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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
33/34

証言

『証言…言葉で事実を証明すること』

アメリカ。

 

ニューヨーク市。

 

とある刑務所の精神障害者施設。

 

 

 

「ではこうしましょう。アイス・キャンディ…この名前を聞いた事は?」

 

その質問に、今までだんまりだった大男は目を見開いて発狂した。

 

「う、うわぁぁぁぁぁあぁあああぁああ!!!!」

 

「ちょっと!落ち着いて!」

 

鉄格子越しに質問を投げかけていた女性はたじろぐ事なく毅然と接している。

大男の興奮は冷めず、灰色の鉄格子を両手で掴んでガチャガチャと激しく揺らす。まるで動物園のゴリラだ。

 

警棒を持った刑務官が二人、腰についた鍵の音を鳴らしながら走ってくる。

しかし、質問をしている女性はそれを手で制した。

 

「大丈夫です。もう少し話させてください」

 

すると、二人の刑務官は舌打ちをして下がった。

長い尋問に苛立っているのか、ただ囚人を警棒で打ちたかっただけなのかは分からない。


「わぁぁぁあ!!」

 

「うぉぉぉぉ!」

 

ガチャガチャ!!

 

大男が騒ぐ事に呼応して他の囚人達も声を上げ始める。

 

待ってましたと言わんばかりに刑務官はその者達を警棒で打って回った。

 

「では質問を変えます。

あなたは以前、ビッグDと名乗っていた事がありましたね?」

 

「…」

 

ビッグD。そう呼ばれた男は虚ろな目を女性に向けた。

 

「良かった。人違いではないようね。

えーと、ここに来たのは食料品の窃盗とその店の従業員への傷害と聞いたわ。よほどお腹が空いていたのね?可哀相に」

 

「…」

 

「でも罪は罪よ。ここでよく反省しなさい。

それで…あなた、仲のよい友達がいたのを覚えているかしら?」

 

「俺に…友達なんかいねぇ。お前は誰だ?警察か?」

 

意外と返答はまともだった。


 

ビッグD。彼は堕ちるところまで堕ちてはいたが、野垂れ死んではいなかった。


「いいえ、警察ではない。ただ、あなたに興味があるの。だからこうして質問してるのよ」

 

「新手の逆ナンパか?まどろっこしい事やってないで、早く脚を開けよ」

 

ビッグDのジョークに、刑務官や囚人達が笑った。

 

笑っている囚人を打ちに、刑務官が走る。自分達も笑っているのに、ずいぶん横暴だ。

 

「コービー」

 

「っ!!」

 

「真面目な話をしに来たの。冗談なら後でたっぷり刑務官に言ってあげなさい。

打たれれば色々思い出すんじゃないかしら?」

 

「てめぇ…!サツじゃなきゃ何者だ!なんでコービーの事を知ってる!」

 

「あなたがすべて教えてくれれば応える。

コービーの死。アイス・キャンディという男が絡んでいるのかを知りたいの」

 

「あ…あ…アイス…うわぁぁぁぁぁ!!」

 

ガチャガチャ!!

 

揺れる鉄格子。

 

「…彼に何をしたの。アイス・キャンディ」

 

女性はビッグDに憐れみの目を向けると、そのまま牢獄をあとにした。


 

 

ガチャ。

 

「ほう?これはこれは」

 

「こんにちは」

 

 

 

 

ミシガン州。

 

デトロイト。

 

 

薄暗い部屋への扉が開き、中にいた青年は来客に気づいた。

 

「麗しいお嬢さん。私を探してここまで?

どうぞ、おかけ下さい」

 

「えぇ」

 

青年に椅子を勧められ、女性が中に入ってくる。

 

酒のにおい。

 

床にはいくつか空き瓶が転がっている。

 

「お酒、好きなの?」

 

「え?いやぁ…はは!これはお恥ずかしい」

 

女性にされた質問が、部屋が汚いという指摘に聞こえたのだろう。

青年は瓶を片付け始めた。

 

 

部屋には椅子と酒以外は何もない。

そのかわり、壁にたくさんの人面マスクがかけられて非常に不気味だ。

 

「ケーニッヒ」

 

「はい?」

 

「失礼だけど、暮らしぶりが良いとは言えない。あなた、本当にアイス・キャンディに荷担していたのかしら?」


「いきなり本題ですか…せっかく昔話ができると思ったのになぁ」

 

ケーニッヒの整った顔は苦笑いを浮かべた。

 

「特にあなたと雑談する意味もないもの。

私に名前や素性を訊かないあたり、わかっていると思ったのだけれど?」

 

「はは、それはもちろん。むしろ、私があなたをここへ呼んだのですよ、バーバラさん」

 

「…?」

 

バーバラが首を傾げる。

 

「私を探している女性がいるという情報がありましたので、複数人にわざわざ私の居場所をバラ撒いたんですよ。

…私に簡単に会えるとでも?見くびらないでいただきたい」

 

「そんな…さすがね」

 

「ただ、またすぐに雲隠れしないといけません。

私は世間的には白ですが、裏通りで恨みを買っていないわけじゃない」

 

「感謝するわ。それが分かっているのに、招いてくれて」


ようやく片付けが終わり、ケーニッヒはバーバラの正面に座った。

 

「えーと、アイス・キャンディの話ですか?」

 

「えぇ」

 

「まあイイでしょう。彼の話ができるだけでも昔話にはなります。しかもこんな美人と、ね」

 

「ふふ、ありがとう。

では、荷担していたのは肯定でいいようね」

 

バーバラは少し照れくさそうに微笑んだ。

 

「何を知りたいんです?私もあまり彼に詳しくはありませんが」

 

「おかしな人。あなたに知らない事があるなんて。

今度は買いかぶりすぎたかしら?」

 

「かなわないなぁ。FBIを辞めたらしいですね?

もったいない。日本にまで飛んで無茶してたっていう、いつぞやのニューヨーク市警刑事の二の舞だ」

 

ピッ、とケーニッヒがバーバラを指差す。

 

「…。私なんかの事は調べなくていいのよ。

アイス・キャンディの居場所、知っていますね?」

 

「は?正気ですか?

アイス・キャンディは死んだはずですが」


ケーニッヒは驚いた。

まさか、死んだ人間の居場所を訊かれるとは。

 

「正気も正気。そして、あなたがそういう反応をするのもわかっていました。

彼が捕まれば、あなたに何ひとつ得は無いもの」

 

「職をなげうって彼を追う…あなたのゴールは何です?」

 

「真実」

 

バーバラの強い意志を秘めた瞳が、ケーニッヒの偽りの瞳を捉えた。

 

「なるほど、そうですか」

 

「教えてもらえるかしら?」

 

互いの目線はぶれない。

 

「私にも、真実は分かりません。これは本当です。

アイス・キャンディ…という人物の居場所ですね?」

 

「えぇ」

 

「もう一度訊きます。あなたが探しているのはアイス・キャンディで間違いありませんか?」

 

「そうよ」

 

なにやら意味深だが、そこは流す。

 

「ロサンゼルスに、その名を名乗っている人物がいます。

ですが、あなたは足取りを見失うかもしれない。その時は、ニューヨークに向かう事です」

 

「なぜ…?ニューヨークには先日行ってきましたが」

 

「時期尚早です。まずはカリフォルニアで『アイス・キャンディ』に会ってみることですね」


「やはり、アイス・キャンディは生きて…!?」

 

ブォン!ブォン!

 

突如、部屋の外にバイクのものらしき排気音。

 

「言ったはずです。私にも真実は分からない。

ただ、アイス・キャンディはロサンゼルスにいる。それは真実です」

 

「どういう意味なの?あなたが言っている事がよくわからない!」

 

「真実は一つです。自分の目で確かめて下さい。

この情報量は不確かなので負けときますよ」

 

ブォン!ブォン!

 

バイクの音がどんどん増えてきた。

 

「もう!さっきからこの音は何!?」

 

「ちょっと前に私を殺そうとしていたバイカー達でしょうね。あなたのように、私の居場所を探していたのでしょう。仕事でトラブルがありまして。

ではもう失礼しますよ。時間がないので」

 

「あ…ケーニッヒ!」

 

バーバラが裏口から逃げ出すケーニッヒを呼び止めるが、彼は風のように去っていった。


バン!

 

「おらぁ!出て来い!」

 

「ケーニッヒ!ついに見つけたぞ!」

 

革製のライダースジャケットを着た若者達が、鉄パイプやナイフを手にぞろぞろと部屋に入ってきた。

 

もちろんその場にいたバーバラはすぐに見つかる。

 

「なんだお前!ケーニッヒか?」

 

リーダーらしき男が叫んだ。

 

「違います!どう見ても私は女でしょう!」

 

「じゃあケーニッヒはどこだ!アイツは俺たちの邪魔をしやがったから探してる!」

 

「キース!その女、気をつけろ!ケーニッヒは変装するぞ!」

 

誰かが言う。

 

「むっ!?お前、やっぱりケーニッヒだな!」

 

「違う!私も彼を探していたの!

彼は今出て行った!追いかけるなら早くしないと逃がす事になるわよ!」

 

バーバラが開きっぱなしの裏口を指差す。

 

「何!?おい、行くぞ!」

 

若者達はケーニッヒを追って、一斉に走っていった。

 

 

誰もいなくなった部屋。

 

「…ロサンゼルスか」

 

バーバラも出発した。


 

 

「ふぁぁ…今日もイイ天気だな」

 

小さな平屋のベランダに置かれた木製の椅子。

そこに腰掛けた男が、朝日を浴びて大きなあくびをしながら言った。

 

「ハニー!朝食が出来たわよ」

 

家の中から女の声。

 

短いボブカットの栗毛がふわりと風に揺られながらベランダに現れた。

 

「あぁ」

 

男は『立ち上がり』、女と共にダイニングへ。

 

「おぉ、うまそうだ。君は抜群に料理がうまいね、クリスティーナ」

 

「たくさん食べてね」

 

男はテーブルに並べられた料理を見ながら両手をこすり合わせ、女はそれを見て微笑んだ。

 

「その、マッシュポテトが一番うまそう!」

 

「はいどうぞ」

 

「おー!ありがとう!」

 

 

コンコン。

 

ちょうど、来客から玄関のドアがノックされた。


「誰だろう?アタシが出るよ」

 

「ん?うん」

 

ガチャ。

 

「はいはい、どちらさんですか」

 

「あ…おはようございます」

 

扉の外には元FBI捜査官のバーバラ。

 

彼女はカリフォルニア州ロサンゼルス、コンプトンシティにやってきていた。

 

「…何かご用?」

 

クリスティーナがバーバラの全身を見回す。

身なりがきれいなので、治安が悪いこの辺りの人間ではない事は一目瞭然だ。

 

「あの、ドープマンはいますか?」

 

「え!!?そんな人はいないよ!」

 

バタン!

 

そう。ここは以前ドープマンが生活していた家だ。

しかしガールフレンドのクリスティーナはその名を聞くなり、扉を閉めてしまった。

 

 

「おかしいわね。ここで間違いないはずなのに」

 

コンコン。

 

「すいません!開けてもらえませんか」


 

 

「まったく…」

 

クリスティーナが苛立ちを隠せない様子で食卓に戻った。

 

コンコン。

 

「誰?まだノックしてるけど」

 

「さぁ?知らない女の人」

 

「知らない女?」

 

パンをほおばり、男がたずねる。

 

「えぇ。もうイイわ。無視してれば帰るでしょう」

 

「何て言ってたの?」

 

「人を探してるみたいね。知らないと答えたよ」

 

「誰を?」

 

「さぁ?知らない名前の人」

 

同じような答えだ。

 

「困ってちゃいけないね。俺が知ってるかもしれない」

 

親切心で男が玄関へ向かうが、クリスティーナが阻止した。

 

「ハニー!食事を済ませないと」

 

「何だよ?まだノックしてるし、かわいそうじゃないか」

 

「いいから座って!」

 

「わっ!」

 

男は再び椅子に戻された。


「はい!食事!」

 

「様子がおかしいぞ、クリスティーナ?」

 

「おかしくなんかないわよ!」

 

ガチャン!

 

テーブルを叩いて金切り声を上げるクリスティーナ。

動揺しているのは誰の目から見ても明らかだが、興奮状態の彼女はいたって平静なつもりだ。

 

「…なんだか、腹いっぱいだな。ごちそうさま」

 

「え…?まだ全然食べてないじゃない」

 

「あぁ。残した分は昼に食べるよ」

 

コンコン。コンコン。

 

ノックは止まない。

 

「そう。わかった…あっ!」

 

一瞬。

クリスティーナが男から目を離した途端に、彼は玄関へ走った。

 

ガチャ!

 

「あぁ、やっと開けてくれた」

 

外には疲労した様子のバーバラ。

 

「…誰?」

 

「あなた…ドープマンね?」

 

「ん?いや、俺は違うね」

 

「ちょっと!ハニー!もう帰ってもらってよ!」

 

クリスティーナもその横にやってくる。


「え?でもあなた…」

 

男にきっぱりと否定され、面食らったバーバラ。

 

「もう一回言うけど、俺はドープマンじゃないよ」

 

「アイス・キャンディを追っているの。ドープマンに会うとイイ、そう街で聞いたわ。

それでここを訪ねたの」

 

バーバラが話を広げる。

 

「なるほどね。クリスティーナ、外してくれるかい?

少し話すだけだから」

 

「話すだけ?わかった…」

 

クリスティーナはついにバーバラを追い返すのを諦め、部屋の中に引っ込んでいった。

 

「ベランダに椅子があるから、座ろうよ」

 

「えぇ」

 

二人が腰掛ける。

 

クリスティーナがすぐにインスタントコーヒーを持ってきた。

なぜもてなしてくれるのかバーバラには分からなかったが、ありがたく受け取る。

 

「話が終わったらすぐに帰ってよね!」

 

「そのつもりです。コーヒー、ありがとう」

 

クリスティーナは再び部屋へと消えた。

 

「さて、ドープマンとアイス・キャンディの話?」

 

「そうよ。あなた、本当にドープマンじゃないの?

以前、私と日本で会わなかったかしら?」


「さぁ?確かに日本には行った事あるけど、覚えてないな」

 

これは男の正直な意見だ。

 

「そう…ドープマンと名乗っていたかどうか分からないけど、あなたとよく似た人を日本で見たの」

 

「ドープマンは死んだよ。そしてアンタが探してるアイス・キャンディも死んだ」

 

「どういう事?」

 

「言葉の通りさ」

 

「あなたは誰?」

 

「俺はエリック。エリック・ローランド」

 

エリックと名乗った男は、ズボンから一本のジョイントを取り出して火をつけた。

 

「ちょっと!」

 

パシン!

 

バーバラがそれを取り上げて投げ捨てた。

 

「あー!ひどいなあ」

 

「エリック!仮にも私はFBIだったの!

麻薬なんてやめておきなさい!」

 

「FBI?そりゃ怖い。俺を逮捕する?」

 

「いいえ。今のは水に流すから、アイス・キャンディの話を聞かせてほしい」


正義感の強いバーバラも、最重要事項であるアイス・キャンディの行方を追うのに必死だ。

 

「アイス・キャンディは死んでるんだって。何をどうしたいのさ?」

 

「いいえ、彼は必ず生きています。

逆にあなたはなぜ彼が死んだと?」

 

「そういう結末だよ。行方不明にはなっているけど、死体が上がってこなかっただけの話。

彼は死んだ。確実にね。


そりゃ小説や映画としてはつまんないさ。あのアイス・キャンディのこんな曖昧な結末。

でも、リアルに潜むドラマが、必ずしも人々をあっと驚かせるとは思わないね」

 

エリックは案外饒舌だ。

 

「証拠はなくても確信はあるの。

彼は自らの死を演じたに過ぎない」

 

「彼だって人間だよ。

現実では誰だって主人公は自分さ。死地に直面しても、物語上、主人公の死なんてそうそう有り得ない。

 

でも、みんな間違ってる。

自らが歩む物語では、エキストラにしかすぎないその辺の誰かに引き金を引かれるだけで…

 

アンタだって簡単に死ぬんだよ」


そう言ったエリックは一瞬、ズボンのポケットに右手を入れて何かを取り出そうとしたが、すぐにその手をポケットから出した。

おそらく癖でジョイントを出そうとしたのだろうが、再びバーバラから捨てられてしまうのを嫌がったのだろう。

 

バーバラもそれには気づいたが、とくに咎めはしなかった。

 

「あなた、アイス・キャンディにとても詳しいようね。ドープマンではないとしても、何者なの?」

 

「キャンディは友人だったから」

 

「そうだとしても…エリック。言い方を変えるわ。

あなた、以前、ドープマンと名乗っていた事は?」

 

「イエスだよ」

 

「やっぱり…これでつじつまが合うわ」

 

そう。やはりエリックは、かつてのドープマンだった。

今はそう名乗っていないので話がややこしくなっていただけだ。


エリックがドープマンとアイス・キャンディが死んだと言った事もこれで意味が分かる。

ドープマンの名は消え、アイス・キャンディは文字通り死亡したという事だ。

 

「俺は、もう昔の俺じゃない。

足も使えるようになったし、幼い頃の惨めな俺を知る人間も誰一人生きちゃいない。

グレッグも、ロイも、ママもね。だから、決別の為に名前を捨てたんだ」

 

「…?」

 

バーバラにはエリックが何を言っているのか理解出来ない。

 

 

ギャングのせいに見せかけたクリスティーナの計らい(実行したのは情報屋のアンジーだが)によって負傷していた彼の足は、実のところとうの昔に治っていた。

 

だが、世話をやいてもらったりして都合がイイ事も多々あったので、彼は日本から帰国する直前までそれを伏せていたのだ。

そして、新しい自分として帰ってきた。


「とにかく、アイス・キャンディの行方は本当に知らないのね?」

 

「うん。彼は間違いなく死んだよ」

 

「では他に、彼と親しかった人間を知らないかしら?」

 

「さぁ…どうだろう。彼が辿った道を真似してみたら?」

 

「なるほど、一理あるわね。

ケーニッヒからもらった『アイス・キャンディがカリフォルニアにいる』という情報は間違いかもしれない」

 

バーバラが立ち上がった。

 

「ケーニッヒ?あぁー、覚えてるよ。ハンサムなドイツ人」

 

エリックが話に食いついた。

 

「知ってるのね」

 

「その情報は間違ってないよ。なにせ、今は俺が『アイス・キャンディ』を名乗ってる」

 

「え!?」

 

バーバラは驚いた。

 

「名前をもらったのはかつての友人への弔いさ。

まぁ。名乗ってるってだけで、俺はハスラーでもギャングでもないけど」

 

「そういう事だったのね」

 

「そんじゃ、お気をつけて」

 

キャンディは部屋の中に戻っていった。


 

 

「あぁ!お待たせいたしました!」

 

「こんにちは。お忙しい中お呼び立てして申し訳ありません」

 

喫茶店のテーブル席で待たされていたバーバラは、立ち上がって男と握手をした。

 

「いやはや、今日も暑いですなぁー。ははは」

 

中年のスパニッシュ系の男は、額の汗をハンカチで拭いながら席に座る。

 

周りの席では癖のあるスペイン語が飛び交っている。

 

「『ウェイターさん、アイスコーヒーを!』」

 

男も、スペイン語で注文した。

 

「バーバラです。よろしくお願いします」

 

「はいはい、何でも私が日本でしばらく仲良くしていた方がテロリストだったとか!いやぁ、私も耳を疑いましたぞ!

彼は紳士的で、どこからどう見ても貴族でしたからな!」

 

 

メキシコ。

 

首都メキシコシティ。

 

政府関係者のベンは、快くバーバラのコンタクトを受け入れてくれた。


「えぇ、あなたも荷担していると疑われて大変な思いをされたそうで」

 

「はいはい!参りましたよ!私も何が何やら分かりませんでな!

警察の方には、まったく身に覚えのない事だと話していたんですがね!

この私が殺人などの犯罪に携わるわけがないじゃないか!」

 

ドンドン!

 

テーブルを叩いて、ベンは一人興奮状態だ。

 

「『お待たせしました。アイスコーヒーです』」

 

「『ああ。お兄さん、グラシャス』」

 

店員がベンのコーヒーを運んでくる。

先に店についていたバーバラの目の前には、空になったティーカップがある。

 

「しかし、その人物。『アイス・キャンディ』と呼ばれる男ですが、彼に会ったのは間違いないんですよね?」

 

「はい!酒を酌み交わした仲ですよ!

日本に向かう飛行機で隣の席だったのですが、すっかり打ち解けてしまいましてな!」

 

もちろん打ち解けたのはベンの勘違いだが。


「居合わせた飛行機の中でお酒を?」

 

「いやいや、それだけじゃありませんぞ!

なんと、あちらに滞在している間に宿泊していたホテルまで同じだったんですよ!信じられない偶然です」

 

「偶然…ですか。彼があなたを狙っていたとは考えられませんか?」

 

バーバラは空のカップを両手でもてあそんでいる。

 

「私を?なぜでしょう」

 

「それは分かりませんが、かつてない凶悪犯です。

親しい人間を平気で殺す事だって考えられます。

しかし、あなたが無事でこうやって話す事ができて光栄ですわ」

 

「ふむ。二度目に彼とお会いして再び酒を酌み交わしたときは、酔った私を手厚く介抱してくれたんですが…

何度も言いますが、私にはとても彼がそんな事をするようには見えませんでした」


「そうですか…そう感じたのであれば、彼にも人の血が通っていたという大きな証言になりますね」

 

バーバラがにこりと笑った。

 

「証言?」

 

「はい。実は私は彼の行方を追っています。

行方不明、そして死亡となっているのは表向きの情報。私は必ず彼が生きていると思うのです」

 

「なんですと!つまり、彼を裁判に?」

 

「その通りです。私は彼を捕まえ、きちんと法的に裁く事を目的としています。

ただ、何も死刑にしろとは言わない。もちろん刑を軽くするための証言だって、私にとっては重要な資料です」

 

先ほどの店員が伝票をテーブルに置いていった。

二人はそれに見向きもしないが。

 

「はー!見上げたお方だ!まさに警察官になるべくして生まれてきたお嬢さんですな!」

 

「いや…私はもう警察関係者では…」

 

「とことん協力しますぞ!ささ、何なりと訊いてくだされ!」

 

ベンがバーバラの手をむんずと握りしめ、目を輝かせた。


 

「あ、ありがとうございます」

 

バーバラはやんわりとその手をほどき、強張った苦笑いを浮かべる。

 

「手がかりになるのか分かりませんが、彼はアメリカから来たと言っていました。

行方をくらました後、アメリカ国内に戻ったのかもしれませんな!」

 

「やはりそうですか。私も彼はアメリカにいる線が濃厚だと睨んでいます」

 

「それと、彼がアメリカで何を生業にしていたのか私は知りませんが、同じ仕事をしているんじゃないですかな!」

 

「それは…どうでしょう。

以前は麻薬の売人。そこで儲けたお金で力をつけていったとは聞いていますが、またそんなことをしたら捕まった時に身元が割れて大変ですよ」

 

ベンの推理も間違ってはいないが、バーバラを納得させる事は出来ない。

 

「やはり彼に力があったのは見かけ倒しじゃなかったんですか!

では、何も食い扶持に困りはしますまい」


「どういう意味ですか?」

 

「力があったのなら、それなりに人脈があったはずです。

仕事を回してもらうなり、人を使うなりして、どうにでもなるでしょう」

 

「アイス・キャンディが誰かに頼るとは考え難いですが…ひっそりとなりを潜めていると思います。

しかし、完全に否定もできませんね」

 

バーバラがうなる。

 

「もし、法廷の場に彼を立たせる事が出来たら、是非とも私にお声かけくだされ」

 

「もちろん!よろしくお願いします」

 

ズズッ、と下品な音を立ててベンがアイスコーヒーを飲み干した。

 

「では、失礼しますな!大事な要人との待ち合わせがありますので!」

 

「あ、はい!ありがとうございました!」

 

「『ウェイターさん!こちらのお嬢さんの分も置いておきますぞ!』」

 

テーブルにくしゃくしゃの紙幣と粋なはからいを残し、ベンは消えていった。


 

 

次の日。

 

続いてバーバラが向かった先は、またもメキシコシティ市内だった。

 

しかし、ベンと話した街なかの喫茶店とは異なり、どんよりと怪しい空気に包まれている。

 

 

表通りでは路上市場が開かれていたが、その路地裏。

 

光が射し込まないその場所に、家すら持たない貧民層や、闇を受け入れた人間達が生活している。

 

バサバサバサ!

 

「…!」

 

バーバラの接近に警戒したカラスが、一斉に飛び立った。

 

地面にはちょろちょろと走り回るネズミ。

廃ビルのくすんだ壁に、片足を上げて小便を垂れる野良犬。

 

見るだけでも人が住んでいるのか疑いたくなる光景。

もちろん、その場にたちこめる匂いも決して快適なものではなかった。


「うぅ…こんな所に来るなんて聞いてないよ…」

 

「ごめんなさいね。私も実際に行くのはもちろん初めてなんです」

 

バーバラのすぐ後ろをとぼとぼとついてくる人物がいた。

 

上下紺色のスーツ姿の若い男だ。

 

「物を盗られたりしないでしょうか?」

 

「さぁ。私も分からないわ。

とにかく、このあたりを根城にしているギャングが、私の追う人物の情報を持っているのかもしれないの」

 

「えぇ!?やっぱりギャングの連中と接触するのですか!」

 

「通訳、頼みますね」

 

どうやらこの男は通訳としてバーバラが短期間だけ雇った人物のようだ。

 

「こ、怖いなあ。刺されたりしないかなぁ…」

 

「あら…?人が…」

 

「『止まりな、お二人さん。

ここはデートコースじゃないんだぜ』」

 

気づいた時にはすでに遅い。

二人の前後はギャング達に塞がれていた。


「ひぃっ!?」

 

情けない声を上げているのは通訳の男。

 

「あ、あの!ちょっと聞きたい事があって来たの!」

 

バーバラが声を張り上げる。

 

辺りはシンとした。

 

「あら?あ、ほら!」

 

バーバラが通訳の男のわき腹を肘で小突く。

 

「ひぁっ!何するんです!」

 

「通訳!英語は通じないんですよね!」

 

おどおどしていた男もハッとして通訳する。

 

「『あ、聞きたい事があるんです。

もちろん危害を加えるつもりはないし、あなた達をどうしようというわけではありません!だから殺さないで!』」

 

恐怖心から、男は色々と付け加えてはいる。

 

「『嘘つけ!てめぇら警官か!何の捜査だ!』」

 

「『ち、違いますってー!

彼女、人を探してるらしいんで、協力してくださいよ~』」

 

通訳の男は涙目だ。


「『お前、アメリカ人か?金くれよ、金』」

 

バーバラの目の前にいる男の手元には刃物の鈍い輝き。

 

「ちょっと話を聞いたら帰るから!時間もらえるかしら!」

 

バーバラもいつ刺されるかと怯えるが、強く言い放つ。

 

「『話をしたらすぐに帰ります!彼女は確かにアメリカ人ですが、金目のものは持っていませんし、何度も言いますがあなた達に何かしようという気は毛頭ありません!』」

 

「『さっきから何だい!騒がしいよ!』」

 

スラムの裏手から女の声。

おそらくギャングの仲間だ。

 

「『おぉ、レディ!なんか変な連中がよぉ。話をしたいとかなんとか』」

 

「『はぁん?』」

 

レディと呼ばれた女の姿が見える。

やはりみすぼらしい格好をしているが、きちんと身だしなみやメイクに気をつかえば魅力的な美人になれるような女だ。


「あら、可愛いお嬢さんね。

あなたなら話を聞いてくれるかしら」

 

荒々しいギャングの中にも女がいる事に安心したのか、バーバラは積極的にレディに話しかけた。

 

「『麗しいお嬢さん。あなたなら話をしていただけますか、と言っておられます』」

 

「『どんな話?見ての通り、男の紹介なら必要ないけどさ。

あ、金持ちの男なら別ね』」

 

レディのジョークで、周りにいたギャング達は大笑いしている。

 

「どんな話だ、と言ってますね」

 

「本当?さすがに女性は話が分かるわ。

頭が堅い男性とは大違い」

 

「は、はぁ」

 

通訳はなんとも言えない。

 

「アイス・キャンディという名前を知っているか訊いてみて下さい。

もちろん名前はそのまま英語でけっこうです」

 

「『アイス・キャンディ。こう名乗っている人物を知っていますか』」


「『アイス・キャンディ?おいしそうな名前だね。

知り合いにいたかどうか…それだけじゃ分からない。なにせ、ここじゃあ明日には誰が仲間になって誰が墓場に行くか分からないんだから』」

 

レディが両手を腰に当てる。

 

「その名前は知らないそうです。人の入れ替わりが激しいようですね。

なにせここは無法地帯ですから」

 

「そう。それじゃ…いびつな顔が特徴的な黒人を知っているかを訊いてください」

 

「いびつな顔?」

 

「アイス・キャンディという男は、顔の半分が火傷みたいにただれているの。

なぜかは分からないけど、大きな事故か事件の爪痕でしょうね」

 

「『顔が半分、焼けただれている黒人の男を知っていますか?

アイス・キャンディという男の特徴だそうで』」

 

ガシッ!!

 

返事の前に、レディはバーバラの肩を掴んで壁に押し当てていた。


「『アンタ!アイツを知っているのかい!

アイツはアタシ達のロドリ-を!』」

 

「何をするんですか!放しなさい!」

 

バーバラはグッと力を込めてレディを押しのける。

 

「『アイツは仲間を殺したんだよ!で、日本では殺せたのか!?アタシらは頼んだんだよ、奴を追ってるアメリカ人にさ!』」

 

レディは以前、キャンディの手により仲間のロドリゲスを失っている。

 

「仲間が殺されたそうです…

日本で彼を殺せたのか?と訊いています。

それから、誰か他のアメリカ人がアイス・キャンディを追っていて、その人間に依頼したそうで」

 

「おそらくゴンドウというヤクザか、情報屋のアンジー御一行のどちらかね。

日本に行った事は知っている…か。でもこの様子じゃ、その先の事は知らないようね」

 

「『あなたが知るアイス・キャンディの情報は、日本に渡ったところまでですか?』」

 

「『えぇそう。アンタが奴を追っているっていうなら、まだ死んじゃいないのか…畜生』」


「話は以上です。ありがとう」

 

うなだれるレディを後目に、バーバラが来た道を引き返し始める。

 

「えっ?あ、あの!もう帰るんですか?」

 

「まだ残りたい?用は済んだので私は帰りますが」

 

「いや、帰ります!帰りますとも!」

 

通訳の男が小走りでそれについてくる。

 

ギャング達は何も言わず、彼らを通した。

 

 

 

通訳に報酬を渡して別れたあと、バーバラは空港に戻ってきていた。

 

「やっぱりメキシコにも手がかりは無しか…」

 

ピリリ。ピリリ。

 

携帯が鳴る。

 

「はい、バーバラです」

 

「あぁどうも。ニューヨーク市警のデイブですが」

 

「あら、こんにちは」

 

デイブは警官殺害事件や爆破事件の時から、ニューヨーク市警でフォレスト刑事の右腕として働いていた警察官だ。

フォレストに変わって事件を追うバーバラとは少し前に知り合い、今はこうして連絡を取り合っている。


「連絡が遅れて申し訳ない。どうです、メキシコでは」

 

「何の進展もありません。やはり彼の行方は誰も分からない」

 

バーバラが近況を報告する。

 

「そうですか。そうなると、次は日本へ?」

 

「向かいます。彼の最後の足取りは東京湾ですから」

 

「でしたら一つ、耳寄りな情報が警視庁から送られてきました。ただ、大きな手がかりになると同時に、我々にとって悲しいものである可能性も高い」

 

「はい?」

 

デイブの言葉に、首を傾げるバーバラ。

 

「私も特別に、東京へ向かう事が決定しました。

今夜、ケネディを発つので詳しくは現地でまたお話しましょう」

 

「一体何があったんですか!教えて下さい!」

 

「…彼が、アイス・キャンディが…消えた場所。

身元や数は不明ですが、水死体が上がりました。

では、東京で」

 

「え!?」

 

電話は切れていた。


 

 

丸一日後。

 

「…」

 

成田空港内。

 

デイブからの連絡を待つバーバラ。

 

「水死体…アイス・キャンディだったとしたら」

 

夕日が眩しく滑走路を照らしている。

 

「バーバラさん!」

 

「あ!待ってましたよ!」

 

デイブが大きなスーツケースを引きながらやってきた。

 

「やはり私の方が遅れてしまいましたか。お待たせしました」

 

「ふふ、たったの五時間ですから。

お詫びはお寿司で結構ですので」

 

「はは、参りました。食事は寿司に決まりそうですね」

 

「それで、これからどちらへ?」

 

冗談もそこそこに、バーバラはキッと顔を引き締めた。

 

「警視庁の本部へ向かいます。捜査一課の方が迎えにいらっしゃるそうです。

おそらくもう来ているはずなんですが、如何せん迎えの方の顔も連絡先も知りません。港内放送で呼び出してもらうとしましょう」

 

 

その後すぐに警視庁の人間と合流した二人は、車で移動を開始した。


 

「オオヤマさん」

 

「お?おぉ、久しいですね」

 

署につくなり、対策室に通された二人。

 

バーバラは懐かしい顔であるオオヤマ警部補と握手した。

 

「久しぶりですね。お変わりないようで何よりです」

 

「ついにあの時の雪辱をはらす時ですね。しかし今回、ニューヨーク市警の捜査員がいらっしゃると聞いていましたが、あなたは違いますよね?」

 

「えぇ、紹介します。彼がその警察官です」

 

「デイブ・ジョーンズです。ご連絡ありがとうございます」

 

昔と変わらずコートにハットという出で立ちのデイブもオオヤマの手を握る。

 

「オオヤマです。以前からこの事件を担当していました。

総指揮をとる警部のコミネが今は不在ですので、私の方から詳細をご説明いたします。どうぞ」

 

対策室のいたるところにある椅子のうちの2つに二人は適当に座った。


「ご承知の通り、事件の発生からはすでに半年が経過しています。

遺体がなぜ今頃になって、と思われるでしょうが、未だ我々もそこまで確かな情報を持っていません」

 

「上がった水死体は何人ですか?たしか、あの時に行方不明になったのはアイス・キャンディを含めて三人だったはずです」

 

バーバラが質問する。

 

「今回見つかったのは二人です。遺体の状態は最悪でしたが、骨格や歯形から、なんとか行方不明の内の二人であると分かりました」

 

「誰と誰です?」

 

強い口調で発言したのはデイブだ。

 

「残念ながら…」

 

オオヤマは言葉を途中で切った。

 

「フォレスト刑事と、日本人の青年ですか…」

 

続きを口にしたバーバラの表情からも、深い悲しみが伝わってくる。


「もちろん、二人が見つかったとなればもう一人の捜索も再開しています」

 

「無駄です。アイス・キャンディは生きています。

2つの水死体、もしかしたら彼が殺して沈めておいたのかも」

 

「それは考えすぎでしょうが、詳しく調べてみましょう」

 

次にオオヤマは証拠品が入った袋を取り出した。

 

そこにはインクが滲んだドル札が入っている。

 

「それは?」

 

デイブが訊いた。

 

「これは半年前に回収されていたもので、アイス・キャンディが日本の銀行で引き出したものです」

 

「ふむ」

 

「そしてこれはメキシコの銀行で入金されているものでした。

さらに辿ると、アメリカ・サンディエゴの銀行から盗み出されたものだったんです。

ここ半年でようやくすべての札の裏がとれました」

 

「やはりすべて繋がっていたのですね。フォレスト刑事が追っていた警官殺しや工場爆破も間違いなく彼だわ」

 

バーバラは強く拳を握る。


「それは私も同意見です」

 

デイブが右手を軽くあげた。

 

「しかし肝心な彼の足取りは未だ途絶えたままですね…」

 

「バーバラさん。もちろん、アイス・キャンディを追うのも大事な事でしょうが、彼はすでに死んでいるという私の意見も頭の片隅に残しておいていただきたい」

 

「えぇ。必ず生きているとは思いますが。

万が一、彼が死んでいるとしても、彼を捜す事がその死に早く気付く近道にもなると思うんです」

 

バーバラは立ち上がった。

 

「どちらへ?」

 

「もちろん捜査ですよ」

 

「私も行きます。フォレスト刑事の無念を晴らさなければ」

 

デイブが続く。

 

「オオヤマ警部補。亡くなった日本人の青年が属していた団体があったはずですが、わかりますか?」

 

「はい。彼らは『灰狼』と名乗っていました。カラーギャングという連中ですよ」


 

 

事件の爪痕が残るホテル。

屋上にヘリコプターが墜落したそれは、バーバラの脳裏に恐怖を思い出させた。

 

事件から時は経っても未だ改修や取り壊しはされておらず、建設会社の名前が貼られた防護ネットですっぽりと覆われて、その建物は佇んでいた。

 

 

「えーと」

 

そのホテルの正面。

腕組みをして待つバーバラとデイブに近づく青年。

 

かつての灰狼のリーダー。タケシだ。

 

事件当時。記憶が錯乱していた彼は、アイス・キャンディに刺されて重傷を負ったが、今は問題なく生活を送っている。

 

「バーバラです」

 

「よくもまあ、俺なんかの連絡先を調べたね」

 

「よく来てくださいました。こちらはニューヨーク市警の方です」

 

「どうも」

 

タケシは灰色のパーカーではなく、灰色のスーツを着ている。


「立ち話も何ですから、どこか入れそうなお店を知りませんか?」

 

「まぁ、適当でよければ」

 

タケシが動いたので、二人はそれについて行く。

 

 

すぐ近くにあったカフェテラス。

 

白いパラソルが日除けとしてテーブルに備え付けられている。

 

三人は各々のドリンクを片手に着席した。

 

「単刀直入に言います。アイス・キャンディが起こした一連の事件。

わかることはすべて教えて下さい」

 

「ありのまま話しちゃうと…途中で少しばかり俺たちの悪行が割れちゃうんだけど、検挙の対象になっちゃう?」

 

タケシは苦笑いだ。

 

「場合によっては」

 

「おいおい…」

 

返答したのは現職の警官であるデイブだ。

 

「ではアイス・キャンディの事だけにしましょう。あなた達が何を行ってきたのかは伏せて構いません」

 

「了解了解」

 

タケシは甘いフルーツジュースをさっさと飲み干して椅子に座り直した。


「キャンディを見つけたのは俺の仲間だった。当時新入りだった二人の若い連中さ。名前はケンゾウとジュンイチロウ。

キャンディは黒人だったし、何より目立ったのは銀行から奴が大量に運び出していた箱積みの荷物。金だ」

 

「見つけた…?」

 

バーバラが不思議そうな顔をする。

出会った、という言い方ではなかったからだろう。

 

「そう。俺達はギャングだ。金目になりそうな人間はターゲットになる。

このくらいの話はセーフだよな?

まぁ…その時も例外じゃなかった。実際、後々になって確認できたんだが、キャンディが運んでいたのは間違いなく金だった。大量の米ドル紙幣だ。アンタらもそれは知っているんだろう?沈んだトラックに載ってたのがそれだよ」

 

「えぇ」


「実際のところは俺達は金を奪う事は出来なかった。奴は賢いからな。

結局、うちのフミヤって奴が最期に死のカーチェイスに関わったくらいかな。

その後は知っての通り。みんな海に沈んで死んでしまった」

 

「…行方不明、という事になっています」

 

デイブが補足した。

だが、フォレスト刑事とフミヤの死亡はついに確認されている。

それを言わなかったのは、彼の優しさか、職務上の問題なのかは誰にも分からない。

 

「生きてりゃ必ずアイツは俺のとこに来てるはずだからね。まずそれは無いと思う」

 

「他に、アイス・キャンディについて何かありませんか?」

 

バーバラが話を戻す。

 

「だいたいそんなとこかな。派手に人を殺してたみたいだが、死んで一件落着。そうでしょ?」

 

「なるほど。行方は分かりませんか…」

 

「は?死人を追ってるって?」

 

タケシは嘲笑した。


「完全に彼の死亡が確認されるまでは、私はこの事件は解決しないと思いますが。

むしろ彼は生きていると考えています」

 

「なぜ?」

 

「単純に、死体が上がっていない事も理由の一つです」

 

バーバラは今回、自身の気持ちより、単に事実を理由として挙げた。

タケシにとってはそちらの方がまだ納得できると思ったのだ。

 

「気持ちは汲むよ。彼なら自らの影武者を海に沈めてでも死を偽りそうだしね」

 

「あなたが最後に彼と行動を共にしていた時の事、何か思い出せない?

どこを目指していたとか、何をする気だったとか」

 

「悪いけど、やっぱりその辺は何も思い出せないんだよ。

一つ言えるのは、たとえ生きていても日本にはいないね」

 

「どうして?」

 

「…彼が必死で運んでいたのは『米ドル』だって事、忘れてない?」

 

「…!!」

 

バーバラはタケシの考え方に驚いた。


「彼は完全に追い込まれていた。

現金を手放さなかったのは何かアメリカ人相手の取引があったのか、ただ本国へ帰る為の準備だったのか、今となっては分からないけどね」

 

「とにかく、アメリカへ戻っている可能性が高い、と?」

 

デイブがうなる。

 

「言うまでもないけど、生きていると仮定するならばって事。

実際は金も海から上がって来てるんだよね?」

 

「はい。彼がどれだけの現金を運んでいたのかは定かではありませんが、かなりの量が見つかっています」

 

「持ち出せたとしても少量だね。海の底じゃ、脱出時間も限られているから。

捜査の目もあるから後日ってわけにもいかない」

 

「…」

 

聞いている二人が飲み物をあおる。

 

「ま、全部予測の話だから参考程度にしておいてくれよ。

これ以上は何も分からないよ」


「灰狼は、今も活動を?」

 

捜査とは直接関係ないが、興味本位でバーバラがタケシにたずねた。

 

「あぁ。今は昔と違って、みんなで建設業に携わってるよ。

もちろんその名前も今は使ってはいない」

 

半年前に思い描いていたタケシの夢は実現していた。

 

「本当に?大したものだわ」

 

「正直厳しいけどね。あてにしていた資金も使えなかったし、自力でなんとかみんなにメシを食わせてるよ」

 

資金とはキャンディの金だろうが、バーバラやデイブはもちろん知らない。

 

「それでスーツなんですね。見違えましたよ」

 

「じゃあそろそろ仕事に戻るので」

 

「あ、はい。ありがとうございました」

 

去っていく青年実業家の背中を見ながら、バーバラは少し嬉しい気持ちになっていた。


 

再び、オオヤマ警部補のもとへ帰る。

 

「何か足取りは掴めましたか?」

 

「直接は何も。しかし、やはりアメリカに視野を定めて捜査しようかと思います。

…フォレスト刑事の弔いもまだですし」

 

現地の警察官から訊かれるのもおかしな話だが、デイブが真面目に回答した。

 

「分かりました。こちらも捜査を再開していますので、何かあれば互いに連携を取れればと思います」

 

「そうですね。そうしていただけると助かります」

 

「こちらからもいずれ、責任者のコミネ警部がアメリカに渡るかもしれません。我々もまた必死ですから」

 

オオヤマの表情は厳しい。

 

「では、失礼します」

 

「…っと、くれぐれもお気をつけて」

 

オオヤマだけが、日本人らしく深々とお辞儀した。


 

 

機内。

 

帰りの便はデイブと共にチケットを取った。

 

「進んでいるようで進んでいない。

それが正直なところでしょうか」

 

「いいえ。ニューヨークです」

 

「え?どういう事でしょう?

確かにアメリカにいる可能性が高いという証言はありましたが、ニューヨークですか?」

 

デイブは目を丸くした。

 

「ニューヨークです。実は、デトロイトにいるキャンディの知人から、そう聞いています」

 

「なんと!ではなぜわざわざメキシコや日本に行かれたのですか」

 

「時期尚早だと言われました。行き詰まった時にニューヨークへ行くように、と」

 

「それは…果たして『アイス・キャンディがニューヨークにいる』と解釈すべきなのでしょうか」

 

デトロイトでのケーニッヒの証言には、信憑性も何もない。

デイブの反応はもっともだ。


「わかりません。とにかく行ってみます。

確か彼はハーレムの出身だとか」

 

「えぇ。それはこちらでも確認済みです。

ハーレム地区でかつて名うての麻薬密売人だったそうで」

 

「それならば彼を知る客や同業者が残っているかもしれません。

情報を聞き出すには、身分を隠したおとり捜査になるかと思います」

 

「私も署でおとり捜査の許可が下りれば向かいます。FBIとは違って厳しいかもしれませんが」

 

FBIが密売人を検挙する際、客を装って実際に麻薬を購入する事さえできる。

もちろん購入や所持は罪であり、作戦とはいえ非道だ。さらに、そのせいで『売人が麻薬を売る』という犯罪を誘発しているではないかという意見もある。

 

 

 

やがて飛行機の車輪はアメリカの地面を捉えた。


「では私は署へ。

バーバラさん、今のあなたは銃さえ携帯していません。くれぐれもお気をつけて」

 

「うふふ。それは今に始まった事じゃありませんよ。

デトロイトもロサンゼルスもメキシコシティも乗り切ってきたんですから」

 

「しかし毎回そうだとは限りませんから…」

 

「えぇ、わかりました。

ご心配ありがとうございます。それでは」

 

バーバラは柔らかい笑顔でデイブに別れを告げた。

 

 

デイブがポンテアックで走り去るのを遠目に見ながら、バーバラも空港からタクシーに乗り込む。

 

「ハーレムまで」

 

「あいよー」

 

タクシーの中は陽気なレゲエミュージック。

褐色の肌をしたドライバーは、リズムにのってステアリングを指で叩いている。


「ハーレムには観光かい?」

 

「え?そうですね。観光かしら」

 

しばらく鼻歌まじりに運転していた運転手が突拍子もない質問をしてきた。

バーバラも当たり障りのない回答しかできない。

 

「今じゃハーレムもすっかり綺麗な街になってきたからねー。

お姉さん、どこから来たんだい?」

 

「出身はニューオーリンズです。あなたは?」

 

「俺は生まれはキューバだが、すぐにニューヨークに越してきたから生粋のニューヨーク育ちみたいなもんだよ!」

 

親指を立てるドライバー。

よく意味が分からないが、『ニューヨークの事なら任せろ』とでも言いたげだ。

 

「そうですか。ではおいしいフレンチレストランでも教えてもらおうかしら」

 

「おうおう、任しといてくれよ!」

 

そんな会話が続き、 タクシーは目的地に到着した。


 

「さてと、何からやればいいものかしら」

 

ぽつんと路地に佇むバーバラに、通行人の中の一人の若い男が近づいてくる。

 

「…」

 

だが、男はじっと彼女を見つめただけで、声もかけずに通り過ぎていった。

 

前回ニューヨークに来たときは刑務所を訪れていたが、今回は直接、アイス・キャンディが活動していた辺りに向かう事にする。

 

「…」

 

日は高い。

 

ダンボールにうずくまるホームレスには出くわすが、売人や客の姿は見当たらなかった。

 

「ちょっと、イイかしら」

 

「むぅ…?」

 

仕方がないので、ホームレスの一人を起こして話を聞いてみる。

 

「この辺り。夜は麻薬の取引は未だ行われているのかしら」

 

「けっ…ジャンキーのお姉ちゃんかよ」

 

「どうなの?」

 

「あぁ、あぁ。クスリや違法銃は夜になったらこの辺りのあちこちで売り買いされてるよ。今も昔もな」

 

許し難い事実だが、バーバラが欲しかったのはそういう答えだ。


「アイス・キャンディという売人を探しているの。以前はかなり名が通っていたみたいだけど、あなた知ってる?」

 

「あぁ、アイツなら知ってる。昔っから俺達に当たりが強い、嫌な奴だったからな。

買ってる恨みも多いだろうよ」

 

ホームレスは喉を鳴らして痰を吐いた。

 

「彼は今もここにいるの?」

 

「あー、そういえばここしばらく見てないな。

いつ消えちまったのかは知らねぇが、誰かに刺されてくたばったのかもな」

 

「見てない…じゃあ戻ってきていないのかしら」

 

バーバラが腕を組む。

 

ピリリ…

 

着信だ。

 

「はい、もしもし」

 

「デイブです」

 

「あぁ。早かったですね」

 

「えぇ、やはり私はそちらに合流できそうもありません。

ですが、ゴンドウが関わっていたとみられるジャパニーズマフィアと接触できそうです」


「えっ?」

 

この展開にはバーバラも驚く。

 

話していたホームレスに礼すら言わず、携帯電話片手にツカツカと歩き始めた。

 

「接触というのは一体…しかし、売人へのおとり捜査は不可能なんですよね?」

 

「聴取という形ですね。彼らには何ら容疑はかかっていないので、任意で話を聞かせてもらう形です。

ゴンドウ亡き後も彼らは存在していましたから」

 

「アイス・キャンディとそちらがトラブっていたのは明らかです。もしかしたら彼らもアイス・キャンディの生存を疑って、行方を探しているかも…」

 

「はい。それが狙いです。彼らも我々に情報を与えて損はないかと」

 

デイブの声に抑揚はまったく無い。

 

「マフィアが自分たちの手でアイス・キャンディを殺そうとしていなければ…そうでしょうね」

 

「とにかく向かうとします。代表者の名前はカワノだとか」

 

カワノ。

 

ホテルの屋上からこつ然と姿を消した彼は、生きていた。


 

 

コンコン。

 

「『入れ』」

 

ガチャ。

 

「『失礼します、親父。

例のおまわりが来てます』」

 

舎弟が頭を下げた。

 

 

高層マンションの最上階。

カワノは今、そこに立派な事務所を構えている。

 

ゴンドウがマフィアを率いていた頃、彼らに決まった名前はなかったが、現在は『二代目権藤組』を名乗り、本国のヤクザに近い形となった。

 

「『通せ。通訳は?』」

 

「『いないようです。一人で来ています』」

 

「『ほう。勇敢なのか馬鹿なのか…タジマを呼べ』」

 

「『はい』」

 

舎弟が出て行き、入れ替わりでコートにハット姿の紳士的な白人とスーツを着たアジア人が部屋に入ってきた。

デイブと、タジマという者だろう。

 

「こんにちは」

 

「『どうも、お巡りさん。どうぞ座って下さい』」

 

カワノは茶色い牛革張りのソファをすすめた。


「どうも」

 

デイブがカワノと対面に座り、タジマは立ったままカワノの後ろに控えた。

 

シュッシュッ…

 

カワノが煙草に火をつけ、青白い煙をくゆらせる。

 

「アイス・キャンディの件です」

 

「『えぇ。お察しのとおり私たちも彼を探していましてね。ただし、彼が死んでいなければの話ですが』」

 

「何か知っていらっしゃれば、教えていただきたい」

 

「『いやいや。私たちの方こそ、お巡りさんにお尋ねしたいくらいです』」

 

カワノは腰も低く、にこやかだ。

デイブは不思議と彼に好感が持てた。

 

「しかし、ご存命だったのには驚きました。私も日本での話は聞いておりますので」

 

「『死に物狂いでしたよ。私自身も奇跡を実感しています。

フォレスト刑事はお元気で?』」

 

「いえ…つい先日になって、遺体が見つかりました」

 

デイブは少し迷ったが、機密情報を開示した。


「『そうでしたか。誠に残念です』」

 

「ええ…しかしやはりアイス・キャンディの遺体は確認できません。

生きている線でも我々は再捜査を開始しているところです」

 

「『フォレスト刑事のご遺体は、もう帰国されていますか?』」

 

「はい?いや、まだでしょうね」

 

「『そうですか。墓前に花の一つでも供えさせて下さい。

彼にはお世話になりましたので』」

 

粋な話だ。

 

警察官の死をマフィアのボスが悼むなど。

 

「わかりました。埋葬が終わったらご連絡差し上げます」

 

デイブの最大限の配慮だ。

 

立場上、葬儀にはさすがに参列させる事は出来ない。周りの警察官の目もある。

 

「『ありがとうございます。さて…少ないですが、我々が持っている情報をお教えしましょう』」


「あ、少々お待ちを。はい、お願いします」

 

デイブが警察手帳とペンを懐から取り出して、カワノに向けて頷いた。

 

「『まず、第一に彼はあの現場から生き延びています。

もしかしたら自らが逃げるためにフォレスト刑事を溺死に見せかけて手をかけた可能性もありますが、そこまでは掴めていません』」

 

「生きている…証拠は?」

 

「『ありません。彼と接触した人間を知るわけでも、見たわけでもありませんから』」

 

カワノは煙草を灰皿に押しつけた。

 

「どういう事でしょう」

 

「『彼によく似た人物をニューヨークで見かけたという証言が、2、3ありました。ただし、いずれも接触する前に見失っています』」

 

「なんと!驚きました。やはりハーレムでしょうか」

 

「『いえ、ばらばらです。そのせいでそのキャンディらしき人物の居住地が割り出せません』」


不確かな情報ながら、大きな前進だ。

そのアイス・キャンディらしき人物との接触が課題となる。

 

「『…とまあ、お話できるのはこのくらいです。

お力になれましたでしょうか』」

 

「なんとしてでもその男を見つけ出します」

 

「『お願いします。

我々も彼に恨みがあるのはご承知でしょう。こちらでも独自に探してはいますが、警察の方にお任せしてもイイかなと思っていたところです』」

 

これは意外なカワノの意見だ。

警察より先にキャンディを捕まえて殺す、という意志が無いと言える。

 

「では、私はこれで失礼します」

 

「『わざわざお越しいただきありがとうございました』」

 

デイブとカワノが同時に腰を上げる。

 

カワノが差し出した右手。

 

「こちらこそ、ありがとうございました」

 

デイブは少し迷ったが、それを握った。


 

 

「つまり、その人物を探し出せばイイわけね?

急ぎましょう。彼がいつまでもニューヨークにいるとは限らない」

 

「分かりました。私も、もっと捜査員の数を増やせないか、上に当たってみます。

迅速な捜査が鍵となるでしょうから」

 

「カワノさんからあなたが聞いてきた数点の目撃場所から範囲を狭めていきましょう」

 

ハンバーガーショップで落ち合ったバーバラとデイブの二人。

 

段取りは着々と進む。

 

「しかし、ただ似ているだけの別人である可能性もあります。

こちらは我々に任されて、バーバラさんは別口を当たられてみてはどうでしょう?」

 

「何かあればそうしたいところですが、今はそれ以外に有力な情報はありません。

私もその人物を探します」

 

「わかりました。ではすぐにアイス・キャンディのモンタージュを作成します。それを使ってさらなる目撃情報を」

 

「ありがとうございます」


 

バーバラは一足先に店を出ると、カワノが言っていたという場所をすべてタクシーで見て回った。

 

簡単に見つかるわけもないが、彼女はいてもたってもいられない。

 

通行人や住民はいくらでもいるが、ハーレムの路地裏とは違ってアイス・キャンディの名前で捜査をする事は不可能だといえる。

客でもない限り、その名前を知るはずもないからだ。

 

「やっぱり似顔絵を待つしかないのかしら…」

 

デイブのモンタージュが無い限り、確かに聞き込みは難航してしまうだろう。

 

その時だった。

 

バーバラの視界の隅。

記憶に残る人物が、スッとビルの陰に消えていった。

 

「え…!?今のは!」

 

その場へ駆け寄る。

 

アイス・キャンディらしき人物の後ろ姿はまだ見えている。

 

「ちょっと…!すいません!

あなた、ちょっと待って!」


しかし、歩みは止まらない。

 

「ちょっと!」

 

「…」

 

一瞬。

 

その人物が振り返って、バーバラを確認した。

 

「やっぱり…アイス・キャンディ…!?」

 

以前と変わらず、フードで顔の大半は覆われているが、背丈や肌の色、わずかに見えた口元はアイス・キャンディにしか見えない。

 

バーバラはヒールを鳴らして全速力で走り始める。

 

「…」

 

アイス・キャンディはそれに気づいたのか、彼女から逃げるように再びビルの物陰へ。

 

「待ちなさい!」

 

バーバラが素早く接近し、寸分違わず陰に飛び込む。

ついに捕まえたかに見えた。

 

だが。

 

「え…?」

 

一面に広がるコンクリートの床と壁。

 

隠れるものなどないはずの場所で、追っていた人物は姿を消してしまった。


 

 

「なぜですか!私は納得がいきません!」

 

「ふむ…しかしな、私としても容疑者を探し出したいのだ」

 

「だからなぜ!」

 

デイブが現在の直接の上司である刑事に詰め寄った。

 

「前任のフォレストさんの件は、ニューヨーク市警とは一切関係ない。

冷酷かもしれないが、彼の行動は逸脱しており、辞職をすでに申し出ていたそうじゃないか」

 

「正確には受理されていませんでした!」

 

「君が隠蔽していたからだろう!」

 

ドン!とデスクを叩く音。

 

「容疑者がニューヨークにいる可能性が高いのです!急がなければ、また犠牲者が出るかもしれない!」

 

「だったら容疑者が生存してニューヨークにいる証拠をもって来たまえ!

もう少し、捜査をする権限は与えるが、人員を割くことは出来ない!以上だ!」


周りの視線を一手に受けながら、デイブはオフィスから退室した。

 

おとり捜査の件もこうやって断られたが、デイブはフォレストやバーバラとは違い、上の命令には不服があっても従った。

真面目だと言えばそうなのかもしれないが、仕事を辞める事が正しいとは言い切れない。

 

確かに潔くて格好は良いかもしれないが、警察官である事は彼の誇りでもある。

 

「さてさて、モンタージュだけでも認められた事を喜ぶべきかな」

 

すぐに気持ちを切り替え、バーバラに電話をかける。

 

「もしもし」

 

「あぁ、デイブです。捜査員は増やせないと怒鳴られてしまいましたよ、ははは」

 

「そうでしたか…残念です。

先ほど、アイス・キャンディらしき人物を取り逃がしました。間近で見ましたが、彼に間違いないと思います」


「な!なんですって!?」

 

驚いたデイブの声が裏がえる。

 

半ば、生きているのかさえ疑っていた人物。

フォレストやバーバラの為にも力は貸す気でいたが、実際にバーバラが接触したとなれば現実味を帯びてくる。

 

「私の曖昧な証言で捜査員が増えるとも思えません。

急ぎましょう。私は引き続き周囲の捜索を。モンタージュ、出来次第お願いしますね」

 

「場所はどちらで、その…アイス・キャンディを?」

 

「ブルックリン郊外です。では、失礼します」

 

バーバラの目と鼻の先にアイス・キャンディがいる。

彼女は悠長に電話をしていられる状況ではない。

 

有無を言わさず強引に電話を切ると、消えるはずのないキャンディがいかにして姿をくらましたのか、すぐに周りを調べ始めた。


 

 

「すいません、この人物に見覚えはありませんか?」

 

「ん?うーん、わからないな」

 

「そうですか。ありがとうございました」

 

「力になれなくてすまないね」

 

ベビーカーを押す母親に別れを告げ、モンタージュを手に次なる通行人へ近寄るデイブ。

 

仕事回り中の営業マンだ。

 

「すいません、お時間ありますか」

 

「いや、急いでます」

 

「この人物を見た事があるのかだけ聞かせて下さい」

 

「ごめんなさい、急ぐので。失礼」

 

モンタージュには目もくれず、彼は去っていった。

 

 

「はぁ、もっと人員が割ければなぁ…」

 

弱音を吐く。

 

その少し離れた場所では、バーバラがデイブと同じように聞き込みを行っているのが見えた。


ちらりと目が合う。

 

デイブが肩をすくめて見せると、バーバラも力なく笑った。

 

どうやら大した情報もないらしい。

カワノがいくつかの目撃情報を持っていたり、バーバラがアイス・キャンディを自ら目撃したことで、一般人の中にもかなりの数の目撃者がいると予想していたが、どうやらあては外れてしまったらしい。

 

 

「どうぞ」

 

「あ、ありがとうございます」

 

ベンチに座り、休息を取る。

 

デイブが販売車から買ってきたタコスとコーラを、バーバラは受け取った。

 

「まったく、たったの一人も目撃者が見つからないなんて。

私が見たのは幻だったとでも言うのかしら」

 

「パッと消えてしまったんですよね?普通では考えられませんが」

 

「いいえ、彼は確かにいました」


 

「通行人だけではラチがあきません。

私は周辺の住民にも聞き込みを」

 

「分かりました。お願いします。

私は引き続きここで」

 

軽い食事を終えると、デイブが移動し、バーバラがこの場に残る運びとなった。

 

彼の背中を見送り、近くにいたカップルに話し掛ける。

 

「すいません、人を探しているんですが」

 

「はい?」

 

ひょろりとした体型の彼氏が応じる。

 

「こういう人物なんですが、見覚えはありませんか?」

 

「なになに…?え、今どき人物画で人を捜しているの?

写真とかないのかしら」

 

ふくよかなボディラインの彼女がくすりと笑った。

 

「ごめんなさい、これしか無いんです。分かりませんか?」

 

モンタージュは2パターンあった。

キャンディの素顔に似せたものと、フードを被ったものだ。


「で、この人は何?恋人か何かってわけでもないよね」

 

にこやかに彼氏が言う。

 

「えぇ…まぁ」

 

「なになに?この人は何なの?」

 

彼女が楽しそうにのっかってくる。

 

「あまり大きな声では言えませんが、ある事件の容疑者です。それで目撃情報を」

 

途端に顔が強張るカップル。

犯罪者に関わりたいはずもないので、当然だろう。

 

「へ、へぇー。泥棒か何かかな。お姉さんも大変だねぇ」

 

彼氏は平静を装うが、多少の動揺は隠せない。

 

「いえ、連続殺人事件の最重要指名手配犯です」

 

「マジかよ!もちろん知らないけど、ソイツを知ってたって教えて殺されるのは勘弁だよ!」

 

彼氏が彼女の手を引き、そそくさと立ち去っていった。

 

 

 

「はぁ。どこへ行ったの…アイス・キャンディ」

 

バーバラが見上げたブルックリンの空は、雲一つなく晴れ渡っていた。


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