31.お家に行く
ずっと背中をさすってもらい、やっと落ちついてきた。とりあえず感謝のお辞儀をせねば。
「アリ、ガト……」
≪気にするなって言ってる。それよりも遅くなってごめんねって≫
カチューシャの通訳に首を横に振った。見捨てずに戻ってきてくれて、うれしい。
すぐ近くにあったリュックの内ポケットからアルファベット棒と爺様手帳、鉛筆を取り出す。
カチューシャがリュックの蓋を被せてくれたから、娘さんにフィオは見えていないと思うけれど、念のために蓋部分のベルトもしっかり締めておく。
そして砂利道まで、なんとか赤髪の美人さんに手伝ってもらって移動する。
アルファベット棒を三段に並べて、カチューシャに何段目の何本目か教えてもらいながら、手帳に文字を綴るのだ。
この人たちの優しさに縋ってみることにした。『警察』『知らせる』『絶対』『駄目』『お願い』と書く。
それからも娘さんと筆記とジェスチャーでやりとりしていると、その間に筋骨隆々な父親が来た道を戻ろうとしているではないか。『警察』の文字を指して、怯えた顔で首を何度も横に振ったら、死体を処理するためだから、と宥めてくれる。
ドキドキしながら待っていると、ふたたび地響きボールを鳴らしながら手押し車を持ってきた。台の部分は木製だけど、しなびた赤色の車輪はゴムみたいな弾力がある。
娘さんが何か言いながら私を引っ張り起こしてくれて、今度はきちんと立てた。腰は抜けてなかったのかな、結局。身体が硬直していただけかもしれない。
殺されかけたことも、殺される場面を目撃することも初めてだったから、まだいろんなことが混乱している。つい先ほどのことなのに、よく思い出せなくなってきた。
風の幕を張ってからリュックを持ち上げ、隠れていた場所に置いたままの爺様の斜め掛け袋も回収して、熊を首にぶら下げる。
≪その、なんじゃ。大丈夫か≫
≪……うん≫
静かに答えて、娘さんの所に戻る。お辞儀をして歩きだそうとすると、引き留められた。あ、そっか。死体の片づけを手伝わなきゃ。
≪そうじゃなくて。行く当てはあるのかって≫
カチューシャが通訳してくれるが、どう答えてよいのやら。一応、青い馬の連峰は目指しているけど行き方もはっきりしてないし……ちょっと首を傾げておいた。
≪この国の人間かって≫
ふるふるふる。
≪帝国か隣国の人間かって≫
ふるふるふる。
≪もっと遠くから来たのかって≫
こくこくこく。
≪近くに知り合いはって≫
ふるふるふる。
≪今日はウチに来いって言ってるわ。天気が怪しくなってきたし、妙案かも≫
おおう。本当にいいんですか! 私は期待のこもった瞳でうるうると娘さんを見つめる。
赤銅色の長い顎鬚をモップみたくびろろーんと蓄えたお父さんも「泊まっていけ」と言ってくれているらしい。頭部は逆にスポーツ刈りで生えたてピンピンの赤ヒヨコ状態。
軽くお辞儀をしてから、荷車へと急ぐ。
≪あんたの細腕じゃ無理だからいいって≫
む。死体を担ぐのはちょっと難しいかもしれないが、荷車は押せるよ、たぶん。
顔の表情と、荷車の取っ手をがしっと握ったので伝わったのか、赤ヒヨコモップのお父さんが苦笑した。私、頑張ります、と軽く力拳を作ってみせたら、吹き出された。ひ、ひどい!
荷車の横にきた娘さんも笑っている。二人共、そこまでウケなくてもいいじゃない。なんだろう緊張が緩んだからかな。私まで意味不明の笑いが湧き上がってくる。
≪芽芽!≫
カチューシャが急に前方へザッと動いた。お父さんの顔が強張り、腰元の内曲した鉈のような山刀に手をやる。娘さんも短い悲鳴を上げて、私を引き寄せた。
≪ななな何?!≫
≪――血の匂いを嗅ぎつけたのかしらね≫
娘さんの腕の中から覗くと、向こうの茂みから灰褐色の野犬がのっそりと出て来た。その数、三……五……後ろのほうにもいるみたいだ、十匹くらい、かな。
父親が腰のボールをガンガン鳴らしているけれど、あんまり気にしていない。ハスキー犬に似ているから下手すると狼かもしれない。
真面目そうなお顔で草を掻き分け、死体まで近づくと、数匹で噛みついてずるずると森の奥へ引っ張っていく。もう一つの死体も統率のとれた別の数匹が移動させた。
時々誰かが落としかけては踏ん張り、チームワークで頑張っている。
皆もふもふで、皆一生懸命で、なんだか可愛い。
≪このまま、あいつらが死体に気を取られているうちに逃げるぞって≫
カチューシャが父親の言葉も訳してくれたので、こくんと頷いた。そおっと刺激しないように静かに移動……は、無理だね。金属ボールがガラゴロガラゴロ。
辛子色ドレスの娘さんと私が荷車を押し、赤モップなお父さんが最後尾で、山刀を手前に構えながら砂利道を後ろへと下がっていく。白いサモエド犬は私のすぐ横だ。この中で一番の戦闘狂のクセに、あんまりピリピリしていない。
≪カチューシャ?≫
≪ま、良かったんじゃない。死体を捨てにいく手間がなくなって≫
≪私たちには、あんまり興味なさそうだったね≫
≪……そうね≫
なぜか溜め息をついてる。疲れたのかな。
森を出る手前で、女の人が急に立ち止まり、赤毛のお団子を頭のてっぺんでまとめ直した。確かに何事か起こったと判ってしまうザンバラ髪だもの。
あ、やっぱり長い前髪の右のひと房だけ薄黄色。面白い染め方だね。
針葉樹に囲まれた古代の旧街道を外れると、もう向こう側に家屋がまばらに建っているのが見える。森と街の間にある畑のための作業小屋らしい。
その奥にはやはり外壁で囲われた街がある。どの家壁も赤みを帯びているから、まだ同じ赤土の産地なのだろう。
でも昨日と違って、畑に数人の人間がいて作業している。草を刈ったものを熊手で集めていたり、山形にそれを積み上げていたり。誰もが一心不乱で、余所者が通過しても気に留める様子もなかった。
ガラゴロで余計な足音が掻き消されて、いつもどおり住民が森から戻ってきただけだと判断されたせいかもしれない。あるいは先ほどまでまばらだった雲が空を覆いはじめて、作業を急いでいるせいなのかもしれない。
≪ちらほらとだけど、街の外に人が出ているよ。前の場所とは違うね≫
≪ああ、そりゃ昨日は『水の精霊の日』じゃったからの≫
爺様の回答で、目をぱちくりさせた。精霊の日なんてあったんだ、と呟くと、当然のことのように≪満月になったではないか≫と返された。
えーと、満月イコール精霊という発想が私にはない。月は兎だ、餅つきだ。
≪おかしなことを言いおる奴じゃ。暦の由来としては、満月の日に精霊を祀った古代の名残かの。
週末は基本的に仕事が休みになる。まぁ現代ではそこまで厳粛に守っている訳ではないがな。街の中では市が立ったりするし、店も開けている所が多い≫
週末イコール休みっていう感覚は理解できた。つまり『精霊の日』は、こっちの週末なのね。
街壁の手前に到着すると、娘さんが道を挟んだ向こうの共同倉庫へ荷車を戻しにいった。
この街にも裏口があって、鉄鍵が扉の横に引っかけてあったけれど、やっぱり施錠されてない。犯罪率はそこまで高くないと思っていいのかな。
ガラゴロは結局、街壁をくぐって中に入るまでお父さんが腰にぶら下げていた。そして壁の内側にコートをかけるみたいにひょいと吊るす。
隣に置いてあったガラゴロたちは拳大か、手毬ほどの大きさが多かったから、特大級のを持って来てくれてたらしい。
どれも赤・黄・青・紫の編み込み紐が結んである。
≪昨日のお守りと同じ配色だね≫
街壁の鍵もそうだし、ウォンバットな靴屋さんのストラップもそうだし。もしかして四つの月の色だから? 月信仰ってことか。
≪逆じゃ。古代文明は基本、太陽信仰じゃったぞ。太陽に仕える精霊を、月に関連づけるようになったから、月も重視するようになったのじゃ。
古代後期、『精霊自身は、自分と同じ色の月光から力を取り込む』との解釈が市井に広まり、各精霊をそれぞれの満月の日に分けて祀るようになってな。それまで流派によって象徴の色が異なったのを、月を口実に統一したのよ。
以降は四つの月に則り、土が黄色・水が青・火が赤・風が紫、を象徴する≫
なるほど、それで『青い』満月は『水の』精霊の日なのか。
爺様によると、現在の大陸のこちら、つまり北側では太陽信仰が廃れ、精霊信仰が盛んらしい。南側はどちらかというと多神教。
古代王国の遥か後に出来たこの国は、何事も土・水・火・風の四つの単位で振り分けて、生活の隅々まで『精霊から力を分けていただく』って感覚が建国時から浸透している。だから四色にも拘る、と。
「家はあそこよ。ゆっくりしてってね」
カチューシャが娘さんの言うことを念話でずっと訳してくれるので、笑顔で頷く。コッコッコッ、という鶏の声や、クワァァッというガチョウの声が聞こえてくる。
「わしは婆さんに先に言っておこう」
赤モップなお父さんは爺様が訳すことになった。
最初はカチューシャが全部引き受けてくれていたが、≪男ども、サボッてんじゃないわよ絞めるわよクズ≫て、途中でマジ切れした。
そのため次に誰かが出てきたら、フィオが担当してくれることになっている。姐さんは面倒見はいいが厳しいのだ。
二人が案内してくれた家は農家というより、こぢんまりしたお屋敷だった。街の中心地ではないが、街壁の際でもない。貴族っぽくはないが、親子三人が住む以上に部屋数があるし屋根や塀まで凝った造りだ。
そして広い庭では、子豚たちがお母さん豚の後を右往左往しながら追いかけていた。みんな肌が青みがかっているが、可愛い!
あっちの鴨の群れは紫色。我が物顔で闊歩している雄鶏の羽根は、真っ黄っ黄だ。
ピンクのふさふさ兎たちは、近づいてもちっとも逃げたりしない。しゃがみ込んでなでさせてもらっていると、家に入るから、と催促されてしまう。
「姉の部屋を使ってくれていいわ。今は遠くで働いているから空いているの」
いっそのこと納屋でもいいんだけどな。玄関先で躊躇っていると、カチューシャも一緒で構わないと付け足してくれた。
「アリガト!」
ぺこりとお辞儀をしてから家の中にお邪魔する。犬は外って言われることを覚悟していたから、顔がほころぶ。
「いいわよ。姉が小さかった頃は様々な生き物を拾ってきては部屋で飼っていたしね」
娘さんが思い出し笑いをする。家の中は外から見るよりも、いっそう重厚な造りだった。二階への大きな階段を上がりながら、愛玩動物の種類をいろいろ挙げていく。
捨て猫とか捨て犬、兎にハムスター辺りは理解したが、ところどころ念話で変換されないものもある。こちら世界独特の生命体なのだと思う。
ちょっと、というか正直かなり興味をそそられた。
うちは数年単位で各国を転勤していたから、ペットなんて夢のまた夢だったもの。いいなぁ、そのお姉さん。
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