65.夢から覚める
「へぶしっ」
≪芽芽、さっさと起きなさいっ≫
うー寒い。つか、ここどこ。木の根っこ?
続けさまにくしゃみをして、着込んだ服をぎゅっと手繰り寄せる。
≪起きろーっ、この牙娘っ≫
白い犬が怒ってる。あ、ひとの靴を踏みだした。白い両前脚を代わる代わるもたげて、げしげし肉球を押し付けてくる。
≪あんたね、何を無防備に寝てんの! 多少は安全だと言ったけど、街道沿いよ、いつ誰が通ってもおかしくないのよ。警戒しなさい、このバカ娘っ≫
ふにー、なんか寒いよぉ。
≪――なっ、なんで泣いてるのよ≫
≪寒い……から? あれ?≫
なんでだ? 涙がぽろぽろ零れてくる。止まらない。
≪うぐ……黒い竜が死んじゃった……お月様……≫
カチューシャが怪訝そうに、下から覗き込んでくる。
≪芽芽、夢を見ていたのね≫
≪うん……たぶん?≫
≪起きろっ≫
「ふぎょぽっ」
機嫌の悪い女王様が身体を捻って、もふもふ尻尾攻撃を仕掛けてきた。左のふくらはぎに見事にヒットし、足を抱えて蹲る。
≪芽芽ちゃん、大丈夫?≫
いつの間にか小さくなっていたフィオが荷袋の中から、遠慮がちに頭をひょこっと出した。あれれ、さっきまで隣でガウバを食べてたよね?
≪もう明るいし、人に見つかっちゃうから、隠れてなきゃダメだったの≫
――と、この怖いお姐さんに怒られたのだな、きっと。可哀相に。サモエド犬、フィオ相手のときはもうちっと手加減してやれよ。
≪ほいでタウは?≫
辺りを見渡すと、紫小雀がいない。何回か名前を呼んでみる。
≪メメちゃーん、この子たち!≫
木の上からタウが飛んで来た。はて、『この子たち』とな?
首を傾げながら、両手をお碗状に広げて小鳥を受け止める。
よく見ると、その周りには赤と青の帯状の光がふわふわ漂っていた。霞のようにぼんやりしているけれど、森で垂れ下がっていたこちらの世界の半透明な蔦だろうか。なんか紐を引っ掛けて来たぞ。
≪ちゃんと名前つけたげて!≫
名前? なんの?
≪夢で会ったって。でも大体の形だけで、名前もらってないって。だから“定まらない”の≫
夢……あー、もしかして。あのトンボと魚さんか。はいはい。って、納得している自分が怖いわ。
この空中に儚く浮かぶ光のリボンが、あの子たちなのよね。なぜか確固たる自信がある。きっとこの世界では『普通』なのよ、多分きっとおそらくメイビー。
≪うーん。じゃあ、魚さんは……≫
「アルン」
≪で、トンボさんは……≫
「ナイア」
≪ってのはどう?≫
アルンはサンスクリット語で赤、ナイアはハワイ語でドルフィンだ。雰囲気、ぴったし。
二人も同意してくれたみたい。タウの両横でくるくると回りながら少しずつ形をはっきりさせてきた。
アルン君はどうせなら金魚の琉金よりも、さらにベタみたく、どのヒレも大きく波打っているのがいいな。こう、橙色から明るい赤へ、そして金粉を散らしたような深紅色へとグラデーションで。
そうそう、天女の羽衣のように繊細で、幾重にも襞の入ったヒレ。特に尾びれは優美な扇のようにはためくの。
お口は金魚みたく、もちっと小さめがいいかなぁ。ベタは噛み魚と呼ばれる闘魚だけあって、へむっと大きいのよね。
目は赤じゃなくて、モリオン石のような真っ黒が似合いそう。
ナイアちゃんは、青は青でも緑がかった孔雀色がいいな。リュウキュウハグロトンボみたいな、金がかった鮮明な青の、すらりとした長い躯体。
翅はどうせならチョウトンボみたく四枚で、葉脈標本のように透けてるの。その翅脈は銀がかっていて、中心の明るいセルリアンブルーから先に行くにつれ深いコバルトブルーに変化していく感じ。
目に関しては、蜻蛉って中央三つの単眼は黒かった気がするけれど、左右二つの大きな複眼は割と薄めの色でも大丈夫だったよね。じゃあ、ティファニーブルーはいかが。ターコイズ石のような輝きの。
おー、二人ともすっごくキレイ!
≪フィオ、見て見てっ≫
≪芽芽ちゃん、すごーい。その子たち、キレイ!≫
だろうだろう。私もそう思うよ。タウと同じサイズで超・可愛いし。
あーもう、目の前で三人並んでひらひら飛んでくれると、魅力的すぎてくらくらしちまう。
≪――で、契約できたのね≫
ん? 『契約』とカチューシャ姐さん今おっしゃったのかしら。
≪二つ同時に孵化させたのか。器用じゃな≫
おおう。胸元から熊爺の声がする。おはよう、じゃなくて!
リュックの中を慌てて確かめる。おじいちゃんのおまじない小石が、黄土色の一つを除いて消えていた。地球産なのに、本当の本当に『精霊の卵』なの!?
≪ふん、こっちいらっしゃい、新人。念話できるよう、繋がりの使い方を教えるわよ≫
そういやカチューシャのおかげで、タオと話せるようになったのでした。でも意思疎通といえば、もっと問題のある子たちが。
≪ねぇ、よん豆たちにも教えてあげてよ≫
葉っぱに擬態しているかと思ったら姿がない。元のぷにぷに大福餅に戻って、左右のポケットに勝手に潜り込んでた。
確認がてら四つとも取り出したのだけど、デレなしのツンツン犬は鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
≪ただの『森の使い』は無理よ、あんたは種族ごとの呼び名を与えただけでしょ。姿と個人名まで与えてないと≫
≪魔獣との主従契約では、その二点が必須条件じゃからな。そうでなければ主人との繋がりが形成されぬ≫
カチューシャと爺様がまた変なこと言ってる。そういや最初に会った日、なんか霊山で説明されたっけ。えっと、魔核を持ってる生き物を従わせるには『契約』で――――あれだ、フィオの首に巻き付いた黒い糸!
≪爺様! どうしよう私、奴隷契約しまくっちゃったよぉぉぉっ≫
≪いや、奴隷契約とは違うじゃろ≫
≪でも『主従』ってことは、人間の勝手な契約で縛ったってことでしょ!? いけないことだよ。どうしよう!≫
私ってば実生活のこととなると、なんでこう学習能力ないかな。えーと、キャンセル? リセットボタン? 初期化設定?
無邪気なチビ三匹が不思議そうにこちらを見上げていて、気分は悪徳奴隷商人だ。やだ泣きそう。
≪芽芽、それチガウから≫
カチューシャが、私の両腕の間に顔を入れて、ずずいっと鼻先を近づけてくる。高級なサファイアを思わせる紺の瞳がこちらをじっと見た。
≪古に生まれた人外と人の契約はね、元々は無理矢理する制度じゃないの。お互いがお互いを補い合って、人生を共に歩むことで魂を磨いて、成長するためのものなの。
わたしたち獣は人間の知能や感性と繋がって、言葉で繊細に表現する術を得るわ。外の世界を、自分の内側を、豊かに深く思考するようになるの。
そして人は、人外の魔力と繋がって、人間には備わっていない別の能力を得るの。大空から見渡す目を、土の中や水の中の世界を、森の叡知を。
そうやって、お互いに自分だけでは経験できないことを色鮮やかに体験していくの。本当は共により良く生きていくために作り出されたものなの≫
うーん。私は生き物好きだから一緒にいてくれるのはうれしいけど、それって人間でない側にとっては足枷じゃないのかな。だって『使役』されちゃうんでしょ?
≪別に無茶苦茶な命令をして、力ずくで従わせようとかしなけりゃいいわよ。
この時代の魔導士って、従獣は常に暴力的に支配しておかないと自分の方が喰われるって大勘違いしているから困りものよね≫
およ。爺様も?
≪最初遭ったときはね。すっごく太々しかったわよ。わたしのほうが力が上だったから、お望み通りに喰ってやろうかと思ったのだけど、なんだか必死なんだもん。
可哀相になったから、この男に拘束されたフリして契約獣用の魔法陣の中に入ってあげて、『偉そうにしません』って逆に誓わせたの≫
流石です、お姐様。その光景、目に浮かぶわ。
爺様は泡吹いただろうなぁ。後悔しても後の祭り。平和裏に誓えたとはとても思えないから、さぞ心臓に悪い契約締結だったに違いない。
首に掛けたぬいぐるみから、決まり悪そうな空気が伝わってきた。
≪えっと、つまり。私はタウやアルンやナイアと、そいでカチューシャとも、非道な『奴隷契約』に該当しない、古代の、元のまっとうな形の『共存契約』をして、ご縁を結んだってこと?≫
≪……ま、まぁ、そんなところかしらね≫
うんん? なぜそこで目を逸らすよ、悪巧みワンコよ。三匹にも確かめるけれど、本人たちの知識が足りない。唯一話せるタウからも≪わかんない≫と返されてしまった。
なるほど、これが何人もの人間と契約してきたカチューシャとの差なのか。
≪んーじゃあ、一つだけ。私から最初で最後の命令≫
そう切り出して、足元のカチューシャと、その頭の上に降ろしたタウ、アルン、ナイアを見る。
≪解除してほしいときは正直に言うこと。で、解除しなくても私に拘束される必要はないからね、好きにしていいからね。カチューシャも含めて≫
爺様に確認すると、解除する方法はちゃんとあるらしい。戦場で上級魔導士同士が戦うときに、相手の契約獣を強制的に解除する魔術があるから、それを応用すれば多分可能なはずとかなんとか。
いや普通に解除したいんですけど、と突っ込むと、『普通』は解除しないからそんな魔術は知られていない、と答えられてしまった。どうやら契約獣は魔導士憧れのステータスシンボルらしい。
≪あ、それと。万が一、私が咄嗟に命令口調で何かお願いしちゃっても、嫌だったら断ってね、絶対≫
≪一つじゃないじゃない≫
あう。カチューシャの冬の海のような寒々とした目が細められていく。そこは大人の事情ってやつで、スルーしてくださいよ。
≪ま、最初からそのつもりだから異論はないわ≫
さよですか。白い犬がするりと腕の間から抜けて、街道のほうへ駆けていく。
空中に取り残されたタウとアルンとナイアは、私が『どない? いいかな?』と首を傾げたのに合わせて、しばらく身体全体をこてんと斜めらせていた。
それから三人で何やら、わさわさ話し込んでから、上下に身体をぽよよんぽよよんと揺さぶった。多分、『了解した』という意味だと思う。
――ありがとう、友達として宜しくね。
そう伝えて微笑んだ。
≪芽芽! さっさと街に行くわよ≫
街道からカチューシャの声がして、私は慌てて荷袋を背負うことにした。
根っこに置いたよん豆も、ふたたびポケットにジャンプ。竜のフィオと紫雀のタウと赤魚のアルンと青蜻蛉のナイアがリュックの中。爺様は熊として首からストラップでぶら下がっている。
大木に休憩させてもらったお礼を言って、歩きだす。
『互いに補い合って、共により良く生きていくための契約』かあ……つまりは友達契約? もっというと家族契約だ!
人間の身勝手に過ぎないのかもしれないけど、そう考えたら胸があったかくなった。
※芽芽はちょっと不調になってきました。
精霊(の眷属)と魔獣の違いにも気がついていません。いつもの様に、正式名称&愛称のセットで考えることが出来ていません。アルンとナイアの正式名称はだいぶ後になりそうです。




