30.闘う、かも?
※不快な場面が続きます。お食事中はなるべく避けてくださいませ。
≪あああ、あのね。あのねなんだけど≫
≪放っておきなさい。こんなの助けていたらキリがないわ≫
≪そうだよね、うん、私の世界でも絶望したくなるほど毎日大量に起こっているんだけど……でもさ、一回でも被害に遭ったら一生そりゃもうすんごく辛いんだよ。
自殺する女性だっているし、下手すると最中に殺されることもあるし、生きるも死ぬも地獄っていうか、だからそのあの≫
自分でも何を言っているのかわからなくなってきた。震える右手で緑頭巾コートのポケットから極小スイスナイフを取り出そうとするが、うまく握れない。
ああもう、男がズボンの前をなんかはだけようとしている。ヤバイやばいヤバイ。
≪芽芽は助けたいのね≫
≪――う、うん≫
≪それが芽芽の命じたいことなのね≫
≪え? いや、命じるって何≫
≪いいから命じなさい!≫
≪え゛ええっ? いやでも、命じる立場じゃないし――えーとえーと、あの女の人を助けたいです! 神様、森の皆々様、何卒お力を貸してください!≫
立ち上がりかけたカチューシャが、ガクッと地面に突っ伏した。
≪そうじゃなくて――ああ、もういいわ、この程度の雑魚なら命令必要ないし≫
白い犬が男たちめがけて突撃していった。私も遅れまいと、慌てて身を起こす。
≪フィオは待機! フィオは来ちゃ駄目! 荷物と爺様係!≫
竜を後ろに引き留めてから、小さなナイフを頭上に掲げ、「わぁぁぁぁ~っ」と叫んでゆるい坂を駆け降りていく。
私たちが参戦したら男二人に対して、女二人プラス超獰猛犬だ。ギリギリいける! 火事場の馬鹿力だ、女だって団結すれば絶対なんとかなる!
カチューシャの体当たりで一人目の男が派手に転がり、後ろ脚蹴りをお見舞いされた二人目が横にふっとんだ。うぉおう、カチューシャ強え。
でも飼い主は私だ。カチューシャの横に立って、男たちにナイフを向ける。
足どころか両手までガクガク震えていた。小刻みどころか、コントでもここまでしたら大袈裟で劇場不採用ってくらい、派手に上下に振れちゃってる。
だって止まんないんだもん!
気を引きしめるんだ、深呼吸だ、って、息ってどうするんだっけ。
そいでなぜだ、倒れていた場所の女の人がいない!
≪消えた! スカートが! チガくて練り辛子の! 明太子!≫
≪芽芽ってば意味不明。女なら元来た道を走って逃げたわよ≫
嘘。――そこで一気に恐怖に包み込まれた。
歪んだ猿魔人みたいな男性二人が激怒して睨んでいる。世間を舐めきった若者独特の、傲慢さが前面に出たチンピラ顔だ。
このままだと飛びかかられてしまう、と後ずさった拍子に見事に尻もちをついた。
≪落ちつきなさい、この馬鹿!≫
カチューシャが念話の中で舌打ちをする。その視線の先には、拾い上げた私の小ナイフと本人の大ナイフの両方をクロスに構えてみせる男がいた。
隣の涎を垂らした男は、森に落ちていたらしい棒っきれを握っている。結構な威力が出そうな太さだ。
「*******!」
何か罵倒されているらしいのは伝わった。「邪魔しやがってテメー」的なことを言われているのだと思う。それとも「殺してやる」とか、もっと物騒な内容かな。
だってこの人たち目つきがいっちゃってる。
一言ひとこと何かを大声で発するたびに、すさまじい怒りと憎しみをぶつけてきた。恐怖で身体がすくんで動けない。せめて何か叫びたいのだけれど、口を動かしても声がまったく出なかった。怖いよ、怖い。
「*******!」
殺されるんだと思った。
ごめんね、フィオ。結局何もしてあげられなかった。一人で青い馬の連峰に行けるかな。爺様がいるから智恵を貸してくれると願いたい。
そしてカチューシャは、この男たちから逃げおおせてほしい。うん、足が速いからきっと大丈夫。
固まって座り込んだまま、目を閉じることすら出来ない。
棒っきれの男が鬼の形相で襲いかかってきたかと思うと、横から飛んできたカチューシャに喉を噛みつかれて直前で倒れた。すべてがスローモーションに見える。
ぐり、と変な方向に男の頭を捻じって(前)足蹴にするものだから、私は正面から血しぶきを浴びなくてすんだけど、後ろのナイフの男が血だらけとなった。
なぜか興奮したらしく、いきなりナイフ男が狂ったように笑いだす。そして私に突撃しようと一歩踏み出したところで、カチューシャにやはり喉を噛み切られた。
噴水みたいに血が一筋、勢いよく向こうの空にほとばしる。男二人の周囲一面、流れ出す血がすごい。
男の手足はしばらくぴくぴく変な痙攣をしていたが、急にこと切れた。
≪牙娘、ここから引き払うわよ!≫
≪芽芽ちゃん、荷物こっち!≫
≪芽芽、何をぼけっとしておる!≫
皆の声が遠くでこだまする。両手はぼんやり膨張している感じだけど、さっきのような全身から血の気が引いた感覚は収まった。『牙娘』はカチューシャでしょ、と冷静にツッコんでいる自分がいた。
――私、生きてる。
そう思ったら、何かがお腹からこみあげてきた。微風のせいか、死臭のような穢れのような、何か禍々しい空気が漂ってくるのだ。血だまりが一杯で、男の濁った目がこっちを見ていて、何もかもが汚い。気持ち悪い。
横の窪地のほうへ、ひとしきり吐いた。もうこれで吐き終わったと思ったら、オエッてなる。そいでまた吐く。
一方、血しぶきをたっぷり浴びたはずのカチューシャは、いつの間にか真っ白な毛並みに戻っていて、血や吐瀉物のないギリギリ近くまでフィオと一緒に荷物を運び、水筒を探してくれている。でも肉球だからか、ちょっと難しそうだ。
あ、うまいこと口で咥えた。
こっちに来る姿が太陽の光で輝いている。
ふぁぁ、キレイだなぁ……なんで世の中には地獄から這い出たように汚いものと、天上から舞い降りたように美しいものがあるんだろう。
水筒を受け取って、口の中をゆすぐ。数回繰り返して、やっと落ちついてきた。でも少し前のことが現実だったなんてまだ信じられない。
≪芽芽、泣かない≫
カチューシャに言われて、泣いていることにやっと気づいた。
≪だってっ、怖くて……怖かった≫
犬にすがりついて、わんわん泣く。ああ違う、駄洒落はワザとじゃなくて、えーと。毛並みがモフモフです。これも違う。キュン死注意報、も違う。
とにかく私はカチューシャが大好きなのだ、うん、これは正しい。
フィオがリュックからはみ出ていたタオルを爪先で破かないよう慎重に引っかけて、そのまま持ってきてくれる。
それを受け取ろうと身体を起こすと、カチューシャは私が視線を逸らしている方角からスイスナイフも噛んで持ってきてくれた。でも血が付いている。
涙でぐしゃぐしゃの顔をしかめたら、カチューシャの口元や足先に新たに付着した血も含めて、赤色が全部しゅるんと消えた。不思議な魔法。
何もかも、やっぱり夢なのかな。頭がひどくぼんやりする。
≪芽芽、誰か来るわ! 動いて!≫
≪それはその、動きたいのはやまやまなのだけど……なんか腰が……力、入ってくれない感じ?≫
多分これが噂の腰が抜けた状態なのではあるまいか。でも吐くときは腰捻ってそこの窪みに身体を引き摺っていけたし。
なんだこれ、金縛り?
≪フィオ、あんたリュックの中に避難!≫
≪わわわかった!≫
カチューシャが指示を飛ばす。そして私のコートを噛んで、引っ張ろうとした。
私も両腕を使って動こうと頑張るが、どうにもすべてがぼんやりしてしまう。押しつけられたナイフを、タオル越しに落とさず握ろうとするのがせいぜいだ。
「******!」
地響きみたいな音がどんどん近づいてきて、誰かの声が混じりだす。
≪あれって、さっきの女の人?≫
≪そうね、助けを呼んできたみたい≫
よく伐れそうな大鎌を握った女の人と、筋骨隆々の初老の男性が走ってくる。
爺様が話してた魔獣除けグッズだろうか、腰にぶら下げたサッカーボール大のブリキみたいな球体がガラゴロガラゴロ、不快な音を立てていた。確かに近寄りたくない。
女の人は、お団子が崩れて朱色の髪がぼさぼさ。強姦魔の惨状を目にして、こちらに来るのを一瞬躊躇してた。
だけど、すぐに意を決したように辛子色スカートのエプロンを握ると、私の傍まで来て目元と口元を拭ってくれた。
≪芽芽が大丈夫か訊いているわ≫
こくり、と頷いておく。
≪痛いところはないかって≫
ふるふる、と首を振る。腰だけじゃなく、首から上もあんまり力が入らなくて、一つひとつの動作がひどくゆっくりになってしまう。
父親なのだろう、娘さんと同じ大きめの鷲鼻に赤銅色の立派な顎鬚。難しい顔でそれぞれの死体を確認している。私、どうにかして警察に連行される前に逃げないといけない。
ざっと大きな動作でこちらに近づくものだから、急に恐怖が甦った。ヤダ、怖い。男、気持ち悪い。
「*****!」
娘さんが何か言って、父親を少し遠ざけてくれる。そしてぎゅっと抱きしめてくれた。
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