45.長距離馬車に乗る (9日目)
翌朝、寅さんご亭主が宿を三十代くらいの赤毛赤肌の男性に任せて、わざわざ馬車乗り場まで連れて行ってくれることになった。
一日でどこの街まで行けるか判らないけれど、とオルラさん家発の木製葉書にも書き加えてくれる。『ダルモサーレの宿の亭主です、この子は泊めてもまったく問題なかったから、同業者さんよろしく頼みますね』といった内容らしい。
「かぁ~っ、いい天気だねぇ。この調子で精霊様がせめて最初の冬のふた月が終わるまでは居つづけてくださるといいんだが」
なんですか、それ? 理解できなかったので、首を傾げてみた。カチューシャがお疲れなので、通訳は爺様担当だ。
「ああ、お前さんは異国から来たから知らないのか。
この国の冬は厳し過ぎて、精霊様が里に残ってくださらねぇんだよ。年を追うごとに、山へお隠れになられる期間が延びてきているからなぁ。
神殿はそういう時代なんだって言うが、ちゃんと聖女様がいらっしゃるのに変な話だよ、まったく」
困ったもんだ、と腕を組んで愚痴られたのだが……『聖女様』とやらがいると『精霊様』が冬の月まで居つづけるって、接待ですか。神殿娼婦、つまりはキャバ嬢ですか。
「大魔導士の『**』様でさえも、こればっかりはお手上げなのかねぇ。それでも冬が越せるのは、あのお方の発明した魔道具のおかげなんだし、これ以上無理を言っちゃあいかんよなぁ」
まいったまいった、と呟かれても。もうどう返したらいいのだか。こちらがお手上げ熊である、とミーシュカを万々歳しておいた。
「そうそう。これを」
別れぎわに、手に持っていた葉っぱの包みを二つとも渡してくる。外出したついでに、後でどこか荷物を届けに行くのかと思ってたら、なんとカチューシャと私の昼食だった。
「馬車の中で食べな」
えええっ! それは流石にかたじけなさすぎるっ。オルラさん一家といい、この国の人たちは身銭を切りすぎだ。
「いいってことよ。餞別だ」
いえいえ。部屋代もおまけしていただいたし、犬の同室も許可していただいたし、これ以上は足を向けて眠れなくなってしまう。
あ、じゃあお代を……と財布用の小さな巾着袋を取り出すと、首を横に振られてしまった。
「昨日の夕食で、その犬は花が好きだから、生肉はいいって断ったろ」
そうそう。ただし『犬が』とは言ってないけど。
カチューシャを残して一階の食堂に行ったら、後で持ってけって肉の塊を渡されそうになり、必死に固辞したのだ。
だって、私たちの中で生肉かじれる者が皆無なんだもん。調理したら私は食べられるけど、もともとそこまで肉狂いじゃないし。何より魔獣の死骸落下攻撃がトラウマになったフィオの前で、あえて食べるものじゃない気がする。
「それでごめんな、おじいさんはてっきり部屋の窓の金連花を喰われたと思い込んじまったんだよ。だけど朝になって確かめたら、どこもちゃんと咲いてるじゃねぇか。疑っちまって悪かった、その詫びだ」
そんな些細なことで、乗り場まで一緒に来ていただいた上にランチまで頂戴するのは、なんだか申しわけなさすぎる。
たしかに夕食のお土産で味をしめたフィオが、窓開けてこっそり食べようとして私止めましたけど。ご亭主が大事に育てているわけだし、一室だけ窓辺が葉っぱだらけになったら丸判りで、宿の外観損なうもの。
「こっちが金連花の葉の練り胡麻で味つけした卵焼きで、こっちの軽い包みが犬用の生の金連花だ。うっかり花を潰しちまわねぇようにそっと持ってくれ」
何それ、めちゃくちゃ美味しそうっ。いいんですか、いいんですか。もらっちゃいますよ、お言葉に甘えちゃいますよ?
「気にするなってぇことよ。それじゃあな、精霊の祝福を」
私は「アリガト」と「セイレ」を繰り返して、お辞儀をした。ときどき振り返ってくれるご亭主に手を振り、最大限の笑顔で見送る。
やったよ、フィオのご飯ゲットした。昨日食べたがってたもんね、反対してごめんね。
≪馬車に乗ったら、こっそりリュックの隙間から花びらを差し入れするね≫
≪わぁい! 楽しみ~≫
無邪気なはしゃぎっぷりに癒される。これはやはり、フィオの日頃の善行のおかげだな、きっと。私までお相伴に与らせてもらったや。ごっつぁんなのです。
昨日の元締め大親分さんに運賃を前払いして、御者の若いお兄さんにぺこりとご挨拶して、お客のいない長距離馬車に乗り込んで。
で、あとはぽつんと待機。出発まで、まだまだ時間があるみたい。
≪そういえば爺様、ご飯食べる前の『精霊に』と、お別れするときの『精霊の祝福を』って違うの?≫
≪どちらも古くからの定番の挨拶じゃ。最近はすっかり廃れたと思っておったが、帝国式が蔓延っておるのは王都や大きな街のみの傾向であったか≫
≪帝国式?≫
≪飲むときは『乾杯』と言い、別れるときは『さようなら』と言う≫
まんま普通だな。単に私の知っている挨拶言葉に脳内変換されているだけで、こちらの言語だと含意されているものとか、歴史とか文学的背景とか、音節の雰囲気とかが『帝国』っぽくなるのかもしれないけど。
≪『精霊に』は、精霊の恵んでくれた食事に感謝を捧げる、という意味で、『精霊の祝福を』というのは、相手が精霊の加護を得られるように祈願する、という意味じゃな。
帝国側が、この国の人間を馬鹿にする劇で毎回決まり文句のように連呼するからのう。
最近では、『冬が年々厳しくなって、被害も増えたのに不謹慎だ』と王都新聞でも声高に批判するようになった≫
たしかにお祈りしても事態が悪化すると、やさぐれちゃうよね。でもだからって自粛する意味が解らない。
感性の違いだろうか。私も控えたほうがいいのか爺様に確かめると、『別に問題ない』とのこと。帝国派による『不謹慎狩り』の一環らしい。
暇なので、これまでの情報を最初から整理してみた。
大陸のこちら北側では、精霊信仰が盛ん。
そしてこの国では精霊は四種類。
通貨や重さ、長さの単位は十二進法だけど、それすら四つを四回重ねがけした結果の『十二』って感覚らしい。
≪精霊自身は、自分と同じ色の月光から力を取り込むと解釈されるようになった。よって現代では四つの月に則り、黄色が土・青が水・赤が火・紫が風を象徴する。
例えば、部屋で見かけた守護板や、ワシの袋にぶら下げたお守りじゃ≫
促されて、靴商人のウォンバットおじさんから購入したストラップをまじまじと見る。
大きいお守りは爺様の斜め掛け袋の大木の刺繍を解いた場所に、上からワッペンとして縫いつけた。小さい針孔が残ってたんだもん。
小型のお守りは、ミーシュカのネックストラップに引っ掛けて、熊ネクタイみたいに垂らしてある。
そういうことであれば二つの飾りには、精霊様の目印となってしっかりと運を呼び込んでもらおう。
≪この国の王を選ぶ四人の選定公も、国土の四隅を守る辺境伯も、王宮や神殿や各騎士団の場所的な区割りや人員的な構成も、全て土・水・火・風の名称を使って表す。
ひと月も、季節も、すべからく四大精霊で分ける≫
……あれ?
≪前に訊いたとき、ひと月は29日で一年が18か月って言ってなかったっけ?≫
29日は4で割りきれない。一年も4で割ったら2か月余るよ?
≪一週間の基本は土の日・水の日・火の日・風の日じゃが、その次に『聖女の日』がある。国王の誕生日や建国記念日などは、その一番近くの聖女の日を『生誕記念日』などと臨時に呼び替えて祝日とする。
月の五日目、つまり一週目の聖女の日は、完全な闇夜でな。本来どの職種も仕事はしてはならない。まぁ、厳密に守られなくなって久しいがの≫
あれれ、『聖女の日』なんて初めて聞くぞ? 昨日まで、そんなの脳内翻訳に入ってこなかった。
『古代の休日』って言ってたじゃん! とツッコんだら、熊ペディアがモゴモゴしだして、≪あ、しまっ……そ、その別名じゃ!≫とキレ気味に返された。ややこしいな、さっきのホステスさんが曜日にまでなってるのか。
≪聖女って、実際にもいるの?≫
≪う……むむ。ま、まぁ一応じゃ。一応な、神殿に一人おったかのう。魔導士と竜騎士に守られて、民衆の前には全く顔を出さん存在じゃがな!≫
またあの神殿か。地下室の悪魔儀式を思い出して、うえっとなったが、爺様はそそくさと説明を続けてく。なんだか誤魔化されている気がするんだけど。
≪二週目も、土の日・水の日・火の日・風の日ときて、聖女の日がきて、その翌日、11日は黄色の満月じゃ。『土の精霊の日』と呼んで、土の守護を主に受ける職種だけは完全に休みになる。
三週目の17日は青い満月、つまり『水の精霊の日』で、やはり水の守護を主に受ける職種が休んで、水の精霊を祀る。
四週目の23日は赤い満月、今夜じゃな。『火の精霊の日』じゃ。
五週目の29日が紫の満月、『風の精霊の日』で、一箇月が終わる≫
≪待って。手帳の日記のとこに書くから……爺様たちと私が出会ったのは何月何日?≫
今まで『異世界○日目』ってカウントしてたから、いっぺんに言われると混乱する。ひと月の一週目が平日4日+休日1日、残り四つの週は4+2日だとすると?
≪ワシが殺されたのが土の日を越えた辺りじゃった故……うーむ≫
おぉう、壮絶な計算の始まり方だな。
爺様は土の守護を当て込んで、土の精霊の日に儀式で魔石を染めて、翌日の土の日に魔法陣で結界に穴を開けはじめたらしい。
で、やっと結界を通れたはいいけど、水の日に切り替わったあたりで呪いに見つかって倒れた、と。
……そっか、結界破りは街壁の鍵開けみたいなものだ。それに魔石だから土の分類だ。呪いは何だか粘着質で水っぽい。
日にちが特定できずに爺様がぶつくさ唸っていると、カチューシャがどんどんチベットスナギツネな半眼になる。
≪霊山を出て、ティアルサーレに着いた日が『水の精霊の日』でしょ。青い月が支配していたから第三週目でしょうが。その前日の『聖女の日』に逢ったから、初日は『秋の土の月』の16日よ≫
『青い月が支配』……ああ、なるほど。森の中で見た壮大な満月をそう表現するのか。たしかに、あんな夜空に一変するなら御利益を期待したくもなる。次回は私も拝んでおこう。
すると爺様が、今度は一年18か月の解説をしてくれた。
≪春なら『春の土の月』、『春の水の月』、『春の火の月』、『春の風の月』と4箇月に分ける。
同じく夏4箇月、秋4箇月と来て、『冬の土の月』『冬の水の月』、そして最も寒くなる2箇月を『籠もる月』『忘れられた月』と呼び、そこからまた『冬の火の月』『冬の風の月』となって、新年を迎え、再び春が訪れる≫
『籠もる』というのは、精霊が寒さのあまり身を隠しちゃう月という意味らしい。翌月の『忘れられた』は、精霊たちが人間のことを忘れてしまうくらい寒くなるから。
こちらの人たちは、精霊は寒さが苦手だからその2か月は人里離れた精霊の国に帰ってしまう、と言い聞かされて育つそうだ。
そもそも精霊側からしたら、山奥よりも人里の方が暖かそうだけどなぁ。多分、人間たちが精霊に見放されたと感じるくらいに生きるのが大変な月ってことなのね。
≪って! 夏が4か月も続いた翌月がこれなの!? 全っ然、夏が残ってない!≫
『残暑』はどこ行った、エルニーニョ現象は地球から輸入しとらんのか。今朝もコートが手放せないくらいに肌寒いんだよ? 私寒いの苦手すぎて、この国で生き残れる自信がなくなってきた。
森の緑頭巾ちゃんじゃなくて、マッチ売りの少女になっちまうよ。
犬のカチューシャに抱きついたまま、『なんだかとっても寒いんだ、カチュラッシュ』で近々人生の終焉を迎えそうな気がひしひしする。
≪このままだと超絶寒くなるよね! だからご亭主が『精霊様が山にお隠れになる』って嘆いていたってこと? 聖女様の接待、精霊に激マズで不評じゃん≫
≪接待……お前な。神殿の聖女は精霊の源、満月に祈るんじゃ!≫
そんな暇とお金があれば、月に代わってお仕置きしてほしいのだけど。
≪竜を奴隷契約に引きずり込むわ、神殿の奥で悪魔儀式が横行するわ、お祈りの効果ちょっともないよね。国民を大人しくさせて、統治しやすくするための気休め神事でしょ、ただのお飾りでしょ。
帝国や王都新聞とやらは、精霊挨拶よりも、そっちを批判するべきだと思う≫
≪ぐぬ……それは、その、現状はそうとも言えなくもないが、じゃが本来は≫
爺様がぐだぐだ抵抗しているのは、この国の国民としてのプライドか。
悪いけど、私はこの国に余計な愛着は持ち合わせてないのだ。神殿に所属している時点で、聖女様とやらにも一切の期待はしていない。
国のエリート魔導士は戦争を画策するし、生き物好きの真面目な竜騎士は左遷されるし、末端の兵士はボードゲームや日向ぼっこで職務怠慢。国の大手新聞ですら、ジャーナリスト精神が欠如している。
≪やっぱりこの国に長居は無用! フィオの黒い糸を解いてもらったら、すぐ竜の大陸に避難する! 国外脱出する!≫
オルラさん一家への鶴の恩返しは、冬を越える術を身につけてからだ。
三十六計逃げるに如かず。
皆に恥じることなく敵前逃亡を宣言した頃には、他の乗客もちらほら集まってきて馬車が出発した。
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※ようやく芽芽に『聖女』情報が入ってきました。爺様が考えなしに宿の御主人のセリフを通訳しちまったのと、日付のうっかり説明でポロリとですが。