◆ 風の竜騎士:上司と隠蔽
※芽芽がヴァーレッフェ王国に召喚されたのが、初秋の深夜。
その前日の同じく深夜、王都にて。
風(紫)の竜騎士ディアムッド視点です。
大中小のお色気トリオにご注意。
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深夜であろうと、貴族街を囲んだ内壁は明るく照らされる。
煉瓦の色は赤、すなわち王都の東側だと一目で判る。
だが、等間隔に建ち並ぶ塔の地下に光は届かない。
所狭しと本が積み上がる書庫の中。
突きとばされた男が棚の一つにぶつかると、塵埃が舞った。
途端に辺りが黴臭くなる。
「これを、どこで、見つけた!!」
怒りと不安と恐怖と。
感情の渦に呑み込まれそうになるのを堪えて、俺は言葉を絞り出した。
白外套の襟を握りしめた自分の手に力をこめる。
このまま吊るし上げた魔道士を絞殺すれば、査問委員会行きだ。
竜騎士の誇りを忘れるな。
「知らぬ! そんなものっ」
――前言撤回。よし、斬るか。
「ディアムッド、離しておやり」
腰元の剣に手を伸ばしたところで、後方から声が掛かる。
相手を闇糸でねっとりと絡みとる妃蜘蛛のような、
蜜の玉座に君臨する女王艶蜂のような、
思わず服従してしまいたくなる甘ったるい声音だった。
「エイヴィーン卿閣下、なぜこちらに」
ガサ入れの現場は、王都壁の増設時に見捨てられた貧相な塔だ。
拘束対象は上級魔道士と中級魔道士が数名。
神殿長の取り巻きと言っても、下位貴族や平民出身ばかり。
風烈騎士団の団長クラスが出張ってくるような大物はいない。
「さぁ、何故かしら……上に頼まれたのよ。お肌によくないわ、こんな夜中に捕り物なんて……無粋ね」
俺の新人の頃と見た目が寸分も違わぬ年齢不詳の上司は、
豊満な胸を強調するように両腕を組み、
深窓の姫君のように儚い溜め息をこぼしてみせた。
さらに横からは、吊り目の小柄な事務官がひょいと顔を覗かせる。
俺が尋問していた魔道士が、あっという間に床に転がされた。
家猫のような女性のどこにそんな力が、と毎回不思議に思う。
そして謎の荒縄が今回も登場する。
歓楽街の最奥でしか解禁されない特殊な縛り方が、
高速で披露されていくのだ。
背後では、派手な化粧をした筋骨隆々の副官が扉をそっと閉める。
赤紫色に塗られた爪先がキラリと光った。
他の竜騎士がここへ入室できないように外で見張る気なんだろう。
自分よりガタイの良い大男に片目をつむられて、どう反応しろと。
この三人が出てきたら、俺のような中間管理職では抗議をしても無駄だ。
竜騎士のトップは、地水火風の四つの騎士団の各団長。
本来であれば、その『上』には国王陛下しかいない。
だが神殿所属の魔道士らが南の大国シャスドゥーゼンフェと手を組んだ。
今や王家はシャスドゥーゼンフェ帝国の傀儡と化し、
聖女の祖父である神殿長がこの国の実権を握っている。
この夜中に三人組を動かしたのも、あの老害だろう。
「先ほど発見した、この耳飾りの出処だけ確認させてください」
お願いします、と胸元に仕舞いかけた装飾具を見せる。
薄暗い書庫でも、紫水晶の内包鉱物が星のように煌く。
「この男が所持していました。エルリースの――我が家で姪のために誂えた特注品です」
姑息かもしれないが、自分の家門を持ち出す。
王を選出する四大公家の一つ、風の選定公は俺の伯父だ。
次期当主は俺のたった一人の兄。
この夏、行方不明となった姪の父親でもある。
王都中を必死になって探したが手掛かりは皆無。
今月に入り、『片耳が垂れた灰色の猫を追いかけて雑踏に消えた』、
なぞと虚偽の証言を新聞に漏らしたのがこの塔に集う魔道士らだった。
逃げ出した上級魔道士をこの書斎まで追い詰めると、
白外套の袂から魔杖を取り出し反撃しようとした。
その際に落ちたのが、エルリースの耳飾りの片割れだ。
「幼い子には不釣り合いな贅沢品だこと。四大選定公の中では一番の常識人だと聞いていたのに、ガッカリだわ……でも、それが摘発の理由ではないのね?」
「違います、全方位の精霊に誓って」
俺は上司と真っ直ぐ対峙する。
姪を含めた児童連続失踪事件。
その手掛かりになれば、と別件で踏み込んだ点は否めない。
しかし、耳飾りの存在は先ほどまで知らなかった。
「は! 神殿長様が介入したんだ。お前ら魔犬くずれがどう吠えようと、明日には無罪放免! 今からでも改心して、私を丁寧に扱――ぐぎゃうぉ」
黒い強化手袋を着用した事務官が縄を引っ張り、全身の体重を傾けた。
魔道士の縛られた胸が膨らんだように見える。
……男の胸を寄せて上げられても。
「あら、勘違いしてないかしら。わたくしが依頼されたのは、神殿長曰く『性犯罪ごとき』を隠蔽することもできなかった、猿くずれの口封じよ。おバカね」
尖った革靴の先で、エイヴィーン卿が魔道士の股間を踏みつける。
コイツは過去にも、うちの上司のおもちゃとして躾られていたようだ。
死刑宣告をされているのに、期待に充ちた目で陶酔している。
これがこの国の知の精鋭、魔道士。
奴らは、竜騎士を魔狼のなりそこないと蔑む。
森の中で獲物を昼夜つけ狙う魔狼の群れのごとく、
自分たちを常に監視し、逮捕権限まで持たされているからだ。
対してこの国の武の精鋭、竜騎士。
我々は、魔道士を大魔猿になぞらえる。
配下の魔獣を獲物にけしかけ、ふんぞりかえる魔猿の親玉のごとく、
こちらを実働部隊としてこき使い、高みの見物を決めこむからだ。
「それで? この宝石はどこで手に入れたのかしら、お猿さん?」
「聖女様のお部屋に行くっ、あっ、手前の廊下でっ、あひぃっ」
いつも通り、取り調べで男の喘ぎ声が響く。
そして事務官が、自白薬ではなく違法すれすれの媚薬を飲ませる。
……この光景に慣れてきた自分の感性が心配だ。
とりあえず、証言内容にだけ集中しよう。
魔道士は今朝、耳飾りが神殿奥に落ちているのを発見したらしい。
もう片方あれば更に金になると、しばらく探しもした。
結局は片方だけ、小遣いの足しにするべく持ち帰った、と。
宝物庫へ繋がる特別区域だ。
廊下ですら、うろつける人間なぞ限られている。
点数稼ぎで神殿長に渡さなかったのは、この男が平民出身だからか。
魔道士の幹部職は上位貴族が占めており、
体力勝負の竜騎士よりも遥かに選民意識が強かった。
「ディアムッド、ここまでで退いてもらうわ。魔道士の皆さんの面目を潰すような事件は表に出せないの」
「流石に麗しのエイヴィーン様は、はぁ、話がお解りになられる! 神殿長様が特別に目を掛けているだけはあって、はぁはぁ……ぶぎゃっ!?」
その後の絶叫には耳を塞ぎ、天井を仰ぐ。
同じ男として、急所を潰される様を観察したいとは思わない。
うちの団長閣下は常日頃、神殿長派に媚びを売っている。
だが夏の初めに、神殿長派が借金漬けにして殺害した水の竜騎士。
その遺体を神殿長の依頼に従い、霊山での自殺として処理工作しつつ、
極秘裏に他殺の証拠を水烈騎士団へ渡したのはこの方だ。
一番上の御子息と同い年の青年だったとか……女性の年齢は気にしてはいけない。
叫び声の合間に、素早く廊下へ出る。
俺よりも頭一つは大きな副官が、大袈裟に身体をくねらせてみせた。
「あらぁ、真面目ちゃんったら前みたいに抗議しないのぉ?」
「……大局を見据えることにしましたので」
十年以上先輩の竜騎士(男)から、
「きゃん、素敵!」というドスの効いた声援を受けつつ、
階上の同僚たちへ撤収を指示しに行った。
下位貴族や平民の魔道士を公けに裁いたところで、この国は変わらない。
とはいえ、あいつは違法な未成年奴隷を檻に入れ、性的に虐待した。
この表向きの捜査理由だけで重罪に該当するのだ。
今回、事件の揉み消しにやって来た三人組。
彼女たちは皆、養子を含めた子沢山で知られている。
(副官に子宮はないが、子連れの男やもめと結婚した。)
神殿長の意向に沿ったと見せかけて、何らかの制裁を下してくれるだろう。
……そう信じないことには、やってられない。
新米竜騎士の頃に描いた理想は、早々に打ち砕かれた。
竜騎士は幹部に昇進すると、神殿長の顔色を窺わねばならない。
魔道士は神殿長派でも有力貴族と縁戚でないと、幹部にすらなれない。
南の帝国に経済征服されるのが早いか。
この国が度重なる天災人災で勝手に滅びさらすのが先か。
大局を見渡しても、解決策どころか突破口さえ落ちていない。
やけに暗い階段を、やっと上りきったその先。
薄汚れた窓の向こうで、雲間の青い月が冷えた光を僅かに落とす。
まるで地上の人間の無力さを嘲笑うかのように。
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