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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
2/34

Sucker M.C.'s

『Sucker…未熟者』

 

1988年。

 

ガヤガヤとした賑わいが、すぐ近くから聞こえてくる。

 

光はわずかにそちらから漏れてきているだけだ。

 

「おい」

 

裏通り。

少し背の高いビル達の陰となっている場所。

 

賑わいは大通りを歩く人達の、光はきらびやかな街灯のもの。

 

それらがこの裏通りに入ってきているわけだ。

 

「お前…キャンディだな?」

 

一人の大男が声を掛ける。

口元はゲジゲジのヒゲだらけで、頭にヤンキースのベースボールキャップを被っている。

 

オーバーサイズのデニムにダウンジャケット、太くてゴツゴツした金ピカのチェーンネックレスを首からぶら下げていた。

 

「…」

 

声を掛けられた方は、一言も発しない。

 

背は低い。

上下真っ黒いスウェットに身を包み、そのフードを深々と被って顔はまったく見えない。

 

唯一露出している褐色の両手から、その者が黒人である事だけが分かった。

 

「なんとか言えよ?お前、アイス・キャンディだろ?」

 

「…客か?」

 

フードの男が短く答える。


「あぁ、客だ。ようやく見つけたぜ…キャンディ」

 

大男がにこやかに笑いかける。

 

だが、アイス・キャンディと呼ばれた男はそれを無視した。

 

「悪いが…俺は、誰にでも商売するわけじゃないんだ」

 

彼がくるりと大男に背を向ける。

 

慌てて大男がキャンディの肩を掴む。

 

「何!?ふざけるなよ!

ニューヨーク中を探したんだぜ!?

『アイツにかかれば手に入らない物は無い』って誰もが口を揃えて言うんだからよ!」

 

そう。

ここは、ニューヨーク。

 

西海岸のロサンゼルスとは真逆、アメリカの東側に位置する大都市だ。

 

キャンディは迷惑そうに振り向いて、フードをさらに深々と被った。

 

細かい雪がちらつき、吐く息はわずかに白く目に見える。

 

「だから俺は…客を選ぶ…」

 

「そうかい。これでもか?」

 

ガチャリ。

 

キャンディに銃口が向けられる。

 

「…やめておけ」

 

「だったら話を聞けよ!俺はヤクが欲しいんだよ!」

 

アイス・キャンディ。

 

彼が取り扱うのは、麻薬だった。


「…」

 

「チッ」

 

銃をつきつけられても、驚いた反応をしないキャンディ。

 

大男は舌打ちして銃を腰のベルトにさした。

そしてそのまま勝手に話を進め始める。

 

「おい。どれくらいの量まで売ってくれる?」

 

「どれほどでも」

 

キャンディは「ヤクを売る」と言わなくても、質問には答えた。

 

「それじゃ、コカインを買えるだけ。

これで…どうだ?ベンジャミンがこれだけある。デカイ買い物だろ」

 

大男がポケットから汚れたベンジャミンの束を取り出し、ヒラヒラと自慢げに見せびらかす。

 

ちなみにベンジャミンとは『金』『札束』などを表すスラングだ。

 

立派な100ドル札。

キャンディが目を見開く。

 

こんなにデカイ客は、そう多くない。

この大男は、見た感じから想像も出来ない程の羽振りの良さだった。

 

「…分かった。

ただ、今は持ってない。路上で売るのは少量が基本だ」

 

「売ってくれるのか!?やったぜ!

俺があのアイス・キャンディの『客』になった!」

 

大男はキャンディの背中をパンパンと叩く。

 

「…よしてくれ。俺は俳優じゃないんだ」


「何を言ってんだ、キャンディ!俳優もアンタも似たようなもんだぜ」

 

「そいつはありがとよ。

それで?いつがイイ?今は無理だが、すぐにでも用意できる」

 

キャンディは内心、たくさんの金を受け取れる事に心躍らせていた。

だが、そんなことは表情にも出さない。

 

もちろん、フードを深く被っている事がそれを助けているのも事実だ。

 

彼は、泣きもしなければ笑いもしない。

『人に見せない』というのが正しいのかもしれないが。

 

「じゃあ、すぐに頼む」

 

「一時間後だ」

 

「分かった。俺は『ビッグD』。

頼んだぞ、アイス・キャンディ」

 

そこで会話は終わった。

 

 

 

キャンディは自宅へと歩いて戻る。

もちろんヤクを取りに。

 

彼は、すべての商品を自宅に保管しているのだ。

 

 

先程の裏通りから、そう遠くはない場所にある三階建てのアパート。

 

オレンジ色のレンガで出来た外壁は、所々が壊れている。

 

カツン。カツン。

 

キャンディが錆びた鉄の階段を上がる。

 

「…」

 

二階。

 

一つの扉の前に立った彼は、ポケットから鍵を取り出した。


 

彼の部屋。

 

ガランとしている。

 

テレビも、ラジオもない。

 

テーブルやイス、ソファもない。

 

絵や花、写真の一枚も飾っていない。

 

玄関からちょうど真正面に、小さな窓が一つ。

 

壁はくすんだクリーム色をしている。

 

ネズミ色の床は、天井に下がっている裸電球に照らされていた。

 

小さな窓の側にある古いパイプベッド。

 

その右の壁にはクローゼットがある。

 

「コカイン…」

 

キャンディは乱暴にクローゼットを開けて、ブツブツと独り言をつぶやきながら商品を手に取った。

 

「こんなもんか…」

 

小分けされたコカインの袋を、いくつかポケットに押し込む。

 

そしてベッドに座り、敷き布団の下に手を突っ込んだ。

 

 

「ビッグD…使わせないでくれよ…」

 

そう言った彼の手に握られていたのは拳銃だった。

 

それをスウェットの袖に隠す。

 

先程、大男は簡単に銃をチラつかせた。

 

羽振りは良くても、ちゃんと金を払うかは…まだ分からない。


ベッドとクローゼットしかない部屋を出る。

 

鍵を閉め、階段を下りて建物の外に立つと、雪が激しくなっていた。

 

気温も低くなったように感じる。

 

 

暗い裏通りを再び歩いて、先程の場所まで戻るキャンディ。

 

途中、ダストボックスの陰で寒そうにうずくまっていた物乞いに声を掛けられた。

 

「おい、アンタ。金か、何か食う物持ってないか?」

 

ズタボロのコートに、破れたジーンズ。

黒いニット帽を被っている。

 

何日間も体を洗っていないのか、男からはすごいにおいがした。

 

「黙れ」

 

「酒でもイイぞ!何か持ってないか?」

 

キャンディの冷ややかな反応も無視し、物乞いは白い息を吐きながら詰め寄る。

 

「触るな!」

 

パシンと物乞いの手をはじき、キャンディは怒鳴った。

 

「…な!なんだよ…そんな怖い声出すなって!」

 

「早く失せろ!クズが!」

 

「分かった分かった!

なんだよ!まったく…」

 

物乞いは悪態をつきながらどこかへ消えていった。


キャンディは『薬の売人』という存在でありながら、物乞いや麻薬中毒者、ギャング、マフィアなど…世間一般から、煙たがられている連中を嫌う。

 

それも過剰すぎる程に。

 

麻薬を売って生きていながら、麻薬を買いにくる客をも、差別的で冷ややかな目で見ているのだ。

 

「クソ…汚らわしい手で俺の服を掴みやがって。

あんな臭い奴が、同じ人間だなんて思いたくもない…」

 

わずかにだが、物乞いの手が触れた肩の部分を、彼はゴシゴシと手でこする。

 

 

だが、このアイス・キャンディという男。

 

彼が売人を生業として、忌み嫌う連中から確かな信頼を得てきたのも事実だ。

 

ビッグDの口からは「あのアイス・キャンディの客に」などという言葉が出た。

 

それほど、このニューヨークの裏の連中の間では名の通る麻薬の売人。

 

 

だが、その生活は決してきらびやかな物ではない。

 

古いアパートに住み、移動手段は徒歩。

 

立派な豪邸も、高級な車も彼の手元にはない。

 

彼には、多くの秘密があるようだ。


 

「早かったな!」

 

ビッグDが先程の様に、にこやかに話し掛けてくる。

 

「あぁ。ずっとここで待ってたのか…待たせたな」

 

「別にイイさ!家かアジトみたいな場所はここから近いのか?」

 

ビッグDはキャンディに質問したが、彼は無視した。

 

辺りを少し見回して、ポケットからコカインを取り出す。

 

「ブツだ。これだけあれば充分だろ」

 

「おっ!ありがとよ!」

 

キャンディの方へとビッグDが手を伸ばす。

 

だが、キャンディはサッと手を引いた。

 

ビッグDの右手が空を掴む。

 

「金を」

 

「あん?分かった分かった!払うから先にヤクを」

 

ビッグDの顔に一瞬、焦りの表情が浮かんだのをキャンディは見逃さない。

 

「払わない気なら、コイツは諦めた方がイイ。

俺も仕事だ。タダでくれてやるわけにはいかない」

 

「たとえ…」

 

ビッグDの手が自らの腰に動くと同時に、キャンディも袖へと右手をやる。

 

「たとえ、お前が銃を出して俺を脅したとしてもな」

 

二人は互いに銃を構えたまま睨み合った。


 

すぐに銃をしまったのはビッグD。

 

苦笑いをしながら腰に銃を戻している。

 

キャンディは動かない。

依然としてビッグDに銃口を向けたままだ。

 

フードのせいで顔色もうかがえず、彼が何を考えているのかビッグDからは分からない。

 

「キャンディ。俺が悪かった。ほら、金は払う」

 

おずおずと、ビッグDの大きな手からベンジャミンがキャンディに差し出される。

 

彼は銃を下ろす事なく、片手で金を受け取った。

 

そして乱暴にコカインの入った袋をビッグDに投げる。

 

「金さえ払うなら、俺は文句は言わない」

 

「お、おぉ。すまなかった」

 

ビッグDが地面に落ちた小袋をつまみ上げる。

 

「行け」

 

「ありがとよ。また頼むわ!」

 

調子のイイ事を言いながら去っていくビッグD。

 

「金さえ払うならまた取り引きしてやるよ…」

 

その後ろ姿を見つめながらキャンディはつぶやいた。

 

金…金…金…

 

彼が嫌いな連中と付き合い続けているのは、強い金への執着心が関係しているようだ。


 

家路につき、ベッドに座ったキャンディ。

 

報酬の金を、明かりに当ててマジマジと見つめる。

 

「…?」

 

ちょっとした違和感。

キャンディの頭はそれを感じた。

 

「…なに!!コイツは!」

 

彼の感じた違和感は、間違いでは無い。

 

…ニセ札。

 

ビッグDがキャンディに手渡したのは、巧妙に作られたニセ札だったのだ。

 

「クソ!騙された!あの男!」

 

アイス・キャンディはガン、と壁を蹴る。

 

「だが…」

 

もう一度、彼は手の中でクシャクシャになっているニセ札を明かりに照らして見る。

 

「だが…コイツは…すごい…!」

 

そのニセ札は、パッと見ただけでは分からない程、精巧につくり込まれている。

 

明かりに照らしてじっと見つめる事で初めて、わずかなインクのかすれやラインのズレが見てとれる、というくらいだ。

 

「ビッグD…」

 

少し前までの『怒りの声』ではなく、まるで恋人の名を呼ぶかのように優しい声。

 

フードの奥にあるキャンディの目は、獲物を見つけたハイエナのように鋭くなった。


 

 

「よう、ニガー!」

 

「よう!戻ったか!どうだった!?」

 

ビッグDが部屋に入ってくるなり、すぐに話し掛けてきた一人の男。

 

小柄で痩せた体系。

クルクルと細かく巻いた天然のパーマ頭。

 

室内は温かく、彼はタンクトップにハーフパンツを身につけているだけだ。

 

ビッグDもすぐに、ゴワゴワとしたダウンジャケットを脱ぎ、その男が座っているソファに投げた。

 

ちなみに『ニガー』とは、黒人同士で呼び合う時に使う言葉で、本来の意味合いでは差別用語。

しかし、彼等の間では頻繁に使われる代名詞だ。

 

 

ここはキャンディがいるアパートから、そう離れていない別のアパートの一室。

 

そこに先程キャンディを騙して、コカインを手に入れたビッグDがやってきた。

 

つまりここは彼の根城という事だ。

 

「アイス・キャンディ…思ったよりも切れ者だったぜ!ベンジャミンを使うハメになっちまった!」

 

ビッグDは男の隣、自分のジャケットを投げやったその上に、ドスンと腰を下ろした。


「当たり前だろ!タダで貰えるかよ!

しかし、さすがはキャンディだ!」

 

「『アイス・キャンディ』の通り名は飾りじゃなかった!

お前が苦労して探してくれた甲斐があったぜ、コービー!」

 

もう一人の男の名前はコービー。

ビッグDの良きパートナーといったところだ。

 

「わざわざここへ引っ越したりしてな!

俺も必死で探したからよ。

キャンディの扱うヤクの質は間違ないのか、ビッグ?」

 

「あぁ!まだ試してないが、とんでもない上物に違いないぜ!」

 

「そりゃイイ!これからも、このニセ札でキャンディと取り引きを続けられるんだよな?」

 

コービーがビッグDの肩を叩く。

 

「もちろんだぜ!いくら裏の世界を渡ってきた『アイス・キャンディ』と言えども、ニセ札を掴まされたとは気付いてねぇよ!」

 

彼等はキャンディと取り引きを続けたいと思っていたようだが、もしビッグDが銃をつきつけた時点でキャンディが「絶対に取り引きをしない」と言ったらどうするつもりだったのだろう。


この二人。

 

絵に書いたような『大馬鹿者』で、クスリを使ったり、人を傷つけて金を盗んだりと、後先の事を考えて行動するような人間ではない。

 

そんな連中がわざわざ計画的に引っ越してまで手に入れたかったという事から、キャンディの扱う商品がいかに有名で、かつ上等であるかが分かる。

 

 

だが彼等にもニセ札という大きな武器がある。

 

実はこのニセ札、彼等自身で生み出している、いわゆる『お手製』だ。

 

「さて、俺も少し仕事をしようかな。ゆっくりしててくれ、ニガー」

 

コービーが立ち上がった。

彼こそが高い技術を持つニセ札づくりの名人なのだ。

 

机に向かい、照明を当て、本物のドル札と睨めっこしながらフリーハンドで一枚一枚、丁寧に時間をかけて書いていく。

 

決して褒められた行為ではないが、コービーの『複写する』能力がかなり高いのも否定できない事実。

 

キャンディが売人のカリスマである様に、コービーも知られざるカリスマである事は間違いない。


「コービー!」

 

「なんだよ!今、集中してる!」

 

コービーは机の上から目を離す事なく、ビッグDへ返事をした。

 

「腹が減ったからピザを取るけど、何がイイ!」

 

ソファでゴロゴロしながらビッグDが言う。

その手には受話器が握られていた。

 

「何!?ピザか!サラミがたっぷりのヤツがイイ!」

 

「分かった!」

 

コービーからの返事を受け取ると、ビッグDはピザ屋にデリバリーを頼もうとダイヤルボタンに指を伸ばす。

 

だが。

 

「…コービー!」

 

すぐにまたビッグDの声が部屋に響いた。

 

「今度はなんだ!」

 

「ピザ屋のテレフォンナンバーわかるか!?」

 

「知るか!隣りの部屋の奴にでもきいて来いよ!」

 

引越してきたばかりの彼等は、この辺りの事は何も分からないのだ。

 

「分かった!」

 

バタン!と扉を閉める音を立てて、ビッグDは部屋を出て行ったが、すぐさま扉から彼は顔をのぞかせた。

 

「コービー!」

 

「あぁ!?早く行けよ!」

 

「隣りの部屋って、右の部屋と左の部屋、どっちがイイ!」

 

「くたばれ!」


 

部屋にチーズの焼けたイイ匂いが広がり、二人は並んでソファに腰掛けた。

 

よく冷えたボトルコーラが二本、テーブルに置かれている。

 

「ふぅ…ようやく休憩できるぜ!」

 

「おい、腹ペコだ!食おう食おう」

 

ビッグDがピザの入っている箱を開けた。

 

チーズの匂いがよりいっそう強くなる。

 

「ニガー!またニセ札が溜まったら、キャンディの所へ行くんだよな?どれくらい用意すればイイんだ?」

 

ピザを片手にコービーが言う。

 

だがビッグDは頷いたりはしなかった。

 

「それがよ!ついさっき、俺はなんとも天才的な事を思いついたぜ!」

 

「何!聞かせろよ!」

 

「ニセ札で買ったドラッグを高い値段で、誰かに横流しするのさ!

そしたら俺達はアッと言う間に大金持ちだ!」

 

もちろん彼等には、誰かアテになるヤクの買い手がいるわけではない。

 

「なんてこった!どうしてお前はそんなことを思いつくんだよ、ビッグ!

早速、行こうぜ!俺達が使っちまう前によ!」

 

コービーが言った。


 

「で?」

 

「でって…なぁ?」

 

彼等二人が出向いたのは、先程キャンディとヤクの取り引きをした場所だ。

 

誰もいない。

 

もし誰か客がいたとしても、おそらくはアイス・キャンディの客。

 

わざわざ高い値段で、ビッグDとコービーからヤクを買うわけもない。

 

「チッ…だからお前は役立たずなんだよ!ただデカイだけだ!バカヤロウ!」

 

コービーが文句をたれる。

 

「なんだと、クソ!てめぇ、さっきは『なんてイイ事を思い付くんだ』って喜んでたじゃねぇか!ブッ殺すぞ!」

 

「黙れよ、ブタ!客がいないんじゃ、誰にも売れないだろ!少しは考えて喋れよ!家畜め!」

 

彼等が罵声を浴びせ合ってケンカをするのはいつもの事だ。

 

頭は悪いが、なんだかんだで仲が良く、長い間つるんで来た。

彼等は小さい頃からの幼馴染みだ。

 

 

「おい!人だ!」

 

ビッグDが言う。

 

しばらく言い争っていた二人の近くに、一つの人影が現われたからだ。


「おい、アンタ!買っていかないか?」

 

コービーがその人影に話し掛ける。

 

「上等なブツがあるぜ!」

 

ビッグDもそれに乗じた。

 

人影は黙ったまま、彼等の元へ近付く。

 

「おい!買っ…!」

 

「ん、何だって?何か言ったか?」

 

ようやく二人から、ソイツの姿が確認できる。

 

「やっべぇ…!逃げるぞ、ニガー!」

 

コービーがすぐに叫んだ。

 

彼等の目の前にいるのは、制服を着た警察官。

 

なぜか一人だ。

 

「あ!こら!待て!」

 

バタバタと走って逃げ始めた二人の男を、一人の警察官が追いかける。

 

 

ビルとビルの合間をぬい、ビッグDとコービーは走った。

 

彼等には土地勘がないのでメチャクチャに走り回る。

警察官は徐々に彼等との距離を縮めてきている。

 

コービーが後ろを振り返った。

 

「クソ!おい、ビッグ!二手に別れよう!」

 

「はぁ…!はぁ…!分かった…!」

 

ビッグDは早くも息が荒れていて、寒空の下に彼の吐く真っ白な息が映った。


 

「うぉぉぉ!!」

 

静かな裏通りが、叫び声で騒がしくなる。

 

「待て!こら!」

 

「何で俺を追ってくるんだよぉぉ!!」

 

大きな体が全速力で走っていく。

 

警察官は二手に別れた彼等の内、ビッグDを追いかける事を選んだのだ。

 

「待てと言ってるだろう!」

 

「やべ…!放せっ!」

 

ついに警察官がビッグDの服を掴んだ。

 

そのまま足をかけて彼を地面に倒しにかかる。

 

「観念しろ!」

 

「ぐわぁ!」

 

ビッグDは俯せに倒されてしまった。

 

警察官が銃を腰から抜く。

 

「どうして逃げたんだ!?

おい、動くな!両手を頭の上に組め!」

 

「く…畜生…」

 

尚も逃げようと、ピクリと動いたビッグD。

 

当然それは許されない。

 

警察官はゴソゴソと彼のズボンをあさり、ベルトにささった銃を見つけた。

 

「…これは持ち歩いちゃダメな物だ。

あとは…何も無いみたいだな」

 

「クソ…」

 

ガチャリ。

 

ヒンヤリした鉄の枷が彼に触れる。


 

 

二時間後。

 

部屋に戻ったコービーはビッグDを待っていた。

 

『さすがに遅い』と思い始める。

もちろん彼はここには戻らない。

 

「…」

 

当時は携帯電話もそこまで普及しておらず、彼等もそんな高価な物は持ち合わせていなかった。

 

ギィと音を立ててソファから立ち上がるコービー。

 

クスリは部屋の中に隠してある。

 

彼は上着を羽織り、明るくなり始めた外へと出た。

 

 

一緒に警察官から追われていた仲間が帰ってこないならば、行き先は三つ。

 

警察か。

 

病院か。

 

…墓場か。

 

 

まだまだ分からない土地を彷徨う。

 

そしてコービーがやっとの思いで最初に辿り着いたのは、地元の警察署だった。

 

二階建ての新しい外観。

 

自動ドアをくぐって中に入る。

 

入口から近いオフィスを覗くと、慌ただしいとまではいかないが、数人の職員達が仕事をしていた。

 

彼は恐る恐る、中へと歩みを進めたが、誰も気に止めた様子は見せない。


「チッ…なんで俺がこんな所まで…」

 

ビッグDがいるかどうかは分からない。

 

もちろんコービーは、用さえ無ければ警察署になど来たくも無いのだ。

 

彼はイライラしながら、もう一度職員達の働くオフィスを見渡した。

 

「バカげてる」

 

職員の誰かに『仲間はここに来てるか』だなんて、ききたくはない。

 

彼はクルリと振り返ってその場を後にしようとした。

 

が。

 

「おい…おい!コービー!」

 

「…!げっ!いやがった!」

 

奥の方から聞こえてきた声。

 

手錠をハメられたまま、警察官に連れられてソイツは現われた。

 

取り調べを受けていたに違いない。

 

「ん?あ!お前は!」

 

警察官が言う。

 

彼はビッグDを追いかけて捕まえた警察官だ。

当然、逃がしてしまったコービーの顔も記憶に新しい。

 

「クソ!ビッグ!またな!」

 

コービーはバタバタと駆け出した。

 

「あ!待て、お前!話を…!」

 

「おい、ニガー!待てよ!」

 

警察官とビッグDが同時に叫ぶ。


 

 

「まったく…!

とにかく!お前は何日間か、ここから帰ってもらうわけにはいかないからな!」

 

警察官がビッグDを引っ張る。

 

コービーの姿はとっくに見えなくなっている。

 

「クソ…あのヤロウ!金の少しくらい作ってくれてもイイじゃねぇか!なぁ?

次に会ったらタダじゃおかねぇぞ、あのチビ」

 

ビッグDが怒鳴り声で文句を言った。

 

「フン…少しは反省したらどうだ?だいたい、アイツも一緒に逃げたんだから同罪だぞ。仲間なんだろ」

 

「知らねぇよ!捕まえたきゃ捕まえて来い!」

 

「どこにいるか分かるのか?」

 

会話しながらも、二人は署内を歩いている。

 

もっとも、ビッグDは引っ張られているので『歩かされている』だけだが。

 

「それも知らねぇ!適当にその辺を探してくればイイだろ!」

 

彼は無意識の内に嘘をついた。

 

いくら文句を言っても、心の奥底ではコービーの事を守ろうという気持ちが彼にはあるのかもしれない。


「まぁイイさ。おい、シャンと歩け!」

 

ダラダラとふてくされた様に歩いているビッグDに警察官が怒鳴る。

 

「うるせぇなぁ!さっきからずっと俺を犬みたいに連れ回しやがって!一体どこまで行くんだよ!」

 

「牢に決まってるだろう!しばらく反省するんだな!」

 

パシン!と警察官がビッグDの頭を叩く。

 

「いてっ!何すんだ、てめぇ!」

 

「あ、そういえば」

 

食ってかかるビッグDを無視して、警察官は何かを思い出したようにそう言った。

 

「あん?なんだよ?」

 

「お前達…『何かを売ってくれる』とか言って無かったか?

もしや、売人か?それなら話は大きくなるんだがな」

 

「え!?そ、そんなこと言ったか!?

べ、別にコカインなんか売ろうとしてねぇよ!」

 

ビッグDは慌てて拒否する。

 

取り調べの時には出なかった話だ。

 

「コカイン?何の事だ?」

 

「あ…!いや!コカインみたいなドラッグ類は売ってねぇよ!って話だぜ!」

 

「ほう?じゃあ、何か他の物を売ってくれるんだな?」


ビッグDの背中に冷や汗が流れる。

 

「ほ、他の物!?おぉ!そうだそうだ!」

 

「そうか。マリファナだな?」

 

「違うわ!えーと…その…あれだよ」

 

彼が必死でごまかそうとする姿は滑稽だった。

 

警察官も何か感づいてはいるようだが、大事なのは罪を重ねさせる事ではなく、反省させる事。

 

ビッグDやコービーがドラッグの売人かどうかは分からなくとも、麻薬を売り買いしたり使う事が『いけない事』だとしっかり自覚してもらえればそれでイイ。

 

「あれとはなんだ?」

 

「えーと…ピザ!

そう!ピザだよ!」

 

 

時間が止まった気がした。

 

「ピザ…?ハハハ!ピザを路上で売ってるのか!それもあんな裏通りで!

もっとマシな嘘をついたらどうだ!」

 

「うるせぇ!俺はピザが大好きだって話だろうが!」

 

「何を言ってるんだ?もうイイ。お前がユーモアにあふれる人間だって事はよく分かったよ」

 

警察官のその言葉に、ビッグDはひとまず胸をなで下ろす。

 

彼等は牢に到着した。


「さぁ、おとなしく入れ」

 

「チッ…!分かった分かった!いちいち触るな!気持ち悪い奴だな」

 

軽く背中を押され、警察官に悪態をつくビッグD。

 

彼は鉄格子の扉から、コンクリート張りの冷たい部屋に入った。

 

「おら!さっさとこのシャレたブレスレットを取れよ!」

 

そう言いながら彼が警察官に向けて両手を差し出す。

 

警察官は歩み寄り、手錠を外す。

 

ガチャン!

 

そして、牢の扉が大きな音を立てて閉められた。

 

「それじゃ、余計な面倒は起こすなよ」

 

「おい、待てよ!俺はいつ出れるんだ?」

 

「それは私にきかれても分からないな」

 

警察官は冷たく答える。

 

「なんだよそれ!勝手に捕まえといて適当な事言うなよ!」

 

ビッグDの言い分はメチャクチャだ。

 

これには警察官も苦笑する。

 

「『勝手に』って…お前が銃なんかぶら下げてなげれば捕まえたりしなかったんだぞ?」

 

「銃くらい誰でも持ってるだろ!」

 

「じゃあ、お前はちゃんと許可を取ってたか?」


ビッグDは一瞬、キョトンとして「わけが分からない」という顔になった。

 

「…ん、許可?許可って何の?」

 

「あきれた奴だな。銃を購入する際には登録書へ個人情報を記入するだろう?」

 

「何わけの分からない事言ってるんだよ、お前!そうやって俺の銃を取り上げる気だな!?

あれは俺が買ったんだから俺の銃だ!間違いねぇ!」

 

ビッグDは憤って鉄格子を蹴りつけた。

 

ガシャン、と激しい音が響く。

 

「どこまでもバカな奴だな。誰から買ったのか気になるが、まぁイイ。

よく頭を冷やすんだ」

 

「ふん!」

 

「それじゃあ、勤務時間の終わりも近いから私は失礼するよ」

 

「…」

 

ビッグDが黙り込んだので、警察官はようやく彼の元から立ち去る事が出来た。

 

 

 

それから数分も経たない頃。

 

「おい」

 

誰かの声。

 

「おい、アンタ」

 

「あぁ?」

 

どうやらビッグDの他にも、牢に入れられて反省を強いられている者がいたようだ。


「誰だよ!」

 

「俺か!俺はジョンだ!」

 

顔の見えない男が自己紹介する。

 

彼はビッグDの隣りの牢に入っている。

 

同じフロアには他にもいくつか牢があったが、それらの中には誰もいないようだ。

 

「ジョンか!俺はドナルドだ!ビッグDって呼んでくれ」

 

「分かった!ビッグD!仲良くやろうぜ!」

 

ジョンという男はビッグDと同じく、フレンドリーで楽観的な性格らしい。

 

「ビッグ!」

 

「おう!なんだ!」

 

「俺は車の窃盗の現行犯とやらでパクられたんだが、アンタは何をやらかしたんだよ!」

 

悪びれる様子など一切感じさせない明るい声。

 

「俺は銃を持ってたら捕まった!わけわかんねぇよ!」

 

ビッグDが答える。

 

「そうか!そりゃ確かにおかしいよな!

俺も、キーが挿さりっぱなしだった車を少し借りただけなんだよ!」

 

「借りただけ?じゃあ捕まるのは間違いじゃねぇか!」

 

「だよな!」

 

一瞬の間に彼等二人は仲良くなってしまった。


「ジョン、お前も今日ここへ来たのか?」

 

今度は逆にビッグDがジョンに質問する。

 

「あぁそうだ!暇で暇で仕方なかったからよ!アンタが来てくれてよかったぜ!」

 

「そうか!喜んでくれて光栄だ!捕まってよかったのかもな」

 

ビッグDがふざける。

 

そしてしばらく二人は笑いながら話していたが、ふとビッグDがつぶやいた。

 

 

「あぁ…早く出たいなぁ。何日くらいここでダラダラしてればイイんだよ」

 

「ん?ビッグ!何かやりたい事でもあるのか!」

 

陽気なジョンはビッグDの言葉を聞き逃さない。

 

「おう!デカイ商売をおっぱじめるんだ!」

 

「何!?商売!?」

 

もちろんジョンのような性格の人間が、こんな面白そうな話を放っておくはずがない。

 

「何だか楽しそうじゃないか!詳しく聞かせてくれよ、ビッグ!」

 

普通ならば、内容からして簡単に話してイイ事ではない。

 

だがビッグDはジョンに対して、不信感など微塵も無かった。

 

「ん?お、おぉ。実はな…」


 

 

再びアパートへと戻っていたコービー。

 

机につき、うつむいて、ブツブツと呪文を唱えるように何かをつぶやいている。

 

もちろんビッグDを助ける事など不可能だったが、仲間を見捨てた、力が及ばなかったなどと悔やんでいるわけではない。

 

 

彼はすでに新しい仕事に取り掛かっていた。

 

両目でドル札を見つめて、右手は慎重にそれを模写している。

 

ビッグDの事を裏切ったつもりはない。

 

だが、特に助けてやるつもりもない。

 

しばらくしたら勝手に帰ってくるだろう。

 

コービーはただ、そう考えただけの事だ。

 

「チッ…!また失敗だ」

 

途中まで肖像画を描き終えた紙を丸めて捨てる。

 

わずかな手元の狂いも、彼は許さないのだ。

 

 

ガンガンガン!

 

「…!」

 

突然聞こえてきた、ドアをノックする音。

 

一気に集中が途切れる。

 

ガンガンガン!

 

そしてもう一度。

 

「誰だよ…ビッグか…?」

 

コービーは立ち上がった。

 

だが、玄関のドアへと向かう足はすぐに止まる。

 

「まさか…サツか…?」


ドアにゆっくりと近付いて、背中で張り付く。

 

「誰だ!」

 

コービーが叫んだが、返事は聞こえない。

 

不気味に感じる。

 

「おい!返事をしろよ!

イタズラのつもりなら承知しないぜ!」

 

「…か?」

 

「…!」

 

わずかに、誰かの声が聞こえた。

 

ビクリとコービーの体が反応する。

 

「…は!?何だ!」

 

「ビッグD…か?」

 

ハッキリとそう聞き取れた。

 

「ビッグ!?ビッグならいねぇよ!捕まった!」

 

「そうか…」

 

「お前は誰だ!どうしてここにビッグがいる事を知ってる!」

 

コービーは謎の男に警戒心むき出しで叫ぶ。

 

 

しばらく、間があいたが、返答があった。

 

「キャンディ、といえば分かるか?」

 

「何!?アイス・キャンディか!?」

 

キャンディと名乗ったその男。

 

彼はビッグDを追って、すぐにここを探し当てたのだ。

 

コービーは扉を開け、彼を家の中へ招き入れた。

 

彼がニセ札の存在を知り、事実上探しているのはコービーであるとは知らずに。


 

部屋に入ったキャンディ。

 

グルリと部屋の中を見渡し、彼はすぐに机の上の作業に着目した。

 

途中まで描かれたドル札、インクやペン。

 

机にだけ、やけに明るい蛍光灯が備え付けられているので嫌でも目立つ。

 

コービーは初めてそこで「ヤバイ」と思う。

ニセ札をつくっている事がバレてしまった、と。

 

キャンディが言った。

 

「お前はビッグDの仲間…だよな?ニセ札をつくれるのか?」

 

「え…いや…!アンタとの取り引きでは使ってないはずだぜ!」

 

コービーの返事は質問には答えていない。

 

彼はドラッグの取り引きの話が進むと思ってキャンディを招き入れたが、自分達の尻尾をすべて掴まれてしまう結果になった。

 

「じゃあ、用があるのはビッグDじゃない。

お前に用がある」

 

キャンディはスウェットのポケットから、ニセ札を取り出した。

 

「な…なんだよ!」

 

「お前。俺と仕事をやらないか?

二人でな」

 

キャンディの眼光は、拒否を許さないとでも言うかのように鋭かった。


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