表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
21/34

耳ヲ貸スベキ

『耳を貸す…きちんと聞く』

追跡はクライマックスを迎えていた。

 

前方を行く、キャンディを乗せたタクシーが停車したのだ。

二人の不良青年達は、距離をおいてその様子を見ている。

 

「『運転手と二人であの段ボール箱を運び出してるな』」

 

「『あぁ、ここがアジトだ。間違いない。タケシ君に連絡して味方を増やそうぜ』」

 

キャンディが止まったのは安いビジネスホテルの前。部屋を予約していたのだろう。

 

「『おい!君達、お代!ちゃんとあの車に追いついただろう?』」

 

タクシードライバーだ。

まだ金を払っていないので待っている。

 

「『どうする、ケンゾウ?』」

 

「『んー、誰かが持ってるだろうからとりあえず電話だな』」

 

「『おっちゃん!今、友達がお金持ってくるからちょっと待ってくれ!』」

 

坊主頭の青年の返事に、ドライバーはため息をついた。

 

 

およそ十分後、日が落ちるのと同時に灰狼のメンバー達がタケシの引率のもと到着し、ようやく支払いを済ます事になる。


 

 

タクシーが走り去っていく。

 

「『お疲れ様です!』」

 

「『すんません、余計な支払いさせちまって』」

 

「『うぃっす』」

 

頭を下げる金髪と坊主の二人に、タケシは軽く右手を上げて返事をした。

 

「『で、さっき言ってた外人がこのホテルに入って行くのを確認しました』」

 

ケンゾウが言う。

 

「『ふーん。わざわざ現金にしてるってのが腑に落ちないが、試してみる価値はありそうだな』」

 

タケシはにこやかに話す。

電話の時と変わらない、明るい口調だ。

 

彼の後ろには灰色のパーカーを来たゴロツキ達が大勢控えていた。

 

灰狼のナンバー2、『タケシ』は、容姿端麗な美男子。

黒い髪の毛を後ろで束ね、あご髭をうっすらと生やしている。

年齢は22、3といったところで、爽やかな印象は受けても悪さをするようにはとても見えない。

 

優しそうな雰囲気や後輩思いな言動、行動から、若手のメンバー達からの人気が高い事にも納得できる。

 

「『ケンゾウ』」

 

「『はい?なんすか?』」

 

「『部屋番、フロントで訊いてきてくれるか?

教えてくれたらラッキーだ』」


「『うぃっす』」

 

金髪の青年がホテルの中に走って行った。

 

「『で、そのネタはどういう経緯で手に入れたんだ?

お前もケンゾウと一緒にいたんだよな、ジュンイチロウ?』」

 

「『はい!いました!とりあえず黒人が銀行からたくさん段ボールを運び出してタクシーに積んでたんすよ!

金に間違いないっす!』」

 

「『黒人か。どうして金をわざわざ現ナマにしたと思う?』」

 

「『え?どうしてって…何か買うんじゃないですか?』」

 

坊主の青年は不思議そうだ。

タケシの質問の意図が見えないからだ。

 

周りにいる大勢のメンバー達も興味を持って聞いている。

 

「『俺もそう思うんだ。ただし、小切手やカード、口座からの引き落としが出来ないものをな』」

 

「『クスリか何かですか?』」

 

「『そこまでは分からない。でも、まともな物である可能性は少ないだろうな。何箱も一気に、って言うなら目立ちまくって話は別だが、直接相手に金を受け渡せばアシもつきにくい。

ただし、本当に段ボールの中身が現金ならばって話だぜ?』」


そこまで言うとタケシはポケットを手探りし、棒付きのキャンディを取り出して口に入れた。

彼は大の甘党で、いつも何か菓子を携帯している。

 

「『さすがタケシさん!やっぱり俺なんかとは頭の作りが違いますね!そんなこと考えてもいませんでした』」

 

「『はは、誰だって分かるさ。お前だって、もう少し考えてれば同じ答えになったはずだ』」

 

「『そうですかねぇ』」

 

坊主頭のジュンイチロウは照れくさそうだ。

 

そして、ホテルの中からケンゾウが帰ってきた。

 

「『どうだった?』」

 

さっそくタケシがにこやかに笑いかける。

 

「『ダメです。やっぱり教えてくれません。

顧客の情報を他人に教える事は出来ないらしいんです』」

 

「『そうかそうか。ま、仕方ないさ』」

 

そう言いながら、タケシがホテルのエントランスへと歩き始める。

 

「『ん?どうかしたんですか?』」

 

ケンゾウが問う。

 

「『みんな、少し待っててくれ。俺が行ってくる』」


「『えー?無理だと思いますけどねぇ。タケシ君にも絶対に教えてくれませんよ』」

 

「『ま、やってみるだけだ。ちょっとこれを持っててくれないか?』」

 

「『あ、はい!』」

 

タケシはケンゾウに向かって灰狼のジップアップパーカーを投げやった。

ケンゾウがしっかりとキャッチする。

 

ずしりと重い。

ポケットに何か入っているようだが、明らかに菓子だけの重量ではない。

 

「『うわ…重たいな…』」

 

小銭のようなチャリチャリという音もしない。

銃でも入っているのだろうかといった感じだが、中身を調べる事など、ケンゾウには到底出来なかった。

 

爽やかな印象の裏にも必ず影がある。

 

事実、灰狼のナンバー2という肩書きは伊達ではない。

 

「『あらら…本当に行っちゃったよ。でも、タケシ君がパーカーを脱いだんだったら上手く交渉できるかもしれない』」

 

誰かが言った。

 

「『確かにな。ケンゾウと同じ服着たお尋ねなんて怪しすぎるしよ』」


また別の誰かが返す。

 

「『これでタケシ君がその黒人の居場所を聞き出しちまったら、ケンゾウは立場がねぇな!』」

 

坊主頭のジュンイチロウが笑った。

 

「『はは…そうなったら俺、タケシ君に缶コーヒーでも奢るわ』」

 

「『なんだそりゃ』」

 

二人のやり取りにドッと笑いが起きる。

 

「『じゃあ俺はタケシさんが聞き出す方に五百円を賭けるぜ!誰か乗るか!?』」

 

「『乗った!俺もタケシ君に千円だ!』」

 

「『待て待て!俺はタケシ君に三千円賭ける!』」

 

「『バカやろう!誰かケンゾウにも賭けろよ!タケシさんが聞き出せないって方に乗る奴は!?』」

 

仲間内で勝手に賭博が始まってしまったが、双方に賭け金が割れないせいで勝負にならないでいる。

 

 

そうこうしている内にタケシがホテルの方から帰ってきた。

 

「『見ろ!タケシ君だ』」

 

「『どうでした?』」

 

みんなが彼の周りに群がってくる。

 

「『へへ…ちょろいぜ』」

 

タケシの第一声に、ワアッと歓声が上がった。


「『本当ですか、タケシ君!』」

 

「『悪いな、ケンゾウ。でも、少し言葉に工夫をしただけだ。

きっとお前にも聞き出す力はあったはずだぞ』」

 

この言い回しが素晴らしい。

一切仲間の失敗を責めたりせず、自分に出来た事は誰にでも出来ると言い聞かせる。

まるで仏のような人柄だ。

 

大きな集団をまとめてリーダーとなる人間には、必ず下々からの不平が付きまとう。

どれほど有能な政治家、経営者、監督などにも『アンチ』と呼ばれる人間は組織の内部に必ず存在し、悪口や陰口を叩かれてしまうのは世の常だ。

 

だが、タケシは荒くれた若者達を従わせる特殊な魅力を持っていた。

暴力ではなく、愛情で。

 

「『俺、悔しいっす…』」

 

「『大丈夫だ。このネタを持ってきたのは他の誰でもない、お前とジュンイチロウだろう。

失敗しても痛手は無しで、当たれば大金持ち!最高に面白いじゃねぇか?

金を奪えたら、お前達も幹部召集に呼んでやるよ。

特別にアクタガワさんへ俺から話を通してな』」

 

パッ、とケンゾウの顔は明るくなった。


「『俺たちが幹部召集にっ!そんなことが出来るんですか』」

 

この返答はケンゾウではなく、横から入ってきた坊主頭のジュンイチロウ。

 

「『もちろんだ。ウチは年齢に関係なく、素晴らしい仕事をした奴がのぼっていくシステムだからな。ちょっとやそっとじゃ無理な話だが、今回本当に大金が転がり込めば充分いけるぜ』」

 

はじめ、キャンディを追いかけると決めた時の二人の読みは間違っていなかった。

 

「『幹部召集って、今どのくらいの人達が入ってるんですか?』」

 

ケンゾウがたずねる。

 

「『言ってなかったか?ま、お前達はウチに来て日が浅いからな。

…現在は三人だ。アクタガワさんと俺と、フミヤ。以上だな』」

 

『アクタガワ』という人物が灰狼の創設者と考えて間違いないようだ。

 

「『三人…フミヤ君って誰です?』」

 

「『ナンバー3だ。言葉よりも先に手が出ちまう、どうしようもない奴だよ。面白い男だけどな?

さて、無駄話はこの辺で終いだ』」

 

周りのメンバー達はもちろん、キャンディの居場所と箱を強奪する方法を待っている。


「『えーと…例の黒人だが、サム・S・フランシスって名前だそうだが、知ってたか?』」

 

「『まさか。知り合いでは無いですから』」

 

ケンゾウが両手を開いて前に出す。

 

やはりタケシはしっかりと名前まで調べてきていた。

しかし、もちろんこれはアイス・キャンディが用意した偽名だろう。

 

「『どうやって訊いたんです?』」

 

「『ん?受付で、黒人の友人が大荷物を持って戻って来ているはずだが分かるか、取りに来てくれと頼まれた、と言っただけだぞ』」

 

単純な誘導尋問だ。

ケンゾウは感心したように頷いている。

 

「『奴は九階の908号室だ。

でも、部屋に押し入ったりしたら俺達みんな捕まっちまうよな?』」

 

「『え!?…っと、そうっすね』」

 

早速一人だけ歩き出していたジュンイチロウが、回れ右をして言った。

 

プッ、と何人かは吹き出して笑っている。

 

「『面倒だが、奴がまた出てくるのを待って…』」

 

「『タケシ君!』」

 

ケンゾウが割り込んできた。

 

「『ん?なに?』」

 

「『アイツです!出てきました!』」


確かにキャンディらしき人物がホテルから出て来た。

 

「『二、三人で部屋のドア前に待ち構えて素早く取り押さえるつもりだったが、仕方ねぇな…みんな、追いかけるんだ』」

 

タケシが言う。

分かりました、といくつも声が上がった。

 

「『だが、捕まえたりするなよ。多少痛めつけて、ホテルに逃げ戻るように仕向けるんだ。

俺とジュンイチロウの二人が部屋の近くで待ち伏せする』」

 

まずは部屋を開けさせなければならない。

金を奪うのはそれからだ。

 

「『あやしい動きをしているあの男が警察に通報したり、他に誰か仲間がいるとは考えにくいが、万が一そうなった場合はすぐに退いて知らせてくれ。お前達を危険な目に合わせるわけにはいかないからな。

それから、もしフロントがサムって奴にケンゾウや俺が自分を訪ねてきたと教えていたら…奴は身の回りを警戒しているはずだ』」

 

黒人の男がすたすたと歩いていく。

 

「『行っちまうな。よし、頼んだぞお前等!人がいる場所で手荒な事するなよ!目立つから!』」


タケシとジュンイチロウを残して、一気に灰狼のメンバー達が走っていった。

 

「『すげー。あの黒人が死んじゃわないか心配ですね』」

 

「『大丈夫だ。アイツらはきっと上手くやるぞ。

よし、九階に移動する前に一服しようか?俺達の仕事は花形だぞ』」

 

「『ういっす』」

 

タケシは棒つきキャンディを、そしてジュンイチロウはタバコを取り出した。

 

 

 

「『どこだぁ!』」

 

「『早く出ておいで!

大丈夫、始末したりしないから!優しく可愛がるから!』」

 

「『変な事言うなよ、ケンゾウ!気持ちわりぃ!』」

 

物陰に隠れているキャンディに、若者達が呼びかけている。

 

「『え?俺、なにか変な事言ったか?』」

 

「『言ったよ!

おい、ガイジン!隠れても無駄だぞ!』」

 

「『そうか?

おーい!黒人!俺達はお前に危害を加えない!痛めつけるだけだから出てきてくれ!』」

 

「『ケンゾウのアホ!』」

 

「『ん!?誰だ、今関係ない事言ったのは!』」


バッと周りの連中を見渡すケンゾウと、ニヤニヤしたまま黙殺している彼ら。

軽いイジメのようだが、ただの冗談だ。

 

 

その時。

 

「『いたぞー!黒人だ!』」

 

誰かの声。

 

灰狼のメンバー達は一斉にその声の下へと駆けつけた。

 

「『…?』」

 

「なんだ?おい、囲まれちまったぞ!

誰だ、お前達!」

 

かん高い声で、スキンヘッドの黒人が応じている。

 

だが明らかにキャンディとは別人だ。

それに、この黒人には連れが二人いた。

 

「え?なんで囲まれちゃったのさ!レモンのせいだからねー」

 

「なんで!?チンタラしてたのはお前達二人だろう!むしろ俺は素早かった方だぞ!」

 

「あー。どうでもいいから早く退けてくれよー。それとも『お前の取り分を前借り』して金でも払っといてやろうかー?」

 

アンジー、ドープマン、レモンの三人だ。

アイス・キャンディを必死で探す彼らもまた、ここまで嗅ぎつけてきたのだ。

 

もちろん、息を殺しているキャンディは、彼らの存在に気づいた。


聞き慣れた声と言語。

雑音や聞き取れない外国語のように、意識が無反応なままではいられないのは当然の事だろう。

 

「まさか」

 

彼は驚いたのと同時に、恐怖に似た感覚を覚えた。

 

遠い海の向こうから追いかけてきて、しかもこんなに近くまで追っ手が迫っている。

この場にいるのはアンジー達だけだが、彼女らがいる事実からして、こちらがホームタウンであるRG達が来ていないとは考え辛い。

 

「情報屋め…あなどれないな。それにあのヤクザ達も…やはり消す以外に無いのか。

力はまだ不十分だというのに」

 

大金を手にしたとはいえ、彼は未だ不安定。

仲間を切り捨てて手にした紙切れは、兵隊にも武器にも姿を変えてはいない。

 

というより、キャンディは資金を増やす事を先決としているため、そのような維持に金や労力がかかるものはすべて後回しなのだ。

敵と対峙するには早すぎる。

 

 

「あー!言葉が通じないぜ!

サムライ!サムライ!」

 

「なんで囲まれてるんだよぉ。

サムライ!サムライ!」

 

レモンとドープマンが面白い呪文で灰狼の連中を威嚇している。


「『なんだ、コイツら?』」

 

「『とりあえず、ケンゾウが言ってる奴とは関係なさそうな気が…

おい!どうなんだよ、ケンゾウ?』」

 

確かにどこからどう見てもキャンディとは関係のない三人組だ。

 

細かく言えば『彼を捜している』という関連性はあるものの、それは灰狼の連中には意味をなさない。

 

「『気にしなくてイイと思う…多分。

ガイジンだからってアイツと友達なわけもないだろ?タケシ君がいれば会話も出来るし話は別だけど、とりあえずコイツらは逃がそう』」

 

この、ケンゾウの台詞から『タケシは英語を話せる』という事実が分かる。

なんとも知的なリーダーだ。

 

 

さぁっと灰狼のメンバー達が包囲を解いて、アンジー達の前に道が出来た。

 

「おっ!?おい、ドープ!やっぱり『サムライ』は通じたみたいだぜ!」

 

「やったね!」

 

「キャンディはこの辺りだ。銀行から出金した後、タクシーで移動した形跡がある」

 

レモン達は腑抜けた話をしているが、アンジーの情報網は侮れない。


「それで、タクシーを降りた後の動きは?」

 

「分からない」

 

先頭を歩き始めたアンジーに、ドープマンが車椅子で並行しながらたずねる。

 

「だが一つ言えるのは、キャッシュの大金を抱えたまま動けはしないという事だぜー。

タクシーが止まったエリアを地図で調べて見てみると、チープなビジネスホテルが建ち並んでた。だったらそこに潜伏してると考えて間違いないだろう?」

 

「すごいなぁ、アンジーは」

 

「このネタには結構な額をはたいちまったぜー。取り返さないとな」

 

 

三人組が消え去ると、灰狼のメンバーは再びキャンディの捜索を開始した。

 

隠れているキャンディは、アンジーの言葉を聞き逃さなかった。

 

「…銀行の金の動きから、タクシーの利用場所まで調べられるのか。驚いた」

 

しかし、まだホテルの部屋番まで調べ上げられていないのは不幸中の幸いと言える。

とにかく、今は早くアジトを移動しないとマズイ事になりそうだ。


もちろん、タケシとジュンイチロウが待つ部屋の前は、すでに安全であるとは言い難い。

 

急いで戻ったところで、何か策を打たない限りは彼等に捕まってしまう。

 

「…」

 

そろりと、キャンディの足がホテルの方へと一歩踏み出した。

 

どこからつけられていたのか、彼には定かでは無い。

だが、彼が大金を持っているとなぜか知られている事、それを狙って追ってきていることは明らかだ。

 

「…」

 

若者達の声がしないのを確認し、一気に建物の陰から陰へと移動することを何度か繰り返していく。

 

灰狼のメンバー達も、キャンディがホテルへ引き返しているとは予想出来なかったらしく、少しずつ遠ざかっていた。

 

 

「む…あれは。先手を打つか」

 

途中、公衆電話を見つけたキャンディ。

 

慎重な彼の性格は、損よりも得が多い。

 

硬貨を奇妙な黄緑色をした電話機に投入する。

 

プルル…

 

「『はい、グリーン・ビジネスホテルでございます』」

 

「もしもし。そちらに部屋を借りている者だが」

 

通話先はもちろんホテルだ。


「はい、こんにちは」

 

「頼みがあるのだが」

 

フロントの女性がすぐさま日本語から英語の対応に切り替えた。

キャンディは気にせずそのまま続ける。

 

「はい、それではお名前とお部屋の番号を頂戴出来ますでしょうか?」

 

「あぁ。サム・S・フランシスだ。

部屋番は確か908号室」

 

「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」

 

カタカタと、パソコンのキーボードを叩くような音。

 

「はい。908号室のサム・S・フランシス様ですね。

ご用件をうかがいます。どうなさいましたか?」

 

確認が取れ、ようやくキャンディの用件がたずねられる。

 

「あぁ。何やら知らない人間につけられているんだ。

バカげていると思われるかもしれない。警察沙汰にする必要はないが、ロビーや私の部屋の前に怪しい奴がいないか確認してもらえると嬉しいのだが」

 

「はい?」

 

フロントの反応は微妙だ。

キャンディが伝えたい事は難しい。

 

「…では、こうしよう」


「え?」

 

「今から部屋へ戻ろうと思ってるんだが、一人だけでも従業員にそこまで同行してもらいたい。

出来れば男性だと助かる」

 

この際、理由などどうでも良い。

こちらの言い分さえきいてもらえれば。

 

「はい?もちろんそれは可能ですが。

いったい、どうされたのですか?

警察をお呼びした方が…」

 

「いや、気にしないでくれ。とにかくついてきてもらえればそれでイイんだ」

 

警察を呼ばれてしまっては、キャンディの身が危なくなってしまう。

かといって、無防備なまま戻る事は彼の性格上、無理な話だ。

 

「かしこまりました。それではお気をつけてお戻りくださいませ」

 

「ありがとう」

 

ガチャン。

 

キャンディは受話器を下ろした。

 

 

そして、およそ10分後。

 

「サム・S・フランシスだ」

 

「お帰りなさいませ。

こちらが鍵です。それと…彼が部屋まで同行してくれます」

 

女性のフロントが男性従業員を紹介すると、彼は一礼した。


「お客様」

 

「…?」

 

その男性従業員と連れ立って部屋へ向かおうとしたキャンディを、フロントの女性が呼び止める。

キャンディは無言で振り返った。

 

「あの、別の者にきいた話なのですが…お客様を訪ねてきたご友人がいらっしゃるそうです」

 

もちろん、さっきやってきたタケシの事だ。

 

「そうか。それで、ソイツはどこに?」

 

「一度、ロビーから出られたようです」

 

「一度?それで?」

 

キャンディの鼓動が早くなる。

 

アンジー達は先ほど見かけた。もしかしたら彼女達か、あるいはRGかもしれない。

瞬時にそう思ったのだ。

 

「その者が言うには、また戻られてきたそうなのでお客様がお部屋に招かれたのかと思っていたそうです。

しかし…」

 

「しかし、俺はすでに鍵を預けて外出していた。そうだな?」

 

「はい…」

 

女性がうつむく。

 

「俺は、この国に友人などいないのだがな」

 

「…!!け、警察を呼びましょうか!」

 

「要らない。だがどうしても部屋には戻らないといけない」

 

うぅむ、とうなりながらキャンディは考え込んだ。


RGとアンジーの狙いはほとんど同じだ。

『ほとんど』と言うのもRGは純粋にキャンディの命のみを、アンジーは金も狙っているからだ。

 

共通点はキャンディの身柄。

 

「そうだ、イイ事を思いついた。一つ、頼まれてくれないか」

 

「?」

 

キャンディがフロントの女性に耳打ちするように、近づいていった。

 

 

 

九階。エレベーター前。

 

ポーン。

 

「『ん?誰か来たな』」

 

「『はい。奴が帰ってきたのかも』」

 

エレベーターのすぐ近くに設置されている自動販売機、そしてベンチと灰皿。

灰狼のタケシとジュンイチロウはそこに座ってキャンディの帰りを待ち構えていた。

 

ちなみにその間、エレベーターが開くのはこれが初めてだ。

 

「『…』」

 

「『ハズレですね』」

 

しかし、そこから出てきたのはルームクリーニングをする為に動いている従業員だった。

 

大きなカゴ付きの台車に、シーツやタオルを満載している。


「『うーん。ケンゾウ達、うまくやってくれればイイんだが。

俺も箱いっぱいの札束を拝んでみたいものだ』」

 

ガラガラ。

 

台車が廊下を転がされる。

 

「『とはいえ、俺達だって金を見たわけじゃないんすけどね。

箱に入ってるのは金だ、って踏んだだけで』」

 

「『そんなの分かってるよ。でもな、ジュンイチロウ。

ソイツは金だ。間違いない。俺はお前たちを信じてるからな』」

 

「『タケシ君…』」

 

少し目を潤ませながら、坊主頭のジュンイチロウはタケシを見つめた。

タケシはニコリと笑うと、パーカーのポケットから棒付きキャンディを取り出して口に入れた。

 

 

コンコン。

 

「『室内清掃です』」

 

先ほどタケシ達の前を通り過ぎた従業員が、客室に入ろうとしている。

 

「『失礼しますよ。えーと…エクスキューズミー?』」

 

室内からの返事は無いが、彼は扉を鍵で開けて中へと入った。

 

部屋番は…908。

 

「『…!!』」

 

「『奴の部屋ですね!』」

 

二人がベンチから立ち上がる。


ガチャガチャ!

 

「『あれ!?閉まっちゃってますよ』」

 

「『自動でロックされちまうのか?うっとうしいな』」

 

「『せっかくのチャンスが!』」

 

ガンガン!

 

ジュンイチロウが扉を叩く。

 

しかし、部屋の中からは応答無しだ。

 

「『待て、ジュンイチロウ。妙だぞ』」

 

「『はい…?』」

 

「『聞こえてないはずなんか、ないよな』」

 

…ゾクッ。

 

タケシ、そしてジュンイチロウの背筋に悪寒が走る。

 

「『奴は、俺達の待ち伏せに気づいてたんだ。

今入っていった従業員もグルだ』」

 

「『どういう…意味です?』」

 

「『その黒人。おそらく、中にいる』」

 

ガチャ!

 

タケシが言い終わるのと同時に、扉が勢いよく開いた。

 

「『…!』」

 

「『なっ!』」

 

「『危ない!ジュン!逃げるぞ!』」

 

パァン!パァン!

 

銃声。

 

いくら悪さを繰り返してきた灰狼の面々でも、平和ボケした国では中々耳に出来ない代物だ。


 

 

ほんの五分前。

 

キャンディはフロントに頼み込み、室内清掃の台車に隠れて部屋へ戻る事を提案した。

 

だが簡単にはまかり通るはずもない。

刑事ドラマみたいな話のように、全員が協力的にならないのが世の中だ。

 

フロントの女性は『そこまでしなければならないのなら警察や警備会社に連絡する』とばかり繰り返し、付き添いを頼まれた男性は会話の言葉すらも理解出来ていない状況。

 

だが、キャンディの頭はキレる。

 

「不審者をみすみす客室の前まで通したのならば、ホテルの…いや、受付の人間の信用問題に関わるのではないか」

 

結局はこれが殺し文句となった。

 

フロントの女性はなおも食い下がり、「お客様を危険にさらす方が何倍も信用を失います」と言ったが、それを打ち崩すのは容易い。

 

「数百億にものぼる金品が客室内に置き去りだ。

それをすべて『君、個人が』保証してくれるのであれば、俺も入室を諦めよう」

 

背に腹は代えられない。

誰だって自分が可愛い。


「…そんなに高価なものがあるのなら、なおさら警察に…」

 

「警察は呼べない。俺も自分が可愛いものでな」

 

フロントの女性の気持ちはすでに決まっている。

単に、踏ん切りがつかないでいるだけだ。

 

「どうしてです?」

 

「知りたいのか?残念ながら、知れば身の保証が出来ないぞ」

 

ハッタリではない。

 

「いえ…」

 

「内密に頼む」

 

 

ついに女性は男性従業員を手招きして、要領を伝える。

 

「『このお客様を、ルームクリーニング用の台車に隠して入室をしていただきたいのですが』」

 

「『はい?どういう事ですか?』」

 

「『いえ、とにかくそうして下さい。

理由はよく分かりませんが、お客様のご要望にはなるだけお応えして差し上げたいのです』」

 

女性は嘘をついた。

一応、キャンディの指示通りではある。

 

「『面白いお客様ですね。少し待ってもらってください。

台車を持って来ますので』」

 

「『分かりました』」

 

「『本来は僕の仕事じゃないんだけどな…』」

 

彼はつぶやいた。


 

エレベーターの中。

 

備え付けられた換気扇の音と、ゆっくりと上昇する感覚。

 

キャンディが分かるのはそれだけだ。

 

大量の真っ白なシーツに包まれて、彼は視界を奪われている。

 

「『止まります。台車を押しますので少し揺れますよ』」

 

男性従業員が何やら声をかけてきたが、キャンディには理解出来ない。

 

台車が進み、ゴトンと小さく揺れた。

エレベーターとフロアを跨いだのだろう。

 

その後は車輪から、転がる音と微動が伝わってきた。

 

コンコン。

 

ドアをノックする。

 

演技派なのか、マニュアルに従っているのかは分からないが好都合だ。

 

「…」

 

誰かがこの部屋を見張っているのならば、今こそ好機。

 

 

ガチャ。

 

しかし、すんなりと扉は開き、台車に積んであるシーツがはぎ取られた。

 

「『お疲れ様でした。何かございましたらまたお申し付けくだ…』」

 

ガチャガチャ!

 

「…!バカが、どこのどいつだ…!」

 

キャンディは部屋に置いてあった手荷物の中から、素早く拳銃を取り出してドアに向かった。


何やら声が聞こえる。

日本語だろう。

 

「おい、アンタ。このフロアに怪しい人影はあったか?」

 

「『ひぃっ!…は、はい?』」

 

「チッ…やはり言葉は通じないのか」

 

怯えて固まっている男性従業員を見たキャンディは、ぴたりとドアに体を密着させる。

 

外を見ようとドアのレンズをのぞき込むが、真っ暗だった。

 

指で塞がれているのか、間近にその人物がいるのだろう。

 

日本語で会話している事をふまえると、RGの部下たちである可能性が高い。

そう思ったキャンディの手は、緊張からくる汗でじっとりと湿った。

 

ガンガン!

 

激しいノックの音が響き渡る。

 

「『ひぃっ!』」

 

その音に、再び男性が怯えている。

 

「危ないからアンタは隠れてろ」

 

「『え…?はい!』」

 

言葉は通じないが、バスルームを指差しながら話すキャンディを見て、彼はそちらへと移動する。

 

磨り硝子の扉が閉まり、内側から鍵がかかった。

 

「…」

 

深く息を吸い、キャンディが部屋の扉を開く。


ガチャ!

 

「『…!』」

 

「『なっ!』」

 

「『危ない!ジュン!逃げるぞ!』」

 

パァン!パァン!

 

目の前にいたのは、見覚えのない日本人の若者二人組。

 

だが、先ほどまでキャンディを追いかけてきていた若者達によく似た格好をしていた。

 

「こそ泥が!」

 

全速力で逃げ出していく二人の背中を見やって彼は叫んだ。

 

弾は外れた。というよりも始めから出ていなかった。

 

「さっさと移動しないとな…この大荷物は、フロントに頼んで次のアジトに運んでもらうとしよう」

 

 

コンコン。

 

「おい、アンタ。もう大丈夫だぞ」

 

バスルームのガラスをキャンディが叩くと、恐る恐るそれは開いた。

 

「『…』」

 

「心配ない。俺も知り合いのジャパニーズマフィアの連中かと思ってヒヤヒヤしたが、盛りのついたただのクソガキ共だった」

 

「『う…撃たないで!』」

 

キャンディの言葉が理解出来ない男性は、両手を上げた姿でバスルームから出てきた。


「ん…?あぁ、そうか。アンタの誤解は解いておかないとな。

通報でもされちゃ、元も子もない」

 

なんと、キャンディはそう言いながら銃を自分の頭に向けた。

 

「『え!?ちょっと!何をされてるんですか!やめて下さい!

ノー!ノー、シュート!ノー、シューティング!』」

 

簡単な単語を並べて男性従業員が必死にキャンディに呼びかける。

だが、恐怖からか彼の身体はキャンディを止める為には動かない。

 

キャンディはこめかみに一度、銃口をピタリとつけた。

そして、少し距離を離して引き金を弾いた。

 

「よく見てな」

 

「『やめろぉぉ!!』」

 

パァン!!

 

 

「…どうだ?」

 

ニヤリとキャンディの口元がつり上がる。

 

「『あ…れ?』」

 

「よく出来てるな。この国は国際文化には疎いが、生産技術だけは認めてやるよ」

 

「『え…?どういう事です?』」

 

一歩。

男性従業員の足がキャンディへと進んだ。

 

恐怖に好奇心が打ち勝った証拠だ。


パァン!

 

また銃声。

 

だが、今度はキャンディが男性従業員に銃口を向けて放ったものだ。

 

「『うわっ!!…あれ?』」

 

どこも痛くない。

 

確かに銃口は彼の身体に向けられていた。

 

「モデルガンだ。触ってみるか?」

 

キャンディが男性に銃を差し出す。

 

「『モデルガン?つまり…おもちゃ?』」

 

さすがに発音が同じ単語は聞き取れる。

すべてを理解した男性は、ようやく引きつった笑みを浮かべた。

 

「『はは…なんだ、そういう事ですか。

しかし、まぁ…お友達を驚かせるには充分ですね』」

 

「乱闘にならなくてよかった。アンタを隠すまでもなかったな」

 

男性はそれを受け取りはしないが、じっと見つめている。

灰狼のメンバー達を見ていない彼は、キャンディがモデルガンを使って何をしたのかまでは分かっていないが、それは大して重要ではない。

 

大切なのは、この銃が偽物であり、自分には危害が加わらない事。

そして、この場ではキャンディが人を殺してなどいない事だ。


「フロントを」

 

「『フロント…?あ、はい。受付でございますね』」

 

電話機を指差しながら、キャンディがコールを促す。

 

恐怖心が急激に覚めた男性従業員は、言われるがまま何の抵抗もなく受話器を手に取った。

 

 

「『はい、受付です』」

 

「『お疲れ様です、ハラグチです。908号室からですが』」

 

「『はい、お疲れ様です。どうでしたか?』」

 

電話の相手は先ほどキャンディとやり取りしていた女性だ。

 

「『いやぁ、驚きました。

突然、銃を取り出して外を撃つものですから。もちろん、偽物ですがね』」

 

「『はい?』」

 

「『とにかく、変わった趣味をお持ちのお客様ですが、私に何か危害を加えるわけでもありません。しかし、これ以上バンバンやられると迷惑なので、出て行っていただくか、警察を呼ぶのが良いかもしれませんね』」

 

「おい、早く代わってくれないか」

 

キャンディが男性に言った。

 

「『あ!そうでした!

お客様から何かご用のようですよ』」


「『…』」

 

音だけでは感じ取れないが、電話の向こうにいる女性はビクリと体を反応させた。

 

自分に脅しをかけてきた人物から用がある…無理もない。

 

「もしもし。電話を代わってもらった」

 

「はい、こちら受付です」

 

かすかに彼女の声は震えている。

 

だがキャンディはそんなことなど気にしない。

他人が自分にどんな感情を抱いていようが、金銭的な損得や中傷に値しなければ関係無い。

 

「まずは礼を言おう。協力してくれて感謝している」

 

「いえ…」

 

二人が通話をしている間、手持ち無沙汰になった男性従業員はキャンディの右手に握られているモデルガンに視線を送っていた。

彼のイメージでは、キャンディは『台車に隠れて潜入したり、モデルガンをブッ放すアクションマニア』といったところだ。

重犯罪者ではない。

 

「すまないが、一泊もしていないのに宿替えしなければならなくなった」

 

「左様でございますか。誠に残念です」 


空言だ。

 

「そこで頼みがある。簡単だ。部屋にある荷物をそこへ送ってほしい」


「はい、手配出来ます。

住所はどちらになりますでしょうか?」

 

内心、女性はホッとしている。

 

キャンディからの用はそれだけだったからだ。

 

「後で電話で知らせる。それでも構わないか?

必ず今日中には連絡しよう」

 

「はい、もちろんでございます。

ご連絡が確認出来ない場合、こちらからお電話差し上げますが、何か連絡が取れる物をお持ちですか?」

 

パラパラと紙をめくるような音が聞こえる。

メモを用意しているのだろう。

 

「必要ない。必ず今日中に連絡すると言っただろう!余計な申し出をするんじゃねぇ!」

 

「申し訳ございません。では、ご連絡をお待ちしております…」

 

突然怒り出したキャンディに、女性が怯えている。

 

「では失礼する」

 

「はい。ありがとうござ…」

 

ガチャ!

 

電話は途中で乱暴に切られた。

 

「おい」

 

「『はい?どうしたんです、怒鳴ったりして』」

 

キャンディが話しかけたのは男性従業員だ。

 

「また、頼む」


「『…?』」

 

「…」

 

キャンディは黙ってルームクリーニングの為の台車を指差している。

 

「『あぁ!また隠れていかれるんですね?』」

 

灰狼のメンバー達が近くに潜んでいないとも限らない。

 

二度も同じ手が通じるかは分からないが、のこのこと歩いて出て行くよりも遥かに安全だろう。

 

「始め、俺を積んだところまで頼む」

 

「『どうぞ、お乗り下さい』」

 

決して言葉が通じてはいないが、言われるまでもなく男性従業員はそこに向かう。

 

 

 

「『はぁ…はぁ…!』」

 

「『マジでヤバいっすよ、タケシ君!何なんだ、アイツ!』」

 

ドタバタと必死に逃げ帰ってきたのは、灰狼のタケシとジュンイチロウだ。

 

ホテルからやや離れた空き地に彼等はいた。

 

「『正直、俺も驚いたぜ…

かなり危ないものに足を突っ込んじまったのかもしれないな』」

 

「『撃たれるなんて!』」

 

「『だがこりゃお前やケンゾウが思ってる以上に相当デカい話かもしれない』」

 

タケシがジュンイチロウを諭すように話し始めた。


「『どデカい話にしても、相手が危なすぎるんじゃ…』」

 

ジュンイチロウは弱気だ。

 

突然銃で撃たれて必死で逃げてきた人間にとっては自然な振る舞いだろう。

これをチャンスだと捉えようとするタケシの方がどうかしている。

 

だが、タケシの考え方もあながち間違いではない。

 

「『せっかくお前達が持ってきてくれた金稼ぎじゃないか。

奴が実際に金を部屋に持ち込んでるんなら、別に部屋に押し入る必要はなかったんだ』」

 

「『はぁ…?』」

 

ジュンイチロウはただただぽかんとしている。

 

「『持ち出す時を狙う、って事だよ。小出しでちまちま使う為に大金をキャッシュにしてきたわけないからな。そう考えるのがやっぱり自然だ』」

 

うん、とタケシは一人頷いている。

 

「『小出しでちまちま使う野郎だったら?』」

 

「『また部屋に行くしかないな』」

 

「『また撃たれちゃいますよ!』」

 

両手を上げて、ジュンイチロウはタケシに抗議した。

 

「『灰狼をなめんじゃねぇよ。

みんなを呼び戻して、見張りをさせてくれ。俺達は行くぞ』」

 

「『どちらへ?』」

 

「『喜べ…緊急幹部召集だ』」

 

タケシはにこりと笑った。


 

 

「アイツの足取りはここいらまでだ」

 

アンジーが足を止めて周りを見渡す。

背の高いビルやホテルが建ち並んでいて、とても一人の人間を探し出せるとは思えない。

 

「えー!せめて、どの中なのかぐらい分からないの?」

 

明らかな不平をドープマンがこぼした。

 

「仕方ないぜー。アタシだってそれが知りたいんだから。

とにかく近くにいるのは間違い無い」

 

「ん?おい、バカなお二人さん!

さっきの連中じゃねぇか?」

 

レモンが何やら発見したらしい。

彼は一点を見つめて険しい顔をしている。

 

「あー…確かに。何やってるんだろ。他にも仲間がいたのかな、レモン」

 

「そんなに俺は酸味が効いてるか、ドープ?」

 

「うん、酸っぱい気がする。アイツらホームレスなのかなぁ?」

 

彼等が見つけたのは、灰狼の面々。

先ほどまで行く手を遮ってくれていたが、いつの間にやらこっちに集まっている。

どこかに入るわけでもなく、外で身を寄せ合って。


「ホームレスじゃなくてギャングみたいなもんだと思うぜー」

 

アンジーがドープマンの言葉に返した。

レモンはうつむいている。

 

「分かってるよ。こんな真っ暗なのに、外に集まってさ。

何か悪さでも企んでるのかな」

 

プシュ。

 

ドープマンはコーラの缶を開けた。

 

「…ドープ?なんだよそのコーラ。アタシ、買ってあげたっけ?」

 

「拾った」

 

ドープマンはアンジーに目を合わせない。

 

「ドープ?正直に言いな」

 

「拾った」

 

アンジーがスッとドープマンの背後に移動し、両手を彼の肩に乗せた。

 

「ドープマン?」

 

「ひ、拾った…」

 

やや、弱気になるドープマン。

 

「どこで?」

 

「さっき、歩いてくる途中…自動販売機」

 

日本では町中のいたるところで自動販売機を見ることが出来る。

 

「拾ったのか?」

 

「うん…叩いたら出てきた」

 

「それは『拾った』とは言わないと思うぜ」

 

グッとアンジーが手に力を込める。


「あいたたた…!怪力女だぁ!」

 

「おめーらがいつもくだらない事をするからだろ!」

 

そんな他愛もないやり取りをしている内に、ドープマンがレモンの異変に気づいた。

 

「…レモン?」

 

だが、彼はうつむいたまま動かない。

 

アンジーもそれが気になり、彼の目の前で手を振るが何の反応もない。

 

よく見ると、口元が微かに動いて何かを繰り返しつぶやいているようだ。

 

そっとドープマンとアンジーが聞き耳をたてる。

 

 

「おれ…はす…のか」

 

「俺は…ぱいのか…」

 

「俺は…酸っぱいのか…」

 

聞き取れた。

 

「え?うん、酸っぱい」

 

「この人、変な事気にしてる。気持ち悪い」

 

心無い二人のいじめが始まったが、廃人と化したレモンはやはり反応しないので…

 

「ドープ。こいついじるのも飽きたし…とりあえず、行こうぜー」

 

「うん」

 

無視した。


 

 

「『どうぞ、つきましたよ』」

 

キャンディの視界を覆っていたシーツがパサリとはぎ取られた。

 

「ありがとう」

 

「『どういたしまして…えーと、ユア・ウェルカム』」

 

キャンディが周りを見渡すと、部屋中の四方に積まれたシーツ。

 

どうやら他にも布団や枕などの備品を置いてあるようだ。

 

「すまないが、フロントの女性をここまで呼んできてくれないか?」

 

「『?』」

 

「どういったら伝わるか…英語を話せる人間をここへ連れてきて欲しいんだが。

英語だ…英語」

 

「『…?少々お待ちください。

誰か呼んで参りますので』」

 

幸か不幸か、男性従業員は誰かを呼ぶ為に部屋を出て行った。

 

程なくして、男性従業員が戻ってくる。

やはり、連れてきたのはフロントの女性だ。

 

「あ…フランシス様。何かご用でしょうか?」

 

「わざわざすまないな」

 

女性はやはり怯えているように見える。

出来れば早くチェックアウトして出て行ってほしいに違いない。


「部屋の中に残してきた荷物の事だ」

 

「はい」

 

「チェックインする時にも目にしたかもしれないが、いくつか大きな段ボール箱がある」

 

「はい、確かに拝見いたしました。覚えております」

 

残念ながら、かなり目立っていた証拠だ。

 

「業者に手配して運んでほしいのはソイツだ」

 

「かしこまりました。連絡をお待ちしております」

 

「他にも服やら私物がいくつかあるが、それは処分してもらって構わない」

 

今のキャンディはほとんど手ぶらだ。

まるでここらに住んでいるかのように。

 

しかし、円に換金した金と先ほどのモデルガンくらいは携帯しているので問題ない。

 

「はい。私が席を外す場合にはきちんと仕事を引き継ぎいたしますので、ご遠慮なくお申し付け下さいませ」

 

女性が深々と頭を下げる。

 

「分かった。それと、灰色の服を着た怪しい二人組のお客さんは出て行ったか?」

 

「あ…はい」

 

「…ではチェックアウトの手続きを。支払いはキャッシュだ」


 

 

廃工場。

 

つまらない色をしたコンクリートの床。

 

破棄されたタイヤ。動かないピックアップトラック。

立てられた古いドラム缶。その底に詰まっている炭。

 

 

映画のラスト。

 

ヒーローと悪役の大ボスが決闘し、ヒロインの金髪美女を救い出す…

 

そんなシーンにはもってこいのロケーションだ。

 

そこは、誰もが笑ってしまうぐらい『いかにも』不良達が集うのに適していた。

 

「『そう緊張するなよ』」

 

「『は、はい…!』」

 

相変わらずタケシはにこやかだが、返事をしたケンゾウの顔は引きつり、ジュンイチロウは身体をピンと硬直させている。

 

先にタケシが言っていた『幹部会』とやらだ。

名前だけは大それていても、貧相な場所で執り行われる。

 

だがこの時点ではまだ彼等しかいない。

 

 

数分後。

 

工場に入り込んでくる一台のロールスロイス。

 

「『やっと来たな。相変わらず派手な車だ』」

 

キキッ。

 

ドアから一歩。

カツン、と革靴がコンクリートとぶつかる音がした。


「『フミヤ!』」

 

「『おう』」

 

その人物の右手が上がる。

 

シルエットはかなり大柄だ。

 

カツン、カツン。

 

足音を響かせながら、ソイツが三人に近寄ってきた。

 

「『ケンゾウ、ジュンイチロウ。

紹介しよう、コイツがフミヤだ。仲良くしてやってくれ』」

 

タケシが言う。

 

灰狼のナンバー3、フミヤはプロレスラーのような体格の持ち主。

 

美形のタケシとは対照的で、細い目と傷だらけの顔。

 

短く刈り込んだ髪の毛を茶色に染め、タキシードに革靴でめかし込んでいた。

灰狼のメンバーとは思えない出で立ちだ。

 

「『タケちゃん、コイツらは?』」

 

「『メンバーだよ。いじめるんじゃねぇぞ。

それより、その格好…何か仕事してたのか?』」

 

「『誘われて飲みに行ってたんだよ。高級クラブってやつによ』」

 

「『そりゃ楽しそうだな!

そろそろ運転手でも雇ったらどうだ?飲みに行くのに自分で転がすのも大変だろうし、みっともないぜ』」


お互いが肩に軽くパンチを入れ合ってスキンシップを取っている。

タケシとフミヤは無二の親友同士なのだ。

 

「『タケちゃん、コイツらはこれから毎回参加するのか?』」

 

「『いや、今回は特別だぜ。

ちょっと面白い話を持ってきたから連れてきた』」

 

「『面白い話ねぇ』」

 

フミヤがぼきぼきと指を鳴らす。

 

「『お前ら、名前は?

俺はフミヤ。これでも灰狼のメンバーだ』」

 

「『ジュンイチロウです。この金髪野郎はケンゾウ。よろしくお願いします』」

 

ジュンイチロウがフミヤに言った。

 

「『おう。そんじゃ、始めようぜ!タケちゃん』」

 

「『了解。まずはどういった内容なのか。

特にフミヤはよく聞いてくれ』」

 

幹部会が始まる。

 

「『あ!あの!ちょっとイイすか?』」

 

「『どうした、ケンゾウ?』」

 

「『もう一人の方は来ないんですか?』」

 

素朴な疑問だ。

 

確かにタケシは召集に出席しているのは三人だと言っていた。


「『ははは、そうだったな。アクタガワさんだろ?

あの人は気まぐれだからな。気にしなくてイイ』」

 

「『くく…アクタガワか』」

 

にこりと笑ったタケシと、怪しく笑ったフミヤ。

二人は何やら隠している。

 

「『はい…?分かりました』」

 

腑に落ちないが、ケンゾウに尚も食い下がる度胸は無い。

 

「『さてと…フミヤ、話は単純だ』」

 

「『ほう?聞かせてくれ、タケちゃん』」

 

「『一人のリッチな外人をコイツらが見つけた。理由は分からないが、デカイ金を持ち歩いてる。それもキャッシュでな』」

 

「『現金で?だったら簡単だ。

そのくらいでわざわざ呼ぶなよ』」

 

「『明らかに表の人間じゃねぇのさ。だからこそ狙うべきだ。

…これは、灰狼だけの力でやろう。撃たれてまで手にした金を吸い上げられるなんてバカバカしい』」

 

「『撃たれた?おもしれー!

海を越えて高飛びしてきた強盗犯って線か?本物の阿呆だな!

一人二人殺られたってイイじゃねぇか。すぐやろう!』」

 

フミヤは大胆で豪快な性格のようだ。


「『う…撃たれた!?ジュンイチロウ、撃たれたって!?』」

 

「『おう。アイツ、部屋から俺とタケシ君めがけてピストル撃ってきたのよ』」

 

「『そんなの聞いてないぜ!大丈夫だったのかよ!』」

 

ケンゾウが初耳の情報に興奮している。

 

「『大丈夫だからこうして話してるんだろ』」

 

「『そりゃそうだけどよー』」

 

「『俺にもタケシ君にも当たっちゃいねーんだ。運がよかった』」

 

ジュンイチロウが両手を上げて、自身の健全を示している。

 

「『…フミヤ。一人二人殺られてもイイってのは聞き捨てならないな。

そうならずに金を奪いたい』」

 

「『はっ!また始まったかよ、偽善者紛いの台詞が!』」

 

「『当たり前だ!仲間は捨て駒じゃねぇんだぞ。

それに誰か死んでしまったら、結局他にも話が伝わっていってしまう事になる。

するとどうだ?金をせびられて、せっかくの努力が水の泡になってしまうんだぞ?』」

 

「『何事にもリスクは付きまとうぜ』」

 

タケシとフミヤの意見が食い違う。


 

タケシが棒付きキャンディを取り出して口に入れる。

 

「『用はやられる前にやればいいんだろう?だが、仲間達を危険に晒すわけにはいかない』」

 

「『やるって事にはお互い納得してるんだぜ、タケちゃん。

つべこべ言わずにさっさとやろうや』」

 

ケンゾウとジュンイチロウはハラハラしながら二人の議論を見守っている。

 

「『今、奴のネグラらしきホテルの前に仲間達を張らせてる。

何かあれば俺の携帯電話に連絡があるはずだ』」

 

「『狙われてるのには気づいてんだ。金が逃げるぜ。

一体どのくらいの額なのかねぇ?』」

 

「『それは俺も分からない』」

 

タケシがちらりとケンゾウ達の方を向いた。

 

「『実際に金が運ばれてるところを見たのはコイツらだ。

だから、成功したら二人のお手柄なのさ』」

 

「『失敗したら?ごめんなさいじゃ済まねぇぞ』」

 

フミヤの容赦ない指摘に、若い二人はビクリとした。

 

「『バカやろう。失敗したって誰にも罪は無ぇよ』」


「『タケシ君…』」

「『タケシさん』」

 

かばってくれるタケシに対し、一転して二人は熱烈な尊敬の眼差しを向けた。

 

「『かぁ!甘ちゃんだなぁ!

まるで飼い犬みたいになついてやがる』」

 

フミヤはつまらなそうに喉を鳴らして、タンを吐き出している。

 

「『これが灰狼のやり方だ。

縦、縦、縦のカゴに捕らわれちゃならない。常に平等だ。

力で押さえつける帝国主義にはうんざりなのさ』」

 

間違っていないようには聞こえるが、必ずしもタケシがそうしてきたわけではない。

マフィアにアガリを支払うシステム、リーダーがいる事自体が矛盾だ。

たとえ、いかにタケシがカリスマ性を持っていようとも。

 

しかし、ここにいる下っ端二人はわざわざそれをつつく程に愚かでもなく、そして賢くもない。

 

「『アクタガワの件は?』」

 

「『フミヤ!!』」

 

「『おぉ、こわっ』」

 

フミヤはおどけてみせた。

 

「『…まったく。その話よりも先に仕事の話だ』」

 

「『だったら手っ取り早く、この金髪と坊主にやらせちまえよ。ドゥー・オア・ダイってやつさ。

勝てばお手柄、負ければ死。うん、悪くない』」


「『ふざけるな。コイツらに鉄砲玉みたいな真似させれるかよ。

みんなで協力してやるんだ。他の仲間も連れてきてな。

連絡はつくんだろう?』」

 

タケシがフミヤの肩を叩く。

彼の言葉はつまり、灰狼の面々はタケシが率いていた人間以外にもいる事を表している。

 

タケシ側とフミヤ側で二極化しているようにも思えるが、そうではない。

 

「『わかったよ!いつだってお前は折れねぇな!』」

 

タケシの手をはたいて、フミヤが怒鳴る。

 

「『絶対に誰も死なせたりしない。お前だって金は欲しいだろ?

俺達だけでやっても後でひねくれるくせによ』」

 

「『ははは!違いねぇ!』」

 

「『決まりだ。すぐに連絡を頼む。

ホテルの周りをぐるりと囲んで、絶対に逃がさねーようにしよう。

俺達は先に行くぞ』」

 

フミヤの同意さえ得れば、てきぱきと行動を開始する。

 

「『俺もそのまま行くぜ、タケちゃん。

車に乗れよ。連絡は移動しながらで構わねー。

案内してくれ』」

 

「『わかった』」


 

 

車内は広々としていて、タクシーとは比べものにならない程静かで快適だ。

 

フミヤがいかに金を儲けているのかが窺える。

 

「『左だ』」

 

「『おう』」

 

「『次を右』」

 

「『おう』」

 

タケシとフミヤが機械的な会話を繰り返しながら、くねくねと裏道を使って進んでいく。

少しでも早く到着したいところだ。

 

「『もしもし』」

 

フミヤが電話をかけている。

 

相手はもちろん他のメンバーだ。

 

「『…あぁ、タケちゃんが集合だとよ。場所は…?』」

 

「『グリーンビジネスホテルって名前だったと思う。

その前にみんないる。そう伝えてくれ』」

 

「『聞こえたか?そういう事だ。急いでくれ』」

 

フミヤは電話を切った。

 

「『来れるのか?』」

 

「『もちろんだ。家にいたから連絡がつながったわけだしな』」

 

「『残りは?』」

 

「『何も言わなくてもちゃんとソイツが連れてきてくれる。どうせみんな暇だろうさ』」


 

 

「『おつかれっす!』」

 

「『お疲れ様です、タケシ君、フミヤ君!』」

 

アクタガワを除き、全員集合した不良グループ『灰狼』。

 

路上に止まったロールスロイスの周りに彼等が駆け寄ってくる。

 

「『バカやろう。さっさと戻れ。

今まさにその外国人がホテルを出ようとしてたらどうするんだ!』」

 

フミヤは手厳しい。

 

「『みんな、出迎えありがとう。

さっそくお願いがある。

裏口なんかもいくつかあるはずだから、ぐるりと全員で囲んでしまおう。ソイツの特徴は、フードを深くかぶっている黒人って事くらいだ。

怪しい奴がいたらすぐに連絡を。みんなで囲むんだから、誰もが連鎖して気づいていくはずだ』」

 

タケシが指示をだす。

 

「『うぃっす!』」

 

「『今度こそ金を奪いましょう!』」

 

様々な声が上がった。

 

そのとき。

 

「『おつかれでーす!すんません!今、着きました!』」

 

彼らの元へ走ってくる数人の灰狼メンバー。

フミヤが呼んだ、残りの仲間達だ。


「『おう。思ったよりずっと早いじゃねぇか。

詳しい事はタケちゃんにきいてくれ』」

 

ぶっきらぼうにフミヤがそう告げる。

 

「『お久しぶりです、タケシ君』」

 

「『ご無沙汰してます』」

 

フミヤが呼び寄せた連中がタケシに頭を下げた。

 

人数は四人。

たったそれだけだが、彼等は普段タケシよりもフミヤとつるんでいる事が多い。

 

理由は簡単。灰狼を立ち上げる以前から、フミヤの知り合いだったというだけだ。

付き合いが長い分、自然と仲は良くなる。

 

「『久しぶりだな。元気にしてたか?

フミヤにいじめられたら俺に言ってくれよ』」

 

タケシの冗談に笑いが上がって場が和む。

 

「『さて…仕事は簡単だ。

あのホテルの客に、黒人の男がいる。ソイツを見つけたら…うーん、そうだな…もう、捕まえちまおう』」

 

「『捕まえるんですね?でも、どうしてです?』」

 

一人が言った。

 

「『かなりの額の金を部屋に隠し持ってるのさ。ソイツをいただきたくてな』」

 

タケシがにこりと笑う。


「『すげー。なんだか今までに無いような仕事で興奮しちゃいますね』」

 

「『だろ?俺も面白いと思う…ん?』」

 

バタバタと駆け寄ってくる人物。

 

「『タケシ君!大変です!』」

 

先ほど一足先にホテルの周りに展開させていた灰狼メンバーの一人だ。

 

「『どうした?』」

 

「『ターゲットらしき黒人を見つけました!』」

 

「『何っ!?』」

 

一同に緊張が走る。

 

「『そして、ソイツを取り押さえました!』」

 

「『本当か!?よくやったな!すぐに案内してくれ!』」

 

「『はい!こちらです!』」

 

 

 

彼等がその場へ駆けつけると、確かに一人のスキンヘッドの黒人が取り押さえられていた。

 

抵抗をするわけでもなく、とてもおとなしく地面に突っ伏している。

 

「『コイツか』」

 

タケシが屈んでその黒人の顔を覗き込む。

 

「『…ん?違うぞ。誰だ、コイツは』」

 

「『はい!この辺をうろついてました!』」

 

「『残念だが、コイツじゃないな』」

 

明らかにアイス・キャンディではない。


「…か」

 

彼は小さな声で無気力に何かをつぶやいている。

 

「どうした?なんだって?」

 

タケシが黒人に英語で話しかけた。

 

「…のか…」

 

「は?」

 

「お…す…か…」

 

やはり聞き取れない。

とにかく同じ事を繰り返し話しているのは分かる。

 

「『何だ、コイツ?』」

 

「『見たことある気がするぞ…』」

 

ジュンイチロウとケンゾウが話している。

 

「『そうか?俺は知らないなぁ』」

 

「『んー…どこで見たんだろう』」

 

「俺は酸っぱいのかぁぁぁ!!!!」

 

その場にいた全員がビクリと反応した。

フミヤも例外ではない。

 

「『何だぁ!?おい、タケちゃん!』」

 

「『酸っぱいとか言ってる。意味が分からねえな』」

 

「『思い出した!コイツ、さっき会った三人組の外国人の一人ですよ!』」

 

ケンゾウがタケシに言った。

灰狼に取り押さえられているのは、紛れもなく仲間外れにされたレモンだった。

 

なぜ他の灰狼メンバー達も気づかなかったのだろうか。


「『さっき会った?なんだ、コイツがリッチな外国人か?

ぶっとばしゃイイんだろ』」

 

フミヤがずいっと前に進み出てレモンの襟首を掴み、彼を軽々と引き起こす。

レモンは未だに様子がおかしく、特に抵抗も見せないままだ。

 

「『違う!フミヤ、コイツは関係ない。

そうだな、ケンゾウ?』」

 

「『はい。ただの変なヤロウですよ。

他に二人の仲間もいたんですけど、ソイツらも金を運んでた奴とは別人っす』」

 

「『仲間か…まともに話せる奴がいれば話してみたいな』」

 

タケシがにこりと笑った。

 

ふん、と鼻をならしながらフミヤがレモンから手を放している。

 

「『まだ近くにいるかもしれないな。フミヤ、一緒に来てくれないか?

みんなは引き続きホテルの周りを警戒するんだ』」

 

「『あん?どうして俺がついていかなきゃならねぇんだよ』」

 

ケンゾウやジュンイチロウを含むメンバー達が散っていくなか、フミヤが口をとがらせている。

レモンも当然その場に置き去りだ。


「『どうしてって…お前、退屈な見張りなんてまっぴらだろう?』」

 

「『当たり前だ。退屈な事が何よりも嫌いだからな』」

 

さすがにフミヤの事をよく理解しているタケシ。

 

「『だったら分かるだろう?みんなとホテルをじっと見ててもお前が退屈すると思ったからだよ』」

 

「『はは!気が利くねぇ!』」

 

途端にフミヤの機嫌が良くなる。

 

「『仲間二人ってのもどんな奴か分からないしな。もしかしたらやたらと強いかも』」

 

「『なめたヤロウだったらぶっとばしてやるよ!任しときな!タケちゃんと俺の前にかなう敵なんかいねぇ!』」

 

「『そうだな』」

 

すっ、と冷たい表情になるタケシ。

他のメンバー達がいる時には決して見せない表情だ。

 

実は、これこそが彼の本性。

普段はにこやかな好青年を演じているにすぎない。

 

「『しっかし…いつまでアクタガワなんてふざけたヤロウを?』」

 

「『ずっとだ。アクタガワさんはイイ存在だろう?

俺には居心地が良くてな』」


「『居心地なぁ。俺には理解できないことだぜ。

存在しないトップなんてよ。幽霊みたいだ』」

 

そう。

 

アクタガワと呼ばれる灰狼の創始者である人物は、気まぐれで出てこないわけではない。

 

ましてや死んだわけでもない。

 

「『理解する必要なんて無いさ。とにかく彼にコントロールされている灰狼は便利だ。

責任は彼に転嫁される。言いづらい事はアクタガワさんからの言伝。俺に害は及ばない。

いつの時代だって、二番手ってのはイイものだぞ?』」

 

「『難しい話ならパスだ』」

 

「『都合が悪けりゃ上の責任。

俺はみんなから慕われる、優しいナンバー2を演じ続けるよ』」

 

…アクタガワは、造り上げられた『架空の人物』に過ぎなかったのだ。

初めからそんな男は存在しない。

 

味方をも欺き、思い通りにする為の策。

つまり、タケシこそが灰狼を立ち上げた張本人だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ