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Crap Ur Handz  作者: 石丸優一
1/34

intro

『Crap…ゴミ、クズ』

「俺の靴、返してよー!」

 

「ははは!誰が返すもんか!」

 

 

1981年…

 

 

「クソー!返してってば!」

 

「返してほしけりゃ、追いついてみろよー!

ほら、パスだ!グレッグ!」

 

「よっしゃ、任せろ!」

 

 

アメリカ、カリフォルニア州…

 

 

「う…うわぁぁん!ずるいよ!二人がかりでー!」

 

「おい!見ろよ、ロイ!

泣き虫エリックが泣き始めたぞー!」

 

「はは!本当だ!

やーい、泣き虫エリックー!」

 

 

 

 

コンプトン。

 

 

 

 

 

 

パァン!パァン!

 

 

突然の銃声。

 

「やっべぇ!近くにギャングスタがいるみたいだ!」

 

「逃げよう!急げ、グレッグ!」

 

靴を盗んで遊んでいた少年二人は、慌ててその靴を放り投げて駆け出した。

 

 

「ひっく…!ま、待ってよー!靴…返してよ!どこだよー」

 

取り残された一人のいじめられっ子は、靴を求めて辺りをキョロキョロと見渡す。

 

左右の足はどちらも裸足。

上半身は裸で、彼が身につけているのはボロボロなデニム生地のハーフパンツだけだった。


「ひっく…!靴ぅ…俺の靴…あぁっ!」

 

エリックは空を見上げて立ち止まる。

 

町の高い場所。

電線が、電柱と電柱をつないで、そこら中に張り巡らされている。

 

そこに…彼の靴は引っ掛かっていた。

 

丁寧に左右の靴を靴紐で結びつけられ、ぶらぶらと電線で揺れている。

 

「うわぁぁん!なんでわざわざあんなところにー!」

 

エリックはさらに大声で泣きじゃくる。

 

どう足掻いても、靴は彼の手が届くような高さでは無かったから…という単純な理由からではない。

 

「ど、どうしよう…冗談じゃないよぉ…」

 

エリックは、ひとまず靴の事を諦めて、近くの茂みに身を潜めた。

 

そしてガタガタと震えながら、靴の辺りを見つめる。

 

 

ガヤガヤと騒ぎが近くなる。

 

先程、いじめっ子の一人が『ギャングスタ』と言った連中。

彼等が近付いてきているのだ。

 

簡単にいえば荒くれ者の集まり。『ギャング』と呼ばれる集団に属する人間、その一人一人の事をギャングスタと呼ぶ。

 

彼等の姿が、エリックの視界に入った。


「あぁ!?なんだこりゃ!」

 

ギャングスタの一人が大声を上げる。

彼はエリックの靴を指差している。

 

「今日はここで売りがあるのか?」

 

また別の男が言った。

 

…彼等は、四人組。

青い靴や服を着た、いわゆる『クリップス』と呼ばれる連中だ。

 

電線に引っ掛けられた靴は、ギャングの集合場所、あるいはドラッグの取り引き場所の目印として使われる。

 

エリックが恐れていたのは、そういう理由からだ。

 

 

サイレンの音が遠くから聞こえ始める。

 

先程の銃声を聞き付けて、警察がやってきているのだ。

 

「おい!」

 

「分かってる!みんな逃げろ!」

 

ギャングスタ達はハッとなり、その場から去っていく。

 

「…」

 

エリックは息を殺してそれを見守る。

 

早くどうにかして靴を取らなければいけない。

 

ギャング達や、薬物中毒者が集まってきてしまう。

日が暮れたりすれば尚更だ。

 

彼がその場でオロオロしていると、いつの間にか一人の警察官が側に立っていた。


「ボウズ」

 

「…!」

 

声を掛けられてビクリと反応するエリック。

 

ガムをクチャクチャと噛みながら、その警察官は屈む。

幼いエリックと目線の高さを合わせる為だ。

 

回転灯がクルクルと光るパトカーが側に停まっている。

中にはもう一人の警察官。

 

「靴…靴が…」

 

「靴?」

 

彼が指差す空を訝しげに警察官は見上げた。

 

「あぁ。何かの目印だな」

 

「違うよぉ…俺の靴なんだよぉ…!うわぁぁん!」

 

エリックは泣きじゃくった。

 

警察官はやれやれと首を振る。

 

「そうか。そりゃ気の毒にな。

残念だが…俺達は銃声を追ってるんだ。誰か怪しい奴を見たか?」

 

警察官は淡々と用件だけを話し始める。

 

「靴…!俺の靴、取ってよ!」

 

「すまない。時間が無いんだよ。誰か大人を呼んで取ってもらいなさい。

それで怪しい奴は?見たのか?」

 

ガシリとエリックの肩を両手で掴み、今度は威圧的に警察官が言った。

 

「…」

 

エリックが恐る恐るギャングスタ達が走り去った方向を指差す。


「あっちだな…?分かった」

 

警察官は素早く立ち上がる。

 

「あっ…待ってよ…俺の靴を…!」

 

「おい!怪しい奴があっちへ向かったそうだ!すぐに追うぞ!」

 

パトカーに残っている相棒に叫ぶ警察官。

 

エリックの訴えは、その大声にかき消されてしまう。

 

「靴…」

 

パトカーが発進し、エリックは空しくも、その場にポツンと残されてしまった。

 

靴は、もはや彼の力だけではどうにも出来ない。

 

 

仕方なく裸足でトボトボと歩き始める。

 

「また…怒られるのかな…」

 

エリックはつぶやいた。

 

彼が今から帰る家には、母親が待っている。

 

兄弟はいない。

 

父親の顔は、知らない。

エリックの母親でさえも、父親が一体誰なのか分かっていないのだ。

 

その理由は、彼女がエリックを身ごもった時、複数の男性と肉体関係があったからだった。

 

エリックは…『望まれなかった子』。

 

結果、彼が母親から愛される事は無かったのだ。

 

彼は…たった一人の肉親から虐待を受けていた。


 

ガチャリ。

 

そっと家の扉を開くエリック。

 

彼の家は、動かなくなったキャンピングカーを利用した『トレーラーハウス』。

 

郊外の広い土地に何台もの動かないキャンピングカーがあり、そこに何世帯かの貧しい家族が暮らしているのだ。

 

「何時だと思ってるんだい?」

 

小さく、怒りを含んだ言葉が聞こえてきた。

 

「ごめんなさい」

 

エリックは声の主と目を合わせる事さえせずに、奥にある自室へ戻る。

 

家の中は、玄関から入るとすぐにダイニングキッチンがあり、その角に小さなバスルーム。

 

そしてもう一つ、隣りに小さな部屋があるだけ。

それがエリックの部屋だった。

 

 

「待ちな!」

 

突然、母親の口から金切声が上がる。

 

自室の扉を閉めかけていたエリックは「ひっ!」と短く驚いて、母親の方を振り返った。

 

ようやく彼の目が、母親の目と合う。

 

下着姿の彼女は、セミロングの黒髪にカーラーを巻き付けたままの、酷い格好だ。

 

「な…なに?」

 

「アンタ…靴はどうしたんだい?」


エリックの顔が、ギクリとする。

 

誰が見ても気付く程の反応。

「しまった」と、口で言っているようなものだ。

 

もちろん彼の母親が、それを見逃すはずがなかった。

 

「また無くしてきたのかい!それとも取られたのかい!」

 

母親が大股でエリックに近寄る。

 

そして、バシン!と大きな音を立てて、彼の左頬を平手で打った。

 

「ママ…待って…!靴は…!」

 

「どうしようも無いバカだね!

もう靴は買ってあげられないよ!ずっと裸足でいな!」

 

言いながら母親の手はエリックを打ち続ける。

彼の声は彼女には届かなかった。

 

エリックは倒れ込み、唇をかみ締めながら痛みに耐えるしかないのだ。

 

「うぅ…」

 

こうして、エリックが身につける物は一つずつ減っていく。

 

 

つまりこの瞬間から、彼が着る事が出来る物は、くたびれたハーフパンツだけとなったわけだ。

 

「はぁ…はぁ…」

 

母親が息を切らして、ようやくその手が止まる。

 

エリックは身体中が痛々しく腫れて、口や鼻からは血が出ていた。


母親の言葉からも分かるように、彼が着ている物を無くして来るのは初めての事ではない。

 

エリックは、家庭で虐待を受けている事に加えて、近所の子供達からもいじめられている。

 

彼等はエリックにケガを負わせるだけでは飽きたらず、近頃は彼の持ち物や着ている物を奪うようになったのだ。

 

それがさらに母親の怒りを買って、虐待はエスカレート。

そういう悪循環に繋がっていた。

 

母親は、他の子からエリックを守ろうとする事さえせず、彼を責め続けるだけ。

 

彼は『いつか自分は母親の手にかかって死んでしまうに違いない』と思っていた。

 

 

「さっさと寝な!当然だけど、アンタの晩ご飯は抜きだよ!」

 

母親が怒鳴りながらエリックの元を離れていく。

 

夕食を出してもらえない事など、いつもの事だ。

 

母親は、近所の薬局でパートタイムで働いているだけで、わずかな稼ぎしかもらっていない。

少しでも生活費を減らす為に、何かと理由をつけては、しょっちゅうエリックの食事を出さないのだ。


 

「お腹…すいた」

 

エリックは、自室の臭いベッドの上で空腹感と闘う。

 

シャワーなど滅多に使わせてもらえない。

 

クリクリの坊主頭はとても痒い。

 

『なぜ、部屋だけは与えられているのか』という疑問はそこで消え去るだろう。

 

 

「あらぁ…!いらっしゃい!」

 

夜中頃。

ようやく空腹感に打ち勝って眠っていたエリックは目を覚ました。

 

隣りの部屋で母親が誰かを迎える、わざとらしい猫なで声。

 

『男』だ。

 

先程、彼女がカーラーを巻いて髪型を作っていたのはそういう理由だったのだ。

 

 

カチャカチャと音を立てて、その客人が食事をとっている。

エリックには与えられない食事を。

 

彼は必死で耳をふさぐ。

 

またか、と思いながら。

 

食事の音が耳障りだからではない。

 

朝まで待てば、フレークくらいは食べさせてもらえる。

 

「…」

 

エリックは起きている事を気付かれないように、ポロポロと静かに泣いた。

 

もうじき聞こえてくる母親の喘ぎ声と、激しく肉体が擦れ合う音。

 

エリックはそれが大嫌いだった。


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