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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
25/34

生命線

『生命線…生死を分かつ、絶対に守るべき限界点』

「はぁ…はぁ…」

 

「…」

 

「ここまで来れば大丈夫だろう…」

 

立体駐車場の二階部分。平日なのか、停めてある車の台数は少ない。

息を切らしながら、レモンはコンクリート張りの柱にもたれかかっている。

 

キャンディは近くに停まっていた、やけに小さい車のボンネットに腰をおろした。

すると、ペコッと音がして簡単にへこんでしまった。

 

「…なんだこの車は?ダンボール製か?」

 

「マジで!?って、そりゃただの軽自動車だぜ!」

 

軽自動車、という名前らしい。

なかなか本国ではお目にかかれない代物だ。

 

「どうして…助けてくれた?いや、先ずは礼を言おう。ありがとう」

 

「いいって事よ!どうしてって…どういう意味だ?

お前も友達は助けるだろう?」

 

「…なるほどな」

 

友と呼べる人間はいなかったキャンディには、仲間とどう接するのが自然なのかはわからない。

いつ、裏切られるか分からない他人にしか感じなかったからだ。

 

だが、目の前にいる男は違う。

危険を省みず、何のメリットも求める事なく自分を助け出した。


「友達か…お前は、俺をそう呼ぶのだな」

 

「なにしみじみしてるんだ?」

 

「とにかくもう大丈夫だ。それじゃあな」

 

「ま、待てよ!どこに行く気だ!

粉で真っ白な格好も、手錠もそのままにしとくのか!?」

 

真っ白な姿はレモンにも該当するが、確かにとんでもなく目立ってしまう。

手錠など、どう見ても逃げてきたとしか思われない。クサナギ達やアンジーはおろか、一般人の目にさえも触れる事は危険だ。

 

「手錠をどうにか出来るのか?」

 

「何か手錠を切れそうな物を探してきてやるよ。着替えもな」

 

「わかった。お前も十分不審者だからな、気をつけてくれよ」

 

「任せろ、ホーミー!」

 

親指を立ててニカッと笑うと、レモンは駐車場のスロープを駆け下りて行った。

 

キャンディも人目につかないよう、車の上から降りて移動を開始する。

 

「…」

 

そして、真っ白になってしまったフードを両手で深く被りなおし、停めてある車と車の間に腰を下ろした。


 

 

それからどれくらいの時が経っただろうか。

不覚にも、逃走中の身でありながら、キャンディはそのまま眠りに落ちてしまっていた。

 

 

「…ディ!」

 

暖かな風が通り過ぎる。

 

「キ…ディ!」

 

心地よいリズムで身体が揺れる。

 

「キャンディ!!」

 

バチーン!!

 

頬に鋭い衝撃が走り、キャンディはハッと目を覚ました。

 

「…!!」

 

バッと瞬発的に後方へと飛び起き、駐車場の壁に背中を激しく打ちつけた。

 

「なに寝てるんだよ!人に働かさせといてー!」

 

「む…レモンか。悪い」

 

ガチャ。

 

レモンは乱暴に何かを投げ捨てた。

かなり大型のはさみ工具だ。これで手錠のチェーン部分を押し切るつもりだろう。

 

「先ずはソイツだけ盗んできたぜ」

 

「やるじゃないか。見直したぞ」

 

「ははは!そうだろう!ほら、両手を前に出して床につけな。俺が切ってやるよ」

 

無様ではあるが、キャンディは地べたに這いつくばって両手を前に出した。


「よーし!イイ気分!」

 

「く…!良いから早く切ってくれ」

 

プライドが高いキャンディには屈辱的だ。

 

「あれぇ?そんな態度でいいのか、ニガー?」

 

「…後で殺す」

 

レモンに聞こえないよう、ぼそりと悪態をついたキャンディ。

 

「ん?何か言った?」

 

「いや…頼むよ、スティーブ」

 

「おー、任せときなー」

 

レモンがチェーンにはさみをあてがった。

 

「ふんっ!」

 

そのまま思い切り体重をかける。

 

だが、そう簡単には切れない。

 

「もう一回!ふん!」

 

「…」

 

「まだまだ!ふん!」

 

 

 

同じ行動を十回ほど繰り返し、手錠はようやく切断された。

 

左右の手枷の部分はフードの袖にそれぞれ隠す事で何とか目立たなく出来そうだ。

 

「恩に着る」

 

「気にしないでくれー!

ん?白いのも取れてきてるな」

 

レモンに指摘されてキャンディは自らの身体を見た。

確かに地面や壁でこすれた部分の消火剤は落ちてきている。


「さすがに、もう大丈夫そうだ。綺麗な身なりとは言えないが、ほとんど目立たないだろう」

 

「そうだな!キャンディは、これからどうするつもりだ?

アンジーやドープマンにきちんと話さないといけないと思うぜ」

 

「いや…そのつもりは無い。ここでお別れだ。

本当に世話になったな、レモン。助かったぞ。

…これは礼だ。少ないが、取っといてくれ」

 

キャンディはくしゃくしゃになった一万円札をスウェットのポケットから取り出し、レモンに手渡す。

 

「え!いいのか!?ありがとう!これ、いくらだ?

…じゃなくて!ちゃんと話さないとダメだぜ!アンジーはお前が俺達を騙したと決めつけてる!濡れ衣を着せられたままだなんて、納得出来ねーだろ!?」

 

「…その通りだ」

 

「だったら…!」

 

キャンディの手を引こうと伸ばされたレモンの右手を無視する。

 

「いや、その通りだってのは…濡れ衣なんかじゃない。俺がサンフランシスコに向かったロブスターのボウズや、お前達ロサンゼルス班をハメたのさ」


一瞬。キャンディの言葉を理解出来ないレモンが固まった。

 

「は…何を言って…?」

 

バカ正直でまっすぐなレモンは混乱している。

ここまで純粋な男はなかなかいないだろう。

 

「悪いな」

 

「え!でも、さっきの警官に自主みたいな真似をしたのは、そういう手筈だったんじゃないのか!?ああやってアイツらの目を欺いて油断させて…!」

 

言葉を詰まらせたレモンに、首を振るキャンディ。

 

やはりレモンは事を理解出来ず、忙しく口をパクパクさせている。

 

「じゃあな。レモン。

お前のおかげで、初めて人の事を好きになれた気がするよ」

 

呆然とするレモンを前に、クルリと振り返ったキャンディは上を向いて歩き出した。

 

「キャンディ!!待てよ!」

 

「…」

 

「キャンディ!お前は一体…!」

 

答えはない。それは彼自身にも分からない。

 

ただ、これだけは言える。

まだまだ彼は立ち止まれない。力を蓄えてRG達を討ち果たし、ニューヨークのドンとしてその地に返り咲くまでは。


 

 

 

呆然とするレモンと別れた後、キャンディがすぐに訪れたのはホームセンター。

広々とした店内には、所狭しと様々な物が陳列されている。

 

「『いらっしゃいませー。いらっしゃいませー』」

 

「…」

 

やる気がなさそうに棒読みの接客挨拶を繰り返し言っている若い女店員の横を通り、彼はまっすぐに目的地へと向かった。

 

ノコギリ、ナタ、剪定バサミなど、鈍く光る刃物が並んでいる。

 

キャンディはその中から最も刃渡りが長いアーミーナイフを手に取った。

ずしりとした感触が手にのしかかる。

 

どうやら手錠を破壊する為に何かを探しに来たわけではないようだ。

彼が欲しているのは、明らかに金属を切断する為の道具ではない。

 

「…」

 

透明のプラスチックで覆われているそれを、まじまじと見つめるキャンディ。

そして、納得したように小さく一度頷くと、梱包を勝手に破り、革製の鞘すらも投げ捨て、抜き身の状態にしたナイフをスウェットの中へと忍ばせた。


「『見て、今あの人ナイフを』」

 

「『関わらない方がイイ。行こう…』」

 

「『いや、でも、警察に通報した方が良さそうよ』」

 

「『早くおいで…!聞こえてるかも…!』」

 

近くにいた中年の夫婦が何やら会話をしながらキャンディから遠ざかっていく。

 

だが、そんな事をいちいち気にはしない。

 

彼等には目もくれず、キャンディは店の外へと向かった。

 

「『あの…!』」

 

パシッ。

 

扉を出た直後。華奢だが力のこもった手がキャンディの腕をつかむ。

 

先ほどやる気なく挨拶していた店員だ。

鋭い眼光でキャンディを睨みつけている。

 

「『まだ、清算していない商品がありますよね…?おや、あなた。腕に何かついてる』」

 

「…」

 

もう一方の手で、キャンディの服の袖をまくり上げる彼女。

見かけによらず勇敢だが、切断された手錠が目に入るなり、その表情は絶対零度よりも冷たく凍りついた。

 

「『脱獄囚!?だっ…誰か…たす…』」

 

最後の言葉は、ヒューヒューという虚しい呼吸音となり消え去った。


その直後に、まるで水道管が破裂したかの如く、鮮血が舞い上がった。

 

キャンディは冷静に二、三歩下がって、僅かな返り血を浴びるだけで済むようにしている。

その眼は、かつての『アイス・キャンディ』を思い出させる冷たいもの。

 

「俺は…悟ったんだ」

 

一直線に喉をかき切られて仰向けに倒れている女の死体。深々と被られたフードの中の独眼でそれを見つめながら、キャンディはその場を後にした。

 

 

 

そして、そのまま向かうのは先ほどの場所。

 

そう。レモンと別れた、あの立体駐車場だ。

 

「…」

 

もちろん、レモンはすでにそこにはいないはず。

しかし、しっかりとした足取りで彼はそこを目指した。


 

だが、待っていたのは思わぬ事態。

駐車場の隅に打ち拉がれて放心状態のようになったレモンがいたのだ。

 

「ん…くそう…キャンディ…」

 

やはり、裏切られていた事実に怒りを感じているようだ。

鉄柵越しに外を眺めている彼の真後ろに、キャンディは音も立てずに近寄った。

 

「…」

 

「どうして…どうして、俺なんかに打ち明けたんだよ…!」

 

ずずっ、と鼻をすするレモン。泣いているのだ。

 

すぐ後ろにキャンディがいる事には全く気付いていない。

 

「どうしてアンジーやドープマンじゃねぇんだ。バカな俺がそれを知っても、お前をどうしたらイイのかわからねぇ」

 

「…」

 

「どうして俺はこうなんだ…裏切られたと分かった今、アンジー達にどうお前を許してもらおうか、そんな言い訳を考える事ばかりが頭をよぎっちまうんだ。

どうしようもねぇ大馬鹿者だよ、俺は。

キャンディ、俺はお前の友達だ。お前が裏切り者だとしても、笑って、幸せでいてほしい…」


背後に立ったまま、キャンディはレモンの言葉に耳を傾ける。

 

「俺は…」

 

しかし、その言葉を最後にレモンは押し黙ってしまった。

 

「レモン。お前の方こそ、これからどうするつもりだ?」

 

「へっ!?だ、だ、だ、だ、誰だ!?

…キャ、キャンディ!?」

 

大袈裟に驚きながらレモンは振り返った。

 

「なぜ、まだこんな所にいるんだ?」

 

「そりゃ当たり前だろ!ドープマン達に俺はどう説明したらイイんだよ!

このままじゃ、お前が悪者だ!」

 

「何度も言うが、それが真実だからな。だが…」

 

ドスッ!!

 

抜き身の刃が、レモンの腹に突き当てられた。

 

「え…?」

 

レモンの目は、自分の腹とキャンディの顔を何度も交互に見やっている。

 

「もう何も考えなくてイイ。

ありがとう。俺は、お前の事が大好きだ。

レモン…お前と俺はずっと友達だ」

 

「どう…して…」

 

キャンディの肩をガシリと掴んだものの、すぐにフッと力が抜けて、レモンはそのままうつぶせに崩れ落ちた。


「お前は俺の事を心底気にかけてくれた初めての人間だ。

俺も初めて『出来れば失いたくない』と願った相手だ。

だが、お前は危険に身を置いていた。アンジーにRG…アイツらの気が変わって、いつお前が殺られてもおかしくはない。だったらいっそのこと、俺の腕の中で眠れ、友よ…」

 

しゃがみ込んでレモンの亡骸を優しく抱きかかえたアイス・キャンディの目には涙が浮かんでいる。

やがてそれは一筋の水滴となって彼の頬をつたい、うつぶせのレモンの頭の上に落ちた。

 

『アイス・キャンディが涙を流している』

 

これは紛れも無い事実。

痛みに顔を歪ませているわけでも、腹を抱えて笑っているわけでもない。

 

彼は初めて、他人の為に涙を流した。

 

「レモン…愛してるぜ」

 

友を想う歪んだ愛。裏街道を歩む上で、あまりに不器用すぎたその男は、最も間違った方法でそれを示し、友を失った。

 

「…いつか、あの世でまた会おう」

 

レモンの身体をそっと仰向けに返し、胸の上で手を組ませると、キャンディは空で十字を切って立ち上がった。


 

 

「チィッ!見失ったか!」

 

フォレストはぐるりと周りを360度見渡し、地団駄を踏んだ。

 

続いてアンジーが同じ場所に到着する。

 

パトカーや救急車のサイレン。

トラックのクラクション。改造バイクの排気音。

 

表通り。人や車の流れは多く騒がしいが、キャンディやレモンらしき人物は見当たらない。

 

「おや、さっきの…奇遇だな、お前」

 

「ゴンドウとやりあった女か。

なんの用だ?アイス・キャンディを探すのを手伝ってくれるとでも?

それとも邪魔しに来たか」

 

「んー…どっちも」

 

アンジーはにこりと微笑み、可愛らしくウインクをして見せた。

 

「そりゃどうも」

 

「さっきまでいたのか?」

 

「いや、ホテルから逃げた方向はこっちで間違いないが、そこからの足取りが分からない」

 

「なんだよ、だらしねぇなー」

 

アンジーは軽くフォレストのわき腹をつつくと、ある一方向に向かって真っ直ぐ歩き出した。

 

「おいで。こっちだぜ」


「は…?」

 

手招きをするアンジーの顔を訝しんで見つめるフォレスト。

 

「ん?なに?

あぁ、別に騙そうとしてなんかいないぜー。お前、警察官らしいな」

 

「いや、確かに警察官だが、騙そうとかどうとかって事じゃなくて…なぜ、そっちなんだ?」

 

「アイツらはアタシ等と同じく、この国じゃあジロジロ見られて物珍しがられる」

 

「そうだな」

 

「ここまで言って分からないか?デスクワークがお得意か?ぼっちゃん」

 

現場叩き上げのフォレストにとっては大きく誤った指摘だ。

彼は少しムッとして、悔しい思いをしながらも彼女に続きを促す。

 

「ジロジロ見られて指さされるのを人一倍嫌うのがアイス・キャンディさ。ハスラーだからな。

それに、アタシ達みたいに汚れたまんまで出歩いてれば、たとえ中身が地元民でも目立つよ。ほら、行くぜー」

 

「うむ。俺とした事がそんな簡単な事を見落としていたとは。

それとな、生憎だが俺はデスクワークが一番嫌いだ!現場一筋でデカまで登りつめたんだからな!」

 

アンジーの背中にその言葉は意味を持たなかった。


ウー!と間近でサイレンが唸る。

 

二人の側をパトカーが駆け抜けていったのだ。

 

「おっと、危ないな!こんなに狭い道をよくもあんなスピードで!警察官の風上にも置けない連中だな」

 

「お前だってよくやってたんじゃないのかー?」

 

「何を言ってるんだ。そんな職権乱用みたいな真似など…

俺が車を猛スピードで飛ばすのは自家用車を運転している時だけだ!」

 

「同じだろう」

 

確かにそれは勤務中ではないが、フォレストの運転は言わずもがな、少々乱暴だ。

 

「見ろ、女。あの店の前、人だかりが出来ているぞ」

 

「アタシの名前はマドンナだぜー!『女』だなんて品の無い呼び方するんじゃねぇよ。

…ん?パトカーもあの人だかりの所に集まってるな。覗いてみるか」

 

お得意の適当な自己紹介をしながら、アンジーは目を凝らす。

 

「マドンナ?そりゃ、名前負けしない容姿と度胸だが…ん!?」

 

「殺し…だな。

白昼堂々。平和な国にも阿呆はいたか」


アンジーが険しい表情を見せる。

 

人だかりの原因は殺人。

人々の間から彼女の目にチラリと見えたのは、床に飛び散った大量の血液だったのだ。

 

「殺人…?あぁ、なるほど。助からないだろうな。

しかし、よく見てるじゃないか」

 

すでに被害者は救急車で搬送されたのであろう、姿は見えない。

 

しかし、出血の量が尋常ではない事から『傷害ではなく殺人である』と断定出来る。

刑事であるフォレストが舌を巻くのも頷けるほど、アンジーの考察は研ぎ澄まされていた。

 

これも、今までの死地をくぐり抜けてきた経験。淡麗な容姿とズバ抜けた身体能力に隠れがちだが、元々は優れた情報屋としてロサンゼルスで名を馳せていた女の洞察力は伊達ではない。

もっとも、彼女に決まった呼び名など無いのだが。

 

「おそらく首だな。どの動脈よりも派手に血が出る」

 

「あぁ。俺もそう思う。気の毒に…」

 

ホームセンター前。アイス・キャンディの殺しの現場は彼女等の眼前だった。


「『はいはい、下がってください!見せ物じゃないんだぞ!』」

 

緊張した面もちの新米らしき若い男性警察官が人々に呼びかけている。

店は当然閉店。店前がロープと青色のビニールシートで覆われて隠れていく。

 

「『えー!なんでだよぉ』」

 

「『私は神の子だ!被害者には我らが神が天罰を与えたもうたのだ!』」

 

好奇心旺盛な男子学生と何やら怪しげなホームレス風の女が口を開いたが、警察官は無視した。

 

「『あ!あの!お巡りさん!』」

 

わいわいがやがやとお祭り騒ぎが続く中、一人の女性がその警察官に詰め寄る。

すぐ後ろには凍りついた表情で彼女の手を引く男性の姿。彼はこの女性の旦那だが、『やめておけ』とでも言いたそうな雰囲気だ。

 

「『ん?なんですか。あなたも早く立ち去ってください。捜査の邪魔でしかありません。

まったく、事件は大道芸ではありませんよ』」

 

「『あの、それが…私達、ついさっき怪しい外国人の男を見たんです。きっと、彼が犯人だと思うわ』」


彼女等こそが、先ほどキャンディがアーミーナイフを盗んだ場面を見ていた夫婦に他ならない。

 

「『はい!?本当ですか?』」

 

「『もちろんです!嘘なんかついていません』」

 

この女性は別に面白がっている様子もない。

新米警察官は彼女の言葉を信用した。

 

「『わ!分かりました!ちょっと待っててくださいね!』」

 

興奮しながらそう言うと、警察官はビニールシートで囲われた事件現場のなかへと消えていく。

 

「『コミネ警部!オオヤマ警部補!目撃証言を持つ方がいらっしゃっています!』」

 

そして、外にもバレバレな大声でそう叫んだ。

 

しばらくすると、一人の男を引き連れて新米警察官が出てきた。

 

「『お待たせしました。こちら、オオヤマ警部補です』」

 

「『こんにちは。勇気ある行動に感謝します。

あちらへどうぞ。ここは騒がしいのでね』」

 

警部補は出てくるなり、箱バン型の警察車両を指差した。

 

「『あ、はい。お役に立てればイイのですが』」


 

警部補、女性、その夫の順で車の中に消えていく。

新米警察官はそれを見送った後、再び持ち場であるビニールシートの前に戻ってきた。

 

「おーおー、何だ?自主かよあの女?

突然旦那みたいな男と一緒に現れたぜー」

 

「いや、違うな。ありゃ目撃証言を持ってるに違いない」

 

これはアンジーとフォレストの会話だが、他にも大勢集まっていた野次馬達からも似たような言葉が上がっている。

 

「『なんだ!逮捕か!一件落着かよ!』」

 

「『まさかアンタ、犯人を見たのか!?どんな奴だった!』」

 

「『いいや、彼女こそ神の化身だ!おお、この騒がしい者達に天罰を!』」

 

すると、アンジーが何を思ったのか、人を押しのけながらぐんぐん現場へと近づいていった。

 

「ん?おい、マドンナ。何をしている」

 

「…」

 

フォレストから声をかけられてもまるで気づいていない様子だ。

もはや、多くの名を名乗りすぎたせいで何が何やら自分でも覚えていないだけかもしれないが。


「おい!中に入る気か!」

 

「通してくれー」

 

さらにどんどん進んでいくアンジー。

 

「『ん?なんだ、美人な外人ねぇちゃんが…』」

 

バサッ!

 

「『あ…入る』」

 

「『あー!!』」

 

まくり上げられたビニールシートと、野次馬達や新米警察官から上がる声。

 

「『ちょっと、アンタ!何してるんですか!勝手に入っては…!』」

 

何をしているのかと問いたくなるのはむしろ彼に対してだが。

しっかりと仕事をしていなかったのは言い逃れようもない事実なのだから。

 

「チ…入っちまったか」

 

小さく舌打ちをするフォレスト。

アンジーは警察官の言葉が終わるよりも早く現場の中へと姿を消していた。

 

 

 

「『えーと、被害者はこの店に勤める専門学生で間違いないか?』」

 

「『はい。事件当時、店内にいた従業員は彼女だけでした。

店長は休憩中で、奥の事務所で仮眠をとっていたようです』」

 

「『なるほどな。まったくもって残虐な事件だ』」

 

コミネは大量の血痕に憤りを感じた。


バサッ!

 

「『こらぁ!ちょっと待ちなさい!勝手に…!あれ?』」

 

そんな中、突如あけられたシートと共に入り込んでくる人影と声。

 

だが、それはアンジーではなく新米警察官ただ一人だ。

確かに彼女もここに入ってきたはずだが見当たらない。

 

「『ん?勝手に…の続きは何だ?

何をしているんだ、お前は』」

 

「『はっ!コミネ警部!あ、あの…えっと実はですね』」

 

明らかに不機嫌そうな声色でコミネは言った。

彼は僅か29歳にして警部を務めるヤリ手で、思い切りのある行動力が光る実力派だ。

言わば、フォレスト刑事に近いような破天荒だが正義感が強い警察官だろう。

 

「『実は?』」

 

「『はい。あの…あ!い、いえ!何でもありません!

自分は戻ります!捜査中にも関わらず失礼いたしました!』」

 

中に人を入れたとも言えず、新米警察官はそそくさと退散していった。

現に、アンジーの姿は誰からも確認されていない。

 

「『なんだ、アイツ?』」


「『はい、タナカと言いまして。最近大学を出て、ウチの署に配属されたばかりの新人です。

たしか、関西の方の国立大卒でしたよ』」

 

近くにいた鑑識の女性が応えてくれた。

 

「『俺はそういう事を訊いているんじゃないのだが。

しかし、やけに詳しいじゃないか?』」

 

「『えぇ、もちろん。ちなみにガールフレンドは募集中だそうですよ』」

 

くすくすと笑いながら鑑識は続ける。

 

「『はぁ…?ガールフレンド?』」

 

「『あら、警部。本当にご存知ないんですね?

彼は少しおっちょこちょいだけど、明るくて爽やかで、署内の女性職員達のアイドルみたいなものなんですよ。男性からもそのムードメーカーっぷりがウケて、とても可愛がられているんですが…』」

 

バサッ!

 

「『し、失礼します!た、度々申し訳ありません!』」

 

「『噂をすればなんとやら…どうした、タナカ巡査?』」

 

もう一度新米警察官が帰ってきたのだ。

敬礼をする右手が僅かに震えているように見える。


「『はっ、名前を覚えてくださったのですか!ありがとうございます、コミネ警部!』」

 

「『あぁ、人気者だそうだな?

それで、今度はどうした。三度目の対面だが?』」

 

「『人気者だなんて、いやはやお恥ずかしい…』」

 

思わずにやけ顔になってしまう新米警察官。

 

それを見たコミネの頭に、みるみる血が上っていく。

 

「『だからどうしたと訊いているんだ!貴様は人の話が理解できないのか!

殺人事件だぞ!みんなもっと気を引き締めて取りかかれ』」

 

「『うわっ、すいません!』」

 

「『用がないならさっさと出ていけ。邪魔だ』」

 

ほんの戯れのおかげで、コミネはすっかり機嫌を損ねてしまった。

 

「『いや、正直に言います!さっきは見間違いかと思って…いやそれ以上に、怒られるのが嫌で言い出せませんでしたが!』」

 

「『…』」

 

「『い、一般人の女性が一人、この現場に入ってしまいました!』」

 

そう言い切った新米警察官は、深く深く頭を下げて謝罪の意を表している。


「『ん?何だと?』」

 

「『申し訳ありません!』」

 

真下に顔を向けたまま、タナカの声が地面から反響する。

 

「『でも、どこにも見当たらないな?一体誰が入ってきたと言うんですか?』」

 

誰かの一言で、一同がキョロキョロと辺りを見渡す。しかし、小部屋程度の現場内には、数人の警察関係者しかいない。

 

「『確かにそうだな。タナカ巡査、どういうことだ?』」

 

コミネがたずねる。

 

「『はい、自分も見間違いかと思ったのですが。確かに外国人の女性かこの中に入っていくのを見ました!しかし、中へ来てみると見当たらなくなってしまって』」

 

「『見ました、って…ちゃんと仕事してもらわないと困るんだがな』」

 

「アタシを探してるのかー?」

 

「『…!?』」

 

会話中、突如聞こえてきた声に全員が凍りついた。

 

「『だ、誰だ!』」

 

「『あ!警部!あの人です!』」

 

アンジーは何事もなかったかの様に、血痕の近くにしゃがんでそれを見つめていた。


見間違うはずもない。

西洋人の美女が堂々と現場のど真ん中にいる。

 

だが、そこに彼女がいる事に誰も気付かないなど有り得るはずがなかった。

 

「『なんだコイツは、早くつまみ出せ』」

 

コミネは動揺しながらも冷静に指示を出した。

 

「『はい!』」

 

スーツをしっかりと着こんだ屈強な刑事課の男性警察官が三人、アンジーを取り押さえようと彼女に迫る。

 

「『あっ!私も』」

 

新米警察官のタナカ巡査もそれに加わる。

 

「『失礼します!捜査中につき、出ていってもらいますよ!

大人しくしてて下さいね!』」

 

「うひゃー。こんなに血が」

 

ガシッ。

 

「ん?え?おい!離しやがれー!まだ見たいんだよ!」

 

「『言葉が分からないようですね。それで私の忠告も無視して、面白半分で入ってきてしまったのでしょう。

さぁ、行きますよ!お嬢さん!』」

 

タナカが言い訳にも聞こえる言葉を使っている。

意外にも、アンジーはあっさりと警察官達に捕まえられ、シートの外へとつまみ出されてしまった。


「チッ…現場にゃ面白いものなんて無いか…」

 

つまみ出されたアンジーは、ぼやきながらフォレストが待つ野次馬達の中へと戻ってきた。

 

警備に戻ったタナカ巡査が心配そうにそれを見つめている。

 

「よう、お巡りさん」

 

「勝手にあんなとこに入るとは、おてんばじゃ許されねぇぞ」

 

二人は会話こそしているが、互いに身体の向きは間逆で、現場側に顔を向けているフォレストに限っては、やや地面の方に顔ごと視線を落としている。

 

これならば見張りの新米警察官からは、二人が話している事が分からない。

何か打ち合わせがあったわけでもないが、自然と二人はそんな行動をとっている。

 

「もう少し、待ってくれないか?」

 

「キャンディはどうする」

 

「分かってる。ほんの少しだ。そしたらまた探しに行く」

 

フォレストにはアンジーの意図が見えない。

 

「…いつの世も、女は勝手な生き物だな」

 

「弁護士でも探しておいた方がイイぜー」

 

「そりゃどうも」


差別的な発言に対しての冗談に、軽く苦笑いを浮かべながらフォレストがアンジーを見送る。といっても、彼の視線は地面に落とされたままだが。

 

アンジーはそのままフォレストとすれ違い、現場から徐々に遠ざかっていった。

 

数秒経って、フォレストが目をあげると、心なしかホッと安堵の表情を浮かべている新米警察官の顔があった。

 

 

 

「『うぅむ。なるほど。

では凶器は店内で盗まれた大型ナイフで間違いなさそうですね?』」

 

「『そう結論づけるのは早すぎやしませんか、刑事さん』」

 

「『ま、まぁ…そうですな。まだその人物が犯行に及んだとも断定出来かねますしね』」

 

「『まったくもってその通りです。嘘をでっち上げてはいけませんよ』」

 

目撃証言を持つイシノモリ夫妻。

確信に迫ろうと結論づけてみたオオヤマ警部補の言葉を容赦なく切り捨てたのは旦那であるアキラだ。

 

「『で…では、もう一度。その男の特徴を教えて下さい。

失礼ながら、メモに取りきれなかったものですから。ゆっくりと、もう一度お願いします』」


「『はい。私達が見たのは小柄な男性でした。スウェットのフードを深くかぶっていて、いかにも怪しい感じの…』」

 

口を開いたのは妻だ。

夫はよほど警察に非協力的らしく、腕を組んでオオヤマを睨みつけている。

 

「『なるほどなるほど。それで、どうして男性だと?顔は確認出来たのですかな?』」

 

オオヤマは熱心に警察手帳のメモ欄を覗いてはいるが、パーカー製のペン先が動く事はない。

 

「『え…?あぁ、いいえ。体系で性別はなんとなく判別できました。顔は、少しだけ見えましたが…あの、刑事さん?』」

 

「『なるほどなるほど。はい、なんでしょう』」

 

何度も何度も深く頷いているオオヤマをイシノモリ夫人が呼ぶ。

 

「『メモをお取りにならなくてもよろしいのですか?』」

 

「『おぉ!すっかり聞き入ってしまいました。これは失敬!

…これでよしと』」

 

アキラが横から『これだから警察は…』と毒づいている。

 

「『服装や、顔の特徴などはありますか?そこが一番重要ですな』」


ペン先で夫人の顔の方を指しながらたずねるオオヤマ。

失礼にも程があるが、これが彼の持ち味だ。

 

オオヤマ警部補はコミネ警部直属の部下で、59歳とコミネのおよそ二倍の人生経験を積んでいる。

瞬く間に警部まで昇進していった若者を、最も間近で見てきた一人だ。

 

出で立ちは、うっすらと灰色のストライプが入った黒いスーツに整髪料でツンツンと逆立てた白髪頭が目立つ。

 

この歯に衣着せぬ物言いは昔からで、何もイシノモリ夫妻に対してだけと決まったわけではない。

若い頃は先人達から無礼者だと怒鳴りつけられたものだが、退職を近々に控える今、部下や上司からの評価は上々だ。

 

上司に当たる人間もオオヤマの後輩である事が珍しくなく、出世街道に乗り遅れたこの男の『部下として』または『先輩として』のアドバイスは遠慮を知らず、そして大きく外れている事もない。

署内のご意見番とでも言うべきか、彼が務める警察署の署長である警視や現役ばりばり刑事のコミネも『何かあればオオヤマへ』と口を揃えて言うのだから驚きだ。


彼を賞賛する意見はこの通りだが、優秀な点ばかりでもないのが人間だ。

 

オオヤマは経験や知識こそ豊富だが、コミネやあるいはフォレストの様に思い切りのある行動に出る事は決して無い。

良く言えば安定して仕事をこなしているとも取れるが、現場で緊急を要する事態に瀕した時、間違いなく彼は逃げる事を選ぶ。

 

事情聴取の様子をみる限りではあっけらかんとしているが、慎重派である事は疑いようもない。

 

 

 

「『…さん…!』」

 

「『…』」

 

「『刑事さん!聞いてますか!?』」

 

「『む…?あ、えぇ。もちろん聞いていますとも』」

 

イシノモリ夫人の声で我に返るオオヤマ。

 

またしてもメモを取る事なく、ぼんやりとしてしまっていたようだ。

 

ガチャ。

 

その時。

 

事情聴取を行っていたバンの中に、一人の女が乗り込んできた。

 

「あ、邪魔だったか?」

 

カーキ色のチノパンに白いシャツと黒いジャケット。

非常に地味な格好ではあるが、その美貌にオオヤマは目をひかれた。


「『え?どなたですか』」

 

「『なんだ?』」

 

夫妻はぽかんとした表情でそれを見つめている。

バンの中に乗り込んできたのは、すでに現場を離れていたはずのアンジーだった。

新米警察官の目をかいくぐってやってきたらしい。

 

どうやらこれがフォレストに話していた用事のようだ。確かに彼女はこの目撃証言者たちがここに乗り込む様を確認していた。

 

「おっと…何用かな、キレイなお嬢さん?」

 

「お!驚いたな。アンタ警察官か?」

 

オオヤマが発したカタコトの英語に目を輝かせるアンジー。

言葉が通じて嬉しいらしい。

 

「あぁ、そうだよ。悪いが出ていってもらえないかな?今、仕事中なんだ」

 

やんわりと、オオヤマがアンジーを押しだそうとする。

 

彼は長らく警察官として働いている間に、少なからず外国人犯罪者達とも接する機会があった。

その際に独学で学んできた英語が、こうして今役に立っているという状況だ。

 

「いやー、ちょっと二、三訊きたい事があるだけなんだ。教えてくれたらすぐに帰るぜー」


「そんな事が許されるはずがなかろう!早く出て行きなさい!これだから外国人は」

 

「ひどい警官だぜー。じゃあ、これだけ言わせてくれ。まさかとは思うんだが…この目撃証言者達、犯人は黒人だって言っていなかったか?

それだったらアタシもお前の力になれるかもしれないぜー」

 

「…?」

 

オオヤマはアンジーから一時的に手を離し、イシノモリ夫人に向き直った。

 

「『イシノモリさん』」

 

「『はい?』」

 

「『犯人の特徴ですが…黒人でしたか?』」

 

先ほどまでの横柄な態度が嘘かのように、オオヤマの表情はきりりと引き締まっている。

 

「『え…?はい、そうです。ちらりと見えた顔や、手は黒人さんのものでした。私、そこまで話したかしら…?』」

 

「『バカな…!!』」

 

そしてオオヤマは再びアンジーへと、振り返る。

 

「おい!貴様何者だ!ソイツの知り合…なにっ!?」

 

しかし、アンジーはいなかった。

オオヤマがそれを訊き、驚いた態度を見せた時点で、彼女にとっては十分な情報なのだ。


目の前で起きた怪奇現象に目をぱちくりさせるオオヤマ警部補。

人が音もなく消えるなど考えられない。

 

恐る恐る再度イシノモリ夫妻の方へと顔を向けると、自分はまだマシなのだと思い知らされた。

 

「『い…今、一瞬車のドアが開いたように見えたのですが…』」

 

ぷるぷると震える唇と声を右手で隠しながら夫人がつぶやいた。

夫のアキラなど、目を見開いたまま絶句している。

 

彼もまた、アンジーが消える瞬間を目撃してしまったのだ。

 

「『いやぁ…ははは。参りましたな。犯人の特徴は言い当てるわ、風のように消えてしまうわで…

これだから外国人は困ります』」

 

苦しいジョークで場を和ませようと努めるオオヤマだったが、彼女達がそれ以上口を開くことはなかった。

 

 

 

 

ドンッ!

 

フォレストの背中に衝撃が走る。

 

「わっ!」

 

「んっ!?おお、早かったな。いちいち後ろから脅かすな。子供じゃあるまいし」

 

「キャンディだぜー、お巡りさん。良かったなー」

 

アンジーは満足そうに頷いて言った。


「なにっ!どこだ?早く案内してくれ!」

 

「落ち着けよー。ほらぁ、またあの警察官に見られてるじゃねぇか」

 

やや声を張り上げたフォレスト。

アンジーが言っているのは新米警察官の事だろう。わざわざそちらを向くのも不自然なので、フォレストは微動だにせず苦笑いを浮かべる。

 

「む…すまない」

 

「それに、奴がすぐ側にいたとしたら台無しだぜー」

 

「ちくりちくりと痛いことを言ってくれるな。

それで、奴はどこだ…!どこにいる」

 

辺りを見渡したい衝動を抑えながら、フォレストはギリギリと奥歯を噛み締めた。

 

「違う。まだどこにいるのか分からない。だが、アタシの勘も鈍っちゃいないようだぜー。

実はこの殺し、犯人はアイス・キャンディだった」

 

「バカな…!どうしてそんな事が分かる。未だ警察が捜査中だというのに、そう易々と貴様が手に入れられる情報なはずがなかろう。

現にあそこから追い出されていたじゃないか?そんな話を鵜呑みには出来ない」


「まーそりゃそうかもなー。別にアタシがそれを突き止めた証拠もなければ、キャンディとの接点も見えないからな」

 

案外あっさりと、アンジーはフォレストの言い分を受け入れた。

 

「その通りだ。第一、今の時間だけでそんな事が分かったのか?」

 

「あぁ、分かった。だからこうやって話してる。アタシはあの、目撃証言者が乗ってる車の中にいたんだからな」

 

「なんだそりゃ、なおさら怪しくなってきたな…まず、聞き込みの場に居合わせたところで、言葉が分かるまい」

 

頭をかきながら呆れているようにも取れるが、立ち位置からしてフォレストの目はアンジーと合わない。

 

「でも、アタシが言っている事が本当だと言い切れなくても、お前がそうやって否定する理由も言い切れないはずだぜー」

 

「へ理屈だな」

 

「そんじゃまた、アイツを探しに行くぜー。近くにいるかもしれない。

少し離れてついて来い」

 

肯定と取れる返事などなかったが、アンジーは己がままに歩き始めた。


 

 

「『クソッ。せめて車の鍵だけでも借りてくれば良かったな…』」

 

「『確かにそうですね…しかし、そこまで遠くには行っていないように思います』」

 

走り疲れたクサナギとナカムラの二人は、コンビニエンスストアの前でしばし足を止めて休憩していた。

彼らの手には炭酸飲料の缶が握られている。

 

「『なぁ…ナカムラ。どうしてリョウジさんはすぐにあの黒人を殺らなかったと思う?そのせいで俺たちがこうやって迷惑を被ってるわけだが』」

 

珍しく、クサナギがRGへの不満を口にした。

よほどナカムラの口の堅さを信頼しているのだろう。

 

ナカムラがRGに告げ口でもしようものならばすぐにお咎めだろうが、彼はそんなに野暮ではない。

 

「『さすがにあの状況はいけません。

最も望むのはゴンドウさんとアイス・キャンディ、二人だけの状況。もちろんそれは不可能でしょうから、我々が尽力して出来るだけそれに近い状況にしていかないといけませんね』」


「『そのへんが曖昧なんだよな…もちろん仲間が大勢やられたって事に対しての怒りでここまでやってきたってのには頷ける。俺だってアイツだけは殺しても恨みきれないからな。

それに他の連中にも追いかけられているみたいだな、あのアイス・キャンディって男は。よほど嫌われてるぜ』」

 

ひと息にそこまで言い終えると、クサナギはラッキーストライクをとり出して火をつけた。

ほのかに辛味を含んだ香ばしい匂いが店の前に上がる。

 

「『曖昧…?ゴンドウさんの事でしょうか?

あの方は日本に戻られてから、特に慎重な行動を取られています。FBI然り。

あまりこの様な事を他言するのは私の真意に背きますが…恐らくこちらで他者から睨みを利かされては困る事情がおありに違いありません。

それでなければ引き金を弾く事を躊躇されるような甘い方ではありませんし、むしろ後ろからでも容赦なく撃ち殺すはず。

そういうお人です』」

 

「『とにかく内密に殺す必要があるって事だな?まったく、一番面倒な国に逃げ込んでくれたもんだ』」


確かにRGは敏感になっている。

何かを恐れて逃げているのか、煙たがって避けているのか、とにかくこの日本で彼に縁がある何かを隠している。

 

ただし、それは彼に限った事ではないだろう。

ナカムラも行員時代の汚点を自らさらしていたが、カワノやクサナギにも触れられたくない過去があるはず。

彼らは全員日系二世などではなく、純日本人。この国で何かをしでかした過去があってRGに拾われたのは火を見るよりも明らかだ。

 

「『目立つと昔の知り合いといざこざが起きる…そんなところでしょう。余計な詮索はしないのが賢明だと思いますが…』」

 

「『ケンメイ?』」

 

「『はい。賢い判断だということです。ゴンドウさんはプライドが高いお方ですから。それでなくとも部下に自分の望まない過去を知られて良い気がするはずもありません。

あ、飲み物ご馳走さまでした』」

 

ナカムラが空き缶をくずかごに入れる。

 

「『けっ。リョウジさんの事をよく知った風な口ききやがって!行くぞ!』」

 

「『はい!』」


 

「『ちっ。きたねえ所だぜ。

おまけに、においもキツイしよ』」

 

地面を這うドブネズミを蹴り上げた足は空をきる。

クサナギは酷い悪臭に目を細めた。

 

「『汚水でしょうか。この水たまりからにおいが上がってきている気がします』」

 

「『そうだな…俺はこっちを探してみる。お前はそっちを』」

 

「『わかりました』」

 

クサナギはビルを指差してナカムラに簡単な指示を出した。

 

雑居ビルが立ち並ぶ、なんとも怪しげな裏通り。

やはりキャンディが逃げ込む先としてはこういった場所がイメージし易い。

 

どこもかしこもくたびれたテナント募集の看板、もしくは廃墟のようなたたずまいの建物ばかりだ。

 

先ほどから人に会うことなど一度もなく、ネズミやカラス、野良猫ばかりが縦横無尽に狭い通りを行き来している。

 

 

「『失礼します』」

 

廃墟ビルに入るのに、果たして挨拶が必要なのかは分からないが、ナカムラはそう言いながら真っ暗なエントランスへと吸い込まれていった。


「『く…!』」

 

突如、ナカムラは口と鼻を手で抑えた。

凄まじい激臭だ。通りに漂っていたそれとは比べものにならない。

 

そして嗅覚の次に過敏に反応したのは視覚。

暗闇に目が慣れてきた証拠だ。

 

「『なんだ…ここは…』」

 

彼は思わず隠し持っていたピストルを腰から抜き出した。

 

 

そこには地獄絵図とでも言うような状況が広がっていた。

 

人、人、人。

 

ぴくりとも動かないそれは、もはや人なのか何なのかも分かりづらい。

辛うじて、薄汚れた衣服を着ている事から、それが『人間』である事を確認出来たナカムラ。

 

腐敗臭のような、鼻を貫く刺激臭からして、生きてはいないに違いない。

 

その人間達が折り重なり、エントランスの壁際に所狭しとひしめいているのだ。

 

「『くっ…おい!誰か息はあるのか!』」

 

異常としか言いようがない台詞。

しかし、アイス・キャンディやレモンが近くに逃げて来ているのであれば、目撃者がいないとも限らない。


ガサッ。

 

一瞬。

 

ナカムラの声に呼応するかの様に、何か物音がした。

 

「『…!』」

 

ナカムラは途端に固まり、目を凝らす。

 

死体の山はおよそ30体程度。

フロア全体にあるそれのどれかが動いたのかすら分からない。あるいはそれを啄むカラスやネコ、ゴキブリやネズミがいても可笑しくはない。

 

「『気のせいか…』」

 

「『ぁぁあ』」

 

「『ひっ…!な、誰だ!?』」

 

おぞましい声。

 

背筋が凍りつく。

 

言葉にこそなっていないが、間違いなく人の声だ。

 

『どいつだ…!この中に生きてる奴が…!撃ち殺していいのか…!』

 

まるでホラー映画のワンシーンに似た状況に、ナカムラの頭は少し錯乱している。

 

 

ガシッ!

 

「『う!うわぁぁぁ!』」

 

何者かに左足を掴まれる感覚。悲鳴と同時にナカムラはバランスを崩して床へと引き倒された。

続いてそのまま右足も自由を奪われる。

 

「『クソッ!』」

 

パァン!パァン!

 

ここでついに、閃光と銃声が放たれた。


ドサッ。

 

崩れ落ちる物体。

恐る恐る足元に目をやるナカムラ。

 

やはり、そこには死体の中に紛れていた者の姿があった。

 

上半身は裸で、下半身にはボロボロになったデニムを履いている。

髪は伸びっぱなしなので顔はよく見えない。だが、あらわになっている上半身の乳房から、『それ』が女性である事は判別できた。

 

「『はぁはぁ…』」

 

タッタッタッ…

 

「『おい!ナカムラ!どうした!?何があった!…ぶはっ、何だこのにおいは』」

 

当然、向かいのビルを調べていたクサナギの耳にも銃声は届いていた。

その主がナカムラである事は想像するのにそう難しい事ではない。

 

「『あ…クサナギさん…お騒がせして申し訳ありません』」

 

「『生きてるのか!どこだ?何も見えねーが』」

 

クサナギの目がこの場所に慣れるまではもうしばらくかかる。

 

 

パシッ。

 

「『おぉ、そこにいたか。手なんかつなぐな、気持ち悪い奴だな』」

 

「『はい…?』」

 

ナカムラの右手と左手は地面と、銃に触れていた。


「『あ…?』」

 

「『クサナギさん!自分じゃありません!』」

 

「『うわっ!』」

 

ナカムラの言葉と同時に、異変に気づいたクサナギが手を振り払う。

 

「『ぁぁあ!』」

 

「『ぁぁぁぁああ!』」

 

「『げっ!なんじゃこりゃ!』」

 

ナカムラと暗闇に慣れてきたクサナギの眼に移ったのは、雄叫びをあげながら一斉に立ち上がる死体の群れ。

ナカムラが撃ち殺した一体を除いて、それ以外の者が動き始めたのだ。

 

「『とにかく逃げましょう!コイツらどう見ても頭がイカレてますよ!』」

 

「『大いに賛成だ!ゾンビの真似事になんか付き合ってらんねぇぞ!』」

 

エントランス目掛けて駆け出す二人。

 

「『待てぇぇ!』」

 

「『ぁぁあ!逃がすなぁぁ!』」

 

後方から飛び交う怒号。

 

「『はははは!良かったな、ナカムラ!アイツら言葉は使えるみたいだぜ!』」

 

「『同感です…しかし、物乞い集団だとしてもイカレてるのは間違いありませんね…』」


腹が減っているのか、追っ手の速度は恐ろしくノロマだ。

クサナギとナカムラに追いつけるはずもなく、いつの間にか視界から見えなくなっていた。

 

 

 

「『アイス・キャンディって黒人を探して化け物に会うとは!すげぇ面白い経験じゃないか!

後でリョウジさんに自慢してやろうぜ』」

 

早速クサナギ節が炸裂している。

 

まだ若い彼だからこその感想だと言える。ナカムラの記憶には死ぬほど恐ろしい経験としてしか残らないに違いない。

 

「『それよりも…彼等の足取りが掴めないのが問題です』」

 

「『彼等?あぁ、そうか。何か変な奴も一緒だったな。あんな騒がしいバカが一緒なら、さぞかし目立ってるはずだが』」

 

「『私がアイス・キャンディの立場ならば、先ず始めにあの男と別れます』」

 

この『自分が誰々の立場だったら』という考え方は東洋人が持つ独特なものだ。

他人の立場にシンクロする事で、相手をより理解しようとする。

 

逆に西洋人は『彼はああいう風だからこう考える』と他人は他人としてくっきりと区別する。


「『すでに別々だって事か』」

 

「『ロサンゼルスでも我々は見ましたからね。彼が仲間を切り捨てる様子を』」

 

「『しかし、あれはいまいちよく分からないはずだぜ。リョウジさんもそう考えてはいるはずだが』」

 

アイス・キャンディを追跡中、サンフランシスコからの帰路で襲撃されるロブスターやスタンリーらにRG達は接触している。

 

「『生命線…』」

 

「『ん?手相の話か?』」

 

二人は大通りへ戻ってきた。

 

手相とは手のひらに現れる線を読み取って吉凶を予測する占術の事だ。アジアではポピュラーな占いとして親しまれている。

 

「『いえ。そうではなく。

アイス・キャンディには強靭な生命線が張られているように感じます』」

 

「『図太いって…あ』」

 

「『?』」

 

目の前に見覚えのある男女二人組。

それを見たクサナギが立ち止まり、ナカムラもそれに習った。


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