4. 脱皮をお手伝いしましょう
まずは、このひょろひょろ出ている鱗のなれの果てを何とかせねば。腕の中の魔グマ将軍を、近くの岩場に座らせた。
横に並べると、改めて浮彫になるオシャレ格差。なんせミーシュカは、毛づくろいパーフェクト。マハラジャがダンスバトルを挑みたくなるくらいに豪華なベストとリボンまで纏っている。
魔王軍として見た目は大事。第一印象は最初の三秒で決まるのだ。
おまけにザリガニとかヘビとかトカゲとか、脱皮不全で死んじゃう生き物もいたよね。
灰色竜も本来なら多少の魔法が使えるらしいのだけど、脱皮途中で体力の限界だったところを拘束されてしまったらしい。そこから何度も炎の魔法攻撃で痛めつけられたせいで、全身ボロボロだった。
≪この皮が取れたら、君も強くなれる?≫
≪た、たぶん……?≫
私は再びスイスナイフと小鋏を掴んだ。薄汚れた灰色竜に何をするのか説明して、鱗に引っ掛かった古い皮を切り取っていく。
血液と一緒に固まっていたり、落ち葉が巻き込まれていたり。一日の大半をこの砂場でうずくまっているせいか、細かい砂の粒子もくっついているし。人間が炎を作って脅すから、あちこち煤けているし。
あまりの満身創痍っぷりに、なんかもう、こっちが泣きたくなるよ。
山の頂上で風化した狛龍さんだって、ここまで酷くはなかった。
少し前の夏越の祓えで、ご神事でもあったのだろう。足元には紅白の水引を飾り結びして、頭には紅白の新しい手拭いでねじり鉢巻きをしてもらってて。
長年みんなに撫でられて、つるつると触り心地良かった。
「……ゆらゆらと祓ひ ゆれゆれと祓ふ
ひれひれと清め ひらひらと清め給へ」
御拝殿前の木札に書かれていた文言が思わず口を衝く。
言葉に力があるのなら。祈りを聞いてもらえるのなら。
どうかどうか、この竜を助けてあげて。
昼間は竜騎士の竜が上空を横切るらしい。でもここは魔法がかかっていて、どれだけ叫んでも少しも届かないんだって。古皮が凝固して締め付けた首を、痛みに耐えつつ振ってみても、ちっとも気付いてもらえないんだって。
おまけに人間が持ってくる餌は嫌な味がする。なのに残すと怒られて、魔法攻撃で痛めつけられてしまう。だから食べたふりをして、後でこっそり森の中で吐き出していたんだって。
さっきの赤い栗鼠は、その道すがら見つけたらしい。同じく人間が仕掛けた罠にかかって動けなくなったのを、ここに持ち帰って匿ってあげてたんだって。
涙が溢れそうになるのを堪えながら鳥さん型の鋏を動かし、タオルで灰まみれの新しい鱗を拭く。
龍の神様、龍の王様、狛龍さん。お願いだから、優しいこの子を助けてあげてよ。
もしかしたら大嘘つきの悪い竜で、私は騙されているのかもしれないけれど。
でもさ。体重かけたら、私なんてぺちゃんこに出来る巨体なのに、さっきからナイフの刃が近づく度に震えているんだよ。
鱗の間に挟まった古皮は、檜皮みたいに固くなっていた。糸切鋏は小さいから、どうしてもナイフを使わざるをえない箇所が出てきてしまう。
ごめんね、と言いたいけど、こんな目に合わせた種族の一員として、どの面さげて言えようか。
「……ゆらゆらと祓ひ ゆれゆれと祓ふ
ひれひれと清め ひらひらと清め給へ」
溜め込んだ穢れを落とす夏越の祓と年越しの大祓。私が海外に行った後も、おじいちゃんは「ヴァーチャル参拝だ」って言って、半年毎に里宮で茅の輪くぐりするのをスマホで中継してくれた。
私には、あの参道に面した漢方薬局みたいな外気功の治療はできない。この世界の治癒魔法も知らない。
せめて言霊の力と音の揺らぎが竜の身体を癒してくれますようにと、何度も唱えた。
≪なんだか元気が出てきたよぉ。ありがとう≫
もっと文句を言ってくれたらいいのに。はぐれ竜は気立てが良すぎる。
痛いよね、辛いよね、ごめんね。
人間が酷いことして、ホントごめん。
まとわりついた古皮を取り除き、脱皮途中の皮をそっと剥がして、新しい鱗を丁寧に磨いた。
気がついたら、もう夜が明けそう。辺りの空気が絢爛豪華な虹色に染まっていく。
≪太陽が出る前って、いつもこんな色なの?≫
≪うん。晴れの日の朝は、こんな感じかなぁ。キレイだよねぇ≫
作業をしながら四つの月の色を訊ねたら、≪赤色と黄色と青色と紫色≫って応えてくれた。人間とまったく同じ見え方ではないのかもしれないけれど、脳内に色名が存在するなら、見分けているんだと思う。
少なくとも、この空を美しいと感じる心は確実に持っているのだ。煤や砂ぼこりやゴミがすっかり消えた竜の身体も、白く輝いていた。空の虹色を反射して、まるで蛋白石みたい。
≪そうだね、キレイだね≫
私が竜の鼻先を撫でると、喉が硝子風船みたいに膨らんで、ポッペンポッペンと、くぐもった音を奏ではじめた。気持ちいい時に鳴るんだって。
≪そういえば、君の名前は? 私はね、≫
「メメ」
≪って言うの≫
脳内に意味を伝える念話では、純粋な音は伝わらない。
「め」
≪って音はね、私の国の文字で、草を表現する記号に、牙を表現する記号を組み合わせた字なの。
こう……植物の種が草原で発芽して、あちこち芽が出るでしょ、ギザギザが小さな牙みたいでしょ≫
岩の欠片を拾って、『芽』の字を地面に書いてみせる。そしてもう一度「め」と発音した。
≪芽芽。覚えた。小さなギザギザ、可愛いね≫
『モリ・メメ』、西洋風に苗字を後ろにして、『メメント・モリ』。ラテン語で『死を忘れるなかれ』。おじいちゃんがくれた私の本当の名前。
うちの両親にキラキラネームだって反対されたから、書類上では『杜めぐみ』になっちゃったけど。
『芽芽、メメントー・モリーだ。この格言は真逆の解釈が引き出せるんだ。
どう足掻いても生ある者は結局死んでしまう、と全て諦めるのか。
だからこそ今この瞬間を完全に生きてみせる、と生を貪るのか。
人生はいつだって、お前自身に選ぶ自由があるってことさ』
久しぶりに由来を思い出して、綾なす宝石のような空を見上げた。
≪カッコいいおじいさんだねぇ≫
おじいちゃん、聴こえてる? 隣に座る竜に、しみじみ褒められちゃったよ。
≪それで、こっちが熊で親友の――≫
「|ミカエルさんとこの息子のミカエル《ミハイール・ミハイロヴィチ》」
≪なの。天使の名前なんだよ。しかも愛称が≫
「子熊ちゃん」
≪なの。熊々してて、可愛いでしょ。洋服とか刺繍とか、全部自分で作ったんだよ? そいで、振るとすごくいい音がするの≫
私はミーシュカを岩場から下ろし、しゃかしゃかと降ってみせる。ガムランボールで出来た心臓が、クワララン、コロロン。いつ聴いても宇宙の神秘の音がする。
≪きれー! 音も自分で作ったの?≫
≪う゛……鈴は買った。でも中を切開して移植手術したのは私≫
≪ボクはねぇ……≫
竜が口をぱっくり開けると、空気が振動した。人間の耳が感知できる周波数の上限と下限をぶち抜いてる気がする。
ちっとも音として聴こえない。生ドラゴンの生名前は難易度高かったよ、ぐすん。
≪……あれ? でも、ボクの名前、これだけじゃなかった……時間で変わるのかな? あれれ?≫
無音の雄叫びポーズのまま、しばし固まっていた竜が、何やら慌てだす。
この子の母親は、褒める時、叱る時、寝かしつける時などと、場面に応じて使い分けていたようだ。親が子どもに向かって『わたしの愛しい子』とか『可愛いバニーちゃん』とか『マイ・リトル・パンプキン』とか『モン・シェリ』とか色々呼びかける、欧米の感性に近そう。
≪竜って、固有名詞の名前は付けない主義なの?≫
≪うーん、どうかなぁ。ボク、お母さんしか知らないし……あ、でも、お母さんから時々竜の大陸のお話聞かせてもらってね、その時にいろんな竜の名前が出てきたよ?
……そっか、だからあるよね、竜に名前≫
を、一頭付け忘れとるぞ、竜の一族よ。付けたのかもしれないけど、本人が知らないぞー。可愛がるのはいいけど、正式名称も記憶させたげよーや。頼むで、母よ。
≪戸籍は? 確認する手段ってあるの?≫
≪わ、わかんない≫
どおしよう、と竜が頭を抱えだす。ごめんよ、そんな深刻な話に発展するとは完全予想外だった。
≪じゃあ、いつか! 結界とか全部解決して、そしたら竜の大陸行って、きみの名前を調べよう!≫
……登録されているのか、いまいち自信ないけど。
でも、当座の希望は必要だと思うの。それに万が一名前は判らなくても、お母さんの知り合いとか昔の友人が見つかるかもしれないし、きみに新たな竜の友達が出来るかもしれないし。
そしたら素敵な名前も付けてもらえるかもしれない。
名づけて『そうだ竜の大陸、行こう!』作戦。
戸籍の存在にあんまり責任持てないので、私がいろいろ付け加えると、竜は楽しそうに笑いだした。
≪じゃあねぇ、まずはきみが付けてくれるとうれしいな、名前≫
竜の個体名といえば、かの有名なパフ・ザ・ドラゴンなんだよねぇ。おじいちゃんと手拍子しながらノリノリで歌った、マジック・ドラゴンの陽気な節が頭の中をぐるぐるリフレインする。
うーん。Puffでしょ、ということはPuffy。パフィ、フィ……Fio、かな。英語式にOをフィオゥと読むか……いや、やっぱり本場のイタリア読みでいこう。
≪提案なんだけど、愛称がね――≫
「フィオ」
≪そして、正式名称が――≫
「アルフィオ」
≪というのは、いかが?≫
イタリア語で『花』を意味するフィオーレ、略してフィオ。そしてアルフィオは『白』。鱗の色、穢れなき浄化の色。
――幾千もの花が天から降り注ぐように、祝福された日々をこの白い竜に。
≪お花で、白色? ふふっ、とってもとってもきれ~い≫
竜が自分の名前をぶつぶつ唱えているのが念話で聴こえてきた。本人も気に入ってくれたみたいで何より。
≪ではフィオさん、改めてよろしくお願いいたしましてよ≫
≪はい。芽芽さん、ミーシュカさん、改めてよろしくお願いいたします≫
三人で向かい合って握手。フィオの爪は鋭いので、ミーシュカと私が優しく軽く触れたままで、にぎにぎにぎ。
別世界だとか、魔法だとか、豚と解らん展開なのだけど。
ドラゴンと友だちになれたので人生オールオッケーとしよう。
※ロシア語の「ミハイール・ミハイロヴィチ」は、「ミカエルの息子のミカエル」という意味。大天使ミカエルが大元なので「天使の名前」。
「ミーシュカ」は、ミハイールの愛称なだけでなく、『子熊』という意味もあります。なので、芽芽的に「くまぐましている」のではないかと思われます、多分。
※少しも、という意味の「頓と」を、「豚と」と誤変換するのは芽芽語です。生き物好きなので。




