたどり着きませんでした…!
初魔法は次です。