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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
20/34

蜂と蝶

『蜂…尾に毒針を持つ昆虫』

警備員達の詰め所では、未だに空気が張り詰めていた。

 

「なに?おっさん、もう一度訳してくれ」

 

アンジーが不服そうな表情と声色でそう告げる。

 

「だから『奴を捕らえて必ず始末してくれ』だとよ。

みんなで寄って集っておっさん呼ばわりか…俺はまだ37だぞ」

 

班長の心の叫びが言葉に出てきてしまっているが、誰も気には止めない。

 

「本当にそう言っているのか?気味が悪いくらい潔いぜー」

 

「『おい、チンピラ共。こちらのべっぴんさんが、お前達の言葉が信じられない様子だぞ。

何の話か知らんが、信頼性に欠けるようだな』」

 

「『じゃあこう伝えろ、ハゲのおっさん。

俺達だって飛ぶ事が出来ればこんな事を言いはしない。恥を忍んで頼んでる…ってな』」

 

雨ガッパのギャングが応える。

 

「『ハゲ!?まさか…』」

 

再びおっさん呼ばわりされたり、見透かされているのかハゲと言われたり、踏んだり蹴ったりだ。

自らの頭に軽く触れてみるが、特にずれてはいない。


「おい、何をしてるんだー?

何て言ってるのか早く教えてくれよ」

 

アンジーの急かす言葉で、班長はハッとした。

 

「あ…あぁ、すまん。彼等は、その…『奴』を追いたくても飛ぶ事が出来ない。

恥ずかしながらお前達を頼るしかない、という風に言ってる」

 

応えはするが、彼の右手は頭に当てられたままだ。

 

「そうか。任せてくれ、とでも言っておいてくれ。

ところで…さっきから変な奴だな。頭がかゆいのか?」

 

「え!?いや!決して頭を気にしているわけではないぞ!」

 

「そうかい」

 

 

数分後。

 

詰め所は穏やかさを取り戻した。

 

メキシカンギャング達が帰ってしまったから、というのはもちろんだが、酒を飲んで騒ぎ立てていたレモンや警備員達も眠ってしまった。

不抜けた職場だ。

 

「なあ」

 

「…何だ」

 

起きているのは班長とアンジー。

 

声をかけたのは班長で、書類に目を通しながら面倒くさそうに返事をしているのがアンジーだ。

 

「誰かを、殺しに行くつもりか?」


 

「あはははは!」

 

かん高い笑い声。

 

もちろんアンジーだ。

 

「おかしいか?間違いなかろう」

 

班長は不思議そうに彼女を見つめる。

 

「あぁ、間違い無いぜー。ただ、分かったとしてもわざわざ訊いてくるのかと思ってな」

 

これは驚きだ。アンジーは包み隠しもせずに堂々と応えてしまった。

やはり、彼女はアイス・キャンディから金をいただくだけにとどまるつもりはないのだ。

 

「何の為に?」

 

「金」

 

「随分シンプルだな。分かり易くて助かるよ」

 

「そりゃどーも」

 

アンジーはコーヒーをすすり、タバコに火をつけた。

 

しかし、書類からは一瞬たりとも目を離さない。

これは本業である情報屋として彼女がかき集めたキャンディの情報だ。

 

「お前達三人は殺し屋なのか?」

 

「お前も明日には土に還してやるつもりだぜー。アタシらの秘密を知ってしまったからな」

 

「…!?」

 

班長が凍りつく。

 

「そう言われるのを覚悟の上で訊いたはずだぜー?」


「ふふ…バカな。そんなのは嘘っぱちだ。

そんなことが出来るはずもないし、何も生まない!」

 

班長は精一杯、気を大きく持とうとしてはいるが冷や汗は隠せない。

 

「怖いのか?」

 

「『何がだっ…!』」

 

「ほら、動揺してスペイン語になってる。

アタシには通じないぜー」

 

アンジーはようやく書類から一瞬だけ視線をはずし、班長に向けてにこりと微笑んだ。

 

「くっ…」

 

「なぁ、ハゲ?」

 

「ハゲじゃない!」

 

「じゃあ、ヅラ」

 

アンジーは楽しそうだ。

班長の秘密を知っているのかどうかは定かではないが。

 

「…はぁ。なんだ」

 

「殺したりなんかしねぇよ。それより、世話かけちまってすまねぇな」

 

「へ?あ、あぁ!当たり前だ!

空港内の治安を守るのが俺達の仕事だからな!」

 

彼は一瞬キョトンとしてしまったが、きれい事で返した。

 

しかし、もうすでにアンジーの意識は書類に戻っており、班長の返事など聞いてはいなかった。


 

 

ガタンガタン。

 

ガタン。

 

電車の中は超満員。

 

彼が経験したことのない光景だ。

 

「…」

 

フードを深く被った男。

真っ黒なチャンピオン製のスウェットにナイキのエアフォース・ワン。

 

彼の名はアイス・キャンディ。

 

窓際に立って、腕を組んだままうつむいている。

耳にはイヤホン。その先に繋がれたソニーのウォークマン。カセットテープから流れてくるヒップホップで気を紛らわしているのだ。

この、大嫌いな人ゴミから。

 

 

2日がかりの長旅だった。

 

飛行機から降りた彼はまず、ベンの手から逃れるようにそそくさとその場から立ち去った。

 

荷物を受け取った後は便所に入り、窮屈な子爵変装セットをかなぐり捨てる。

 

そしてまた、『いつもの自分』に戻った。

 

それから都心に向けて走る電車に乗ると、そこは人の群れ。

 

狭い箱の中に、窒息するのではないかというくらいの量の人がうごめいていたのだ。


先ほどから隣に立っている若いサラリーマンと肩が触れている。

 

キャンディにとっては不快であることこの上ない。

彼はさらに音楽のボリュームを上げた。

 

 

電車が駅に停車する。

都心部に到着だ。

キャンディは窓の外に見える駅名の案内板を確認すると、次の駅に向けて発車してしまう前に素早く降車した。

 

少しだけの解放感を味わう。

 

だが、ホームに降り立っても人だらけであることには変わりない。

 

時折、通行人と腕がぶつかったりする。

ゲットーで暮らしてきた彼は、そのたびに刺されたり物を取られたりしないかと身構えるが、そういう可能性は薄そうだ。

 

 

 

立ち並ぶ超高層ビルや電波塔。

 

驚くほどの車の交通量。

 

張り巡らされた高速道路や線路。

 

そして、まるで菓子に群がる蟻のような数の人々。

 

「…」

 

キャンディは手を上げてタクシーを捕まえた。

 

バタン。

 

「銀行まで」

 

そこは東の端の島国。

アイス・キャンディの次なる根城。

 

大都会『東京』。


 

 

役者は続々と揃う。

 

キャンディが日本に到着して二日後。

 

「ふぁ…着いたか」

 

「そのようだな」

 

「さてさて、面倒な鬼ごっこの再開だ。

奴がこの国にいる事は間違いない」

 

RGはよっこらせ、と座席から腰を上げた。

 

「もう少し喜んではどうだ、ゴンドウ?

久々の祖国だろうが」

 

「嬉しくないわけじゃないさ。だが戦後の日本人に愛国心を求めるんじゃねぇよ、フォレスト。

嫌いじゃない国だが、国自体に対する誇りは薄い」

 

「だが『日本人』である事は重要なんだろう」

 

「人は好きだが国はそうでもねぇ、って連中だらけだぜ。

温かいようで、どこか冷めてる。特に東京って街はな」

 

ファースト・クラスの乗客が一足先に機外へ案内される。

 

「ありがとうございました。またのご搭乗をお待ちしております」

 

担当のスチュワートが深々とお辞儀をしている。

 

「おら、取っとけ」

 

RGが彼に何か手渡している。

 

チップだ。

 

「いえ、お受け取りできません」

 

だがスチュワートは丁寧に断った。

 

教育が徹底している。


「おい、早く行くぞ。まずファースト・クラスの乗客が降りないとエコノミーやビジネスの連中は足止めだ」

 

「うるせぇ」

 

フォレストが急かす。

確かにその通りだ。飛行機はファースト・クラスの乗客を中心に運行する。

 

 

「まったく、あの添乗員め。『粋』な計らいってのを知らねぇのか、クズが」

 

「何をぶつぶつ言ってるんだ?」

 

飛行場へと降り立っても、RGの小言は続いている。

 

そして五分後。

 

「『あ、リョウジさん!お待たせしました!』」

 

クサナギの声だ。

 

空港外のタクシー乗り場で彼等を待っていたRGとフォレストのもとに、三人が走ってくる。

 

「『遅いぞ』」

 

「『申し訳ありません。カワノの奴が便所に行きたいっていうもので』」

 

カワノはギョッとした。

そんな事実は無いのだ。

 

おそらくトイレに行こうとしたのであればクサナギ本人だ。


しかし、自分より若くても『兄貴分』であるクサナギにカワノは意見出来ない。

ただ頭を下げているだけだ。


RGの眼が光る。

 

もちろん見抜いてしまったからだ。

 

「『また調子の良い事言いやがって。

嘘もほどほどにしておけよ』」

 

「『はっ…!』」

 

クサナギは焦るが、カワノは少し気持ちが軽くなった。

フォレストとナカムラは仏頂面で事の成り行きを見守っている。

 

「『バレバレだって言ってるんだよ。

ほら、タクシーに乗るぞ』」

 

「『え!は、はい!申し訳ありません』」

 

いつもの様にRGの拳が飛んで来る事は無かった。

クサナギは安堵のため息と、満面の笑みだ。

 

「『クサナギ。俺とフォレスト刑事と一緒にこの車に乗れ。

カワノとナカムラはそっちの車だ』」

 

何十台も並んでいるタクシーの内、適当に二台を指定した。

彼等の人数が五人なので、振り分ける必要があるからだ。

 

「『はい!ありがとうございます!』」

 

「『承知しました』」

 

クサナギとナカムラが返事をすると、彼等はそれぞれのタクシーに乗り込んで空港をあとにした。


 

 

それからさらに一日後。

 

残りの主役達が来日した。

 

「いやっほー!ニッポンだ!刀を買おうよ!

腰にさして歩くんだ!」

 

もちろん、この一番のはしゃぎっぷりはドープマンだ。

 

「そりゃいいな!刀を買おう!」

 

レモンが話にのる。

 

「刀!刀!」

 

「サムライ!サムライ!」

 

謎のかけ声を叫ぶ二人。

だが、アンジーがそんな事に許可を出すはずもない。

 

「うるせーぞ、お前らー。

刀を買うより、キャンディの足取りを探す方が先だぜー」

 

日本に渡った後のキャンディの情報は皆無。

アンジーはまた一から彼の動きを辿っていく必要があった。

 

しかし、手が無いわけではない。

 

「まずは、金の流れをチェックできる奴だな。すぐに引っかかるかどうかはわからねーが」

 

つまり、海外から入金した大金をキャッシュで下ろしている人間。

その出どころを調べていこうというのだ。

 

該当者も多く、途方もない作業になる事は間違いないだろう。


「サムライ!サムライ!」

 

ドープマンはアンジーに注意されてピタリと叫ぶのをやめたが、レモンは一人ではしゃぎ続けている。

空港のロビーは人も少なくは無いので非常に目立つ。

 

「ハゲが黙らないな」

 

「あ!見て!お土産屋に寄ろうよ」

 

「サムライ!サムライ!」

 

まるで三人の会話が成り立っていない。

 

 

「携帯は…使えるみたいだな」

 

電車の中。アンジーが大きな携帯電話を取り出していじくっている。

 

その横には鼻血を垂らしているレモンとドープマンの姿があった。

 

彼等が電車に乗っているのは空港からの移動を開始したからに他ならないが、二人のハナタレ小僧がどのようにして出来上がったのかを想像するのもそう難しい事では無いだろう。

 

「…」

 

「…」

 

アンジーの言葉に、ドープマンとレモンは反応しない。

 

「ふん、少しは反省したか?」

 

今度はずるずると鼻をすする音が返事の代わりに返ってきた。


それを確認したアンジーが軽く頷いて携帯電話のボタンを押し始めた。

もちろんどこかに電話をかける気だ。

 

 

電車内はガランとしていて静かだ。

今通話すれば限りなく目立つ事になってしまうが、そんな事は彼女の知るところではない。

 

彼女達が乗車している車両の乗客はわずかに数名。

数日前にキャンディが乗り込んだ満員電車とは大きく状況が違う。

 

「もしもし」

 

ましてや英語だ。

外国人を見かける機会が増えた現代とは違い、当時は少なからず日本人から珍しがられただろう。

鎖国から続く、排他的な国民性の表れなのかもしれない。

 

「あぁ。そうだ、アタシだぜー」

 

ガタンガタンと、心地よい振動と音。

 

通話の相手の声までは周りには聞こえない。

しかし、流暢な英語で話す西洋美女に少数の乗客からは好奇の視線が集まる。

 

「そうだ。金の流れを探って欲しい。出来そうか?

…とはいっても、後は人間を割り出す仕事だけみたいなもんだけどなー」


「ん?誰と話してるんだ、シャロンは?」

 

ハナタレ小僧その1が言った。

 

「さぁ?ていうか、シャロンって誰?」

 

ハナタレ小僧その2が返す。

 

「シャロンはシャロンだろう?

お前の目の前にいるべっぴんさん」

 

「アンジーの事?」

 

「いや、だからシャロンだってば。

アンジーって誰だよ!」

 

今さらかと言いたくなるような論争が始まってしまった。

 

「なるほどな。さすがに時間がかかるか…

で、どのくらいだ?いきなりの頼みでこんな事言うのも毒だが、アタシらも長い間待ちぼうけするのも嫌だぜー。

…え?あぁ、日本まで来てる。チップくらいの額しか支払えないけど、昔のよしみで頼むぜー」

 

「いやいやいや!お前が間違ってる!」

 

「えー?絶対レモンが間違ってるよ」

 

シリアスとコメディの共演。

 

「誰がサンキスト製だ!

だったら同時にそれぞれがシャロンの名前を呼んで、どっちの方を向くのか試してみたらイイじゃねぇか」

 

悪くない意見だが、意味は全く無い。


「のぞむところさ!絶対にアンジーはアンジーなんだから。ところで、レモン?」

 

「誰が絞っておいしい柑橘類だ!

俺を絞ったところで1ペニーも出て来ねーよ!

で、なに?」

 

「あー…なんかお前、めんどくさいからやっぱりいいや」

 

「…」

 

アンジーが彼等二人にイライラしているのに感づいたドープマンだが、レモンの返事の前半のくだりで、そのうっとうしさに彼は話す気を無くした。

 

「助かるぜー。ロサンゼルスに帰ったら食事にでも誘うからなー。

アタシの誘いを受けるなんてうらやましい奴だ、色男」

 

アンジーの電話は未だ続いている。

 

「じゃあ、せーので呼ぶぞ?

いいか、ドープ?」

 

「あぁ、スティーブ」

 

「ちょっ…!え?何?今なんて言ったの?

ねぇ、ドープ君」

 

鼻血を出しながらニヤニヤするさまは怪しすぎる。

 

「何も。ほら、せーのっ」

 

「シャローン!!」

「…」

 

レモンの大声だけが響く。

ドープマンは裏切ったのだ。

 

ドスッ!!

 

「ごふっ」

 

「アタシは電話中だぜー?うるさいハゲめ」

 

腹にめり込むアンジーの拳。


「ドープ…貴様裏切ったな…ぐふっ」

 

名悪役のようなセリフを残してレモンは座席に崩れ落ちた。

本人達(レモン以外)はお遊びのつもりにすぎないが、周りの乗客は戦慄している。

 

「『おいおい、何だあの女は?』」

 

「『やっぱり白人は黒人よりも位が高いからじゃないかしら?』」

 

「『外人の女ってのは恐ろしいんだな…』」

 

様々な憶測が飛び交っているが、当の本人達には伝わらない。

 

「あぁ、すまんな。うるさい奴がいたもんでよ。

それじゃ、また」

 

ピッ。

 

アンジーは携帯電話をカバンにしまった。

 

「…だいたいお前達は何をごちゃごちゃ言ってたんだ?アタシの事だろう?」

 

彼女がドープマンに訊く。

レモンは会話不能な状態だからだ。

 

「『アンジーかシャロンか』どちらがお前の名前かって事だよ。

同時に呼んでみたらどんな反応をするのかって話になったんだ」

 

「くだらねー。アタシはジャネットだぜー」

 

「えー!?」

 

また新しい名前。

名の無い彼女は変幻自在だ。


「そういえば、この電車でどこへ向かうのさ?」

 

「都心部だ。確か…シン…ジュク?」

 

「何それ?都心部は東京だろうに」

 

彼等はあまりに遠すぎるこの国ではさすがに土地勘に疎い。

 

「アタシだってよく分からないんだぜー。

とにかくアイス・キャンディがいそうなところを周りながら情報を集めて、同時進行で金の流れを探る。どこで引き落としたのか…とかな」

 

「???」

 

ドープマンはキョトンとしている。

 

「ん?なんだ?」

 

「いや。こんな遠いところで、よく真面目に仕事をする気になるなぁと思ってさ」

 

「どういう意味だい?」

 

少しもじもじしながら、ドープマンは応える。

 

「…サムライタウンには行かないのー?ニッポンのゲットーだよ」

 

「そんな町は無いぜー!」

 

「えっ!?じゃあサムライはどこに住んでるの!?」

 

ふざけている様子は無い。

もしかしたら彼は未だにサンタクロースすら信じているタイプなのかもしれない。


 

 

「さて…と」

 

近くにいたカラスに蹴りを浴びせながら歩いているRG。

 

もちろんそれは空振りに終わり、カラスは上空へと鳴き声をあげながら飛び上がっていった。

 

「なんだ、イラついてるのか」

 

すぐ後ろからはフォレストの声。

 

「当たり前だ。こっちに来てからは、奴の足取りがパッタリ止んじまってるんだからな!」

 

彼等もまた、アンジー達と同じ壁に当たっていた。

 

「それはそうかもしれないが、貴様にとっては本国だろう?動きやすいのならば、アメリカ国内ほどに手こずりはしないはずだ」

 

「バカが!祖国だの本国だのって、俺達は自由を求めて海を渡った身だぞ。

こっちに協力的な組織なんていやしねぇんだ。

むしろ動き辛いんだよ。ちょいとばかり地理を知ってるって事以外はな」

 

珍しくRGが言い訳をする。

 

「そうなのか?敵対してるわけではあるまい」

 

フォレストがRGの横に並んで歩みを合わせた。

 

「ふん!言わば俺達はよそ者なんだよ。

バカみたいに暴れまわるわけにはいかねー」


「『…ゴンドウさん』」

 

ここでナカムラが話し掛けてくる。

 

「『あん?なんだ?』」

 

「『お話されているところ申し訳ないのですが、よろしいでしょうか?』」

 

「『あぁ、言ってみろ。何かあったのか』」

 

普段は大人しいナカムラが、自分から話に割って入ってくる事は珍しい。

さすがのRGも何事かと耳を傾けた。

 

「『実は、行員時代の旧友にコンタクトを図っていたのですが、連絡が返ってきました』」

 

「『ほう、そりゃおもしろそうだな。

で、アイス・キャンディらしき人間の尻尾は掴めたか?』」

 

ナカムラは独自に動いていたらしく、誰もが初耳だった。

確かにこちらに銀行員の知り合いがいるとかなりの手助けになる。

 

だが、失態を犯したナカムラに協力的な姿勢を見せる人間がいるとは考え辛い。

 

「『それが…少し問題がありまして。

ご相談させていただければと思って、恐れながら口を挟ませていただきました』」

 

「『ふん。どういう事だ?』」

 

やはり一筋縄ではいかないらしい。


「『単純です。情報料をよこせ、と言っています』」

 

「『ははは!すっかり汚ねぇ国になっちまったな!』」

 

RGがムッとするかと思い、ハラハラしていたナカムラだが、彼は大きく口を開けて笑い出した。

 

「『おいおい!黙って話を聞いてりゃ、なんだソイツは!消しちまいましょうよ、リョウジさん!』」

 

若手のクサナギが意気込む。

 

「『甘いぜ、クサナギ。

おい、ナカムラ!ソイツとは会えるのか?』」

 

「『いえ…おそらく簡単にはお会いにはなれないと思いますが』」

 

「『やはり賢いな。

だが、情報は貰おう。提示額は?』」

 

「『二千五百万といってきました。日本円です』」

 

決して安くは無い額だ。

 

「『米ドルに変更させろ。

それなら情報が買える。ま、どうせソイツをハメて取り返すがな!』」

 

「『頼んでみます』」

 

「『下からの目線で頼むんじゃねぇよ。

こっちのペースにハメてやれ』」

 

RGは笑顔のままだ。

自分を利用しようとする人間を騙すのが楽しくて仕方ないといった様子にも見える。


「『なるほど。分かりました、やってみます。

ご期待に添えれると良いのですが』」

 

ナカムラは近くにあった公衆電話へと走る。

帰国後、空港やホテルなど、電話のある場所から旧友と連絡をとりあっていたのだろう。

 

RG達は特にそれを待つ事もせず、歩き続けた。

 

 

しばらく経って、ナカムラが駆け足で彼等に追いついてきた。

 

「『長かったな』」

 

「『はい。つながりませんでした。

留守番電話に連絡をするように、とはメッセージを入れていますので、これに連絡が来るとは思います』」

 

そう言ってナカムラが取り出したのはポケベルと携帯電話だ。

まだまだ日本ではさほど普及していない高級品である。

かなり行動が早い。ここ二日の間に準備したのだろう。

 

「『おもしれぇ奴だ』」

 

少し前まで不機嫌だったはずのRGの顔を見て、理由を知らないフォレストが怪訝な様子だ。

 

「よう、刑事さん。なかなか面白い話だぜ。部下のお手柄だ」

 

「一体どうしたと言うんだ?まさか、アイス・キャンディという男が見つかったのか?」


「少し違うがそんなところだな。

ナカムラが銀行員を一人買収できそうなんだ」

 

彼がタバコをくわえると、いつものようにクサナギの両手が伸びてきた。

 

カチリと火が点く。

 

「いよいよ部下達のカタキの容疑者と対面か。

果たして彼が殺したのか、会って確かめたい」

 

「楽しみにしててくれ。

おっ、着いたぞ?たしかこのビルだ」

 

「馴染みの店か何かか?」

 

「あぁ。大物ゲストを呼んである」

 

彼等がたどり着いたのは大きなビル。

建造されてしばらく経ってはいるようだが、淡い水色の外観は色褪せてはいない。

 

「誰だ?」

 

「店に待たせてある。ちょっと遅れちまったか」

 

RGも久々の帰国で場所がうろ覚えだったようだ。

もちろんフォレストは何も聞かされてはいない。

 

自動ドアをくぐると、広いエレベーターホール。

 

左右にズラリと何機ものエレベーターへの扉があった。

一階に店舗のテナントは無いらしい。

 

カワノが小走りして先行し、入り口から見て左側にある一番手前のエレベーターの上向きの矢印ボタンを押した。


ゴォンと鈍い音がして、エレベーターが降りてくる。

 

ポーン。

 

「『一階、です』」

 

規則的な機械のアナウンスが響いた。

 

「『お二人、先にどうぞ』」

 

閉じてしまわないようにと、開いたドアをカワノが手でおさえている。

 

「一体誰が待ってるというんだ」

 

窮屈にも大人の男五人が乗り込んだエレベーターが動き出す中、フォレストが口を開いた。

 

「直接は知らないと思う。だが、きっと驚くぞ」

 

「…?」

 

ニヤリと笑うRGと、顔をしかめるフォレスト。

 

 

 

エレベーターは七階で停止した。

全員がフロアに降り立つ。

 

フロアの内装は、真っ黒な壁紙が張られていた。

所々に昼白色のダウンライトが灯っているが、足元が覚束ないほどに薄暗い。

 

エレベーターの真正面にドアがあった。

看板は無い。何やら怪しげな店だが、RGが言う『馴染みの店』であることには間違い無い。

 

彼が木で出来た縦長いドアノブに手をかけると、フロアに僅かな光がこぼれて仄かに明るくなった。


「『いらっしゃい。久しいな、ゴンドウ』」

 

「『邪魔するぜ。やっこさんは?』」

 

扉から店内に入ると、すぐにカウンター。どうやらここは酒場らしい。

そこに一人の男が立っていた。

 

若い。体系はガッシリとしている男だ。

グレーのスーツを綺麗に着こなして、黒の長髪をオールバックにしている。

RGに気さくに話しかけている事から、以前彼と親しくしていた事が見て取れる。

 

「『左手にある個室だ。突然、店を使わせてくれだなんて驚いたぜ』」

 

「『こうして顔を合わせるのは久しぶりなのに、ワガママをきいてもらってすまなかったな』」

 

RGが深々と頭を下げる。

 

「『しばらく日本にいるのか?』」

 

「『いや、そう長くはないと思う。

だが、アメリカに帰る前には必ずまた立ち寄らせてもらうぜ』」

 

「『そうか、分かった。

うまい酒を出してやるから楽しみにしておけよ。俺の奢りだ』」

 

「『そりゃ楽しみだな』」

 

「『あぁ。それじゃごゆっくり』」


客の事や用件などは一切訊いてこない。

 

仲は深く接客は雑でも、心遣いは一流だ。

 

 

 

五人は男に言われた個室へと向かった。

 

縦向きに置かれた六人掛けの長いテーブルの右側に二人の客人がいた。

 

「遅いぞ!」

 

入るなり、怒鳴り声。

 

客人からRGに向けられたものだ。

 

「ふん、そう怒るな」

 

客人は英語を使った。

アメリカ人だ。

 

怒鳴ったYシャツ姿の男は壮年で、栗色の髪を短く刈り込んでいる。

 

隣にいるパンツスーツの女性は怯えているのか、うつむいて小刻みに震えていた。

 

「『カワノ、ナカムラ、てめぇらは部屋の前に立ってろ。誰も中に入れるなよ』」

 

「『はい』」

 

「『承知しました』」

 

RGが指示を出す。テーブルに全員が座れないのも理由の一つだが、見張りが必要なのも嘘ではない。

 

客人の対面に奥からRG、フォレスト、クサナギの順で座る。

 

テーブルの上には水が六杯、グラスに注がれて置いてあった。


 

「まさか…貴方がいらっしゃるとは」

 

まず、フォレストが静かに驚きを口にした。

 

「あん?顔見知りだったか?では紹介は必要なさそうだな」

 

RGが水を一杯ゴクリと飲んで言う。

 

「あぁ。よく知っている。

どういう風の吹き回しですかな、ウィルウッド捜査官?FBIはヤクザ者とつながっているのか?」

 

『大物ゲスト』とは連邦検察局のウィルウッド捜査官だったのだ。

 

RGはもちろんフォレスト刑事がウィルウッド捜査官を知っている事など百も承知だ。

つまり、彼は何かを目論んで一芝居うっている。

 

「ヤクザ者?重要な協力者だよ、彼等は。

こちらは単に銃と爆薬による大量殺人犯を追っているに過ぎないのだからな。

それに、命令を無視して勝手に動き回っている君の方こそ、どう弁解するつもりだね?」

 

「私は辞職いたしました。

今はもう警察ではありません」

 

毅然たる態度で返すフォレスト。

 

「職をなげうってまで?だが依然として君に犯人を拘束する権利は無い!」


「もちろん私には国を出てまで犯罪者を追う義務も権利もありません。

彼を取り押さえた暁には、警察に引き渡すつもりでおりました。

…しかし!どうしても彼に会って訊きたいのです!部下を殺したのは間違いないのか!もし違うのであれば誰が犯人なのかを!」

 

バン!とテーブルを両手で叩きながらフォレストが立ち上がる。

 

「熱血漢だな。情熱は買うが、とても普通じゃない。

警察官の殉職など、よくある事だ」

 

「貴様…!」

 

ウィルウッド捜査官の発言に、フォレストは逆上した。

 

「ふふ。とにかく我々は正規に基づいて捜査しているんだ。

探偵ごっこで邪魔をされては困る」

 

「私も、部下達が目の前で殉職したのならば諦めはつきます!

だが犯人は野放しだ。知らぬ間に爆弾で仲間を失った彼等と痛みは同じ。探偵ごっこだとおっしゃるのならば、FBIよりも先に動いた彼等の気持ちも踏みにじる事になります!」

 

彼等とはRG達の事だ。

 

「あの…すみません」

 

ここで、ずっと怯えている様子だった女性が顔を上げた。


「なんだね?」

 

ウィルウッドがニコリと女性に笑いかける。

 

顔を上げてみると、そばかすが少し目立つが、キレイな顔をした美女だった。

 

彼女が申し訳なさそうにスーツの胸ポケットから懐中時計を取り出す。

 

「お時間が…あと五分ほどしか…ありません」

 

か細い声。

誰かの呼吸の音で消えてしまいそうなくらいに小さい。

 

「分かった。ありがとう、バーバラ」

 

「先ほどから気になっていましたが、彼女は?

警察関係者ですか?」

 

フォレストが矢継ぎ早にウィルウッドへ話しかける。

退屈なRGは、カチリと葉巻に火をつけた。

 

「彼女を知らないのか?今回、協力してもらっている『バーバラ・F・キーズ』君だ。

日本語が話せる貴重な人材で、彼女もFBIの捜査官だ。

私が日本語が分からないので、通訳も兼ねて同行してもらっている」

 

「FBI?お嬢ちゃん、捜査官なのか?

可愛い顔してるから、アンタのお気に入りの侍女かと思ったぜ、ウィルウッドさん」

 

RGが横から煙と共に毒を吐いた。


「失敬な。私はそんな人間ではないぞ」

 

「へいへい」

 

「さて、時間が迫っているところだったな。

みんな、悪いが席を外してくれないか?彼と二人で話がしたい」

 

ウィルウッドがRG以外の連中に退室を促す。

 

「『クサナギ、フォレストと外で待ってろ。一緒にカウンターで飲んでて構わないからよ』」

 

RGがクサナギに一万円札を手渡した。

 

「『ありがとうございます。分かりました』」

 

トンとフォレストの肩を叩いて、クサナギがフォレストを連れて行く。

バーバラも無言でそれに続いた。

 

 

「本題に入ろう」

 

「あぁ」

 

「私はニューヨーク市警の動きを止める事だけしていればよかったのでは無いのか?

なぜ日本まで来る必要があった?」

 

RGを睨みつける眼は冷たい。

 

「フォレストだ。アイツを利用したい。

追い金を積んでるんだからそう怒るな、ウィルウッドさん」

 

「どう利用する?」

 

「本人はあぁ言っているが、アイツはまだ警察を辞職している事になってねぇ。

アメリカにいる奴の調べだ」


サングラスを外し、RGはウィルウッドを睨み返した。

 

「なるほどな。お前が何をやりたいのか分かってきたぞ」

 

「物分かりが早くて助かるぜ」

 

「そこで私の出番か」

 

「そういう事だ。帰り際にでも、その事実を奴に吹き込んでくれ。

そして、この事件はFBIの管轄にある事にも念を押す。それでアイツは雁字搦めだ」

 

睨み合いは続いている。

 

「だが、警察を辞める覚悟などとうに出来ている男に、今更通じる手だろうか?」

 

「引き返させる事は出来ないだろうな。それでも、古巣への迷惑を考えると下手には動けない。

俺達がアイス・キャンディをフォレストの目の前で消そうが、独自の判断を下せはしない。なにせ、天下のFBIがついてるからな。

素人ならば真実をタレ込む事も出来るだろうが、未だ警官である以上、奴の発言は力でかき消される。

…ところで、奴の辞職を受理していないのは、ニューヨーク市警の中でも力がある人間の一存らしい。

皮肉なものだな?仲間の想いが奴の首を絞めている」

 

RGは苦いものを食べた後のように舌を出した。


「効力が全くないとも言えないが、さすがに殺人を奴が見逃すと思うのか?

奴は今時には珍しい、正義感に溢れる刑事だ」

 

「初めはアイツもまとめて消すつもりだった。だが、この国では出来るだけスマートに仕事をしたいんだよ」

 

「仕事?私情だろう。

それとも奴の金を奪って一儲けしようという腹か?」

 

ウィルウッドが水を飲む。

 

「まさか。金は充分ある。

アイツの首以外の報酬はいらねぇよ。

『おーい!カワノ!一番高いブランデーを二杯注文して来い!』」

 

「『はい!分かりました!』」

 

扉の向こうから返事が聞こえる。

 

「…?何を叫んでる?」

 

「部下に飲み物を頼んだだけだ。

…それより、ウィルウッドさん。実際にFBIが動いても問題ないんだよな?」

 

「酒を酌み交わす時間などないぞ」

 

ウィルウッドが首を横に振る。

 

「空を飛んでくるぐらいに暇なくせによく言うぜ。で、動けるのか?」

 

自分が呼んでおいてヒドイ言い草だ。

 

「日本で、か?」

 

「この事件で、だろ」

 

「…あぁ。何も制限は無い」

 

「そうか」

 

RGは満足げに頷いた。


 

 

「はぁ…はぁ…」

 

アイス・キャンディは驚いていた。

 

「『おら!待て!どこに行きやがった!』」

 

「『向こうじゃないか!?俺、あっちを探してくる!』」

 

 

彼は今、ビルの間で息を潜めている。

そして彼を追う大勢の若者。

 

「行ったか…」

 

平和で安全な国だと油断していた。

言いたいことも言えない小心者達が暮らす国だと。

 

だがそれは少し違う。

人情があるのと、秩序を守るのとでは話が違うのだ。

 

どこにでも、真っ当な道を歩めないアウトサイダーは存在する。

ギャングやマフィア、RGのようなヤクザ者もそうだ。

 

それにしてもアイス・キャンディは、敵を作る天才だと確信出来る。

 

「『どこだ!隠れてないで出て来い、ガイジン!』」

 

また、誰かが叫んでいる。

 

「…行ってなかったのか」

 

キャンディは深くフードを被った。

 

 

もちろん、彼が若者達から追われているのにはそれなりの理由がある。


不良の若者達を怒らせる事など簡単だ。

肩をぶつける。長く目を合わせる。

 

だが、その程度では一悶着あって終わるのが関の山だろう。

 

血眼になって誰かを追う人間に関係してくるのは『金』、もしくは『命』。

この二つだけだ。

 

もちろん、キャンディの場合は前者が関係していた。

 

不運だった、としか言いようがない。

 

誰も信用しようとしないキャンディの性格が招いた結果。

当然のごとく彼は銀行すらも信用しなかった。

 

たった数日間ではあるが、彼が他人に自分の金を預けられた事さえ奇跡的だ。

 

 

 

ほんの、一時間ほど前。

 

彼は口座から全額の金を下ろす為に、銀行にいた。

 

行員の驚く顔以外は特に問題ない。

 

「あ、ここにサインをお願いいたします」

 

「…」

 

個室の中。カタコトな英語で説明を受ける。

 

人目を気にする必要も無いので、キャンディはいたってラフな格好だ。

 

「現金でお引き出しでよろしいのですね?かなりの量になりますが…」

 

「…」

 

質問を無視して、彼は黙々とサインを書いた。


「はい、ありがとうございます。では、現金をお出ししますので少々お待ち下さいませ」

 

「…」

 

アパートなどの決まったねぐらは未だ確保出来ていない。

近くにホテルの部屋は取ってあるので、まずはそこへ金を運び出すつもりだ。

 

初めから永住する気もないので、アメリカに戻る時にはまた金を動かさねばならない。

 

ひどく疲労が溜まっているのか、キャンディがうとうとしていると行員が戻ってきた。

 

いくつもの段ボール箱を手押しの台車に積んでいる。

間違いなく、キャンディがこちらに持ち込んだ金だ。

 

「お待たせいたしました」

 

「あぁ。それで終わりか?」

 

「残り二箱あります。台車に乗せきれないので」

 

確かに彼の背後にも段ボール箱があるのが見える。

 

「しかし、どうやって運ばれるおつもりです?」

 

「タクシーだ。大荷物でも嫌な顔をしない奴を呼んでくれ。それから…」

 

「あ、はい。こちらです」

 

行員はさらに、胸ポケットから大きな茶封筒を取り出した。


大きく膨らんだその封筒には、日本の通貨である『円』の札束が入っていた。

 

「一万ドル分のみ、おっしゃられた通り日本円にしています」

 

「確かに。ありがとう」

 

百万円程度の額だ。

 

「いえ、お安い御用です」

 

「ここまでカードに疎い国も初めてだな」

 

「と、おっしゃいますと?」

 

「キャッシュを持ち歩かないと何も出来ない、って意味だ。

先進国が聞いて呆れる」

 

キャンディが立ち上がる。

 

「あ、あの!お急ぎでしょうか?」

 

「何だ?手短に話せ。タクシーは着いてるんだろうな?」

 

「はい!特別価格にて、ご融資など必要ございませんか?」

 

まただ。

メキシコでもそうだったが、金持ちには金を貸したがる。

回収率や額が高く、銀行の利益に直結するのだ。

 

貧乏人には見向きもしない。

 

「必要ない。返さなくてイイならもらってやるがな。

それだけか?」

 

「いや、それはちょっと…

もし日本に別荘の購入予定などございましたらよろしくお願いいたします」

 

「…台車を頼む」


「かしこまりました」

 

頭を下げる行員の横をすり抜けて、キャンディが歩き始めた。

 

その後ろをガラガラと音を立てながら、彼もついてくる。

よく見ると、さらにその後ろから若手の従業員二人組がそれぞれ台車に載せられなかった段ボール箱を一つずつ抱えてついてきていた。

 

「『おーい!君達二人が先導してくれないか。前が見えない!』」

 

「『はい!課長!』」

 

若手の内の一人が元気よく返事をして台車を押している行員の前に躍り出た。

確かに、彼の視界は高々と積み上げられた段ボール箱で完全に遮られてしまっている。

 

キャンディはチラリと一度振り返ったが、スタスタと自動ドアから店外へ出て行ってしまった。

 

「『あぁ!課長、ゆっくりお願いします。ちょっとした段差がありますので…はい、そのままお願いします!』」

 

「『あ!課長、危ないです!素早く行かないと倒れますよ!』」

 

前後を挟んでいる若手達から交互に声が上がる。

挟まれた行員は、てんやわんやだ。


「『ちょ、ちょっと君達!どちらかにしてくれないか!』」

 

ガツン。

 

案の定、台車は自動ドアに引っかかってしまった。

 

ガツン、ガツン。

 

何度も開け閉めを繰り返して身動きが取れなくなっている。

 

「…何をしてるんだ、アイツらは」

 

タクシーの側に立って待っているキャンディの眉間に皺が寄る。

 

「チッ…仕方ない。おい!何をしてるんだ、てめぇら!早くしろ!」

 

やむを得ないキャンディの怒号。

だが、この大声こそが運命の別れ道だった。

 

 

「は、はい!申し訳ございません!

『おい、君達も手伝ってくれ!君が後ろから押して、君は前から引いてくれ』」

 

台車を押している行員が、キャンディに向かって謝りつつも部下達に指示を出している。

素早く開け閉めを繰り返す自動ドアから、大人の男三人が必死で台車を助けだそうとする姿は滑稽だ。

 

「『いきますよ、課長!せーのっ!』」

 

「『そりゃっ!』」

 

店内の客達からもクスクスと静かな笑いが起きている。


 

 

同時刻。

 

「『おい、見ろよ!アイツら何だか面白い事してるぜ!』」

 

「『なんだ?…プッ!ギャハハハ!自動ドアに引っかかってやがる!』」

 

たまたま通りかかった二人の青年。

 

出で立ちは派手な金色に髪の毛を染めた男と、イガグリ頭にあごひげをたくわえた男だ。

二人揃って灰色のジップアップパーカーを着ている。

 

ペアルックなのかと一瞬目を疑うが、彼らはこの近辺で活動している不良集団のメンバーだ。

 

服装を揃えているのはファッションとしてだけではなく、アメリカのカラーギャング達と同じで仲間である証でもある。

 

「『でも、銀行であんなに買い物する事あるか?』」

 

「『バカか、お前!銀行で買い物なんかするかよ!何かの業者だろ!』」

 

「『バカにすんな!それにアイツらは業者じゃなくて店員だぜ!

ほら、見ろよ。トラックじゃなくてタクシーに積み込もうとしてる時点で…おぉ!あの、突っ立ってる黒人が客か!?やっぱり外人は金持ちだなぁ』」


ドープマンとレモンのコンビにひけを取らないくらいのおバカな会話内容だ。

 

「『外人は金持ちなのか?』」

 

「『そりゃそうだろ!わざわざ飛行機でやってくるんだぜ!?』」

 

坊主の男が両手を広げて上下に動かした。

翼をイメージしているのだろう。

 

「『…飛行機ってそんな鳥みたいな動きをするわけ?』」

 

「『多分』」

 

「『そうは見えねぇけど』」

 

「『だから、多分そうだって』」

 

「『多分…ねぇ』」

 

そんな会話をしている間にも、銀行員達が段ボール箱をタクシーにどんどん積み込む。

 

キャンディはタクシーの助手席に乗った。

 

「『よう、相棒。俺、思ったんだけどさ』」

 

「『何?』」

 

金髪の男が切り出す。

 

「『あの箱…もしかして現金じゃねぇか?銀行から貰えるのは金しかないだろ』」

 

「『マジで!?やっぱり金持ちだな、アイツ!』」

 

「『なんとかして、奪えないか?

仲間を集めてさ。俺達みんなで金持ちになれるかも』」


この発言。

キャンディを追い詰める引き金となる。

 

「『タケシ君に連絡しねぇと。お手柄だぜ、俺達!』」

 

「『あぁ!灰狼(High&Low)の幹部昇進間違い無しだ!』」

 

灰色の狼と書いてハイロウ。それがこの不良集団の名前らしい。

英語のHighとLowにも掛け合わせたネーミング。

 

名前を持たなかったメキシカンギャングの連中とは対照的だ。

 

構成員数はおよそ30名。

主にフリーター(アルバイトで生計を立てている者)や学生の若者から成り立っているが、上層部の人間は生業としてこの集団に属している。

 

活動内容はケンカ、恐喝、薬物の売買など。

後ろ盾として『ヤクザ』と呼ばれる団体が存在し、創設者がこの団体に一定額の金を毎月支払う事で非行を弾圧される事を避けている。

アメリカのギャングなどとは違うシステムだ。

 

警察に目を光らせる必要はあるが、薬などは流してもらえるので彼等の仕事は保証される。

ただしノルマが存在し、達成出来なければ自腹を切ることになってしまう。


悪ガキ達はショバ代のような感覚でそれを支払い、悪さに没頭する。

バックについているヤクザ組織は、もし若者達が何者かによって迫害された場合には動くと言うが、必ずしも助けてくれるとは限らない。

 

「『あ、タケシ君!?俺、ケンゾウですけど…』」

 

「『よう、ケンゾウ。どうしたんだ?』」

 

電話の向こう側は明るい声。

やや緊張している金髪の青年とは大違いだ。

 

公衆電話はそこら中どこにでも設置されてあった。

携帯電話を持ち歩く必要がないぐらいに。

 

「『あの、すげぇ量の金らしき物を一人で運んでるやつがいるんです!仲間集めたら絶対に奪えますよ』」

 

「『何?状況がよくわかんないけど』」

 

タケシは冷静だ。彼は灰狼の二番手にあたるリーダーで、若い連中からの信頼も厚い。

 

「『銀行から段ボールをいくつも運んでるんです。あ!タクシーが出ちまう!

また電話します!すんません!』」

 

銀行員達に見送られながら、キャンディと金を乗せたタクシーが走り出した。


「『おい、ケンゾウ!タクシーが!』」

 

公衆電話のボックスから出てきた金髪の青年に、坊主の青年が叫ぶ。

 

「『わかってるよ!俺達も早くタクシーを捕まえるぞ!』」

 

「『え!?何で!?』」

 

「『は!?追いかけないの!?』」

 

「『追いかけるのか!?刑事ドラマみたいだな!』」

 

そう言いながら道路の方を向き、坊主頭の男が右手を上げた。

キレイに垂直に伸びている。まるで選手宣誓をするアスリートだ。

 

「『タクシー!』」

 

「『タクシー!』」

 

すぐ横に金髪の男も並んで、まったく同じポーズを取った。

 

「『あん?なんで止まらねえんだ!クソッタレ!』」

 

「『タクシー!』」

 

キッ。

 

ようやく止まった一台のタクシー。

鮮やかな黄色のペイントを施された車だ。

 

「『来た!』」

 

「『よし、乗れ!おっちゃん!あのタクシーを追いかけてくれ!』」

 

「『え?どれ?』」

 

だが、キャンディが乗ったタクシーは遥か彼方だ。


突如、不可解な事を言われたドライバーの男性は困惑している。

 

「『あれだよ、あれ!』」

 

「『出してくれ!早く!』」

 

二人組が後部座席に滑り込んだので、彼は仕方なくドアを閉めてアクセルを踏み込んだ。

ちなみに、日本国内を走るタクシーには運転席からスイッチ一つで後部座席左側のドアを自動開閉出来るシステムがついている。

 

「『うぅ…やっぱり乗せなきゃよかった』」

 

「『ん?何か言ったか、おっちゃん?』」

 

「『いいや、なんでもないよ』」

 

ぼそりとドライバーの痛切な心境が声に出ている。

やはり、後ろにいる二人組がタクシーをなかなか止められなかったのには原因があったのだ。

 

ドライバー達にも客を選ぶ権利はある。

つまり、そういうことだ。

 

「『で、結局どの車を追えばイイんだい?』」

 

「『わからないんだったら俺が指示するぜ!あ、そこの交差点を右だ!』」

 

金髪の男が意気揚々とドライバーを誘導し始めた。

坊主頭の方はしっかりシートベルトをして腕を組んでいる。


「『右…っと』」

 

「『チンタラすんな、おっちゃん!あのタクシーに追いつけないと運賃は払わないぜ!』」

 

「『え!?そんな!支払いはきちんと頼むよ!』」

 

これは効く。

タダ働きほど辛いものは無いからだ。

 

綿密に言うと『タクシーに追いつけないと払わない』ではなく『払う金はない』なのだが。

 

キャンディが運んでいるのは確かに現金だが、もしそうで無かった時や金を奪えなかった時の事などまるで考えていない。

 

「『追いつけばいいだけだろ!成功したら一万円くらいチップもやるからよ!』」

 

「『そのタクシーに何があるんだい?』」

 

「『段ボール箱に決まってるだろ!』」

 

意味不明だ。

 

坊主頭の青年がくすりと笑い、タバコを吸っている。

 

「『ふ…ケンゾウ、段ボールの中身が重要なんだろ』」

 

「『今、笑ったか?カッコつけんな、ハゲ』」

 

「『んだと!外人頭!』」

 

低レベルな言い争いだが、もちろんただの冗談だ。

 

 

彼等のタクシーは、徐々にキャンディへと近づいていった。


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