35.雨で待機する (5日目)
※芽芽視点に戻ります。
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四日ぶりのお布団は極楽だった。
四方が壁で覆われて、屋根まである。そのうえ、暖炉もある。お手洗いもすぐ傍にあって、蛇口ならぬ蛙口からはお湯まで出てくる。服も洗って干せる。
数日前までごく普通のごく当たり前だった一つひとつが、骨身に沁みてありがたい。
枕の傍に、いつもの小石を四つ置いて、守ってもらえるようにお願いした。日本のおじいちゃんが教えてくれた『夜が怖くならない魔法』だ。
≪まじないよりも、本物の魔術を学べ! ただの石コロではなく、魔石で結界を張るのじゃ≫
≪気持ちの問題だから、いーの!≫
爺様は本物の魔法使いのクセに、大事なことを解っていない。
魔術よりも新たに学んだ単語を練習しようと思い、手帳をベッドに持ち込んだところで寝落ちしてしまった。
朝起きたら天井照明は薄くなっていた。カチューシャが壁の木彫り団栗を押して調整してくれたらしい。良かった、人様のお家で灯りを無駄遣いするところだった。
≪ありがとう! 昨夜はご飯食べに行けなくて、本当に大丈夫だったの?≫
≪人間みたいにしょっちゅう食べないもの、平気よ≫
カチューシャが遠慮しているのかと思ったら、爺様曰くそういうものらしい。≪気にするな≫と言うので、とりあえずは様子見することにした。
フィオは昨日からリュックの中の果物をお腹が空いたときに勝手に漁っている。自分でごそごそと引っ張り出す姿がとても可愛い。
私と同じサイズになれば楽なのに、横着してミニミニサイズのままなのだ。時々失敗して林檎や梨と一緒にゴロンと転がってしまう。
お水は姫部屋にあったお椀を借りて、フィオがいつでも飲めるように溜めてある。カチューシャは飲まないけれど、家の人には犬用に置いていると思ってもらえるだろう。
まだ雨戸は閉めたまま。雨風がかなりの強度で打ちつけてくる。
他の三人によると夜中には雷もゴロゴロ鳴るわガンガン落ちるわ、そりゃもう何年もお目にかかったことのない特大級の嵐となったようだ。
あれでよく寝れたな、と爺様とカチューシャが呆れて笑う。
≪だって疲れてたんだもん。私は昨日オルラさんたちに出会えてラッキーだったけど、この地方の人たちには嵐で災難だったね≫
≪何を言う。秋の大雷は田畑を豊かにするのじゃ、皆が喜んでおるじゃろうよ≫
爺様の声も心なしか明るい。ここ数年は夏も冷えて、秋は中途半端な小雨が続き、不作続きだったそうだ。
野菜や果物の値段が高いと私が感じたのも、それが原因かもしれない。雪だってかなり積もって、魔獣が街壁を越えてくるのだ。
嵐が吉事だとしても、現地の人ですら困る天候不順が次から次に起こっていると知れば、不安の波が押し寄せてくる。
深呼吸して背筋を正した。四つの柱の方向へ順に向かって、上の方々に感謝のお祈りをしておく。私の真似をしたフィオが、紅葉のような小っちゃな手を合わせようとするのが可愛い。
ついでにこの街とこの家を守護している方々にも心の中でご挨拶。もし誰も聞き届けてくれなくても、おまじないの小石と一緒。一日の最初と最後に気持ちを整えることが大切なのだ。
フィオを見ると、目を閉じたままぺこりんちょと頭を動かして、またひっくり返りそうになったので、両手で受け止めた。
お泊まりの基本、お行儀よくベッドメイキングしてから、緑頭巾コートを羽織って爺様とカチューシャと一階に向かう。
フィオを連れて行けないのは淋しいけれど、荷物係という重要な役割をお願いしている。しっかり見張っててね、と頼むと、うれしそうに頷いてくれた。
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「おはよう」
先に台所にいた娘さんが隣の椅子を促してくれる。数リットルは入りそうな大きなガラス瓶がテーブルの上に沢山並んでいた。
「オ……ハウ?」
「お・は・よ・う」
そう言ったんだけどな。皆に訂正されながら挨拶して、二周したところで合格点が頂けた。
今日は水の日。
水色のほろ苦いお茶を飲みながら、冬に向けての保存食をいろいろ作る。瓶の中に切った青い野菜とハーブを交互に詰めるのだ。最後に柔らかい葉っぱで口を閉じて、蜜蝋みたいなのを薄く伸ばして蓋代わりにしたら完成。
ブランチは、お手伝いのウーナさん特製『蛙パンケーキ』。フランス料理でたまに食べたから別に全然平気だもん、と覚悟を決めていたら、こちらでは蛙肉自体は材料に入れないらしい。
ただ単に、蛙模様の焼き型をしているだけなんだって。
≪精霊の眷属を火炙りにするヤツがおるか!≫
と熊爺様がキレていらっしゃるが、青い茸は食べるじゃないか。同じ水の精霊の象徴で、同じ命なのに、変なの。
水色の生地を、蛙の顔の輪郭を縁取ったホットサンドメーカーもどきに流し込んで焼く。ちゃんと目の部分も焦がして表現してあった。眷属の形自体は食べても不敬じゃないのだろうか、謎の感性だ。
お皿とカトラリーは紺色。薄い水色の暖かいお茶には、またもやサフランの乾燥雌しべみたいな欠片が数本入っている。月下美人の代用品だ、青いけど。ねっとりヨーグルトも出された、水色だけど。
「昨夜は数えきれないくらいの雷を落としてくださったもの。今日は青づくしで水の精霊にうんと感謝しなきゃねぇ――さぁさ、皆も、精霊に」
瑠璃色のワンピースを着た小柄のエトロゥマさんが、満面の笑顔でティーカップを掲げた。昨日より口数がずっと多くて、元気一杯。白髪のスプーンおばさんみたい。
「セイレ、ニ」
言葉を発するチャンスだ。すぐに私も真似をする。そしてオルラさんに訂正される。昨夜も練習したから、三回で合格が出た。
ヨーグルトにはハーブ入り青マルメロのマーマレード、パンケーキは昨日作ったスパイス入り青豆ジャムを加えて食べると、たいへん美味しい。
「オチャ、ヨーグルト、パンケーキ、ジャム」
食後は紺色の香ばしい野草茶を飲みながら、「コレハナニ」攻撃で教えてもらった単語をおさらいする。皮のスライスが入っていても、マーマレードじゃなくて、『ジャム』と呼ぶらしい。
赤髭モップのトゥーハルさんが、手元の木を掘りながら発音を直してくれる。木工細工が趣味で、家具や小道具もほとんどが手作りか、買ってきたものに彫刻を施してアレンジしたものだそう。
見た目、ヴァイキング海賊の親分みたいなのっそりした巨体なのに、すごく手先が細かい。今はティースプーンみたいな小さな棒を彫っている。
「ワタシ、オチャ、タベル。ワタ、パーンケキ、タベル。ワタタ――」
手帳に書いた主語や基本動詞を付け加えていく。こちらも昨日、皆に読み方を教えてもらったものだ。
混乱するので、格変化や時制は今のところ保留。まずは各言語の初級編で登場するような、最低限の語彙を吸収せねば。
「メメ、お茶は『飲む』よ。お茶・飲む」
エトロゥマさんが訂正してくれる。私は笑顔で頷いて、感謝をこめて言い直した。
これね、大事。
ムッとした顔をしたり、指摘をスルーしたら、次からは間違えても敢えて教えようとはしてくれない。語学学習にプライドと羞恥心は百害あって一利なしなのだ。
「図書館に行きたいのよね?」
オルラさんが確認してくるので、熱心に首肯する。
「うーん、明日以降になりそうよ。特に秋の初めは、長雨続きなのよね」
そうなのか、と肩を落とす。
≪洪水被害も例年頻発するぞ≫
爺様が補足してくれる。『秋は小雨続き』じゃなかったんかい。
昔は秋の終わりまで、ときおり大嵐で雷がどーんと落ちて、からっと秋晴れになるの繰り返し。おかげで収穫には影響がなかった。
今じゃ雨がしとしと連日しつこく続いて、痩せた土壌が塵積で洪水になって、冬になるかなり前から雪に変わっていくのだそう。
……私、やっぱり馬車移動しないと無理だ。どよーんと落ち込む。
「でも悪いことばっかりじゃないわ。森の中の血も足跡も洗い流されるから」
エトロゥマさんが慰めてくれた。
テーブルの向こうでは、トゥーハルさんが昨日のことを思い出したのか、手元の彫刻刀を止め、厳しい顔をする。
「あの二人は、隣街の領主の息子とこの街の領主の息子だ。つるんでは方々で悪さをするが、毎回無罪放免ときた。なぜあんなのを精霊様は野放しにしているんだと皆が恨んだよ。……泣かされた女も多い」
親の権力を笠に着て弱者を虐げていたらしい。トゥーハルさんは吐き捨てるように語っていたから、『泣かされた』は婉曲表現なのだろう。
爺ペディアによると、『精霊様』は実在している存在ではなく、こちらの世界での「神様」的な言い回し。つまり天罰を皆が願っていたという意味だ。
「前から出来るだけ関わらないようにしてきたんだけど……あれは待ち伏せされてたのかも。森に少し入ってから急に囲まれて、入り口に戻ることも出来なかったのだもの。
メメはアタシが犠牲者の列に加わることを防いでくれたんだから、精霊様のお遣いだわ。いつまでだってこの家に居ていいのよ」
オルラさんが私の手を握って、それはもう優しい申し出をしてくれる。雨が降っているときに家の中に居させてもらえるだけでありがたいのに。
本当はうんと甘えたい。
無国籍ホームレスの私には、精霊様だけでなく、生きた人間の保護者が必要だ。お金だけあったって生活は出来ない。身分証や人のツテだのコネだのなければ、仕事にも就けないし、家も借りられない。
たとえ野宿で頑張っても、文化も言葉もロクに理解していない人間が、何もないまま新しい土地に長期滞在すれば怪しまれる。
「……アオイウマ……」
しゅんと項垂れ、目的地の名前を絞り出す。泣きそうな声になってしまった。
この人たちに全部打ち明けて助けてもらうという案は、昨日から爺様やカチューシャが強固に反対している。
オルラのお姉さんが問題を起こして左遷されたのなら、家族からの連絡も上司が検閲しているだろうし、不審な動きがないか見張られている。そして竜騎士の上層部に情報が流れると、魔導士にまで知られる可能性が非常に高い。
そのくらいなら、王都にすぐ戻って神殿の宝珠を奪うことを考えろと。それで魔導士たちに対抗しろと言うが、そっちのほうがよっぽど危険極まりない。
森の中で襲われかけたとき、恐怖で身体がすくんで何も出来なかった。もっと賢く対処する方法だってあっただろうに、脳みそも正常に働いていなかった。
ここ数日で素早く点火したり、風の壁を長く維持できるようになったと悦に入っていたけれど、咄嗟に魔法で攻撃や防御をするなんて今すぐにはとても無理だ。第一、フィオの奴隷契約解除が後回しになってしまう。
かといって、神殿のこともフィオのことも何もせず、王都の近くでただ匿ってもらうだけじゃ戦争は回避できないし、戦争になったらフィオは力ずくで呼び戻されてしまう。
――時間がない。
街の権力者に逆らえない一般市民を、国家レベルの腐敗に巻き込むのは酷だ。オルラさん一家に対しては、すでに強姦魔の行方不明事件で警察に名乗り出ない、という難しい立場に追い込んでいる。
黙っているというのは、それだけで結構しんどいことではないだろうか。
「ゴメ、ナサ……」
昨夜教えてもらった謝罪の言葉を、ありったけの気持ちをこめて言う。そして「アリガト」と精一杯のお辞儀を一人一人にする。
これ以上優しくされると、この人たちの許容範囲を越えた助けを求めてしまいそう。
カチューシャを連れて玄関の外に出た。今は小雨。普通の犬なら必要になるトイレのフリだ。
≪もう少しだけ滞在して、王都に戻る手もあるわよ≫
≪駄目。フィオの奴隷契約を解除するの、一日も早く≫
二人で軒下に佇む。玄関の外のポーチは小さな温室状態で囲ってあり、庭に出るにはもう一つ扉があった。やはり豪雪地帯なのだ。
≪僧侶が同意するかどうか判らないじゃない≫
≪それでも上級魔導士レベルなんでしょ? 万が一、神殿に気づかれて巻き込んじゃったとしても、自分の身を守れる人たちだよ≫
人は簡単に死んでしまう。昨日みたいに。
でもこの家の人には、死ぬその日まで笑顔でいてほしい。
私と関わると危険なの、なぞとヒロインぶりっ子するつもりはないけれど、実際このままだと火の粉はかかると思うから。
≪雨が止んだら、出発する≫
よし、と気合を入れて、風の吹きすさぶ灰色の空を睨んだ。
――私は強い。フィオを守る、絶対に。
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