◆ 風の竜騎士:旧野営地と星の歌
※引きつづき、風(紫)の竜騎士ディルムッド視点です。
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『友だちの竜と犬をイジメる悪い人』
どうやら俺はそう認定されてしまったらしい。
なんとか取り繕うが、荷物の中から見せてもらえたのは本一冊だけ。
魔紙の一枚一枚に防水加工の付与された高価なものだ。
転写された内容は『リュウキシヒメ』、つまり初代女王陛下の建国神話。
そういえば姪のエルリースも好きだったな。
「では……君の名前は?」
「メメ。イコク・ノ・タビゲイニン」
メメか、変わった名前だ。赤子の名づけ表にはない。
しかも本を持ち歩く『旅芸人』。
どんな芸で最果ての北国まで辿り着き、この贅沢品を入手したのだろう。
「異国ねぇ……じゃあ、どういう芸をするのかな」
少女は、途端に困った顔をする。
周囲と相談するかのように忙しなく目線を動かした。
首に掛けた人形や、足元で少女を守るように佇む犬。
こちらを怖がりながらも少女の傍らにやって来た子竜。
そして壁から垂れ下がる『森の女王』に、動きのおかしな『森の使い』。
…………動物を使った芸、だろうか。
どうやらタダでは披露したくないらしい。
「イリ」と華奢な手を突きつけてくる。
あんなに警戒していたくせに、すぐ目の前まで来た。
穴銅貨一枚を渡してみると、憤慨して押し戻す。
触れた手の平が柔らかい。労働者階級ではなさそうだ。
「セイレ!」
深窓の令嬢のような手をひょこひょこと振っている。
やはり肉刺一つない。ますます興味をそそられる。
今後のことも考えると、魔道具を使ったほうがいいだろう。
「金竜一枚だ。これなら文句はあるまい?」
グウェンフォール様の発明のおかげで捜査の幅も広がった。
貨幣と見せかけた魔道具もその一つ。
対の地図で持ち主の居場所を特定できるようになっている。
少女が悔しそうにこちらを見た。
上目遣いになって逆効果だが、本人は睨んでいるつもりなのだろう。
ラリア・ルァ・ガルーフェから壁を越えられたとして。
このヴァーレッフェまで、一等馬車を乗り継いでも数か月を要する。
南から船で大回りをしても、この時期の海流は特に厄介なのだ。
奇妙なお供を引き連れたこの緑頭巾ちゃんは、一体どう旅したのやら。
観念したのか、緊張した様子で唄いだす。
やはり声の質がいいのだろう。
リースや舞踏会の少女たちより遥かに上手い。
歌詞が全く理解できないのが残念だ。
北方の国々であれば、それなりに共通した単語がある。
壁の向こうから来たというのは間違いなさそうだ。
ふと。円らな瞳を不思議と懐かしく感じた理由に合点がいく。
王都美術館の中で昔から一番好きな絵のせいだ。
題名は『雪に潜む春の妖精』。
氷緑鼠が大きな黒い瞳をこちらに向けた後期自然派の傑作だ。
極寒の雪山で、氷緑果の花の陰からひょっこり覗いている。
仕草も可愛かったのに。
犬が前方に回り込むと急に唄うのを止めてしまう。
どうしたのだろう、若干落ち込んでいるようだ。
背筋を伸ばし、深呼吸してみせる。
大人びた表情になると、また別の歌を唄いはじめた。
どこまでも優しくまろみのある歌声が、辺りを満たしていく。
古代詩では何と表現したか……。
洞窟の中の水晶のように透き通り、
若葉に降り注ぐ霧雨のように慈愛に満ち、
夏の日のそよ風のように爽やかで、
雪の日の暖炉のように心を照らす。
『危険すぎます。行ってはいけません』
クウィーヴィンの声が脳裏にこだました。
あの日、そんな台詞は聴こえなかったはず。
たしか言われたのは『魔猪の巣窟だぞ、正気の沙汰か』だ。
『ディード! このままでは身体を壊してしまいます』
これも違う。
『師団に迷惑を掛ける前に目を覚ましなさい』と命じてきたはず。
いや、人に命令するような奴じゃない。
リースのことも自分の姪のように親身になってくれた。
仕事明けに、無理を押して王都中を探し回ってくれていた。
それなのになぜ。
『部外者のお前に何が解る』などと返してしまったのだろう。
一緒にいる時間は身内よりも多かったではないか。
騎士学校に入学して、二年目から話す機会が増えた。
卒業して従騎士となった頃には、ほぼ毎日顔を合わせた。
別々の師団に配属されても、頻繁に連絡を取り合っていたではないか。
気になっていた令嬢がアイツに惚れようが、疎んじたことはない。
商家の出身だろうと、貴族よりも誇り高かった。
面倒見がよく、何事もそつなくこなす自慢の親友。
去り際、青い瞳が悲しげに揺れていたのをやっと思い出す。
今、脳裏にこだました声こそ、クウィンが言わんとしたことなのだろう。
なのに言葉尻だけを捕らえて、心にもないことを言ってしまった。
そして傷つけたことすら、ロクに自覚していなかったという。
少女の奏でる天上の音楽に、禍々しかった森の空気が浄化されていく。
何かが頬を伝う。
俺はかつてないほど感情を揺さぶられていた。
歌が終わっても、しばらくその場を動けないほどに。
やがて日が落ちたが、魔獣は一匹たりとて近づかない。
歌姫のせいか、それとも風変わりなお供のせいか。
ご丁寧に食事を運んできた。
会ったばかりで流石に信用するわけにはいかないのだが……。
少女はムッと顔をしかめ、小さな口を懸命に開けてパンにかじりつく。
毒見のつもりだろうか。あまりにあどけなくて、つい受け取ってしまう。
驚いたのは希少な果実、『夕焼けの欠片』まで寄越してきたことだ。
価値を解っていないのだろうか、子竜にも好きに食べさせていたな。
その後は、騎竜はいないのかとワクワクした表情で訊いてくる。
先ほどから緑の竜とも身体を寄せ合っては、しきりに楽しそうにしていた。
竜といえば、肉食獣の尖った歯並び。
成人を丸ごと喰らうことも可能な大きな口。
爬虫類のギラついた目と金属質の鱗。
どこのご令嬢も決まって悲鳴を上げるというのに、相当変わっている。
適当に話を躱していると、地図を広げだした。
こちらも本同様、防水加工済みの貴重品だ。
強盗には見えないが、持ち物がちぐはぐ極まりない。
おまけに雑然と不可思議な記号を書き加えてある。
指さす先は、北のミズハメ地方と王都を繋ぐ第二国道。
どうやら他の竜騎士と出会ったようだ。
人形にぶら下げた精霊飾りから、赤い糸を引っ張っている。
火の第三師団の色だ。
グウェンフォール様の捜索隊が早速組まれたのだろう。
ことさらに騒ぎを大きくして、検問所まで設けるとは。
出自不明の魔導士様への不信感でも煽ろうといったところか。
ここぞとばかりに揚げ足を取ろうとする神殿の体制に嫌気が差す。
こてんと首を傾げた少女の頭を思わずなでてしまった。
本人は男装して、安心しきっているようだ。
可憐な顔立ち、華奢な身体つき、上品な身のこなし。
これは何とも心許ない。
後ろで白い獣が、まるで母親のように見張るのも解る気がする。
「君は、すごくお年を召した、白髪で背の高い上級魔導士様をどこかで見かけなかったかな。銀色――灰色ともいうが――の猫を連れて歩いているはずなんだ。
比類なき大賢人だから、きっとすぐに判る」
なぜだか少女は、咄嗟に胸元の人形へ視線を落とした。
創作の題材元は『南の太った魔獣』でいいのかな。
そして白い犬にも目線をやった。
こちらは南独特の魔家畜なのだろうか。
「もし見たら、竜騎士たちに知らせてくれ。あと、その竜はその方には近づけないほうがいい。まだ幼い子竜だろ? 訓練された大人の騎竜ならともかく、魔導士への対応は解らないだろうから」
大きな目を、さらに見開いて瞬いている。
やがて考え込みながらも首肯すると、子竜の待つ壁側へと戻ってしまった。
少女は焚き火の傍にしゃがみこみ、人形を両膝の上に乗せた。
両隣の犬もどきや竜とまるで話でもしているかのように見つめ合う。
そしてコートの右ポケットから何かをつかみ、火の中にくべた。
――あり得ない!
小さな花火のような光が弾け、辺りには優しい花の香りが漂う。
本物は嗅いだことはないが、これを真似た香水なら母も愛用していた。
『道惑わしの樹』の生花だ。
おまけに左のポケットからは、『騎士殺しの樹』の枝が何本か出ている。
先ほど、火を熾すとすぐさま無造作に放り込んでいた。
特徴のある清涼香がして、ぎょっとした。
五代前の聖女ティーギン様のお話し相手として神殿に上がった曾祖母。
結婚祝いに下賜された大枝が、選帝公家本館の居間に飾ってある。
『道惑わしの樹』の花は乾燥させると軍事魔道具の発火材となる。
『騎士殺しの樹』の枝は魔獣除け煙香の主原料となる。
そしてどちらも出会えば容赦なく攻撃してくる魔樹だ。
人の悪夢を投影する『万幽霧の樹』以上に性質が悪い。
傷一つ負っていない少女は、竜と共にうっとりと焚き火を楽しんでいた。
自分の食事を済ませると、竜と人形を荷物番に任命したようだ。
両者に手を振ってから、犬とどこかに消えていく。
足音がかなり遠ざかった。
男同士なら気にせずに壁の傍で済ませると思うのだが。
戻ると、緑竜と白犬の間に横たわってしまう。
すぐ後ろに凶暴な『森の女王』がぶら下がっているのに気にもかけない。
手の中に握りしめた儚い『森の使い』が消えてなくならない。
一体どういう魔術なのだ。
枕の隣に立てかけた薄茶色の人形が見張り役らしい。
一応、こちらへ丸々と太った顔を向けて牽制(?)させている。
規則正しい小さな寝息が聴こえてきた。子竜もやがて眠りにつく。
白い犬だけは、時折こちらの様子を窺っている。
壮絶な覇気を発していたのは、最初に向かい合ったときだけ。
その後は微塵も感じさせない。
すべては魔樹の見せる幻なのだろうか。
試しにパンを口に含んでみるが、普通に旨かった。
木の器に並々と注がれた水は、王都のものよりクセがない。
『メメ』は、こちらが話すヴァーレッフェの言葉をどれも理解している。
南の人間ならば混同しそうな言い回しをしてみたのだが、通じていた。
それでも片言しか話せないのはなぜだろう。
最初は何らかの発音障害を疑ったが、歌は流暢だった。
聞くときは、単純な話でさえ反応に妙な時間差がある。
南では何らかの魔道具を使って複雑な念話をすることがあるとか……。
しかし上級魔導士でもない限り、わずかの念話ですら無理だ。
野営地の中央の焚き火は、ずっと同じ勢いを保っている。
流石におかしくはないかと腰を上げた。
すると犬の『カチューシャ』が、器用に枯れ枝を口に咥える。
取ってつけたように火の中にくべるのが、余計に不信感を煽った。
最初に火を熾した日暮れ時。
少女は竜の『フィオ』を呼び寄せ、こちらへ急に背を向けたのだ。
手元を隠したのは、詠唱なしで魔術を使ったからだろう。
稀な『夕焼けの欠片』ですら見つけられる魔術。
高額で取引される魔木や花を惜しげもなく火に投じた。
上級魔術でいくらでも採取できるからだ。
唯一警戒を解かない白い獣は、主人を守る忠犬。
……というよりも、魔術で囚われた獰猛な契約獣か。
そう考えると、すべての辻褄が合う。
幼い見た目も魔術で作り上げた幻影だろうか。
グウェンフォール様のことを示唆したとき、ひどく考え込んでいた。
もしかして失踪と関係しているのかもしれない。
――まさか同じ国から派遣された?
グウェンフォール様の出身地は不明だ。
それでもアヴィガーフェとの九年大戦を勝利に導いてくださった。
前国王陛下が全てを不問に処して、わが国の戸籍を新しく用意させたのだ。
これだけの年月が経過し、今更なんのために追う?
白い魔獣がふと鼻先を上げた。
つられて空を見ると、次々に星が天を駆けていく。
秋の土の月、最後の聖女の日に毎年訪れる流星群だ。
離れ離れになった恋人が募る想いを伝え合うという古の伝説。
これを『星祭り』と呼んで、この国では観賞するのが習わしだ。
王都では今頃、『星の灯』と呼ぶ提燈で飾った屋台が出ているだろう。
最後には花火まで打ち上げて派手に祝う。
そのせいで、ここ数年は流星群自体をまともに見れていなかった。
気持ち良い微風が辺りを通り抜ける。
流星群に載せた思慕の念を運ぶ『星の歌』だ。
恋人同士でこの風に包まれると、来世まで結ばれるという。
だから外に出て精霊の祝福を待つのだ。
異国の旅芸人、いや幼い魔導士と風に吹かれるとは。
苦笑しながら、マントを引き寄せる。
魔獣や魔樹が襲ってくる気配も一切ない。
仮眠を取っても、問題はなさそうだった。
◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇
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