61.宿で再会する
宿の一階は、私がいつもより早く降りてきたせいか、雨で閉じ込められたせいか、お客さんで溢れていた。ポツンと一人離れて食事することが多かったから、ちょっと緊張する。
全体的に明るい食堂は、四方の柱の前でたゆたう魔道具ランプで、精霊四色のステンドグラス風にゆらゆらと彩られていた。
天井中央にはやはり精霊四色の線が引かれた、寸胴の大型風鈴が垂れ下がっている。広場のは鉄琴のような繊細な金属音を奏でるのだけど、ここのは木製だから、きっと木琴みたいに暖かい音。
オルラさん家の台所にも飾ってあった。最初は言語習得ばかりに気を取られ、数日してから時を告げる生活魔道具なのだと理解した。
焚き口の背丈が大人よりも大きな暖炉からは、本物の火の爆ぜる音が聴こえてきて心地良い。
出来るだけ端っこで、空いてるところ……あ、あの奥のお客さんが席立とうと椅子の背に手をかけてる。しかも二人組、急ごう。しばらくは相席にならずに済むかもしれない。
「おや、どうぞ」
あらま、紳士的。この男性ったら自分が使っていた椅子を引いて、私が座れるように助けてくださったよ。
「アリガト」
椅子に腰かけてから、軽くぺこり。
「いえいえ。精霊の祝福を」
続いて二人組のもう一方も、同じセリフを言ってくれた。
「セイレノ、シュク、フヲ」
うん、そんな顔しなくても発音が変なのは自覚してる。難しいのだってば。ぺこり&にっこり、で誤魔化すことにしよう。
さて。食事だ。……食事、だよね?
≪爺様、どうしよう。宿の従業員が誰も来ないっ≫
えーと、手を挙げたらいいの? 周りをみると、紫の茎ストローを挿したジョッキを飲み干して、ぐいっと上げてたり。大きな声で、ぽっこり太鼓腹のご亭主を呼んだり。
この喧噪の中、席を立って従業員を捕まえに行けば、帰ったときには席が取られている気がする。かといって、荷物を置きっぱなしにするのも躊躇われる。
向こうで忙しく給仕してる、豚鼻のご亭主さん。あれってバーコード頭って言うんだよね、青い髪だけど。こっちを見てくれないかな……お願い、こっちを見て。
「亭主、こっちだ!」
背の高い男性が、無駄のない動きで目の前の椅子にさっと座った。部屋の反対側を通過中のご亭主にも、声をかけてくれる。
――って!
「やあ。また会ったね、メメ」
ストーカー男! けーさつっ! 爺様、何さくっと訳してくれちゃってんのよっ! いや、そりゃ通訳は助かるけど!
≪芽芽、落ち着け。ぐ……ぐるじい≫
およ。中の爺様にすがり付くイメージで、胸元のミーシュカを思いっきり握りしめたのだが――。
≪爺様、もしかして感覚あるの?!≫
≪解らん、今感じた≫
ひょっとして魔石の効果なのか? なんだか進化しているじゃん。すごいな、幽霊の成長度合い。
≪よりも前に。この事態をどうにかして≫
≪この状況でどうしろと。さっさと食べて部屋に戻るしかあるまい≫
あ、やっぱり? 私もそれ以外、思いつかない。
はぁーっ、と大きく溜め息をつく。なんでいるかな、なんでいるかな。あのさぁ、自分の騎竜はどうしたのさ。放ったらかしかよ。感心せんね。
「そんなに睨まなくても」
カマキリ男は降参、とばかりに両手を挙げる。こっちの世界でも、そのジェスチャーするんだね。
黒い髪と深緑の目。彫の深い整った顔は、どう見ても今朝別れた竜騎士だよ。確か名前は――。
「でぃぃ……むっど?」
でも森の中でまとっていた竜騎士の紫マントもないし、黒い軍服でもない。淡いラベンダー色のシャツに、腰元までの濃灰色のコートと、灰色の細身ズボンだけ。
街の人より少し仕立てがいいだけで、ごく普通の服装。
「そう。覚えてくれたんだね」
偉いねぇ、と頭をなでられる。街の人に歌を褒められたときより、全然ずっとうれしくない。
何かが変だ。この人は外宿に騎竜を預けているわけで。なぜここで食事をする。居酒屋代わりに食事だけ利用する客もいるけれど、今夜は大雨だ。どっから来た。そして何よりどっから帰る。
「リュウ、ココ?」
「いや。竜は街には特別な許可がないと入れないから、外宿」
うん、それは知ってる。私が訊きたいのはそこじゃない。
そのイケメン笑顔に騙されたりせんよ、と眉間に皺を寄せたまま、じじじーっとハシビロコウの目。
「あ、あの後、市場に行こうかと思ってね……歌を聴いていたが、本当にうまいね」
歌? いやそれ、私が市場について真っ先にしたことだけど。もしかしてコイツ、跡つけてた?
≪それは違うぞ。カチューシャが見張っていたからな、市場までの道のりは付けられておらん。
但し、市場で歌っていた頃にはなぜかいて、裏通りに入る手前の物陰でこちらを窺っておったな。芽芽の位置からは死角じゃったが≫
つまりカマキリ竜騎士には、外宿なりに戻って市場まで来る時間があったのか。街壁の出入り口は他にもあるから、外宿の近くから街に入ったのかもしれないけど、それにしても私の歩く遅さってどんだけだ。
≪~~~~~~なんで、それ、教えて、くれない、かな≫
≪教えたら唄うの止めたじゃろ≫
二人とも、ほんっといい性格しているよね。腹が立ったので、とりあえずミーシュカの腕をぎゅむーっと握りしめる。
≪痛い、痛いぞ、離さんかっ≫
≪素敵、魔石パワー様々だわ。じゃあ首も絞められる?≫
≪試すなーっ≫
「亭主が来たよ。その人形とのお話はついたのかな」
さんざんミーシュカの手や足や耳や頬っぺたを引っ張って、爺様に抗議に抗議を重ねていると、竜騎士に苦笑された。保護者風を吹かしてこちらを見守っておられますけど、諸悪の根源、あんさんだかんね。
ブヒ鼻のご亭主が飲み物はどうするか確認してきたので、じろりと竜騎士を睨みつけるのはお預け。うーん、と大げさに考え込むフリをする。
今日はね、どうしてもお茶じゃなくて、ジュースを飲みたいのだよ。
「お茶かな、果実水かな」
こくこくこく。ご亭主、今言ったそれそれ。
「お茶?」
ふるふるふる。
「果実水?」
こくこくこく。
「カ……?」
「果実水」
竜騎士、あんたにゃ訊いとらん。が、情報は遠慮なく奪わせてもらおう。
亭主が去った後も、何度か「果実水」と呟く。ちょうどいいから竜騎士にチェックさせてやろう。うん、この単語の発音も覚えたぞ。
「その手帳、誰かに貰ったのかな」
はっ、いつもの癖で爺様の手帳を巾着袋から出しちゃったよ。でも重要単語だ。諦め悪く、「果実水」の音だけ走り書きすると、さっとしまう。
「高そうな魔石手帳だね。その魔石鉛筆も」
へ? 爺様、どーいうこと?
≪ん? 知らなかったのか?≫
≪普通の手帳じゃないの?!≫
≪普通じゃぞ?≫
ごめん、その『普通』が通じてないわ。
≪まぁ確かに若干、高級品仕様とも言えるな。普通は書き込んだ内容を後で魔石板に取り込むと、また真っ新になって新たに書き込めるのみじゃが、これは持ち主以外は開けぬ作りにしてある。あとは防水防火対策と盗難防止として魔法陣を少々改変して、紛失時探知用に――≫
爺様お得意の魔術講義が始まりかけたので、両手でがしっと熊頭をつかんだ。
――思い出した、霊山で荷物譲ってもらって最初に一緒に野宿したとき、なんか次々と『持ち主変更登録』とかさせられたわ。こっちの世界の慣習だの、おまじないだの、適当に説明されたアレか!
全っ然、普通じゃないじゃん! ずっと『手帳』で脳内通訳されていたし、手触りも書き心地も変わらないから、すっかり普通の紙と鉛筆だと思い込んでいた。
そう言われれば、一度も鉛筆削った記憶がない。向こうの世界ではペンばっかり使っていたから、失念していた。
おまけに紙だよ。よく考えれば図書館の本と同じで、そもそもが貴重品だよ。
天井の木製風鈴が、カラコロと音を響かせた。何の刻の音色なのか、ちっとも判らない。
『魔石板』って結局なんなの? 手書き文字まで取り込めるって写メっすか。いやでも、爺様に私のスマホの使い方を説明したときは超びっくりしてたよね?
何が『普通』で何が『変』なのか混乱してきた。もー、泣きたい。
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