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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
10/34

No Peace

『Peace…平和、平穏』

「ねぇ、ダグ」

 

「ん?」

 

「クリスティーナは?」

 

ドープマンは、日が真上に位置するくらいの時間になって、ようやくガールフレンドの不在に気付いた。

 

つまり、昨晩から昼になるまでずっと騒いでいたのだ。

 

リッキーとレモンは床に転がっている。つい今し方眠りに落ちたところだ。

ドープマン自身は酒を多く飲んではいないが、そのタフさには驚かされる。

 

「さぁ、知らないな」

 

「おーい!クリスティーナ!いるのか!」

 

車椅子に腰掛けたまま呼び掛ける。

 

返事がない。

 

「ダグ、ちょっと見てきてもらえないかい?」

 

「あぁ、いいぞ」

 

椅子に腰掛けていた彼が立ち上がると、それはぎちぎちと音を立てた。

 

 

 

三分後。

 

「ドープ、彼女はどこにもいないみたいだ」

 

「何だって!そりゃ大変だ」

 

しかし、その時。

 

ガチャ。

 

アンジーの家から帰ってきたクリスティーナが、ちょうど玄関の扉を開けて家の中に入ってきた。


「あ、ハニー」

 

「クリスティーナ!どこに行ってたんだよー」

 

「へ?どこって、近所をぶらっとしてただけよ。

それよりも、まだ騒いでたの!?いい加減にしなさいよ!」

 

自らが叱られているところを、彼女は簡単に切り返した。

 

「違うよ!リッキーとレモンはもう寝てるだろう?

いつの間にか君が家にいないものだから、心配してたんだよ!」

 

「よく言うね。つい今しがた、アタシがいない事に気付いたところじゃない?」

 

クリスティーナの厳しい追求にもドープマンは怯まない。

 

「何言ってるんだよ。しばらく前からずっと探してたんだぞ」

 

「それなら、どうしてまだ家の中なんか探してるの」

 

「家の中にいる気がしたのさ!」

 

まるで子供の言い訳だ。

 

しかし、クリスティーナは聞く耳を持たない。

部屋を一瞥してため息をつく。

 

「あーあ、さらに散らかってる…

ダグ!その二人が起きたら、アンタ達も片付けなよ!」

 

「分かった分かった。散らかして悪かったな」


ぷりぷりと腹を立てたまま、クリスティーナはその場をあとにした。

 

「…怒られちゃったよ」

 

「ドープ、お前の未来は尻にしかれっぱなしの人生だな」

 

「はは!あれでも彼女は普段はすごく優しいんだよ?

チェスター・クリップが絡むと豹変するのさ」

 

「そりゃ残念だな」

 

そう言いながらダグは勝手に壁際にある冷蔵庫を開けている。

 

「腹減ったの?」

 

「いや、別に。でも何か残ってるなら食いたいな。大掃除の前の腹ごしらえだ」

 

 

 

妙な感覚。

 

「んん…」

 

リッキーが目を覚まして、まず感じたのは虚無感だ。

 

どこからか聞こえてくる「クスクス」という小さな笑い声。

 

誰かが自分を笑っている。

 

「…?げっ!なんだこりゃ!

ん?レモン!おい、起きろ!」

 

同じように床に転がっていたレモンの身体を揺するリッキー。

 

「ん…」

 

「レモン!!起きろ!」

 

「あぁ…?

何だよ、リッキー…もう飲めねぇ…って、おい!てめぇ!またその名を!

…ん?うわっ!何だそのカッコ!?俺に近寄んな、リッキー!」


ごろごろと床を転がってリッキーから必死で離れるレモン。

 

「そりゃ俺も同じだ!自分を見てみろよ、レモン!」

 

「あん!?うわっ!なんだこりゃ!俺のムスコが丸出しじゃねぇか!」

 

そう。

 

彼等は下半身丸出しの状態なのだ。

 

「てめぇ、リッキー!俺を掘ろうと…!」

 

「違うわ!マザーファッカーが!

ドープ達にやられたんだよ!間違いねぇ!」

 

ありもしない因縁をつけられたリッキーが怒鳴る。

もちろん彼はゲイではない。

 

「じゃあ何で『おっ起て』てるんだよ!

酔った勢いで適当な事してんじゃねぇぞ!」

 

「誰がそんなことするか!それにこれは『おっ起って』なんかいねぇよ!」

 

「嘘つけ!じゃあ普段からどんだけのデカブツぶら下げてんだよ!」

 

「なんだと!こらぁ!」

 

リッキーが立ち上がって、レモンに襲いかかる。

 

「ひぃぃぃ!!!」

 

レモンがこの世のものとは思えない悍ましい悲鳴を上げた。

 

その時。

 

「ぷっ…!もう我慢ならん!」

 

「はははははっ!」

 

どこからか聞こえていたクスクスという笑い声が大笑いに変わった。


「ほら見ろ!アイツら扉のところからコソコソと覗いてやがった!」

 

レモンを追いかけまわそうとしていたリッキーが、黒幕達の居所を突き止める。

 

レモンはガタガタと震えながら、テーブルの下に潜り込んだ。

 

丸出しの汚い尻が何とも滑稽だ。

 

「やばい!見つかったよ!」

 

「バカヤロウ。お前が笑うからだ、ドープマン」

 

「えー!先に声を出したのはお前だろう、ダグ!」

 

ダダダダッ!

 

駆け足で彼等に近付く一頭の獣。

 

「ぎゃあぁぁ!奴が!奴が来る!」

 

バタン!

 

ドープマンは扉を素早く閉め、必死の思いでそれを押さえた。

もちろんダグもそれに加勢する。

 

ドン!ドン!

 

「開けろ、てめぇらぁ!俺のパンツを返せ!」

 

「ひぃぃぃ!」

 

なぜか室内からはレモンの悲鳴も聞こえてきている。

 

「あーあ。本気で怒らせちまった」

 

まるで他人事のような台詞を吐くダグ。

 

「リッ…リッキー!お前達のパンツなら冷蔵庫の上だよっ!」

 

冗談では済まなくなると思ったドープマンは、彼等の服の場所を告げた。


 

 

カチャカチャ。

 

カチャ。

 

空き缶や空き瓶が、集められていく。

 

「…」

 

「…」

 

四人は無言。

 

ドープマンとダグの顔には、殴られて出来た腫れ。

 

そして…なぜかレモンの顔も殴られているようだ。

 

 

さらには、驚くべき事にリッキーの顔も腫れ上がっている。

 

「…お前達がふざけるからだ」

 

リッキーがつぶやいた。

 

「いや。お前が異常なくらい騒ぐからだよ、リッキー」

 

ドープマンが返す。

 

「バカヤロウ!お前達が…ん!?」

 

「シィー!!」

 

ドープマン、ダグ、レモンと、三人がかりの手でリッキーの口を必死で覆う。

 

「騒ぐな…リッキー…!」

 

カツカツ…

 

「…!」

 

カツカツ…

 

「ふぅ…行ったみたいだぜ」

 

足音がドアの向こうまで近付き、すぐに遠ざかっていくと同時にレモンがそう言い、四人は安堵した。

 

「さっさと片付けちまおう。

生きた心地がしねぇよ」

 

ダグが新たな空き缶を拾いあげてゴミ箱に投げる。


 

 

「ほら、20ドルだ。早くよこしな」

 

「チッ…」

 

「どうも」

 

「クソ、もう一回だ!」

 

「…あいよ」

 

 

ダンボールとトランプ。

 

キャンディは道端でそれらを使い、飛行機代を荒稼ぎしていた。

 

狙うのは金を持っていそうなヨーロッパ人や日本人の観光客。

 

 

ダンボールをテーブルにし、スペード、クラブ、ハート、ダイヤ…それぞれエースのカード、合計四枚を使う。

 

テーブルを中心に、対面して客とキャンディが向かい合う。

 

その四枚をテーブルの上でシャッフルし、スペードのエースを的中させれば客の勝ち。

賭け金を倍にして受け取れる、という簡単なギャンブルだ。

 

 

まずは四枚とも表を、つまり図柄が客に見えるように四枚並べる。

 

そしてそれを裏返す。

もちろんこの時点ではスペードのカードの位置は明らかだ。

 

そこから、キャンディが一枚ずつカードの位置を入れ替えていく。

 

そんなに早くは無い手つき。

 

「さぁ、選びな」

 

キャンディが言った。

 

こんなもの、バカでもスペードを当てられる。


「こっ…これだ!」

 

四枚の内、キャンディから見て一番右、客の男から見て一番左のカードが選ばれる。

 

「お見事」

 

的中だ。

ニヤリとキャンディの唇がつり上がった。

 

「よっしゃぁ!!」

 

フランスから一人旅に来たというこの客。

40ドルを両手の拳に握り締めて喜んでいる。

 

「さて、ではここまでとしようか」

 

「いや、兄さん。もう一勝負やらせてくれ!」

 

「ふふふ…では最後だぞ」

 

キャンディがカードの図柄を再びあらわにする。

 

「ところでお客さん」

 

「ん?」

 

「最後の勝負、賭け金のレートを十倍なんてのはどうだ?

200ドル賭け…もしアンタが勝てば2000やろう」

 

「な、なにっ!勝てば400じゃなくて2000だと!相当そちらが不利だぞ!?」

 

客の男が動揺する。

 

「構わない。こちらも楽しませてもらったからな。

サービスみたいなもんだ。乗るか?」

 

「もちろんだ!最後にいっちょ稼がせてもらうよ!」

 

「ふふふ…」

 

キャンディが用意したのは、もちろん客へのサービスなどではない。


 

「覚えたな?コイツがスペードだ」

 

トントンと人差し指でカードを叩くキャンディ。

 

「あぁ、バッチリだ!」

 

「よし」

 

四枚のカードが裏返される。

 

「では、いくぞ」

 

ゆっくりと位置が入れ替えられていく。

 

客の男はスペードのエースを目で追っている。

 

今回はこれまでのお遊びとは違う。高い金が動けば、誰だって本気になる。

 

…無論、それはキャンディも一緒だ。

 

「…」

 

「悪いが、少し本気を出させてもらうぞ」

 

「望むところだ!絶対に当ててやるからな」

 

キャンディの言葉に、力強い客の返答。

 

キャンディはうなずいて、カードを移動させる速度を上げた。

 

手のひらで包み込むようにカードを取り、場所を変える。

 

時には二枚のカードを同時に素早く移動させてみせた。

 

だが…

 

「よし。さぁ…当ててみろ」

 

「えっ?そんなもんでいいのか?ちょろいぜ!」

 

客にとっては、さほど難しい選択ではないようだ。


「ほう?では、早くカードを選んでもらおう」

 

「スペードは、コイツだ!」

 

男が選んだのは、彼から見て一番右のカード。

 

「…」

 

キャンディが無言でそのカードをめくる。

 

「な!そんな!」

 

男は驚愕した。

 

『カードは、クラブのエース』

 

見間違えるはずもないカードを、彼は見間違えた。

 

「ははは!残念だったな!この200ドルは没収だ」

 

「そんなバカな!スペードはどこに!」

 

男は勝手に他の三枚のカードを裏返す。

 

「くっ…」

 

スペードは、男から見て一番左のカードだった。

 

「では、ここまでとしよう。片付けるぞ」

 

キャンディがトランプと金を集めて、ズボンのポケットへと押し込む。

 

「待て!アンタ、イカサマしただろう!」

 

「ふん、何の話だ?」

 

「しらばっくれるな!警察に突き出すぞ!」

 

男はキャンディの両肩をガシリと掴んだ。

 

「好きにしろ。アンタもタダじゃ済まなくなると思うがな」

 

くっくっ、とキャンディが肩で笑う。


「どういう意味だ!とにかく俺の金を返してくれ!」

 

「これは真剣勝負だ。ママゴトをやってたつもりは無いぞ。

カードはアンタが選んだ。違うか?

それでも警察を呼びたいのなら好きにしろ。これは俺の勝手な解釈だが…アンタ、ビザの有効期限が切れてるだろう?」

 

キャンディの言葉に、男は胸を張った。

 

「は!なんだそりゃ!そんなわけ無いだろう!」

 

「そうか。では、違法と知りつつも勝負事に乗ったのはどこのどいつだ?

思ってるほど、カリフォルニアの警察は外国人に甘くはないぞ。

大事な旅を台無しにしたいのであれば、奴等に頼るのも悪くは無い。安全な食事と寝床、よく知らないが…運がよければ無事に帰国させてもらえるんじゃないのか?『送還』っていう形でな」

 

「クッ…!」

 

あの手この手でキャンディが男を追い詰めていく。

 

ダンボール箱を蹴飛ばして、男は憤慨した。

 

「ふん…日雇いの仕事なら、一緒に探してやろうか!」

 

「黙れ!人でなし!」

 

冗談を言われたが、男は振り向かずに去って行った。


 

「いたぞ!あそこだ!」

 

バタバタと走ってくる二つの影。

 

「チッ。思ったより早かったな」

 

ダンボールを踏みつぶし、キャンディは走り出す。

 

二つの影は、おそらく制服警官だ。

 

先程の男がキャンディの脅しを無視してタレ込んだのか、あるいは別の客なのか、それとも時折そばを通りすがる一般人の通報なのかは分からない。

 

だが、このケチなビジネスは、引き際がきたら非常に簡単に逃げ出せると、いう点においては優れていた。

 

箱はその辺に転がっているものを流用するだけなのですぐに廃棄できるし、最低限の持ち物は四枚のカードと現金のみ。

 

現場を押さえられる事など、相当なヘマをしない限り有り得ないのだ。

 

「こら!待て!」

 

「お前だろう!路上で賭博をやっている男というのは!」

 

追跡者達との距離は徐々に広がってはいるが、完全に撒きたいところだ。

 

「ここだ…!」

 

キャンディは曲がり角を素早く曲がり、たまたま路上に止まっていた車の下に潜り込む。


タッタッタッ…!

 

「…」

 

「ん!?消えたぞ!」

 

「本当だ!どこに…」

 

キャンディからは、二人の足だけが見えている。

 

黒い革靴。

 

間違いなく、警察官だと彼は確信した。

 

「クソ…早く行けよ…」

 

彼等はよりによって、キャンディが潜り込んでいる車の横で立ち止まってしまったのだ。

 

「じゃあ俺は向こうを見てくるから、お前はここいらを捜索してくれないか?」

 

「分かった。何かあったらすぐに連絡を頼む。

それでは後ほど!」

 

「あぁ、そうしよう!」

 

タッタッ…

 

一人分の足が消えた。

 

「さて、そんなに引き離されてはいなかったからな…

身を潜めているならまだこの辺りにいるはずなんだが」

 

残ったもう一人が、つぶやきながら車の近くを捜索し始める。

 

マズい。車の下を覗かれたら、簡単に見つかってしまう。

 

 

 

光。

 

ライトだ。

 

懐中電灯の光が、キャンディの顔に当てられている。

 

「い…いやがった!」

 

「チッ!クソッたれ…!」

 

彼は車の下から飛び出した。


「あっ!こら、待て!」

 

もちろんキャンディは警官が覗いている方とは正反対の方向に飛び出している。

 

逃げて来た道を逆走していき、すぐにまた警官との距離をひろげていく。

 

先程と同じ方向に逃げてしまっては、もう一人の警官と挟み撃ちにされてしまうからだ。

 

「待て!」

 

だが、小柄で素早いキャンディと、腹が出ている中年の警官とでは足の速さは歴然。

 

あっという間にキャンディは逃げ切った。

 

 

 

数時間後。

 

「タクシー!」

 

金は充分溜まっているとは言えないが、一度、二度、飛ぶのには問題無い。

 

アンジーのリストにある別の街で、またケチなギャンブル稼業を継続しながら、スカウト活動をやっていく考えだ。

 

キッ。

 

ガチャ。

 

「LAXまで」

 

キャンディの前に停車したタクシーに乗り込む。

 

「はぁ?遠いわ!それに、これはタクシーじゃねぇんだよ!さっさと降りろ!」

 

「タクシーじゃな…何!レモン!」

 

ついにキャンディさえも、レモンのタクシーに騙されてしまった。


「ん?げっ!お前、アイス・キャンディ!」

 

「…」

 

やはりレモンはどこかずれている。

 

「あ、おい!今、変なあだ名で呼んだだろう!ぶっ飛ばすぞ!」

 

「どうしてわざわざ人が立っている前に停車するんだ。こんな事をしたら、タクシーに間違えられても文句は言えないぞ」

 

「そんなことやってねぇよ!」

 

「やったじゃないか。ご丁寧にドアロックまで解除してくれたぞ?」

 

レモンはふん!と鼻を鳴らした。

 

「ロックは故障してるんだよ!

まったく、どいつもこいつも!」

 

「…まぁイイ」

 

「ところで、アイス・キャンディ。

ドープのクソったれが『キャンディは計画のためにしばらく離れるらしい』って話を聞いたらしくて、そう言ってたが、マジで飛ぶのかー?

LAXに行くんだろう?」

 

「そうだ。少し離れる」

 

車が発進する。

 

「仕方ねぇ。空港までは遠いが、送ってやるよ!

感謝しやがれ!」

 

「それは助かる」

 

レモンの車は、タクシーになった。


 

ご機嫌なレゲエ。

 

レモンの黄色いクラウン・ビクトリアの車内に流れている。

 

空港まで、しばし二人でドライブだ。

 

「アイス・キャンディ」

 

「なんだ?」

 

「俺は、今回の話…蹴る気でいた。

でも、乗る事にしたんだ!」

 

「ほう」

 

興味があるのか、無いのか、キャンディは窓の外を見ている。

 

「アンタの言う、『仕事』。必ず上手くいくと思ってる。

留守の間、俺達に出来る事はあるか?もしあれば、ドープに伝えといてやるよ。

なにせ、俺達はもうアンタが飛んじまってるもんだと思ってた!こうして今日、アンタを助手席に乗せて走ったなんて知ったら、ドープは悔しがるに違いないぜ!

アイツは言ってたんだ!『何も言わずに出て行くなんて、水臭い』ってな!」

 

「…これは驚いたな。ではレモン、今一度ドープマンに伝えて欲しい。

『心配いらない』ただそれだけだ。

俺がいない間に無理して計画を進めなくてイイ」

 

「バカヤロウ!俺はスティーブだ!なぜみんな間違えるんだ」

 

もちろん、誰も間違えて呼んでいるわけではない。


「ニックネームってのは、ソイツが仲間から与えられる勲章みたいな物じゃないのか?

誰も、お前をバカにするつもりでその名を与えてなどいない」

 

「そうなのかぁ?俺はどうも納得いかないがな!」

 

「レモンってのは…そのまま簡単に食える様なフルーツじゃない。

強い酒と一緒に食ったり、ステーキやサラダの付け合わせだったり」

 

レモンは、他人から見た自分というものに興味があるらしく、運転しながらもチラチラとキャンディの方を見ている。

 

「それから?」

 

「それから、そうだな、つまり…

簡単に食える存在じゃないって意味なんだろう。お前は、一筋縄ではいかない男だと思われてるんじゃないのか?

一目置かれてる証拠さ」

 

真っ赤な嘘だ。

 

「そ、そうなのか!

いや!分かってた!俺は分かってたぞ!

今頃そんなことに気付いたのか、アイス・キャンディ!この辺りじゃ、誰もが俺をリスペクトしてる!」

 

彼は完全にキャンディの口車に乗せられてしまっている。


 

 

『LAX』

 

長いドライブを終え、ようやく二人はそこに到着する。

 

「着いたぜー…ロサンゼルス国際空港だ。

あぁ、疲れた」

 

「助かった。ほら、とっとけ」

 

キャンディが20ドル札を適当に十枚程、レモンに手渡した。

 

「お、ありがとよ!

ん…?おい!これ、タクシーの支払いみたいじゃないか!?」

 

「そうか?では甘えておこう」

 

「はぁ!?そうは言ってねぇだろう!

ありがたくもらっておくぜ!」

 

「ふん」

 

ちゃっかり無賃乗車しようとしたキャンディの手から、レモンが金をもぎ取る。

 

 

狙っていたのか何なのか、レモンはタクシー乗り場で車を停めた。

 

「さて、チケットは取れるかな」

 

ドアを開けて地面に足を下ろすキャンディ。

 

「そんじゃ、またな!」

 

「あぁ」

 

レモンが窓から出した手を振っている。

 

 

 

「バカヤロウ!勘違いするんじゃねぇよ、クソババア!」

 

エントランスの自動ドアが閉まる時、キャンディの背後からは聞き慣れた怒鳴り声が響いていた。


 

 

「ふぁ…

おっ、なんだ、あれ…」

 

家の前の道端で車椅子に腰掛け、空を見上げているのはドープマンだ。

 

「ハニー」

 

「んん…どうした?」

 

彼は後ろから声を掛けられたが、振り向く事なくそのまま応える。

どうやら一つの飛行機雲を目で追っているようだ。

 

「仕事に行ってくるけど、家の事を頼んでおくよ」

 

「そうか。気をつけて行っておいで」

 

それでもやはり彼はクリスティーナの方は見ない。

 

「それじゃ」

 

クリスティーナが屈んで、ドープマンの頬に軽くキスをした。

そしてすぐに歩いて行く。

 

彼等は車を持たないので、クリスティーナは仕事に行く際、バス停まで歩いているのだ。

 

ドープマンは仕事をしない。

もちろん、足に障害があるからといって、働き口が無いわけではない。

 

クリスティーナが、彼を働かせる事にイイ顔をしないのだ。

過去に自分が犯した罪を悔やみ、彼を一生涯、自分が面倒を見ていくつもりだという気持ちの表れなのだろう。


彼女は、昼間は飲食店の店員、夕方からはホテルやビルの清掃の仕事をしている。

 

そして帰ってくるなり晩ご飯や掃除、洗濯などの家事をこなし、次の日の朝にはドープマンの為に朝食を作る。

 

他人から見れば、何一つしないドープマンに家事の一つや二つくらい分担させてもよさそうだ。

 

もちろんドープマン自身も、はじめはそれを提案した。

 

 

この間の様に、彼の知人や友人が家に訪れて部屋が散らかってしまった場合には、さすがのクリスティーナも片付けをさせる。

しかし、普段は何も強制する事はなく、むしろ彼が洗濯機を回そうとするだけでも「何もしなくてイイから」と、ドープマンを止めるのだ。

 

たまの休みには、ドープマンの車椅子を押して近所を二人で散歩し、時にはレストランで外食をする事もある。

 

 

誰が見ても仲睦まじいカップル。

 

クリスティーナが、アンジーを使って犯した大きな罪さえ無ければ、そう言っても過言では無いのだが。


 

ピッピッ!

 

「よう!よう、ドープ!」

 

一台のバン。

 

チェスター・クリップのメンバーだ。

 

ドープマンに向けたハンドサインと共に道路をゆっくりと走っている。

 

彼もそれに反応してハンドサインを返すが、目線は飛行機雲に夢中だ。

 

 

いくらギャングから足を洗ったとはいえ、住んでいる家はそのままなので、リッキーやダグ以外のメンバーとも時折こうやって顔を合わせる。

 

もっとも、わざわざクリスティーナに怒られるのを承知で家まで訪ねてくるのは彼等二人だけなのだが。

 

「ドープ!」

 

「…」

 

「おい、ドープ!」

 

また、クリップスのメンバーが近くを通っているのだろうと思い、ドープマンは空を見上げたままハンドサインだけ返したが、どうやら違うらしい。

 

「おい!」

 

パンパン、と肩を叩かれて、ドープマンは視線を落とした。

 

「んー?なんだよー?お、レモンじゃないか」

 

そう。

 

側にいたのはレモンだった。


「『なんだ』とは何だ!まったく、いちいち頭にくるぜ!

それから俺はスティーブだ…ったか!?」

 

「知らないよ!俺に訊くなよ!」

 

ただ、名前を呼んで欲しいだけに違いない。

 

「何で知らないんだ!俺、登場だぞ!」

 

「何だよー!押すなよー!」

 

腹を立てたレモンが、強くドープマンを押すものだから、車椅子が少し動いてしまう。

 

「ふん!暇そうだな、タフガイ!

俺様は今しがたキャンディを送ってきたところだぜ、ニガー!」

 

「えー?冗談は車の色だけにしておきなよ、レモン!

一体誰を送ったって?」

 

レモンのクラウン・ビクトリアを指差しながらドープマンが言う。

 

「アイス・キャンディだ!あん?車?」

 

「…やけに機嫌がイイとは思ったけど、そっか。

ジャンキーの仲間入りか、レモン」

 

「バカヤロウ!」

 

ガン!と車椅子の車輪を蹴るレモン。

もちろん彼の言葉は虚言ではない。

 

「…ほんとなの?まだ発って無かったのか?」

 

「もちろんだぜ。今頃は空の上だろうな」

 

「…」

 

ドープマンは再び飛行機雲を見つめる。


「ははは!寂しそうだな、ニガー!

悔しいだろう!俺はさっきまでキャンディといたんだぜ」

 

「うるさいなぁ。寂しくなんかないよ!」

 

子供のような会話が続く。

 

レモンとドープマンは案外、会話レベルが合うのかもしれない

 

「どうして、あんなわけが分からない奴にそこまで肩入れするんだよ?

キャンディは地元のホーミーでも何でもない」

 

「なんだってイイだろー?俺はアイス・キャンディの事が気に入ってる。それだけだよ」

 

「は!俺も一肌脱ぐからにはアイツのイイところを知りたかったんだけどなぁ」

 

言いながら、レモンはゴソゴソとズボンのポケットをあさり、発見した飴玉を口に放り込んだ。

 

「レモン、キャンディは何か言ってたか?」

 

何だか美味しそうな台詞だ。

 

「レモンキャンディ?違う!グレープ味だぞ!」

 

「彼が戻ってくるまでの間に、もっと協力者を集めておいたら驚くだろうなぁ…!」

 

「…ん?おぉ!確かにそうだな、ドープ!」

 

レモンにはことづての一つも頼めないようだ。


「そうと決まれば行動開始だ!まずは、隣に住んでるばあさんを仲間にしよう!」

 

「ばあさん!?おい、ドープ!デカイ仕事をばあさんとやるのか!?」

 

「もちろん冗談だけどね」

 

ドープマンは車椅子を走らせ始めた。

 

「どこに行くんだよ?」

 

「リッキーの家」

 

「何で?」

 

レモンもドープマンの後に続いて歩き出した。

 

「作戦会議だよ。どんな奴の力が俺達の役に立つのか、早速みんなで話してみようと思ってさ」

 

「そりゃイイ」

 

ドープマンがクリップスを抜けて以来、自らメンバーの家を訪ねに行く事は初めてだ。

 

クリスティーナがこれを知ったらただでは済まないだろう。

 

 

 

「リッキー!」

 

玄関先の階段に行く手を阻まれて、ドープマンは家のチャイムを押す事が出来ない。

なので、少し扉から離れた場所から大声を上げるしかないのだ。

 

ドープマンの家の玄関には、突貫で増設されたスロープがあるので自力で出入り出来る。

しかし、一般の家庭にはそんなものは無い。


「おーい、リッキー!出て来いよー!」

 

さらに声を張り上げて叫ぶドープマン。

 

リッキーの車が、芝生で覆われた庭先に止まっているので、おそらく彼は在宅のはずだ。

 

「おーい!」

 

「えっと…おーい!リッキー!マザーファッカー!」

 

なぜかレモンがドープマンに便乗して、リッキーの名前を叫び始めた。

若干の文句が入ってはいるが。

 

それよりも、どうして玄関先の数段の階段を上がって代わりに扉をノックしてあげないのだろうか。

もしくはドープマンの車椅子を階段の上まで移動させてやれば、そちらの方が間違いなくドープマンの手助けにはなる。

 

 

「リッキー!」

「えーと…リッキーのクソったれ!」

 

 

「リッキー!」

「リッキーのろくでなし!」

 

 

「リッキー!」

「リッキーの…」

 

バン!

 

「うるせぇぇ!!」

 

「あ、いた」

 

扉を勢いよく開けて外へ飛び出してきたリッキー。

 

すました態度でレモンが反応した。


さらに続いて、リッキーの母親が玄関から出てくる。

 

デン、と出た胸と腹、尻が目立つ大柄な女性だ。

 

タンクトップを着ていて、上半身のほとんどの部分が見えている。

 

太い右腕には漢字で『高級車』という文字が彫られていた。

 

意味合いよりも、文字自体が持つ形が気に入って彫り込んだのだろう。

アメリカの人間には、意味を成さないこういった漢字や平仮名などの日本語のタトゥーを彫っているものが多く見られる。

彫った図柄や文字に対して込める意味など、あまりないようだ。

 

「あぁ!うるさい連中だね!

叫ぶ前にノックしたらどうだい!」

 

「な…ママ!引っ込んでてくれよ!」

 

「何を言ってるの!

それに、途中からは悪口も聞こえてきてたよ!どういうつもりなんだ!」

 

止めに入るリッキーを押し退けて、彼の母親がドスドスと階段を降りてくる。

 

「おや?アンタ達だったのか」

 

「やぁ」

 

「やぁ、おばさん」

 

ドープマンとレモンが挨拶をする。


「また悪さのお誘いかい。うんざりだよ!

リッキー!少しは家にお金を入れたらどうなんだ!まったくアンタは…」

 

「分かった分かった!ママ、仲間の前でそんな話をするんじゃねぇよ」

 

リッキーが重そうに母親の腕を掴んで部屋の中へと押し込んでいく。

 

「それに、あの子達もあの子達だよ。年がら年中…」

 

最後にドープマン達に向けた愚痴をこぼしながら、母親は玄関の向こうへと消えていった。

 

リッキーの家には両親がいるが、父親は長距離のトレーラーを運転していて滅多に家に帰ってこない。

 

たまに家へと帰ってきた時にわずかな生活費を入れてくれるだけなので、リッキーが真面目に働く事を母親は望んでいるのだ。

 

 

「うんざりしてるのはこっちの方だぜ」

 

ため息をつきながら、リッキーが玄関先の低い階段を一気に飛び降りる。

 

「で、何の用だ?」

 

「話の前に、ダグも誘おうよ」

 

「…?あぁ、行こうか」

 

ドープマンの言葉に不思議そうな顔で返すリッキー。

 

しかし、何か面白い話だと解釈したらしく、二つ返事で了承した。


 

 

すぐにダグの家に向かい、寝ていた彼とも合流した。

 

時刻はちょうど正午を過ぎたところだ。

 

 

一度、ドープマンの家に戻り、レモンの車に乗り込む。

 

「メシにしよう」

 

ダグのこの言葉で四人が向かったのは、街の方にある大衆向けのステーキレストラン。

彼等の地元からは少しだけ離れている。

 

 

チリンチリン。

 

ベルの音と共に彼等が店内へと入っていく。

 

「見ろよ…ギャングスタ共だぜ」

 

「何言ってるの。見ない方がイイわよ」

 

他の客達の冷たい視線。

 

ドープマンやレモンはともかく、青いバンダナを片時も離さないギャングメンバーのリッキーとダグが目立つのだ。

 

「ふん!胸クソ悪い!」

 

「…店を変えるか?」

 

憤慨するリッキーと、提案するダグ。

 

「えー?気にする事ないよ。ここの肉、すっごくおいしいじゃん!」

 

「は?リッキーは何で怒ってるんだ?何で店を変えるんだよ?」

 

楽観的なドープマンと、空気が読めないレモン。


やはりどこへ行ってもギャングは恐れられる。

人が集まる街中であればなおさらだ。

 

しかし今回は、ドープマンの意見を尊重してこの店で食事をとる事にした。

 

「いらっしゃいませ」

 

そう言ってメニュー表を持ってくるウェイターの手が、小刻みに震えている。

 

「ははは!取って食いやしねぇよ、兄ちゃん!」

 

リッキーがメニュー表を受け取る。

 

「ご、ご注文がお決まりになりましたら、お申し付け下さい」

 

小走りでウェイターが去っていく。

 

 

「なんだ、アイツ?」

 

未だに状況が理解できていないレモンが言った。

 

「さーて、俺はこのリブステーキとシーザーサラダにしようかな」

 

「俺もそれにするよ、リッキー!」

 

「じゃあ俺は、一番サイズがデカいステーキにマッシュポテトを頼もうかな」

 

三人はとっととオーダーを決めてしまい、レモンだけが出遅れてしまう。

 

「おーい!注文を頼む!」

 

「はっ!?おい、勝手に呼ぶなよ!まだ俺が…」

 

リッキーが店員を呼び、レモンが慌ててメニュー表に目を向ける。


「お決まりですか」

 

「あぁ。このステーキを二つとシーザーサラダを二つ。

それからこのステーキを一つとマッシュポテトを一つ」

 

先程のウェイターが席へやってくると、すぐにリッキーは三人分の注文を済ませてしまった。

 

「かしこまりました。お肉の焼き加減はいかがされますか?」

 

「ミディアムがイイな。みんなもそれでイイか?」

 

「うん。イイよ」

 

「構わないぜ」

 

ぎこちない手つきで、ウェイターが注文伝票に走り書きをしていく。

 

「…はい。ではご注文は以上でよろしいですか?」

 

「は!?おい、待てー!俺様の注文がまだだろうが、マザーファッカーが!」

 

「ひっ!も、申し訳ありません…」

 

レモンが怒鳴ると、ウェイターは小さく悲鳴を上げた。

 

他の客からの視線も痛い。

 

「レモン!店員をビビらせるんじゃねぇよ!

コイツはコーヒーだ!早く行ってくれ!」

 

「か、かしこまりました…!すぐにお持ちします!」

 

リッキーが勝手に注文を強制終了させる。

 

「待て!勝手に決めるな!

それから俺はスティーブだぞ!ウェイター!騙されるなよ!

おーい!戻って来い!」

 

レモンの声を背に受けながら、ウェイターは逃げ出した。


 

 

ギュルル。

 

「…」

 

ギュルル。

 

「レモン!黙れよ!」

 

「レモン、うるさい」

 

「は!?何も言ってねぇだろ!

それからこれはレモン・ティーじゃなくてコーヒーだ、バーカ!」

 

食事中。

リッキーとドープマンに注意を受けて、レモンが憤る。

完全に聞き間違えてはいるが。

 

 

ギュルル。

 

「レモン、静かにしてくれ」

 

「はぁ!?何なんだよお前達!

そしてこれはコーヒーだ!」

 

次はダグだ。

 

もちろん彼等がレモンに注意をしているのは、ギュルギュルと鳴っている腹の音だ。

 

しかし、当のレモン本人は気付いていないらしい。

 

「腹が鳴ってるからさ」

 

「何?マジで?

でも、そりゃそうだろ!俺だけ何にも食って無いんだからな!

…おーい!」

 

空腹に耐えられなくなった彼が、ついに店員を呼んだ。

 

しかしウェイターは気付いているのに知らん振りだ。

料理を出し終わってからは、彼等のテーブルに近付こうとしない。


「クソ!アイツもグルだな!

みんなして俺に嫌がらせか?

冗談にしては悪質だぜ!仲間じゃねぇのかよ!」

 

バカなレモンも、ようやく自分への仕打ちがあまりにも酷い事に気付く。

 

「バカヤロウ。からかっただけじゃねぇか」

 

「あーあ。この後、レモンだけの為にウチに美味しい特大ピザとドラフトビールを用意するつもりだったのにさー」

 

もちろん真っ赤な嘘だ。

 

しかし、このドープマンの一言でレモンは元気を取り戻す。

 

「マジで!?ははは!やっぱりそうか!

俺様は特別だからな、お前達には何か裏があるに違いないと思ってたんだ!」

 

「うん。

…でさ、リッキー、ダグ。

アイス・キャンディがしばらくカリフォルニアを離れてる話は知ってるよね?」

 

本題だ。

 

おそらくレストランでの話し合いが終われば、すぐに行動に出る。

 

適当にあしらわれたレモンは、ピザやビールの話を信じて疑っていないので、リッキーとダグと同じく、真剣にドープマンの話に耳を傾けた。


 

 

ドカッ!

 

「ガッ…!」

 

豪雨が降りつける路地裏。

 

腹を蹴り上げられた男は、血を吐き出しながら吹っ飛んだ。

 

「冗談キツいぜ、あんちゃん。

俺がそんな話を信じるとでも?」

 

蹴り上げたのは、身長が高い大男。

痩せてはいるが、かなりの迫力がある黒人だ。

 

彼はうずくまる相手に唾を吐きかけた。

 

 

大都市。

 

アトランタ。

 

通称『Aタウン』

 

イーストコーストやウェストコーストと並び、アメリカの南側は『ダーティサウス』という不名誉な呼ばれ方をする。

 

「ぐっ…」

 

倒れている男の顔に、大男が足を乗せる。

 

「あんちゃん。名前は何て言うんだ?

そんな嘘みたいな話をこの俺に持ってくるくらいだ。少しは名の通ってる人間なんだろうな?」

 

「うぐ…クソが!話に乗らない奴に聞かせる名なんて無い!」

 

「何だと!マジでブッ殺すぞ!」

 

ドカッ!

 

大男はさらに、倒れている男の背中を踏みつけた。


「ご…!げほっ!げほっ!」

 

血の混じった咳が、地面を汚す。

 

「チッ!薄気味悪いヤロウだ。

一体どこから俺の居所を突き止めたわけ?

はるばるマイアミからここまで飛んできたのによ」

 

この大男。

 

かなりの重罪とまではいかないが、いくつもの罪を犯して、警察から指名手配を受けている身だ。

 

そして先程から彼にやられっぱなしで地面に倒れているのはアイス・キャンディ。

もちろん人材や情報を集める為にここまでやって来ている。

 

ある意味、人探しにおいてアンジーの情報網は政府をも上回っていたのかもしれない。

 

それに気付いたキャンディは、機転をきかせる。

 

「ホーキンス…俺は、必ずしもお前が必要なわけではない」

 

「だったら先に他を当たるんだったな!

だが遅い!今すぐ楽にしてやる!」

 

「無駄だ。『俺達』には、お前達みたいな連中の居所はすべて割れている…

つまり、俺が死んだ場合は、別の人間によって貴様は警察に売られるか…消される」

 

影に組織が絡んでいるかのような発言。

 

ハッタリだ。


「嘘だな!」

 

「どうかな…」

 

キャンディが身体中の痛みをこらえながら懸命に立ち上がった。

 

フードを深く被る。

雨で濡れた彼のスウェットは、かなりの重量になっている。

 

「単純に考えてみろ…

お前は、警察から隠れながら細々と生きている身だろう」

 

「何だと!」

 

「逃げ回るコソドロが、ド派手に暴れるチャンスだ。

そして、一つ気付いて欲しい…

警察がいつ頃からお前の行方を追っているのかは知らない。

だが俺は…二日でお前を見つけたぞ」

 

ザッ。

 

大男がキャンディにすり寄る。

 

「あんちゃん、何者だ?」

 

「言ったはずだ」

 

「ふん!」

 

気を張ってはいるが、明らかに動揺している。

 

「蹴る選択は?」

 

「ご自由に」

 

キャンディは大男の横を通り、次へと歩き始めた。

 

「おぉそうだ、ホーキンス」

 

振り向かず、前を見たまま言い放つ。

 

「このケガの借りは、必ず返しに来る」

 

「…!ク…クソが!あんちゃん、嘘っぱちだったらタダじゃ済まないぞ!」

 

大男はキャンディに並んで歩き始めた。

 

キャンディの唇がつり上がる。

 

 

ホーキンス。

 

フロリダ州、マイアミ出身の強盗。


 

 

数日後。

 

 

空から降り注ぐ雪。

 

それも、大雪だ。

 

「へーっくしょん!」

 

「…ご加護を。病気なら、うつさないでくれよ」

 

「違うわ。俺はフロリダの生まれだぜ?なんだってこんな寒いところに。

嫌でも、くしゃみくらい出てしまうだろうが」

 

 

アイス・キャンディとホーキンスはアトランタを発ち、北の地、ミシガン州はデトロイトに到着していた。

 

また、キャンディのイカサマカードで旅費を稼いでの事だ。

 

アイス・キャンディにしては珍しく、どうやら仲間を連れたまま各地を飛んでまわる判断を下したらしい。

 

確かに、旅を終えてからもう一度全米に散らばる協力者達を訪ねて回るのは大変だ。

さらには曲者揃いの屈指のスペシャリスト達を、電話連絡などでカリフォルニアに集められるとは考え難い。

 

 

ここ、デトロイトはアメリカの自動車産業発祥の地で、高層ビルが建ち並ぶ大都市。

フォードやクライスラーなどの有名な自動車会社がある。


そして、何より注目すべき点は…

 

その、治安の悪さだ。


 

もちろんきらびやかなこの大都市に富裕層の人間が多く暮らしているのも事実だが、キレイな面ばかりではない。

 

マフィアの大きなファミリーの息がかかっているのは確かで、貧困層が暮らす地域ではギャングの様な若者達がはびこっている。

 

もちろんそういった場所にはドラッグディーラーや武器の密売商もいて、金さえ出せば幼稚園児にでも銃を売ってくれる。

 

 

そんなこの街でアイス・キャンディが探している人間は六人。

しかし、すべてのターゲットが彼に協力してくれるはずもない。

 

 

すでにアンジーからもらった大量のリストは破棄し、回転の早い彼の頭の中にすべて詰め込まれている。

 

実はホーキンスが仲間になるまでに、彼は様々な都市で十人以上の人間に断られているのだ。

 

「着いたばかりだが、まずは宿をとって休もう。組織の人間に電話連絡をしなければならない」

 

キャンディの言葉で、二人は郊外の安モーテルへと移動する。

 

タクシーに揺られて、約二十分。

 

部屋に入るなり、電話のダイヤルを押す。相手はアンジーだ。


もちろん彼女の電話番号もまた、キャンディの頭に入っている。

 

 

「もしもし!」

 

つながった。

 

携帯電話ではないので、彼女は自宅にいたようだ。

 

「俺だ。分かるか?」

 

「分からないぜー!」

 

当然だ。情報屋が一日に話す人間の数は計り知れないのだろう。

 

電話の向こうのアンジーは忙しいらしく、ガチャガチャと何かをあさる音が聞こえてきている。

仕事中なのだろう。

 

「アイス・キャンディだ」

 

「お?キャンディかー!遅かったな!今どこにいるんだ?」

 

アンジーの声のトーンが少し上がった。

 

「デトロイトだ」

 

「へぇ、寒いだろ」

 

「アトランタから着いたばかりだが、ホーキンスが同行している」

 

電話の向こうのガチャガチャとうるさい音が消えた。

 

「ホーキンス!えーと、待ってくれ。ホーキンス…ホーキンス…あった。

マイアミ生まれのコソドロだね。仲良くしてやるんだぜー!」

 

当のホーキンスはベッドに倒れ込んでいるが、確実にキャンディの電話に耳を傾けている。


「そうだな。そうありたいものだ。

また連絡する」

 

「あー、待て!キャンディ!」

 

受話器を下ろそうとしていたキャンディの左手が止まる。

 

「…何だ?連絡事項なら手短に頼む」

 

「『一人目』おめでとー!」

 

「な…!」

 

ガチャ。

 

ツー…

 

「…」

 

面食らって何も返せないまま、電話は切られてしまった。

 

彼も黙って受話器を下ろす。

 

「おい、あんちゃん。えー…と、アイス・キャンディさんよ」

 

「何だ?」

 

いつの間にか、ホーキンスはベッドから起き上がって、窓際に立っている。

 

「必要な人材を探して各地を回ってるのは分かったが、あとどのくらいの人間をカリフォルニアに連れて行くわけ?

長旅がしたくてアンタについて来たわけじゃないからな。これはビジネスだ」

 

「分かっている。あと数人、そんなに長く時間をかけるつもりはないから安心してくれ。

俺がソイツらと会っている間は部屋を好きに使っていてくれてイイ」

 

「ふーん」

 

自分からきいておいて、何とも興味が無さそうな返事だ。


 

 

日付が変わる頃、すでにキャンディは動き出していた。

 

どこでもやはり、同じ。

 

腐りきった眼をした連中が、高架下やビルの影に点在していた。

 

「兄さん、何が欲しい?」

 

「安くしとくよ」

 

「ウチのブツはとびっきりの上モノだぜ!」

 

誰も彼もが同じような言葉、同じような顔で横を歩きながら話し掛けてくる。

 

普通はそこまでして客をつけようとする人間はいない。

よっぽどキャンディが魅力的なカモに見えるのだろうか。

 

元は同業であるはずのキャンディだが、そんな奴等にイライラしていた。

 

「違う…こんなクズ共に用があるわけじゃない」

 

フードの奥の独眼が、鋭く獲物を見定めていく。

ターゲットを狙って。

 

 

「銃は必要ないか?」

 

また、誰かの声。

 

「違う…」

 

「20ドルだ」

 

息が臭い男。

 

「コイツも違う」

 

その男を押し退け、さらに歩く。

 

 

もう、ブロックが終わるところまでさしかかった。

道のすぐ向こうは、きらびやかな街だ。


「…」

 

すり寄ってくる汚らわしい売人達と、狂ったようにクスリを求める客達。

 

身体に触られようものならば、キャンディの怒号が響くところだが、今のところそれは無い。

 

「…?」

 

もう、大通りまで後数歩。

 

そこに、一人だけ地べたに座って酒を飲んでいる一人の老人がいた。

 

誰からも相手にされず、ただひたすら大事そうに握り締めたジャック・ダニエルの瓶をあおっている。

 

ストリートでの飲酒は法律で禁じられているので、たいていは建物の中で酒を飲むか、警察の目をかいくぐる為に紙袋で瓶を覆い隠して飲むのが一般的だ。

 

しかし、その老人はよほど酔っ払っているのか堂々と酒を飲んでいた。

 

「…」

 

「うぃ」

 

キャンディが老人を見ながら前を通ると、何とも間抜けなしゃっくりの音が聞こえてきた。

彼もキャンディの方をジッと見ている。

 

「ひっく…アイス…キャンディ…だったかの?」

 

「…!?」

 

あまりにも唐突に名前を呼ばれたものだから、キャンディの心臓はドキリと悲鳴を上げた。


「何の…ことだ?」

 

「はて?わしの勘違いかの」

 

キャンディがひとまずとぼけて見せる。

 

老人は空になった瓶を、カタリと地面に置いた。

 

「人違いか…すまぬのう。知人に…ひっく、知人に似ておったのでな」

 

「そうか。じいさんはここで何をしてるんだ?

売人でも麻薬中毒者でも無いだろう」

 

「ふはは!わしは立派なアルコール中毒だわい!」

 

所々が抜け、不揃いになってしまっている歯。

豪快に大口を開けて老人は笑った。

 

しかし、これではキャンディの質問に応えていない。

 

さらに、彼はキャンディの事を『知人』だと言ったが、当のキャンディはこの老人の事など記憶にない。

繋がりがあるとすれば、ニューヨークにいた頃の客である可能性が一番強い。

 

「ほう…どういう知り合いだったんだ」

 

直球な質問だ。

 

「『アイス・キャンディ』ではないお前さんには関係なかろう」

 

「…」

 

「ふむ、変わっとらんなぁ。

その…フードを深く被る癖は。のぅ、キャンディ」

 

完全に…分かっている。


グルグルと脳みそを回転させる。

だがキャンディは思い出せない。

 

この老人は味方なのか、敵なのか。

 

少なくともアンジーのリストに載っていた記憶はない。

 

「こっちだ」

 

どう対応してイイものか分からずにキャンディが黙っていると、老人が立ち上がって手招きをした。

 

彼が座り込んでいた場所の真後ろ。

二階建てのビルの入り口へと導こうとしている。

 

「チッ…」

 

一瞬。

 

キャンディは老人の誘いに乗るか躊躇したが、それに従ってビルの中へと足を進めた。

 

 

すぐに左右に伸びた廊下。

老人はそれを左へ曲がって歩く。

 

コンクリートで固められた簡素なビルだ。

 

外観も汚かったが、中はさらに汚い。

パタパタと床をネズミが走り回っている。

 

「さぁさぁ、こっち」

 

「お前…目的はなんだ?」

 

ガチャ。

 

一階の廊下の一番奥。

金属製の扉を開いて、さらにその中へ入っていく。

 

ここは老人のねぐらだろうか。


「これは…」

 

キャンディが驚いた声を漏らす。

 

部屋自体は簡素なもので、管理人室か何かを流用している感じだ。

しかしコンクリートの壁一面に、異様なものがあった。

 

 

いくつものカツラ、様々な種類の服。

 

そして何より、人の顔の形をしたラバー製のマスク。

まるで特殊メイクを施す楽屋であるかのようだ。

 

「じいさん…アンタは…!?」

 

老人は応えず、ビリビリと顔の皮を引っ張り始めた。

少しだけ曲がっていた腰も、まっすぐに伸びていく。

 

「ふぅ…」

 

「何!そんなバカな…」

 

なんと、老人の顔は精巧に作られた人面マスクだったのだ。

 

中から現われたのは、モデルや俳優も顔負けのキレイな顔立ちをしたゲルマン系の美男子だった。

 

「どーも」

 

右手を軽く上げ、改めて挨拶をする男。

 

「驚いたな…何て巧妙な技術だ」

 

もちろんキャンディが言っているのはマスクの事だ。

 

しかし、本当の顔を見ても、キャンディはこの男を知らなかった。


ギィ、と簡素なパイプ椅子に腰掛ける男。

 

「おい。そちらさんは俺をよく知ってるようだが、やはり誰だか分からないぞ」

 

「そりゃそうでしょ。ほとんど素顔なんてさらさないから…貴方と一緒ですよ」

 

男がニッと笑う。

 

老人の時のしわがれた声は作り物だったが、抜けてしまっている歯だけは自前なのだろうか。

 

せっかくの男前が台無しだ。

 

「ニューヨークで?」

 

「あぁ…何度か行った事があります。

でも、貴方と会うのはおそらく初めてでしょうね」

 

「何?お前、名前は?」

 

「ケーニッヒ」

 

「ドイツ人か?」

 

「えぇ。父があちらの生まれです。

ん…少々お待ちを」

 

ケーニッヒと名乗った男は突然口に指を突っ込んだ。

 

そしてガバッと歯を取り出す。

それは、所々が抜けているように作られたリアルな入れ歯だった。

 

 

歯が一本も無くなると、今度はポケットからキレイに整えられた総入れ歯を取り出し、それを口にはめ込む。

 

「大変だな。自前の歯はどうしたんだ」

 

「もちろんすべて自分で抜いたんですよ。

誰かを演じるのが日常ですからね」

 

大したプロ意識だ。


記憶にも無く、アンジーのリストにも載っていなかったこの男。

 

油断ならない。

 

「ところで…」

 

「目的ですね?」

 

「あぁ」

 

「と、その前に…貴方の警戒を解く事にしましょう。

私が何者なのか、話はそこからです」

 

ケーニッヒは立ち上がり、床に置いてあった新しいジャックダニエルの瓶の蓋を開けた。

 

「一杯?」

 

「結構だ」

 

「では」

 

椅子に座り直し、片手でグッと瓶をあおる。

アルコール中毒だという事だけは満更でもないのだろう。

 

「…うっぷ。

私は、情報屋です。

副業で、クライアントを変装させてあげたりもしますが」

 

「情報屋…!」

 

「貴方がニコールと組んで、全米から猛者を集めている事も感づいていましてね。

しかし貴方を見掛けたのは偶然でした」

 

なるほど、これで大体の事情に見当がつく。

 

「…ニコール?」

 

「おや?今は違う名前を?

彼女は言いました『アタシはニコール・キッドマンだぜ』。笑えませんか?

あまりにもふざげた通り名なので、私は気に入ってたんですがね」

 

「…」

 

アンジーだ。

 

リストには無くとも、ケーニッヒにはアンジーと面識がある。


「アンジー…」

 

「はい?」

 

キャンディがぽつりとつぶやいた。

 

「俺に、彼女は『アンジー』と名乗った。おそらくニコールという女と同一人物だろう」

 

「そうですか。やはり手を組んで」

 

ケーニッヒは、さらに一口酒を飲んだ。

 

「質問が一つ」

 

「どうぞ?」

 

「お前は俺と会うのは初めてのはずだ」

 

キャンディがフードを深く被る。

 

「えぇ」

 

「俺の容姿が情報として出回っているのならば、迷惑な話だが仕方のない事かもしれない。

だがしかし、俺も言われて初めて気付いたんだが…

フードを深く被る癖を、なぜ言い当てる事が出来たんだ?さも、昔からよく知っているかのように」

 

「そうですねぇ…残念ながら貴方を納得させる為の理論的な答えは持ち合わせていません。

『勘』でしか無いんですよ。顔を隠す人間の気持ちは、実に理解しやすいものですから」

 

ケーニッヒが楽しそうに笑いながら話す。

 

「ふん…」

 

「では、目的をお話しましょうか」


彼が瓶の蓋を閉め、床に酒を置く。

 

アイス・キャンディの事、アンジーの事、全米を巡っている事、仲間を集めている事…

 

これらを網羅している時点で、ケーニッヒの情報力は尋常では無い事が分かる。

もしかしたらアンジー以上のものを持っている可能性さえある。

 

「貴方達がやろうとしている事、嘘か本当か知りませんが…興味がありまして」

 

「チッ…どこまで知っている?」

 

「とてつもなく大きな金が動く…というところでしょうか」

 

やはり。

 

ケーニッヒにはキャンディの計画、ある程度の察しがついている。

 

 

この男は危険だ。

 

アンジーからの情報が容易く漏れるとは考え難い。

となると、ケーニッヒが独自に他の情報屋の情報を仕入れる手段を持っているとしか考えられない。

 

さらには変装の腕前もかなりのもの。

 

確実に危険だと、キャンディの五感が強く知らせてくる。

 

平穏を脅かす、嵐に似ている。

 

 

この男のすべてが信用ならない。

 

だが。

 

「分かった…いいだろう」

 

この男は…使える。


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