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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
6/34

Pass Da Mic

『Pass…渡す』

待ち合わせは、決まって路地裏。

 

一般的には考えられないだろう。

 

さらには、それが『男と女』の待ち合わせ場所であるのだから驚きだ。

 

 

「…遅い。まだか、あのアバズレは」

 

キャンディが悪態をつく。

 

しかし、待ち合わせ場所が変わっているのは彼だからこそだ、と言うわけでは無い。

 

ギャングスタ、マフィア、路地裏の主役達はいつだって原点としてこの場所を選ぶ。

 

いや…この場所からしか、彼等は飛び立てないのだ。

 

初めての試合で、いきなりワールドカップに出場するスポーツ選手などいない。

ハスラーはビルの裏で、ウォーリアー(ギャングの中でも戦闘要員として動く者)はストリートで成り上がっていく。

 

 

「キャンディ!待たせたね!」

 

「チッ…」

 

一人の女がやってきた。

 

強い酒の匂いがキャンディの鼻をつき、彼はフードを深く被った。

 

「久し振りだねぇ、アンタ。

相変わらず顔隠して…せっかくのハンサムが台無しじゃないか」

 

「ふん、冗談はよせ」


「何が冗談だい。アタシが愛してる男は、今も昔もアンタだけさ」

 

女が顔をキャンディに近付ける。

 

さらに酒の匂いが強さを増し、彼はたまらず彼女を突き放した。

 

「まったく調子のイイ女だ!必要以上に俺に近付くな!」

 

女は背中の開いた黒いドレスに、赤いハイヒールを履いている。

 

体のラインはやや太く、ふくよかな体型。

 

長めの髪は頭の上で一つに結っている。

 

どこかのパーティにでも出掛けるのかという様な格好だ。

 

 

「それで、今日は何の用だい?ようやくアンタもアタシの魅力に気付いて、食事にでも誘ってくれようってのかい」

 

「…回して欲しい物がある」

 

キャンディがそう応えると、女は「ハァ」とため息をついた。

 

「やっぱり、仕事の話かい…つれないねぇ」

 

「当たり前だ。まだ動けるんだろう?

それとも…その派手な格好で誰か、すごい大富豪の元にでも転がり込んだか」

 

「…何が必要なんだい」

 

女は質問を無視したが、キャンディの用件をきく姿勢は見せた。


一歩。

 

キャンディが女に寄る。

 

「…C4をくれ」


 

彼は風が吹くだけで消えてしまいそうな、小さな声でそう告げた。

 

「あはは!いつもの豆鉄砲とはエライ違いじゃないか!惚れ直したよ!」

 

女がケラケラと笑い始める。

 

キャンディはムッとした。

 

「出来るのか、出来ないのか。

それだけ答えろ、クソアマ」

 

「…ははぁん?何だか物騒な事をやらかす気だね?

分かった。アタシが一肌脱ごうじゃないか」

 

女が両腕をいやらしくキャンディの身体に回す。

 

「離れろ、ブレンダ。

…金は?いくら必要だ」

 

息が顔にぶつかる距離。

酒の匂いは避けられない。

 

「アンタこそ、どのくらい欲しいんだい?

車が消し飛ぶくらい?それとも、自由の女神を倒すくらい?」

 

キャンディがふん、と鼻を鳴らす。

 

「『女神を倒す』か…イイ響きだ。そのくらい用意出来るか?」

 

「正気かい。いや、アンタの正気は常人の狂気そのものだからねぇ。

そういうところ、好きだよ」

 

女がキャンディの唇にキスをした。

 

ドン、とキャンディが突き飛ばす。


「売女が…」

 

「おやおや、相変わらずウブだねぇ。

可愛い男」

 

「ふん、そうやって誰かれ構わず自分を安売りする事が大人なのか?」

 

それを聞いた女はまた、酒やけした声でケラケラと笑った。

 

「あはは!アタシは安くないよ!

さっきから言ってるじゃないか…『アンタだけだ』ってさ」

 

「…金は?ブツはいつまでに用意できる?」

 

「すぐにでも手配できるよ。アタシをなめないでもらいたいね。

それと…金は、ハッキリ言って安くないよ」

 

彼女が「ふぅ」とため息をつく。

 

「キャンディ…アンタ、大金を持ってるわけじゃないね?

それに、これからすぐに大金を手に入れるツテがあるわけでもない。

むしろ、大金を失ったから…この買い物を望んでいるように感じるのはアタシだけかい」

 

「…」

 

見透かされている。

 

「…有り金全部で手を打つよ」

 

「何…!ふざけるな!」

 

「おそらく今アンタが持ってる金じゃ、到底無理な買い物だよ?

アタシが惚れた男だから特別。アタシは大赤字さ」


怪しく笑みを浮かべる女。

 

人を信用せず、自分にとってそれ相応の報酬が無ければ動かないキャンディにとって、これ以上理解不能な事はない。

 

「赤字?何を言ってる。

俺の持ち金が少なければ、ブツの量が減る事になるだけだろう」

 

「いいや、キャンディ。

アタシはアンタが望むだけのものを与えるよ。たとえ金が足りなくてもね」

 

「…」

 

キャンディは、女が心の裏で何かを企んでいるようにしか感じない。

 

本当にブレンダがキャンディの事だけを思い、利害関係を通り越してそう言ってくれているとしても、彼にその気持ちが届く事はないのだ。

 

かつて、ビッグDとコービーの間にあった友情と同じく、女が男に抱く愛情も、彼には疑わしい要素でしかない。

 

「どうするんだい、キャンディ?もし取り引きをするのなら、三日後の同じ時間にこの場所でどうだい?」

 

「…分かった、飲もう」

 

「は!スカした言い方だねぇ。

じゃあ…今日くらいはウチにおいでよ、どうせ宿無しだろう?」

 

女がキャンディの袖を掴む。


 

 

マンションのエントランス。

 

わりと新しい建物だ。

床や壁は光沢を放つ石張りで、壁にはよく分からない絵画がかけられている。

 

住むとすれば値段が張るに違いない。

 

「行こうか。三階だよ」

 

「あぁ」

 

二人はエレベーターに乗り込む。

 

キャンディは女の誘いを断らなかった。

珍しい事もあるものだ。

 

もちろん、寝床を提供してもらえる事に惹かれただけではあるが。

 

 

彼女の名はブレンダ。

 

口振りからすると、キャンディとは古い仲であるようだ。

 

さらに、キャンディがC4を注文した事から、この女は危ないブツを仕入れてくれる人物だと分かる。

 

 

エレベーターが開く。

 

「こっちだよ」

 

ブレンダがキャンディを手招きしながら廊下を歩き出した。

 

キャンディは女についていきながらも、キョロキョロと辺りを見回している。

RGと日本料理店で食事をした時もそうだったが、彼は無意識の内にそうしてしまうらしい。

 

部屋の前に着き、女が立ち止まった。


ガチャ。

 

部屋に入ってまず、キャンディが感じたのは『匂い』だった。

 

こもった煙の匂い。

 

それはタバコなのか、お香なのか、はたまたマリファナなのか。

そして、微かなアルコールの匂い。

 

わけが分からないくらいに、様々な匂いが混ざりあっているのだ。

 

キャンディにとって不快である事は間違いなかった。

 

「一体何の匂いだ…」

 

キャンディがつぶやく。

 

パチリ、とブレンダが照明のスイッチを入れた。

 

ブレンダの部屋は足の踏み場も無い程、ごちゃごちゃと物であふれかえっていた。

これでは、せっかくの広くて新しい部屋が台無しだ。

 

白いはずの壁紙が黄ばんでいる。

掃除をしていないのかもしれない。

 

キャンディが以前住んでいた、ガランとしたアパートの部屋とは対照的だ。

 

「すごい部屋だな、ブレンダ…」

 

「何言ってんだい!こんなの可愛いもんさ!

あ、床にある物に勝手に触るんじゃないよ!」

 

そう言われても、一歩踏み出せば何かに足が当たるこの状況では、絶対に無理だろう。


散らかっている物と言えば、空の酒瓶や容器、脱ぎっ放しの服や下着まである。

 

彼女の性格がかなりがさつである事が見てとれた。

 

しかし、この散らかった部屋でも、窓際にあるベッドの上だけは、パリッとした真っ赤なシーツがかけてあり、清潔に保たれていた。

 

枕元にはノートとペン、電話の子機が置いてある。

 

おそらくノートにつづられているのは、客からの注文のリスト…なるほど、その範囲だけは彼女の『仕事場』というわけだ。

 

「キャンディ~」

 

「ん?」

 

ベッドを見ていたキャンディに、ブレンダが声を掛ける。

彼女はいつの間にか後ろに立っていた。

 

酒やけはしているが、妙に挑発的で甘い声だ。

 

「先にシャワー浴びるけど、一緒にどうだい?」

 

「バカ言え。色目ならもっと羽振りのイイ男に使うんだな、ビッチ」

 

「あはは!さすがにアンタの冷め様は伊達じゃないね。その名の通りだよ!

『彼はゲイだ』って言いふらしてやるからね」

 

くねくねと腰を振りながら、彼女はバスルームへと歩いていく。


「チッ…」

 

舌打ちをしながら、お構いなしに靴のままベッドに横になるキャンディ。

 

床一面が散らかっていて、尚且つソファが無いこの部屋では、他に体を休める場所などない。

 

カタンと何かが落ちる音がした。

 

おそらく子機だろう。

 

 

 

目をつむる。

 

今一度、RGへの怒りが込み上げてくる。

 

冷静で、損得でしか動かない彼が、怒りで何かを起こそうとしている。

 

コービーを殺した時もそうだった。

 

RGと手を組んでからというもの、それまでは見えなかったアイス・キャンディの感情的な部分が目立つようになってきたのだ。

 

 

白いバスローブを羽織ったブレンダが戻ってくる。

 

彼女は当然ベッドへやって来て、キャンディの横にピタリと体を寄せた。

 

「…離れろ」

 

「…明日もここに泊まったってイイんだよ?」

 

「ふん!それは願い下げだ。

明日は明日でどうにかして生き抜くさ」

 

キャンディは、すぐに眠りに落ちた。


 

 

「また、その件か?いちいちこっちに回すまでも無いだろう。

もう少し自分で考えてみろ」

 

部下が「相談がある」と自分の元に持ってきた資料を突き返し、フォレストは静かに言った。

 

「分かりました…では、失礼します」

 

「頑張れよ」

 

不満そうな顔で婦人警官が彼の元を離れていく。

 

 

相変わらず、フォレスト刑事は休む間もなく働き詰めだ。

 

彼が巡査長とルーキーにコービーの殺しを追う仕事を与えて、しばらく日が経っている。

 

だがフォレストは、特に彼等からの報告が無い事など気にも止めていなかった。

 

この瞬間までは。

 

 

「フォレスト刑事!」

 

「…なんだ、騒々しい」

 

息を荒げながら走って来たのは一人の制服警官。

 

右手でネクタイを緩めながら、冷静にフォレストは返した。

 

「例の黒人の若者の殺しの件を追っていた二人ですが…!」

 

「ん?…あぁ、アイツらか。そういえば音沙汰が無いが、どうしたんだ?」

 

「ふ、二人共、遺体となって見つかりました…!」


フォレストが目を細めて、制服警官を睨み付けた。

 

「…何?そんな話は上からも回ってきてないぞ。

間違いない情報なのか?冗談にしては悪質だ」

 

「はい、間違いありません!

車も近くで発見されています」

 

「ふざけるな!

事故か!それとも殺されたとでも言うつもりか!」

 

フォレストは立ち上がって、顔をその警官に近付ける。

あまりの剣幕に、彼はたじろいだ。

 

「そう言われましても…!真実です。これは最新の情報ですが、おそらくすぐに多方面から刑事にご連絡があると思います」

 

プププ…

 

内線。

 

絶妙なタイミングで、フォレスト刑事のデスクの電話が光る。

 

「はい、フォレスト」

 

受話器を上げる。

 

制服警官は緊張した様子で、黙ってそれを見守った。

 

フォレストは彼の言葉が真実かどうかを知る。

 

「はい…はい。分かりました」

 

ガチャリ。

 

「…」

 

フォレストは頭をガリガリと激しく掻いた。

 

「刑事…」

 

「現場へ案内しろ」

 

「はっ、すぐに」

 

彼等はオフィスを後にした。


 

 

高架下の空き地。

 

ガタガタと音を立てながら、上にある線路を列車が走っている。

 

『keep out』と記された黄色いテープ。

警察が事件の現場を囲う時に、しばしば見られる物だ。

 

そして、数台のパトカーが回転灯を回し、その場に停車していた。

 

「フォレスト刑事…!お疲れ様です!」

 

現場にいた数人の警官の内の一人が、フォレストに声を掛ける。

 

彼は張られたテープを右手で押し上げ、フォレストと、同行している制服警官を現場内に通した。

 

「フォレストさん」

 

また別の人間が声を発した。

 

「…お前か」

 

上等そうなビジネススーツにコートを羽織り、ハットを被っている。

まるでイギリス紳士の様な格好だ。

 

しかし、彼も警察関係者である事は間違いないらしく、頼まれもしないのにフォレストに対して状況の説明を始めた。

 

「被害者は二名。どちらも警察官です。

貴方の部下の方々でしたね…お気の毒に…

第一発見者は一般の女性です。車の中に待たせてありますので、後ほどお話を」


「分かった。

それで…遺体は?本当に彼等なのか?顔を見たいのだが」

 

「はい。間違いありません。

遺体はすでに運び終わっています。刑事、貴方の到着が一足遅かったですね」

 

男の言葉に、フォレストが大きなため息をつく。

 

「そうか…本当に残念な事だ…

家族への連絡は終わったのか?さぞ悲しむに違いない」

 

「はい」

 

「…」

 

フォレストは目を閉じ、胸で十字をきった。

 

「刑事。間違いなく『殺し』です。

二人の身体には、いくつもの銃跡以外、目立った外傷は見当たりませんでした」

 

「…待て。今、黙祷してる」

 

彼は、淡々と状況説明をする男を制した。

 

 

一分ほどして、フォレストは目を開いた。

 

「…すまんな」

 

「いえ」

 

「手をやいていた部下達だ」

 

遠くを見るような目で、フォレストはつぶやく。

 

「そうですか…」

 

「…では、説明を続けてくれ」

 

「はい。死因はハッキリと出たわけではありませんが、ほぼ確定でしょう。

何者かに別の場所で撃たれて、ここへ運ばれたのだと思います」


ここで、第一発見者の女が別の警官に連れられて、フォレスト達の元へやってきた。

 

ヒドく太った中年の女性で、にこにこと笑っている。

 

人の死を哀れむ気持ちよりも、死体を発見し、捜査に協力できる事が嬉しいらしい。

 

きっと次の日には、新聞やブラウン管を指差しながら「私が通報したのよ!」と家族や近所の人間に言いふらして回るに違いない。

 

フォレストは少し、彼女に対して嫌悪感を覚えた。

 

「刑事、こちらの方が警察に通報して下さった方です」

 

付き添いの警官が、一言だけ告げてその場を去った。

 

「はじめまして。フォレストと申します」

 

フォレストが右手を差し出すと、彼女は両手でうやうやしくその手を掴む。

 

「どうも刑事さん!メアリーです!

メアリー・リチャードソン!」

 

元気よくこたえながら、うやうやしく掴んだはずの手をぶんぶんと強く振った。

 

興奮している。

 

「で、では…ミセス・リチャードソン。2、3おたずねします」

 

「失礼、私は未婚ですわ」

 

押され気味で質問を開始したフォレストに、メアリーが注意する。


「…それは失礼いたしました。『ミス』・リチャードソン」

 

フォレストがわざとらしく強調して言うと、メアリーは大きく頷いた。

 

「そうそう。勝手に決め付けてもらっては困りますわ」

 

…やりづらい。

 

その言葉だけが彼の頭の中に浮かぶ。

 

「それでは…この場に来た時の状況を詳しく教えて下さい」

 

「えぇ、もちろん!

私は毎日、夕方頃になると健康の為に家の周りをウォーキングしてるんです」

 

メアリーが得意気に自分の着ている服を指差す。

 

アディダス製の紺色のジャージだ。

身体のラインがよく見てとれる。

 

「なるほど…それで?」

 

「そのコースに、この場所が含まれているんです。

私がいつもの様に歩いていたらパトカーが停まっていて、どうしてこんな所に?と思って近付くと、中にはなんと…!

あぁ!これはどうした事なの!神様!

何かの間違いだと言って下さい!」

 

フォレストを楽しませようとしているのか、元々こういう性格なのかは分からない。

だが彼は当然、苛立っていった。


「そうしたら、二人の遺体が座席にあった…ということでよろしいですかな、ミス?」

 

「えぇ、そうです!それはもう!私は驚いてしまって!

だってそうでしょう!私のいつもの散歩道に、警察官の死体を積んだパトカーがあるなんて!」

 

「…周りに誰か、いませんでしたか?」

 

心の中で舌打ちをしながら、フォレストが続ける。

 

「周りですか?はい、私しかいなかったと思います。元々、人通りが少ない道ですから。

…もしかして、私を疑ってらっしゃるの!?

あぁ!そんなことは絶対にありませんわ!」

 

メアリーの顔が真っ赤になった。

ただでさえ興奮していたのに、さらにアツくなってしまったらしい。

 

「いえ、近くに怪しい人物を見掛けませんでしたか?とおたずねしているんです。

決して疑っているわけではありません」

 

「そ…そうですか。怪しい人物…ねぇ。

特に心当たりはありませんわ」

 

彼女がホッと胸を撫で下ろす。

 

「なるほど、分かりました。ご協力に感謝します、ミス・リチャードソン」


「…え?もう終わりなんですか?

まだ私は…」

 

「ミス・リチャードソン。事前に私が貴方からお聞きしているお話もありますので、後ほどさらに詳しい情報は私が刑事にお伝えいたします」

 

ハットの男がメアリーの言葉を遮る。

 

「わ、私!もっと警察の方々に協力して差し上げたいんです!」

 

「いえ、もう充分です。我々も本当に感謝しています。

また、おたずねしたい事が出てきましたら、こちらからご連絡いたしますので」

 

つくり笑顔のフォレストが、やんわりと彼女をたしなめる。

 

「では、パトカーでご自宅まで送らせます。

ミス・リチャードソン、こちらへ」

 

ハットの男がメアリーの肩に手を回し、車へとエスコートした。

 

彼女を車に押し込み、一人の制服警官が運転席に座る。

 

そしてすぐにハットの男はフォレストの元へ戻ってきた。

 

「…彼女は、やはり特に重要な情報を持っていないようです」

 

「そうだな…」

 

去って行くパトカーの後部座席、うらめしそうに彼等を見つめる中年女性の顔があった。


 

 

金が必要だ。

 

有り金全部などと言われては、C4を買った後に何も出来なくなってしまう。

 

「ふ…仕事か」

 

自らをあざ笑うかのように、キャンディは笑った。

 

今朝早く、彼はブレンダの家から出た。

 

彼女はキャンディを引き止めたが、彼は誰かに依存し続ける事を良しとしない性格だ。

当然、動く。

 

 

街を散策する。

 

「また…殺しがあったんだって?」

 

通りに設置されたドラム缶の焚き火。

 

周りに群がって身体を温めているホームレス達から、そんな声が聞こえた。

 

「あぁ、昨日見つかったらしいんだ。警察官だとよ」

 

「本当か?正義の味方が堂々と殺されたんじゃぁ、誰が俺達みたいなか弱い市民を守るんだ?」

 

ドッと笑い声が上がる。

 

「でもさ…警察官が強かろうがやられようが、俺達は始めから誰にも守られてなんかないよな。

市民権なんか、持って無いようなものだし…世の中『金』だよ」

 

「そんなこと言うなよ…」

 

「…」


キャンディは、ただ黙って彼等の前を通り過ぎた。

 

すると。

 

「おい!兄ちゃん!アンタもあたたまっていったらどうだい?」

 

ホームレスの一人がキャンディに向けて声を発した。

 

「…」

 

立ち止まるキャンディ。

 

「なんだい、返事もしないでよ。

兄ちゃん、ウィスキーもあるぞ。飲んで行けよ!」

 

紙袋に入ったジャックダニエルの瓶。

 

それを差し出しながら、その男はキャンディに近付いた。

 

他のホームレス達は

「ほっとけばイイじゃないか」

「わざわざ声を掛けて仲間を増やすなよ」

と笑っている。

 

「俺は…」

 

キャンディがバッグを地面に落とす。

 

「俺は…そんなにみすぼらしく見えるか?」

 

「は?」

 

「俺が…お前達と仲良く火に当たりながら酒を飲むような人間か、ときいたんだ」

 

彼のキツい言葉に、男は顔をしかめる。

 

「チッ…親切で言ってるのによ!」

 

「毎日を意味なく暮らして何になる?

群れていれば許されるとでも言いたいのか、クズが!」

 

キャンディの怒りは、男には全く理解不能だ。


「はぁ!?なんなんだ、アンタ!」

 

男が怒鳴り声を上げると、他のホームレス達もキャンディの周りへとやってきた。

 

「どうした?」

 

「なんだ、大きな声を上げて」

 

男が指差す。

 

「コイツ、とんでもないヤロウだ!」

 

「…チッ」

 

キャンディがバッグを抱え上げる。

 

「は!だからほっとけばイイって言ったんだよ」

 

誰かが言った。

 

 

キャンディが歩き出そうとする。

 

「待ちな」

 

「…?」

 

しかし、キャンディと話していた男がそれを呼び止めた。

 

「アンタ…何をギスギスしてるのか知らないがよ…そんなことばっかり言ってちゃ、周りに誰もいなくなるぞ」

 

「…ふん。ゴミが説教か?」

 

今度は周りの連中が憤ったが、男がそれを手で止める。

 

「まぁ、少し聞けよ。

…俺は、兄ちゃんがみすぼらしく見えて声を掛けたわけでも何でもない。

何か…表には出せないものを背負っているような気がしたんだよ」


「余計なお世話だ。俺が何か背負っていようとも、誰かに頼って生きるなんてごめんだからな」

 

「どこまでもふてくされた男だな、兄ちゃん。過去に大きな傷でも負ったか?

俺達と同じだな」

 

男が呆れたような声を上げる。

 

キャンディは目を見開いた。

 

「一緒にするな、クズが!俺は誰とも同類になどされたくない!

神でさえも俺より下なんだからな」

 

物静かなキャンディが、その『クズ』に対して徐々に饒舌になっていく。

もちろん本人はそんなことには気付いていない。

 

「俺はいつか、計り知れない程の力と金を手に入れる男だ」

 

そう言いながら、笑われるに違いないと次の言葉を選んでいたキャンディだが、ホームレス達はただ黙ってきいている。

 

「…チッ。つまらない奴に話が過ぎたか。

もう行くぞ」

 

「…兄ちゃん、名を教えてくれないか」

 

何を思ったのか、男は突然そんなことを言った。

 

「何…?

名乗る必要が無いな。

それに俺には名前なんか無い」

 

「やっぱりそうか…」

 

どちらの言葉に納得したとも取れる返事があった。


 

ようやくキャンディがその場から離れる。

 

じきに、ブレンダからの連絡が入るだろう。

 

彼女は「すぐに用意できる」と言った。

 

だが、そのせいで無一文になる事は避けたい。

 

金を払う直後、あるいはそれよりも前に何か金を生み出す方法を考えなければならない。

 

 

 

「妙な男だ」

 

「あぁ、だが不思議と嫌いじゃないな」

 

ホームレス達の会話。

 

キャンディを焚き火に誘った男が、彼を擁護する。

 

「はは!何を言ってるんだ、お前!

クズ呼ばわりされても気にならないってのかよ。エラくマゾっ気の強いヤロウだな」

 

「いや、そういう意味じゃなくてよ!

人嫌いな奴も珍しくは無いが、あの兄ちゃんは自ら望んでそうなったわけでは無いような…

なんというか、『大きな傷』を負ったというのも満更では無さそうだ」

 

一斉に仲間達が彼を見て口々に言った。

 

「だから何だ?」

「それで?」

 

短い沈黙。

 

「…分からない。それだけだ」

 

男は肩をすくめた。


 

 

「『おい』」

 

「『はい!』」

 

工場内。

 

RGは近くにいたクサナギを呼んだ。

 

クサナギは彼のお気に入りらしい。

 

 

順調にニセ札の生産は進んでいる。

 

数回の取り引きをこなし、『ニセ札』として『本物』の半額ほどで流した。

 

普通ならばそれは有り得ないくらいの高値だ。

 

だが、当時としてはあまりにも精巧すぎる複製。

ほとんどの確率で取り引き相手から「これは本当にニセ札なのか」ときかれる程だった。


 

 

まずは身内である日系のマフィアに。

 

そして中国系、ロシアン、イタリアン、アメリカン…と徐々にお得意さんを増やして行く予定だった。

 

 

「『飲みに行くぞ。お前も来いよ』」

 

「『え?あ、はい!

おい、カワノ!リョウジさんが出られる。車を回してこい!』」

 

クサナギが他の組員に叫ぶ。

 

彼はRGの下で働く人間の中でも一番の若手なのだが、それなりの地位を与えられているらしく、他の年上の組員に指示を出したりする。


カワノと呼ばれた男が一度工場から出て行き、すぐにまた戻ってきた。

 

背は低いが、幅のある体つきでガッシリとしている。

 

顎鬚を短く生やし、ヘアスタイルは丁寧に剃られたスキンヘッドだ。

 

「『整いました!どうぞ』」

 

彼が深々とお辞儀をする。

 

「『よし』」

 

クサナギが歩き出した。

 

だが、RGはキョロキョロと工場内を見渡し、動こうとしない。

 

「『…?どうかされましたか、リョウジさん?』」

 

クサナギが言う。

 

カワノは頭を下げたまま動かない。

少し辛そうだ。

 

「『いや、ナカムラはいるかと思ってな』」

 

「『はい?ナカムラですか?何か用があるんですか?』」

 

オウム返しをしたクサナギを、RGはサングラスをずらして睨んだ。

 

「『…!失礼しました!すぐに呼んできます!』」

 

「『ふん…』」

 

クサナギが「『ナカムラ!いるか!』」と連呼しながら走って行く。

 

 

カツカツと革靴が鳴る音が聞こえて、クサナギと入れ違うようにナカムラがRGの横に現われた。

 

「『お呼びですか?クサナギさんは、あらぬ方へ行ってしまわれましたが…』」


「『そこにいたか』」

 

「『はい』」

 

RGがナカムラを見る。

 

「『飲みに行こうと思ってな。お前も誘おうとしていたところだ』」

 

「『そうでしたか、恐縮です』」

 

ナカムラが頭を下げる。

 

「『こうして上手い具合に商売が始められたのも、お前の一言があってこそだからな。

透かしの部分の問題を、もう少し煮詰めて話せるイイ機会だ。

…付き合え』」

 

「『はい、ありがとうございます。ご一緒させていただきます。

それで…』」

 

顔を上げたナカムラが、小さくなったクサナギの背中を指差した。

 

「『あぁ、アイツか』」

 

「『はい。お連れしましょうか?』」

 

「『さすがに気が利く。だがイイ』」

 

RGが『スッ』と息を吸って腹にためる。

 

「『おらぁ!クサナギ!何してる!さっさと行くぞ!』」

 

遠くから「『えー!?は、はい!すいません!』」という返事が聞こえる。

 

 

「『はぁ…はぁ…ではリョウジさん、お車へ…どうぞ…』」

 

すぐに息が上がった状態のクサナギがやってきて、RGを案内した。

 

そしてクサナギが助手席、ナカムラが後部座席のRGの隣、カワノが運転席に乗り込む。


「『どちらへ?』」

 

カワノが振り返って言った。

 

「『そうだな…やはり静かな店がイイ。いつもの日本料理店に』」

 

「『承知しました』」

 

車が走り出す。

 

 

「『ナカムラ』」

 

「『はい』」

 

「『元々、おとなしい人間なのか?お前ほどこの仕事が似合わない男はいない』」

 

RGは足を投げ出してゆったりとシート座っている。

 

「『えぇ…まぁ。昔から活発な方ではありません』」

 

対してナカムラは、きちんと足を揃えて背筋を伸ばし、姿勢よく座っていた。

 

「『どうして行員を辞めてウチに?』」

 

「『はい。単純な理由です。

日本で銀行員として働いていた時、銀行の金をくすねたんです。もちろんすぐに捕まりました』」

 

「『ほう!それで?』」

 

RGの声が大きくなる。

 

「『職を失ってからは、転々と日雇いの仕事で生活をしていたのですが…

やはり再就職となれば、どこへ行こうと前科がつきまといます。

あの国はすべてに縛られすぎる』」

 

「『ははは!それは言えるな。愛国者など数えるほどだろう』」


前席のクサナギがカワノにヒソヒソと問い掛ける。

 

「『おい…愛国者って何だ?』」

 

「『はい?国を大事に思っている人の事では?

戦時中の日本国民なんかはその典型でしょう。『お国のために』とか何とか』」

 

カワノが答えるのと同時に、RGが咳払いをしたので彼等はおとなしくなった。

 

「『…それで?続きを』」

 

「『はい。『自由を求めて自由の国へ』なんていう浅はかな考えでしたが、わずかな金を握りしめてアメリカへ渡って来ました。

始めは行くあても無く、レストランやバーで住み込みのアルバイトみたいな事をしていましたよ』」

 

RGが「『そうか』」と頷きながら葉巻を取り出す。

ナカムラはサッとそれに火をつけた。

 

プカリと青い煙が立ちのぼる。

 

「『少し前。そちらにおられるクサナギさんが、数人の方々と私の働くレストランへ食事にいらっしゃったんです。

そこでのやり取りで、同じ日本人である事や仕事に苦労している事をお話しさせていただきました。

そして『それなら、ウチがどんなものか見てみたらどうだ?』と…』」


「『なるほどな。どうりで俺がナカムラの名前を知らないわけだ。

…おい、クサナギ。いつからウチは職場体験が出来る団体になったんだ?』」

 

ビクリとクサナギが反応する。

 

「『は…申し訳ありません!

ナカムラの事は、どうにも他人には思えなくて…ま、まだ仕事を任せたりしているわけではありませんので!』」

 

「『…よくやった』」

 

短い、労いの言葉。

 

「『は…?』」

 

「『情けや義理ってのは、イイ言葉だな?粋で。

俺はナカムラが気に入ってる。コイツには…金回りを一任してもイイんじゃないかと思うくらいにな』」

 

「『本当ですか!そんな事もあるんですね』」

 

クサナギは飛び上がって驚いたが、ナカムラは特に反応を見せずにうつむいている。

 

「『まぁ先ずは酒だ。酒くらい酌み交わしておかないとな、ナカムラ?』」

 

「『はい。ありがとうございます』」

 

黒塗りのプレジデントが駐車場へスルリと入っていく。

 

「『到着しました』」

 

カワノが言い、すぐに車から降りてRGの席のドアを開けた。


店は、キャンディとRGが以前二人で食事をした所とは別のものだ。

 

こじんまりとした玄関口。

 

すりガラスの引き戸で、軒下には白い『提灯』と呼ばれる昔ながらの灯がぶら下がっていた。

 

『割烹 あじ』

 

日本語でそう記された木製の看板が、入り口の戸の真上に備え付けられている。

 

 

「いらっしゃいませ。『おやまぁ、これはゴンドウ様。

ようこそお越し下さいました』」

 

ガラガラという音の立つ戸を開いて店に入ると、藍色の和服を着た女性が彼等を出迎えてくれた。

 

玄関先の板張りの床に両膝をつき、両手を揃えて頭を下げている。

 

「『あぁ、また来たよ。いつもの客間は空いてるか?』」

 

「『はい。ささ、どうぞお上がり下さいまし。

外は寒うございましたでしょう』」

 

標準語と言われる日本語とは違う、独特なアクセントで女性がしゃべる。

 

RGは靴を脱ぎ、玄関から一段高くなった床へと上がった。

 

「『お連れ様もどうぞ。お席へご案内いたします』」

 

直立したまま固まっている三人に、女性がにこりと笑いかけた。


 

 

「これで、イイかい?」

 

「あぁ」

 

「それじゃ、行ってきな!」

 

ブレンダはドンとキャンディの背中を叩いた。

 

「チッ」と舌打ちをしながらキャンディが動く。

 

間に合わせの、300ドルで買ったボロボロのカローラ。

そのトランクに、大きな荷物をいくつも投げ入れる。

 

自由の女神を粉砕させるとまではいかなくとも、建物を吹っ飛ばすには充分な量だ。

 

 

バタン!

 

トランクが乱暴に閉められ、キャンディが運転席に座る。

 

ガーッ!という不快なセルモーターの音が響いて、車のエンジンがかかった。

 

ギアを入れる。

 

「キャンディ!必ずまた、アタシに会いにくるんだよ!」

 

「…」

 

ブレンダが外から叫んでいる。

 

キャンディは車の免許を持っていない。

特に必要性を感じた事がないからだ。

 

しかし、彼には少なからず運転経験があり、大荷物を運ぶ為にこうしてハンドルを握っている。

 

 

車を発進させ、キャンディはチラリとルームミラーを確認したが、ブレンダはすでにいなかった。


 

 

畳張りの客間。

 

だが窓からは和風の庭ではなく、ニューヨークの町並みが見えるという何ともアンバランスな部屋だ。

 

 

テーブルいっぱいに並べられた料理。

 

魚や野菜を使ったものが多い。

それらは揚げ物や焼き物よりも煮物や生のままの料理が中心で、いかにもヘルシーだ。

 

さらに日本酒が入った『とっくり』という独特な形をした容器と、瓶ビールが四人の席の前に一つずつ置いてあった。

 

「『うん…こりゃうまいな』」

 

RGが箸で鯛をつつきながら言う。

 

ナカムラは彼の真向かいに座っていた。

何か言われたわけでもないが、RGの前にあるグラスにビールを注ぐ。

 

するとすぐに、RGはそれをゴクゴクと飲み干した。

 

「『ふぅ…ビールも旨いが、やはりこんなに冷える日には熱燗だな』」

 

「『…失礼しました。ではこちらを』」

 

とっくりを持つナカムラ。

 

それが熱燗と呼ばれる、温めた日本酒だ。

 

クサナギとカワノは、料理や酒に手をつけるわけでもなく、ジッとしている。


「『ん?なんだ…お前ら、つまらなそうな顔して』」

 

RGが眉間にしわを寄せる。

 

クサナギがもごもごと応える。

 

「『あ…いえ』」

 

「『あぁそうか。

遠慮しなくてイイぞ。好きに飲んで食べてくれ』」

 

RG自身、特に厳しい決まりごとを作っているわけではない。

 

だが、下の人間が上に立つ人間に遠慮をしたり、持ち上げたりする。

そういう風習が彼等にはあるのだ。

 

「『待ってました!』」

 

手のひらを返したように、クサナギが箸を手に取る。

 

「『ははは!調子のイイ小僧だ!

カワノ、ナカムラ。お前達も遠慮はしないでくれ』」

 

するとカワノは「『はい』」とビールを手酌で一杯飲んだ。

 

ナカムラも返事をしたが、自らの口に何か運ぶ前に、RGに次の酒を注ぐ。

 

 

「『おーい』」

 

それから十分と経たない内に、RGが店員を呼び付けた。

 

まだ料理がすべて出揃っているわけでは無かったが、酒は早々と底をついてしまったのだ。

 

「『はい。失礼します。

あら?ふふ、相変わらずお強いですね』」

 

先程対応してくれた女性が、床に転がった空の酒の容器を見て微笑む。


 

 

「『いいか、お前ら』」

 

ほろ酔い気分のRGが、上機嫌で言う。

 

「『あの工場を起点として、俺達は勢力を増やす。

他の仕事も山積みだが、ニセ札のビジネスは過大な影響を与えてくれるだろう』」

 

「『デカいファミリーとの繋がりも、徐々に出てくるかもしれませんね』」

 

これはクサナギだ。

 

ニューヨークにはいくつかの『ファミリー』と呼ばれるマフィア達が存在している。

抗争を連続で引き起こすギャングとは違い、マフィア達はいがみ合ってはいても、お互いを利用し合う事でその均衡を保っているのだ。

 

そのコネクションは、警察や検察、政治家などの表だって国や政府に関連している人間にまで及んでいるらしい。

 

「『その通りだ。彼等に媚びへつらうつもりは無いが、いつしか対等に渡り合える状態まで持っていきたいところだな』」

 

「『そうですね!』」

 

「『…しばらくは俺も、こちらで動く。その後はクサナギ、ナカムラ。

この仕事、お前達に引き継がせる。覚えておけよ』」


クサナギとナカムラが目を見合わせる。

 

そして、二人同時にRGの顔をうかがった。

 

「『本当ですか?ありがとうございます!』」

 

「『…ありがとうございます』」

 

クサナギは笑って礼を言ったが、ナカムラは冷静に言葉を発した。

 

「『いつその日がやってくるのかはまだ分からないがな。頼むぞ』」

 

そう言いながら、RGは酒をさらにあおる。

 

「『ゴンドウさん』」

 

「『ん?どうした?』」

 

RGの名前を呼んだのはナカムラだ。

 

「『貴方は…いや、皆さんは…

こうしてお付き合いさせていただいている内に思ったのですが。なんというか、私が持っていた『極道者』と呼ばれる人間のイメージとはかけ離れている気がします』」

 

 

場が一瞬シンとしたが、すぐにRGの笑い声が響く。

彼は機嫌が良いのだ。

 

「『ははは!確かにな!

祖国の人間とはかけ離れているに違いない!』」

 

「『はい』」

 

「『少し難しくて分からないかもしれないが…俺達はみな、はみ出し者からもはみ出してきた人間だ。

『自由こそが完ぺきな統率を生む』と俺は信じている。ただし、自由すぎるわけにもいかないがな』」


 

 

鉄扉からはわずかに灯が漏れているのが見える。

 

 

そこは夜も眠らずに稼動していた。

 

「内側からは…さすがに無理か…」

 

遠目にその建物を見ながら彼は言った。

 

深々とフードを被り、口元には黒いバンダナが巻かれている。

 

もちろん顔は完全に隠れてしまっていて、彼からちゃんと周りが見えているのかさえ分からないくらいだ。

 

しかしその独眼は、ハッキリとターゲットを睨みつけている。

 

「奴は中にいるのか…?まぁイイ。どちらにせよ、俺の知った事ではないな」

 

ドアを開け、トランクから大きな荷物を取り出す。

 

細心の注意を払いながら、彼は建物へとにじり寄った。

 

見張りらしき男が一人、あくびをしながら扉の側に立っている。

 

彼は荷物をスッと地面に下ろし、足音を殺したまま見張りに向かって一気に近付いた。

 

「…!…ぐっ!!」

 

素早く両腕を見張りの首に回し、声を上げられるのを遮る。

 

そのまま首を強く締め上げると、見張りは気絶してしまった。


「…」

 

口から泡を吹いている状態の見張りを、男はズルズルと引きずる。

 

そして男は鉄扉から少し離れた場所にある簡易便所へと、ソイツを押し込んだ。

 

これで邪魔者はいない。

ある意味、見張り番をしていたこの者は運がよかったのかもしれない。

 

 

「…」

 

無言のまま、男は荷物を拾い上げた。

 

 

建物の壁に、おぼつかない手つきで白い粘土状の物体をいくつか貼り付けていく男。

 

その一つ一つには管のような物、そしてそれらは何かの線ですべてが繋がっているようだ。

 

彼はグルリと建物を一周し、鉄扉の前まで戻ってきた。

 

 

緊張した状態。

 

見張りがいないとはいえ、建物の中にはいくらか人間がいる事は確かで、いつ誰がそこから出て来ないとも限らないからだ。

 

男は足音、呼吸、心臓の鼓動さえもわずらわしく感じているに違いない。

 

彼は線の端2本と荷物を手に持ったまま、建物からかなりの距離を取った場所へと移動した。

 

ひと呼吸おく。

 

「…ざまぁみやがれ」

 

パチッ。


 

 

「『いつもありがとうございます。またお越し下さいね』」

 

靴を履く四人に、女性が声を掛ける。

 

「『あぁ、ありがとう』」

 

RGが上機嫌で応えて、玄関口の戸をガラガラと開けた。

 

「『リョウジさん、ご馳走になりました!』」

「『ご馳走さまです!』」

「『お誘いいただき、ありがとうございました』」

 

店の外に出ると、すぐさまクサナギとカワノ、ナカムラがRGに頭を下げる。

 

「『おう、これから先の仕事が楽しみだな。さて…』」

 

葉巻を取り出すRG。

 

クサナギとナカムラがサッとライターを差し出す。

ナカムラはマッチとライターの両方を携帯しているようだ。

 

RGはクサナギの差し出した方の火を葉巻に当てて、プカリと煙を吐き出した。

 

ナカムラは無言でライターをしまったが、クサナギは自分の火が選ばれた事が嬉しいらしく、小さくガッツポーズをしている。

 

カワノが車を回すために走って行く。

 

 

バタン。

 

全員がプレジデントに乗り込む。

 

「『次はどちらへ向かわれますか?工場に戻られますか?』」

 

「『何だと?今の店で飲み足りたなんて言う奴がいたら、車から降りろ』」

 

「『はは!分かりました!では出します』」

 

RGの言葉にカワノは笑った。


 

 

それから個室のあるバーに行き、さらに酒を楽しんだ四人。

 

日本料理店にいた時に仕事の話は終わってしまっていたので、酒を浴びるように飲んだだけだ。

 

「『女でも呼び付けてどこかに泊まりたいかもしれないが、そろそろ仕事に戻るか』」

 

店のソファから立ち上がったRGが言う。

 

「『あはは!こんなに気持ちイイのに仕事だなんて!リョウジさんも冗談がキツいですよ!

さ、早く売女を呼びましょう!』」

 

クサナギがRGの手を掴んだが、代わりに拳骨が彼の頭に降ってきた。

 

「『す…すいません!』」

 

「『おら、行くぞ。カワノ、お前も足元がふらついてるが車はぶつけるなよ』」

 

「『はい』」

 

先程と同じようにカワノが車を回しに走る。

 

 

 

工場の近くの通り。

 

夜も更けているというのに、車が渋滞している。

 

RGはイライラとカワノにきいた。

 

「『なんだ?進まないが』」

 

「『分かりません』」

 

どこからか、小さくサイレンの音が聞こえる。

 

どうやら前方が通行止めになっているらしい。

 

「『カワノ、あとで車を持ってこい。俺達は歩く』」

 

「『分かりました』」

 

仕方なく、カワノ以外の三人は車を降りた。


 

回転灯の光が見えた。

 

警察、消防、救急車まで出動しているようだ。

 

「『大きな事故でもあったんですかねぇ?

俺達を歩かせるなんて、迷惑な話だ!』」

 

クサナギが言った。

 

酒で陽気になっているので、他人事だと鼻で笑っている。

 

「『これだけの渋滞を生んでるんだ。消防が来てるから、事故を起こした車が炎上でもしたんだろう』」

 

RGがそれとなく返すと、クサナギは「『そうか!そうでしょうね』」と大声を張り上げた。

 

「『パトカーや消防車が集まっているのは工場の方向ですね。

何事も無ければ良いのですが』」

 

ナカムラの言葉にも、クサナギは動じない。

 

「『はは!俺達には関係の無い事だ!』」

 

 

渋滞している車からも、降りて様子を伺っている人間達がチラホラいた。

 

「おい、アンタ…何があったか分かるか?」

 

まだ工場までは距離がある。

少しこの状況に不安を抱いたRGが、英語で一人の男にたずねる。

 

「ん?あぁ。よく分からないが、建物が爆破されたとかなんとか…」

 

「何?テロか?」

 

「さぁな。困ったもんだ」

 

無意識の内にRGの歩みが早くなる。


 

「『あ…あ…』」

 

工場の目の前。

 

クサナギは口をパクパクと動かしながら言葉を失っている。

 

警察によって封鎖されてはいるが、『それ』は確認できた。

 

 

半壊…いや、ほぼ全壊した工場。

 

火の手は上がっていないが、細い煙が何か所か弱々しく立ち上ぼっている。

 

建物内部は瓦礫で押しつぶされて見る影も無い。

 

そこから運び出され、救急車に乗せられる組員。

 

「『これは…』」

 

ナカムラも言葉に詰まっているようだ。

 

「『工場が爆破された…?クソったれ!そんなことがあるはずが無い!

おい!どけ!お巡り!』」

 

取り乱すクサナギ。

 

 

RGは目を閉じる。

 

怒りが込み上げた。

 

爆破された。

 

自分が離れている短い間に。

 

 

なぜ。

 

 

 

 

誰に。

 

 

 

 

ゾクッ。

 

「…!」

 

背中に冷たい視線を感じた気がして、RGは後ろを振り返った。

 

少なくない野次馬達の間。

口元を緩ませながら、こちらを見ているフードの男。

 

「『…キャンディ…!てめぇかぁぁぁぁ!!』」

 

だが、その影はすでに消えていた。


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