28.初めての満月になる
≪古代の道は所々に野営地が残っておるのじゃが……移動したかのぉ≫
≪へ? 道って動くの?≫
≪なわけないじゃない! 野営地が動くのよ!≫
サモエド犬が尻尾をぴしゃりと振り下ろす。荷物の隣に立てかけた熊からも呆れ返った空気がひしひしと送られてきた。フィオ、君まで可哀想な子を見る目は止めて。
地球なら道路も、昨夜みたいな砦も、自力で動かないんだってば。膨れフグの顔するぞ。
――いじけたりしないもん、焚き火に専念するもんね。
風で消えそうになってるから、ヤンキー団栗を握って点けなおす。
その周りを『風の指輪』で爺様の丸焼きをしたときのように覆ってみるが、今夜はうまくいかなかった。
暖かさは遮断したくないって思っているから、どこか穴あきになっちゃうのかな。
≪魔道具には限界があるのじゃ。いっそ魔術の練習をせい≫
≪そのために何年も学校に通うんでしょ。無理だってば≫
≪いや。ワシの魔杖があるではないか。四色のヤツを出してみろ≫
――指輪が魔道具なら、魔杖も魔道具ちゃうんかい。
だから『広義の魔道具』と『狭義の魔道具』なんていわれても、判らないってば。そして私はもう横になっているのですが見えませんかね、熊オバケさんよ。
≪魔杖に仕込んだ魔法陣を作動させれば、お前でも結界を張れるぞ。強風攻撃や炎爆弾、水刀放射であろうと上級魔導士一人分程度の敵なら跳ね返す。
地表にも張り巡らせれば、土魔法で強化した竜騎士が地下から斬りかかって来ようが、単体ならば一刻保つ≫
単体て……強いのか弱いのか、基準からして意味不明。大体なんで戦闘時の防衛を引き合いに説明するんだ。『一刻』も長いんだか短いんだか。地球で何時間か見当つかないし。
でも風が周囲の大木を揺らしはじめて不気味。身体を起こし、リュックから魔杖を取り出すことにした。
嵌め込まれた宝石の特定の部分を、爺様の指示に従って笛を吹くみたいに複雑に握り、誘導されたとおりに魔力を流し込む。起動スイッチらしい。
≪次は胸の前で垂直に構えろ。ワシの後に続いて唱えるのじゃ! *********≫
≪爺様、念話で変換されなくなった。もしかして音節とかリズムも大事なんじゃない?≫
≪――あ゛。≫
≪呪文ってさ、要するに言葉でイメージを現実化して創造するのでしょ。これまでこの国で培われてきた歴史とか研究結果の集大成というか、蓄積された言語文化の極地だと思うのよね。
単語が訳せたとしても、そこに込められたこの国特有の伝統は私、知らないから≫
たとえば林檎。
聖書の禁断の果実だと解釈され、ギリシャ神話で不和の林檎が生まれ、ヴィルヘルム・テルが射貫いて、ニュートンが掴んだ。
同じ西洋でも、フランス語の『ポム』とドーバー海峡渡った先の『アップル』では、現地の人が思い描く典型的なイメージは違う。新聞の見出しならシリコンバレーのGAFAを想起するかもしれない。
中国語の『苹果』は、音的に願かけにも使う。日本語なら『林檎といえば青森』と連想する人も多いし、『ほっぺがリンゴ』といわれても通じる。
今日少しだけ聞き齧ったこの国の言葉も、私には一日分の思い入れしかない。おまけに発音すら怪しい。いつの時代にどう発展して今この形なのか、まったく解らないのだ。他の未知の単語とのつながりも見えていない。その言葉を使った文学も伝統も文化も知らない。
≪そいでさ、魔術が一大学問なら、こちらの世界の古代言語だってそこに含まれるんじゃないの? おまけに表意文字なら、現代語とは言語系統が異なりそうだし≫
昼間の爺様の説明を思い出しながら指摘すると、やはり高度になればなるほど、比喩の多い古代詩や、果ては難解な数式まで絡んでくるのだとか。
じゃあ、それらをすべて無視して日本語や英語で呪文っぽく唱えれば済むかとなると……一応、試したものの、うんともすんとも変化せず。だって呪文どころか、魔術の仕組み自体を理解してないんだぞ私。
≪盲点じゃったっ≫
爺様が激しく落ち込んでいるが、逆に呪文があっさり成功したら怖いよ。私が『爺様なんて嫌い! マイマイの微塵浮蝸牛になっちゃえ! そいで今すぐ裸亀貝ちゃんに食べられて消化されちゃえ!』ってキレたら、ストッパーなしで叶っちゃう。
学校に行くのは、過去の失敗例や危険性を叩き込むためでしょ。ただの魔法をより強力にする手段なのだから、しっかり研鑽積んでから使うべきだ。
≪~~芽芽ちゃあん≫
ミニフィオがこてんと頭を寄せてくる。眠いらしい。そいでもって、どうやら今夜も何か唄ってほしいらしい。
緑のはぐれ竜は、キラキラした光と優しい歌が何よりも大好きなのだ。
「(光のお星さま、輝くお星さま、
今夜こうして出会えた一番星さま
どうかお願い、できればお願い
今夜の願いを叶えてちょうだいな)」
≪…………わぁっ!≫
唄い終わると、急に夜空が明るくなった。
フィオが空を見上げて歓声をあげる。まるで雲の向こうの一番星が大盤振る舞いしてくれたみたい。
上空は地上よりもさらに風が強かったのだろう。空を覆っていた雲をあっという間に吹き飛ばしてしまった。そして現実とは思えない、幻想的な光景がさーっと辺りに広がり始める。
なにせ青い月が昨夜までと比べて圧倒的に近い。
私の視力でも月面の模様が見えた。でこぼこしたクレーターではなく、青白く光る表面に濃い青の入れ墨を施したみたい。蝸牛模様が呪文のように絡み合っている。
周囲には大きな一等星がいくつも取り巻いて、一緒に強く輝いていた。空にたゆたう幾筋かの雲も地上の空気も、竜宮城に迷い込んだかのようにことごとく青系色のグラデーション。
≪え、他の三つの月は?! どこ行っちゃったの?≫
≪後ろに下がっただけ。星みたいに小さく見えてるでしょ≫
また『普通』のことを訊いて呆れられたのかな。チベットスナギツネみたく思いっきし糸目になったカチューシャに、おざなりに言われてしまう。
青い月が近づいて、他の三つは下がったの?
目を凝らしてみたけど……どれだろう、あそこら辺の大きな星かな。
≪だって月だもの≫
姐さんよ、当たり前のように言わないで。私の世界では月は一個なの。引力で多少は地上に近づいたり遠のくけれど、こんなびっくりするほど接近しないの。しかも昨日までと距離感が突如として違うなんて有り得ない。
≪たったの一個だけ? そんなの寂しくない?≫
うつ伏せで寝そべっていたミニ・フィオが、器用に尻尾を傾げてみせる。私はこっちの世界に浮かぶ、四つの月存在と動き方に首を傾げたいよ。
これじゃあ空も地上も、まるで煌めく海の底。すべてが満月の魔法にかかってしまったかのように青みを帯びている。フィオもカチューシャも爺様も青い。
≪今夜は青い月の日なの。来週は赤い月が満月になって、こんな風に近づくわよ≫
見飽きているのか、地面に丸まっていたカチューシャは至極つまらなさそうに解説してくれた。
えー、じゃあ辺り一面赤く染まるの?
≪そりゃそうよ。だって赤い月光だもの≫
その次の週は?
≪次は紫の月≫
うわぁ、面白そう。独り興奮気味の私を尻目に、白い犬がとうとう起き上がって、ふるると身体を振った。
≪ちょっと出かけてくるわ≫
≪今から?!≫
え、なんだか超塩対応だ。私ってばカチューシャに嫌われた?
≪竜、あんたいい加減大きさを戻しなさい。元のだと邪魔だけど、せめて人間の大きさに≫
≪こ……これ?≫
カチューシャにいきなり話しかけられて、フィオがおどおどしながら私と同じ身長になる。
≪わたしが帰ってくるまで、見張り番。古代竜のくせしてショボい魔獣を近づけるんじゃないわよ? 万が一にも人間が通りそうなら、荷物と芽芽は樹の後ろに移動させる、いいわね?≫
いや、そんなことさせるくらいなら、私が頑張って起きてるってば。
≪芽芽は起きてても気配を察知できそうにないし、役に立たないから寝てるのと同じなの。だったら寝なさい≫
≪だ、大丈夫だよ! ボク、頑張る!≫
まかせて、とフィオの鼻息が荒い。
私は、カチューシャとフィオの二人がかりで爺様のローブの中に簀巻きにされた。強制的寝袋の完成だ。
ローブが男臭い。そっか、どこかで嗅いだことあると思ったら……おじいちゃんに抱っこされたときの匂いだ。フランキンセンスの香りも同じ。
≪どのくらいで帰ってくるの?≫
≪遅くても朝日が昇る前に戻るわ。風も収まってきたし、満月が雲で陰らないってことは、暫く雨は降らない筈だから≫
そうかな、まだ少し吹いているのだけど。そう訊ねようとしたら、もうカチューシャは一度も振り返ることなく、砂利道を神殿や王都の方角へ音も立てずに走りだしていた。
しばらくすると青白く照らされた毛並みが、樹々の合間に消えてしまう。
≪爺様、カチューシャ怒ってるの?≫
≪あ? 気にするな。アレはいつもあんな感じじゃ≫
いつもって……。
≪大方、食事やら色々済ませてくるつもりなのじゃろ≫
≪え? 食事するの?≫
≪うむ。魔力を食べるのじゃ。魔獣を狩ったり、魔力の籠もった植物を採取する≫
ほぉぉ。なんか想像つかないが、私と同じ意味の食事とは別物なのね。
カチューシャが帰ってきたら出迎えようと思っていたのだけれど……自分で感じていた以上に疲れきっていた私は、ローブごとフィオのぷよぷよなお腹にぴったりくっついて、朝まで夢も見ずに昏々と寝てしまったのだった。
※芽芽が子守歌代わりに唄ったのは”Star light, star bright”という古い歌です。毎回、筆者の超訳で表記しています。




