58.朝ご飯を用意する
≪ねぇ、フィオ。訊いてもいい?≫
≪なぁに?≫
隣のエメラルドグリーンの竜を見上げた。立つと同じ背丈だけど、座るとフィオのほうがだいぶ高くなってしまう。
≪昨日の夜、元気なかった気がしたのだけど、私の考えすぎ?≫
あ、黙り込んだ。しかも下向いた。
≪……ボクねぇ、嘘ついてたの≫
およ。何だい?
≪あのね、竜騎士がボクのこと『子竜』って言ってたでしょ、アレ、違うの≫
そういえば言ってたっけ。わたしゃスルーしちまったが。
≪ホントはね、竜って子どもの頃じゃないと、他の色が混ざらないの。水玉模様とか、尻尾の縞模様とか、大人になったらなくなるの≫
つまり、若作りしていたことになるのだね。あれか、竜の美魔女だ。
≪ホントはフィオは何歳くらいなの?≫
≪えと……多分、大人になったばっかりかな、よく判らないけど≫
≪なんだぁ~っ≫
思わず大きな溜め息をつく。やだもう、爺様と同じくらいとか言われたらどうしようと身構えちゃったよ。
別にそれでもいいのだけど、私すっかりフィオのこと弟扱いしていたからね。老竜だったとしたら、相当無理な若作りさせちまって申しわけない。
≪格好なんて、別にいいじゃん。その色味になってって頼んだの、私だし。何歳かちゃんと聞かなかったのも、私だしね。
フィオが何歳でも私たちの関係は大して変わらないよ≫
そもそも同じ一年だって、人間と竜とじゃ年の取り方が違うかもしれない。それに魂でつながった家族なのだもの。私たち、チーム・グリーンだよ。どっちが上で下かで出来上がった関係じゃないんだよ。
つまりね、この魔法陣と一緒のことじゃん、と私の年齢詐称コートを見せる。昨夜は寝るときも着たきり雀。若竹色コートはすっかり身体に馴染んで、最早第二の肌ですぜ。
フィオがやっと笑ってくれた。
≪でも、フィオが大人の竜の格好したいのなら、そっちでも全然いいよ?≫
≪ううん。ボク、この色も模様も大好き≫
……ええ子や。グリーンバジリスクの王様が地球で今頃、狂喜乱舞しとるで。
≪あ、でも変わることあった!≫
はた、と思い出したよ、重要なこと。え? とフィオがこちらを不思議そうに見る。
≪フィオも結婚適齢期ってことになるじゃん。お嫁さん、探さなきゃ≫
そーだよ、そーだ。竜の大陸行ったらすること増えたよ。フィオの婚活だ。お見合いだね、私、仲人さんに立候補する。そいでもってフィオの良いところを山ほどアピールしよう。
いや、コンパもいいかもしれない。どこもかしこも男の子の竜やら女の子の竜やら、嗚呼、竜パラダイス。私、すんごく素晴らしい計画を今思いついちゃった。
横で聞いているフィオは恥ずかしいのか、私が照れたときの真似して両頬を押さえたまま左右に身体を揺すっている。かっ可愛い。鼻血出るっ。
≪フィオ、竜の大陸行ったら、戸籍探して、お母さんの知り合い探して、その次は婚活だ。大忙しだよ≫
フィオ、解る? 君の未来は無限大なの。だからね、もし万が一にも私が一緒に行けなくても、君は振り返らずに旅を続けるんだよ。
≪あ、その前に!≫
≪なになにぃ?≫
≪花の国にも行こう! 私、この服の国、見てみたい。美味しいお花が一杯だよ、フィオの好きな花、きっと沢山あるよ≫
お花が大好きで、果物が大好きで、涙が出そうなくらいに優しくて。私の自慢の親友。
≪アルフィオ、だもん。一番きれいだと思う白い花、一杯一杯探してみてね。竜の大陸も花の国もきっと行こうね≫
初めて会った夜の霊山で、私から最初の贈り物。お守り小石代わりの、幸せになる呪文。
意味は、略称の『フィオ』が花で、正式名の『アルフィオ』が白。本当の鱗の色だ。
――天から無限の祝福が、白い花びらのように、いつまでもいつまでもこの竜に降り注いでくれますように。
私はフィオの小指に自分の指を軽く絡めると、指切りげんまん、と上下に揺する。ステキな所へ沢山行こう。フィオが気に入る場所へ行くんだよ。
約束してね。私が幽霊だか風だか、君の見えない何かになっても、きっと傍にいるから連れて行って。
≪……何やってるのよ≫
いつの間にかカチューシャたちが帰ってきた。あ、お帰り。
≪そっちは? 話済んだ?≫
白い犬が無言で頷いて、前足を器用な角度で持ち上げた。ミーシュカの小鴨色ネックストラップを首元から外そうとしていたので、私も両手で覆っていたコップを横に置き、お手伝いする。
お、紫の小鳥も私のそろえた膝の上に、ぽてっと留まったぞ。
≪タウ、大丈夫だった?≫
カチューシャは、短気で凶暴だけど悪い犬じゃないんだよ。これでなかなか思いやりがあって、面倒見が良いのだ。
フォローしたら、姐さんは私のふくらはぎ付近にぺしっと尻尾を軽く打ちつけて、少し離れた場所で横になってしまう。あらら、照れちゃって。
≪大丈夫!≫
あれ? 話せるの?! 芯の通った男の子って感じの頼もしい声。
丸まったカチューシャを確かめると、得意げに犬鼻を高く上げてる。どうやら何かしてくれたみたい。
≪カチューシャってば最高! ありがとう~っ≫
向こうのお姐さんに念話しながら、手前の小鳥をエアーなでなでした。いやだって、この小ささだと人間の手は負担じゃないかと思うのだよ。なので頭の上1、2センチ離したところから、よしよしよし。
――はう。空気が動くからか、気持ち良さげに目を細めてくれる。
≪タウって可愛いねぇ、芽芽ちゃん。竜のボクでも逃げないでくれるの、うれしいねぇ≫
身近なところに同士がいた! わたしゃ人間だけど、野鳥どころか街の鳩にも逃げられてたのよ。万年ウェル亀で諸手を挙げて待っているのに!
フィオと共に新入りの愛くるしさにノックアウトされ、すっかり部外者がいるのを忘れてしまう。
そうだ、私、今日は宿屋の女将でした。ぬぉぉぉ、ヤバイ。客よりも遥かに遅く起きたしな。その後、くっちゃべってたしな。
タウはフィオに任せて、慌てて朝食を荷物から引っ張り出す。と言っても、昨日の夕食と同じ精霊四色ミックスサンド一択しかない。
本来、今日は『風の月が支配する日』。この国で、その日その日の料理の色は非常に重要だ。間違えると職場の食堂なら従業員から『士気が下がる』とクレームが入るし、『愛情がない証拠だ』と離婚理由にまでなるらしい。
じゃあ……紫ライ麦パンに、紫山羊の灰チーズクリームだけを塗るとか?
お、そういやこっちの巾着袋って。紫ルバーブとベリーの『春紫ジャム』を入れてなかったっけ。ミントと生姜で風味を利かせたやつ。昨日の街で売れ残っていたらしく、割引してもらえた。
その隣には、黄林檎と黄蜜柑を混ぜ込んだ黄金色の『秋黄栗ペースト』も入っていた。
パンの片方は全体に紫のジャムを広げ、もう一つのパンは半分だけ灰チーズ、もう半分は栗ペーストを塗る。春と秋のPB&J(ピーナッツバター・アンド・ジェリー・サンド)コラボ。『ニシンのお池』を渡った向こうのアメリカ国民食が完成でいっ。
どれも小瓶だから、薄くしか塗ってあげないけどね。紫一色尽くしじゃないけどね。いくら金を積まれようが、剣を向けてフィオを怖がらせた竜騎士にそこまでの情けは無用なのだ。
「コレ」
かなり遅くなった朝食を、竜騎士に持って行く。サンドイッチと柿の実を一つずつ渡すと、それぞれ目の前でむしゃって歯形をくっきり残してやった。前歯で、はむっとむいた柿の皮は、すぐ傍にぺぺぺのぺーっだ。
昨日回収し忘れたコップをつかみ、自分の陣地に戻ると水筒から水を注ぐ。
「コレ」
ふむ、水も一口飲んでから渡してやったぞ。朝食のご用意一丁終わり。私、働きました! かなりの暴利を貪りつつ。
「メメ、その鳥も友達なのかな」
さっきから「おはよう」と「ありがとう」しか発言してなかった男が、いきなり尋問モードに入りかけてる。マズイな。
しかも名前。昨日一度だけしか言ってないのに、がっつり覚えていやがった。嫌な職種だ。
「ソウソウ。トモダチ」
こくん、と素直に頷いて、早急に退散しよう。
「珍しい鳥だね」
ぎく。そういえば、この世界の常識はまったく考えてなかった。だって夢だもん。
と、とりあえず、首を傾げとこう。『えーそうですかぁ。あたしぃ、バカだからよくわかんなーい』で貫き通そう。
「――何より普通、鳥や犬は竜を怖がって近づこうとしないのだが」
かっちーん、『普通』って何よ。そんなの人間が勝手に思い込んでるだけでしょ。鳥や犬だって色々な子がいると思うよ。
「その竜は、鳥や犬を餌として食べないのかい」
むぅぅっ。肉食の生き物だからって、何でもかんでも喰い殺すわけないじゃない。
しかもフィオは、自分から積極的に言って回ってもいない年齢ですら、嘘になるんじゃないかって悩んで落ち込むような繊細な子なの!
「魔獣かとも思ったが、その鳥や犬が通常の魔獣であれば、ただの獣以上に竜を避けようとするだろうし」
ぎくぎく。でもカチューシャはフィオ避けたりしないよ。タウは夢と地球製小石の産物だから生き物なのかすら明確じゃないけど、平気でフィオの上に乗っかってる。
魔獣だって色んな子がいると思う。竜を嫌いな子がいるなら、好きな子がいてもおかしくないじゃないか。
うん、きっとそうだ。常に例外がいるのが、世の中だ。
「メメ、君は――」
あのね、お兄さん。私お腹が空いてるの。
腹部を押さえて、その次に、むしゃむしゃ食べるジェスチャーをする。意味は通じたようで、どうぞ、とフィオたちの所へ戻ることを許可してもらった。
――て、許可いらないんだけど、本当は!
いまいち納得しかねるが、さっさと食べて出発するか。
の前に、水が足らない。フィオたちの陰で、こっそり水筒の水を補給する。もちろん、この地層の奥深くから魔法で汲み上げて。
他人がいると、わずらわしいことこの上ない。……爺様みたいな変人奇人幽霊が、私の人間限界値なのかも。
へむっとアヒル口で思索にふけって、気がついた。……あれ、竜騎士と出会った辺りから指輪を使ってないわ私。体内の魔素とやらの動かし方に、慣れてきたってことかな。
小石に限らず、あらゆる物質は四大元素で構成されているって説が西洋にも東洋にも昔からある。私の中にも四つ全部そろっているのかな、そうだといいな。
フィオを守る手段は多いに越したことはないもの。
※『お池』云々というのは“across the pond”とか "on the other side of the pond"という言い回しの直訳です。イギリスにとって、アメリカは大きな大きなお池(=大西洋)の向こう側なのです。逆にアメリカ人がこう言ったら、イギリスのことです。
トーストすらしていない食パンの片面にこってりしたピーナッツバターをたっぷり塗りつけ、もう一枚の食パンにブルーベリーとかストロベリーのジャムをたっぷり塗り、ドッキングさせたらPB&Jサンドイッチの完成です。