40.藤ゆりの宿に泊まる
≪芽芽、芽芽! 夕食の時間よ、宿の女がドアの外に来てるの。起きてっ≫
カチューシャが鼻で私の顎をぐいぐい押し上げてくる。フィオや爺様も念話で思いっきし大声を出してくる。
目を開けると、部屋がすっかり暗くなっていた。
ぼんやりした頭のまま、無理矢理疲れた体を起こす。
≪早くその外套、ちゃんと着なさい!≫
あ、お布団代わりに上に掛けてくれてたのね。ありが――。
≪すぐ風邪ひくって自己申告した軟弱者は誰よ、牙娘≫
――プチむか。着ますよ、着りゃいいんでしょ。私は緑頭巾コートに袖を通し、フィオがドアの陰に隠れるのを確認してから、扉の鍵をガチャリと開けた。
「あらぁ、寝ちゃってたのね。ごめんなさい」
ふるふるふる、と首を振る。なぜバレたのだろう……あ、明かりが点いてないからか。
「もうそろそろお夕食のご提供時間が終わるのだけど、下に来れます?」
こくこくこく。
「じゃあ、一階でご用意しますね」
「アリガト」
女将さんにぺこりとお辞儀をして、いったん扉を閉める。壁伝いに足を動かし、木彫りの団栗スイッチを見つけるとぐっと押した。
やっと明るくなった天井の下でベッドに戻り、熊のぬいぐるみを首に引っ掛ける。
隣に放り出していた部屋の鍵は、花の形をしていた。握った部分が茎で、頭の部分は満開の蒲公英だ。花びらを一枚一枚、丁寧に彫り込んである。
鍵は土の精霊の領域ってことかな。
――あ、そっか結界だ。霊山の結界破りも黄色い『土の指輪』を使ったんだった。
街壁の鍵も、留め金に引っ掛ける部分は、蒲公英の輪郭だけ雑に模したものだったらしいし。
≪これも生活魔道具?≫
≪いや、単なる鍵じゃ≫
水道の蛙口と明かりスイッチの団栗は生活魔道具。でも窓の楓葉型の取手は違う。雨戸の落し猿と上げ猿を動かす茸の取手は生活魔道具。
うーん、線引きが判らない。
≪しかし魔導士の部屋の鍵なら見習い用でも狭義の魔道具じゃな。窓の取っ手まで狭義の魔道具にするのは中級以上かの≫
……深く考えるのはよそう。とにかく使い方が解ればいいのだ。
爺様と一階に降りて行くと――おや、私一人だよ。他にお客さんがいない。隅っこのテーブルを選んで座っていると、紫ホクロの美魔女さんがパン篭を持って来てくれた。長年の癖なのか、一つ一つの仕草が色気ダダ漏れである。
「お飲み物はどうしましょう?」
よくわかりまセンザンコウ。丸まる代わりに、小首を傾げませう。
イエス・ノーで答えられる質問でお願いします。
「お酒?」
ふるふるふる。アルコール分解成分、あんまりないので危険です。
「果実炭酸水? お茶?」
「オチャ」
疲れているせいか炭酸水に非常に心惹かれたが、発音をリピートする自信がない。オルラさん家で習得した単語のほうを声に出した。
そして早速、トゥーハルさんから貰った皮ケースをテーブルの上に載せる。皮紐を解いて、ゆっくり中を広げた。
私専用のカトラリーセットなのだ。皮部分はすべて私のコートと同じ緑色なのだ。
木製のカトラリーも、精霊の眷属の勢揃いした彫刻がとっても可愛い。
スプーンやナイフを握ったり眺めたりしていたら、飲み物が出てきた。なんだかんだ言って連日連夜温かいものにありつける、このありがたさ。しかも記念すべき初宿だよ。
今夜も両手を合わせて心の中で諸々感謝して、お茶の入った陶器のコップを上に掲げる。繊細な紫の百合の絵が描いてあった。テーブルには一人ぼっちだけれど、「セイレニ」と呟いておく。
葡萄ジュースみたいな濃い紫色。オルラさん家の香ばしいお茶と違って、ほんのり甘酸っぱい。
「まずはこちら。カボチャのポタージュです」
お店仕様だからか、ずいぶんとお上品だ。
紫カボチャと葱っぽいのをきちんと磨り潰して、上には紫大蒜チップが四つ。精霊四色じゃないけど、精霊十字に散らしてあった。
≪ウーナさん特製のパイやスープの飾りとは違うね。だって大蒜スライスを炒めたやつが、紫色だけで四枚だもん≫
≪そりゃそうじゃろ。この国では当然そうする。餞別の包み焼きはともかく、普段の食事でああするのは隣国の伝統じゃ≫
≪へ? 戦争をする予定の?≫
新情報に戸惑っていたら、女将さんが目の前で紫色のナツメグみたいな木の実を軽く摩り下し終わって、じっとこちらを窺っている。
リアクションを期待されているっぽいので、私は『おお! 美味しそう』というワクワク顔で木製スプーンの柄を握った。
≪爺様、ウーナさんはこの国のどっかの僻村出身だよ≫
≪家主側じゃ! あの夫婦は揃って、隣国訛りが残っておったからの≫
≪へっ? 敵国に潜り込んでいたってこと?!≫
≪いや。現代の隣国文化とも異なるから、大方、九年大戦の前後で亡命してきたクチじゃろう≫
訛りも伝統も文化も、私には違いなんて判らない。そもそも『九年大戦』って何よ。むーんと考え込んで、へにょっとアヒル口をしていたら、美魔女さんと目が合ってしまう。
「ええっと……お次は蝶牛と茸のパイ包み焼きです?」
慌てて、『あらまあ、豪華ですこと!』と目をキラキラさせる。『牛』の前に変な単語がついていたが気にしない、きっと人型生命体の食せる物なはずだ。
でもオルラさん家でも小食を貫いてたから、ちょっと胃にくるかも。あそこでは毎晩、フィオ用の果物を部屋に持ち帰らせてもらっていたからね。食事時のお代わりまで私がねだるわけにはいかなかったのだ。
付け合わせの焼き野菜は、一つは『人参』と脳内翻訳されたけど、残りは爺様に何回確かめても『**』となって聴こえなかった。味は違うのに人参も含めてどれも紫色。こっちの世界だけにある野菜っぽい。
バスケットに盛られた楓葉型のフォッカチャみたいなのと蝶々型のグリッシーニもどきは、勿体ないのでこっそり巾着袋に入れる。やっぱり紫色だ。
「デザートは無花果と胡桃のタルトです。底には黴チーズとタイムの秋紫ソースが敷き詰めてありますの」
『秋紫』って何。爺様に尋ねたいけど、お腹が限界。あと少しでも食べたら、夜中に腹痛起こす。
私は藤色のお皿を軽く持ち上げ、天井を指さした。部屋に持っていっちゃダメ?
「お部屋に? 別に構いませんわ。お皿を明日の朝食時に持って降りてくださいな」
「アリガト」
ぺこりとお辞儀して、使ったカトラリーをテーブルの端に置いてあった大きな葉っぱで拭う。収納ケースに戻したら、パンや愛熊も抱え、のろのろと階段を上がった。
****************
そして翌朝。すっかり日が昇りきった部屋で目が覚める。水筒のコップに地中の水を満たし、火の魔法でしばらく沸騰させておいた。
冷めるのを待つ間は、雑貨屋さんでオルラさんと一緒に選んだ歯ブラシと歯磨き粉で歯を磨く。こちらは粉で磨くのが主流らしい。主成分は塩と精霊四色の何かの細かい粒。香り的にクローブに近いんじゃないかと思う。
異世界転移させられてからは、濡らしたタオルを指に巻いて歯をこすってたから、歯ブラシがあると本当に便利。
二つの魔法指輪で作った白湯には、『柑橘粉』という酸っぱくなる粉末とエトロゥマさんお手製の松葉蜜を数滴入れて、ちびちび飲んだ。
爺様たちに正午を過ぎているのか確かめると、まだ午前中。
勉強がてら国全体の地図を広げることにする。
≪カチューシャ、青い馬の連峰ってどこからだった?≫
完璧に地図を読みこなしているサモエド犬が、爪先で地図の上のほうをちょんちょんと叩く。図書館に行った日の夜にトゥーハルさんから軽く説明してもらったけれど、一日置くと記憶が曖昧だ。
山なのか森なのか、この国ってば針葉樹があちこちに描かれているんだもん。大人向けの地図にすべきだったかな。
≪ここまでが山脈?≫
私は針葉樹を三角に並べて山を表現したらしき上をなぞって確認する。樹が集まって輪になっているのは森らしい。
≪そう。で修験場がこの辺り≫
王都がここで、今いる街がここで……。
≪この運河に沿った大きな道が穀物街道?≫
≪そう≫
≪そいで馬車だと青い馬の連峰まで何日?≫
≪…………≫
もしもーし? カチューシャ姐さんよ。正確な日数でなくていいのだよ、大体でいいのだよ。
トゥーハルさんに訊いておくんだった。しきりに「行ったことがないから判らないけど」って前置きされるから、こちらも遠慮してしまったのが悔やまれる。
あ。そっか、馬車に乗る直前にもう一度質問すれば良かったのだ。そしたらトゥーハルさんが機転を利かせて、馬車の人に確かめてくれただろうに。
いろいろと考えているつもりで、どこか抜けている。やっぱり疲れているのかな、私。
仕方ない。この地方の地図も隣に広げてみますか。
ふたたび話し始めたカチューシャによると、王都はここメリアルサーレよりも下のほう、南西にある。王都の中では最西端、いかにもお城って絵が王宮で。反対側の東端にある長方形の建物が神殿。
霊山は神殿の背後に描かれた山の部分なのね。ふーん、私たちって、霊山の裏側から斜め奥のこの街に抜けたことになるんだわ。
だから兵士がほとんどいなかったのかな。
青い馬の連峰まで載っている国全体の地図でみたら、私の今日までの移動距離、小っちゃ!
霊山の中は蛇行しながら下りたからあんまり参考にならなさそう。とりあえず最初の街からオルラさん家のあるティアルサーレまでの距離の何倍になるかで考えると……計算するのがバカらしくなってきた。
連峰、めっちゃ遠いやん!
≪騎竜なら全速力出せば王都から一日と少しで到達する距離よ≫
その速度、私絶対に生きて辿り着いてないから。
あれ、そういえば二人とも竜に乗れないのに、どうやって移動してたの?
≪ワシか? 飛べるからな。転移も出来るぞ≫
おおう、タケコプター&どこでもドアっすか。『しがない教師』の魔術すげーな。金貨を遺跡に仕込んでるし。
その遺跡の地図上の場所を訊ねたら、二人に≪秘密≫って即答された。
これはアレだ。絶対、そこにまだ何か隠してるのね。別に勝手に盗りに行ったりしないよ。まったくもう。
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