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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
8/34

Got To Survive

『Survive…生き残る』

 

 

日の光。

 

昨日までの雨はやんでいる。

 

「ふわぁぁ…」

 

質素な木製の一軒家のベランダで大きな欠伸をしながら、ドープマンは目をこすった。

 

「気持ちのイイ朝だ」

 

シュボッ。

 

口にくわえた円筒状の紙に火をつける。

 

それはタバコではなくジョイント。つまりマリファナだ。

 

 

「ハニー!朝食が出来たわよ!」

 

「…分かった!今…行く…から!」

 

家の中から若い女性の声がする。

ドープマンはクラクラとした感覚を楽しみながら応えた。

 

「…ハニー?」

 

再びドープマンに呼び掛けながら、その女性はベランダまでやってきた。

 

若い。短いボブカットにした髪をキャラメル色に染め、パッチリした大きな目はノーメイクでも充分魅力がある。

 

ドープマンのガールフレンドであるクリスティーナだ。

 

彼女は外を見ながらハッパをふかしている彼の後ろに立ち、車椅子のグリップに手をかけた。

 

「部屋に入ろうね。押すよ」

 

そう。

 

ドープマンは足が不自由で、車椅子で生活をしている。


 

食卓には、クリスティーナによって作られた朝食が用意してあった。

 

ミルクをたっぷりかけたチョコフレーク、こんがりとイイにおいのするベーコンエッグ、大きなサラダボウルの中にホウレンソウのサラダ、そしてカップに注がれた一杯のコーヒー。

 

正方形のテーブルには青と黒のチェック柄のクロスが敷かれていて、椅子が一つだけテーブルの側にある。

 

その椅子からテーブルを挟んだ対面へとドープマンを移動させ、クリスティーナは席についた。

 

そして今まさに、食事を取ろうとしていた矢先。

 

 

ガンガン!

 

玄関のドアをノックする音が響いた。

 

「あら、こんな朝からお客さん?」

 

「誰だろう?」

 

「アタシが出るよ。先に食べててイイから」

 

彼女は立ち上がると、ドープマンの頬に軽くキスをして玄関へと向かった。

 

 

言われた通り、クリスティーナよりも一足先に食事を始めるドープマン。

 

「…またアンタ達なの!帰ってちょうだい!」

 

「よう、ドープ!いるんだろう!」

 

玄関からは、クリスティーナと客人らしき誰かの声。


「彼はいないわ!もしいたとしてもアンタ達とは会わない!」

 

「何を勝手な事言ってるんだ、クリスティーナ!おい、ドープ!出て来いよ!」

 

 

しびれをきらしたドープマンは、車椅子で玄関先へと向かった。

 

「俺ならいないぞ!」

 

 

意味不明な言葉を放った彼のせいで、一瞬その場は静まった。

 

「え…」

 

振り返るクリスティーナ。

 

「ドープ!いるじゃねぇか!

ジョークのつもりなら笑えないぜ」

 

客人は二人。

 

一人は黒のタンクトップを身に着けている筋肉質の男。

もう一人はディッキーズ製のツナギを着た、でっぷりと太った男。

 

そして彼等は共通して、頭に青いバンダナを結んでいた。

 

クリスティーナと話していたのはタンクトップの男の方だ。

 

「だからいないって!」

 

「はぁ?何をガキみたいな事を言ってやがる!

目の前にいるじゃねぇかよ!」

 

「もういいでしょう!とにかくハニーは、アンタ達とは付き合わないんだよ!」

 

ドープマンはこのギャングスタ達…つまりクリップス達と繋がりがあるようだが、クリスティーナはそれを断ち切りたいらしい。


「よう、ドープ。調子はどうだ?」

 

太った男の方が口を開いた。

 

「絶好調だよ。お前達が帰ってくれれば」

 

「そう言うなよ。本当にお前は変わり者だな」

 

「本人も言ってるでしょう!早く帰ってちょうだい!」

 

クリスティーナが金切声を上げている。

 

「クリスティーナ!俺達はコイツと話してるんだよ!少し黙っててくれ!」

 

「勝手に訪ねてきておいて何て言い草だい!」

 

しかし、男は彼女を無視して続ける。

 

「おい…ドープ、面白い事になってきたんだ。

ちょっと付き合えよ、ニガー」

 

「何が面白いんだ?」

 

「それを話しちゃ面白くないだろう」

 

「んー…まぁ。ちょっと待て」

 

ドープマンは一度、部屋の奥へと引っ込んだ。

 

「え?ハニー?」

 

クリスティーナが不安そうな表情になる。

 

すぐに戻ってきたドープマンは青色のロサンゼルス・ドジャースのベースボールキャップを被り、さらにドジャースのベースボールジャージを上着として着ていた。

まるで熱狂的なドジャースファンだ。


そして、両膝のジーンズの上にはチョコンとバージニアコーラの缶が置いてあった。

 

彼は出掛ける際、必ず飲み物を持参するのだ。

 

「ハニー!出掛けるの!?ダメ!」

 

クリスティーナが車椅子のグリップを握って彼を止める。

 

「そう言うなよ、ベイビー。

面白い事があるらしいんだ。君も一緒に来るかい?」

 

「嫌よ!ダグ!リッキー!

アンタ達、どうしていつも彼を誘いに来るのかしら!」

 

怒りを露にして、クリスティーナがまくし立てる。

 

「彼はもう悪さはしない!見なさい!

誰のせいで彼は歩けなくなったと思ってるの!」

 

「悪さなんかしないっての!

それから、ドープがケガをしたのは誰のせいでも無い!」

 

筋肉質の男が反論する。

彼が『リッキー』だ。

 

プシュ!

 

「…ん、ん。うまっ」

 

「…」

 

ドープマンは、他人事だとでも言うように、コーラを飲み始めた。

 

「行こうか、ドープ?」

 

「うん。お前ら、車かい?もしそうなら、乗せてくれ」

 

 

ドープマン。

 

コンプトン市内に存在する、『チェスター・クリップ』を立ち上げた男。


 

外で彼等を待っていた車は、鮮やかなスカイブルーに塗装された1961年式のシボレー・インパラ・コンバーチブルだった。

 

これはリッキーの車だ。

なかなか手が込んでいて、クラシックな車であるにも関わらずキレイに保たれている。

 

エンジンは回ったまま。

車体が後ろに傾いている。

ハイドロで改造が施されているのだろう。

 

「ドープ、この車椅子は折りたためるやつか?」

 

「うん。頼むよ、ダグ」

 

ドープマンは腕を使って、オープンになっているその屋根から後部座席にすべり込む。

 

「えーと…ここのロックをこうして…」

 

ダグは悪戦苦闘しながら車椅子をたたんでいる。

 

リッキーは運転席のドアを開けて、ハイドロのスイッチを打った。

 

キュン!とモーターが回る音。

極端に下がって地面に着地していた車体の後部がグラリと揺らいで持ち上がり、車体は真直ぐな状態になった。

 

ハイドロは、このように車高を変えたり、車体を跳ねさせて遊ぶ為に使われる。

こういった車、もしくはそれらを操る人間の事をローライダーと呼ぶ。


ニューヨークではなかなか見れないものだが、ロサンゼルスには結構な数のローライダーが存在している。

 

 

「よし」

 

ダグが車椅子をようやくドープマンの横に放り込み、自らは助手席に座った。

 

リッキーが車を出す。

 

「どこに向かうんだい?」

 

「そう遠くないぜ」

 

ドープマンの問い掛けに応えたのはダグだ。

 

大きな体。頭と同じくらいの太さがある首には、犬をつなぐ鎖ほど頑丈そうな金ぴかのチェーンネックレスが下がっている。

 

かなり高価なものに違いない。

 

「着いたぞ」

 

車が止まったのはチェスター・クリップのメンバーである人間の家の前だった。

 

「ははん?ドミノでもやろうって言うんだろう?」

 

「残念!ダグ、車椅子を」

 

「おうよ」

 

二人は先に車から降りて車椅子を組み、ドープマンはそれに乗り移った。

 

ダグが押す。

 

ガンガン!

 

「ヘイ!ドープを連れてきたぜ、ニガー!

扉を開けてくれ!」


 

ガチャ。

 

「よう。来たか、ドープ。入りな」

 

扉を開けたのは、若い男。

低い背と幼い顔。

 

しかしそれでも頭には青色のバンダナが結ばれていて、この男がクリップスのメンバーである事は分かる。

 

「よ、マイケル。元気そうだね」

 

ドープマンが『ハンドサイン』と呼ばれる手を使った挨拶を彼に示しながら話した。

 

ハンドサインは傍からは手話のようにも見えるが、アメリカ西海岸ではギャングスタや若者の間で広く親しまれている挨拶だ。

手を使い、様々な形でアルファベットや数字を表す事が出来る。

 

「ま、元気さ。とにかく入りな」

 

マイケルがハンドサインをドープマンに返しながら三人を家の中へと招入れる。

 

幼いマイケルは14歳。

 

しかし、れっきとしたチェスター・クリップのメンバーだ。

 

 

一般的に、この辺りでギャングのメンバーになる条件は二つ。

 

一つは、仲間になる際の暴行に耐え抜く事。

これは、その人間の肉体的、精神的強さを試す…言わば『儀式』だ。

 

もう一つは、年齢が14歳以上である事。

 

…たったそれだけだ。


 

通された部屋には、チェスター・クリップのメンバー達が数人集まっていた。

 

部屋の中央に、見知らぬ人物がうずくまっている。

 

服はボロボロで、手荷物などは一切持っていない。

 

メンバー達が襲った一般人の成れの果てだろうか。

ドープマンはそう感じたが、その人間がピクリと動いたのでまだ息がある事が分かった。

 

「…うぅ」

 

うめきながら持ち上がった顔は、重度の火傷を負ったかのようにただれていた。

 

「なんだ?大丈夫なのか、この人?」

 

ドープマンがジッと見つめると、なんとその男は睨み返してきた。

 

開いているのは独眼。

しかし、凄まじい威圧感がある。

 

「ドープ。いつもみたいに通行人から金を巻き上げてとんずらしようとしたらよ…まぁ、それがたまたまこの男だったんだが。

コイツが…」

 

リッキーが口を開く。

 

「ちょっと待って、リッキー。

この人、普通じゃない」

 

「は?そりゃ、その気味が悪いツラを見れば」

 

「違う!どこの誰だか分からないけど、一番敵に回したくないタイプだ」

 

ドープマンは両手で自分の肩を抱いて、ブルッと震えて見せた。


「それより…痛めつけるくらいなら、なぜ一思いに殺さなかったんだい?

それが面白い事だとでも?人をいじめるのは、見ていて気持ちがよくないんだけど」

 

身震いしておきながら、恐ろしい事をサラッと言ってのけるドープマン。

 

「だから殺そうとしたのさ!」

 

「そしたら、コイツがデカイ金の話がどうとか…」

 

メンバー達が口々に言った。

 

ドープマンと男は、互いに目線を合わせたままだ。

 

「…アンタが…このギャング達の頭か?」

 

男が声を絞り出す。

体中が痛むのだろう。

 

「違うよ。俺はドープマンだ。よろしく」

 

「…くっ!なめた奴だ!俺はリーダーと話をさせろと言ったはずだぞ、使えないクズが!」

 

男はおそらくリッキー達に激怒した。

 

「おーい、お兄さん。ウチのセットにはリーダーもプレジデントもいないよ」

 

ドープマンが言う。

彼は時々、子供のような口調でしゃべる。

 

セットとは、ギャングの集まりの事で、『チェスター・クリップ』というのが彼等のセット名だ。


罵られたリッキーが男の腹を蹴り上げる。

 

「コイツ…くたばれ!」

 

「がはっ!」

 

「やめなよ、リッキー」

 

ドープマンは少しイラつきながら言った。

 

リッキーが舌打ちをしてドープマンの後ろにつく。

 

「ごめんね」

 

「ぐ…どういう事…だ…?」

 

「何が?」

 

「頭がいないんじゃ、俺の話を誰に通せばイイ…」

 

吐血している。苦しそうだ。

 

「俺がきくよ。リーダーじゃなくとも、俺が作ったセットなんでね。

…ウチは自由がモットー。上も下もいらない。みんなで騒げれば、それでイイのさ」

 

「…」

 

「アンタ、賢そうだ。

ウチの連中を相手によく生き延びたね。バカにでも分かる面白い話なんだろうか?」

 

ドープマンは車椅子を自らこいで、男に近付いた。

 

「お兄さん。名前は?」

 

「…アイス・キャンディ」

 

「通り名かい?イケてるね。

俺はドープマン。みんなはドープって呼ぶ。意味は分かるよね?」

 

ドープマンはニコリと笑った。

 

「ヤバい…男か」

 

「そ。アンタもそうだろ?

死線をくぐったのは一度や二度じゃないはずだ」

 

しかし、彼の瞳だけは笑っていない。


「ふん…お前に俺の何が分かる…?」

 

「何も」

 

とぼけた返事をしながら、ごそごそとジーンズのポケットをあさるドープマン。

 

小銭を何枚かひっつかむと、真後ろにいたリッキーにそれを渡した。

 

「ん?なんだこれは、ドープ」

 

「コーラ。買ってきて欲しいんだ。

すぐそこにヒゲ親父の酒屋があるだろう?」

 

「何!?マイクのおっさんの店か!?…ったく、自分で行けよ…」

 

ブツブツと文句をたれながら、リッキーは部屋から出て行った。

 

彼等は同じ地域に固まって生活していて、この周辺は彼等の庭のようなものだ。

 

 

町の中では富裕層、貧困層と住む地域がキレイに分かれている。

 

チェスター・クリップのようなギャング達が生活しているのはもちろん比較的貧困で治安が悪い地域だ。

 

特にこのコンプトン市は広いロサンゼルス…いや、カリフォルニア州全域で考えても、最も治安が悪い街。

市全体に貧しい人々が住んでいる為、クリップスやブラッズと呼ばれるカラーギャング達が点在する激戦区だ。


 

リッキーが帰ってきて、バージニアコーラをドープマンに手渡した。

 

「ありがとう」

 

プシュ!

 

早速、缶をあける。

 

「…ん。そんじゃ、デカイ金の話だっけ?それをお聞かせ願おうかな」

 

「まずは謝罪が先だろう…!情報や手段を与える人間に対しての仕打ちがおかしいんじゃないか?

持ち物を返して、薬と服を用意してもらおうか」

 

「血の気が多いバカだらけなのさ。ごめんね。

アンタ、この辺の育ちじゃないね?」

 

要求への返答はなく、逆に質問された。

 

「ニューヨークだ」

 

「へぇ」

 

「おい…!今、俺が言った事くらい出来ないのか!」

 

ふらふらとキャンディは立ち上がった。

 

「お兄さん…俺達は貧乏人なのさ。アンタの持ち物はどこにあるのかなんてもう分からないし、買ってやる事も出来ない。

ビジネスマンを相手に対等な状況で仕事をやるつもりならお門違いだよ」

 

「チッ…クソが」

 

「でもさ。そんな連中って、金が絡むと平気で命を捨てるんだよね」

 

ドープマンは空になった缶を右手で握りつぶした。

 

「聞かせてよ。俺達はアンタにとって必要な力となるはずだ」


 

 

数日後。

 

 

さんさんと輝く太陽の下、バンダナを頭に巻いて堂々とストリートを歩いている二人のクリップス。

 

ダグとリッキーだ。

 

彼等の目の前に一台の車が停車した。

 

ご機嫌なヒップホップが、開いた窓からわずかにこぼれている。

 

「リッキー、ありゃレモンじゃないか?」

 

「お!間違いないな。

おい、レモン!調子はどうだ!」

 

窓に手をかけて、二人はドライバーに話し掛けた。

 

「あん?よう、リッキー!それにダグ!

あと、その変なあだ名で俺を呼ぶな!」

 

肩まであるドレッドヘアーを振り乱しながら、レモンと呼ばれた男は怒った。

 

 

バタン。

 

「兄さん、ちょいと駅前までいいかい?」

 

 

突然、見知らぬ老婆がレモンの愛車の後部座席に乗り込んできた。

 

「ぷっ…!」

 

「ガハハ!おい、送ってやれよ、レモン!」

 

リッキーとダグがバンバンと車を叩きながら笑い始める。

 

「うるせえ!おい、婆さん!

俺の愛車はタクシーじゃねぇんだよ!降りやがれ!」

 

レモンの愛車。

 

それは、レモンのように真っ黄色なクラウン・ビクトリアだ。


 

「ったく…どうしてこうもタクシーと間違えて、知らない人間が乗ってくるのかねぇ!」

 

老婆を追い出したレモンは苛立って首を横に振った。

 

「それ、本気で言ってるのか?もしそうなら頭が悪すぎるだろう、レモン」

 

ダグは呆れ返っている。

 

「本気も本気だよ!何が言いたいんだ、ニガー!

…と。それから俺はスティーブだ!レモンなんか嫌いだ、バーカ!」

 

「ほんっとにバカだな、レモン。黄色のクラウン・ビクトリアだぞ?

どう見てもタクシーにしか見えないだろう!ていうかむしろこのままタクシーで稼げよ!」

 

リッキーが笑いながら言った。

 

「誰がタクシードライバーなんかやるか!

このボディペイントは俺のこだわりの黄色だ!タクシーの、突貫で塗ったような目障りな黄色と一緒にするなよ!

それと、その変なあだ名で呼ぶなと言ってるだろうが!ぶっ飛ばすぞ、マザーファッカー!」

 

「はいはい、悪かったよ」

 

リッキーが両手を上げる。

 

「ふん…二度と俺をバカに…

あ、おい!じいさん!ドアを開けるな!コイツはタクシーじゃねぇぞコラ!」

 

別の客が現れ、リッキー達は再びゲラゲラと笑うハメになった。


 

「それで、調子は?」

 

「いくつかにしぼれてる」

 

「へぇー。そりゃよかったな。派手な祭になりそうだ。俺には関係無いけどよ!」

 

レモンの質問にダグが応えると、彼はシートを倒して両足をハンドルの上にのせた。

 

「はぁ?お前にも関係あるだろうが!」

 

リッキーが言った。

 

「ねぇよ!俺はチェスター・クリップじゃねぇんだからな!」

 

レモンは、ギャングのメンバーでは無いらしい。

 

ダグが返す。

 

「何言ってんだ。メンバーかどうかは問題じゃない。アイス・キャンディに会っただろう?」

 

「あぁ。何日か前、ドープに紹介されたよ。

何者だ、アイツは?とんでもねぇ話をドープに持ち掛けやがって!」

 

「俺もよく知らないんだが、ドープは気に入ってる。

お前のスキルが必要なんだと」

 

「それも聞いた!だが俺は乗らねぇ!

他を当たってもらうように返事したんだ」

 

「俺達からも頼むよ。お前よりも上手く車を転がせる奴は一人も知らない」

 

ダグは車のルーフを軽く叩いた。


「当たり前だ!俺に勝てる奴なんていない!

でも俺は話に乗らないっての!

…だったら俺の次か、その次くらいの腕を持ってる奴を探せばイイだろう」

 

「仕方ないな…そういう連中にはどこに行けば会える?」

 

リッキーがきく。

 

「今夜」

 

「今夜?どこで?」

 

「ふん!駅前だよ!知ってるだろう!?」

 

常識だとでも言いたいのか、レモンは鼻を鳴らした。

 

「あー…あの公道レースか?時々やってるみたいだが、今夜なんだな」

 

リッキーはレモンの言った事を理解出来たようだ。

 

「お前も出るのか、レモン?」

 

「もちろんだ!賞金は俺が全部かっさらってやるつもりだからな!

新しいスーパーチャージャーを…おい、ダグ!!このクソったれめ!」

 

「あん?なんだ、ニガー」

 

「その変なあだ名で呼ぶな!俺はスティーブだ!」

 

レモンは座席の角度を元に戻して、ギアを入れた。

 

「なんだ、用も済まさず帰るのか?

だいたいお前は、何でここに来たんだ?」

 

「何となくブラブラしてたんだよ!

今夜、駅前…12時スタートだ」

 

 

去っていくレモンの車。

後部座席には、一人の老婆が乗っているのが見えた。


 

 

「なるほど!それは面白そうだね!

キャンディ、お前も来いよ。一緒に見に行こう」

 

家で、リッキーとダグからレースの話を聞かされたドープマンは、横にいるキャンディを誘った。

 

ここ数日の間に、ドープマンとアイス・キャンディはかなり仲を深めているようだ。

 

 

クリスティーナが不機嫌そうに台所でガチャガチャと皿を洗う音がする。

 

彼女からすれば、恋人がギャングの連中と行動する事も、いつの間にか部屋に転がり込んでいるアイス・キャンディも、気に食わないのだ。

 

しかしキャンディの方も、人と馴れ合いすぎる事を嫌う男。

 

いつまでも誰かと共に生活するつもりは無い。

 

彼にとっては、誰であろうと自らの為に利用する対象でしか無いのだから。

 

「…いや、俺は遠慮しよう。そちらは任せる。

まだ必要とする人材があるからな」

 

「そりゃ分かってるけど、楽しそうじゃないか!?レースだぞ、キャンディ!」

 

「楽しんできな、ドープ」

 

彼はフードを深く被った。


「アイス・キャンディはほっといていいじゃないか、ドープ。

俺達だけで行こうぜ」

 

「えー!でもなぁ、ダグ。

彼が『腕利きのドライバーが必要だ』って言い出したのに」

 

ドープマンが明らかに不機嫌な顔になって、キャンディを指差す。

 

「だから、俺は別で動くと言ってるだろう?

理由もなく断っているわけじゃない。分かってくれ」

 

キャンディは、テーブルの上に無造作に置いてあった数枚の20ドル札や10ドル札を手に取った。

これはもちろん彼の金だ。

そしてポケットの中から金属製のマネークリップを取り出して、その金をまとめる。

 

「出かけるの?レースはまだだよ」

 

ドープマンはキャンディをレースに誘う事を諦めていないようだ。

 

まとめた金をポケットに入れる。

 

「探しに行く」

 

「誰を?」

 

「情報網を持つ人間なら誰でもイイ。

…来るな。お前達は目立つ。裏で動くのは一人で充分だ」

 

ついて来ようとした三人を、キャンディが止める。


 

時間帯は夕暮れ。

 

ドープマン達に別れを告げたキャンディは、徒歩で近所を散策した。

 

時折、チェスター・クリップのメンバー達に出くわした。

 

キャンディの姿が彼等の目に入ると、声を掛けてハンドサインと呼ばれる挨拶をしてくる者もいたが、たいていは黙って睨みつけてきた。

 

まだ、決して彼等と打ち解けれたわけではない。

 

だが、キャンディはこうして生きている。

彼自身の機転のおかげで。

 

ドープマンの様な人間は、他人を見抜く力を備え持っているが、チェスター・クリップ一人一人の心を掴むには何かしらの結果が必要だ。

 

 

今回、キャンディがチェスター・クリップに提案した話。

 

それには、レモンの様な『その道のスペシャリスト』を幾人か要する。

 

キャンディは、そのスペシャリストに通ずる人脈を当たっているのだ。

 

 

地元の酒場を発見したキャンディは、扉を開けた。

 

人が集まる場所にこそ情報は集まる。

 

店内では、マスターと奥さんらしき女性が開店前の準備作業をしているところだった。


「ごめんなさい。店はまだもう少し経ってから開けるのよ」

 

来客に気付いた女性が、優しく言った。

 

「そうか。ではまた出直そう」

 

キャンディは素直に従う。

 

しかし。

 

「あ、おい兄さん。

せっかく訪ねてくれたんだ。酒はまだ出さないが、どうだいコーヒーの一杯くらい?」

 

「イイのか?」

 

「サービスだよ。ウチは初めてだろう?」

 

マスターに呼び止められ、キャンディは木製のカウンター席に座った。

 

 

「どうぞ」

 

女性が一杯のアメリカンコーヒーを彼に差し出した。

 

「クリームと砂糖はどうしますか?」

 

「いや、ブラックがイイ」

 

香ばしい湯気がカップから立ち上ぼっている。

 

「ウチは、こうして主人と二人で細々とやっているバーなんです。

お客は少ないですが、なんとかやっていけています」

 

きいてもいないのに、彼女は身の上話を始めた。

やはり彼等は夫婦らしい。

 

店の準備はあらかた済んだようで、マスターはタバコをふかしている。

 

「二人…子供はいないのか?」

 

キャンディが見た感じでは彼等は四、五十代に見えた。


「えぇ…まぁ」

 

妻が言葉を濁す。

 

「そうか。二人で商売をしてるって事は稼ぎにでも出て行ったのか、それともまだ幼子か?」

 

「…」

 

「兄さんは…この辺りの人間じゃないな?」

 

妻はなぜか黙ってしまい、代わりにマスターが会話に入ってきた。

 

「越してきたばかりだ」

 

「では知らないのも仕方あるまい」

 

「何を?」

 

「ウチの店の名前さ」

 

マスターは銀色のアルミ製灰皿にタバコを押しつけた。

 

「名前?そうだな。バーだという事だけで飛び込んできた」

 

「『CA's bar』…それがウチの看板だ」

 

「ほう」

 

CAとは一般的にはカリフォルニア州の事を指す。

 

「しかし、実はCとAは『クリス&アニー』の頭文字なんだ」

 

「そうなのか?アンタらの名前か?」

 

キャンディはコーヒーを一口飲んだ。

 

「いや、息子と娘の名前からとったんだ。

三年前に、二人とも殺されてしまってな…」

 

「…ギャング絡みか?」

 

場所はコンプトン。

キャンディがすぐにピンとくるのも頷ける。

 

マスターは「あぁ」と声を漏らした。


「気の毒に…まだ幼かったのか?」

 

積極的に質問を続け、感心を持って彼等の身の上話に耳を傾けるキャンディ。

 

マスター達は、彼が真摯な人間であると捕らえたようだ。

 

情報を集める為に、彼が自身を演じている事には決して気付かない。

 

「息子は17、娘は12だったよ」

 

マスターが応えるのと同時に、妻は顔をおさえながら店の奥に引っ込んでしまった。

 

ようやく忘れかけていた辛さを思い出して、耐えられなくなったに違いない。

 

「チェスター・クリップか?」

 

「もちろんそうだ。息子は…メンバーだった」

 

「それじゃあ…!」

 

キャンディは、たいそう驚いたように振る舞った。

 

「仲間に殺られた」

 

「なんて事だ…」

 

「メンバーの一人に娘が…襲われた。

犯されて、何とも可哀相な姿で発見されたよ。

怒り狂った息子はそのメンバーに仕返しをし、そして…」

 

「『仲間殺し』だと他のメンバーから消されたわけか…

 

マスター、よく話してくれたな。

アンタは誰よりも強い人間だよ」

 

キャンディはマスターに優しく語りかける。

 

 

そして…

 

 

 

何とも退屈な、よくある話だと心の中で舌打ちした。


 

 

ブォォ!

 

ウォン!ウォン!

 

「きたぁ!」

 

「おぉ!」

 

ドープマン達が騒ぎ出す。

 

駅周辺はスタート前の熱気に包まれていた。

 

三人は、リッキーのインパラを路肩に停めて、ビールを片手に観戦するつもりだ。

もちろん、ドープマンだけはお気に入りのバージニアコーラの缶を握り締めている。

 

「見ろ!レモンだ!」

 

ダグが指差した。

 

黄色いクラウン・ビクトリアが駅前にゆっくりと入って来る。

 

バタン。

 

たまたま駅前に立っていた若いカップルが、後部座席に乗り込んだ。

 

「なんだアイツ!やっぱりタクシー稼業やってるじゃねぇか!」

 

リッキーが腹を抱えて大笑いした。

 

 

しかし、ドレッドヘアーのレモンは運転席から降り、彼等を引きずり下ろした。

 

「おい!何を勝手に乗ってやがる!

ブッ殺すぞ!」

 

「え…!?早く出してくれよ…うわぁぁ!」

 

「きゃあ!何、このドライバー!」

 

客は怒ったが、レモンはさらにカンカンだ。

 

「失せろバカ!」

 

「何なんだ!ナンバーを覚えたぞ!協会に訴えてやるからな!」

 

捨て台詞を吐きながら彼等が逃げていく。


「え!?協会!?なんだそれは!やめろ!」

 

レモンが叫ぶ。

 

彼は『協会』の意味を理解できていないが、謎の恐怖心が彼を襲っている。

 

「悪かった!俺が悪かったから!協会に言うのは勘弁してくれ!

そして協会とは何だ!」

 

しかしカップルはそこにはいない。

 

 

「おい、スティーブ!

ペースカーが入る前におっ始めるぞ!参加するんだろう!?」

 

主催者らしき人物がレモンを呼んでいる。

 

白いプレーンのTシャツにグレーのハーフパンツ。

ホワイトソックスのベースボールキャップを被り、右手にハンディタイプの拡声器を持っている。

 

「おぉ!もちろん出場するぜ、キング!賞金は全部俺のもんだ!」

 

レモンが応え、車を移動させる。

 

ちなみにペースカーとは、この場合はパトカーの事を表す。

プロレーサーのサーキットでのレース中、緊急時に出動してレースカー達を引率するペースカーにパトカーを例えて言っているのだ。

 

「エントリーフィーは1000ドルだ」

 

キングと呼ばれた主催者らしき男が、レモンの車に肘をついて言う。


エントリーに車種や年式の制限は無いらしく、新旧様々な車がスタートラインについている。

 

スタートラインは、カラースプレーで一直線に引かれた赤いラインだ。

 

 

今回、出走する車は全部で九台。

 

新型のシボレー・コルベットやカマロもいれば、クラシカルなサンダーバードやマスタングもいる。

他にはマツダやミツビシのクーペなど。

 

レモンのビクトリアが並ぶと、明らかに違和感があった。

 

スポーツカー達が唸りを上げている中に、フルサイズボディのタクシーもどきが加わるのだ。

観客からは笑い声が上がっているのが分かる。

 

「おっ!見ろ!今日はスティーブのタクシーが走るみたいだ!」

 

「本当だ!久し振りに来た甲斐があったな」

 

ドープマン達の近くで立ち見をしていた二人組の男が、そんな会話をしている。

 

レモンが出るレースは、彼等の間で名物になっているようだ。

 

「よし、そろったな!

賞金は一位が総取り!九人分のエントリーフィーから支払われる!」

 

キングが拡声器越しに声を張り上げる。


「スタートの合図にはあのシグナルを使う!

だが少し待っててくれ、勇者達!」

 

遥か遠方に見える信号機。

それは今、青の光を放っていた。

 

 

「おぉ!始まるのかな!」

 

ドープマンがはしゃぎはじめた。

 

「いや、まだギャラリーから金を集めてない。俺はレモンに20ドルだ」

 

「ははは!バカか、ダグ!俺はあのコルベットのスカしたヤロウに20ドル!」

 

ダグとリッキーは、レースの一着を予想して互いに金を賭けている。

 

ギャラリーの間で、金を賭けてレースを楽しむのは当たり前の事だ。

 

しかし、こうして個人的に金のやり取りをするわけではなく、普通は主催者側が金を集める。

 

 

「さぁ!一勝負張ろうって奴は、俺に言いつけてくれよ!」

 

ダグの言った通りだ。

キングがスタートラインから少し離れて、観客達のいる場所を歩き始めた。

彼の仲間らしきB-boy達も数人、客から金を集めてチケットを配っている。

 

そして金と票が揃い次第、そこから素早く配当の割合を出すのだ。


もちろん、浮いた金は彼等の取り分となる。

 

キング達、主催者側の人間は、ギャングスタとは違って身なりがキレイだ。

シャツやパンツはパリッとアイロンが当てられているし、キャップやアクセサリーも使い古されているわけではなく、新しく見える。

 

掛け金からの儲けは少なくないようだ。

 

 

「みんな、大丈夫かぁ!?そろそろ締め切りだ!」

 

キングがスタートラインへと戻っていく。

 

歓声が大きくなった。

 

「待たせたな、勇敢なイカレたクソったれ共!」

 

ボォン!

 

ウォン!

 

キングの呼び掛けに、アクセルをふかして応える公道レーサー達。

 

レモンは窓から手を出して、隣りに並んでいる車に向けて中指を立てている。

 

レース前はレーサー同士、互いに挑発の嵐だ。

 

「は!スティーブ!まだそのタクシーでレースに出るのかよ!コテンパンにしてやるぜ」

 

「黙れよ、バーカ!」

 

「ふん。口だけは一人前だな、マザーファッカー!お前のイエローキャブなんか、俺のRXの足元にも及ばないぜ」

 

「うるせえ!えーと…バーカ!」

 

レモンは、言葉のボキャブラリーが異常に少ない。


「次のシグナルがスタートの合図だ!

見ろ!あの赤い光が青になった時に火蓋が切って落とされる!」

 

キングの声。

 

罵りあっていたレーサー達はそれをやめ、アクセルを何度もふかした。

 

緊張の一瞬。

 

 

信号機が、青に、変わる。

 

 

ブォォ!!

 

ウォン!

 

車が次々と飛び出す。

そして、わぁぁ!という歓声。

 

「行ったぁ!!」

 

ドープマンが声を上げる。

 

レモンはというと、スタートには少し遅れてしまったものの、何とか他の車について行っているという状態だ。

 

「ほら見ろ!レモンは勝てそうにないぜ、ダグ!」

 

「ふん!まだまだレースはこれからだぜ、ニガー」

 

 

 

「見えなくなったよ!リッキー!」

 

「リッキー!車を次のポイントへ!分かるか?」

 

もちろん、公道の主役達はすぐに視界から消えてしまったので、ドープマンとダグが言った。

 

「はぁ?知らねぇぞ?」

 

そう応えながらも、リッキーは車を動かし始める。


 

「クソ!どこに行こうにもこれじゃあ難しいぜ」

 

数分後。

 

リッキーは悪態をついていた。

 

「あーあ。これじゃあ台無しだね」

 

「ま、当然と言えば当然だろ。だがレースは最後までわからないぜ!」

 

ドープマンは少し残念そうな声を上げたが、ダグは楽しそうだ。

 

彼等がこんな会話をしている理由。

 

それは、ついにレースを嗅ぎ付けた警察が動きだしているからだ。

 

レースと変わらないくらい迷惑に唸るサイレンと回転灯。

 

いくつものそれが町を巡回し、観客達は仕方なく移動を強いられていた。

 

レーサー達が簡単に捕まるとは思えないが、ゴールと同時に包囲されてしまったりしては、ドープマンの言う通りレースは台無しになってしまう。

 

 

「あ!あれ見てよ!」

 

「おぉ!走ってるじゃねぇか!」

 

ドープマンがレースカーの集団を見つけ、リッキーがそれに反応した。

 

けたたましいエンジン音を轟かせながら、猛スピードで車が走り抜けていく。


それは一瞬の出来事で、誰がどんなポジションで走っているのかを見分けるのは難しかった。

 

全ての車がかなり接近したデッドヒートだ。

 

「クソ!レモンはどうなってた?」

 

反応の遅れたダグが二人にたずねる。

 

「三番手か四番手を走ってたよー」

 

「いや、奴はドン尻だったぞ!」

 

ドープマンとリッキーの意見が割れた。

 

 

その時。

 

ブォォ…!

 

レースカーの集団が走り去った方向から、一台の黄色いクラウン・ビクトリアがやってきた。

 

「あれれ?レモンじゃない?」

 

「何!?奴は確かに、さっきの集団の中にいたぞ!逆走か!?」

 

 

キッ。

 

その車は停止した。

 

そしてなんと、中からドレッドヘアーの男が運転席から降りて来て後部座席のドアを開けた。

なぜかそこに乗車していた、スーツを着た一人の中年男性を引きずり下ろす。

 

バタン!

 

ブォォ!!

 

何事も無かったかの様に一気に走り出してレースに戻るレモンと、呆気に取られる中年男性。

 

気になる所が多すぎて、三人はもう笑えない。


 

 

ドープマン達は無言のまま再び移動し、スタート地点である駅前へと戻ってきていた。

 

ここはスタート地点でもあり、同時にゴール地点でもあるのだ。

 

「さぁ、紳士淑女!先頭の集団が見えてきたぞ!」

 

キングの実況アナウンスが拡声器越しに響き、駅前にいる観客達のボルテージが上がる。

 

幸いなことに、どうやらここに警察はやってきていないらしい。

 

「さぁ!多額の賞金と真の勇者の称号を手に入れるのは誰だぁ!?」

 

キングがさらに客をあおる。

 

 

「来たぞ来たぞ!」

 

「チッ…!」

 

手を叩いて喜ぶリッキーと、舌打ちするダグ。

 

彼等には勝敗が見えていた。

 

「今…っ!ゴォォォル!!」

 

キングの宣言で、観客達は一斉に手を叩いたり叫んだりし始め、駅前は大騒ぎになった。

 

「一着は…シボレー・コルベットを駆る、レイモンドだぁ!!

みんな、まずはこの戦いを征した彼に賛辞を贈ってくれ!」

 

二着、三着、四着…と次々にレースカーがゴールする。


 

「クソ!何やってんだよ、レモンの奴は!」

 

ドン!とダッシュボードを叩くダグ。

 

「おい!俺の車だぞ!バカ力で叩くんじゃねぇ!」

 

「あ!レモンだ!」

 

リッキーがダグに注意していると、レモンのビクトリアがゴール地点に現れた。

 

ドープマンは満足そうに頷いている。

 

「五着か!おい、ダグ!さっさと金を払えよ」

 

「あぁ、分かったよ!俺とした事が、とんだ誤算だったぜ…」

 

ダグがしぶしぶ20ドルをリッキーに支払う。

 

「ドライバーはやっぱり、レモンで決まりだなぁ」

 

ドープマンがつぶやく。

 

「はぁ?どうしてだ?」

 

リッキーが缶ビールを舐めながら言った。

 

遠くに見えるレモンが、車から降りて悔しそうに愛車のタイヤを蹴っている。

 

「彼の車を見なよ。俺達が求める答えはそこにある」

 

ドープマンは直接リッキーの質問には答えずに、黄色いビクトリアを指差しただけだ。

 

「「…?」」

 

リッキーとダグは当然、首をかしげた。


「えーと、何て言うか…速い車を速く走らせる事は当たり前の事だと思うんだよね。

これはアイス・キャンディの受け売りなんだけど」

 

ドープマンは、一着で到着したコルベットの事を言っているのだろう。

 

ちょうど、六着と七着の車がゴールした。

 

「あんなデカイだけの車で走ったから、レモンはすごいって事か?」

 

ダグがたずねる。

 

「んー…それもあるかな。

でも、重要なのはそれだけじゃないよ!」

 

「それは何なんだ?」

 

「レモンの車と、他の奴等の車を見比べてほしいんだ!」

 

ドープマンは楽しそうだ。

二人が『違い』に気付くのをワクワクしながら見ている。

 

「黄色い」

「デカイ」

 

彼等の回答。

 

「あはは!違うよ!

他のレースカーは、スタート前と比べてどう?傷がついたり、ヘコんだりしてない?」

 

「…!」

「本当だ!」

 

確かに他の車はすべて、ボディやヘッドライトを損傷している。

 

「彼のドライビングが神業だと言われる理由はそこさ!

接触は避けられないような凄まじいレースでも…彼は、あのデカイ車に傷一つつけない」


彼は順位こそ落としたが、タクシーのベースとして使われるセダンをスマートに乗りこなした。

 

それほど先頭から遅れは取っていないし、かなりのスピードが出ていたのは事実だ。

 

 

「おっと!ここで残念な情報だ!」

 

キングのアナウンスだ。

彼の左手には一枚のメモ紙が握られている。

 

賭けが外れ、まばらに帰り始めていた観客達もそれに耳を傾けた。

 

配当金の分配は、キングの仲間達によってすでに始まっていたので、賭けに勝った連中は彼等の元に集まっている。

 

「まだゴールしていない残りの二台に乗っているジミーとディックが、クラッシュを起こしているとの情報が入った!」

 

観客からどよめきが起こった。

 

「しかし安心してくれみんな!

車は壊れてしまったようだが、彼等は無事だ!」

 

すぐさまどよめきが歓声に変わる。

 

「そして!もう一つ!悪いニュースだ!」

 

キングが言い終わる前に、遠くから何かの音が聞こえてきた。

 

「もうじき…!警察がここに到着する!みんな、逃げろー!!」

 

サイレン。

 

キングは拡声器を投げ捨て、どよめきから変わった歓声は、またすぐに悲鳴へと早変わりした。


 

 

キャンディは店内を見回した。

 

長時間に及んでカウンターに腰掛けているにも関わらずマスターが嫌な顔一つしないのは、話を聞いてくれた彼に完全に心を開いてしまったからに他ならない。

 

「一人でこちらへいらしたんですか?」

 

少しの間、手が空いているらしく、妻がキャンディに声を掛けた。

 

店内は開店前とは打って変わって大賑わいなのだ。

 

あちこちで笑い声が上がっている。

 

「あぁ。しかし『細々と』とはよく言ったものだな。

景気が良さそうだ」

 

「うふふ。みんな常連さんですよ」

 

彼女は嬉しそうに笑った。

 

客は作業着を着た男達がほとんどで、ここは彼等が疲れた身体を癒す憩いの場となっているようだ。

 

「おーい、おかみさん!

生ビールを二杯追加だ!」

 

「マスター!こっちはチキンを一つ焼いてくれないかぁ!?」

 

キャンディが座っているカウンター席から見て背中側にあるテーブルから注文が入り、妻は笑顔のままビールを運んで行った。


マスターはチキンをグリルの中に入れると、下げてきていたグラスや皿を洗い出す。

 

「おい、マスター」

 

「ん?」

 

「ブランデーをくれ」

 

「はいよ」

 

 

氷が入ったグラスに、トクトクと音を立てて褐色の液体が注がれていく。

 

「お待たせ」

 

「…」

 

キャンディはグラスを傾け、チビリと酒を舐めた。

 

舌先から全身にアルコールがジワジワと広がる感覚がした。

 

「…ギャングの人間ってのは、この店にやってくるのか?」

 

「何?ギャングの悪ガキどもが?冗談はよしてくれ。

アイツらは道端で安酒を飲むのが関の山だろう。

それに、一歩でも店に足を踏み入れたら…」

 

マスターは足元から、チラリと黒光りする細い円筒状の物を見せた。

 

散弾銃だ。

 

これを食らっては一溜まりもないだろう。

 

「なるほどな。ソイツの出番ってわけか」

 

「そういう事だ」

 

マスターが頷く。

 

「ギャング連中以外では、ガラの悪そうな人間は来ないのか?」

 

「客の素性をペラペラと話すわけにはいかないが…まぁ、色んな人間がいるな」


「色んな人間…か」

 

キャンディはマスターの言葉を繰り返した。

 

「兄さん。アンタは一体…?

越してきたばかりだと言ったが、どうしてこんな掃き溜めのような街へ?」

 

「答えたくはないな…」

 

踏み込んできたマスターに対して、少し距離を取るキャンディ。

 

もちろんこの悲しげな言い草は演技がかっている。

しかし、あまり他人に自身の事を知られたくないという深層心理は、嘘偽りの無いものだ。

 

「そうか。では、何を求めている?もしくは誰を探している?」

 

「…」

 

余計な世話だと顔をしかめるキャンディ。

 

だが、フードに隠れたその表情に誰かが気付く事は無い。

 

「ウチの店や、子供達の話を聞いてくれたじゃないか。

遠慮せずに言ってくれよ」

 

「…俺が探しているのは、まともな人間ではないぞ」

 

「分かってるさ。そのくらい」

 

チン、とグリルがチキンを焼き上げた事を知らせた。

 

「おっと。ちょっと失礼するよ」

 

マスターはチキンを取り出し、そのまま豪快に皿に盛り付けてテーブルへと運んで行く。


 

すぐにカウンターへ戻ってきたマスターが、再びキャンディの目の前に立った。

 

「分かったよ…事情は話せない。それは理解してくれるか?」

 

ついに彼は折れた。

 

…と見える様に振る舞った。

 

始めから彼はこの店に情報を求めてやってきている。

 

さり気なく『本当は言いたくないんだが…』という素振りを見せ、その相手が自分にとって特別なんだという勘違いを起こさせる。

 

人は、普通の相手には話せない様な特別な話を自分にだけ聞かせてもらえると知ると、優越感を持つ。驕る。

 

さらには、先に自らの話を真摯に聞いてもらった経験があれば、無条件で協力的になる。

 

キャンディは、マスターに対してこの二つの手法を見事に使いこなした。

 

プライドを捨て、心の内に潜む冷酷な自分とはまったく違う人格を演じきったのだ。

 

 

「分かった。それで、どんな人間を探しているんだ?」

 

「そうだな。最悪、この店の客じゃなくてもイイ。

ドラッグディーラーか、武器商人がいたら紹介してくれ」

 

アイス・キャンディが計画に向けて動き出す。

 

カラン、とグラスの中の氷が音を立てた。


 

 

街灯は少なく、薄暗い。

雨上がりの生温い風がキャンディの機嫌を損ねた。

 

「チッ」

 

バタバタと彼に走り寄ってくるいくつかの人影。

 

「よし、囲め!」

「金をいただくぜ!」

 

「…」

 

チェスター・クリップのメンバーに囲まれたキャンディは、めんどくさそうにフードを脱いだ。

 

「げ!コイツ、アイス・キャンディじゃないか!」

 

「構うもんか!おい、キャンディ!ドープはお前を気に入ってるから、今なら命までは取らねぇ!金をくれ!」

 

「…二、三、四人か。

さっきも別の連中が俺に同じような事をしてきたぞ。

俺はお前達に稼がせてやるために仕事をしてる最中だ。さっさと失せろ」

 

動じない。

 

するとメンバーの一人、ひどく痩せこけた男が憤った。

 

「何だと!俺達はお前なんかアテにしてねぇんだよ!ブッ殺すぞ!」

 

「消えろと言ったのが聞こえなかったのか、グズが。

バカの一つ覚えみたいに人を襲う事しか出来ないお前とは違って忙しいんだ。

安心しろ。今なら命までは取らない」

 

あえて同じ言葉で彼等を皮肉って、スッと彼等を避けて歩き出すキャンディ。


「待てよ、てめぇ!」

 

キャンディは、男からガシリと肩を掴まれた。

 

彼の言い方にも問題があったのは明らかだ。

逆上した男は簡単には通してくれない。

 

「触るな!」

 

その手を弾いて、なんとキャンディは男の腹に蹴りを叩き込んだ。

 

「ぐっ!」

 

痩せこけた男は腹をおさえながら地面に突っ伏し、周りの仲間達が怒りの声を上げる。

 

「キャンディ!てめぇ!調子に乗り過ぎだぞ!」

 

「こうなったらどっちが悪いかなんて関係ねぇ!やられたらやり返すまでだ!」

 

残る三人の内、一人がナイフを取り出した。

 

本気だ。

 

 

「おーい!騒がしいぞー」

 

「あん…?」

 

どこからか別の声が聞こえてきた。

 

キャンディを含めた全員がキョロキョロと辺りを見回す。

 

「こっちだ、こっちー。ケンカはやめろー。クソガキ共ー」

 

緊迫した中に響く、やけにぬけた声。

 

その主は、キャンディ達がいる路地のすぐ裏手の小さな家。

 

その二階の窓からこちらをのぞいていた。


「ケンカはやめろー。しかも他人の家の真裏でよー」

 

…!!

 

その姿がハッキリと見えた時、全員が凍り付いた。

 

声の主は白人の女だった。

 

しかし、そんなことでキャンディ達が息を飲んだわけではない。

 

キャミソールから出ている華奢な両腕。

その左右の手に大型の拳銃が二丁、握られていたのだ。

 

「なんだアイツ…」

 

「とりあえず…逃げろ!」

 

「キャンディ!許さねぇからな!」

 

チェスター・クリップのメンバー達は、倒れている仲間を担いで駆け出した。

 

「あははははははは!!」

 

キンと耳鳴りがするくらいの甲高い笑い声を女が上げる。

 

不気味だ。

 

「…」

 

「逃げないのかー?」

 

ただ一人、その場に立って女を見上げていたキャンディに彼女がきいた。

 

「…少し、きいていいか?」

 

「答えは鉛玉でしか返せないよー」

 

「チッ…!撃つなよ!」

 

そっぽを向いて動き出したキャンディ。

背後の家の二階の窓には、すでに彼女の姿は無い。


 

「待ちなよー」

 

「なっ!?」

 

彼女から目を離し、振り返って歩き出した直後。

 

背後から声を掛けられたキャンディは驚いた。

 

「なんだ、お前!一体…」

 

もちろんこのキャンディの言葉に含まれているのは『どうやって』という疑問だ。

 

ほんの一瞬。

 

この女は二階の窓から、キャンディの背後へと移動してきていた。

 

「くっ…!何の用だ」

 

彼女の手にはすでに拳銃は無い。

部屋に置いてきたのだろう。

 

しかし、尋常では無い動きを見せた彼女に、キャンディが持ち前の人一倍の警戒心を持つのは当然の事だ。

 

「ききたい事。気になってなー!」

 

「…忘れてくれ。済んだ話だ」

 

冷たい言葉で突き放す。

 

「じゃあアタシから。どうしてギャングのクソガキ共は、すぐにアンタを殺さなかったんだろーね」

 

「お前には関係ない。もう行くぞ」

 

しかし。

 

「…!」

 

目の前には、彼女がいた。

 

わずかに身体を反転させるだけの間に、彼女はキャンディの背後から正面に移動したのだ。


「あははは!」

 

「クソ!何だお前!

気味が悪いぞ!」

 

にこにこと笑う女に、キャンディが後退りする。

 

「アンタも充分気味が悪いぜー!顔隠して、自分の世界まっしぐら!って感じか」

 

「黙れ!」

 

「あははははははは!」

 

イカレてる。

 

キャンディはそう直感した。

 

「きいてるよ。名も無き男」

 

「は?」

 

「ドープマンも。バーでの話も」

 

「…!」

 

キャンディはさらに一歩後退りした。

 

「アンタさ。色々と嗅ぎ回ってるんだろう?

それも、自分の命の為に。

チェスター・クリップのドンにデカイ話吹っ掛けてさ。失敗は許され無いぜー」

 

「お前は誰だ…」

 

「遠回りはよしなよ。アタシにはすべてお見通しさー。

現時点でアンタが必要なのは、ドラッグでも武器でも無い。

…『情報』だろ?」

 

彼女がキャンディに顔を近付ける。

 

甘い、香水の香りがした。

 

「何で知ってるかって?

アンタが探してるのはアタシだからさ。

アタシは何でも知ってる。でも、ほとんどの連中はアタシを知らない。

情報屋ってのはそういうものだ」

 

「…」

 

よく見るとイイ女だ、とキャンディは不思議な感情を抱いた。


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