02 三歳と異世界(5)~できること
差し出口申しました、申し訳ございません、と続いたデイジーの言葉に力なく許しを与え、身が入らないまま午前の勉強を始めた。
前世の知識もあるし、私ならなんとかできると思ったのに。
寧ろ私にしかなんとかできないと思ったのに……、頑張って今世の事も勉強しているのに!
頭がぐちゃぐちゃだ。
気が付けば既にリリーに交代していて、昼食の時間になっていた。今日に限ってお兄様もおらず、一人で黙々と昼食を食べ進めた。部屋に戻っても最近いつもやっていた魔力を探す練習をする気にもなれず、パラパラとまだ読めない単語も多い本を読み進めていると、お兄様付きの使用人から先触れがあった。
「っお兄様!」
思わず駆け寄って、お兄様に抱き着く。あまりそう言ったコミュニケーションは取ってきていなかったが、空気を読んでくれたのかお兄様は脇の下から私を抱き上げ、優しく抱っこしてくれた。
「アリアナ、どうした?」
甘いとろけそうな笑顔に、ふにゃりと自分の顔が歪んだのがわかった。とめどなく涙が零れ落ち、お兄様の首に腕を回してぎゅーっと肩に顔を押し付ける。
「~っ、自分が、情けなくて……、」
ぎゅっと抱きしめて、ぽんぽん、と背中を優しく叩いてくれるお兄様に安心感が広がる。
思い上がりだったのだ。
前世の記憶から孤児を可哀想と思ってしまったが、今世の常識では通じるものではなかった。前世の記憶がある私なら改善できると思ったけど、常識を擦り合わせずに説得できるはずもなかった。前世の記憶があるから自分は子どもじゃないような気がしていたけれど、まだ芽吹きの儀を受けていない私は、公には存在しない存在だった。
わかっていたはずなのに。
「がんばっても、アリアナは、何もできませんでした……」
「……大丈夫だよ。まだ三歳なんだし、できないことがあって当たり前だろ」
「でもっ、……できると、思ったのです」
抱っこしたままゆっくりと長いソファに移動したお兄様は、腰かけると腕を弛めて私を膝に乗せた。私はお兄様に情けない顔を見せたくなくて、肩口にぐっと顔を押し付ける。
「そっか……アリアナは、悔しかったのか?」
「っ……はい、」
はしたないとわかってはいるが、ずびずびっと鼻をすする。
「うーん……本当に……、何もできない?僕はちゃんと聞いたことがなかったと思うんだけど、何をしたかったんだ?」
「今の、わたくしでは……っ」
孤児院を作りたかったけれど、私では何もかもが足りていなかったことを、途切れ途切れにお兄様に伝える。お兄様は、うん、うん、と相槌を打ちながら最後まで聞いてくれた。
「アリアナはどうして孤児院を作りたかったんだ?」
「どうしてって……、路地裏に蹲る小さい子どもを見て、可哀想だったから」
突然の根本的な質問に、思わず涙が止まって肩から顔を上げお兄様の顔を見ると、普段の勝気な笑顔は鳴りを潜め、ゆったりとほほ笑んでいた。安心して続きを紡ぐ。
「それに、これから寒くなるのに、お外で過ごすのは辛いでしょう?お腹も空かせているかもしれないわ」
「じゃあ、家がない子どもが冬の間過ごせる場所とご飯があればいいのか?」
「それだけじゃ足りないわ。お洋服ももっと温かそうなものを着るべきだし、風の季が終わってもきちんと生活できるようにならなくてはいけないわ」
「うーん……アリアナ、全部を今やるのは難しいよ」
お兄様も同じことを言うの、と、止まっていた涙が再び溢れそうになる。
「アリアナ、泣くなよ……。少しずつ、整えていけば良いんだって」
「……少しずつ?」
「そう。今すぐ全部やろうとするから、できないんだ」
その言葉にはっとした。なんでもできる気がしていたが、その通りだ。私には、足りない物が多すぎる。
「できるところから、少しずつ……」
「もちろん全てを解決できるならそれに越したことはないだろうけど、それを考えるのはお父様たちだよ」
私が落ち着いたのを見てか、お兄様はきょろ、と視線を巡らせた。ところで、ベラは?と続いた言葉に、涙が引っ込んでつい笑ってしまった。
あれから少し気持ちを落ち着けて、考えをまとめた。いずれにせよ私一人でできることには限界があり、お父様に協力を求める必要がある。
デイジーにもまた相談した。もちろん全てをカバーできているわけではないだろうけど、お父様にお話しを通すうえでデイジーの後押しのアリとナシでは安心感が違う。
「お父様、ご挨拶の前に少しだけお話しよろしいでしょうか?お願いがあるのです」
マテの日、久しぶりにお父様とご一緒できた貴重な夕食の時間が終わった。お父様とお母様におやすみの挨拶をする僅かな時間に、座るお父様の傍に立って話を切り出す。膝に乗せようと伸ばされたお父様の腕をやんわりと断り、表情を引き締めて見上げる。
「どうしたんだい?改まって」
孤児の存在を知ったこと、どうにかして助けたいこと。内政を侵してしまう可能性。お兄様に相談したこと。
「今すぐには難しいってわかっています」
風の季の間だけでも定期的な炊き出しをやってみたいこと。今年は私が譲り受けた個人的な資産から費用を捻出し、領政とは関りがないと体外的にもきちんと示すこと。できれば雨風が凌げる程度の小屋を建てたいこと。将来的には孤児などを保護する施設を作りたいこと。
お父様は、こげ茶色の整った眉を寄せて顎に指を当てて思案している。きっといろいろと難しいことを考えているに違いない。
「……一人でやるのかい?」
お兄様も、っていうことかしら?
でも成功するかどうかなんてわからない。失敗したら名前に傷がつくし……、嫡子に危ない橋を渡らせるわけにはいかないだろう。嫡子がお父様に反抗しているように見られても困るし、施しや同情と嫌悪して反感を持つ領民や、なぜ自分は助けてくれないのかと逆恨みする領民も出てこないとは限らない。お父様も承知しているはず。
お兄様にその器がないというわけではない。実行したいのは私だ。責をお兄様に負わせるわけにはいかない。
「ええ、そのつもりです」
「……わかった、やってみるといい」
「!ありがとうございます!」
「ただし、きちんと身の安全を確保すること。それから、途中でも無理だと思ったら言いなさい」
ぱっとお兄様を振り返ろうとした私に、お父様から声がかかる。もし失敗しても、後始末はなんとかつけてくれるということだろう。
「……なんとかできるように頑張りますわ」
こみ上げる喜びを隠さず、改めてお礼とおやすみの挨拶を述べて自室へと戻った。お母様の表情が硬かったような気がするが、挨拶はいつも通りだったので大丈夫だと思いたい。
……体調でも悪かったのかな?それとも心配性なだけ?
ダイニングルームを出たところでお兄様とおやすみの挨拶を終える。お兄様はいつもの微笑みを浮かべ、良かったな、と私の頭を軽く叩いて部屋へと戻っていった。
それからは怒涛の日々だった。
炊き出しをするに当たっての全体の流れを決めたり、材料調達に調理人や配膳係を手配したり、食器をどうするか決めたり。この世界には前世で言う便利屋のような仕事が一律エルガーディと呼ばれて職業として確立しており、エルガーディのギルドを通して依頼を出すことができた。ちなみに建物の建設は許可が下りなかったので、諸々考えて永続的なカイロのようなものを無料で配布することにした。
そして遂に、炊き出し初日。
少し早く着いてしまったかしら、とリリーと話しながら、馬車のカーテンの隙間から外を窺う。南東の舗装されていない道にある広場にテントや簡易テーブルが設置され、調理道具や食材の準備が進められている。炊き出し会場の設営のために人が増えていることもあるのか、以前見た時よりもかなり活気付いているようだ。
外に出てはいけないと厳しく言われているため見ていることしかできないが、気分が上昇してしまう。一緒になって作業したくなるが、ぐっと我慢する。
私の代理として、2時間ほど早く出発したデイジーを探す。
いたいた!うう……なんだかたくさんの人と話していて楽しそうだわ……。私も入れないかしら……、うらやましい……!
うずうずとしながら見つめていたら視線に気が付いたのか、デイジーが振り返ってこちらに寄ってきた。馬車に招き入れ、朝早くからの仕事を労う。
「ごめんなさいね、お仕事の邪魔をしてしまったかしら……?」
「いえ、準備はもうほとんどできております。告知したからでしょう、食事に困る者たちも集まってきています。予定の時間になったら、ご挨拶をお願いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろんです。それで……、どうですか?」
単純に炊き出しを行うだけではなく、今後のために下町事情や孤児事情を把握したいと思い、デイジーにこっそりお願いしている。
「生活困窮者が意外と多いです。職は一応あるようなのですが、元締めに多く持ってかれているのか……。また、孤児らしき子どもはまだ見つけられていませんが、親がいるのに放置されている子どもはそこそこいるようです」
「そう……、ただでさえ忙しいのに、大変なこと引き受けてくれてありがとう」
「とんでもございません。お手伝い出来て嬉しく思っております」
「引き続きよろしくお願いしますね」
デイジーは、にっこり笑って請け負ってくれた。そして炊き出しの開始時間になったら呼びに来ると言い、退出の挨拶をして馬車を降りていった。責任者として立ち回ってくれている以上、やはりいろいろとあるのだろう。
私の挨拶まであと数分だろうか。自らの食器を持った人たちが、誘導に従って並び始めた。炊き出しで配布する器はやや小ぶりで使い捨てのものにすると周知してあるため、土魔法などで器を自作してでも持参してくる人が多い。
……いろいろな人がいる。
当然並んでいるのは子どもだけじゃない。その親と思しき人もいるし、足を引きずっている人もいれば、がりがりにやせ細った人もいる。
護衛にぐるっと囲まれた馬車を避けるように人が集まり、こちらを極力見ないようにしているのが伝わってくる。そんなに悪い領情勢じゃないと思っていたけれど……やっぱり一方向からでは見えない何かがあるのだろう。
「お嬢様、ご挨拶をお願いします」
リリーに開けてもらい、護衛に挟まれ、デイジーにエスコートしてもらいながら炊き出しする場所まで歩を進める。緊張から手汗もすごいし、正直震えが止まらない。
大丈夫、大丈夫……。私は、公爵令嬢。笑え……!
すぅ、と前を見つめる。やっと板についてきた令嬢スマイルを自然に浮かべる。ゆっくりと辺りを見回すと、目線を送ったところから波が凪いでいくように静かになっていく。
……!?なんで!??あんまり静かだと緊張するんですけど……!
リリーとデイジーの言った通りにしたんだけどなあと思いながら、貴族言葉に翻訳してもらった挨拶をする。
「土の神カーリフィノポロの恵みに感謝の祈りを捧げます。……風の神ヒレモシモーナのお導き、嬉しく思います。ラエルティオス領 第二子アリアナでございます」
おそらく小さい私はほとんどの人から見えていないだろう。でも声は、事前に渡された小さいマイクみたいな拡声器で広場全体に届いている、はず。
「先日、火の神カフトカルケリーのご啓示がありました。本日は、わたくしの願いを聞き届けていただき感謝いたします。火の神カフトカルケリーと土の神カーリフィノポロのご加護のおかげで、御覧の通り皆様に命の神ゾーイアンプシィのお導きを用意できました。皆様に水の神アニクセルキズモスのお導きが共にありますように」
つい、と周りを見回す。
……うん、通じてないね!
周囲の人たちのポカンとした顔が目に入る。でもデイジーやリリーは平然としているし、間違っているわけではない、はず。今から平易な言葉に言い換えるのは戸惑われる。
ニコリ、と意識して笑みを深めて、最後の言葉を投げる。
「今日も命の神ゾーイアンプシィのお導きに感謝を」
今度はリリーのエスコートで馬車まで戻り、デイジーはその場に残って配膳を始めた。本当は私もあの場にいたいけれど、きっと緊張させて炊き出しどころじゃなくなってしまう。馬車から炊き出しが始まるところだけ見届けて、護衛と共に屋敷へと戻った。
これから定期的に行われる炊き出しでお忍びできるタイミングがあるように、こっそり火の神カフトカルケリーに願っておく。
屋敷に戻ると、お兄様が出迎えてくれた。まだこれからのことはわからないけれど、と炊き出しを始めた様子を伝えながら、一緒にダイニングルームに向かう。今日はマテの日だから、お父様もお母様もいるかもしれない。わくわくしながら向かったが開けた先にはまだ誰もおらず、お兄様とそれぞれいつもの席に座ると、すぐに昼食が運び込まれてきた。どうやら今日はお二人とも忙しいようだ。
最近お母様との遭遇率も下がってきたことにしょんぼりしつつ、変わらず美味しい食事をお兄様といただく。
次のお話しでは少し成長して、魔法の練習に入る予定です。