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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
11/34

Stan

『Shady…薄暗い、いかがわしい』

 

ガチャ。

 

ガタン!

 

「うぉ!」

 

扉を開けてモーテルの部屋の中へと戻ると、ベッドからホーキンスが転がり落ちた。

 

「いてて…どうも寝ぼけていたようだ。

アイス・キャンディ…ソイツは?」

 

頭を掻きながら、ホーキンスがベッドに座る。

キャンディの横にいる謎の人物に興味を持つのは当然だ。

 

「彼は」

 

「ケーニッヒです」

 

キャンディの返答にかぶせてケーニッヒが言った。

 

「そうか。ゲルマン人だな。

コイツに声を掛けられるくらいだ。一体、今までどんな悪さをしてきたわけ?」

 

「ふふ、悪さなんてしてませんよ。

ただ、変装が得意でして」

 

「変装か…ソイツはイイ。俺はホーキンス。フロリダにその名を轟かせる大泥棒だ」

 

「そうですか。お会いできて光栄だ」

 

ケーニッヒがホーキンスの元へと歩き、右手を伸ばす。

 

しかし、ホーキンスはそれを握らなかった。

 

「…馴れ合いと協力とでは、意味合いが違うわけよ」

 

「それは失礼しました」

 

空気が澱む。


 

人嫌いのアイス・キャンディが人を集め、束ねる。

 

考えられない事だが、結果的にはそうなってしまっている。

 

しかし、彼はケーニッヒとホーキンスを紹介したものの、二人の仲まで取り持つつもりは毛頭無い。

 

「さて…移動だ。ホーキンス」

 

「あぁ?なんだって、あんちゃん?」

 

キャンディがそそくさと支度を始める。

 

ケーニッヒはツカツカと扉の前へ移動した。

 

「おい!どういうこった?

まだ来たばかりなのに、もうデトロイトを出るってのか!?」

 

「違う。無償で使えるねぐらの確保が出来ただけだ。

ケーニッヒのアジトを使わせてもらえる」

 

「何!?冗談じゃねぇ!

どうせ豪勢な家でもないんだろう?モーテルの方が居心地もイイ」

 

ホーキンスが噛み付く。

 

…そう。

 

しばらくデトロイトにいる間だけは、ケーニッヒの部屋を拠点として使用する段取りができているのだ。

 

「仕方ないな…それじゃあ、自分の金で好きなだけここにいるとイイ」


「あぁ?」

 

「金が無いなら得意の泥棒をしたらどうだ?

途中で勝手にサツに捕まってもらっても、俺は一向に構わないぞ。

旅行に来ているつもりなら、目障りだからな」

 

「チッ…!」

 

「強制はしないが、従ってもらいたい。

…これはビッグビジネスだ。

しかし、現時点ではほぼ一文無し。無駄な経費が削れるのならば、俺は喜んでそちらを選ぶが?」

 

バタン。

 

ケーニッヒとキャンディが部屋から出て、扉を閉めた。

 

 

一人残されたホーキンス。

 

「ぐ…!クソがぁ…!」

 

ガシャァン!!

 

枕元の電話機を、備え付けのオンボロなテレビに投げつけた。

 

ブラウン管の画面が割れ、ガラスが飛び散る。

 

バン!

 

「おい!待て、お前ら!」

 

まだ部屋を出て間もない二人を呼び止めるホーキンス。

 

「…行くのか?」

 

「あぁ!仕方ないからな!」

 

「そうか。今から支払いだが、部屋の物…弁償する金は立て替えといてやる。

ツケだ」

 

「…」

 

しっかりバレていた。


 

 

「おぉ…!」

 

ケーニッヒのアジトへと移動し、感嘆の声を上げたのはもちろんホーキンスだ。

 

「コイツぁ、本当にすごいな。

変装が得意ってのは嘘じゃなさそうだ」

 

「同志として迎え入れるのに申し分ないだろう?」

 

キャンディが返す。

 

「同志ねぇ…大袈裟だろ。

しかし、やっぱり狭い部屋だな。薄暗くて、壁一面にはマスク。

そうとう陰湿な雰囲気だぜ」

 

「そうですか?気に入っているんですがね。

少しの間ですので我慢して下さい」

 

ケーニッヒがにこやかに笑いながら、ホーキンスをなだめている。

 

こんな狭くて汚い部屋を使ってはいるが、おそらくケーニッヒにはそれなりの貯えがある。

キャンディはそう踏んでいた。

 

彼が扱うのは『情報』。

無限の価値がある。

 

だが、アンジーにしてもケーニッヒにしても、そんな情報屋達をも魅了するキャンディの計画。

 

全米を巻き込んで企てるその計画が『どデカイ祭り』になる事は誰の目から見ても明らかだ。


「それじゃあ、俺はまたすぐに出るぞ」

 

キャンディは再び、仲間として必要としている人間達と会う為に動き出す。

 

カリフォルニアを出発してからというもの、毎日がこの調子だ。

休む間も無い。

 

「この街での人探しは、あとどのくらいですか?」

 

「三、四人ってところだ」

 

「案外少ないですね?」

 

「もちろん、当たっていく人数と、実際に引っ張ってくる人数とではかなりの差がある」

 

そう言ってキャンディが扉を開けると、冷たい風が室内に流れ込んできた。

ホーキンスが大きなくしゃみをしている。

 

「車、お貸ししましょうか?

この街は広い」

 

「持ってるのか?」

 

「もちろんです。そんなにイイものではありませんが」

 

チャリン、とケーニッヒがキーをキャンディに投げ渡す。

 

「VWか。お似合いだな」

 

「自動車は、父の祖国の誇りですから」

 

「使わせてもらおう」

 

ポケットにキーを押し込む。

 

「このビルの裏手に駐車しています」

 

バタン。

 

室内に温もりが戻る。


 

『そんなにイイものではない』の言葉通り、ケーニッヒの車はひどいものだった。

 

キャンディがニューヨークからカリフォルニアへと、大陸を横断した時に使った車の方が『まだマシだ』と感じるほどにボロボロなビートル。

 

良く言えばクラシック。

悪く言えばスクラップ。

 

 

ガチャガチャ。

 

「…」

 

まず、キーがキーホールに挿さらない。

 

「チッ…」

 

仕方なく助手席側から鍵を開け、車内に滑り込もうとする。

 

しかし次の難関は、車内に積んである大量の雑誌や新聞。

 

ケーニッヒがこれらを情報源として使っているのか、ただの趣味なのかは分からないが、とにかく邪魔だ。

 

もちろん車内の後部もいっぱい。

 

運転席にたどり着くまでに邪魔なものは、お構い無しにすべて外に放り投げるキャンディ。

 

ようやく運転席に座り、セルモーターを回す。

 

カカカッ。

カカカッ。

 

「…」

 

ヒドいと予測はしていたが…エンジンがかからない。


ガン!

 

ハンドルを叩いて憤慨するキャンディ。

 

「…」

 

気を取り直してもう一度。

 

カカカッ…バスン!


 

ボボボ…

 

「よし」

 

すかさずギアを入れ、発進する。

 

 

 

もうじき朝を迎える街は、静寂。

 

朝と昼間の喧騒や、夜の賑やかな時間とは全く違う。

 

早朝の街は、一番おとなしい。

 

 

「さぁて…外は寒いだろうねぇ」

 

「貴方もどこかへ行かれるのですか」

 

ホーキンスとケーニッヒ。

 

残された二人は…特にホーキンスは退屈な様子だ。

 

この部屋にはテレビやラジオのようなものが無い。

 

彼は部屋の中を右往左往しているだけだったが、ついに扉の前でそんなことを言い出したのだ。

 

「ん?いや、寒いのは苦手だ」

 

「そうですか。一杯どうです?」

 

ケーニッヒがウィスキーを勧める。

 

「ここには、他に何か無いわけ?

ダーツだったりカードだったりよ」

 

「仕事場ですから。娯楽品は大好きな酒だけです」


「そうか。しかしワガママ言ったらまたあの兄ちゃんからどやされちまうな」

 

短く借り上げた頭を掻きながら、ホーキンスがドカリと地べたに座る。

 

パイプ椅子に座っていたケーニッヒもそれに習ってあぐらをかいた。

 

「では、こちらから」

 

「あー!待て待て!」

 

瓶に口を当てようとしたケーニッヒを止める。

 

「はい?」

 

「せっかくだったら、何かに乾杯するものだろう!それと、グラスは無いのか」

 

「そうですか?あいにくグラスはありませんが…交互に飲めば問題ありません。

では、何に?」

 

ウィスキーを床に置く。

 

「それはもちろん、俺達の旗揚げに!

あ、いや…アイス・キャンディの元に集ったクソったれ達に!」

 

「ははは。分かりました。

当の本人はいませんが、そうしましょう。

…彼の元に集まった我々はパートナーです。彼の発案は一見、バカげているようですが非常に面白い」

 

「御託はイイから早く瓶を持ちな!」

 

「あ、はい」

 

それにホーキンスが拳をぶつけ、カチンと音を立てた。


 

 

ボボボ…

 

ブォン!

 

「ふー…」


 

ガチャ。

 

キャンディが、疲れた身体を車から降ろす。

 

収穫はゼロ。

 

それも、ターゲットに断られてのゼロではなく、彼等を見つけて話す事すらもかなわなかったゼロだ。

 

「クソ…」

 

ガチャガチャと、閉まらない鍵にイラつきながら、一度座席に戻る。

 

そして内側から鍵をかけ、助手席から降りてロックする。

 

 

カツ、カツ。

 

バタン。

 

「おー!アイス・キャンディ!!よく戻ったな!」

 

扉から部屋に入ると、すぐに機嫌のイイ大きな声が彼を出迎えた。

 

「…何だ、お前等…」

 

あきれるキャンディ。

 

ご機嫌なホーキンスがキャンディへ近付き、肩をパンパンと叩いた。

 

完全に出来上がっている。

 

「おい、触るな」

 

 

ケーニッヒはというと、床に転がってすっかり夢の中だ。

いびきまでかいている。

 

こんな無防備な姿を見せられると、彼が凄腕の情報屋である事も疑わしく感じてしまう。


 

もちろん彼等がこうなってしまったいきさつは、『酒』のせいだ。

 

しかし、二人が打ち解けられたのならば、キャンディは何も言う事はない。

 

「ん…」

 

ゴソゴソと、ケーニッヒが寝返りをうった。

 

そして、パチリと瞳が開く。

 

「おや…?お帰りでしたか、アイス・キャンディ?」

 

「あぁ」

 

「これは、だらしないところをお見せしましたね」

 

キィ。

 

パイプ椅子に座り、マルボロに火をつけるケーニッヒ。

 

「それで、どうでした?」

 

「今日はまったくダメだった。頭の中のリストに叩き込んでる奴等とは、誰一人として会えなかった」

 

「そうですか。『ロブスター』をご存じですか?」

 

ケーニッヒの妙な質問。

 

「…?そりゃ、当然だ」

 

「それくらい俺でも知ってるぞー!」

 

相変わらず上機嫌のホーキンスが会話に入ってきた。

 

「ボイルにソテーにグリルに…バターソースをたっぷりつけて!んー、考えただけでも美味そうだ」


しかし、ケーニッヒは首を横に振る。

 

「いえ、そういう意味ではなく」

 

「何?他に美味い食べ方があるわけ?

あぁ、分かったぞ!刺身だとかいうんだろう?生はごめんだぜ!」

 

「だから違いますって。

『ロブスター』と呼ばれる人物を知っていますか、という意味です」

 

丁寧にケーニッヒは言い直してくれた。

 

「いや」

 

これはキャンディだ。

 

「おや、ご自慢のリストにはありませんか?

まぁ、ニコールが知らなくてもおかしくはありませんがね」

 

「どういう男なんだ、ケーニッヒ?」

 

「分かりません」

 

堂々と笑顔でそう答える。

 

「は?」

 

「まず、『男』かどうかすら分かりません。

それに、もっと言えばその人物が『存在する』のかどうかも分からないんです。

デトロイトでは半ば伝説化している人物で、この街で起こる大きな事件のほとんどは、ソイツが糸を引いているとか」

 

ケーニッヒが肩をすくめる。

 

「なんだよそれ!ガセネタか!」

 

「…詳しく聞かせてくれないか」

 

ホーキンスは鼻で笑ったが、キャンディは話に食らい付いた。


「残念ながら、詳しくは知りません。これが正直なところです。

しかし、正体不明の人物であるにも関わらず、奴の噂や目撃情報が多いのも事実です」

 

「お前は、その…接触しようとは思わなかったのか?」

 

キャンディの吐いたこの言葉にはもちろん『情報屋だというのに』という言葉が隠されている。

 

何も、ケーニッヒをバカにしたくて使った表現ではなく、ホーキンスの前で勝手に彼を『情報屋』だと宣言するのをためらったのだ。

 

ホーキンスは、ケーニッヒの事を変装の達人とでも思っているだけなのだから。

 

「まさか」

 

「ん?」

 

「まさか、いるかも分からない奴に接触しようだなんて。

まず、会えたとしても用がありません。

…ただ、今回は違う。貴方のプランは最高だ。

ロブスターを探してみる価値はあると思います。奴が本物ならば、いつまでもデトロイトでお山の大将では満足しないでしょう。

ただし…大物を引き寄せるには大きな金や仕事、そして大きな器が必要です。

アイス・キャンディ、貴方の力量が試されますよ」


ケーニッヒの整った顔が、綺麗な瞳が、キャンディを見つめる。

 

「大きな金と仕事…器。俺にはすべて揃っちゃいない。

むしろ、一つも持ち合わせてない」

 

「エラく悲観的ですね、アイス・キャンディ?

人を動かすリーダーは常に前だけを見るものです」

 

「勝手に俺に妙な役職を与えてくれるな。

俺はただの『きっかけ』に過ぎない。道を歩くのはお前達自身だ」

 

「一理あります。

が、ロブスターを探す事自体を否定する理由は不十分では?

先程も言いましたが、貴方の力量次第です。

金や仕事、器は後から嫌でもついて来ます」

 

ピクリと、キャンディの眉間が動いた。

もちろん、誰からも見えはしないが。

 

「ハッタリか」

 

「お得意でしょう。貴方は確か、チンケなハスラーのご出身と認知しておりますので」

 

ガタン!

 

一瞬でケーニッヒは床に倒され、キャンディが馬乗りになっていた。

 

ホーキンスは会話内容について来れていないのか、オロオロしている。

 

「…」

 

「…どうやら貴方を動かす原動力は、『怒り』のようだ」


ケーニッヒは笑顔をくずさない。

 

キャンディはその事にさらに腹を立てたが、舌打ちをして立ち上がった。

 

「では…地味ではありますが、手分けして聞き込みから始めましょうか」

 

ケーニッヒも立ち上がり、床に倒されたせいで服についた埃をパンパンと手で払う。

 

「…ふん」

 

「ホーキンス、分かりますか?

ロブスターという正体不明の人間を手分けして探します」

 

「え?あぁ、分かった。ロブスターだな」

 

ホーキンスは拗ねた様なキャンディの態度をジッと見ていたが、名前を呼ばれるとすぐにケーニッヒの方を向いた。

 

「何か分かったらすぐにここへ戻ってくる。

何もなくとも一日一回、昼頃には必ず集まるようにしましょう。いかがですか?」

 

「構わない」

 

「昼だな!分かった」

 

何も言わないキャンディの代わりに、ケーニッヒが行動計画を立てていく。

 

「決して一人で深追いはしない。架空の人物かもしれませんが、危険度は未知数です」

 

さすがに、彼の笑顔は無くなっている。


 

 

車はケーニッヒが使っている。

 

ホーキンスはケーニッヒのアジトの周辺の路地裏でハスラー相手に聞き込みをしている。

 

「さて」

 

歩いて行ける距離など限られている。

 

キャンディはあえて路地裏では無く、一般人が多く集まる賑やかな表通りを歩いた。

 

そこまで激しいものでは無いが、怪しいキャンディの姿に冷ややかな視線。

 

「ちょっとイイか?」

 

「はい?」

 

「『ロブスター』という人間を知らないか?」

 

スーツ姿の若い男を捕まえて話し掛けた。

 

夜勤あけで仕事帰りなのか、服はくたびれて、顔は疲れた表情をしている。

 

「えぇ!?ロブスターを探しているのかい?

噂くらいなら聞くけど、本当にいるとは思えないなぁ」

 

キャンディは驚いた。

 

詳しく知るわけではないが、ロブスターの名前くらいは一般人にまで浸透していたのだ。

 

「見たことがあるって奴はいないか?」

 

「はは!いるわけ無いよ」

 

「そうか。邪魔したな」

 

「ま、頑張ってよ」


男はゆっくりと歩いて行った。

 

「…」

 

その時。

 

パァン!パァン!

 

銃声。

 

表通りを歩く通行人達は一斉にギョッとする。

 

悲鳴。

 

怒号。

 

どこからともなく聞こえてきた銃声に恐怖し、その場を離れようと小さな混乱が起き始める。

 

遠くにまだ見えている先程の若い男など、慌てすぎて何度も転びながら走り去って行く。

 

「…!」

 

間違いない。

 

音のでどころは裏通りだ。

 

キャンディは逃げる人々を見やりながら、ケーニッヒのアジトがある裏通りへと動き始めた。

 

 

 

「はぁ…はぁ…」

 

裏通り。

 

アジトからわずかな距離の道端。

 

人だかりが出来ている。

 

おそらくそこが現場だが、何も見えない。

 

「クソ…見えない!おい、何があった?」

 

人だかりを形成している人間の内、一人の女にたずねる。

 

娼婦のように派手な格好をした女だ。

 

「えぇ?アタシもよく分からないんだけど、誰か撃たれたみたいだよ。人が多くて見えやしない」

 

女は悪態をついた。


「救急車や警察は?」

 

「あはは。お巡りはそろそろ騒ぎを聞きつけてやって来るかもしれないけど、誰が救急車なんか呼ぶもんかい。

だいいち、こんな掃き溜めみたいな所にいる人間が保険になんか入っているわけ無いだろう」

 

「それもそうだな。死を待つのみか」

 

ここでは保険が鍵を握る。

 

たとえ救急車や救急ヘリが駆けつけても、ケガ人の保険や身分証が確認出来なければ、救急隊員は平気で重傷者を置き去りにして帰っていく。

 

金は、命より重い。

 

 

「グッ…ガハッ…!畜生ぉぉ!ゴホッ!ゴホッ!」

 

「…!」

 

撃たれた人間の悲痛な叫びだろうか。

 

それを聞いた途端、キャンディの目の色が変わった。

 

「おい!通してくれ!」

 

「な…アンタ、どうしたんだい!」

 

女が言ったが、彼はそれを無視して人だかりを無理矢理こじあけていく。

 

「通してくれ!あっ…」

 

やっとの思いで人の壁を抜け、被害者が倒れている場所へと辿りついた。

 

「お…ア…イス、キャンディ…!ゲホッ!ゲホッ!」

 

「クッ…一体、何があったんだ」

 

ホーキンスが腹から血を流して、仰向けになっていた。


「知らねぇよ…!ハスラーの一人に…ゴホッ!ゴホッ!

エラく羽振りのよさそうな男だ…ソイツにロブスターの事をきこうと…ガハッ!したら…っ!」

 

「いきなり『ドカン』か」

 

「そうだよ…!クソったれめ…!アイス・キャンディ、手を貸してくれ!

傷の痛みよりも…血が足りねぇ…!ゲホッ!ゲホッ!」

 

キャンディが屈み、ホーキンスの傷を見る。

 

 

「わぁっ」と人だかりが一斉に散り始めた。

 

「…?」

 

ウー、ウーと鳴くサイレン。

 

警察だ。

 

まだパトカーは見えていないが、確実に近付いている。

 

そして。

 

「…!!」

 

突き刺さるような視線。

キャンディはそれを感じた。

 

ギャラリー達の好奇の目とは違う。

 

間違いない。

 

「これは…。マズい、ホーキンス」

 

キャンディは立ち上がった。

 

「え…?」

 

「これ以上は、俺も奴に目をつけられる。

悪く思うな、メン」

 

「何を言って…!マッポに保護されろってわけ!?ゴホッ!ゴホッ!

俺ぁ手配が回ってんだよ!助けてくれ!」


ホーキンスが、ガシリとキャンディの左足を掴む。

 

「俺に触るな!」

 

ドカッ!

 

なんとキャンディは、掴まれていない右足でホーキンスの腹を蹴り上げた。

 

「ぐはぁっ!」

 

「…」

 

「ゲホッ!ゲホッ!う…ガハッ!」

 

ひっくり返ってうつぶせになったホーキンスは激しく咳き込み、吐血している。

 

サイレンが近い。

 

鋭い視線はいつの間にか消えていた。

 

 

 

ガチャ、バタン!

 

「お…おい、君!大丈夫か!?」

 

パトカーが二台。

 

警官が四人。

 

「クソ…サツか…キャンディめ…

おい…!俺はイイから、撃った奴を早く追いかけてくれ…ゲホッ!ゲホッ!」

 

「な、何を言ってるんだ君は!?」

 

中年の人のよさそうな警官が言う。

 

そして彼はすぐに車に備え付けられている無線機を手に取った。

 

「こちら十四号車のケビン・ブリッジ巡査長だ!

腹を銃で撃たれている男性を発見、直ちに救急車を要請…」

 

ホーキンスの必死な拒否は、当然無視されてしまう。

 

他の警官達は、辺りに犯人がいないか捜査し始めた。


 

しばらくすると、救急車がやってきた。

 

嫌がるホーキンスを隊員が担架に乗せている。

 

警官からの緊急要請とあっては、身分証の確認すらも行なわないのだろうか。

 

そして彼は手早く救急車の後部に積み込まれた。

 

 

 

「ふん…アイツの人生は、ほぼ終わったな。残念だ」

 

物陰から様子を伺っていたキャンディは静かにそう言った。

 

クルリと踵を返し、ケーニッヒのアジトへと歩いていく。

 

ガチャ。

 

「…!!」

 

扉を開けた時、真っ暗闇の中の思わぬ人影の存在にキャンディはビクリと反応した。

 

「驚かせてしまったのなら申し訳ありません。

彼は…ダメだったのですね?」

 

ケーニッヒだ。

 

「あぁ…見ていたのか?

車を使っていたから、遠くに行っているものだと思っていたが」

 

「えぇ、もちろんそうです。

しかし、発砲事件の話はすぐに耳に入ってきましたので。

戻ってきてみたら…というわけです」

 

パチリと電気をつけながら、彼は首を横に振った。


「少しだけ本人と話せた。

いきなり撃たれたそうだ」

 

「理由もなく、ですか?」

 

「あぁ。売人にロブスターの事をたずねようとしたら、ドカン!」

 

「では、間違いなくそれが理由でしょう。バカな男だ」

 

ケーニッヒが冷たく言い放った。

 

「どうしてバカなんだ?」

 

「もし、ロブスターがいると仮定するならば、繋がりがある人間も含めて、何があっても奴の存在を隠そうとするはずです」

 

「でしゃばって表に出たがるような性格では無いだろうからな」

 

うなずくキャンディ。

 

「いくら裏通りとはいえ、売人や客達があふれている道の真ん中でそんなことを大声で訊いたりしたら、どうでしょう?」

 

「確かに、まずいな」

 

「しかしホーキンスを撃ったハスラーが、ロブスターと繋がっていると言いたいわけではないんです。

すぐそばにいるやもしれないロブスターの仲間達の眼や、ロブスター本人の眼を恐れてホーキンスを撃ったのかもしれない。

貴方が、最後に彼を蹴り上げた様に…ね」

 

「…チッ」


見られていた。

 

簡単に仲間や同志を裏切る事も辞さない人間だと思われただろう。

 

だが…

 

「それにしても、賢明な判断だったと思いますよ。

よくお気付きになられましたね」

 

「気付いた?何に?」

 

ケーニッヒの言葉は意外なものだった。

 

「おや?何者かの『視線』を感じたのでは?第六感とでも言いますか」

 

「…!

これは驚いたな。

ケガをしたホーキンス。ヘマをした彼を、俺が痛めつけていただけだと思われても仕方ないと諦めていたのだがな」

 

「ははは、貴方がそんな単細胞だとは思えません」

 

本音か、それとも世辞か。

それは分からない。

 

「ふん…」

 

「とにかく、貴方を見ていた人物がいたのは事実です。

その人物がホーキンスを撃った犯人なのか、ロブスターと繋がりがある人間なのか、何も分かりません。

ですが、しっかりと写真は撮っています。ホーキンスの働きは無駄に出来ませんからね」

 

「本当か…!それはすごい!」

 

ケーニッヒも抜け目が無い。

 

ホーキンスを助けるよりも、写真を撮るあたり、アイス・キャンディに匹敵する冷たい人間かもしれない。


「現像は急ピッチで知人に依頼するつもりです」

 

もちろん、フィルムを現像に出す必要があるのですぐに写真を見る事は出来ない。

 

「ソイツは男だったか?」

 

待ち切れないキャンディがたずねる。

 

「少し暗がりでしたが、おそらく」

 

「どう見る?」

 

「あまり勘で話すのも気がひけますが、ホーキンスを直接撃った売人では無いでしょう」

 

 

ガンガン!

 

ドアをノックする音。

 

「…?サツか?」

 

「いえ、おそらく写真屋です。

いつも世話になってるんですよ。仕事は早いし腕も良くて」

 

ガチャ。

 

そう言いながらケーニッヒが扉を開ける。

 

その向こうには、ハットを被った小柄な男が立っていた。

 

「旦那、いつもありがとうございます」

 

「ごきげんよう、ロドリゲスさん」

 

それが写真屋の名前か。

 

彼は裏稼業として危ないネタを扱っているというわけでもなく、真っ当に写真屋を生業としている。

 

いわゆる『堅気』と呼ばれる人間だ。


「それで、フィルムは?」

 

「あぁ、これです」

 

ケーニッヒがカメラの中から小さなフィルムを抜き出す。

 

カメラは立派な一眼レフで、望遠用のレンズまで装着されている。

まるでパパラッチ仕様だ。

 

「期限はありますかい、旦那?」

 

「急いで下さい。すぐにでも必要です」

 

「かしこまりました」

 

ロドリゲスは深々とお辞儀をして、扉を閉めた。

 

 

「意外だな。信用できるのか?」

 

「何が意外なんです?現像が外注だということですか?」

 

「それもあるが、あの写真屋だよ。

普通の商売人で驚いた」

 

「…?

おっしゃる意味が分かり兼ねますが。

では…彼が戻ってくるまでの間に、互いが集めた情報を交換しましょうか」

 

カメラを床に置いて、ケーニッヒは大好きな酒を一口あおった。

 

「そうだな。だが、俺は大した情報は何も手に入れられなかった。

すぐそばの表通りをうろついていただけにすぎない」

 

キャンディがフードを深く被る。


「こちらは、少し面白い話を手に入れましたよ」

 

整った顔立ちのケーニッヒ。

にっこりと爽やかな笑顔を見せた。

 

「どんな情報だ?」

 

「昔、ロブスターにアガリを支払っていたという人間に会いました。

元は盗難車や違法に仕入れた銃をさばいていた男です」

 

「本当か!では、やはり奴の存在は確かなのか?」

 

「ただ、彼は直接ロブスターと話していたわけではない。

アガリを仲介する者がいたらしいのです。

だから、ロブスターを完全に肯定できたわけではありません。

ですが…」

 

一度言葉をきって、ケーニッヒはポケットからタバコの箱を取り出した。

 

「ここに、彼から聞き出した『仲介役』の連絡先があります。

おびえているのか、渋ってなかなか教えようとしてくれませんでした。苦労しましたよ」

 

「大したものだよ、ケーニッヒ。

早速コンタクトを?」

 

「貴方にお任せしますよ。

もちろん、危険だということをお忘れなく」

 

彼はタバコの箱をキャンディに差し出した。


 

 

カツン。カツン。

 

貧相な二階建てアパート。

 

二階の部屋へと繋がる階段は、錆び付いた鉄製。

それには屋根もない。

 

「驚いたな」

 

「私もです」

 

まず、コンタクトが本当に取れた事。

そして、アポイントメントが取れた事。

 

とんとん拍子で進む物事に、アイス・キャンディもケーニッヒも驚いているのだ。

 

「しかし…なんと言うか、ヒドい家だな。

街のドンとの仲介役が住む家にしては、俺のイメージとかけ離れている」

 

「確かに。

ですが、単なる拠点にすぎない可能性もあります。初対面でいきなり家に呼び込む程、不用心では無いでしょう。

考えすぎですかね?」

 

「さぁな」

 

 

コンコン。

 

階段を上がって、最初の扉。

 

ガチャ。

 

キャンディがノックすると、それはすぐに開いた。

 

が。

 

ドアには防犯用のチェーンがついており、中途半端に開いたところで止まる。

 

「誰だ?」

 

低い声。

 

「先程連絡した者だ。こちらは連れのケーニッヒ」


「よく来たな。ちょっと待ってろ」

 

一度、扉が閉まる。

 

ガチャ。

 

「入れ」

 

二人は招き入れられた。

 

 

カチャ。

 

冷たい感触。

 

「…」

 

「悪く思うな」

 

銃。

 

胸に突き付けられている。

 

「セキュリティチェックといったところか」

 

「仕方ないですね」

 

「あぁ、そうだ。おっと、コイツは預かろう」

 

両手を上げて、ジッとしていた二人。

 

ケーニッヒが腰ベルトに忍ばせていたマシンピストルが没収される。

 

「返して下さいね。大事なものです」

 

「もちろんだ。よし、あとは何も持ってないな?…こっちだ」

 

ようやく男は手を止める。

 

そして玄関からすぐ右手の部屋へと二人を案内した。

 

 

 

「さて…と」

 

外観からは想像できないほど、部屋の中は豪華だった。

 

本革張りの黒ソファ。

 

木製の大きなテーブル。

 

大画面のテレビ。

 

一体どうやってこの部屋に入れたのか分からない品々ばかりだ。


 

部屋の中とは対照的に、低い声の男の見た目は決して金持ちには見えなかった。

 

部屋の中は暖かいので、ジャージのハーフパンツにノースリーブのシャツ。

とてもリラックスした格好だ。

 

ただ、左腕には金色に輝くロレックスと梵字のようなタトゥー。

 

「まずは、どうやって俺の連絡先を?」

 

男が口を開く。

 

「私です。

以前、貴方を通じて『ロブスター』にアガリを支払っていたという人間と出会いましてね」

 

これはもちろんケーニッヒだ。

 

「『ロブスター』…ね。ふふふ。

アガリを持ってくる奴なんか星の数ほどいる。

誰かは知らないが、詮索はやめておこう。

それで、どうして俺に会おうと?」

 

「『ロブスター』を探しているからです。

ロブスターは存在しているんですか?」

 

「…何の為に探しているんだ?」

 

男は質問に応えない。

 

「それは、直接本人に伝えればイイだけです。

居所をご存じであれば教えていただきたい」

 

「なるほどね」

 

彼はあくびをして、何だか残念そうな様子だ。


「どうされたのですか?」

「教えてもらえない…って事か」

 

ケーニッヒとキャンディが同時に言った。

 

「お前達の事、新たに仕事を探している人間なのかと思ってたからよ。

わざわざ俺のところへ訪ねてくるなんて、よほどの人材じゃないかと期待しててな。

ちょうどイイ稼ぎ口があって、人手が欲しいところだったんだが」

 

「なるほどな」

 

人の気持ちや言い分になど興味が無いのか、ぼんやりと聞き流すキャンディ。

 

しかし。

 

「…いや、ちょっと待てよ」

 

「何?」

 

「その『仕事』ってのは、そんなにデカイ金になるのか?」

 

何を思ったのか、男の話に興味があるような素振りを見せ始めた。

 

「もちろんだ。興味が?」

 

「少し、仕事の内容を詳しく聞かせてもらえないか」

 

ロブスターの事はひとまず置いておく。

 

ケーニッヒはキャンディの意図を察したのか、黙り込んだ。

 

「構わないが」

 

「アンタ、名前は?」

 

今更ながら、キャンディが男に名前をきく。

 

「名乗ってなかったか?俺はスタンリーだ」

 

スタンリーは、パキパキと指を鳴らした。


そして、ソファにゆったりと座って二人にも席をすすめる。

 

 

まるで応接間のように対面して置かれたソファ。

その間にある立派なテーブルの上には、手のひら程の大きさの木箱が置いてある。

すぐ横にはクリスタルの灰皿。

 

スタンリーはその箱を開けた。

中には茶色い紙で巻かれたタバコが入っている。

 

カチリ。

 

彼はそれを一本取り出し、ライターで火をつけた。

 

ダンヒル製か。

 

「…仕事は簡単だ」

 

「それはありがたい」

 

「ある、市の議員先生様がいらっしゃるんだが」

 

プカリと香ばしい煙の匂いがスタンリーの口から漏れて、ケーニッヒとキャンディの鼻をつく。

 

「その先生は最近、ビッチ共を寝床に侍らせるのに夢中でな」

 

「ほう」

 

「前回もウチから何人か回したんだが…今回『総入れ替え』をご所望されている」

 

金持ちのとんだワガママだ、と心の中で舌打ちをするキャンディ。

 

「それを探すのか」

 

「少し違うな。正確には『さらう』んだよ」


「わざわざさらうのか?

金が欲しい女なんて、星の数程いるだろう」

 

無理に連れて行かなくとも、ピックアップくらい出来るはずだ。

 

「いや。無償で働かせるからな」

 

「バカな。それでは逃げ出す連中ばかりだろう。

監禁するのが趣味だとでも?すぐにタレ込みが出るぞ、スタン」

 

「そんなことは俺の知ったところか。

クライアントの希望を優先するまでの事だ。どちらにせよ、難しくは無いだろう」

 

クリスタルの灰皿にタバコを押しつけながらスタンリーが言う。

 

「どうかな」

 

「簡単簡単。ただし、議員先生の欲しがるビッチは、キュートなお子様だけだ。

なーに、連れ出すだけなら手はかからない」

 

「…チッ!そういうわけか!

理解出来ない性癖だ!」

 

キャンディは憤慨した。

チラリと横を見ると、ケーニッヒも身震いをして気持ち悪がっている。

 

「六歳以下、だとさ」

 

「…」

 

「ははは!そう身構えるなよ!

それからもう一つ、耳寄りな情報だ。

性別は…どちらでもイイんだと。おぉ、怖い」

 

スタンリーはニヤニヤと笑っている。


「まるでネバーランドだな」

 

「失敬だぞ、お前」

 

珍しくキャンディが冗談を言ったが、スタンリーには通じなかったようだ。

 

「ふん。人数と報酬は?」

 

「最大で六人。最低限でも六人。

一人につき二千。六人で一万二千」

 

「なんだそれは?安すぎる」

 

キャンディが鼻で笑う。

 

「おい、勘違いするな。

ここから六割、俺がはねる。

お前達の取り分は…四千八百だな」

 

「もっと少ないじゃないか」

 

あぁ、とスタンリーが声を漏らす。

 

「第一、なぜ六人なんだ?」

 

「神は六日間かけてこの星を創造され、一日休まれた…それが日曜日だ」

 

「は?」

 

「だからよ、議員先生も同じさ。

月曜から土曜まで、ガキ共をとっかえて回し、日曜日に休む。

本当にそうなのかは知らないが、日替わり愛人ってところだろ」

 

理解不能だ。

 

「…この仕事には乗れないな。

少しはまともな話かと思ったが残念だ。

どちらにせよ俺達は、遥かにデカイ仕事を持ってる。

だから三下じゃ話にならない。ロブスターに会わせろ、スタン」

 

いよいよ、キャンディが攻めに転じる。


「デカイ…仕事?」

 

ピクリと彼の眉が動く。

 

「二度も言わせるな。

三下に流せるような情報じゃないんだよ。

…四千八百だ?そんなはした金で俺が動くとでも思ったのか!このクソったれが!」

 

ガン!

 

ガチャン!

 

キャンディが座ったままテーブルを思い切り蹴ると、上に置いてあった灰皿が床に落ちて音を立てた。

 

「…」

 

予想通りだ、とキャンディは思った。

 

普通、その辺のチンピラならば逆上して追い返すなり発砲するなり、何かしらしてくるはず。

 

しかしスタンリーはジッとしたまま動かず、ただ真直ぐキャンディを見ているだけなのだ。

 

この男は本物のビジネスマン。

一時の感情に左右されず、冷静に相手を伺っている。

 

キャンディには到底真似出来ないスタンスだ。

 

「いくら動く?」

 

「計り知れない」

 

フードから漏れているキャンディの口が怪しくつり上がる。

 

「貴様…俺を誰だと思ってやがる。

ハッタリじゃ済まされないぞ、アイス・キャンディとやら?」

 

「お前はスタンリー。上様に忠実な番犬だろう。違うのか?」

 

容赦ない毒舌だ。


「何だと…!なめるのも大概にしておけよ」

 

「図星か、スタンリー?」

 

「黙れ!こちらは仕事の話はしたぞ。

とにかく、それはどんな話なんだ?貴様にもそれを話す義務がある」

 

当然の質問。

 

だが。

 

「バカか、お前?

俺を誰だと思ってやがる。

義務だと?仕事の質が違いすぎて、話にならない」

 

同じ言葉での挑発。

歩み寄るつもりなど毛頭無い。

 

キャンディが求めているのは『ロブスターに会う』という結果だけだ。

 

 

ピリリリ…ピリリリ…

 

部屋の壁に掛けてある電話が鳴った。

 

「チッ」

 

張り詰めた空気の中、スタンリーは腰を上げて受話器を取る。

 

「はい、スタン」

 

キャンディとケーニッヒは、その会話内容に耳を傾ける。

 

もちろん相手の声は聞こえないので、スタンリーの返答だけが部屋に響いた。

 

「あ…あぁ。そうか。

それは仕方ないな。分かった、こちらで対処しておく。

…それから、ちょっと待ってくれ。

おい、アイス・キャンディ!」

 

「あん?」

 

スタンリーが受話器を上げたまま、キャンディを呼ぶ。

 

「貴様が話したがってる本人だ。代われ」

 

「…!」


ロブスターはやはり存在していたのか。

 

逸る気持ちで、キャンディは電話を受け取る。

 

「もしもし」

 

「よう…誰だ?突然、代わられてもさっぱりだが」

 

スタンリーの声も低いが、電話の相手はさらに低い声の持ち主だった。

 

しっかりと耳を傾けないと、何を言っているのか聞き取れない。

 

「名前など無い。だがアイス・キャンディと呼ばれている」

 

「スタンはどうした?」

 

「横にいる」

 

「バカヤロウ!何ぐずぐずしてる!さっさと向かわせないか!」

 

突然、電話の相手が怒り始めた。

 

思わず、受話器を耳から少し離すキャンディ。

 

そしてスタンリーの方を向いて一言「早く向かえ、だと」とつぶやいた。

 

「何!?

クッ…お前達、俺が戻るまでここにいろ。

部屋の物を盗むんじゃねぇぞ!すぐ戻るからな!」

 

バタバタと、スタンリーが部屋を出て行く。

理由は分からないが、不用心に他人を部屋に残してまでも、出て行く必要があるらしい。

 

「ふふ、盗む…ねぇ?」

 

ケーニッヒが笑っている。


 

「おい、スタンは出て行ったぞ」

 

「そうか。まったく、バカは困るな」

 

「…俺も、彼からアンタの名をきちんと聞いたわけではないが」

 

キャンディは話しながら、部屋の中を物色し始めたケーニッヒを目で追う。

 

色々な装飾品を手に取ったり眺めたりはしているが、盗んだりするつもりは無いようだ。

きちんと元の場所に戻しているので、単純に少し興味があるだけだろう。

 

「名前ねぇ。なんだってイイじゃないか」

 

「では、アンタの通り名は『ロブスター』で間違いないか?

そういう理由で電話を代わってくれたと思っていたが」

 

「好きにしろ」

 

これは肯定だ。

 

「会いは出来ないのか?」

 

「俺と?ははは。一杯ひっかけながらポーカーでもやるのか」

 

冗談が飛ぶ。

 

「それもイイな。

しかし、アンタが街の裏を仕切ってると風の噂で聞いたものでな」

 

「昔から、噂は一人歩きするものだ」

 

「面白い仕事の話を持ってきたわけさ」

 

しかし、ロブスターは「ふーん?」と唸っただけだ。


「とびきりなんだ。出来ればアンタには聞いてもらいたいな」

 

さらに押す。

 

「どうして俺なんだ?

金になる話なら、そこらに転がっている物乞い共に持って行けばイイ。どんなに小さな金にでも飛び付くぞ」

 

「普通の人間に流せるような安い話じゃないんだ。

貧乏人は、それまでの自らの人生の選択を間違った結果の表れ。

何かを掴み取る意志が無い人間と一緒にビジネスは出来ない。そうだろ?」

 

「ははは!何がビジネスだ!おもしれえヤロウだ。

それだけ自信があるんだ。俺を動かそうってんだからな」

 

低く、くぐもった笑い声。

 

「もちろんだ」

 

「よし。スタンに伝えておけ。

『いつもの場所にお前を連れて来るように』とな」

 

「分かった。せいぜいぶったまげ無いように覚悟しておくんだな」

 

「はははは!!」

 

ガチャ。

 

受話器を下ろしたキャンディの口元は、思わずゆるんでいた。

 

パチパチ。

 

「さすが、アイス・キャンディ殿。冷や冷やさせられる交渉術ですが、結果オーライですね」

 

ケーニッヒが手を叩く。


「ふん、一言余計だ」

 

「しかし驚いた。

ホーキンスの事もありましたし、ロブスターを探る上ではもう少し障害が襲ってくるものかと思っていましたよ。

貴方は強運だ」

 

確かにそうだ。

 

逆境が襲ってきた時、キャンディは神懸かり的な強運を連れてくる。

 

まさに女神をも食らう発言通り。

 

もちろん、その結果は彼の行動から成り立つものではあるのだが。

 

「それで、ロブスターは男性でしたか?」

 

「おそらくな。とても低い声だった。

話は聞いてくれる事になったが、乗ってくるかは分からない」

 

「そこいらのチンピラと『彼』は勝手が違います。

プライドが高いだけの頭でっかちでは無いでしょう。

のし上がっていく人間は、大抵柔軟性に富んでいますからね」

 

ガチャ!

 

その時。スタンリーが部屋へ戻ってきた。

 

「お早いお帰りで」

 

「へっくしょ!うぅ…マズったぜ」

 

当たり前だ。

 

慌てて部屋着のまま飛び出していけば、風邪をひくに決まっている。

 

「スタン。ロブスターが俺達を連れて来いだとよ」


「あぁ!?嘘つけ!」

 

「嘘なんかつくもんか。早く行くぞ。

奴を待たせたりしたら、またお前が怒られるんじゃないのか?」

 

「…」

 

スタンリーが渋々了承する。

 

「さぁ!そうと決まれば、行きましょう!

いつも彼と待ち合わせる場所は、ここから近いのですか?」

 

これはケーニッヒだ。

 

「いや、少し距離がある」

 

「タクシーでも拾うか」

 

キャンディが扉から出て行き、ケーニッヒもそれに続いた。

 

「あ、そうだ」

 

ケーニッヒがスタンリーの方を振り向く。

 

「マシンピストル。返して下さい、スタンリー」

 

「ダメだ。奴に会った後で返してやる」

 

「…分かりました」

 

武器を持たずに外へ出る事に慣れていないのか、ケーニッヒは不満そうだ。

 

 

 

大通り。

 

キャンディが手を上げると、黄色いクラウンビクトリアが目の前に停車した。

 

彼は反射的にビクリと反応し、運転席を伺う。

 

「…」

 

ドライバーは白人の女だ。

 

キャンディは意味もなく安堵した。


「…何をやってるんですか?」

 

キャンディの謎の行動に、ケーニッヒが声を掛ける。

 

「いや、何でもない。

おい、スタン。先に乗るだろう?行き先を」

 

「そうだな」

 

まずスタンリーが乗車し、続いてケーニッヒとキャンディが乗り込んだ。

 

そして、タクシーが発車する。

 

 

 

十数分後。

 

ゆっくりと、土を踏みながらタクシーが目的地へと到着した。

 

「ここでイイのかい?」

 

ドライバーの女がスタンリーに訪ねる。

 

「あぁ」

 

「32ドルだよ」

 

「おい、アイス・キャンディ。もちろんお前らが払うんだろうな?」

 

スタンリーはあくまでも彼等を連れてきただけ。

確かに支払う義務は無い。

 

多くの金を稼いでいても、無駄におごらないあたり、金銭感覚は鈍っていないようだ。

 

「ほら、37ドルだ」

 

適当にチップを上乗せして、キャンディが料金を支払った。

 

「どうも」

 

タクシーが去っていく。

 

 

三人が降り立ったのは、とある教会の裏手にある墓地だった。


 

教会自体は簡素で小さなものだが、その墓地は広大だ。

 

周りを木に囲まれていて、鳥の鳴き声がいくつか聞こえる。

 

…ザッ。ザッ。

 

土を踏む音。

 

しばらく聞き慣れていた都市部の足音とはひと味違う。

 

カリフォルニアの郊外でドープマン達と連立っていた頃の記憶を、キャンディは再び思い出した。

 

ただ、決して心地よいとは感じられず、場所が墓地である為に不気味だ。

 

「『いつもの』待ち合わせ場所にしては、センスがイイな?」

 

もちろんこのキャンディの言葉は皮肉だ。

 

「知るか。文句なら奴に言えよ」

 

 

 

広い墓地。敷地内の奥に人影が見える。

 

ロブスターなのかは分からないが、見るからに小さい。

墓守か、シスターか、はたまた神父か。

 

三人が『それ』に近付く。

 

 

「遅いぞ!何やってたんだ、チンピラ!」

 

その影が金切声を上げる。

 

電話越しに聞いたロブスターの低い声とは似ても似つかない。


「そんな…バカな…!」

 

そう言って驚愕したのはケーニッヒだ。

 

「貴方があの『ロブスター』だと言うのか!?

信じられない!」

 

もちろんロブスターは近くで見ても小さかった。

 

「へっ!なんだよそれ!

無意味な先入観ほど怖いものは無いな!」

 

「まさか、こんなに幼いとは!」

 

そう。

 

確かに小柄と言えばそうなのだが、答えは『彼が少年』であるから。

それも、十歳にも達していないような幼子だ。

 

タイガースのキャップを被り、太めのデニムに黒皮のジャケット。

一見、どこぞのボンボンのB-Boy坊やだ。

 

珍しく動揺するケーニッヒだが、アイス・キャンディはロブスターの姿にさほど感心を持たない。

 

「おい、お前がロブスターか?」

 

「さぁな。好きに呼びなよ、アイス・キャンディ」

 

「ふん」

 

電話越しの低い声はボイスチェンジャーだろうか。

 

しかし、彼がロブスターであったとしたら、この街で起こる大きな取り引きや抗争などの事件への関与が疑わしくなる。

もちろん年齢的に。

 

さらに大きな疑問として、なぜスタンリーが彼のような少年に従っているのか。


「それで、ウィスキーとカードは持って来たのか?」

 

子供の口から出たとは思えない冗談。

 

「バカヤロウ、その冗談は電話の時点で終わりだ。

酔っ払って話すような事は何も無い」

 

「はー?お堅い奴だな。

大人は酒を飲むのが好きなんだろう?

俺には理解出来ないがな。ところで…」

 

小さな少年がケーニッヒへと近付いた。

 

「さっきから当たり前のようにいるけど、お前…誰?」

 

「おっと。そうでしたね。

はじめまして、私はケーニッヒと申します」

 

「ほう。酔っ払って話すようなことは無い…そう、アイス・キャンディが言ったが?」

 

さすがにハナが利くのか、彼が飲ん兵衛だという事にはすぐ気が付く。

 

「『ケーニッヒ』…て、確か情報屋か何かだろ?

その顔…目茶苦茶だ。おかしくてたまらないな」

 

フードの下のキャンディの素顔を指しているのかと感じるが、これはケーニッヒに向けて放った言葉だ。

 

「…さすがに、なめられませんね」

 

「素人目には整っているんだろうな。

はは、サイボーグみたいだ」

 

キャンディにはロブスターの言葉が理解出来ない。


「クッ…今は関係ないでしょう、そんな話」

 

ケーニッヒがギリギリと歯を噛み締める。

 

「そうだな。ま、よく出来てるからイイんじゃないか?」

 

「今更そう言われても、ちっとも嬉しくないですね」

 

キャンディもようやく理解する。

ケーニッヒはマスクだけではなく、素顔も造っているという事だ。

 

ロブスターがチラリと横目でスタンリーを見やると、彼もロブスターを見返した。

 

ロブスターとキャンディ達の会話が始まってから、まだスタンリーは声を発していない。

 

「んー、スタンリーとお前はこの場には必要無いな。

アイス・キャンディ以外は…帰れ」

 

「確かにそうですが、是非立ち会わせていただきたい」

 

「バカかよ?何かを取り引きするわけでも無いんだから、立ち会いなんかいらねぇんだよ。

あんまりしゃしゃり出ると、マジでブッ殺すぞ」

 

『何だ、このクソガキは』

ケーニッヒの頭にはそう浮かんだだろう。

 

「ケーニッヒ、俺が話をつける。確かにこの話をするのに頭数は必要ない。

教会で待っててくれないか?」

 

キャンディがたしなめた。


 

 

ハタハタと、牧師様がパイプオルガンをはたきがけする音が響く。

 

「連れて来させておいて人払いとは、つくづくお気の毒に」

 

「だいたいあんな調子だからな。慣れたもんさ」

 

一番後ろのベンチに座った二人が、正面にある大きな聖母マリアのステンドグラスを見ながら会話していた。

 

「どうしてなんです?」

 

「何がだ?」

 

主語を持たないケーニッヒの言葉に、スタンリーは首をかしげる。

 

「いや、正直に言わせてもらいますとね。

貴方は彼に従う器では無いかと。

というより…確かにロブスターは、見た目より頭がキレるかもしれません。しかし、彼がそこまでの人物だと感じられないというか。

噂が一人歩きしているというのは満更でもない気がしたんです」

 

「もちろんお前の立場から見たら頷ける。

…情報屋なんだってな」

 

「はい。ですが、普段はクライアントを変装させる仕事がメインです」

 

「そうか。昔から続く、ロブスターが関与したとされるいくつもの事件…明らかにあの見た目では不可能だと思ったんだろう?」


そこまで言い終わると、スタンリーは大きなくしゃみを二回。

 

遠くから「神のご加護を」という牧師の声が聞こえた。

 

「ありがとよ、牧師様」

 

さすがに先程とは違って服を着込んではいるが、一度ひいた風邪が治る事は無い。

 

「彼は、本当にロブスターですか?

確かにあの若さだ。

彼が関与したと言われていて、明らかに彼が生まれてくる前に起きていた事件だってあるはずです」

 

「間違いない。奴がロブスターだ。

ガキだと思ってなめてかかると、本当に痛い思いをする事になるぜ」

 

「すごい自信ですが、何か根拠が?」

 

「実際に奴が動いた事件。いくつか俺も手伝った事がある。

それが気付けば巷では『ロブスターが関わっている』っていう噂が立ってるのを何度も耳にしたんだ」

 

スタンリーは真剣な目で語る。

 

「噂を信じたと…?」

 

「実際にあのガキが動くのを見ている内に、架空の人物の業だと思われていた事を奴が実際にやっているのをありありと見せつけられたんだ。もはや信じる信じないの問題じゃないだろう?」


苦笑いを浮かべるスタンリー。

 

「では、ロブスターが生まれる前の『ロブスター』はどう説明するんです?

それに、生まれてすぐに彼が動いたはずは無い。

現在の年齢がいくつなのかは知りませんが、少なくとも六、七歳になるまでの空白もあります」

 

脚を組んで座っているケーニッヒが返す。

 

「噂が先に一人歩きし、後々からそれに該当する人物が出現した。

これで説明がつかないか?」

 

「『ロブスター』の噂が現実となった…と。

では、噂が噂でしか無かった時に裏社会を牛耳っていた人物は?」

 

「そんなものは存在しない。

デトロイトは混沌としていた」

 

「無法地帯に生まれた…半ば神懸かった英雄みたいなものですね」

 

スタンリーがうなずく。

 

「そういう思いから生まれた人物だったんだろうよ。

それがあの『神の子』を現実へと導いたんじゃないかってな」

 

「はは。教会が集合場所だからですか?

貴方の発言は熱心な信者のようだ」

 

確かに、スタンリーの言葉は時として大袈裟だ。


「あのガキには、両親がいない。捨て子なんだ。

この教会で出会った」

 

「そうなんですか?

それで神の子か…しかし、妙ですね」

 

「何が?」

 

「教会に足を運ぶ貴方の熱心な姿が、ですよ」

 

軽い冗談に、二人から笑いが上がる。

 

「ははは、余計な世話だ。その時の仕事がたまたま宗教絡みだったというだけだからな」

 

「なるほど。元々フリーで請け負っておられたのですか?」

 

ケーニッヒの質問に、なぜかスタンリーは顔を曇らせた。

 

「…さぁな」

 

「貴方の経歴に興味がありますね。

私に貴方の情報を流してくれたのは『昔、ロブスターにアガリを支払っていた人物』です。もちろん間に貴方が噛んでいる。

では、貴方がロブスターと仕事をやり始める前のアガリの行く末は?明らかにその時から『ロブスター』の名をうたっていた事になりますが…

フリーでないのならば、以前のボスは誰なんです?」

 

「チィ…いちいち面倒な奴だな。

ロブスターの噂を利用していただけと言っているだろう」


本業である情報屋の血が騒いだのか、ケーニッヒは尋問じみた言葉を吐き出した。

しかし、スタンリーも淡々とそれに返答している。

 

「では、ボスを持っていたわけではないのですね?しかし、貴方はフリーでやっていた事…つまり、自分が元締めをしていた事を否定しました」

 

「否定した覚えは無いが?

もう一度言う。デトロイトは混沌としていた…それだけだ」

 

ちょうど、掃除を終えた牧師が聖堂から出て行った。

 

シュボッ。

 

すぐさまスタンリーがマルボロを加えて火をつける。

 

手は…穏やかだ。

震えてなどいない。

 

動揺している風には見えないな、とケーニッヒは舌打ちした。

 

「主君をコロコロと変えて回った、という事でしょうか?」

 

「お前もしつこいな…

あぁ、半分正解だよ。しばらく仕事を回してくれる奴に付き、人間を集めては動かしていた。

ソイツが危なくなれば寝返って、別の元締めに付いてそこから叩く。

だが、その都度使い捨ての兵隊を動かしていたおかげで、俺の信用は傷つきはしなかったよ」

 

策士。

 

したたかな番犬だ、とケーニッヒの口の端が上がる。


「その、変わりゆく元締め達を毎度毎度『ロブスター』だと崇めていたわけですか?」

 

「いや、それも違う。

実在するロブスターは今も昔もあのガキだけだ。あとは大衆が生み出した幻想だよ」

 

「…そうですか。分かりました」

 

ケーニッヒの引き際は案外素早かった。

 

「…」

 

それが逆に気持ち悪いのか、スタンリーは妙に居心地が悪くなった。

 

「しかし、やはり貴方は賢いですね。

世の渡り方を心得ている」

 

「どういう意味だ?」

 

「そのままの意味ですよ。

裏切り者として消される事も辞さずに、貴方は次々と動き回った」

 

「生きる為に必死だっただけの事だ。

金は空から降ってきやしないからな。…おっと、こりゃなんだ」

 

ポケットから、くしゃくしゃになった5ドル札を取り出しながらスタンリーが言う。

 

「寄付にでも回したらどうです?

偽善者にはぴったりだ」

 

「ははは!」

 

多少ムッとされるかと予測して発した皮肉が、スタンリーには笑えたらしい。


 

 

周りにある木々が突風になびかれ、ガサガサと怪しい音を立てた。

 

どこからか集まってきたカラスがそれにとまり、喧しい鳴き声を上げている。

 

 

「ほぉ…それは面白いな」

 

「そうだろう?確かにお前は若いが、影響力はある。

一つ、乗ってみないか」

 

「うーむ…」

 

ロブスターは本当に悩んでいる。

キャンディの提案が、想像以上に興味深いものだったに違いない。

 

「だが、なぜカリフォルニアなんだ?」

 

「不安か?お山の大将」

 

「チッ…そういう事か。ハメようとしてるんならブッ殺すぞ、お前」

 

異常な覇気と貫禄。

生半可なチンピラに作り出せるオーラではない。

 

しかし、キャンディが静かに返す。

 

「もちろんそんなつもりはない。

稼いだデカイ金は、仕事に関わる全員に分配する」

 

「レートは?人によって上下するのか?」

 

「当然だ。お前とドライバーの金が同じだとしたら、納得いくのか?」

 

「まさか」


やはりそれで納得できる程のお人好しではない。

 

むしろここで「構わない」などと言うようであれば、キャンディはロブスターという人物の見方をガラリと変えなければならなかっただろう。

 

 

全員の報酬が同額であれば、すべての人間の動きは鈍っていく。

能力の高い人間も、報酬に差をつけなければ必死にはならない。

 

せっかく集めた人材が本領を発揮できなければ何の意味も無い。

 

…が。

 

実はキャンディは、能力や結果に応じて金払いを大きく変動させるつもりは無かった。

 

あくまでも『それなりには』という形だ。

 

つまり、まだ幼いロブスターが、大人達を凌ぐ実績にこだわる性格であると見越しての言葉だったのだ。

 

「みんな、文句無しだ。乗るんだろ?

さっさと行くぞ」

 

「俺に命令するんじゃねぇよ、アイス・キャンディ。

おい、スタンリー!…あん?何やってるんだ、あのグズは。移動するってのに」

 

彼を離れさせたのはロブスター自身なのだが。

 

まさに小さな暴君。

 

 

アイス・キャンディは、強大な人物を引き込んだ。


 

 

ガタゴトと揺れる車内。

 

「クソ…何だ、このポンコツは」

 

早速、悪態をついているのはもちろんロブスターだ。

 

どういう状況なのかというと…

 

彼らはタクシーにごちゃごちゃと四人で乗り込むのを避ける為、レンタカーを手配した。

 

スタンリーが店に電話をして、教会まで車を届けさせる。

 

届いたのはシボレー製の立派なSUV。

しかし、発進するや否や、ヘタったサスペンションのせいでヒドく揺れる『ハズレ車』。

 

まったく整備が行き届いておらず、がさつな営業が見てとれる。

 

だが仕方がないので、結局はそのまま移動するしか無く…というわけだ。

 

 

「コイツらの仕事の話には乗るのか?」

 

ハンドルを握るスタンリーが言った。

 

「一緒に移動してる時点でそうだろう。いちいち分かってる事をきくんじゃねぇよ」

 

ロブスターはすっかり機嫌を損ねてしまっている。

 

「おい、ロブスター。手始めにやってもらいたい事がある」

 

だが、キャンディは遠慮なくロブスターに仕事の話を切り出した。


「何だよ?」

 

ムスッとした声。

 

しかし話の内容は聞いてくれるらしい。

 

「お前はさぞかし顔が広いんだろう?なんといったって、デトロイト裏社会のドンだからな」

 

「はぁ?気持ち悪い奴だな。それで持ち上げてるつもりか、アイス・キャンディ?」

 

「…」

 

カチンとくる言い方だが、キャンディは堪えている。

 

「まぁイイや。それで、なんだってんだ?」

 

「俺の提案したカリフォルニアでの大仕事だが。

お前の知る人間の中で、誰か使えそうな人間はいないか?」

 

「ソイツらを回すのが最初の仕事だと言うのか?

それは困ったな」

 

ロブスターは鼻の頭を掻いた。

 

「なぜだ?」

 

「もちろん高額なアガリを持ってくる出来の良い奴等や、客にもなかなか賢いやり方で渡り歩いている奴等はいる。

引き込めば、大いに力になってくれそうな連中ばかりだ。

名前は分かる。顔も分かる。でもな…」

 

「?」

 

「ソイツらに、俺の顔は通してないんだよ。

たまに電話はするが、ほとんどの場合はスタンリーに任せてる」


短い沈黙があった。

 

「…ロブスターの存在を確信している奴等か?」

 

それを破ったのはキャンディだ。

 

「まちまちだな。なにせ、俺は名乗らない」

 

「ふーむ…」

 

「別に、スタンリーを使っても問題は無いのでは?」

 

ケーニッヒが会話に入ってくる。

 

「それはもちろんそうだ。しかし、長い間ブラインドの状態で保たれてきた付き合いに一気に日が差す」

 

ロブスターは悩んでいるようだ。

案外、ここで直感的な決断はしない。

 

「それが俺達とは抵抗なく会えた理由か。スタンリーも、お前も」

 

「そんなところだ」

 

「では、どうする?スタンリーにこちらを任せて、片手間でカリフォルニアに飛ぶ気でいたのか?

俺はてっきり彼も連れて行くものだと思っていたが」

 

少しキツいが、キャンディの言葉は的外れでは無い。

 

「チィ…!仕方ねぇな…

確かに人生の勝負どころではあるからな」

 

「さすがだ」

 

人生を論ずる事が出来る少年など、世界中を探してもなかなかお目にかかれないだろう。


「おい、スタンリー」

 

「何だ?」

 

「聞いてただろう!兵隊を集めるんだよ!電話をかけないと」

 

「あぁ。分かってる。よし、着いたぞ」

 


スタンリーが車を止める。

場所は彼のアパートの真ん前だ。

 

「部屋に戻って始めようじゃねぇか。なぁ?」

 

スタンリーが言い、四人は階段を上がって行く。

 

 

 

バタン。

 

「あー…相変わらず趣味の悪い部屋だぜ」

 

部屋に入るなり、すぐに黒皮のソファに座ったロブスターが言った。

 

「そりゃどうも」

 

スタンリーは適当にあしらっている。

確かに、いちいちロブスターの小言に付き合っていては日が暮れてしまう。

 

「この家具も、家電も、部屋を変えた方がよっぽどシックリくるぜ。なんだって好き好んでこんな荒ら家に住んでるんだよ?」

 

「俺の勝手だろ。誰に連絡を?」

 

「そうだな…まずは『バズ』のおっさん。次に『マックス』のブタヤロウだ。

それから『ジェニファー』姉ちゃんと…『イシザキ』のサムライ。コイツら以外はお前の判断で勝手に追加しろ」

 

「分かった」


数人の名前をパッパッと口早に発し、指示をしたロブスター。

 

だが、最後は『スタンリーに決めさせる』という辺り、本当に彼に任せている部分が少なくないようだ。

 

 

ツー…ツー…

 

「もしもし、バズか?」

 

言われた通り、まずはロブスターの口から出た名前の人物に電話をかけ始めるスタンリー。

 

ロブスターはそれを確認すると、ソファに寝転がってしまった。

 

「あぁ、そうだな。いつも助かる。

それで、今日は面白い仕事の話を持ってきたんだ。

…ん?いや、違う。ドデカイ仕事だと。

いやいや。実はコイツは俺から落とすものじゃないんだ」

 

キャンディ達に『バズ』の声は聞こえないが、スタンリーの言葉でだいたいの会話内容は掴める。

 

「聞いて驚くなよ…

ロブスターだ。奴が直接お前を指名してきた。

内容は俺の口からは伝えられない。だがもし、お前が話に興味があるならば…奴が直接話してくれるそうだ」

 

 

ガチャリ。

 

「ふぅ…『バズ』は、聞くってよ」

 

寝ているロブスターに話し掛けるスタンリー。

 

ロブスターは軽く右手を上げた。


しかしそのまま、また寝てしまう。

 

 

スタンリーが続け様に次々と電話をかけていく。

 

『マックス』と呼ばれる人物は、今は新しい仕事どころでは無い、と話を蹴ったようだ。

 

 

次に、名前からみておそらく日系人である『イシザキ』という人物に電話を繋ぐ。

 

「もしもし」

 

「あぁ、スタンリーさんかい!」

 

声がデカイ。

 

この通話だけは、キャンディやケーニッヒにも丸聞こえだ。

 

「よく分かったな」

 

「だはは!分からない方がおかしいじゃねぇか!

アンタの低い声はいちいち人をいらつかせるんだよ!」

 

「まぁ…冗談はそのくらいにしておこうじゃねぇか、イシザキ」

 

妙な気分だ。

 

つい先程まではキャンディがスタンリーやロブスターに電話をかけていた立場。

しかし、今はこうしてスタンリーやロブスターが力となる人間を増やしていくのを間近で見ているのだから。

 

「なんだ?真面目な話かよ!つまらねーから切るわ!」

 

「おい、待て!」


「なんだよ!?」

 

イシザキという男は、楽天的でせっかちなようだ。

 

日系ではあるが、流暢な英語の発音なので、二世か三世なのかもしれない。

 

「お前の大好きな金稼ぎだ」

 

「はっ!いつもみたいにガキのままごとだろう!アンタの回す仕事はつまらねーんだよ!

こっちはこっちで好きに稼ぐわ!アガリは払ってやってるんだからよ!」

 

「いい加減にしやがれ!クソったれがぁ!」

 

ビリビリと部屋が揺れた。

 

スタンリーのあまりの剣幕に、寝ているロブスターがビクリと身体を動かす。

 

「こっちはいつまでも貴様の調子に合わせてられねぇぞ!

今回はとんでもねぇ話だ!こっちのドンも動く!

お前の実力を買ってわざわざ知らせてやってるのに何て態度だ、イシザキぃ!」

 

「なんだよそりゃ!急に必死になりやがって」

 

イシザキの声が心無しか、少し小さい。

 

「当たり前だ!一大事なんだからな!

今すぐいつもの場所に来い!」

 

ガン!

 

一方的にスタンリーは約束を取り付けた。


 

 

その後。

 

何か勘を掴んだのか、『ジェニファー』という人物に加えて、数人の人間達と連続で約束をするスタンリー。

 

「以上だな…おい、ロブスター」

 

「?」

 

ロブスターが片目をパチリと開ける。

 

「イシザキがそろそろ着く頃だ。奴との約束場所はここから近い」

 

「ん…そうか…」

 

小さな身体が大きく背伸びをする。

 

「アイス・キャンディ、それにケーニッヒ。お前達も来るんだろう?」

 

「あぁ。同行しよう」

 

「もちろん私も行きますよ」

 

キャンディとケーニッヒは部屋から出た。

 

 

「まったく…」

 

すぐにスタンリーとロブスターも出て来たが、ロブスターは眠ったままスタンリーの左手に抱えられている。

 

「見てくれよ。妙なところでガキの特権を使いやがる」

 

二人に苦笑いを見せるスタンリー。

 

ロブスターを立ててはいるが、実際に裏のデトロイトを仕切っているのは『スタンリー』だと考える事も可能だ、と初めてキャンディは思った。


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