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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
18/34

Guerilla Funk

『Guerrilla…ゲリラ』

ザァァ…

 

 

 

依然として激しい雨。

 

近くで、ドーンと雷が落ちる音がした。

 

「ゲホッゲホッ…!何だ、突然…」

 

血を地面に撒き散らし、わずかに目線だけ上げたキャンディが呟く。

 

先程までの激しい攻撃はどこへいったのか、手のひらを返したようにキャンディの事を恐怖の目で見ている。

 

「そうか…コイツら…」

 

彼にとって理解は出来ないが、見当はついた。

 

「『なんだか、やっちゃいけない事をやっちまったっつうか』」

 

「『足を踏み入れてはいけない領域だったのか?』」

 

双子が声を震わせながら会話をしている。

 

間違いない。

 

彼等は見たこともない大金に、喜ぶどころか退いてしまったのだ。

 

「『コイツ…どこかのファミリーの使いだよ。

こんな大金を一人で運び、躊躇せずにロドリゲスの額に撃ち込むような奴だ。

なんてこったい…』」

 

レディが頭を抱える。

 

「『で、どうするんだ?』」

 

「『逃げるのさ!こんな危なっかしい金なんて、持ってるだけで寿命が短くなるよ!』」


「『逃げるのか?いくらコイツが危ない奴でも、証拠が無けりゃ俺達に身の危険が及んだりしないんじゃ…』」

 

兄が発言した。

 

「『バカ言うんじゃないよ。ほら、さっさと車を出しな!おいとまするよ!』」

 

ドタバタと駆け込むレディ。

 

「『あ!待ってくれよ、レディ!』」

 

「『おい!俺を置いて行くんじゃねぇよ!』」

 

さらに双子の弟、兄の順で車へと乗り込んでいった。

 

 

「チ…」

 

それを黙って見ている事しか出来ないキャンディは、悔しそうに舌打ちをした。

 

やられっぱなしから、勝手な彼等の勘違いでせっかく形勢逆転出来たのだから当たり前だ。

 

痛めつけられた分、やり返したい気持ちだがそれは叶わない。

 

ブォォ!

 

ジープが走り出す。

 

ナンバーだけでも覚えようとキャンディは目を凝らすが、激しい雨の中では不可能だった。

 

だが。

 

…キキキィ!!

 

直後。

 

けたたましい急制動の音。

 

もちろんそれは今まさに走り出したジープが立てたもの。


「『なぁにをやってんだ、てめぇらぁぁ!!!』」

 

轟音。

 

怒鳴り声だとか、そのような生ぬるいものでは無い。

 

その声はもはや、そう呼んでも過言では無い程凄まじいものだった。

 

その人物の存在が、ジープを止めたのだ。

 

「なんだ、親玉みたいなもんか?それとも…敵対してる奴か?

面倒にならなきゃいいが」

 

だが特に何も感じず、キャンディは率直な感想をこぼす。

 

もちろん、何を言っているのか分からないからだ。

 

そして、車に手をつきながらヨロヨロと立ち上がり、開け放たれたケースを持ち上げた。

 

風で飛んだり、雨で濡れてしまったりしているが、大事な金だ。

 

それを割れた助手席の窓から車内に放る。

 

 

「『てめぇら!』」

 

雨ガッパを着た男と女。

 

車の前に、ドンと立っている。

 

二人分のカッパをどこかで調達してきたのだろう。

 

先程から声を張り上げているのはもちろん彼等のリーダーである男の方だ。

 

たった今駆けつけてきたのなら、キャンディから離れる仲間の行動を理解できるはずもない。


「『いやいや!やべぇんだっての!

違うんだよ!』」

 

窓を開けて弟が負けじと叫ぶ。

 

「『何が違うってんだ!』」

 

「『奴は…とにかくダメなんだよ!』」

 

「『ソイツがロドリゲスを撃った奴なんだろう?

アイツの命を軽く見るんじゃねぇ!』」

 

「『アタシのロドリゲスを返してよぉ!!うわぁぁぁ!!』」

 

隣に立っていた女が、便乗してヒステリーじみた声を上げ始めた。

仲間に対して言えたセリフでは無い。

 

「『だったらロドリゲスの為に俺達みんな死ねるってのか!?』」

 

「『どういう意味だ!?俺達は死にはしな…っ…!』」

 

ドンッ!!!

 

飛び上がる雨ガッパの男の身体。

 

ドンッ!!

 

「『ぎゃっ!』」

 

そしてもう一人。

 

すぐ横にいた女だ。

 

彼等二人はそのまま地面に叩きつけられ、足や腕が妙な角度に曲がって動かなくなった。

 

突然の出来事。

 

 

アイス・キャンディ。

 

急発進し、彼等に車をぶつけた。


ギャギャギャ!

 

ガツン!

 

彼はそのまま、ジープへと突進した。

だがこれはわざとやったわけではなく、朦朧とした意識での運転ミスだ。

 

「『あわわわ…!やりやがったぞ!なんて奴だ、コイツ!』」

 

「『助けないと!生きてるのか!?』」

 

「『おい!勝手に車を出すな、弟よ!』」

 

「『そうは言っても、降りたら俺達もはねられちまうぞ!』」

 

ジープの中は大混乱だ。

 

 

 

「クソ…まずったな。ひいてしまった」

 

案外、キャンディは逃げるだけのつもりだったらしい。

 

割れたままの助手席の窓ガラスからは遠慮なく雨が入り、フロントガラスの内側についた無数の水滴が彼の視界を奪っていたのも事故の原因の一つだ。

 

ブォン。

 

ガタン、ガタン。

 

倒れたままの二人を仕方なく踏み越えてバックするキャンディ。

 

いちいちトドメを刺すつもりも無かったのだが、ジープがいる方向とは逆に向かって逃げるとすれば、結果そうなる。


「まぁイイ。奴らはおそらくもう追っては来ないだろう。このまま問題なく逃げれそうだ」

 

ここでゴホッ、と咳を一つ。

口を抑えた右手に、べっとりと血がついた。

 

それを横殴りの雨水で洗う。

もはや車内も車外もそう変わりない。

 

「残る問題は…」

 

そして彼はそのまま走り去り、ジープのギャング連中からは見えないところへと走り去った。

 

 

 

「『行ったぞ!』」

 

「『急いで急いで!』」

 

「『言われなくても分かってら!口だけはよく動くな!』」

 

横から後ろから二人に言われ、プレッシャーをかけられている弟はカンカンだ。

 

「『おっと!』」

 

キキッ。

 

「『あぶねぇ…!バカヤロ…今はそんなこと言ってる場合じゃねぇか。行くぞ、レディ』」

 

「『あぁ!』」

 

一足先に彼等が飛び出し、その直後にエンジンを停止した弟。

 

「『大丈夫か!お前ら!』」

 

兄がかがみこんで、はねられた二人の身体を揺さぶった。


「『うぐ…』」

 

先に反応があったのはリーダー格の男の方だ。

 

右腕が完全にありえない方向に曲がってしまっている。

 

「『良かった!おい!生きてるぞ!

大丈夫か!』」

 

「『病院へ連れて行かなくちゃ!』」

 

レディが男を起こそうと四苦八苦している。

全身キズだらけなので、一体どこを掴んで引き起こせば良いのか分からない。

 

「『お、俺はイイ…コイツを助けてやれ』」

 

雨ガッパの男は自分自身もズタズタであるにも関わらず、隣の女を心配して優先するように告げた。

 

こういう自己犠牲の精神は、簡単に身につくものでは無い。

 

「『おい!目を開けろ!死ぬんじゃねぇ!』」

 

双子の弟がその女の肩を揺する。

 

反応は無い。

 

「『死んでる…のか?』」

 

これは雨ガッパの男だ。

 

「『死んでねぇよ!』」

「『死んでるわけないだろ!』」

「『助けるんだよ!』」

 

ジープの三人が一斉に叫ぶ。

 

「『とにかく、アンタ達!

二人を車に運んで!』」

 

「「『了解だ、レディ』」」


お決まりのセリフと共に、双子が彼等を車内へと運ぶ。

 

レディも合流し、中は五人でぎゅうぎゅう詰めになってしまった。

 

「『それで、病院で良いのか?

ん?ちょっと待て!また俺が運転かよ!』」

 

再びハンドルを握らされていたのは弟だ。

 

「『バカ!お前の腕にコイツらの命が掛かってるんだよ!

おい!死ぬなよ!』」

 

兄が目を開けない女の頬を軽く叩いている。

 

「『また適当な事ばかり言いやがって!』」

 

「『急いで急いで!病院に向かわないと!』」

 

「『分かったよ!病院だな!』」

 

辺りはすっかり明るい時間のはずだが、厚い雲と豪雨のせいで、相変わらずどんよりとしている。

 

 

 

「『着いた!どこから入るんだ、おい?』」

 

病院へは、すぐに到着した。

 

「『普通は玄関だろ!』」

 

それは違うが、誰も双子の会話には何も言わない。

 

たまたま外にいた看護婦らしき女性が彼等の車に気づき、慌てて走ってくる。

 

「『どうかなさいましたか!』」


「『助けてくれ!仲間が車にはねられてしまったんだ!』」

 

兄がドアから飛び出し、両手を広げて猛烈にアピールした。

 

事態は救急だ。

 

「『え…!?く、車ですか?

でも…』」

 

看護婦の様子がおかしい。

 

彼女は近寄ってきて、自らがさしていた傘の中に兄を入れてくれた。

 

「『ウチ、耳鼻科ですよ』」

 

「『な…?』」

 

「『耳などの病院です』」

 

「『…!!』」

 

赤面し、彼は慌てて車内に飛び込んでいった。

 

 

ガツン!

 

「『ってぇ!な、なんだ!?』」

 

入ってくるなり、横から拳が飛んできた。

 

殴られた弟は意味が分からず困惑している。

 

「『耳鼻科じゃねぇか!』」

 

「『耳鼻科??なんだそれは?』」

 

「『俺も分からねぇが、どうやらケガ人を手当てする所じゃねぇらしいぜ!』」

 

彼等にとって病院の種類など分かりはしない。

 

「『歯医者みたいなもんじゃないかい?早く別の所に!』」

 

レディもよく分かっていないようだが、歯科だけは区別出来るらしい。


 

 

その後、数十分。

 

彼等はメキシコシティ市内を走り回り、大きな総合病院へとたどり着いた。

 

ただ、ここに着くまでには泌尿器科や眼科など、数回のミスをおかしていた。

 

 

「『これは…非常に危険な状態だ!』」

 

病院の廊下。

 

担架を押しながら、医者が叫ぶ。

 

雨ガッパの男女の周りを数人の看護師や医師達が取り囲み、仲間達はその後ろからそれを追いかけている状態だ。

 

「『特に女性の方が危険です、ドクター。心停止しています』」

 

妙に落ち着いた声で、一人の男性看護士が報告している。

 

「『絶対に助かるからな!』」

 

「『病院だぞ!助かったぞ!』」

 

双子が遠くから声をかけた。

 

ガチャン!

 

ケガ人達は大きな鉄の扉の中へ運び込まれ、その前に先ほどの男性看護士が両手を広げて立ちふさがった。

 

「『申し訳ありません。あなた方はここまでです。待合室で待機願います』」

 

「『えー!どうしてだ!』」

 

レディが彼の顔を見上げて抗議する。


「『そういう決まりなんです。たとえ、ご家族でもご友人でも入れるわけにはいきませんので。

処置は我々に任せて下さい』」

 

「『そんな!』」

 

「『ところで…』」

 

男性看護士は、気まずそうに彼等三人の顔をうかがった。

 

びしょびしょになったツナギを着ている。

 

「『何だ?』」

 

兄が一歩前に出て、看護士との距離を詰める。

 

「『あのお二人ですが、保険には加入されていますでしょうか…?』」

 

「『保険?なんだそれは?』」

 

「『そうですか』」

 

やはり、とでも言うように彼はため息をついた。

 

「『保険に加入されていないのであれば、医療費の自己負担が多額になります。

しかしご安心下さい。払えないからと、みすみすケガ人を見捨てるような真似はいたしませんので』」

 

「『はぁ…?ありがとう』」

 

せっかくの計らいも、意味が分からない彼等にはそのありがたみも薄れてしまう。

 

「『…とにかく、待合室でお待ち下さい。

ご案内します』」


 

 

「あれを全部…ですか?」

 

「あぁ、そうだ」

 

「しかし…」

 

「問題があるのか?」

 

大手金融機関ビル内。

 

ようやく英語を話せる行員をつかまえ、キャンディは話をつけているところだ。

 

だが、彼もそのままやってきた訳ではない。

 

鼻や口元の血はキレイに拭き取られている。

撃たれた肩も処置をしてある。

 

さらに、服装が一変していた。

新調の黒いスーツを着込み、鍔が広いハット、高級ブランド『エルメス』のネクタイにポケットチーフ。

 

問題の焼けただれたような顔半分は、スカーフをハットにかぶせて挟んで見えないようにしているようだ。

 

車も、レンタルではあるがメルセデス製の大型SUV。

 

大金を動かす為のカモフラージュ。

このくらいの出費ならば、彼はケチケチしない。

 

「急いでくれないか?あちらに用があってな。すぐにでも発たねばならん。

先進国だとは言うが、ろくにカードも使えんらしくてな。仕方あるまい」

 

「分かりました…『子爵』殿」

 

極めつけは、この偽物の肩書きだ。


『子爵』とは五等爵と呼ばれる位の一つで、上層階級の人間が持つことを許されたものだ。

 

他に公爵、侯爵、伯爵、男爵などの階級が存在する。

 

元々はアメリカ人が持つものでは無く、ヨーロッパからの移民がもたらした。

ましてや黒人であるキャンディのような者が名乗れる代物ではない。

 

しかし、彼のハッタリは人種を跨いでも通用するほどの自信に満ち溢れていた。

 

もし、つっこまれたとしても「養子である」の一言で彼は済ますつもりだ。

 

もちろん服装、車、態度や言動のおかげで、深く追求される事は無かった。

 

 

「では、任せるぞ。運び出すのに一苦労だが」

 

「メキシコペソ紙幣ですか?」

 

「いや、アメリカドルだ。

あちらではその方が都合が良いらしいのだ。ちょうど、キャッシュで金を手に入れたものでな。そのまま持ち込ませてもらった」

 

「かしこまりました、子爵。

『おーい!人手を集めてくれ!』」

 

行員がスペイン語で叫ぶ。

部屋の中だと客に迷惑な気もするが、少し彼は興奮気味だ。

 

「よろしく頼む」

 

キャンディは店内から車の前に移動し、ドアやハッチを全開にした。


手元に残るのはわずかな金だけ。

 

残りは面倒に巻き込まれる前に飛ばしてしまうのだ。

 

皮肉にも、ギャング達からは金目当てで面倒に巻き込まれてしまった。

しかし、結果として金で助かっているのも事実。

 

アイス・キャンディと金には切っても切れない縁があるのだろう。

 

「子爵、入金が完了いたしました」

 

吸いたくもない巻きタバコをまずそうにふかしていたキャンディのもとに、行員がやってきて深々とお辞儀をした。

 

「うむ、ご苦労だった」

 

「こちらが必要書類とカード、通帳です。どうぞ、お受け取り下さい」

 

大きな茶封筒を渡される。

 

「では、失礼する」

 

ハットを軽く持ち上げ、キャンディも軽く会釈をした。

 

もちろんスカーフがずれて顔半分が見えないように注意しながら、だ。

 

「メキシコ国内でご融資が必要の際にはお申し付け下さい。ご相談にのらせていただきますので」

 

「ありがとう」

 

平然を装いながら、痛む身体を車内に乗せる。

 

「ありがとうございました」


 

 

「ふぅ…」

 

ニセ子爵が、張っていた気を沈めて息を吐く。

 

だが、ゆっくりと休む間もなく次の場所に向かう。

 

完全に素の状態に戻る事は許されない。

 

見知らぬ土地を運転する事はキャンディにとっては手慣れたものだ。

 

『迷わない』という意味ではないが、『恐れない』。

 

 

しばらく車を進めると、空気を切り裂く『ゴォォ』という爆音が窓から飛び込んできた。

 

大きな飛行機が、離発着している。

 

…飛行場だ。

 

爵位までも偽って金を飛ばし、海外に用事があるなどと言ったが、どうやら自らが出国する事だけは真実らしい。

 

駐車場にレンタルのメルセデスを止める。

 

カギは締めない。

もう二度と使わないからだ。

 

「…」

 

随分身軽にはなったが、着慣れない服と靴、痛む身体のせいでエントランスに向かうのもひと苦労。

 

「チッ…ステッキも買っておくべきだったか」

 

確かに今のキャンディの格好にはそれが自然だろう。


 

「よろしいかな」

 

「いらっしゃいませ」

 

キャンディが話しかけると、航空会社のカウンターにいる女性は少し驚いた表情を見せた。

 

見るからに富裕層である人物が自らカウンターにやってきたのも、その理由の一つだ。

予約も無く、小間使いも見当たらない。

『かなりの急用』であると解釈してしまっても仕方ない。

 

もう一つはやはり、怪しげに隠されている顔の半分だ。

何も言いはしないが、気になるのだろう。

 

「何かお困りでしょうか?」

 

流暢なアメリカ英語で女性が言う。

さすがに空港の従業員ともなるとレベルが高い。

 

「あぁ、ちょっと急ぎでな。もう少しこちらに居たかったが、すぐに発たねばならん」

 

「そうですか。お帰りはLAX、もしくはケネディでしょうか。もちろんファーストクラスのお席をすぐにでもご準備できますが」

 

キャンディがアメリカ人であるとすぐに見抜いた彼女が、テキパキとコンピューターを操作しながら告げる。

 

「いや、帰国はしない。すぐに…」


 

 

「『…どうなった?助かったのか?』」

 

病室には四人。

 

ベッドに横たわっているリーダー格の男。そしてそれを見下ろしている双子の兄弟とレディ。

 

もう一人の女の姿は無い。

 

「『どうだったと訊いてるんだ』」

 

男は話せるくらいにはなっていたが、その声には覇気が感じられない。

 

「『分からないんだ。なんたらって言う部屋にいるらしい。生きてるのか死んでるのか、誰も教えてくれない』」

 

レディが不安そうに応える。

 

「『死んだりはしねぇ!だが、危ないってのは確かだ。手術がめんどくせぇ事になってるんだろ』」

 

兄が感情的に床を踏み鳴らす。

 

「『お前達が途中であの黒人から目を逸らすからだ。

こんな事になるくらいならば、情けなど必要無かったはずだ』」

 

「『情けだなんて微塵も無かったよ。

あれは危険すぎた。警察官に向けて引き金を弾くほうが、いくらでもマシさ』」

 

「『バカが…』」

 

叱る元気も無く、男は天井を見ていた目を閉じる。


「『…』」

 

「『結局、アイツは何者なんだ?』」

 

言葉を失ったレディに、目を閉じたままの男が声を漏らす。

 

「『ヤバイ奴』」

 

「『そんな回答ではわからん』」

 

「『車いっぱいに金を積んでた』」

 

「『もうイイ!とんだ腰抜けどもめ!

必要の無いところで知恵をはたらかせやがって!』」

 

 

「『ちょっと…何やってんのさ』」

 

ガサゴソと服を着替え始めた男。

 

他の三人が驚いて彼を見る。

 

「『出るぞ。車を回せ』」

 

「『冗談だろ!今さら何が出来る!』」

 

「『どっちにしろ、病院に支払う金も保険も無いんだ。

レディ、お前は残って彼女の安否を知らせてくれ。

明日の昼12時、一度アジトに集合しよう』」

 

決まった連絡の手段が無い彼等は、時間と場所を決めて集合する他無い。

 

「『わかったよ。気をつけて』」

 

「『決まりだ。行くぞ、アミーゴ』」

 

「『わざわざアイツを探すのか?』」

 

「『黙ってついてこい』」

 

弱気な兄の発言はピシャリと抑えつけられた。


 

 

「『ちょっと…すいませんよ』」

 

太った男性が席の前を通ると、大きな尻が先に着席していたキャンディの顔に軽く当たる。

 

「『よっこらせ、と』」

 

「…」

 

彼は隣の席に腰を下ろした。

汗の匂いがヒドイ。

 

エコノミークラスを取った以上、わがままは言っていられないが。

 

「『観光ですか?しかし、大層な階級の方とお見受けした。素晴らしいお召し物ですな』」

 

てっぺんだけがキレイにハゲた頭をぺたぺたと触りながら気さくに話しかけてくる。

上流階級だと思ったのにも関わらずだ。

 

「…?」

 

仏頂面で、キャンディは男の顔を見た。

だが、何を言っているのか分からないので無視する。

 

もっとも、分かったところで無視する事に変わりは無いだろう。

 

「『しかしあれですな。夕べはものすごい雨でしたな。

いやはや、欠航になるのでは無いかとヒヤヒヤしておりました。

あ、ちなみに私は出張なんですがね』」

 

訊いてもいないのにベラベラとよくしゃべる。


「…」

 

「『あ、申し遅れました。わたくし、ベンと申します』」

 

突然差し出された右手に困惑したが、キャンディは嫌々ながらも優しくそれを握り返した。

 

「ルドルフだ」

 

適当に名前を名乗る。

 

しかしこれはベンの言葉を理解したわけではなく、単に握手に対して反射的に名を名乗っただけだ。

 

「おや?これはまたとんだ失礼をつかまつった」

 

「なんだ、話せるのか」

 

ようやく言葉が伝わっていなかった事に気づいたベンが謝罪する。

 

気づいた途端、即座に英語に切り替えて話せるのには驚きだ。

 

「アメリカからですかな?私も色んな所を出張で点々とする事が多くて、今ではどこが祖国だったか忘れてしまいそうなぐらいですよ!あははは!」

 

使う言語が変わっても、うるさい事には変わりない。

 

「…」

 

「いやはや、ここでお会いしたのも何かのご縁です。

どうですか?あちらに着いたら食事でも」

 

「ふふ、気持ちだけ受け取っておこう。あまり時間が無いものでな」

 

柔らかく、迷惑ごとを断る。


「そうですか、残念です。

ところで、お仕事は何をされているんですか?」

 

お決まりの質問だ。

 

「特に何も。ぐうたらなものでな」

 

「またまた、ご謙遜を!さては、有名なお家柄のご子息ですかな?

お父上が企業や店を所有されているとか」

 

見た目とは恐ろしいものだ。

ここまで人に勘違いを起こさせる。

 

『人は見かけじゃない』とはどこの愚か者が発したのか、キャンディはそれを噛みしめた。

 

容姿、しぐさ、持ち物や考え方。

それを見て人々は相手のステータスを決める。

 

「では逆にあなたはどのようなお仕事なのだ?」

 

キャンディが自然に質問を切り返す。

 

「私は…」

 

なぜか、それまでうるさかったベンが言葉をにごす。

 

「どうした?」

 

「ははは、あまり人に言えるような大層な仕事ではありませんので。

いやはや、お恥ずかしい」

 

ベンは黒いカルバンクライン製のビジネスバッグからハンカチを取り出して額の汗を拭った。

 

貧乏なわけでは無いようだ、とキャンディも持ち物で彼のレベルを見定める。


「言えない…ということか」

 

「いえ、そういうわけでも無いのですが。

なんと申しますか、煙たがられる職業でして」

 

「…裏家業とでも言っておけば適当か」

 

少し、キャンディはベンに興味を持った。

 

「ははは!それは違いますよ!」

 

 

ポーン。

 

「『本日はご搭乗、誠にありがとうございます』」

 

ここで、出発を知らせるアナウンスが流れた。

 

「『お客様、カバンを収納スペースにお入れします』」

 

スラリとした長い黒髪のスチュワーデスがベンににこやかに笑いかける。

国際線であるにも関わらず、なぜかスペイン語だ。

 

「『おや?ここに置いていてはいけないのですかな?大事なものだから肌身はなさず持ち歩いているのだよ』」

 

「『左様でございますか。かしこまりました。

では、シートベルトの着用をお願いいたします』」

 

笑顔のまま、彼女が指示をする。

 

カチャリとベンがベルトを閉めると、キャンディもそれに習った。


 

キュイイン、と耳障りなジェットエンジンの音が響きはじめ、ゆっくり機体が動き始めた。

 

窓際の席に座っているキャンディは、ぼんやりと外を見ている。

 

「…そこで私はこう言ったんです。『テキーラでもどうです?』

あっはっは!傑作でしょう!」

 

相変わらずベンは話し続けていた。

 

キャンディはほとんど聞いていないので、何の話だったか分からない。

 

ゴォォ。

 

路面から大きな振動が伝わってくる。

 

いよいよ離陸だ。

 

「しかし彼ときたら『どっちでも一緒だ!』って怒っちゃいまして…」

 

一気に加速し、フワリと機体は浮いた。

 

キャンディにとっては飛行機よりもベンの方がうるさい。

 

順調に上昇し、機首は水平になった。

 

「そういうことで私は特別捜査官になったわけです」

 

「全然話がつながらないぞ」

 

「そうですかな?」

 

ベンは政府の人間だった。

 

『煙たがられる』と言っていたのにも納得できる。


「それで、何の出張なんだ?」

 

「はい?あちらの議員さんとお会いするんですよ。

小規模な国際会議の段取り…とでも言いますか」

 

「勤めて長いのか?」

 

「えぇ、まあ。しかし後から入ってくる若い連中にどんどん追い抜かれてしまっていますよ!

あぁ!どうして私ばかりあちこちに行かなければならないんだ!」

 

国に勤める捜査官のくせに何でもベラベラと喋るせいだろう、とキャンディは思った。

 

「『お飲み物はいかがですか?』」

 

「『あ、それじゃあ赤ワインを一本。

グラスを二つ』」

 

「『はい、少々お待ち下さいませ』」

 

席をまわっていたスチュワーデスに、ベンが注文する。

 

「…?何か頼んだのか?」

 

「はい。出会いに乾杯ですな」

 

すぐに、ワインのボトルが運ばれてくる。

 

二人はテーブルを下ろした。

 

「では私が奢ろう」

 

「お気持ちだけで充分ですよ」

 

トクトク、とうまそうな音と香りが広がる。

 

「それでは、乾杯」

 

「…乾杯」


 

 

キャンディがメキシコを去ってから二日後。

 

「『…』」

 

「何だ、コイツら」

 

対峙する二つの集団。

 

アンジー達とメキシコシティのギャング連中だ。

 

彼等が追いかけていたものは一致する。

だが、同時刻にそこにたどり着いたのは奇跡的だ。

 

…キャンディが乗り捨てた車。

そこは草が生い茂る広い空き地だ。

 

もちろん、子爵に扮して乗り回していたメルセデスではない。

その一つ前に使用していたものだ。

 

「すげぇ!ギャングだ!」

 

レモンがバカな発言をする。

今までギャング達と共に生活を送ってきた事はどう捉えているのか。

 

「『何だ、コイツら』」

 

レディが、アンジーとまったく同じ意味の言葉を吐いた。

 

「『奴の仲間か?ガラが良いとは思えないが』」

 

これは双子の兄だ。

 

「ようよう!お前達、何かコイツの持ち主について知ってるか?」

 

気さくにレモンが話しかける。

 

「単に、車を盗みに来てるだけじゃないのか?」


「そうなのか、シャロン?でもこれはキャンディの車だから取られるわけにはいかないだろ!キャンディがかわいそうだ!」

 

いつものように観点がずれた解釈だが、彼は本気だ。

 

タタタッ。

 

キャンディが乗り捨てた車に近づき、ボンネットの上に『ドン』と飛び乗った。

 

「よう、メキシコ人!これは俺のホーミーの車だぜ!

キャンディってんだが、どこにいるか知らねーか?」

 

すると、ギャング達がざわざわと騒ぎ始めた。

 

「『何だこの黒人!実はコイツが仲間を殺った張本人か?』」

 

「『いや、全然違うだろ!

でも、多分知り合いだ!』」

 

リーダーの問いかけに兄が応える。

 

「『あぁ!つながってるのは間違いない!

仲間として探しているのか、敵として追いかけているのかは分からないが…クソッ!誰か言葉の通じる奴はいねぇのか!』」

 

彼等は完全に対応に困ってしまった。

 

迷わず弾こうにも、相手が武装しているのは明らかなのだ。

 

アンジーなど、腰にささった銃が丸見えだ。


「レモン!挑発するな!

訳も分からず、いさかいになるのは嫌だぜー!」

 

「挑発なんかしてねーよ!質問してるだけだろうが!」

 

「とにかく降りろよ、お前!」

 

アンジーがレモンの足を引っ張る。

 

「え!?やめろ、シャロン!

お…おやめになってぇぇ!」

 

ガシャン!

 

レモンは奇妙な悲鳴と共に前に倒れた。

 

頭をフロントガラスにぶつけ、蜘蛛の巣のような形の大きなヒビが入る。

 

「あ、ごめん」

 

「…」

 

「『…』」

 

レモンはそのまま動かない。

メキシコギャング達も軽く引いている。

 

「おーい、大丈夫?レモン?」

 

「…つつ」

 

一瞬、気が飛んでいたが、レモンはムクリと起き上がった。

 

出血はしていないようだ。

 

よろよろと車から降りる。

 

「レモン?」

 

「うるへぇ」

 

上手くしゃべれていない。

 

「さてと」

 

アンジーは大きな携帯電話を取り出して、ボタンを押した。

とりあえずこれ以上レモンと話すつもりは無いらしい。


メキシコ人達は大層驚いた。

アンジーが何気なく取り出した携帯電話は、彼等にとっては超高級品。

実際に目の前で見るのは初めての事だったのだ。

 

「もしもし」

 

「よっ、どうしたんだ。久しぶりだな、ねぇちゃん」

 

電話の相手は明るい声の男。

 

さすが大都市メキシコシティ。電波はクリアだ。

はっきりと声が聞こえる。

 

「ちょっと頼みがあってさ」

 

「お安いご用だぜっ。どんな仕事だ?」

 

彼とは仕事仲間のようだ。

 

「仕事じゃないぜー。ちょっと通訳してくれないか」

 

なるほど。

 

カリフォルニアに住んでいれば、スペイン語が話せる知り合いがいても何ら不思議ではない。

大方、彼はロサンゼルスあたりのヒスパニック系の人間だろう。

 

「通訳?」

 

「あぁ。今、メキシコにいるんだが、言葉が分からなくてな。

話を訊けなくて困ってるんだー」

 

「そういう事かい。じゃあ電話を代わりな。

取られないように注意しろよっ」

 

それを聞いたアンジーは、レモンの肩を叩いた。


「ふぁ?」

 

「これを持ってろ。今からアイツらに電話を渡すから」

 

「マジか!お、俺が撃つのか!」

 

アンジーは何と、銃をレモンに渡したのだ。

 

レモンはそんなもの扱えはしない。

 

「いやいや!持ってるだけでいい!構えたりするんじゃないぜー!」

 

「え?え?」

 

言われるがまま、渡された銃をあたふたと受け取る。

 

 

「じゃあ、電話をかわるぜー」

 

「あいよ。任せなっ」

 

「『…!』」

 

アンジー達から一番近くにいたメキシコギャングのリーダー格の男。

 

彼にアンジーが近寄ると、当然警戒された。

 

「ほら、受け取りな」

 

「『…なんだ?電話の相手と話せばイイのか?』」

 

「『危ないよ!何かの罠かも!』」

 

レディが心配そうな声を上げる。

 

パシッ。

 

「『もしもし、何者だ?』」

 

リーダー格の男は電話をそのままアンジーの手から取り上げた。

 

「『よっ。俺もアンタが誰だか知りたいんだが?』」

 

不思議な組み合わせの通話が始まる。


「『名前なんて無ぇよ』」

 

「『そりゃ楽しそうだな。どこのスパイ映画だ?』」

 

いきなりの皮肉だが、そう聞こえないくらいに彼の声は明るい。

 

「『そっちはどこの誰だ?

第一、コイツらは何者だ?』」

 

「『コイツら?』」

 

状況が目で確認出来ないので、聞き返す。

 

「『今、電話をかわった女と妙な黒人共だ』」

 

「『よく分からないなっ!そのキレイなねぇちゃんは、俺のお気に入りだ!手ぇ出すなよ!』」

 

「『話にならねぇな…』」

 

リーダー格の男は落胆した。

 

「『ねぇちゃんに電話を戻してくれないか?とりあえず、細かい状況を訊いてみるからよ』」

 

 

「『おい』」

 

案外素直に、男はアンジーに携帯電話を渡した。

 

「もしもし」

 

「よう、ねぇちゃん。アンタが接触してんのは?」

 

「ギャングだか何だか…って、そんなのはどうでもイイ。

今、アタシはある男を追ってるんだ。

ようやくソイツの車を見つけたんだが、奴はいない。乗り捨てたのか奪われたのかも分からない。

だが、このギャング達が何か知ってるんじゃねーかと思ってなー」


なるほどなるほど、と電話の向こうで男が頷く。

 

「奴には『名前は無い』らしいぜ。

とにかくソイツに、車の持ち主を知ってるのか訊けばイイんだな?」

 

「その通りだぜー」

 

「その男との間柄をきかれたらどうする?」

 

「古い友人だ、とでも応えておいてくれ」

 

アンジーはつまらない嘘をつくつもりは無い。

 

だが、キャンディの名前や大金の話はふせた。

嘘はつかないが、余計な情報は与えない。

 

 

「レモン、気を抜くんじゃないぜー。

今から電話を戻すからな」

 

「『俺の番か?…もしもし』」

 

メキシコ人が電話を取る。

 

「『よっ、名無し』」

 

「『よう、クソヤロウ。それで?何か分かったか、通訳さんよ?』」

 

「『お前らがいる場所に放置された車があるだろう?』」

 

すぐにリーダー格の男はチッ、と舌打ち。

狙いは同じ。

 

「『…ある。この女の持ち物か?』」

 

「『いや、違うぜっ。お前…コイツの持ち主を知ってるだろう?』」


「『知りはしない。だが、探している』」

 

素直な回答だ。

 

「『会ったのか?』」

 

「『あぁ。仲間が一人やられた。

さらにもう一人、病院で植物状態になってる』」

 

ロドリゲスと、そのガールフレンドの事だろう。

やはり彼女は重体だった。

 

「『なるほどな。こちらのお嬢さんも、訳あってソイツを追っているんだと。

協力してやれないか?』」

 

「『何の為に?』」

 

「『さぁな。お互いに情報を交換し合えば、損は無いだろう?

俺なんか、ボランティアだぜっ!ははは!』」

 

彼は楽天家だ。

 

「『ふぅむ。そうは言ってもコイツの行方は俺達が知りたいくらいだからな』」

 

「『ソイツとアンタらが接触したのは?いつ、どこで?』」

 

「『市内だ。二、三日前だったか』」

 

カリカリ、とペンを走らせる音がする。

きちんとアンジーに伝える為にメモを取っているのだ。

 

「『特徴は?』」

 

「『俺自身はハッキリと答えられない。仲間達は黒人だったと言ってる』」


また、ペンの音。

 

「『…黒人、と。他には何かあるか?』」

 

「『車いっぱいに大量の金を積んでたんだと。

アイツは一体何者なんだ?』」

 

「『それは俺には分からないぜっ。ねぇちゃんの古い友人らしいが、気になるんだったら彼女に聞いておいてやろうか?』」

 

「『あぁ』」

 

「『それじゃ、電話をかわりな』」

 

 

携帯電話はアンジーの元へ戻された。

 

ここまでくると、互いに受け渡しの間の緊張感は緩んできている。

 

「はいはい」

 

「よっ。大した情報は無いな。

黒人で、車に大金を積んでいたそうだ」

 

「そのくらいはアタシらも知ってるぜー。

でも、間違いなくコイツらは奴に会ったんだな。アタシの目に狂いは無かった!」

 

自画自賛している。

 

「その男が何者なのか、教えてやってはくれないかぁ?

仲間を殺されて、無念らしいぜ」

 

「本当か?無茶苦茶して…アイツも必死なんだな。

世紀の大泥棒だよ。アタシらも噛んでたが、ちょっとトラブっててね」


「なんだそりゃ?面白そうじゃねぇかっ」

 

男が食いついてきた。

 

「何がだよ。全然面白くなんかないぜー。

アイツはアタシら全員を騙したんだからな!」

 

「まさか金を独り占めか?」

 

「少し違うが、似たようなもんだぜー」

 

アンジーが悔しそうにうなだれる。

その気持ちは向こうにも充分伝わった。

 

「それで、どうするんだ?そこにいるメキシコ人達からはこれ以上何も…」

 

「それは大丈夫だ。

ここまで自分でキャンディが来たのならば、それから先の行動を読んでいく」

 

「さすが、ねぇちゃんだな。

それじゃ、奴の正体と別れの挨拶を」

 

「分かった。助かったぜー」

 

アンジーの手がメキシコ人の男の方に伸びる。

 

「『ん?俺の番だな。

もしもし』」

 

「『聞いて驚け。奴は世紀の大泥棒だとよ。

怪盗紳士アルセーヌ・ルパンだな』」

 

「『誰だそれは?』」

 

「『かぁーっ、学が無ぇなぁ。有名なフランスの文学作品に出てくる大泥棒さっ』」

 

妙な一言を付け加えるものだから、話が面倒になる。


「『つまりアイツはフランス国籍の悪党だって事か?

てっきりアメリカ人だと思ってたんだが…』」

 

「『違うけどそれでイイよ』」

 

「『何だと!てめぇ、俺達を騙そうとしてやがるな!』」

 

この台詞に、後ろに控えていたメキシコギャング達の表情が強張る。

 

「『騙す…やっぱりコイツら敵か!』」

 

「『なんだって!気をつけな!』」

 

これは双子の弟とレディだ。

 

「なんだ?雲行きが怪しくなってきたな?」

 

会話内容が分からないアンジーが、不信に思う。

 

「そうか?俺にはよく分からん」

 

レモンは左手の小指で鼻をほじった。

 

そして、右手に持っていた銃を左手に持ち替える。

 

「…!?なにしてんだ、お前ー!!」

 

「え?俺?」

 

「この、ハナクソレモン!」

 

アンジーの拳がレモンの鳩尾にめり込む…

 

と思われたが、危機を感じ取った彼が僅かに身体を退いたので急所は外れた。

 

「いてぇな!もはや食べ物ですら無いアダ名をつけるな!

えーと、耳クソシャロン!」

 

文句のクオリティが低い。


 

「『おいおい、騒ぎ立てるんじゃねぇよっ。自分が理解できなきゃ他人のせいか?

とにかく、国や時代は違えど、ソイツは泥棒だって事らしいぜ。俺だってよく状況が分かってねぇんだ。どうしてお前を騙す必要がある』」

 

電話の向こうの明るい声は、少しばかりも慌ててはいない。

 

「『難しい言葉並べて納得させようったって、そうはいかねぇぞ!』」

 

「はは、ダメだこりゃ。コイツ、頭が悪すぎるぜっ。

すまねぇ、ねぇちゃん」

 

電話の途中だが、男はアンジーに英語で謝罪の言葉。

完全に他人ごとだ。

 

「『…?何を言ってやがる』」

 

「『ねぇちゃんに電話を戻してくれ。

これ以上は話してもムダだ。それに、彼女もお前達をどうこうしようってわけじゃ無い』」

 

「『そんな事信用できるか!』」

 

「『好きにしな。だが間違っても彼女やそのツレ達とドンパチやろうとなんてするんじゃねぇぞっ。

ま、死にたいんだったら止めはしないが。そんじゃなっ』」

 

ピッ。

 

ツー…


「『ふん、言われなくても分かってることだ!

ほら、女ぁ!』」

 

リーダー格の男が携帯電話をアンジーに放る。

 

「おっと、ご丁寧にすまないねー!」

 

冗談のような口調だが単なる皮肉だ。

 

「『みんな、きいてくれ!』」

 

後ろの仲間達に振り向いて、男が話し始めた。

 

「『やはり、コイツらは俺達と同じ奴を追っている。

どうも、奴とは昔からの知り合いらしい!』」

 

「『仲間って事かい!?』」

 

レディが声を荒げる。

 

「『仲間かもしれないが、奴を探している時点でそうとも言えない!』」

 

「『何だよ。使えねぇ』」

 

弟がツバを吐いた。

 

「『俺達がソイツの行方を知っているんじゃねぇか、って事で話したかったんだと。

多分、この車をたどってきたんだろうな。だが俺達も奴を探している状態だ。

そこで会話は終わった』」

 

「『お互いにまた振り出しだな』」

 

兄が笑う。

 

「『バカヤロウ!コイツらと同じにするな!仲間がやられてるんだぞ!』」


 

「…?何か揉めてるのか。よくわからねぇが、まぁイイ。

レモン、行くぜー」

 

電話を受け取ったアンジーは、もう彼等に興味が無い様子だ。

 

さっさと移動を開始しようとしている。

 

「え?終わったのか…っておい!

いつになったら名前を覚えるんだ、耳クソシャロン!

俺はスティーブだっての!」

 

「はぁ?もう、誰でもいいから。早く」

 

「えぇー!?なんだそれ!最悪な奴だ!」

 

指を差して抗議するレモン。

 

「おっ、いつの間にかまともに話せるようになってるぜ」

 

「うるせー!あ、本当だ!」

 

二人はそんな会話をしながら車へ戻る。

 

「Zzz…Zzz…」

 

「ドープ、まだ寝てる」

 

エンジンをかけ、レモンが言った。

 

そう。

 

ドープマンは、車から降りられないのが余程退屈だったようで、しばらくずっと寝っぱなしだ。

 

「呑気だぜー。これがクリップスのドンだってんだからな」

 

「まったくだ。運転代わってくんねーかなぁ」

 

それは無理だ。


 

「『おい、行っちまうぜ』」

 

双子の弟が仲間達に呼びかける。

 

「『奴らは奴らであの黒人を探すんだろ。必ず俺達が先に見つける!』」

 

「『ついていけば早いんじゃないかい?』」

 

「『バカかよ!アイツらがたどり着く確証なんて何も無い!』」

 

みんなの意見はバラバラだ。

 

「『とにかくジープに乗れ!俺はコイツをいただいておく』」

 

リーダー格の男。

 

彼は颯爽とキャンディが乗り捨てた車に乗り込みながら言った。

 

「『ソイツをどうするつもりなんだい?』」

 

「『二手に別れて探すんだ!レディ、こっちに乗れよ』」

 

「『分かった』」

 

キャンディは何も、この車が動かなくなったから乗り捨てて行ったわけではない。

銀行や、様々な店に行くときの為にメルセデスに乗り換えただけだ。

 

 

 

「『あの大荷物と共に消えたんだ。どんな手を使ったんだろう』」

 

これはレディだ。

 

彼女等は、双子とは別の道を走っている。


キキィ!

 

男は突然車を止めた。

 

すぐそばにそびえ立つビルの壁一面にはグアダルーペ(聖母マリア)をモチーフにしたグラフティと呼ばれるスプレーアートが描かれている。

もはや落書きの粋を越えて芸術だ。

 

メキシコは国全体が非常に宗教色が濃く、熱心な信者も多い。

 

「『な!?驚いた!どうしたの?』」

 

「『言われてみればそうだ、と思ってな。

そんなに簡単に消えれないくらいの大金なんだろう?』」

 

「『そうだよ』」

 

「『奴は追われる身。この車を捨てた場所から誰かに拾ってもらったんじゃなけりゃ、何かに乗り換えてる』」

 

懸命にキャンディの行方を推測する。

アンジーも考えている事だろう。

 

だが、彼が銀行に金を預けた事は予想も出来ない。

 

「『近くの駅から電車に?それともバス?』」

 

「『それは一人じゃ無理だろう』」

 

「『じゃあタクシーだ!ビンゴだろ!』」

 

レディがはしゃぐ。

 

「『タクシーは運送屋じゃねぇんだ。後ろや横が見えなくなるような量の荷物は拒否するんじゃねぇか』」


「『そうなのかなぁ?』」

 

「『そうさ!そうなればトラックを盗んだに違いない!』」

 

やはり価値観や生活習慣の違いからか、誤った解答になってしまう。

 

「『あんな空き地で?』」

 

だが、キャンディの車が発見された廃れた場所に別の車が侵入するとは考え辛い。

 

「『別の場所で盗んで、この車だけ移動したんだろう!』」

 

「『そこからトラックまでの帰りはどうするのさ。そんなに近くで車を引っ張ったのかね』」

 

珍しく、レディがなかなか鋭い事を言った。

 

「『その通りだぜ』」

 

「『それに、盗んでまで新しい車を手に入れる理由は何だい?追っ手の目を避ける為?

わざわざ目立つようなアクションを起こす方が危ないよ!きっと、新しいものを買ったか、借りたんだ!』」

 

「『なるほど…それは思いつきもしなかったな!』」

 

男は関心しながら車を素早くUターンさせた。

 

「『店を当たるのかい?』」

 

「『今はそれしか出来ないからな!』」

 

決断力だけは優れている。


 

 

「『こっちじゃない?』」

 

「『おぉそうだそうだ。ありがとよ』」

 

「『なかなか行かないような所だからね。よく見つけたものだよ』」

 

レディ達がキャンディの車を発見した場所へ戻る道中。

 

「『おや、奇遇だね』」

 

「『アイツらか』」

 

キキッ。

 

対向車線に見覚えのある車。

 

双子の兄弟たちが駆るジープだ。

 

「『よう!そっちはどうだった?』」

 

ジープの運転席の窓が開き、弟が手を伸ばしてきた。

 

リーダー格の男がその手をパン、と叩いて挨拶を返す。

 

「『よう。これといって何も。

だが、奴はあの場から何かに乗り換えたに違いないという事になってな。今戻ってるところだ』」

 

二台の車は完全に道路の両方の車線を塞いでしまっているが、他に通行車は見当たらないので大丈夫だ。

 

「『あん?よく意味が分からねぇが、一から足取りを追うって事だな』」

 

「『まぁ、そういう事だ。お前達は?』」

 

双子の行動をたずねる。


「『俺達なら、ちゃんとグルグルと回って奴を探してたぜ!』」

 

意気揚々と弟が返答。

 

「『ちゃんとグルグル?どの辺をだ?』」

 

「『ここら一帯さ!ここから歩いて行ける距離なんてたかが知れてる』」

 

これは兄だ。

 

「『歩いて行ける距離ねぇ…

何を言ってるんだお前達』」

 

リーダー格の男は呆れてしまった。

 

歩いて消えたのならば、大荷物の件が説明のつかない話になる。

 

「『ん?』」

「『…??』」

 

双子は意味が分からず目をパチクリさせている。

 

「『歩いて移動したわけねぇだろ。奴は何かに乗り換えたんだよ』」

 

「『やはりそうなのか!』」

 

「『だが確かかどうか分からないんじゃないか?』」

 

男に対して弟、兄の順で話す。

 

 

ピピィー!

 

クラクション。

 

どうやら通行車が来てしまったようだ。

 

「『おっと』」

 

「『チッ…おい、見てみろよ。お客さんだぜ』」

 

弟が歯をきつく噛み締める。


「『はぁ。結局そういう事か、クソが』」

 

男が振り返って悪態をつく。

 

彼等のいる場所に現れたのは、アンジー達だった。

 

ピピィー!

 

ピィー!

 

「『うるせぇハエだ!』」

 

再びクラクション連打。

 

おそらくレモンは彼等に気づいていないのだろう。

 

「『とにかく俺達は近くの店を回ってみる。言葉が伝わるだけ、奴らより足取りを早く嗅ぎつけれるはずだ』」

 

「『俺達はどうすればイイ?』」

 

「『やる事がねぇんなら、アイツらについて行ったらどうだ?』」

 

「『マジかよ』」

 

ピピィー!

 

ピピィー!

 

ガチャ。

 

「おい!どけっつってんだろ!」

 

彼等はとうとう見覚えのあるドライバーが車から降りてきたのを確認した。

 

「聞いてるのか、コノヤロウ!」

 

「『じゃあ頼んだぜ』」

 

「『お、おい待て!』」

 

ブロロ…

 

一台が先に離れていく。

 

「あ、今更行きやがって!」

 

レモンが叫んでいる。


彼はそれ以上に罵声を発する事はせず、すぐに車に乗り込んだ。

 

「発車ぁ!」

 

そしてレディ達が走って行った方へと進む。

 

「『やべっ!行くぞ、兄弟!』」

 

ぼんやりしていた弟の肩がバシッと兄から叩かれる。

 

「『何だよ!代わりたいのかコラ!』」

 

「『あ!ほら早く!』」

 

「『了解だぜ、兄貴!』」

 

仲が良いのか悪いのか微妙なところだ。

 

 

 

「んん…」

 

「ん?ドープ?」

 

こちらはアンジー達の車内。

 

ようやくドープマンが目を覚ました。

 

「おわっ!すげぇ田舎道だね」

 

「やっと気がついたか?」

 

「気がついた?気絶してたみたいな言い方しないでくれよ。寝てただけなんだから」

 

ドープマンが頭を掻いた。

 

「どっちも同じようなもんだぜ!あれ?何か後ろから」

 

「やっと気がついたか?」

 

助手席にいるアンジーが皮肉っぽく同じ言葉をレモンにかけた。

 

「敵か?」

 

「ギャング共だぜー」

 

ぴったりとついてきている双子の事だ。


「えっ、嘘?いつの間にぃ!」

 

「少し前だな」

 

アンジーはタバコを一本くわえて火をともした。

 

「少し前だと?なんだよ、教えてくれよ!

一体どこに隠れてやがったんだ」

 

「何言ってんだい。ビービーとクラクションを叩いてたくせにさ」

 

「はぁ?何の話だ…よっ!」

 

グンと車が加速する。

 

「さっき、道を塞いでた車。

あれが奴らだぜー。いちいち言わなくちゃ分からなかったか?」

 

「マジで!?嘘じゃねぇだろうな」

 

「嘘じゃねーよ、バーカ」

 

ピッ、と指で外にタバコをはじき出しながらアンジーが言った。

 

「まぁ、俺のテクニックにあんなジープでついて来れるわけないけどな!」

 

確かにレモンの言うとおり、双子の兄弟は少しずつ離されていっている。

 

「それにしても、海の向こうだとはね。どうするんだい、アンジー?」

 

ドープマンが言う。

 

実はこの時、メキシコギャング達とは違って、彼女達はすでにキャンディの居場所を特定していた。


 

 

「『おいおいおい!やべぇぞ、兄貴!』」

 

「『どうした兄弟!?』」

 

ハンドルを握る弟の手は焦りで汗だくだ。

 

「『徐々に遅れてる!アイツ、速いぜ!

このままじゃ、完全に離されちまう』」

 

「『何っ!?そりゃいかん!アイツらをつけろって言われてるしな…』」

 

だが、彼等の意思に反して、レモンの車は遠のいていく。

 

相手が悪すぎる。

 

「『向かおうとしてる場所さえ分かれば、近道できるのにな』」

 

兄がふと、そんな言葉をもらした。

 

だが。

 

「『ん?』」

 

「『止まったな?』」

 

信号だ。

 

市街地ではそれを無視しない限り、追っ手を振り切る事が難しい。

田舎道から都市部に入り、交通量もかなり増えてきた。

 

レモンも双子を突き放してやりたいとは思っているが、信号を無視してまで暴走する気はないようだ。

 

「『おい、兄貴。助かったぜ』」

 

「『結局市内に戻ってきたな。一体どこへ向かってるんだろうか』」


「『とにかくついて行こうぜ。どうやら奴等に迷いは見えない』」

 

この、弟の意見は正しい。

 

アンジー達はまっすぐに空港を目指しているのだ。

 

 

 

「あちゃぁ。信号だ」

 

「アイツらついて来てるよ?」

 

「だから今、あちゃぁって言っただろう。無理やり振り切ってもイイんだぜ?」

 

レモンとドープマンが会話している。

 

「おい、さっき言った通りだぜー」

 

アンジーが言った。

 

「分かったよ」

 

「よく考えりゃ、最後までついて来たところで、奴等が空まで追いかけてくるのは無理だからな」

 

確かにレモンのテクニックで振り切っても良いだろうが、無茶をしなくともメキシコギャング達は飛行機には搭乗出来ない。

金銭的にも、立場的にも。

 

目的地までスピードを出しはするが、わざわざ危険なドライビングまではしないのはそういった理由だ。

 

「ねぇねぇ、本当に飛行機に乗るのかい?」

 

ドープマンは初体験を前にウキウキしている。


「こうなりゃ意地だぜー。金もそうだが、アイツに一泡ふかせてやらねーと気が済まねーんだよ」

 

彼女達はごくわずかだが、LAのバンク・オブ・アメリカの金は手にしている。

もちろん大半は謎の襲来者によって奪われてしまったのだが。

 

「一泡ねぇ。キャンディは絶対誰かに操られてるだけだって。

彼は裏切ったりしないよ!な、レモン?」

 

「キャンディはイイ奴だ!多分!」

 

「おめでたいねぇ」

 

レモンはともかく、ドープマンの言葉が真意だという確証が、アンジーには持てずにいた。

 

現時点では、全貌が見えない。

本当にキャンディと組んでいる人間がいるのか、謎の襲来者の正体、そして、アイス・キャンディの目的。

 

「どういう意味だよ。キャンディにきいてみるまで、何もわからないだろぉ」

 

「ふん…」

 

人を信じる事が出来ない人間。

 

「アイツは怯えて逃げたんだ!きっと俺達みたいに恐ろしい思いをして錯乱してるんだ!」

 

真っすぐな人間。


「サンフランシスコ班、ロサンゼルス班、サンディエゴ班が全て叩かれたって事か?

そんな事…」

 

「キャンディ以外の人間がビビって誰かにたれ込んじゃったとか!だから俺達を疑って逃げちゃったとか」

 

「あ、それっぽい!すげぇな、ドープ!」

 

ドープマンの意見にレモンが同調した。

 

「わざわざあんな派手な事してくる連中にか?

他の国に戦争でも仕掛けようってのか、っていうくらい過激な坊ちゃま達だったぜー?

ビビってたんじゃない。アタシら全員を殺すつもりでけしかけられた連中にしか見えなかったんだがね」

 

「だったらなおさらだよ。アンジーがキャンディに対してそう思うように、キャンディが俺達に対して裏切り者だって考えてるかもしれない」

 

「どうやらいくら議論したところで解決しないようだね。一番の解決策は…そぉら、着いた」

 

ゴォォ…!!

 

飛行機が一機、離陸している様子が近くで見て取れた。

 

空港に到着だ。


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