◆ 風の竜騎士:香妖の森と緑頭巾の少女
※風(紫)の竜騎士ディルムッド視点です。
同じ日の同じ森で、芽芽と出会う少し前まで遡ります。
◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇
「なんで……こんなことに」
格好悪すぎて部下には見せられない状況だ。溜め息が零れる。
俺が香妖の森に足を踏み入れてから、まだ一刻も経過していない。
ボゥモサーレの街の近辺だけを軽く捜査するつもりだったのに。
背の高い木立に囲まれ、農家の作業小屋すら見えない。
獰猛な魔猪に囲まれ、自分の居場所が把握できない。
「~~~~煩いっ」
覇気をのせた剣を大きく一振りすると、先陣の数匹が吹っ飛んだ。
盛んに警告音を鳴らす腕の魔道具を外す。
本来なら魔獣を察知して震動する仕組みだ。
だが今では、逆に相手へ位置を申告しているようなものだ。
なにせ次々湧いてくる。
やはり、ガセネタだったか。
姉弟子のヘスティア様には行くなと止められた。
『ディルムッド、お前さんが聖女に粉かけられた時になびいときゃ、神殿長としても使い道はあったんだよ。我が儘な孫娘のお守り役として。
だが姪っ子の捜査で勝手に嗅ぎまわって、ついでに見つけた魔導士の悪行をまたもや摘発した。今や霊山裏手の悪徳領主にまで捜査が飛び火して、神殿長派が憤慨している。短期間で連中の資金源を複数潰せば狙われるのは必至。
危険な森の名前を出して誘き出し、職務怠慢だの倫理規定違反だので追い詰めるのが得策だと判断されたのさ』
たしかに森の入り口で、魔獣除け結界が壊されていた。
森側に転がっていた結界石は幸い無傷。
放置できず、一歩足を踏み入れたらこのザマだ。
戦闘の最中にも関わらず、やるせなさに心が浸食されていく。
訓練を積んだ竜騎士の自分ですら命が危うい。
誘拐犯が一時でもこの近辺に身を隠すのは不可能だ。
「くそ! 切りがない」
反対側から飛びかかって来た猪を斬り倒す。
あともう三頭。
牙を剝いた魔獣を、全身に巡らせた覇気で牽制する。
『ディルムッド! こういうのはな、殺せるだけ殺しておくんだよ』
新米の頃、同じく竜騎士になりたてのユルヴァンがそう宣言した。
躊躇う自分に対し、口元を楽しげに歪ませながら。
剣を血で濡らし、惨状に目を輝かせる姿こそ、まさしく『魔獣』だった。
街の殺人犯とお前は何が違うんだ? 頭の中に疑問が湧く。
竜騎士になってどれだけの命を奪っただろう。
戦争が多かった前の世代ほど、人間は斬っていない。
それでも冬になると増加する魔獣は、数え切れないほど殺している。
だが、目の前の獣は別に街を襲ってはない。
ここは彼らの縄張りだ。
不審者が来れば警戒する。立ち去らなければ敵認定して攻撃する。
彼らの怒りは正当なものじゃないか、と頭の中で誰かが囁く。
瞳の奥の迷いを察知したのか、残りの魔獣が総力挙げて走ってくる。
剣を握りなおして、全て無慈悲に斬り裂いた。
業の深い職業だと思う。
魔獣はそれぞれ身体のどこかに魔核を秘めている。
売れば大金を得られる個体もあるが……。
猟師のようにわざわざ探す気にはなれなかった。
周囲に魔猪の死骸が散乱する中、首元のマントの留め飾りを捻る。
グウェンフォール様の開発した魔道具の一つだ。
すぐさま身体中に浴びた血が地面に落ちる。
軍服や皮膚に付いた血は簡単に拭えるようになった。
だがそれで、命を奪うことへ余計に抵抗がなくなった気もする。
霧がどんどん濃くなる。
魔樹が近くで蠢いているせいだろう。
剣で瘴気を薙ぎ払いながら、なんとか道らしき場所へ戻った。
と思ったが、先ほど通った砂利道とは足裏の感触が異なる。
左に行くべきか、右に行くべきか。
ダールを宿に預けたりせず、連れてくるべきだった。
神殿長の命令には背くことになるが、騎竜がいればマシだったろうに。
道から外れることだけは無いよう、足元を確かめながら歩を進める。
辺りを漂う霧が、不気味な赤黒い幻影を生み出す。
火の聖女の部屋で固まっていた栗鼠の巨大版だ。
一度生じた迷いは心を容赦なく蝕んでいく。
頭を振り、歯をかみしめる。
俺がここで野たれ死んでも誰が気づく?
これまでなら、クウィン辺りが真っ先に駆けつけてくれたろうに。
あの厄日の口論でそれすら怪しい。
『――部外者のお前に何が解る!』
学生時代からの親友に、言ってはならない一言を発してしまった。
『寝不足の頭でいくら考えても妙案は出ません。そのくらいは解るつもりです、ディード!』
人当たりの良さで知られる男が、振り返りもせずに立ち去った。
追い掛けて謝罪しなかったのは、認めたくなかったからだ。
二か月近く探し回って、やっと手にした唯一の糸口。
これすらどこにも繋がらなければ、リースを探す術が最早思いつかない。
何か……耳飾りのもう一方でもいい。
誘拐犯と結びつける何かがあれば。
いや、怪しげな魔導士との接点でもいい。
◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇.。.:*・°◇
黙々と歩いていくと、霧の合間に野営地趾が浮かび上がった。
どうやら森の出口とは反対方向に来てしまったらしい。
しかもこの甘い香り。どこか近くで『森の女王』が咲いている。
人の顔ほどもある固い葉と鋭いトゲで攻撃する上位魔草だ。
つくづく運に見放されている。
二週間前に現れた革命彗星と王都地震。
あれがこの国の傾いた証でないことを祈るばかりだ。
「――――それは、どこから?!」
中の様子を窺うと、小さい竜が人間の荷物を抱えていた。
何やら気落ちしていたのか、こちらの気配に気づいていなかったらしい。
慌てて立ち上がった拍子に、林檎大の四角い果実がいくつも転がり落ちた。
艶やかな橙色。馥郁とした香りが辺りに広がる。
幻の魔樹『鬼火の樹』が落とすと噂の『夕焼けの欠片』だ。
毎年秋になると王宮に献上されるが、年々減って、今では数えるほど。
もちろん市場では超高級品となる。
もしや誘拐犯の所持品か。
特殊な魔道具を用いれば森での一攫千金も不可能ではない。
やはり魔導士くずれが手を貸しているのか。
それにしても奇妙な竜だ。こんな色は見たことがない。
子竜の鱗には様々な模様があると学生時代に習ったことはある。
この国に来るのは成竜のみだから、初めて目撃した。
騎竜は、黄・青・赤・紫の四色のいずれか単色しかいない。
それが緑の鱗に水色の水玉模様、尻尾には黒い筋ときた。
もしかして、これから全体が青みを増していくのか。
「その荷物、こちらに寄越してもらおう」
どれほど人間の言葉を理解できるかは未知数だが、竜は案外と頭がいい。
可能であれば傷つけたくなかった。
しかし子竜は怯えたまま、ぎゅっと荷物を抱き締める。
まるで人間のように首を横に振って嫌だと主張してみせた。
「その荷を置いて、ここから出て行けば追う気はない」
子竜は荷物を庇うように壁際まで後ずさっていく。
威嚇体勢に入る気配がない。やはり、人慣れしている。
当て身でなんとか奪えるだろうか。
「――――!!」
なんの前触れもなく、小さな物体が四つ上から落ちてきた。
そのまま竜の周りを飛び跳ねている。
『森の使い』は同種で群れて、風や霧のように移動するはず。
なんだこの支離滅裂な激しい動きは。
その背後で『森の女王』まで怪しく蠢いている。
まさか連携して攻撃することはあるまいが……。
間合いを詰め、この竜を盾に撤退すべきか。
白いものがざっと駆け入ったせいで、後ろへ大きく退いた。
竜と自分のど真ん中を陣取った美しい魔狼。
覇気で波立たせた毛並みが、ただひたすらに神々しい。
もしやここに辿り着くまで倒してきた、魔獣の最上位ではあるまいな。
「仲間の……仇討ちか?」
深い海の底を思わせる双眸が、じっと俺を見据えている。
尋常でない魔力が辺りの万幽霧を消し去った。
これは――マズい。
対峙しただけで即座に判る。一人で勝てる相手ではなかった。
周りにクウィンたちが居たとしても、追ってくるのを蹴散らすのが関の山。
だが首には不釣り合いな緑色の布を巻いている。
誘拐犯の中にこれを手懐けるほどの猛者がいるということか。
老練の魔導士でも味方に引き入れたのか。
とはいえ、荒れ狂う魔獣にこんな飾りを施すとは……。
随分と変わった人間もいたものだ。
極限の緊張の中、遠くからパタパタと可愛らしい足音がする。
魔狼と睨み合っていては、正体を確かめられないが……エラく場違いだ。
一向に野営地阯に入ってこない。
「わっ」だの「きゃっ」だの小さな声がした。
入り口にようやく到達し、そこで力尽きたのか、よろけている。
恐ろしげな白い魔狼が、呆れたように溜め息をついた。
「ダメーッ」
高音域の叫び声なのに、不快感をまるで感じさせない。
魂にすっと溶け込んでくる不思議な声音。
目の前に割って入った緑頭巾の子どもが絞り出したのだろう。
細い両腕を広げ、まるで魔獣と竜を守るように立ちはだかってみせる。
子竜よりも少し低い背丈で、透けるような白肌と零れそうに大きな黒い瞳。
耳元に黒髪がはらりと揺れ、頬は上気して赤かった。
「フィオ、ダメ……カチューシャ、ダメ!」
ぷっくりとした小さな唇が動く様はなんとも愛らしい。
威圧感はないが、あまりに一生懸命なので剣を構えて付き合っておこう。
「フィオ、リュウ……ワタシ・ノ・トモダチ……カチューシャ、イヌ……ワタシ・ノ・トモダチ」
発音がたどたどしい。
服装は南国ラリア・ルァ・ガルーフェのものだ。
特徴のある花の刺繍ですぐに判った。
大陸中央を分断する山岳地帯、通称『壁』。
その高地に隠れ住むという少数民族。
こんな遠くを子どもが旅するなぞ、魔樹の見せる幻影だろうか。
「犬、とは、君の足元の生き物かな」
必死に首をこくこくと振るのが可愛らしい。
思わず笑いそうになってしまった。
首元の人形までが一緒に揺れてしまっている。
これは太った……なんだ?
「あの竜は、君の騎竜、なのかな」
子どもが聞き取れるよう、ゆっくりと訊ねてみる。
何を憤慨したのか、友だちだと言い募る。大事な点らしい。
「つまり……人は、襲わないのだね?」
「イイヒト、ソウソウ。ワルイヒト、ダメ」
走ろうと試みたせいか、子どもはまだ息を切らしていた。
上下する胸元へと目を遣り、首回りが妙に細いことに違和感を感じる。
広げられた手の平も小さい。先ほどの脚の運びといい――まさか、少女?
火の第三師団に所属する後輩の女竜騎士を思い出す。
本性は拷問好きの戦闘狂なのだが、若い娘がこぞって憧れるスレイン。
理想の王子様を演じて、厄介な女にもそつなく対応する。
クウィンと共に『舞踏会の双璧』として名を馳せていた。
『ディード、君も羞恥心は捨てなさい。アレを見習って、二枚目を徹底すれば躱せます』
聖女に言い寄られることを相談したら、逆にクウィンに説教された。
思い出し笑いをしつつ、剣を鞘に納める。
「たしかに。悪い人は駄目だね。うん、いい人でなければ襲われても自業自得だ」
こちらとしては荷物さえ確認できればそれでいい。
睨もうとして細い眉を寄せている少女の瞳には一片の曇りもない。
幼児を誘拐するような人間と関わり合いがあるとは思えなかった。
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