54.芸を披露する
「金竜一枚だ。これなら文句はあるまい?」
うわぉぉう。お客さんてば、見た目に反して太っ腹。
こちらは12進法だから『苺』の1穴銅貨が1イリ、苺12枚分の1大銀貨『馬助』が12イリ、馬助12枚分の1金貨『金竜』が144イリ。
庶民の宿なら軽く三、四泊できそうな値段だよっ。
≪芽芽、こいつ貴族よ。右の中指に嵌めた指輪は――風の選定公家の紋章だわ。お金請求するとか、激しく意味なさすぎ≫
カチューシャ、それ先に言って。
やばい、どうしよう。こうなったら、芸を披露するしかないのか。いやでもな。私の歌だよ、素人のど自慢大会さえ怪しいよ。コンカーンッの鐘で即退場だよ。
あー、考えろ。うん。歌……歌詞……ことば……ことだま。
私は首にぶら下げていたミーシュカと、前面にかけていた爺様の斜め掛け袋をフィオの横に置く。
まだ不安なのか、私と同じ背丈の竜体が震えている。そのぷるぷる肩からよく落っこちないな、精霊よん豆。バランスボールの上のミニミニスライム積み木タワーみたい。
≪荷物、フィオに任せるね。しっかり見張っててね≫
目線を合わせ、グリーンバジリスク色の腕を優しくさすっておいた。必死な形相で何度も頷いてくれる。
私も落ち着かなきゃ。まずはこちらの世界の水筒を取り出し、喉を潤すのだ。ついでに小さな飴も一つ。カシス味の赤いのにしよう。
首を前後左右にこきこきこき。さらにぐるりと一周。両腕を後ろにぐっと引っ張って、肩甲骨を寄せる。肘を大きく回して両肩回し。
おっしゃー! 一番、杜めぐみ、行っきまーす。
「(パット姫様、
木の中にお暮らし。
七つの海を航海し、
海峡を……)」
……あれ? 皆の目が細まっていく。森の中でキャンプと言えばこの曲だろう。パトリシア姫がキャプテン・ジャックとその乗組員を、謎の物体『リカバンブー』で救出するという大々々活躍を唄ったアメリカの名曲だ。
おまけに一フレーズごとに、ほらこんなにキュートな振付つき。何が不満なんだ、君たちよ。
≪芽芽、そういうのじゃなくてね≫
≪一体何がしたいんじゃ、お前は≫
≪芽芽ちゃん、だっ、大丈夫?≫
カチューシャ、爺様、フィオ。そんなこと言うから一番の歌詞で止まっちゃったじゃないか。よん豆も、月下美人もどきさんも、なんでリアクションがないの。
う~~、こっからどーすんだ。同じ英語でも、やはり最初に思いついた歌にすべきなのか。
あれな。でも失敗すると、さらに目も当てられないぞ。
こほん。覚悟を決めた私は姿勢を正し、深呼吸する。
目を閉じて、村人が集まる居心地の良い田舎のパブを思い描く。
青年となって村を出て、都会で必死に働いて、何年も経ってから戻ってきた。村唯一の溜まり場で陽気に飲んでいるのは、子どもの頃に一緒に遊んだ懐かしい面々。
ちょうど――メリアルサーレで集まった、筋肉おじさん四人組のように。
瞳を開けると、スコットランドの古い歌『オールド・ラング・サイン』をゆっくり紡ぎだす。
「(見知った顔は忘れ去られ、
もう思い出されることもないのだろうか。
かつての顔馴染も、
一緒に過ごしたあの日々も?)」
ううん、そんなことはないと思う。だって馬車に同乗したとき、おじさんたちはとても楽しそうだった。
リーダー格の大雑把で陽気な山賊おじさん。
脳内で8と9と3のジャグリングをしたくなっちゃう暗黒街おじさん。
水色シュナウザー犬髭の上品な足長おじさん。
真っ赤なダリ髭の小柄でオシャレなおじさん。
幼馴染だって話してた。子どもの頃は皆で悪戯したり、馬鹿ばっかりやって親に怒られてたって。特に山賊おじさんのお母さんが怖くて、『上位魔獣も尻尾をはさむ』勢いらしい。
「(日が昇れば夕餉の時間がくるまで、
小川でさんざ遊んだものだ。
なのにあれ以来、
互いの間に隔たる海は広がり、
波立つようになってしまった)」
今は全然別の職種で、別の道。それぞれに雰囲気が違ってた。ちゃんとまた集まれるのがすごいよね。
美魔女女将さんの宿じゃあ、部屋で乾杯でもしてたんだろうな。
「(友よ、あの頃の思い出に。
かつて過ごした大切な日々に。
過ぎ去りし日々に捧げようじゃないか、
優しさ溢れるこの一杯を)」
ねぇ竜騎士のお兄さん、もし言葉一つ一つに魂がこもるというのなら、どうか故郷を思い出して。そこで自分を待っている友人知人を思い出して。
人里離れた寂しい場所で年端もいかない流離い人を尋問するのではなく、お家に帰って暖まろうよ。
誰も止めてくれないので、最後まで唄っちまいましたよ。うーん、すっきり。
古語で書かれたバーンズの元詩は覚えてない。現代英語でしか歌えないけど、実に名曲だと思う。気持ちが大変こめやすい。
――って!
あれれ、お兄さん、泣いてません?
本人、ようやく気がついたみたい。慌てて涙を拭い出した。
波長がばっちし合っちゃったのか、何か通じるものがあったのか。そこまでの効果は期待してなかったんだけど。
≪えーと、なんか誤魔化せたっぽい感じ、かな?≫
おーい。誰か返事くれ。
≪もしもーし。私、ここから逃げたほうがいい? それとも、居座って野宿の場所確保でオッケー?≫
後ろを振り返った私は、小鴨色のネックストラップで吊るされたぬいぐるみ熊と、花萌葱色のバンダナを喉元に巻いた白いサモエド犬と、水玉模様のエメラルド竜をぐるりと見渡す。
≪芽芽ちゃん、上手―っ≫
チーム・グリーンのフィオが、両手の平を何回か近づけては離し、人間が拍手するときのジェスチャーをしてくれた。
鋭い爪が当たるから、実際に両手を叩いて音まで出すのは無理だけど、≪ぱちぱちぱち≫と念話で効果音を加えるという芸の細かさ。
よん豆たちもフィオの肩から降りて、ぴょんこぴょんこ。全身で『いいね!』を表現してくれている。
月下美人の女王様は、豪華なチアガールみたいだ。ポンポン代わりに、あちこち咲き乱れた細長い花びらを揺すってくれた。
うきょ、嬉しいじゃないですか。
私は丁寧に左右のコート裾を摘み、左足を後ろに引いて右膝を曲げ――じゃない、これ、お姫様挨拶じゃん。私、男だったよ、今。
欧州の宮廷ならば、男性は右手を胸元に当てて、左腕を横に流してお辞儀か? ドラマの道化師がやっていたように、左手をくるくるくるん。わざと大げさにおどけてお辞儀しておいた。
高い山脈に阻まれた大陸の南と北では、限られた商隊の行き来しかない。
とりあえず、咄嗟の動作はまるっと南の謎文化で押し通そう。なんなら南でもよく知られていない、山岳地帯の極少数民族のみの奇習奇祭とか。
でもって、あとで爺様に要・確認だな。
≪カチューシャ、爺様?≫
≪お、おう。うん、まぁ。良かったぞ、うん≫
≪そ、そうね。そこそこ聞けたわ、それなりに≫
爺様もカチューシャも、反応が掴みがたいが、一応は気に入ってもらえたらしい。こちらは普通にぺこりとお辞儀をして、ようやく枯れ枝のことを思い出した。
あーもう。日が沈んだ。今夜は四つの月が遠ざかる『古代の休日』だから、いつもより暗くなるんだよ。
フィオを野営地に置いて私が取りに行くか。私が残って、フィオに行ってもらうか。
気持ち的には自分のことは自分でしたいけど……体力的にもへろへろだ。ぼけっと突っ立ったままの邪魔男にフィオを近づけたくないし。
≪フィオ、ごめんだけど、うしろの道路に散らばった枯れ枝、持って来てくれる?≫
≪いいよー、焚き火用の枝だね≫
くっ、何この素直さ。嫌な顔一つせずに、ぽてぽて歩いてくよ。ふりふり揺れる尻尾のあと、よん豆たちが雛鳥みたいに追いかける。
何あれ可愛い、タックルして抱きつきたいっ。
落ちつけ、芽芽。野宿の用意を優先するんだ。
夕暮れの中で爺様の勝色ローブを引っ張り出し、ピクニックマット兼寝床として敷く。
柿の実は……地球製スイスナイフを見られたら困る。雑穀パンで先にお腹を満すことにしよう。フィオの飲み水用お碗も出して、それから。
「セイレ!」
この男、追っ払わないといけなかった。歌も唄ったし、もういいっすよね? さっさとお引き取りおくんなせい。
『精霊の祝福を』だかんね。また逢いましょうじゃなくて、二度と顔見せんなでいっ。
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※芽芽が最初に唄い出した陽気な曲は、“The Princess Pat”です。アメリカのガールスカウトで有名なキャンプソングです。
「リカバンブー」は「リガ」だったり、はたまた「リカダンドゥー」だったり、謎の物体なので人によって適当です。でも振付がとっても可愛いのです。
二つ目のしっとりした曲は“Auld Lang Syne(蛍の光)”でした。日本だと卒業式やスーパーの閉店前に流れますが、英米だと新年カウントダウン明けて「おめでとーっ」という印象。
歌詞が長いので途中省略して、超訳しています。




