28. 朝、遭遇する(4日目)
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≪牙娘! いい加減、起きなさいっ!≫
カチューシャの声が脳裏に響く。ついでに何かぷにっとした感触が、額に押し付けられた。えーと、これは……肉球スタンプだ。あ、体重かけないで。爪がイタタ、痛いっ、痛ぁぁいっ!
≪なにすんの!≫
≪それはこっちの台詞よ!≫
両手で必死に白い前脚を押しのけたら、サモエド犬のドアップが目の前に。すんごいメンチ切られているんですが。
≪一体どうやったらこうなってるの!≫
何を怒ってるんだろう。視線の先を追うと、すぐ横にフィオの白い鱗がぼんやりと浮かびあがる。元の大きさに戻ってた。え゛、これって少しでも身動きされたら、私、押しつぶされなくない?
≪芽芽ちゃん、ボクが守るからね!≫
守るって何から?
なんだか靄がかった白い竜の身体に寄りかかり、よろよろと立ち上がろうとすると、手をついた場所を起点にモコモコモッコと波打つではないか。
「わぁぁっ!」
びっくりして叫んだら、野球ボール大くらいの真っ白白助がわさーっと四方八方に飛び散ったし! 風も吹いていないのに、特大の蒲公英の綿毛が、辺り一面ふわふわふわーん。何がどうなったし。
私、ぶつぶつが超苦手だから集合体恐怖症の気があると思うのだけど、これには不思議と不快感がない。なんかね、優しいの。
≪爺様ーっ! カチューシャっ! なんか変なの、いる!!≫
≪変なのじゃなくて、『森の使い』よ!≫
妖怪ケサランパサランまみれとなった白い犬は、とっても不服そう。
≪森の使いって……森の便りのこと?≫
≪おい。深夜に発光する『妖精便り』と混同するでない。あちらは地層に溜まった雷が逆流する現象。これは空中の魔素が膨大な時間をかけて結晶化した塊じゃ。空中に漂っているのは、おそらく風属性と火属性かの≫
朝っぱらから爺様の講釈が始まった。確かによく見ると、飛び散った中には白い綿毛の玉だけじゃなく、オーロラ色の煙幕みたいな玉もあった。フィオの身体の下のほうには、イタリアの虹色マーブル紙みたいな模様の粘土玉もくっついているし、透明の水っぽい葛餅もどきも日陰に集まっている。
害はないらしく、地面組も突つくとぽよよんと転がった。弾力が素晴らしい。粘土玉を掴んでみたら、理想的なモミモミ感。このままストレス解消のスクイーズとして売り出せると思う。葛餅は手がびちゃびちゃになるのかと思いきや、やはり絶妙なプニプニ感。
空中組の蒲公英玉と煙玉までポフポフ握れたのには驚いた。なんだこれ、なんだこれ。苦しゅうないぞ、もと近う寄れ。
≪……何やってるのよ≫
≪合体させて、スライムにならないかなって≫
≪はあ?≫
悲報。脳内通訳で『スライム』が、するっと通過しなかった。このくらいの魔物、とバスケットボール大くらいの大きさを表現しても、全然通じない。
≪お前の世界には面妖な生き物が存在するのじゃな……見れば判ると思うがこれに魔核はないぞ。魔素が集合して塊となっただけで、まぁ、よく言えば……菌類の胞子や水場の藻類に近いかのう≫
≪ふぅん? でもさ、合体して大きい玉になってくれたら枕にできるのに≫
あれ? 爺様とカチューシャが面食らって黙りこくった。フィオだけは≪芽芽ちゃん、しゅごい……≫と変な方向の賞讃を寄せてくれる。
爺様の靴底がゴムっぽかったから、スライムでも加工しているのかと想像しただけなのに。そう付け加えると、さらに皆がしーんとなる。
≪………………ああいうのは、特定の樹液を微生物と混ぜて、何度か発酵させておるのじゃろうて≫
……発酵? 微生物? 地球の天然ゴムの木と微妙に違うよーな気がする。しかも、やっぱり月の四色にこだわるもんだから、『着色のために昆虫の粉末も追加』するんだって。
ま、地球もどっこいだ。よそ様の文化風習を「うげっ」と鼻白むつもりはない。
抹茶アイスなんかのおキレイな緑色を演出しているのは、蚕紗。漢方薬にもなるとはいえ、蚕の糞だ。
コチニール介殻虫を煮出した『天然』赤色着色料は、苺アイスやヨーグルトやチョコレート、ハムやかまぼこ、果ては口紅にまで使われている。見た目が非常にエグイ虫だ。
それに比べて、『森の使い』は丸くて可愛い。ただし、空中の魔素濃度が高い森の奥で、魔素が属性ごとに集まって物質化しただけなので、生き物ではない。捕獲して人里に持っていこうとすると、街に辿り着く頃には分解され、霧散してしまう。
一昨日の夜、私たちが目撃した『森の便り』は放電現象みたいなもの。そもそも虫網で捕まえることすら無理。
ちなみに霊山でもらった(?)『森の恵み』、つまり天然の魔法補助具は『精霊』が気の遠くなる年月、魔素を凝縮させた化石もどき。
とはいえ精霊に人型はいないし、ギリシャ神話のような人間臭い性格や趣味嗜好もない。どうやら宇宙の源とか、原初の神様っぽい立ち位置なんだよね。人類の英知を超越した存在が、地水火風の属性を司っている。
≪それで、なぜに合体は無理なの? 粘土みたいなのに≫
葛餅ぷよぷよよん、虹色パン種はむにょむにょむにょ。私の両手は依然として感触を堪能中である。粘土よりは弾力があるかな。ゴムよりは柔らかい。煙玉や綿毛も、絶妙なふわふわふわん。
≪そこが人智では越えられぬ壁じゃ。古代から連綿と研究されてきたものの、人間の手では『森の使い』を『森の恵み』に変化させることは、どうあがいても無理でな」
私と爺様で想定している完成形が微妙にズレてるけど……なるほど。ここの人たちにとって、精霊信仰が単なる迷信レベルじゃないのはそこら辺が原因か。
≪ていうかね! 牙娘、危機感が無さすぎるわ! なんでこんなに大量にいるのよ!≫
カチューシャが後ろ足で地団駄を踏んでるけど……知らんがな。攻撃したり噛みついたりはしないんでしょ、生き物じゃないんだし。
≪そのせいで、魔樹と魔草まで来ちゃったのよ! この至近距離で呑気に寝てるんじゃないわよ!≫
爪先立ちしてみよう。どどんと横たわって砂利道を占領している白竜の向こう、針葉樹でない巨大な樹が生い茂って、わさわさわさ。
≪――ああ、王様のこと? 女王様も一緒だね≫
モンキーポッドの大樹、つまり森の王様だ。フィオの鼻先を撫でつつ、ぐるりと移動すると全体像が見えた。一昨日と同じかは不明だけれど、威風堂々と佇んでいらっしゃる。
今朝は月の各色の水茸と、森の女王様までぶら下げて、太ったクリスマスツリーと化していた。相変わらず満開の月下美人みたいな四色の花からは、ジャスミンとローズが混ざったような芳香も漂う。
ついでにうちの蛇杖ちゃんも、小猿になって枝から枝にジャンプしてた。変身させた記憶ないけど、元気そうで何より。
≪王様と女王様、おはようございます。ごきげんうるわしゅう≫
ぺこりとお辞儀をする。≪カピちゃんも、おはよう。そいで爺様とカチューシャとフィオも、おはよう~≫と周囲に手を振りつつ、天に向かって伸びをした。あくびが止まらない。
≪だ~か~ら~! 警戒心!≫
カチューシャが吠えた。やっぱり北国の朝は寒いなぁ。白湯つくれるようになりたい。水筒を持って、王様の根っこに座らせてもらう。がっつり根上がりしていて、背もたれまである極上の天然ソファである。そこに垂れかかる花びらの天然カーテンは、摘んだ花の根元を吸うと甘い蜜の味。
うん、一昨日もお世話になった月下美人サボテンさんと、モンキーポッドの樹だ。なんとなくだけど、そう感じる。
≪なっ! ど、どこにそのような保障がある! 王も女王も人間を襲う攻撃種ぞ。普通ならば単体でも珍しいというのに、ここまで色々揃うなぞありえん!≫
今度は爺様が吠えた。同じ品種の別の個体だと思ったわけね。そいで、通常は人間を攻撃する、と。……ちょっと待て、そんなの初耳なんですけど。
深夜すぎ、森の使いを大量に引き連れた森の王様と女王様がやって来る、という前代未聞の事態に爺様は警戒態勢マックス。で、フィオに大きくなって、私の盾になるように命じたと。……もうそれ、完全に百鬼夜行やん。
≪てことは、魔樹って歩くの? 動物みたいに?≫
≪当たり前じゃ!≫
その『当たり前』がわかんないんだってば!
そういえば、砦の周囲にこんな目立つ植物はなかったわ。あれれ? 一昨日と昨日の記憶がごっちゃになってる。眠くて頭が働いていない。
えーとえーと……ようは一昨日見かけた草木が、今朝になって移動してたってことだよね? どうやって!?
森の王様は、顔や手に見えるような部分はなくて、ほんと普通の広葉樹。ぜんぜん樹の精霊や樹の牧人っぽくない。
ちなみに私は爆睡していて、フィオがつついても起きなくて。爪で怪我させるわけにもいかないし、オロオロしていたら明け方にカチューシャ姐さんご登場。
≪なんかね、危険なんだって! よくわかんないけど……≫
フィオは二人組に言われた通りに、体を張って防御壁を作っていたらしい。
今更、逃げるのは無理だ。運動神経ゼロの私が根っこに座っちゃってるもの。
深呼吸してから、王様の木肌に両手で触れてみる。……希望的観測かもしれないけれど、敵意はなさそう。何よりもこれまでの人生ならぬ竜生、ずっとこの近隣諸国の森で暮らしてたフィオが本気で警戒していないのだ。
戻ってきたカチューシャが、寝ている私を寝袋ごと噛んで動かそうとしたって話のほうがゾッとした。顔面が砂利道でこすれてスプラッタになるところを、爺様とフィオが止めてくれたんだって。そいで妥協策として、フィオが元の大きさをキープしたと。
≪あのさ、フィオは犠牲にしないでってお願いしたでしょ。起きなかった私も悪いかもしれないけどさ、人間でも獣でも、攻撃してきそうな時はフィオをまずは逃がしてよね≫
≪そんなことをしようものなら、お前が死ぬぞ!≫
まぁ、それは……うーん、仕方がないと言うか。戦闘能力ないし、下手に生きて痛いのも嫌だし。爺様みたいに魔術で反撃も無理だし、カチューシャみたいに立派な牙で向かっていくこともできないし。そりゃ、守ってもらえたらありがたいけれど、二人にはなんの義理もないわけだし。
≪ボクが守るよ~≫
≪フィオは優しいねぇ。でも、気持ちだけもらっとく。自分のこと、優先しなきゃダメだよ≫
人間のせいで拘束されて辛い目に遭ったのだ。フィオにはこれ以上、痛い思いはしてほしくない。
そう思うでしょ、と樹の幹を撫でる。枝が賛同するかのように、僅かにわさわさ揺れた。そよ風も吹いているけれど、王様が自主的に葉っぱを揺らしてくれたっぽい。やっぱり敵意はないよね。
私もできることをしよう、とやる気が出てくる。水筒に水を集めたあとは、白湯を作れないか練習だ。
昨日みたいにコップが炎に包まれるのは避けたい。まずは地の補助具を握って地面に小さな穴をあけ、そこに水茸の水を入れて、お湯にする。飲めないだろうけど、こうやって水の温度だけ上昇させる感覚を掴むのだ。
何回か地面から小さな火柱が上がって、そのたんびに私とフィオがわーきゃー騒いで、爺様とカチューシャが怒って沈静化、を繰り返した。
森の王様も女王様も、その間ずっと動くことなくじっと見守ってくれている。
森の使いっ子たちは炎上騒ぎが起きる都度、一緒になってぽわわんふわわん、四方八方に飛んだり跳ねたり転がったり。小猿のカピはあっちの枝からこっちの枝へ、独りサーカス状態。
実に平和な朝である。
で。謎なのは、リュックの横にちょこんと置かれた小さな革袋だよ。これは何だい?
≪カチューシャ、これってカチューシャの?≫
≪あらそれは軍資金よ≫
ほよ。ぐんしきん?
≪遺跡の屋根に埋め込んだ隠し財産を持って来たわ≫
冒険活劇式タンス預金してたよ、この二人。
≪つまり、爺様とカチューシャのお金ってこと?≫
≪いやワシの……まぁよい、そうじゃ。霊山に行く際には財布は持参しておらなんだからな、このままでは数日もたぬであろう。取りにいかせたのじゃ≫
いつの間にそんな粋な打ち合わせを。私にはミジンコも聴こえない別回線の念話がちょっと気になる。
兎にも角にも爺様と白犬姐さんにお金のお礼を言って、新たな革袋の中身を確かめた。
お馴染みテニスボール大の球体の浮遊石が一つだけ。お吸い物のお椀みたいに真ん中を捩じってカポっと開けると、中には硬貨がびっしり詰まってた。
――って! 全部が初めてお見かけする高級そうな貨幣ではないかっ。
正方形の中に菱形の鱗模様という『竜貨』。
三日月形に十字の星模様という『月光貨』。
十六花弁の花型に王冠模様が『太陽貨』。
この三つには俗称がない。もちろん穴も開いてない。庶民の日常生活に、あまり登場しないからだろう。
≪……これ一枚いくら?≫
≪……それぞれ16倍なのは確かよ≫
相変わらず、カチューシャの掛け算は何の16倍なのか、最初の数がわからない。でも最終的に16かける16かける16って!
こんなの持ってたら、エクストリーム盗賊ホイホイになっちゃうよ!




