★ 契約獣:一陽来復(いちようらいふく)
※契約獣カチューシャの視点です。
不良に襲われた日の朝まで数時間、巻き戻ります。
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朝焼けの街で初めての買い物を済ませ、再び森の中の旧街道に戻った。野宿して、夜が明けても、相変わらず魔獣の気配が四方八方からする。
威嚇がてら時時睨みつけるけれど、彼らはわたしを見ていない。ただ、芽芽をじっと見守っている。
そして芽芽がどれだけ無用心に隙を見せようと、不思議と襲われることがない。古代竜やわたしの気配に怖気づいているというより、彼女が敵認定されないのだ。
同じく魔核を抱える身だもの。理由は解る。
だだ漏れの魔力が余りにも異質なせい。
冬の間、恋い焦がれた春の陽気のような優しさ。
自分たちをありのままで受け入れてくれる安心感。
そして見返りを求めない慈愛の光。
芽芽がいると、乾ききった体内の魔核が不思議と満たされていく。何故だろう、見ているだけで幸せな気持ちになるなんて……嫌になる。
≪お~、蜘蛛がでかい! しかも毛むくじゃら≫
何も知らない芽芽は、道端の岩に身を乗り出し、爪先立ちで向こうを覗こうとする。人形を岩のてっぺんに坐らせ、小竜を手招きして、楽しそうに大人の両手ほどはありそうな土蜘蛛を観察しはじめた。
こうなるとしばらくは動かない。本人的には多少は距離を保っているつもりらしいけれど、相手は魔蟲よ。ひとっ飛びで攻撃される位置なのだってば。
≪芽芽! もっと離れぬかっ。あれは毒持ちの魔蟲じゃっ≫
グウェンフォールがいちいち騒いでいる。折角見つけた聖女候補。早朝から貨幣だの、文字だのとこちらの常識を習得させようとしたり、不用心を説教したり、長年溜め込んだ焦りが暴走中だ。
≪えー、でも可愛いよ?≫
≪可愛いことがあるかっ。ゲテモノ類ぞ!≫
≪失敬な。爺様はちゃんと見てないからだよ。ほら、あの沢山の目、すっごく円らで、きらきらしているよ? 毛もね、きっとふわふわだね。触りたいなぁ≫
≪触るでないわ! 殺されるぞ!≫
≪歩き方も可愛いねぇ≫
うっとりと魅了されているのが、もう意味解らない。芽芽の元の世界って、どれだけ荒んでいるのかしら。きっと気色悪い生命体で埋め尽くされて、感覚が麻痺しているのだわ。
≪名前付けたら、お友達になってくれるかな?≫
≪くれてたまるかーっ≫
グウェンフォールの絶叫が脳裏にこだました。
≪煩い!≫
芽芽には聴こえない、秘密の念話で魔術馬鹿を叱り飛ばす。とはいえ、魑魅魍魎をぞろぞろ引き連れて登場させる訣にはいかないってのは解るわ。
誰が聖女だと信じるのよ、そんなの。
横を見ると、牙娘が去っていく蜘蛛に手を振っていた。
≪ねぇ、芽芽。わたしが外見を指定しなかったら、どういう姿に変えるつもりだったの?≫
ふと一抹の不安が過ぎった。
≪え? 変えるって、結界出たときのこと? うーん……≫
花刺繍の外套を着た娘が真剣に考え込む。
≪なんだろう。雰囲気的には、白い……へび?≫
思わず尻尾で脳内お花畑の足元を叩いてやった。蛇って!
≪でも白蛇って神様のお使いだよ? 触り心地良さそうだし、首とかにこう、巻いてみたいよね。あ、でも白くなくても蛇は美しいと思う。何色がいいかな≫
わくわくと目を輝かせる要素がどこに転がっているのか全く解らない。
……俊足自慢のわたしが、足の一本もない蛇にされるところだったのかと思うと、普通に泣けてくるわ。どーやって毛繕いするのよ。
≪止めろ……頼むから止めろ……これでは、神殿を門前払いされる……国民が納得せん≫
グウェンフォールが熱に魘されたような呟きをこっそり寄越してきた。
≪あ、芋虫さん!≫
芽芽がまた小走りになる。低木の上にかなり太めの幼蟲が鎮座していた。
≪フィオ見て。色がすっごくキレイ!≫
薄緑の全身には、両脇に一つの線を描くように小さな真紅の班点が並んでいる。何本もある足元は黒丸で囲んだ黄色い点が一つずつ。芽芽の中指を二本繋げた長さだから、近づかなくてもはっきり見える。
……ねぇ、まずはその大きさに怯えない? ほんと、どんな世界で育ったのよ。
≪大きくなったら何になるのかなぁ?≫
……さらに大きくする気なの! って、余裕でなるけどさ、そいつ。
≪この葉っぱが好きなんだねぇ≫
≪私、餌あげたいな≫
竜と娘は無邪気に会話していた。だから今、秋よ。この時期に樹上で幼蟲でいられるのは、魔蟲でしょーがっ。ああもう、どうしてこんなに常識が欠如しているの。
≪魔蟲は餌付けしちゃ駄目!≫
≪……あ、そっか。野生を失って、飼うことになっちゃうからだね≫
ちょっとチガウ。そもそも魔蟲を飼う発想は普通の人間にないから。
≪でも乗っかっている葉っぱは、私がいてもいなくても食べてるやつだよね?≫
≪そうだけど……≫
まん丸な目が、期待に満ち溢れている。こっちが注意しても、何とか仲良くなろうと画策してるでしょ。
≪あ、食べてくれる~≫
芽芽が隣りの枝を少し引き寄せ、魔蟲の口元に近づけた。何も考えずにむしゃむしゃと口元を動かす様に無性に腹が立つ。人間からなんて、食べるな!
≪あのさ……ふよふよで、すっごく触り心地良さそうなんだけど……ちょこっとなでたら、芋虫さん怒る?≫
グウェンフォールが説教を再開する前に、外套を引っ張って魔蟲から離した。何故もぞもぞと不気味に動く生き物を触りたいのか、激しく理解に苦しむわ。
≪あんた、家族は? 心配してないの?≫
こんな時に訊くべきか迷ったけれど、話を変えるためよ。魔法陣を描いた緑の外套なしでも十分幼く見える芽芽。少しも家を恋しがらないのが、ずっと引っ掛かっていた。
≪うーん。本気で心配してくれる家族は……もう、死んじゃったからねぇ≫
≪じゃあ天涯孤独ってやつ?≫
それなら遠慮しなくてもいいかしら。召還魔術も存在するとは聞いているけど。
敢えて荒廃した元の世界へ送り戻さなくたっていいわよね? 魔樹も魔獣もいないのに、男装して警戒しないといけない監獄のような世界なんでしょ。
しかも、人間なら誰でも彫っている入れ墨が全くないのだもの。芽芽が着替えたときに驚愕したわ。これって、大陸の北側では確実に重犯罪者って意味なのだけれど……もしかして、元の世界で逃亡生活でもしていたのかしら。
≪一人っ子だから兄弟はいないけど、両親は健在だよ?≫
話がおかしいわ。唯一の子どもが失踪したら、両親が真っ先に心配するものでしょうが。芽芽はパン一つ盗みたがらないお人好しだし、兇悪犯には見えないわ。
≪親と喧嘩別れでもしたの?≫
だとしたら、生まれた頃辺りからの長期戦よね。だって普通、子どもに入れ墨もしないなんて、親として有り得ないじゃない。
≪あはは。喧嘩かぁ……しても肩透かしくらうだけだから、無理。何年一緒に住んでても、私のこと、自分たちと同じ人間だって識別してくれないから≫
≪種族が違うの!?≫
≪まぁなんていうか……私は『変わり者』? 黙って大人しく従わないからイライラするみたい。もう最近は、お互い不干渉≫
≪一体何やったのよ≫
≪んとね、『ちゃんと私のことを見て』って、『もっと一緒にいて』って、要求した≫
……それは、普通のことよね? さっきから話が変。まさか児童奴隷とか……ううん、だとしたら、やっぱり入れ墨をする筈。芽芽の親は、どうして娘をそこまで厭うのかしら。一族総出で可愛がりそうな魔力の量なのに。
≪そういうの、煩わしいと思う人間もいるんだよ、結構、大勢≫
芽芽が何かを思い出したのか、苦笑してみせる。長い睫毛の下で、瞳が翳った。
≪世の中にはさ、表面だけ問題がなさそうに見えてたら、本質はどうでもいいって人がいるの。当り障りのない会話で、適当な受け答えで、それ以上深い関わりは家族にも求めていない人たち≫
子どもの入れ墨は流石にさせるだろうけど、そういう連中はヴァーレッフェでも腐るほど見てきた。
何を言っても響かない。心にぽっかり穴の空いた人形。自分からは奪うだけで、何も与えようとしない寄生蟲。
≪前は、せっかく生まれたのにそんなの虚しいよ淋しいよ、こっち見てよって訴えてたんだけどさ。……図星って言えば言うほど、向こうが殻に閉じこもっちゃうから≫
芽芽がふう、と大きく溜め息を吐く。
≪だから今度は自分が変わったら、世界も変わるかなって一生懸命頑張って――≫
≪――変わったの?≫
≪ううん。両親は相変わらず。だって、わざわざ変わりたいって思ってないんだもん、本人が≫
あはは、と自虐的な笑いを芽芽が零した。改心すれば、せめて子どもの入れ墨代くらいケチらないでしょうし――全くもってロクな親じゃないわね。
≪本気で幸せを望んでいない人間に、愛情を要求しても意味が通じないでしょ。ずーっと片思いで虚しいだけ。だから、期待するのは止めたの。
だから……独りだよ、私は≫
それからふと首元に目を遣り、≪あ、ミーシュカと二人だ≫と人形の頭を撫でながら訂正した。
≪そいで、今はフィオと、カチューシャと、爺様だから五人だ!≫
≪うん。みんな一緒だねっ、五人家族だねっ≫
深刻な話にどう入っていいのか解らず、一歩後ろでおろおろしていた小竜が嬉しそうに答える。
グウェンフォールとわたしは、どう返してよいのか迷ったまま、無言だった。
これまで向こうの世界の話は、死んだ祖父のことばかり。
今まで一度だってこの世界は嫌だ、帰りたいとぐずることもなかった。
嗚呼そうか。緑の外套を脱いでも幼げな顔立ちなのに、纏う空気が酷く老成しているのは、もう泣くことを止めたから。子どもらしく愛情を求めて、沢山泣いて、そしてそれでも手に入らないものが存在することを理解して。
――だからこの娘は、元の世界に執着していないのね。ううん、生きること自体に執着していない。
ちょっと本格的に厄介な相手かもしれない。わたしは心の中でこっそり溜め息を吐いた。
出会ってすぐ、なんで躊躇いもせずに契約獣になったのか。わたしの力なら縛られないから、居場所が判るからなんて、ただの言い訣。
きっとわたしが嗅ぎ取ったのは、孤独という現実を選び獲れる芽芽の強さだ。
狐としての寿命を遥かに超え、群れで異端視されて孤立し、彷徨っているところを魔導士のシャンレイと出会った。
彼の心はわたしと同じくらいに弱かった。薬草さえ手に入れたら、無慈悲な母親に愛してもらえるって自分を欺いた。敵と戦う度に、死にたくないと怯えていた。
グウェンフォールまで何代も従魔契約をしてみたけれど、どの魔導士もこの世の何かに魔術の限りを尽くして執着した。
どれだけわたしが要求に従おうと、とめどない焦燥感と飽くなき慾望が契約で繋がったこっちにまで流れ込んでくる。
本当に皆、世界の上っ面しか見ていない。そしてその上っ面ごときに、いとも容易く心を掻き乱されている。
でもこの娘は知っているのだ。必死に足掻いて、全てを諦め手放した先の境地を。
きっとそれは、周囲の世界がごっそり変わろうとも、微動だにしない。薄汚れた泥水の中から真っ直ぐ顔を出し、凛と咲くという伝説の太陽花のように。
芽芽が向こうに横たわる古い木を指差し、あそこに腰掛けて残りの果物を食べようと緑色の小竜を誘っている。その笑顔が眩しかった。
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