5. では魔法をお願いします
豚ズラする前に欠かせないのは、完全なる証拠隠滅である。
竜の周囲に散らばった古い皮膚片を、ゴミ箱代わりに見立てた岩の隙間に放りこんでいく。
≪よし。大きい欠片は全部集めたから、炎でゴォーッとお願いね≫
≪あ、はい。お願いします≫
……フィオは私を、私はフィオを眺め、お互いに次の動きを待つこと、しばし。
≪竜って、口から火とか出せないの?≫
≪えええっ!? 何それ、怖い!≫
魔法が使えると言っていたのは、空を飛びやすくする魔法や、遠くまで敵の気配を探るタイプのものだったらしい。……火炎放射器モドキは口の中が大ヤケドしそうだし、流石に無理なんだって。
≪もしかして、吹雪とかなら口から出せたりする? それか、雷を落としたりは?≫
≪芽芽ちゃんの住んでた世界、そんな恐そうな生き物がいるの……≫
竜の巨体が慄いている。重火器しょって激戦地をくぐり抜けてきた猛者でも見るような目つきは、やめい。
~~~仕方ないな。炎か。魔法を使える世界だったら、この念話みたく、私でもなんとか出来ないのかな。
兎にも角にも、目の前に転がる枯れ枝をじっと見る。おじいちゃんとの訓練を思い出せ。これまで成功しなかったからといって、この次も不成功とは限るまい。
……小さい頃から私には、見つめているだけで火が点けられるという根拠のない自信があった。
マッチ棒を箱から取り出した瞬間とか、火の点いていない蝋燭の芯と目が合った瞬間とか。どうしても眼力だけで炎が上がるんじゃないかと、見つめずにはおられない。
おじいちゃんに打ち明けたら、笑い飛ばすどころか真剣な顔で同意してくれた。発火能力って言って、超能力の一つなんだって。
他の人が出来るんだったら、物理的に不可能じゃない。人間の潜在能力は計り知れないのだから、可能性は絶対あると思う!
集りしゴミよ、いざ燃えん! 貴方なら燃えられる! 燃えるのだ! 燃やせば燃える、燃やさねば燃えぬ何事も!
……あーダメかな今回も。
べしっ!
「ふぎょっ」
小石を足元に投げつけられた! 誰、と辺りを見渡すと。…………森の入り口で、栗鼠が仁王立ちしてる。
さっき逃げてった子なのかな。毛皮が全体的にバリ赤いし、不穏な両目がなんか寄ってるし、見るからになめ栗鼠系。しかも投げつけたのは小石じゃなくて、まん丸ダルマ型の団栗だ。
≪フィオ、大丈夫だから≫
まずは私の後ろ。ピギャッと逃げた竜を落ち着かせる。巨体をいくら縮こまらせよーが、隠れらんないってば! あぁもう、震えないの。
そいで目の前にデデンと登場した新手にご挨拶だ。御控なすってなのです、栗鼠の兄貴、ゴチになりやりやがれという解釈でよろしいでしょうか。
ころころ転がった木の実を持ち上げて確認する。傘がないけど、クヌギかな。赤みがかなり強い茶色。そして何故だかホカホカと温かい。
愛用の鉄パイプでないの? と差し出してみると、赤栗鼠はしばし首を傾げていた。そして突然後ろを向くと、再び走って消えてしまう。
一瞬何が起こったのか、思考がついていかなかった。竜も私も首を傾げてフリーズしていたが、今は火だと思い出す。手の中の団栗を握りしめ、もう一度念じてみることにした。
ほんのり温かい。そうか、燃えるには熱が必要なんだ。ゴミ山の粒子が細かく激しく振動して、どんどん高熱を帯びていく、とイメージする。あとは酸素を送りこむ。
火の神様、火の精霊さんたち。火に関係するすべてのお方々。
~~~~お願いします、火! 炎さま! ホントのホントにどうしても必要なんですってば!
「ひゃっ! えっ?! ぉわっ?!」
うそお。点いたよ。岩の間で竜の抜け殻が燃えてる。
沈静化するまでしばらくの間、私は呆然と目の前の炎を眺めていた。はて……なにが起こったのだろう。
≪芽芽ちゃん、すごぉい!≫
フィオの声援で我に返る。とりあえずは証拠隠滅を続行だ。パーカーのポケットに捩じ込んだヤンキー団栗を握りしめると、なんと再び炎が上がった。
全て灰となるまでの待ち時間で、リュックの整理をする。ねっとり粉ふき干し芋をちまちま齧って、水筒の温かい玄米茶をちびちび飲む。フィオにも勧めてみたけど、食欲ないって呟くから心配だ。
≪あ、でもね、なんか元気でてきたの! たぶん、これなら小さくなれると思う!≫
お、そりゃ良かった。
≪魔法で小さくなると、しんどかったりするの? 大変なの?≫
≪ううん、平気。移動するときは小さくなりなさいって、お母さんに言われてたから。脱皮が始まったせいで、最近はずっと出来なかったのだけど――ど、どんな色がいい?≫
驚き木桃の木山椒の木、鱗の色まで変えられるとは。
≪えっと……そのままでも美しいと思うので、そのままが好み、かな……≫
≪あ、ありがとう!≫
うわぁ、照れてモジモジしてる。なんなんだ、この可愛い巨大生物は。頬赤らめてる感じが伝わってきて、あーもーたまらん。このままだと職質モノの危ないオッサンになりそう、私。
≪で、色は……≫
しかも会話がループしてる気がする。別の色に変えるべしという、母の教えを守りたいらしい。
私は目の前の竜をじっくり眺めた。朝焼けの空気の中、浮かび上がる白っぽい体。ぽっこりお腹が超ラブリー。キュン死しそうな理想のゆるキャラ体型。
た、たまらん! 抱きつきたくて、腕がむふむふするっ。
いや、変態化する前に落ちつけ、私。
≪こっちの世界に存在する? グリーンバジリスクってトカゲ≫
≪うーん、トカゲは知ってるけど、残りの単語が届かないから、少なくともボクは知らない種類だと思う≫
脳内念話は互いの既存知識を結びつける自動翻訳機なのだ。例えばトロピカルフルーツの女王マンゴスチン。見たことも聞いたこともない人に言っても、ちんぷんかんぷんだろう。
≪体は小さいけど尻尾がその2倍はあるからね、全体は私の手元から肘か、ひょっとしたら肩くらいまでの大きさまで成長するのかな。私の星の真ん中辺り、暖かい国の森の中に住んでてね、ぎゅいんって立ちあがって、手足をぐるんぐるん回して、水の上をシュタタターッて走れるんだよ、すごいの!
宝石みたいな緑色の肌しててね、しかも大きめの水玉模様がてんてんてんってあって、個体差もあるけど私が好きな水玉は鮮やかな空色! そいでもってお尻尾のほうは黒い縞々がちょこっとずつ入ってて……≫
私は身振り手振りでバジリスクを表現する。だけど、あの色彩美は字面だけでは到底伝えられないっ。
リュックから取り出したスマホ画面に表示だ。ネット接続が無理な状況でも堪能できるよう、正面と側面と背面のベストショットを保存してあるのだよ、任せたまえ。
『電源の希少さ < トカゲの美しさ』という方程式で世界は回っている。トカゲのラブリーさは世界を救う。ビバ☆爬虫類! 私はきみたちを応援している!
あ、ぬいぐるみも昆虫も哺乳類も菌類も。植物もどんと来い!
ついでに加えると鉱石さんたちも、ウェル亀祭りだ。
≪ホントだ、きれー……≫
どうやらこの子とは気が合いそうだ。うんうん、解るぞ。鱗の翠玉グリーンとトルコ石ブルーと黒曜石ブラックの宝石コンボが、猛烈に蛸ツボなのよ。
≪じゃあ、こんな感じ、かな?≫
私がいまだスマホ画面のトカゲに呆けていると、いつの間にか竜が私と同じ身長に変化していた。大きかった時よりも尻尾は短め、お腹はぽってり。おまけに色彩が奇跡のグリーンバジリスク!
≪かかか可愛い! 世界一! いいえっ、宇宙一だわっ!≫
両手の親指をぐっと突き出し、いいね! のジェスチャーで大絶賛。きゃあああん、こっち来んさい、ハグさせんさいっ。
私が諸手を挙げて大歓迎すると、等身大になった竜が寄ってきた。ぽてぽてぽて、と体を左右に揺すって不器用に歩くのが、もう超可愛い。四足歩行の方が楽そうなのに、私の真似をしたいんだって。
現在の年齢の身体をそのまま圧縮するのではなく、この位小さかった幼体の頃の姿に戻す魔法。イリエワニみたいに細長かった鼻まで丸っぽくなってた。
隣にちょこんとしゃがんだ竜に許可を頂いてから、鱗をお触りさせていただく。くぅぅぅっ、なんだこのむきゅむきゅな触り心地。クセになりそうではないか。
一方だけなのはフェアじゃないので、ついでに≪ご興味あればどぞ≫と自分の腕も差し出した。
がーん……あんま興味ないみたいだ。ツンツンと服の上から軽く突かれただけで終わってしまう。
≪……人間は、きらい?≫
≪え? 違うよ! 違う≫
ぽちゃ可愛ドラゴンが慌てて弁解する。
≪違うの、人間って弱いでしょ。ボクの爪、尖ってるから傷つけちゃう≫
なんだ、そういうことか。
≪じゃあ私が触るのは不快じゃない?≫
≪うん、全然!≫
≪ほんとにほんと? 絶対の絶対?≫
≪ほんとのほんとに絶対の絶対!≫
ぬぉおお、愛いやつめ。竜饅頭にしてしんぜよう。
私はぎゅむっとフィオに抱きついた。この感触、クセになっちまったよ、すでにどっぷり依存症。
でも、浮気じゃないからね、ミーシュカ。
もきゅもきゅと、もふもふとは違うもん!
※「なめ栗鼠」も「ヤンキー団栗」も芽芽語。
なめんなよニャンコの栗鼠ヴァージョンですかね。
団栗のほうは、『Yankee Doodle』という有名な歌のタイトルに掛けていると思われます。




