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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
16/34

Back Again

『Again…再び、元通りに』

 

「大丈夫か、シャロン!?」

 

大急ぎで運転席からレモンが飛び出してくる。

 

「チクショウ…!」

 

仰向けに転がったアンジーが、空に向かって叫んだ。

 

「生きてたか!よかったぁ!」

 

やはり彼女は化け物扱いされてちょうど良いくらいだ。

 

銃で撃たれて車から落ちておきながら、意識はしっかりとあるのだから。

 

「血が出てるぞ!」

 

「見りゃ分かる!アイツ、アタシを撃ちやがったぜ!許せねぇ!」

 

アンジーの怒りは最高潮だ。

 

「アンジー!大丈夫なのかぁい!」

 

車内からはドープマンの声。

 

「やたらと血が出てる!やたらとだ!」

 

アンジーの代わりにレモンがドープマンに向かって言った。

 

しかし、彼の言葉の表現はどことなく変だ。

 

「こんなもん、どうって事無いよ!…っ!」

 

激痛に顔を歪めながらアンジーが立ち上がった。

 

「血が!」

 

「早く車に…!追いかけるぜー!」

 

「追いかけるのか?でも、血が!血がやべぇ!」

 

レモンは軽くパニック状態だ。


「ぎゃあぎゃあ喚くんじゃねぇー!アタシは女だぜ!血なんか見飽きてるんだよ!」

 

ガチャ!

 

アンジーが自力で助手席に滑り込む。

 

「アンジー!平気なの?」

 

これは車内にいたドープマンだ。

彼は車椅子が無いと外に出れない。

 

アンジーは言葉ではなく左手を軽く上げて彼に返した。

 

バタン!

 

レモンもすぐに戻ってきて、車を出した。

 

 

 

「シャロン、血は止まったか?」

 

「このくらいかすり傷だぜ。止血はしてる」

 

しかしレモンは浮かない顔だ。

 

「んー…どうして女だと血を見飽きてるんだ?」

 

理由はそれだった。

 

「幼稚園児か、てめぇは」

 

「ねぇ、アンジー。どうして撃たれてまでも、あのトラックを追うんだい?」

 

アンジーがレモンにツッコんでいると、ドープマンが後ろから言った。

 

「はぁ?キャンディを追ってるからだろう」

 

「「???」」

 

ドープマンとレモン。

 

二人の頭に疑問符が浮かぶ。


「は…?」

 

アンジーの顔が引きつった。

 

ドープマンと、特にレモンは本気も本気だからだ。

 

「お前に言われた通り、あのポンコツを追ってはみたけどよぉ。

結局撃たれてケガしてるだけじゃないか」

 

「俺もそう思うよ。どうしてそこまでして…?

あんな危ない奴らを追うより、キャンディを追うんだろ?

早く探さなきゃ、いなくなっちゃうよ。キャンディにはいろいろときかなくちゃならない」

 

ドープマンはキャンディが裏切った事には気づいているのかもしれない。

だが、真実が分かるまでは決して悪く言わないような性格だ。

 

レモンはおそらく、何も分かってはいない。

 

ただし、二人に共通しているのは…

 

「あのな。お前達。

信じられないかもしれないが、きいてくれ。

さっきアタシらが追ってたのは、紛れもなくアイス・キャンディだぜ」

 

 

やはり、二人は理解不能になって凍りついた。

 

「わからねぇよなぁ…」

 

アンジーだけは変装を見破っていたのだ。


「ぷっ…」

「あはは!」

 

しばらく凍りついて固まった後、レモンは吹き出し、ドープマンは笑った。

 

「ぷっ…く、ははは!ダメだ、我慢できない!

なーにを言ってるんだ、お前は!あれがアイス・キャンディ?

撃たれてケガしたからって当てつけかよ、シャロン!」

 

「そうだよ、アンジー!明らかに俺達だってアイツらの顔は見たんだよ?全然違うじゃないか」

 

「バカ!顔は違ったけど、あれはキャンディだぜー!」

 

笑う二人と憤る一人で、車内はてんやわんやだ。

 

「そんな理由じゃ、あのトラックを追いかける気が失せるぜ。早く本物のキャンディを探そ…ごふっ!」

 

「もう!『あれ』が本物だっ!」

 

助手席からアンジーの右フックがレモンの鳩尾へ。

 

彼はよだれをたらして悶絶している。

 

しかし、ハンドルを離さないあたりはプロ根性だ。

 

「うん。あれが本物のキャンディだよ。間違いない」

 

素早い変わり身を見せたのはドープマン。

 

「…!?ドープ…裏切ったな…」

 

「早く追わなきゃ」

 

いじめだ。


 

 

「どっちに向かったんだろう?」

 

これはドープマンだ。

 

とにかく車を走らせてはいるが、キャンディだと思われる人物がどこに行ったか分からない。

 

「とりあえず、まっすぐ」

 

「とりあえず!?」

 

アンジーの指示にレモンが大きく反応する。

 

「まっすぐ」

 

「いきなりT字路だが!」

 

なるほど。

 

それはさすがに無理…

 

「まっすぐな」

 

を許さないアンジー。

 

「はぁー!?じゃあ、俺達は降りるからお前だけ死ね…ごふっ!」

 

「左な」

 

「はい」

 

もちろんアンジーはジョークのつもりだが、それにいちいち本気でつっかかってくるレモンを見るのが面白いらしい。

 

だが、また腹に一撃入れられたレモンはちっとも面白くない。

 

「アンジー、何であの二人組がキャンディ達なの?」

 

「変装だぜ。素人目には見事かもしれないが、アタシの目は騙せねぇな。

ま、とっ捕まえれば分かるさ」

 

確かに正体を見破ってはいるが、アンジーも100パーセントの自信は無いのかもしれない。


 

 

「こりゃイイ。カモフラージュには最適じゃないか」

 

「アンジー達に対してだけですがね。

警察から見たら違和感丸出しですよ」

 

アイス・キャンディとケーニッヒの二人は、車を乗り換えていた。

 

それも、先ほどの警察官が乗ってきたパトカーに。

 

目的はアンジー達から身を隠す為だが、さすがにこの車に乗り続けるわけにはいかないだろう。

 

「分かってる。制服を手に入れてはどうだ?」

 

「ダメでしょう。州や市をまたぐだけで、明らかに車の仕様が違いますから」

 

トランクと後部座席には、いっぱいの現金。

車をキャンディ達に差し出した警察官は、一生働いても稼ぎきれないほどの大金に、職を捨てたのだ。

 

「アイツらがポンコツのミニトラックを見つけて追いかけてくれれば、しばらく時間を稼げるな。

よし、レンタカーか、車屋に行こう。パトカーはどこかに乗り捨てるしかない」

 

「それが一番でしょうね。

あ、私の取り分からお金は出しませんからね」

 

ケーニッヒはにこやかに言った。


「ふん…わざわざ貴様に言われなくてもそのくらい大丈夫だ」

 

「それは失礼いたしました」

 

特殊なマスクをかぶっていても、ケーニッヒの笑みの表情は『はっきり』と見て取れる。

 

簡単に感じられるかもしれないが、これは非常に難しい事だ。

いかにケーニッヒのつくるマスクが精巧で高い技術を秘めているのかが分かる。

 

 

「噂をすれば何とやら。おそらくレンタカー屋ですよ」

 

日が高くなり始めた頃、農道を抜けた二人は、小さな町にさしかかった。

 

「俺は車をどこかに移動してくる。交渉してきてもらえるか?」

 

「えぇ。それは構いませんが、果たして英語が通じますかね」

 

捨て台詞のような嫌みを言いながら、ケーニッヒはドアを開けて車外へと出て行った。

 

 

 

キャンディがパトカーを物陰に隠して、店の方へと歩いていく。

 

「あ、待ってましたよ」

 

ケーニッヒの手にはクライスラーのロゴが刻まれたキー。

 

どうやら車を借りれたようだ。


「これはまた古いな…

目的地までたどり着けるのか?」

 

「もちろんですよ。これでもちゃんと一番綺麗な奴を選んだんですから!」

 

「どこが綺麗なんだ?」

 

ケーニッヒの横に止まっていたのは、先程まで乗っていたトラックと大差ないポンコツのクライスラー。

 

メキシコの郊外では古いアメリカ車が未だに現役で走っている事が多い。

 

元々国民の生活水準が高くないので、家電製品や乗り物は海外からの中古品の輸入に頼っている部分が目立つのだ。

 

「どこからどう見ても綺麗じゃないですか?

この黄土色のボディーなんか、落ち着いていて」

 

「砂が積もっているだけだろう!まったく、酔っ払いが!」

 

「ジョークですよ。分からない人だなぁ」

 

「行くぞ」

 

乱暴にケーニッヒの手から鍵を取り上げたキャンディ。

 

ガチャ。

 

「ん?」

 

そのまま勢いよく乗り込もうとするが、何とドアが開かない。

 

ガチャガチャ!

 

「クソ!やっぱりポンコツじゃないか!」


「おかしいなぁ。ちょっと貸して下さい」

 

ケーニッヒがドアノブに手をかけた。

 

「鍵が閉まっては…ないですね」

 

「どうだ?」

 

ガチャガチャ。

 

「開きません」

 

そう言いながら、車の反対側へと向かう。

 

ガチャ。

 

ギィィ。

 

「あ、こっちは大丈夫みたいですよ」

 

錆びついて妙な音が出たが、助手席のドアは使えた。

 

「どこかで見たような光景だが…」

 

キャンディの頭の中に、デトロイトの街並みが浮かぶ。

 

古いフォルクスワーゲン。

かつて、ケーニッヒの愛車だったものだ。

 

「さぁ、どうぞ」

 

「お前が用意してくれる車は、いつもドアが開かない。

別のものに替えた方が良くないか?」

 

「これが一番です!文句無しのナイスチョイスでしょう!」

 

トタン板で作られたレンタカー屋の敷地内に目をやるキャンディに、ケーニッヒが声を荒げた。

 

「ふん…」

 

キャンディがケーニッヒの顔を一瞥して乗り込む。


ギギギギ…

 

ガーッ!

 

異様なセルモーター音。

 

「ちっ…」

 

思わずキャンディは舌打ちした。

 

もう一度キーを回す。

 

ギギ…

 

ガーッ!

 

…パスン!パスン!

 

ボボボボ…

 

何か破裂するかの様な音と、黒い煙が車体後部から吹き上がった後、エンジンがかかった。

 

アイドリングの音も不規則で、車内への振動が強い。

 

「なんだこれは。やっぱり不安が残るな…」

 

「早くパトカーの中の金を移しましょう。そっちの方が不安ですよ」

 

古い車を愛車として長く乗っていたせいか、ケーニッヒはポンコツ車に対して寛大だ。

 

「それはそうだが。いったい、いくらで借りたんだ?」

 

「ちょうど100ですよ。もちろんUSドルしかないので、それで支払いました」

 

「そうか」

 

キャンディが座席を前に動かして、自分の背丈に合わせてながら言った。

 

「ちゃんと返して下さいね」

 

「分かった分かった!

何度もケチな話をするんじゃない」

 

「大事な事です」


またニコニコと笑っているケーニッヒ。

 

あまり怒ったりしない性格なのか、それとも激情を持っている事を隠しているだけなのかは分からない。

 

 

「よし、着いたぞ」

 

すぐにパトカーを止めている場所に到着し、キャンディはその横に車を寄せた。

 

「手伝いましょうか?」

 

「当然だ。よろしく頼むぞ」

 

ガチャガチャ。

 

しかし、やはり運転席は内側からも開かない。

 

「クソ…」

 

ガチャ。

 

「はいはい、こちらから降りて下さい」

 

ケーニッヒが軽やかに助手席から出ていきながらキャンディに声をかけた。

 

 

パトカーを止めているのは、店の前を走る少し大きな道路脇の、舗装されていない小路。

 

茂みや木のような障害物は無く、ただ単に路肩に寄せているだけの状態だ。

 

「さすがにこれでアンジー達には分からないでしょう…!」

 

せっせとケースを運んでいるケーニッヒが言った。

 

「いや、まだだ。あの女は油断ならない」


 

 

ブォォ!

 

ハイスピードで道を駆け抜ける二台の車。

 

「もう逃がさねーぞ!」

 

「ビンゴだね!」

 

レモンが怒鳴ると、ドープマンも呼応した。

 

 

幸運にもポンコツのトラックを発見した三人は、全速力でそれを追っているところだ。

 

不運にも、と言って良いのかもしれないが。

 

 

 

一方、ポンコツトラックに乗っている元警察官は…

 

「『ぬぅわぁぁ!!どうして私を追いかけて来るんだぁ!!』」

 

必死すぎて、目が血走っていた。

 

「『はっ!さては、私が大金を手に入れた情報が国中に漏洩されているのか!

そんなバカなっ!この金は渡さないぞ!』」

 

大きな被害妄想を抱きながら、さらにアクセルを踏み込む。

 

彼のこの行動がアンジー達を惑わせ、キャンディ達の手助けとなるわけだ。

 

しかし、当の警察官本人はまったくそんな事に気づくはずもない。

 

己の欲の為に、必死で逃げてくれる。


 

ガツン!

 

「う!うぉぉ!」

 

真後ろからぶつけられ、焦る元警察官。

 

レモンも今までの『逃げる側』の公道レーサーの立場から『追う側』に転じた事をきっかけに、なかなか激しい運転をするようになったものだ。

 

ポンコツトラックのテールレンズがパリパリと割れて、使えなくなってしまった。

 

レモンのタクシーにも無数のキズがついている。

 

 

 

「やったぁ、バンパーヒット!」

 

「ふざけんな、ドープ!

俺の車がぁー!」

 

妙な会話だ。

 

車をぶつけたのはもちろんレモン本人。

 

「ダメだ、レモン。もうすぐで走行不能に出来る。もう一度つついてスピンさせるぜー!」

 

「ちっくしょー!シャロン!てめぇは悪魔だ!

それから俺はスティーブだ!人の名前も覚えられねぇのか、お前は!」

 

やはり、アンジーの指示だった。

 

アンジーの名前をまだシャロンと呼んでいるあたり、後半の言葉は誰にも響かない。


「つべこべ言わずにやる!

アイス・キャンディに逃げられちまうだろ!」

 

「ごふっ…!」

 

やはり、また腹を殴られてしまったレモン。

 

彼の顔面は涙とよだれでめちゃくちゃだ。

 

「ぐ…うぉぉ!」

 

ガシャン!

 

車内に鈍い衝撃。

 

「やった!」

 

一人はしゃいでいるのはドープマンだ。

 

キャキャキャ!

 

「見ろ!コントロールを失ったぜ!」

 

トラックが尻を左右に振りながら滑り始めた。

 

そのままゆっくりとスピンする。

 

キキィー!!

 

…パスン!

 

 

そして道路を大きく塞ぐ形で停車した。

 

「逃がさねー!」

 

バタン!

 

アンジーは銃を構えて素早く飛び出した。

 

トラックの運転席からも人影が一つ。

 

何やらケースのような物を持った男だ。

 

「…??」

 

「やめろ!撃つな!」

 

カタコトの英語。

 

「お前はアイス・キャンディか!?」

 

アンジーも予想外の展開に素っ頓狂な質問をしてしまった。


「はい?アイス・キャンディ?」

 

当然の返事。

 

もちろん彼はキャンディでは無いが、もし本人だったとしても、とぼけて返事をするに決まっている。

 

「キャンディ…では無いか。お前は誰だ!」

 

「誰だと言われても…どうして私を追いかけて来るんだ!

やはり、コイツを狙っているのですか!」

 

開き直ったのか、ジェラルミンケースを高々と掲げる元警察官。

 

「何だそれは…?何か大事なものか」

 

「金です!大量の!私はこれをある男達から託されたのです!

これから薔薇色の人生だったのに…あぁ…!」

 

悲痛な叫び。

 

彼は頭を抱え込んでしまった。

 

「ある男達?まさかソイツらがこの車をお前に?」

 

「は?えぇ、まぁ。

なぜ分かるんだ?」

 

元警察官が不思議に思う。

 

「本当か!どこでだ!」

 

アンジーが食らいつく。

 

「ここから南に少し下ったとこ…だが」

 

「そういう事か!クソッ!やられたぜー!」

 

この男が、エサを与えて動かした囮である事にアンジーは気付いた。


「はぁ…では、私を追っていたわけでは無いのですね」

 

ゴトンとケースを地面に落とし、元警察官はその場にへたり込んだ。

 

緊張が解けて腰が抜けてしまったのだろう。

 

「お前が逃げるからだぜ!で、アイツらは何に乗っていったんだ!?」

 

「それは…」

 

ここで、プライドが邪魔をする。

 

買収された事を話したがる警察官などいない。

 

「なんだ?お前、よく見たら制服だな?

警備員か?」

 

アンジーのチェックは鋭い。

 

この元警察官は上着を脱いでいたが、ズボンだけを見て何かの制服だと当てられてしまった。

 

「パトカー…だ」

 

「は?」

 

「彼等は私のパトカーに乗っていったんだ」

 

「何だって!お前、警官か!

とんでもない事をしてくれたもんだ!」

 

ガツンとトラックを蹴り上げるアンジー。

 

「…」

 

「仕方ない。お前、アタシらの車に乗れよ。しばらく付き合ってもらうぜ」

 

「な…そんな!私のパトカーのナンバーを教えるから、それでイイだろう!…わっ!」

 

しかし彼は首根っこを掴まれて、タクシーに無理やり乗せられた。


「ん?いらっしゃい、キャンディ…?」

 

レモンがおかしな対応をしている。

 

「やあ、キャンディ!しばらく見ない内に色白になったね!」

 

ドープマンもその会話に乗っかってくる。

 

「な…なんですか、私をどうする気だ!」

 

慌てる警察官。

 

しかし、地面に落としたはずのケースはしっかりと手に抱えている。

 

彼が押し込まれたのは運転席と助手席の間。

 

キャデラックやリンカーンなど、アメリカのフルサイズセダンに多く見られる作りだが、なんとレモンのタクシーは前列も三人乗りなのだ。

 

つまり乗車定員は六名。

 

もっとも、後ろはほとんどドープマンの車椅子でいっぱいになってしまっているが。

 

運転席にレモン、助手席にアンジー、後ろにドープマン。

 

前列の中央に座らされている元警察官に逃げ場は無い。

 

「さぁ、案内してくれ」

 

ニコリと笑うアンジー。

 

魅力的で素敵なはずだが、悪魔の笑みにしか見えない。


「ひっ…悪魔…!?」

 

そのまんまのリアクション。

 

ドスッ。

 

ドスッ。

 

「ごふぉ…!」

 

腹に一撃。

 

悪魔への生け贄の数が一名増えた。

 

が。

 

「ぐは…っ」

 

横で悶絶している男がもう一人。

 

「なぜ…俺まで…」

 

レモンだ。

 

元警察官と並んで、口からよだれを流している。

 

アンジーも助手席から二人の腹を殴るとは、なかなかテクニカルな芸当の持ち主だ。

ついさっき銃で撃たれた人間だとは信じがたい。

 

「人を化け物だの悪魔だの、こんな麗しいレディに向かってきけた口かい!

失礼しちゃうぜ!」

 

「…」

「…」

 

ツッコミどころが多すぎて、誰も何も言えない。

 

 

「アンジー」

 

「何だい」

 

「ところでこの人、誰?」

 

ようやく本題に入ったのはドープマン。

 

やはり気にはなっていたらしい。

 

「詳しくは分からないけど、アタシ達はアイス・キャンディにまんまとハメられたのさ」

 

アンジーは振り向いてそう言った。


「じゃあ、この人はただ利用されてるだけなんだね?」

 

「そういう事」

 

 

 

数分後。

 

「この辺りのはずです」

 

元警察官が指をさす。

 

結局、逃げ場の無い彼は完全に諦めて道案内をしている。

 

「まぁさすがに、ここにとどまっているわけないか」

 

アンジーがつぶやく。

 

元警察官が示した場所には人っ子一人いない。

 

「だが、アイス・キャンディが利用したのが警察官だったというのがせめてもの救いだぜ」

 

「パトカーだと探しやすいから?」

 

ドープマンがアンジーに質問した。

 

「そうだ」

 

だが、すでに乗り換えているキャンディ達の方が一枚上手かもしれない。

 

 

停車はせず、そのまま進行する。

 

「…!」

 

キキィ!!

 

何かに反応したレモンが急ブレーキ。

 

全員が大きく前のめりになってしまった。

 

「何だ!」

 

「どうしたんです」

 

横にいる二人が言う。

 

レモンは無言で車をバックさせた。


「見ろ」

 

ガクン、と乱暴にレモンが車を停めた。

 

右手にある細道。

 

そこに一台の不自然な車がある。

 

「あれは…ちょっと、降ろしていただけませんか?」

 

反応したのは元警察官。

 

アンジーもそれに了承して、ドアから出た。

そうしないと彼を降ろせないからだ。

 

すぐに二人は駆け足で、遠目に見えている車の方へ向かう。

 

 

そして到着した。

 

「…お前のパトカーか?」

 

「はい。私の…ものに間違いありません。乗り捨てられたのか」

 

一度は職を投げうったとはいえ、長年連れ添った相棒が捨てられている姿を見ると複雑な心境になってしまったようだ。

 

「しかしレモンのやつ、よくこんなに遠くに止めてあるパトカーに気がついたな。

どうする?コイツはおいていくんだろ?」

 

「もちろん、今の私には…どうする事もできない」

 

「じゃあ戻るぜ。次の手がかりを探さないとならない」

 

アンジーは胸からくしゃくしゃになったタバコを取り出して、カチリと火をつけた。


 

 

「どうだった?」

 

二人が車に戻ると、真っ先にきいてきたのはレモンだ。

 

どこか少し、顔がにやけているように見える。

 

「あぁ、間違い無かったぜ。お手柄だな」

 

「やっぱりか!さすがは俺!

男前だぜ!」

 

手柄を自慢したくてにやけていたらしい。

 

「これで振り出しみたいなもんだね。

そのお巡りさんはどうするの?」

 

ドープマンが退屈そうに言った。

 

確かにもはや彼は必要ない。

 

「おっ…!解放してくれるのですか?

よかった!」

 

元警察官の顔が明るくなる。

 

「そうだな。残念だがお払い箱だぜ」

 

「よかった!ではまたすぐに降ろして下さい!」

 

「ここでいいのか?まぁ、分かった」

 

駅も見当たらないし、バスが走っているわけでも無い。

 

「すぐそこにレンタカー屋があるはずだから大丈夫です。

これで自由だ!」

 

アンジー、レモン、ドープマンの三人が互いの目を合わせる。

 

手がかりはつながっていく。


 

 

チリンチリン。

 

ドアの上につけられた鈴が鳴る。

 

「『あい、いらっしゃい』」

 

しわがれた無愛想な声。

 

老年の男性が一人、椅子に座っていた。

 

店内は昔ながらの木製で、レンタカー屋と呼ぶにはあまりにも…民家じみている。

というより、表の敷地内に止まっている大量の車を除けば、もはやただの民家そのものだ。

 

「『一番安いやつを貸していただきたい』」

 

もちろんこれは元警察官の言葉だ。

 

老人の顔には「またか」という表情。

 

だが、それは何も『安い車を頼む人間が多いから』というわけでは無いらしい。

 

「『またアメリカ人か…』」

 

「『は?何を言ってるんです?

私はメキシコ人だぞ』」

 

困惑する元警察官。

 

「…」

 

老人が彼の後ろを指差した。

 

パッと後ろを振り向くと、レモンとアンジーの姿が。

 

「え、あなた達どうしてついて来てるんですか!」

 

音もなく後ろにいた二人に元警察官が驚く。


「どうしてとはご挨拶だな。

おい、じいさん。英語は解るか?」

 

アンジーが少しムッとしたような口調で応える。

 

老人はアンジーの方を見ていたが無反応だ。

 

「『…彼女が英語は話せるのか、と言っています』」

 

元警察官のスペイン語による助け舟。

通訳にはもってこいだ。

 

もちろんアンジー達は、彼にそれを期待してわざと立て続けに来店したのだ。

 

「『いや。ほとんど分からんが、身振り手振りでコミュニケーションくらいは出来る』」

 

「話せないそうです」

 

老人の回答を彼は手短に訳した。

 

「そうか。やはりお前がいる間に聞き込みするのが正解だったぜ」

 

「それはどうも。

あの二人組の事をきけばよろしいのですね?」

 

「そういうことだ。話が早くて助かる」

 

アンジーと元警察官、そしてレンタカー屋の老人。

 

三人での会話が続き、立っているだけのレモンは寂しいのかまごまごしている。

 

「『おじいさん。

今日、二人組のアメリカ人が車を借りに来ましたよね?』」


 

一呼吸おいて、老人は元警察官の質問に答えた。

 

「『来てないぞ』」

 

「え…?」

 

クルリと振り向いて、彼が訳す。

 

「あの、来てないそうだが」

 

通訳を聞くと、アンジーとレモンは固まった。

 

 

そして数秒後。

 

「はぁ?」

「えー!」

 

同時に声が響く。

 

当然の反応だ。

 

「本当に来てないのか?

あんなところにパトカーを乗り捨てたんだ。てっきりここで車を借りたものだとばかり思っていたぜ…」

 

珍しく落胆した表情のアンジー。

 

当てが外れたショックは大きい。

 

「『本当にアメリカ人は来てないのですか?

またアメリカ人か、とおっしゃられたはずでは』」

 

「『アメリカ人なら来たぞ』」

 

「『はい?どういう意味です?』」

 

老人の言葉を支離滅裂に感じた元警察官。

 

「『アメリカ人なら少し前に来た。クライスラーを借りていったな。

だが、一人だった』」

 

「アメリカ人は一人で来たと言っています」

 

再び通訳。


「なるほど、店内に入ってきたのは一人だと言うことだろうな。

それ以外に今日やってきたお客さんはいるのか?」

 

「『えーと…今日、他にアメリカ人は来ましたか?』」

 

「『あぁ』」

 

老人がうなずく。

 

「そうか。それは二人組か?」

 

アンジーが指を二本立てるジェスチャーをした。

 

「『あぁ』」

 

また、首を縦にふる老人。

 

「もしかしたら、そっちがアタシ達の標的かもしれないぜ」

 

「『どんな二人組でしたか?』」

 

「『今、目の前にいる。そこの二人だ』」

 

しわがれた手が指差す。

 

「『はい?』」

 

「『今日、店に来たアメリカ人は、さっき車を借りていった男と今そこにいる二人組だけだ』」

 

「二人組とはあなた達の事だそうです。

やはりお尋ね者はその客で間違いないのでは?」

 

答えが出た。

 

とにかく質問には答えてくれるが、この老年の男性はその意図が分かっていないのだろう。

 

いちいち回りくどい回答が返ってくる。


「それがアイス・キャンディだって決めつけるわけにはいかないが、他にあても無いし、ソイツを追いかけるしかなさそうだな」

 

「は?キャンディじゃない奴を追うのか?

キャンディを探すのに」

 

「ややこしくなるからお前は会話に入るな」

 

ぼそりとつぶやいたレモンに容赦なく言い放つアンジー。

 

「お前、嫌いだ。お前、嫌いだ。お前…」

 

「ソイツが借りた車の特徴と、ナンバーをきいてくれ」

 

呪文のように何度も同じ言葉を唱えているレモンは無視された。

 

「『えーと、おじいさん。そのクライスラーはどんなものですか?』」

 

「『はて。しばらく見ておらんから、どんなものだったか』」

 

整備も洗車もせずに放置していた事が明らかな発言だ。

 

まったく商売っ気が感じられない。

 

「『それは…』」

 

「『だが、管理用の書類ならある。見せてやるから書き写していくといい』」

 

よっこらせ、と椅子から立ち上がり、老人は一枚の紙を元警察官に手渡した。


「貸してくれ。ペンと紙はあるか?」

 

アンジーがすぐにそれを奪う。

 

「『書くものは…』」

 

「『そんなものは無い』」

 

元警察官がチラリと老人に助けを求めたが、そんなに甘くはない。

 

しかし、紙が無いとは、本当にこれで店は営業できているのかと不安にさせられる。

それともただ紙を与えるのを渋っただけか。

 

「仕方ないですね」

 

彼は制服の尻ポケットから手帳とボールペンを取り出した。

 

仕事で使っていたものだろう。

 

「はい、どうも」

 

再びパッとアンジーがそれを取り上げ、サラサラと書類の内容を書き写した。

 

「トーマス…エジソン?はっ!ふざけた偽名を使ってやがるぜ」

 

「そこまで分かりやすいと、助かりますね」

 

「気にしなかった、そのじいさんもすごいな。

いや、気づかなかったのか」

 

ビリビリとページを一枚破って、手帳とボールペンを元警察官に返す。

 

「グラシャス、じいさん」

 

そして書類を老人に。

 

「レモン。コイツに書いてあるのがアイス・キャンディの車だ。死んでも探すぜ」


「んー?見せてくれよ」

 

アンジーがひらひらと紙を見せびらかしはするが、これではレモンが読む事が出来ない。

 

「あははは!後でな!」

 

久々に甲高い笑い声が響き渡る。

 

 

 

「『ところで、私の車は?』」

 

「『おぉ、そうだったな。忘れていた』」

 

元警察官が老人に車のレンタルを頼んでいる。

 

「じゃあ、アタシ達は行くぜー!付き合ってくれてありがとな」

 

「どういたしまして。もうこりごりだが、これからの生活を考えれば何でもないさ」

 

チリンチリン。

 

別れの言葉を告げ、二人は外へ出て行った。

 

「『安い車で良いんだったな?』」

 

「『えぇ、きちんと走ってくれさえすればそれで』」

 

「『ではこのトヨタにしよう。ちと窮屈だが、充分走ってくれるぞ』」

 

キーを取り出す老人。

 

「『では、それでお願いします』」

 

「『あいよ。サインを貰えるかな?』」

 

言われた通り、書類にサインをする元警察官。

 

彼は職業欄になぜか…タレントと記入した。


 

 

バタン!

 

「いつも二人で降りてズルいなぁ」

 

ドープマンの不機嫌な声。

 

子供のように頬を膨らませている。

 

「だって、お前降ろすの面倒だもん」

 

「だもん」

 

アンジーの言葉は痛烈だった。

 

自らが手を下した結果であろうが、完全に他人事だ。

 

レモンが語尾だけ真似をして便乗しているあたりも、ドープマンにとっては笑えない。

 

「何でだよ!せっかくメキシコに来たのにー」

 

「観光じゃないんだぜー?途中でコーラを買ってやるから我慢してくれよ」

 

「えー。バージニア・コーラ売ってるのー?」

 

コロッと騙されそうになるドープマン。

 

コーラの種類さえあれば良いのか。

 

「よう、ドープ。キャンディらしき奴はまた車を代えて逃走中だ。

ここまできたら絶対追いついてやろうぜ」

 

状況を徐々に理解し始めたレモンがいちいち説明してきた。

 

「バージニアが一番おいしいんだからね!」

 

 

無視。


「で、どっちに走ればイイんだ?」

 

「もちろん南下だぜ」

 

「何で?それと南はどっちだ?」

 

「そっちだ。理由は教えてもお前には理解出来ないさ」

 

指で方角を示しながら、アンジーが答える。

 

「はぁ?俺の事をバカにすんじゃねぇ!

いくらお前でもゆるさねぇぞ、シャロン!」

 

「はいはい。すまなかったな、スティーブ」

 

「バカヤロウ!誰がスティーブだ!俺はレ…えぇぇー!?」

 

あまりにも唐突すぎて、レモンはわけが分からないリアクションをしてしまった。

もはや本名とあだ名が逆転してしまうぐらいの領域に達していたらしい。

 

「ん?じゃあ…『レモン』にするぜ」

 

「違う違う違う!

さっきの名前で良いんだよ!」

 

「そうだな。悪かった、レモン」

 

「だぁぁぁ!」

 

アンジーは真顔だ。

 

ドープマンは息を殺して笑い転げている。

 

 

「自分で酸っぱくなっちまった…」

 

寂しそうなレモンの言葉と共に、再び発進する。


 

 

ギギギ…

 

ガコガコ。

 

「あぁ!イライラする!どうにかならないのか、道も車も!」

 

「どうしたんです?快適そのものじゃないですか」

 

キャンディは壊れそうなポンコツ車と未舗装の道路にひどく苛立っていた。

 

「どこが快適だ!

スピードは出せないし、積んだ金がガタガタ揺れて気が気じゃない!早くこんな田舎とはおさらばだ!」

 

「ニューヨークの生活に慣れすぎなんですよ、アイス・キャンディ。

道にはしっかりアスファルトが張ってあり、車も整備された新型車や高級車だ。

バスやタクシー、地下鉄もあって移動は容易。

ひとたび家に帰って、蛇口をひねれば水が流れ、スイッチを入れれば明かりが灯る。

それって、当たり前だと思ってるのはそこに住んでいる人だけなんですよ。

国境を越えれば常識は非常識になり、非常識が常識になります」

 

「くどいな、ケーニッヒ。ドイツのゲルマン達も変わりはしない。

メルセデスなんて贅沢の極みだ」


キャンディはそう言って鼻で笑った。

 

「そういう事を言ってるわけではありません。

ここはメキシコですよ?あなたにとって彼等の生活水準が低くても、道路が気に食わなくても、それがここでは当たり前なのです。

アフリカの砂漠なんて、道すらありませんよ!」

 

そうは言うが、ケーニッヒも別にメキシコをかばおうとしているわけではない。

 

単に、無意味な苛立ちを覚えているキャンディをなだめているのだ。

 

もちろん彼に対して効果は無いが。

 

「いったい何の話だ!

そんなに自然が好きならアマゾンでターザンのような生活を送ればいい」

 

「論点がずれ過ぎですよ。

ところでアイス・キャンディ、アンジー達が近くまで来ている事は確実です。

メキシコシティにも長くいるわけにはいかないかもしれませんよ?」

 

「余計な忠告だ。お前を降ろしてどうするのか考える」

 

キャンディはフン、とうなった。

 

「そうですか。どうぞ、ご無事で」

 

ケーニッヒは変わらずニコリと笑う。


 

 

丸一日後。

 

 

立ち並ぶ高層ビル。

 

世界第九位の人口を誇る大都市。

 

『メキシコシティ』

 

キャンディが暮らしてきたニューヨークと比べても見劣りしないほど、近代的で派手だ。

 

海に面していない内陸地にある都市だが、中南米の経済の基盤を支える大きな街だ。

 

「いやはや…驚きました。

こりゃすごいですね」

 

ケーニッヒがあんぐりと口を開いている。

 

彼は首を大きく上に向けて、大空の遥か彼方までそびえ立っているビルを見上げているところだ。

 

「あぁ、さすがに俺も驚いている。ここまで発展している街がこの国にあるとはな。

今まで通ってきた道のりからは考えられないような場所だな。

だが、思ったよりも身を隠すのに使えそうだ」

 

えらく差別的な言葉だが、キャンディの本心だろう。

 


「さて、そろそろ降ろしてもらわなければなりませんね?」

 

「そうだな。どこでもイイか?」

 

「寂しいなぁ。少しは惜しんで下さいよ」


 

街中に張り巡らされている、ハイウェイの高架下をくぐったあたりで、キャンディは車を停めた。

 

「降りろ」

 

「まだレンタル料をいただいてませんが」

 

「…」

 

キャンディは無言で一度車を降り、トランクを開けた。

 

そしてケースからベンジャミンを一枚抜き取って車内に戻る。

 

「ほら、これでイイか?」

 

「えぇ、結構です。どうも」

 

それを受け取ったケーニッヒは、くしゃりと丸めてポケットに突っ込む。

 

「さて、アイス・キャンディ。

貴方と過ごせて楽しかったですよ。どうかお気をつけて」

 

「お前もな。取り分は他の連中よりも多いんだ。せいぜい長生きしてくれ」

 

「はは、気遣ってくれてありがとうございます。それでは」

 

ケーニッヒは車を降りた。

 

ブロロ…

 

わき目もふらずにキャンディは車を発進させる。

 

「…せいぜい、長生きして下さいね」

 

その後ろ姿を見ながら、キャンディの言葉を本人に向かって復唱した。


 

 

「ふぅー…」

 

長く息を吐いたのはアイス・キャンディ。

 

久しぶりに手に入れた一人の時間が、よほど居心地がイイようだ。

 

誰にも心を許す事が出来ない彼の性格上、それは仕方ない。

 

 

まったくコネクションを持たないこの地では、頼る者が誰一人としていない。

 

潜伏するには悪くない街だが、さっきのケーニッヒの言葉が気がかりだった。

 

『アンジー達がすぐそばにいる』

 

それはおそらく事実。

 

彼女は情報屋だ。

 

聞き込みや視認など、アナログな方式しか役に立たない状況下ではあるが、国を跨いでまで追跡してきた。

 

今となってはヤクザ者のRG以上の脅威としてキャンディは認識している。

 

 

彼女がたどってくるとすれば、ポンコツのトラックで走らせた警察官を捕縛し、次に彼の道案内でパトカーをどうにか見つけ出す。

 

そして万が一、レンタカー屋の存在に気づいたとしたら、そこでキャンディが借りた車の情報を引き出すだろう。

 

つまり、たどり着かれる可能性はゼロでは無い。


「…」

 

どうにか身を隠すのか、また移動するのか、キャンディの心で葛藤が起きる。

 

土地勘もまったく無いので、めちゃくちゃに走り回るわけにはいかない。

 

メキシコ入国当初の目的地はここ、メキシコシティなのだから。

 

 

 

時刻は夕暮れ。

 

富裕層も多い大都市ではあるが、ひとたび路地裏に入ってしまえば危険な香りが漂う。

 

麻薬や人身の売買、殺し。

 

 

初めての土地であるにも関わらず、それを感じ取ったキャンディは、大きな通りばかりを選んで走ってきた。

 

日が完全に落ちてしまった頃、ようやく路肩に車を停止させる。

 

「…ふぅ」

 

彼はマスクを脱ぎ、額にじっとりとにじんだ汗を手のひらで拭った。

 

ツンと汗臭いマスクを助手席に投げ捨て、シートを倒す。

 

危険な事を承知でちょっとした仮眠をとるためだ。

 

 

数分後。

 

コンコン。

 

「…?」

 

コンコン。

 

ガラスを軽く叩く音。

 

「しまった…」

 

気づけば懐中電灯で車内を照らされていた。


長旅にトラブルはつきものかもしれないが、彼の場合はその頻度が異常だ。

 

コンコン。

 

「『開けなさい』」

 

やはり、制服を着た警官らしき男が立っていた。

 

手動でわずかに窓を開けるキャンディ。

 

「…」

 

「『何をしている。そんなに少しだけ窓を開けても何も変わらないぞ』」

 

制服の男は一人。

 

少し離れたところからジーンズとTシャツ姿の一般女性がこちらをうかがっていた。

 

おもしろ半分なのか、心配しているのかはよく分からない。

 

「…面倒だな」

 

「『おっと、言葉が通じないのか?パスポートか何かあれば見せてくれ』」

 

「…」

 

パスポートという単語の発音だけ聞き取れたキャンディは、仕方なくそれを窓から警察官に渡した。

 

だが、偽造されているそれには『特殊マスクをかぶった顔写真』が写っているため、確実に別人だとバレてしまうだろう。

 

 

警察官はそれをジッと見て一言。

 

「『これは預かっておく』」

 

そして胸ポケットにしまった。


「お前…何をやっている?」

 

キャンディはキッと警察官を睨みつけて言った。

 

偽造しているものではあるが、自分のものを取られる事がよほど嫌いなのだ。

 

それに、このパスポートは金額には変えられない価値がある。

 

 

ジッとこちらを見ていた一般人の女性が、なにやら周りをキョロキョロと見ながら近づいてきた。

 

「…?」

 

「『…』」

 

キャンディがそれを不思議そうに見ているので、警察官も振り返って彼女を見た。

 

しかし、彼は何も反応を示さずにまたキャンディの方を向く。

 

とうとう、その女は警察官の真横までやってきた。

 

…そして、耳打ち。

 

「なんだ、ソイツは」

 

キャンディが隠し持った拳銃に手を当てる。

 

何かおかしい。

 

「『他に身分証は?あー…ドライバーズ・ライセンスとか、財布を見せてくれ。

えーと、マネー、マネー』」

 

「…お前、警官じゃねぇな」

 

簡単な英単語だけわかったが、確実に金目当てだ。


「『どうした、早く出すんだ』」

 

男が不機嫌な声を出した。

 

「…」

 

少し、窓を開けるキャンディ。

 

「『おっ、イイ子だ。早く持ち物をすべて出しなさい』」

 

カチャ。

 

ぬっ、と伸びた左腕。

手には拳銃。

 

銃口は、ピタリとニセ警察官の額に押し当てられていた。

 

「『へっ?』」

 

「バカが」

 

カチン…

 

パァン!

 

一瞬の内に、彼の身体は後ろに大きく吹き飛んだ。

 

女が悲鳴を上げる。

 

やはりグル。

 

警察官を装って金を巻き上げるケチなチンピラだろう。

 

 

だが、彼女は驚くべき行動に出た。

 

逃げようとはせず、ひざまずいて男の身体を揺さぶっているのだ。

 

もちろん急所を撃ち抜かれている彼が再び息を吹き返す事は無い。

 

「『あぁぁ!目を覚ましておくれよぉ!』」

 

何と言っているのかは分からないが、あまりにも泣き叫んでいるので、彼等は夫婦か恋人同士かもしれないな、とキャンディは思った。

 

「胸クソ悪い」

 

そしてアクセルペダルを踏みつける。


 

彼にとって安全な場所など無かった。

 

比較的治安が良いとされる場所でさえも信用ならない。

 

「まずは、この金を力に変えないと」

 

近くにいるアンジー達や、きっとまだ追いかけてきているRG。

 

彼等を討ち果たして、やっとNYに返り咲く事ができるはずだ。

 

だが今はまだ時期では無い。

もう少し力を蓄えるべきだ…つまり、資金を増やし、味方として力を持つ人間を取り入れる必要があった。

 

ただし、銀行強盗の時に募ったような荒くれ者の仲間ではない。

 

…力、権力をもつ人間達。

 

キャンディが狙うのはそういった人間達だ。

 

ピストルをぶら下げて鬼ごっこをするのにはもう飽きた。

 

自分の手を汚さずに、邪魔者を排除し、自らが理想とする組織を構築していく。


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