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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
4/34

The Choice is Yours

『Choice…選択』

 

「そして、残念だが…それは俺の名じゃない」

 

コービーを見下ろすキャンディ。

 

最悪の結末で協力者を失ったはずの彼だが、その顔のどこにも後悔の表情は無い。

 

彼の頭の中には、すぐにこの部屋に別れを告げる事、そして次に身を潜める場所の事しか浮かんでいなかった。

 

「じきに犬が駆けつけるな…」

 

キャンディは、先程クローゼットにしまったばかりの麻薬、コービーがわずかな期間で作った数枚のニセ札、携帯電話、そして拳銃を大きなボストンバッグに詰め込んでいく。

 

ちなみにこのバッグは、キャンディが麻薬をどこからか大量に仕入れる際に使っている物だ。

 

 

「もしもし」

 

「アイス・キャンディか?どうした?」

 

飛び出してすぐにアパートから離れ、電話をかけた相手はもちろんRGだ。

 

「殺った」

 

「はぁ?何言ってるんだ、お前?

仕事が早いにも程があるぞ」

 

「いいからさっさと来てくれ」

 

 

プツリと切れた突然の電話。

 

RGは言われたとおりにキャンディを拾うために走るが、その場に到着した時にRGがひどく機嫌を損ねていたのは言うまでもない。


サイレン。

 

アパートの方へと走っていく。

 

「…おら、さっさと乗れよ!アイス・キャンディさんよ!」

 

RGだ。

 

「…」

 

キャンディは特に礼を言うわけでも無く、謝るわけでも無い。

 

バン!とドアが閉まると、スッと車が進み出した。

 

 

「少し早めに、お前の言った工場に移らせてもらう事になった」

 

「…チッ。まだ、金を稼ぎ足りなかったんじゃないのか?」

 

「あぁ、もう少しアイツを使いたかったが…仕方ないから俺の持ち金を使う事にする」

 

なんと、時期が早かったというだけで、『コービーを殺す事』自体は予定通りだったのだ。

 

それも、ただニセ札をある程度作らせて、それを何らかの形で使用する事だけが目的。

 

始めから彼と最後まで付き合うつもりなど、キャンディには無かった。

 

「ふ…それならそれでイイ」

 

「また別の方法で金を集める事も考えたんだがな。イイ機会だ。思い切って行動を起こす事にする」

 

「分かった。で、お前の持ち金とやらはどこに置いてあるんだ、アイス・キャンディ?」

 

RGは葉巻に火をつけた。


「おかしな事をきくな。

手元に無いなら口座に入れてるに決まってるだろう。俺が穴を掘って、その中に大金を隠してるとでも思ったのか?」

 

「は!いつまでも毒が抜けない奴だな!

お前くらいの大物ともなると、隠し金庫でも持ってるのかと思っただけだ。デカイ金が誰かの目につかないようにな」

 

「キレイだろうが汚かろうが、金は金だ。

いくら額があっても、どうやって手に入れたんですか、だなんてきいてくる行員はいない」

 

キャンディの生活自体は質素なものだが、やはり仕事の報酬から蓄えがかなりあるのは間違いないようだ。

 

彼の「いくら額があっても」という言葉から、それがうかがえる。

 

「早めに下ろすのか?」

 

「いや、まだ使い時じゃない。アイツは決まった日取りを伝えてきていないからな」

 

キャンディが言う『アイツ』とは、彼が電話で話していたガラガラ声の男の事だ。

 

「とりあえず工場とやらを見せてくれ。もう入れるんだよな、RG?」

 

「もちろんだ」

 

白いメルセデスがニューヨークの街並みを走っていく。


 

 

「こりゃひどい…」

 

目を覆いたくなるような悲惨な状況。

 

それは、いくつものフラッシュがたかれる殺人事件現場。

 

思わずつぶやいた彼は、今年で警察に勤続して20年を迎えるベテランだ。

 

「フォレスト刑事」

 

彼の名前を呼びながら、一人の制服警官が近寄ってくる。

 

被害者の遺体をなるだけ見ないように、フォレストの顔を一点に見つめながら。

 

「なんだ?

…あぁ…そうか。お前が最初にここへ駆け付けたんだったな?」

 

「えぇ、そうです。銃声が聞こえた、という通報を受けて」

 

その警官が話す間も、証拠写真を撮るカメラのフラッシュがたかれ続けている。

 

「やはりそうか。ご苦労だった」

 

フォレストは、口まわりにたっぷりとたくわえた髭を指でなぞって言った。

 

「それで、フォレスト刑事」

 

「どうした。今から被害者の身元を調べたいんだが?」

 

「はい、実はその件で…」

 

「なんだ」

 

「…顔が変形しているので…ハッキリとは言い切れませんが。

被害者と…よく似た男を知っています」

 

警官が言葉を選びながら話す。


「聞こう」

 

「はい」

 

コホンと軽く咳払いをして、彼が続けた。

 

「実は、先日銃の不法所持で捕まえた男がいるんですが…」

 

「ソイツがこの被害者か?」

 

フォレストが間髪を入れずに質問する。

 

「いえ、違います。

その男を捕まえた時、もう一人の男がいたんです。

被害者はその、一緒にいた方の男と似ているな…と」

 

「そっちは捕まえなかったのか?」

 

「えぇ。私一人だった事もありまして、そちらの男は取り逃がしてしまったんです。

…後から銃の不法所持で捕まえた男の方にきいても『知らない』『仲間じゃない』という答えしか返ってきませんでした」

 

その言葉に、フォレストは額に右手を当て、何か考えている様子だったが、すぐに制服警官の目を見て言った。

 

「ソイツの住所は分かるか?」

 

「はい、もちろんです。引っ越してきたばかりで、住民登録などはまだ済まされていないようでしたが、問題ありません」

 

「…ではすぐに行こう。何かの手掛かりになるはずだ」

 

彼等は現場を後にした。


 

 

三十分後。

 

とあるアパートの部屋の、玄関前。

 

ガン!ガン!

 

 

ガンガン!

 

「…反応がないな」

 

勢いよく扉を叩く手を止め、フォレストはつぶやいた。

 

「本当にここで間違いないのか?」

 

「はい!もちろんです!」

 

フォレストには二人の警察官が同行している。

 

もちろん返事をしたのはその内の一人、先程フォレストに情報を提供した警察官。

 

一度警察署に戻り、この場所を示す資料に目を通して、ここまでやってきたという経緯だ。

 

「留守かもしれませんね?」

 

もう一人の制服警官が言った。

 

こちらは警察官になったばかりのルーキーで、まだあどけなさが残る20代前半の男だ。

 

ガッシリとした体つき。

 

黒っぽくも、やや茶色がかった短髪。

 

余裕がなく、ピシッと身体にフィットしている制服。

 

どことなく疲れているように見える表情は、まだまだ慣れない仕事からきているのかもしれない。


「ここはひとまず…」

 

彼は続けて何か言おうとしたが、それはガチャリという音に遮られてしまう。

 

それは紛れもなく、ドアが開いた音。

 

 

「なんだよ…俺は落ち込んでるんだぜ」

 

一人の大男が、ぬっと姿を現した。

 

「うわっ!びっくりした!」

 

「警察だ」

 

ルーキーが驚いて飛び上がるのを無視して、フォレストが大男に話しかける。

 

「はぁ…?げっ!よく見たら、お前らサツじゃねぇか!」

 

大男は反応が鈍いようだ。

さらには人の話を聞かない性格らしい。

 

「少し、たずねたい事があってな」

 

「ななななな…何の用だ!」

 

「だから、少したずねたい事があるんだが!」

 

「お、俺は何もしてねぇぞ!」

 

大男はかなり動揺している様子。

 

フォレストとの会話がまるで出来ていない。

 

「おい」

 

ここでもう一人の制服警官が口を開いた。

 

「久し振りだな。えーと…ドナルド?

そんなに久しく会ってないわけでもないがな」

 

「…はぁ!?何だ、お前!俺の名前をなぜ知ってる!」


この大男はおまけに物忘れも激しいらしい。

 

「お前…自分を捕まえた警官の顔くらい、普通は嫌でも覚えているものだぞ?

それとも、本当に私が分からないのか?」

 

「知らねぇよ!俺を捕まえただと?

俺は何もしてないし、捕まってなんて…あぁーっ!!」

 

その警察官を指差す大男。

 

「お前!俺の銃を勝手に取り上げた、悪徳警官じゃねぇか!」

 

「…」

 

その制服警官はあきれたように大男を見つめたが、フォレストとルーキーはクスクスと笑い声を口から漏らしている。

 

「なんともひどい言われ様だ!」

 

フォレストが涙を目に浮かべながら言い、我慢ならなくなったルーキーも、ついに腹を抱えて笑い始めた。

 

すっかり顔が赤くなった警察官が怒鳴る。

 

「バカヤロウ!お前は、まだ自分が罪を犯した事を自覚してないのか!」

 

「ふざけんな!俺は本当に何もしてねぇ!」

 

「おい!とにかく玄関先で騒ぐのは良くない。入れてもらおうか」

 

フォレストが切り出したが、もちろん大男はそれを拒んだ。

 

「何でだよ!帰れよ!」

 

「おそらくお前の…友達の話なんだが」

 

「何…だと…?」


 

部屋の中。

 

大男はソファにどっかりと座り、三人の警察はバラバラな位置に立っている。

 

床やテーブルには雑誌やチラシ、紙袋や瓶などのゴミが転がっていて、明らかに汚い。

 

「…で?話ってのは何だ?聞くだけだぞ」

 

大男がどことなくそわそわしながら言った。

先程とは態度が打って変わっている。

 

「お前が私に捕まった時…もう一人、小柄な男がいたよな?」

 

「…ふん、知らねぇな」

 

「まだそう言うのなら、それでイイ。

ある男が、死体で発見されたんだが…」

 

大男は、まっすぐに警察官の目を見ている。

 

「おそらく、お前と一緒にいた男だ」

 

「嘘だ!!」

 

大男はガン!とテーブルを蹴った。

 

瓶が一つ、床に落ちてゴトンという鈍い音を立てる。

 

「コービーが死んだだと!?嘘をつくんじゃねぇ!」

 

「落ち着け!まだ確定したわけじゃないんだぞ!

その、コービーという男の行方は分かってるのか?」

 

大男は「捕まった時に逃げた男は仲間だ」と自白した様なものだが、今は関係ない。


「クソ!…コービー!コービーが!

おい、アイツは今どこにいるんだ!」

 

立ち上がった『ビッグD』。

 

「だから落ち着け!」

 

フォレストが言い、三人がかりで彼を押さえつける。

 

「うぉぉぉ!そんなはずがねぇ!」

 

裏切られた事に対する怒りや悲しみなど、すぐに吹き飛んだ。

 

ビッグDにあるのはただ、友を思う気持ちだけ。

 

「放せ!」

 

「うわっ!」

 

まず、ルーキーが軽く投げ飛ばされる。

 

そしてすぐに残る二人の腕も振りほどかれ、ビッグDは猛烈な勢いで部屋を飛び出して行く。

 

 

しばらくは彼の雄叫びが部屋まで聞こえていたが、それも消えた。

 

「何も知らなかったみたいですね」

 

ここへ案内した警察官がフォレストに言う。

 

「だが、繋がりはあった。

また、あの男から話をきく事にしよう」

 

「すぐにですか?連れて来ましょうか」

 

「いや、今日は引き上げだ。聞き込みは後日。

それよりも、アイツが悪さを起こさないように見張ってやれ」

 

「承知しました」

 

そう言って警察官が敬礼をした時にようやく、ルーキーは頭を押さえながら立ち上がっていた。


 

 

ガランとした工場内。

 

チカチカと目障りな蛍光灯の光と、壁際にいくつか備え付けられている換気扇の音。

 

広さはない。

 

車が四、五台入ればいっぱいになってしまうだろう。

 

「どうだ?悪くないだろう」

 

「寝泊まりには向かない。事務所の様なスペースは無いのか」

 

いきなりのダメ出しに、RGは顔をピクリとこわ張らせた。

 

「キャンディ…お前が困ってるから協力してるんだぞ?

そんな言い方はないだろう」

 

「そうだな。悪かった」

 

そう言いながらも、キャンディはRGの方など見向きもせず、歩きながら工場を見回している。

 

コツコツと、彼の足音が響いた。

 

 

「少し狭いな」

 

「狭い方が、俺達セキュリティには都合がイイんだよ」

 

「では在庫はどうする?」

 

彼等はここで何かを生産するつもりらしい。

 

「たまる前に出せばイイだろ」

 

「安売りか?」

 

「キャンディ!お前!いい加減にしろよ!」

 

RGがキャンディを叱りつける。


「だいたい、機材はどうなんだ!早く連絡して急がせろ!

職人をさっさと殺しちまったのはお前だろうが!」

 

「分かった」

 

キャンディがボストンバッグの中から携帯電話を取り出し、ダイヤルのボタンを押した。

 

ツー…ツー…

 

2コール目で電話が取られる。

 

「…もしもし」

 

「俺だ」

 

「キャンディか?」

 

低いガラガラ声。

 

「あぁ。予定が狂った。完成を急いでくれ」

 

横から「狂わせたのはお前だろ」とRGが悪態をついている。

 

「…期間を縮めろという事か?」

 

「そうだ」

 

ガラガラ声の男はしばし沈黙し、返事をした。

 

「…倍額だ」

 

「何?」

 

キャンディの声が明らかに不機嫌なものになる。

 

「倍額だと言った。それなら一週間以内に仕上げてやる」

 

「チッ…」

 

「こっちも暇なわけじゃない。

急ぐのに見合う報酬が出ないなら、そこまで協力してやる理由は無い」

 

RGは二人の会話が気になるらしく、キャンディの持つ携帯電話に顔を寄せてきた。

 

「クソ…商売人め」

 

「それはお前もだ。アイス・キャンディ」


RGが横から小声でつぶやく。

 

「なんだ?もめてるのか?」

 

キャンディが人差し指を口に当てるジェスチャーをして、それを黙殺した。

 

舌打ちをしてキャンディを睨みつけるRG。

 

もっとも、キャンディの眼は彼からは見えず、さらにRGの眼も色が濃いサングラスのせいでキャンディからは見えないのだが。

 

「…誰か隣りにいるようだな、キャンディ?

例の『ヤクザ』とかいう日本人か?」

 

「…」

 

「…ふん、まぁイイ」

 

感づかれた。

 

携帯電話に耳を近付けているRGは、さすがに言葉を発しなくなった。

 

「どうする?払うのか、払わないのか。

もちろんこちらとしては、どっちでも構わない。好きな方を選んでくれ」

 

「クソ…」

 

「交渉成立だ。

金は搬入までに必ずキャッシュで用意しろ。鍵つきのジェラルミンケースに入れておけ。

…立会い人は?」

 

テキパキとガラガラ声の男が段取りをしていく。

 

「…今、横で盗み聞きをしてる男でよければ」

 

「一週間後、場所は直前にこちらから連絡する」

 

すぐに電話は切れた。


 

「面倒な事になったな…倍額だと!

なんて奴だ」

 

「やるしかないんだろ、キャンディ?

何度も言うが、自分で撒いた種だ。しっかりとケジメつけないとな。

金で事が済むんならそれで良しとしろよ」

 

RGがポンとキャンディの肩を叩く。

 

「俺に触るな、RG。

…ケジメとやらの意味が理解出来ないが、金は用意するさ。

一週間後に口座から引き出す、その時は俺を拾いに来てくれ。

取り引き場所が歩いて行ける距離だとは限らないからな」

 

「分かった分かった。だが、一週間後か…それまでここに一人で閉じこもる気なのか?」

 

「バカ言え。俺の商売は一つや二つじゃないんだぞ。

機材の完成までに手持ちぶさたでいられるか」

 

キャンディはボストンバッグの中から麻薬の入った袋を一つ取り上げて、RGに見せた。

 

「なるほどな。

セキュリティはウチの若いのに任せておけ。24時間態勢で警護してやる」

 

「…いらない。邪魔になるだけだ。

俺の商売に頭数は必要ない」


「食えないな、キャンディ」

 

葉巻を取り出し、退屈そうに言うRG。

 

青い煙が狭い工場の空間に広がった。

 

「言ったはずだ。俺は女神をも食らう」

 

「ふん。では一週間後に」

 

カツカツと高い革靴の音を響かせて、RGが去っていく。

 

煙はやがて、換気扇に吸い込まれて外へと消えて行った。

 

キャンディはゴソゴソとバッグの中をかき回して、わずかな金をスウェットの袖に入れる。

 

まずは商売よりも、数日分の食べ物を買い込みに行くつもりなのだ。

 

バッグをその場に残し、工場の鉄扉を閉めて彼は歩き出した。

 

 

 

曇天で薄暗い。

 

冷え込みも強い。

 

今まで生活していたアパートとは違い、この工場は海が近い。

 

波打ち際からの風が、いっそう彼に寒さを感じさせた。

 

 

夕暮れ時になると、また暗くなる。

 

道端でドラム缶の中に薪を入れて焚き火をしているホームレス達。

 

教会の前には、来る日も来る日も寝床を求めて、大勢の貧困民が列をなしている。


『神など、この世には存在しない』

 

それが、アイス・キャンディという男の持論。

 

慈悲、絆、信頼、思いやり、友情…それらは彼にとって無用な単語だ。

 

綺麗ごとを突き通せば突き通す程、人を信じれば信じる程、人を愛せば愛す程…

 

彼は裏切られてきた。

 

そして彼はいつしか、物事を疑い、人を疑い、神をも信じない存在へと変化したのだ。

 

「…」

 

手に入れた食料。

それが入った紙袋を持って教会の前を歩けば、当然人の視線が集まる。

 

フードの奥から恨めしそうにその貧困層の人間を見ながら、キャンディはその場を通り過ぎた。

 

「どいつもこいつも…飢えた犬畜生みたいな顔しやがって」

 

吐き気にも似た胸のムカつきを感じながら、キャンディは悪態をついた。

 

 

 

鉄扉を開けて、工場内へと入る。

 

食事を取るつもりで買い物に行ったのだが、どうにも彼はそんな気分になれないらしい。

 

乱暴に缶詰やパンを床に放り投げて、そのまま横になってしまった。


 

 

「失礼します」

 

慌ただしい警察署のフロア内。

 

自分の机に座って新聞を読む男の前に、一人の警察官がやってきた。

 

「フォレスト刑事」

 

「なんだ」

 

新聞を折り、仏頂面でフォレストが応える。

 

「先日、アパートを訪ねて話した大男を覚えていますか?」

 

「もちろんだ」

 

「そろそろ、もう一度向かわれるおつもりですか?」

 

もちろんこの警察官は、フォレストをビッグDの家まで案内した者だ。

 

「そのつもりだ。わざわざお前に言われなくてもな!巡査長!」

 

フォレストが再び新聞に目を落とす。

 

「第一、なぜお前がこのデスクまでやって来るんだ」

 

「報告があるからです、刑事」

 

「ほう。面白い話なんだろうな?言ってみろ」

 

「…はい。実は昨日から、例の大男が消息をたっています」

 

バン!とフォレストは机を叩いた。

 

「本当か!監視するように指示を出したじゃないか!」

 

「えぇ…しかし、男を見張らせていたルーキーが目を離した隙に。

家から忽然と姿を消したらしいのです」


「何!すぐにアイツを呼んで来い!」

 

部屋中に響き渡るフォレストの怒鳴り声。

 

他の署員達の視線が彼に向けられたが、一瞬でそれは無くなった。

 

慌ただしくなるような仕事が山積みになっているのは、ここにいる誰もが共通している事なのだ。

 

 

 

「…申し訳ありませんでした。あの男はいつの間にやら」

 

呼び付けられたルーキー。

 

直立不動の状態で硬直しているが、目は床を一心に見つめている。

 

「バカヤロウ!大男を見失った事よりも、お前が自分ですぐに報告に来なかった事に俺は怒ってるんだぞ」

 

「すいません…怒られるのが嫌で。意地でも自分で男を探し出すつもりでした」

 

「その行動のせいで、怒られてるんだぞ。

第一、どちらにしろ、こうやって俺の元へは情報が入る。だったらわざわざ俺への報告を遅らせるよりも、自分の口で直ちに伝えるべきだ」

 

ルーキーは返す言葉もないようだ。

 

「…あの男は容疑者ってわけでもないから、俺よりも上に話は通さない。

お前達、力を合わせて探し出してみろ」

 

「…!!」


敬礼をし、二人の警察官がフォレストの元を離れていく。

 

「さて、どうしたものか」

 

体を反って椅子によりかかり、新聞を顔に乗せるフォレスト。

 

典型的な居眠りの方法だ。

 

 

だが、次々と飛び込んでくる新しい事件、部下からの報告、上司からの指示。

 

結局、彼は一分たりとも休む事が出来なかった。

 

 

 

「巡査長!」

 

「なんだ?ほら、お前が車を回せ」

 

「あ、はい!」

 

パトカーへ乗り込みながら、二人が会話する。

 

「フォレスト刑事、やっぱり怒っちゃいましたね」

 

「バカヤロウ。あんなの怒ってる内に入らない。

お前にこうしてチャンスを与えて下さったじゃないか」

 

帽子を脱ぎ、ルーキーにとっては先輩にあたる巡査長が言った。

 

「それに…あの人が本気で怒ったとしたら、お前はこうしてハンドルを握る気にもならなかっただろうな」

 

「…え?どういう意味ですか?」

 

「いずれ分かる。あの人と共に危険な道を歩いていけば、あの人の本当の恐さが」

 

ルーキーの頭にはクエスチョンマーク以外、浮かばない。


 

途中で立ち寄ったガソリンスタンド。

 

スナックやパン、ドリンクを買う。

 

警察官の勤務中にも、こういった最低限の自由は許されているわけだ。

 

「また殺しがあったらしいぜ…」

 

「マジかよ。まったく…いつまで経っても物騒な世の中だな」

 

店内に居合わせた他の客達の世間話が、ルーキーや巡査長の耳に入る。

 

おそらく客が話しているのは、二人が追っている事件の話題だろう。

 

良いニュースは聞き流し、悪いニュースにばかり耳を傾ける…

それが多くの一般大衆の習性だ。

 

無言で、二人はパトカーへと戻った。

 

「巡査長」

 

「ん?」

 

モグモグと、買ったばかりの食事を取りながら彼はルーキーを見る。

 

「手掛かりはどうやって探すんですか?

俺…あの男を見つける自信が無くなってきました」

 

巡査長は食べ物を置き、ゆっくりと言葉を返す。

 

「…あのな、手掛かりは『探す』んじゃなくて『作る』んだ。

さっきスタンドの中にいた二人組だってイイ。

『誰からその話を聞いた』と辿っていくのも手だろう…?

手掛かりは向こうからやってきたりはしないぞ。こちらから積極的に動いていくのが鉄則だ」


「なるほど…」

 

「何かをする前から自信を無くすのは間違ってる。そうだろ?

例えば歌手になりたいと願う人間が、初めて歌う前から自信を無くしたりはしない。自分の歌声さえも聞いた事がないのに」

 

この言葉はルーキーの心に深く響いた。

 

「…なんだか、自信が湧いてきましたよ!

すごい考え方ですね。さっき巡査長がフォレスト刑事の事をおっしゃってましたが、貴方も彼に負けないくらい素晴らしい人だ!」

 

「バカ言え」

 

巡査長は笑いながら応える。

 

「今、お前に話した事はすべて、あの人からの受け売りだ」

 

「えっ!」

 

「お前もきっと素晴らしい警察官になれるさ。自分の仕事に本気でぶつかっていけば、の話だがな」

 

巡査長が再び食べ物に手を伸ばす。

 

「あ…ありがとうございます!」

 

「ほら、さっさと大男を見つけ出すぞ。人探しの一人や二人、簡単にこなしてみせろ」

 

ルーキーも彼に習って食べ物に手を伸ばそうとしていたところだ。

 

「…何してる!早く車を出せ!」

 

「あ、はい!

え!?すいません!」


 

 

数日後。

 

「チッ…サツか…」

 

走っているパトカーを見たキャンディがフードを深く被る。

 

擦れ違う際、若い警官がハンドルを握り、その横に中年の警官が座っているのが見えた。

 

 

キャンディが工場を出て道を歩いている理由は、前回と同じく、食料を調達する為。

 

翌日にはRGが彼を迎えに来る予定だ。

 

 

「おぉーい!」

 

呼び止めようとする声。

 

「…!」

 

ビクリとキャンディの体が反応する。

 

だが、歩みは止めない。

 

ガラガラとギアが妙な音を立て、車がバックしてくるのが分かった。

 

「クソ…ポンコツのパトカーが…何なんだ」

 

そうつぶやいたキャンディの横にパトカーが停車する。

 

「すみません!ちょっと教えてくれないかな!」

 

運転席から腕を出している若い警官が言った。

 

やけにテンションが高く、キャンディは一瞬でこの男を嫌いになった。

 

「…なんだ」

 

「ちょっと人を探してるんです!この男なんだけど…」

 

キャンディの前に、一枚の写真が差し出される。


見覚えのある顔。

 

キャンディはこの大男をよく知っている。

 

「…知らないな」

 

だが、もちろん彼がそんな事を口にするはずがなかった。

 

彼は他人の為だけに、自分に何の得もなく協力するような性格ではない。

 

「そうですか…」

 

「…」

 

無言で歩き出すキャンディ。

 

警察があの大男を探している理由は彼には分からない。

 

だが「知っている」と言い、関わったところで、必ず面倒な事になるのは目に見えているのだ。

 

さらに彼はつい先日、コービーを殺害したという事実がある。

 

「ちょっと…!ちょっと待って!」

 

「…?」

 

なぜかまた警官がキャンディに呼び掛け、彼は仕方なく立ち止まる。

 

「何度も申し訳ない!では、こっちの男は知ってますか?」

 

新しい写真が提示された。

 

「先日、この男がある事件に巻き込まれまして…」

 

「…」

 

「何でもイイんです!知っている事があったら!」

 

次の写真に写っていたのは、紛れもなくコービー。

キャンディがまともな返事をするわけもない。

 

この若い警官の情熱は大したものだが、それもキャンディの心を動かす理由にはならない。


「さぁな」

 

「そうですか…ご協力、感謝します!」

 

ようやく若い警官は折れた。

 

窓を閉め、パトカーが発進していく。

 

 

「…ふん。どうやらあまり出歩く事も出来なくなってきたみたいだな。面倒だ…」

 

キャンディが独り言をつぶやく。

 

そのまま彼は、近くにある小さな個人経営の食料品店へと入った。

 

また、数日分の食料を買い込むわけだが、今回はなるだけ多くの食料を手に抱えた。

 

警察の動きのせいで、頻繁に外へ出れなくなってきたのが理由だ。

 

しかし、それだけなら食事の手配をRG達にすべて頼んでも良いはずだ。

それをやろうとしないのも、すべてキャンディの人嫌いが関係している。

 

『彼は何も信じない』

 

 

ドン。

 

台に商品を乗せるキャンディ。

 

あまりの購入量に、レジを打つ初老の女性店員が目を丸くしている。

 

「…これ、全部かい?」

 

「見れば分かるだろう?大きな袋を用意してくれ。

早くしろ」

 

 

「ありがとう!また来ておくれよ!」

 

満面の笑みの店員に見送られて、彼は店を後にした。


表を歩く。

 

その荷物の多さから、今まで以上の視線が彼に向けられる。

 

教会の前。

 

いつもの様に列を成す貧困層の人々。

 

今にもキャンディの持つ食料に手を伸ばしてきそうだ。

 

 

その中に一人、大きな体格の者がいた。

 

その者はうつむき、ただ黙って列に並んでいる。

 

他の人間の視線がキャンディに釘付けなのに反して、その者だけはジッと地面に落ちた石ころを見つめているのだ。

 

『アイツは…ビッグDか?どうしてこんなところに』

 

それを見たキャンディはそう思ったが、わざわざ話しかけたりはしない。

 

 

ピッピッ!

 

クラクション。

 

「おい、キャンディ!」

 

白いメルセデス。RG。

 

たまたま通りかかったらしい。

 

車はキャンディの真横に停車した。

 

「どうして出歩いてるんだ?

しかし大荷物だな。送ってやるから乗れ」

 

「…」

 

無言で荷物を抱えたまま助手席に座る。

 

RGの親切のおかげで、さらにジロジロと見られる結果となったが、大男はやはり何の反応も示さなかった。


 

「なんだ、浮かない顔して」

 

「何?」

 

「明日はいよいよ待ちに待った取り引きだろう。もっと機嫌が良くてもイイんじゃないか?」

 

RGの言葉に、キャンディはフンと鼻を鳴らす。

 

「俺が機嫌良く、ラップでも口ずさんでるのを見た事があるのか?」

 

「確かにそれは無いな。そんなに上機嫌なお前は想像もつかない。

…大方、心配事でも抱えてるんだろう」

 

「サツが俺の関わった殺しを嗅ぎ回ってる。さっきまで若い犬と話してたところだ」

 

今度はRGが鼻を鳴らす番だった。

 

「は!当たり前だ!

だから俺は、お前が出歩いてるのを見て驚いてたんだからな」

 

「チッ…」

 

「面倒になるのを知っての行動だろう?じゃなきゃ、ただのバカだ。

サツの動きは俺達も把握してる。だからセキュリティをつけてやると言ったんだぞ。

少し早かったが、お前はきちんと仕事をこなした」

 

車が工場に到着し、キャンディが助手席から降りる。

 

「いや、まだ取り引きと機材の搬入が残ってる」

 

「また明日。アイス・キャンディ」

 

ドアが閉められた。


 

 

翌日の朝、RGは約束通りキャンディを迎えに来た。

 

寝起きのせいで、いつも以上に不機嫌なキャンディ。

 

まずはジェラルミンケースを購入する為に店へ向かうように指示を出す。

 

「…RG。金を入れるケースを買いに行かなくちゃならない」

 

「何を言ってる?そんなもん、最初から用意してるに決まってるだろう?」

 

RGが右手の親指をピッと後部座席に向ける。

 

キャンディが振り返ると、確かにそこには鈍い銀色をしたジェラルミンケースが置いてあった。

 

「随分と気が利くな」

 

「小さなものも数えれば、取り引きなんて日常茶飯時だからな。

ケースくらい腐るほど持ってるのさ」

 

「鍵は?」

 

「もちろんついてる。

ところでキャンディ、朝食でも一緒にどうだ?」

 

だが、RGの誘いにキャンディは首を振った。

 

「いや。さっさと銀行に行ってくれ。

いつ取り引き場所の指定の連絡があるか分からない」

 

「…そうだな。分かった」

 

そしてガラガラ声の男からの連絡を待つ。


 

数時間後。

 

太陽が高く昇った頃。

 

ピリリ…ピリリ…

 

銀行から工場に戻り、連絡を待っていた二人に、ようやくその音が聞こえた。

 

キャンディの携帯電話だ。

 

「俺だ」

 

「…金は?」

 

「揃ってる」

 

キャンディも相手の男も、挨拶すらせずに淡々と用件だけを話した。

 

RGはプカリと葉巻をふかしている。

 

サングラスで目は見えなくとも、彼が少し緊張しているのがキャンディに伝わった。

 

「場所と時間は?」

 

「今…」

 

受話器の向こうから、車のドアが閉まるような音がきこえた。

 

 

「今…お前がいる、工場の外についたところだ」

 

「な…!」

 

当然驚いたキャンディは大声を出し、外へとつながる鉄扉を見る。

 

それを見たRGは「どうした」と声をかけながら、スーツの懐に手を入れた。

 

内ポケットに忍ばせてあるのは、おそらく拳銃だろう。

 

ピリリ…ピリリ…

 

再び携帯電話の着信音が響く。

 

もちろんキャンディの物ではない。


「『もしもし』」

 

そういう日本語で電話に出たのはRG。

 

鳴っていたのは彼の携帯電話だ。

 

電話で話しながらも、懐に入れた手は抜かない。

 

「『リョウジさん!何だか怪しげなトラックが一台、工場の前に停車してます!

すぐにトラックから一人の男が出てきました!』」

 

「『何?』」

 

RGに電話をしてきたのは、彼の手下。

 

外で見張りをする、いつも彼が言う『セキュリティ』と呼ばれるチンピラの事だ。

 

RGが何人か工場の周りに配置していたに違いない。

 

「必要ない」というキャンディの意見を無視していた事になる。

 

 

キャンディに彼等の話す言語は理解できないが、自分の方を見ているRGに彼は頷いた。

 

「お客さんだ、RG。

今すぐに、ここでの取り引きをご所望だ」

 

「…分かった。

『おい、クサナギ!その男を中に入れろ!』」

 

「『え!?あ、はい!分かりました!』」

 

 

「おい、アイス・キャンディ。入ってイイのか?」

 

まだ繋がったままのキャンディの携帯電話から、ガラガラ声が聞こえてくる。


「あぁ、入ってくれ。中で話そう」

 

「…分かった」

 

 

しばらくして鉄扉が開き、一人の男のシルエットが見えた。

 

外からの逆光で、キャンディやRGからは身体全体の輪郭以外は確認出来ない。

 

 

一歩。

 

また一歩。

 

右足をかばうようにして歩いて来るシルエット。

 

どうやら右足が不自由らしい。

 

「待たせたな…アイス・キャンディ」

 

肉声のガラガラ声。

 

「ここへ入る時、外にいた若造からはボディチェックすらされなかったが?

…平和ボケしてよほど緊張感がないのか、それとも…」

 

「こちらは銃を懐に一丁、持ってる。

どうしてそちらにだけそんな真似をする必要がある?」

 

こう答えたのはRGだ。

 

「ほう…これはこれは。中々、話が出来る男だ。

確かに、お前は立会い人であっても明らかにアイス・キャンディ側の人間だからな」

 

「それはどうも」

 

 

ガラガラ声の男の姿が見える。

 

頭からだらしなく伸び、肩まで届く白髪。

 

顔の下半分まで覆い茂る髭も白い色をしている。


背丈はキャンディと変わらない程度。

 

服装は黒いツナギにコンバットブーツ。

 

軽く袖をまくった腕には、無数の切り傷や刺し傷がある。

 

 

「ようこそ『トム』。ご老体にむち打って来ていただけるとは」

 

キャンディが恭しくお辞儀をした。

 

「ふん。年寄り扱いなどいらない」

 

『トム』と呼ばれた男は面倒くさそうにキャンディを睨みつける。

 

細くて鋭い、まるで人を射殺せそうな力を持った眼だ。

 

「さて、どうしてこの場所を知っているのか、教えてもらおうか」

 

「…簡単なことだ、アイス・キャンディ。

こちらにだって、お前達の持っているような小僧共がいる。ただそれだけの事」

 

トムは親指を倒して、扉の方へ向けた。

 

「では『よく一人でここまで来たな』という言葉は飲み込んでおいた方が良さそうだ」

 

「さすがに賢い。見くびってもらっても困るのでな。

…気持ち良くこの場を立ち去る事が出来そうだ」

 

エッエッ、としわがれた笑い声を上げるトム。

 

すぐにRGが口を開く。

 

「トラックで来たらしいな、じいさん?」

 

「そうだ、日本人。すべてがすぐに終わる。

では…はじめようか」


 

RGがジェラルミンケースをキャンディに手渡した。

 

キャンディはすぐにそれを地べたに置いて鍵を開け、中身をトムに見せる。

 

「…1…2…3…」

 

トムはその場から札束を指差しながら数えた。

 

わざわざ手にとってパラパラと札束をめくったりはしない。

 

「確かに数は揃ってる。倍額。見事に用意したな」

 

「ふん…」

 

「…では、こちらに渡してもらおう」

 

トムが手招きをすると、黙っていたRGが口を開いた。

 

「おい、じいさん。ニセ札かどうか調べなくてイイのか?

この取り引きは、普通ならお互いに疑ってかかる様な内容だ」

 

「…ふむ…ではなぜそちらがボディチェックをしなかったのだ、ともう一度だけ返しておこう。それが理由だ。


そして、このアイス・キャンディという男を…本気で信頼する事が出来なくても、彼が本物の仕事のやり方を心得ている事は知っている。

ここでこちらを騙したとしたら、後々になって損をするのはお前達だけだ」

 

「…何?俺達だけ…?じいさんだって騙されたら損をするんじゃないのか?」

 

トムの言葉に、RGは困惑した。


「RG」

 

「ん?」

 

「もうその辺にしておけ。彼の言う事など、どうでもイイ」

 

同時に「コホン」とトムが咳払いをした。

 

「では、コイツはもらっていく。

後は好きにしろ」

 

「何?おい、トラックは?」

 

ケースを持ち上げ、ゆっくりと右足をかばいながら外へと向かい始めたトムに、キャンディが言った。

 

「…お前達にくれてやる。あんなものは単なる機材の入れ物にすぎない。

安心しろ。盗難車ではないからな」

 

「それはどうも。送るか?」

 

「いや、必要無い。小僧共の車があるからな」

 

トムが鉄扉を開けると、彼の手下である連中が次々と敷地内に数台のSUVを乗り入れているところだった。

 

こちら側のセキュリティ達がそれを見て驚いているのが分かる。

 

 

取り引きの終了時間ぴったりの迎え。

 

彼の衣服に盗聴器を忍ばせて、会話内容を聞いていたのかもしれない。

 

「では、また何かあったら連絡してくれ」

 

最後にトムは振り返り、そして車に乗って去っていった。


 

「『クサナギ!』」

 

「『はい!』」

 

RGが突然怒鳴り声を上げ、クサナギと呼ばれた若い男が返事をした。

 

彼は先程、トムが到着した際にRGと電話で話していた相手だ。

 

安っぽい、くたびれたグレーのスーツを着て、すり減った黒の革靴を履き、長めの髪を明るい茶色に染めて整髪料で逆立てている。

 

年は20そこそこ。

 

少し背伸びをしている風にしか写らない。

 

まじまじと彼を見ながら、キャンディは『まだまだ駆け出しだな』と思った。

 

「『みんなを集めて来い。トラックから機材を運び出すぞ』」

 

「『はい!分かりました!』」

 

一礼してクサナギは少し離れた場所に走った。

 

そこで携帯電話を取り出している。

 

人手を集めるのだ。

 

 

「『リョウジさん。今、ここにいるセキュリティとは別に、さらに十人程に声を掛けました。

すぐにやってきます』」

 

「『分かった』」

 

RGが葉巻をくわえる。

 

「『どうぞ』」

 

するとすぐに、クサナギが自らのライターを取り出して火をつけた。

 

キャンディは不思議そうにその光景を見つめる。


「上下関係ってやつか?」

 

「ん?何がだ?

…おっと、若い衆が到着したみたいだ」

 

RGが顎で指し示す。

 

ニッサン製の高級車が、ゾロゾロとやってくる。

 

ここでは珍しい右ハンドル車だ。

おそらく彼等の本国から持ち込んだものだろう。

 

 

「『お疲れ様です!』」

 

口々にそんな事を言いながら、車の中から男達が出て来た。

 

そのまま彼等は整列して、RGに向かって一斉に頭を下げる。

 

「『ご苦労さん。

お前ら、トラックから機材を下ろすのを手伝え』」

 

彼等から『はい!』という元気な返事。

 

キャンディは初めて、RGの地位は高いのかもしれないと思った。

 

彼は、RGのスーツの襟に光るバッジの意味を知らない。

 

「『おい!クサナギ!何してる!早くトラックをバックさせて扉の前につけろ!』」

 

「『え!?あ、はい!すいません!』」

 

クサナギがトラックに乗り込み、エンジンをかける。

 

が。

 

すぐに『プスン』とエンストしたせいで、RGの怒号が響いた。


 

 

「『おい!そっちを持て!』」

 

「『うぃっす!』」

 

若いチンピラ達の掛け声が響く。

 

キャンディとRGは腕組みをしたまま、その様子を見ている。

 

 

コンテナトラックの中から姿を現したのは、車一台程の大きさの機材。

 

十数人がかりでようやく運び出される。

 

「コイツが…今からの俺の商売を助けてくれる」

 

「『俺達の』商売だ、キャンディ」

 

「ふ…そうだな」

 

珍しく、キャンディの口元が穏やかに緩む。

 

「ん…?今、笑ったか?」

 

「いや」

 

「こりゃぁ、一大事だぜ」

 

「ふん」

 

キャンディがフードを深く被る。

 

「『リョウジさん!』」

 

クサナギだ。

 

顔を真っ赤にしながら機材を持ち上げている。

 

「『どうした!』」

 

「『どの辺りに運びましょうか!ご指示をお願いします!』」

 

キャンディには通じない言葉でのやり取り。

 

RGが工場の中へと歩いていく。

 

「キャンディ!お前も来い。コイツを好きなようにセッティングしろ」


「あぁ、分かった」

 

 

ゆっくりと、機材が床に下ろされる。

 

雑な灰色に仕上げられた外観。

おそらく鉄製だ。

 

トムは作る物に対して、見た目の良さなど考慮しないらしい。

 

 

ゴツゴツした灰色のボディに、いくつかのカラフルなボタンが取り付けられている。

 

パッと見、昔の映画に出て来るような大型のコンピューターといった感じだ。

 

「『はぁ…コイツは一体何なんですか?』」

 

息を切らしたクサナギがRGに問い掛ける。

 

他の若い衆達も思い思いに座ったり、寝転がったりしている。

 

「『金を生み出す装置だ。文字通りな』」

 

「『はい…?』」

 

「『百聞は一見にしかず。少し待て。

アイス・キャンディがすぐに動かしてくれる』」

 

キャンディは二人がそんなやり取りをしている間、トムのお手製の取扱説明書を読んでいた。

 

「…よし、理解した。

ケーブルをつないで電源を入れてくれ」

 

 

ブゥン…と低い音が響き始める。


ガーッという音と共に、まっさらな紙が出てきた。

 

大人の男が両腕を伸ばしたくらいの幅。

 

機械の中に大きなロール紙が入っているようだ。

 

「『紙…が出る機械ですか、リョウジさん?』」

 

「『バカヤロウ。これに少し細工を加えるんだよ。

この紙の色…気付かないか?』」

 

「『この色は…100ドル札の色!そうか!』」

 

クサナギが飛び上がる。

 

「『アイス・キャンディは、コイツにプリントするニセ札を作れる程の腕を持った職人を探していた』」

 

「『はぁ、なるほど。

しかし、それならば本物の札のコピーでもよかったんじゃないですか?

こんな機械で大量にニセ札をばらまくのなら、そちらの方が効率的な気がします』」

 

「『そんなことは分かってる。

だが、元々機械で作られた本物の札を、さらにコピーして機械に通してしまうと明らかに違和感が出てくる。

キャンディが探していたのは、原稿や原本として使う札だ。

それは手書きで、なおかつ緻密に模写されたものでなければダメだった』」


クサナギがうなる。

 

「『うぅむ…そんなことまで考えていたんですか。

なんてお人だ』」

 

「『コイツがな』」

 

そう言ってRGがキャンディを指差すと、キャンディは「何だ」とつぶやいた。

 

何度も言うが、クサナギとRGの会話は日本語なので、キャンディは理解できていない。

 

 

「さて、キャンディ。そろそろ作業に取り掛かるのか?」

 

「そうだな」

 

ボストンバッグから、ニセ札の束を取り出す。

 

これらはコービーの遺作のような物だ。

 

若い衆が、ニセ札を床に並べるキャンディの近くへと寄ってくる。

 

「『ん…?冗談だろ』」

「『これは、ニセ札なのか?』」

「『見事な腕だ』」

 

彼等の口からは、次々にコービーのニセ札の出来栄えを褒めたたえる声が上がった。

 

「何だ、お前達。今からキレイに並べて板か何かに…おい!触るな!」

 

キャンディが叫ぶ。

 

「『ははは!おい、キャンディをあまり怒らせるなよ。てめぇら』」

 

仕事を邪魔されるのは、キャンディがもっとも嫌う事の一つだ。


「何か欲しいのか?貼り付けてデータを取るんだろう?」

 

「あぁ、必要な物がある。だが構わないでくれ。

…俺の仕事だ」

 

「またそれか。冷たい冷たいアイス・キャンディさんよ」

 

RGの皮肉も気にせずに、キャンディはブツブツと何かをつぶやいている。

 

そしてどこからともなくペンと紙きれを取り出して、さらさらと走り書きを始めた。

 

『買い物リスト』といったところか。

キャンディの几帳面な性格がよく分かる。

 

「後は任せても大丈夫だな?」

 

彼が自分の世界に入って、まったく反応を示さないままなので、仕方なくRGから声を掛ける。

 

「あぁ」

 

「それじゃ、俺達は失礼するぞ。分かっているとは思うが、セキュリティは『お前が嫌がっても』置いておくからな」

 

チッと舌打ちするキャンディ。

 

「それと、これから生み出す金…六割はこちらの取り分だ」

 

「な…!?」

 

キャンディが驚いた声を上げる。

 

「RG!お前…!こちらが六割だという話だったぞ!」

 

手を組む際に前もって決めていた内容にズレが生じたようだ。

 

「…キャンディ。日本人は…勤勉で、器用で、そして…

 

 

 

 

 

 

 

ズル賢い」


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